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笑ってもらえないところまで突き詰めた。:葛西善蔵「子をつれて」「蠢く者」その他読解【古井由吉『東京物語考』×鎌田慧『椎の若葉に光あれ 葛西善蔵の生涯』】

by ANNAPOST



00:00 「笑い」の発見(自虐文芸の確立)
01:52 「子をつれて」
09:42 「呪われた手」(碇ケ関~建長寺宝珠院)
11:54 無銭宿泊もの(「浮浪」と「湖畔手記」)
14:34 おせい
17:16 「蠢く者」と関東大震災
21:13 口述筆記(善蔵、激動の1924年)
22:07 発狂の恐怖(「死児を産む」「われと遊ぶ子」「酔狂者の独白」)

※動画内に頻出する「遁走」という単語は本来、二点しんにょうです。当チャンネルが常用するフォントでは一点しんにょうになっているので、そのまま使用しましたが、正しくは二点なので御注意ください(平野謙の文章だけは原文も一点しんにょうだった)。

【純文学に関する動画リスト】

【参考文献:新品で入手できます】
葛西善蔵『哀しき父・椎の若葉』
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古井由吉『東京物語考』
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小林秀雄『作家の顔』
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【参考文献:品切れ状態】
葛西善蔵『贋物・父の葬式』
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鎌田慧『椎の若葉に光あれ 葛西善蔵の生涯』(岩波現代文庫)
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宇野浩二『独断的作家論』
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平野謙『平野謙作家論集 全一冊』
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伊藤整『改訂文学入門』
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嘉村磯多『業苦・崖の下』(講談社文芸文庫)
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※「足相撲」収録

山本健吉『私小説作家論』
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当チャンネルはAmazonアソシエイトに参加させていただいています。

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動画素材で主に利用させていただいてます。
〇mixkit
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〇coverr
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〇videvo
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画像素材で主に利用させていただいてます。
〇pixabay
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〇いらすとや
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〇artvee
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〇国立国会図書館「近代日本人の肖像」
https://www.ndl.go.jp/portrait/
〇国立国会図書館「NDLイメージバンク」
https://rnavi.ndl.go.jp/imagebank/
〇ぱくたそ
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音声素材で主に利用させていただいてます。
〇効果音ラボ
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もしある時ある作者が自分の生活の壊れる 話が人を感動させるということを知って いると彼はその作品を面白くするために 壊れかかった生活をますます意識的に あるいは無意識的に壊していってそして 壊すことによって自分の作品を面白く しようとする衝動に取り憑かれる危険が あるそうなると破滅的な演技的要素に実 生活が支配されることになる伊藤性の名所 海底文学入門における不幸自慢と自己撃化 の弊害を解いた一説です火災善造は破滅型 の象徴的人物つまりは私小説の問題点を 最もよく体現した文学者なので彼の障害と 作品を通してその実態を確認すると共に 不幸自慢や自己激化という言葉では 切り捨てられない何かがあるかどうか確認 していきたいと思っているのですが前回の 動画では処女作悲し父から天気となる偽物 まで読みましたざおさいたしますと書き たいこと書くべきことは処女作悲しき父と 次のあくまで書き切ってしまった以後前が 数年間の思考錯誤と沈黙を経てたどり着い たのは磁力的な笑いだったこの破滅型の 象徴的人物は平成令和の業界でも 大人気の自虐芸をを大正時代に私小説で 具体的には偽物から意識的にやり始めた わけです1917年大正6年2月早稲田 文学に発表された本作により前日は初めて 現行料を得ますそれまでの作品を発表して いた奇跡はあくまで同人誌なのでギャラ なしで書いていたんですね翌1918年3 月には同じく早稲田文学に子を連れて葛西 善造と言ったらこれという出世策こ連れて を発表します前走は文学に身を投じるよう になってから東京神奈川と京里青森を1度 ならず2度3度と行ったり来たりするの ですがこう連れてで書かれているのは家族 5人で状況し1年くらい暮らした頃のこと です家賃を滞納した激強制退去させられ 長男長女を連れて東京の夜を彷徨うという 短編でして同居である妻の実家が自主で 裕福なものですからをつけて金策に走らせ たものの間に合わず仕方がないのでまずは 原子へにバーに入るんですね以下有名な 下りですお父さん僕エビフライ食べようか な寿司を平らげてしまった長男は自分で 読んではこう並んでいる彼に行ったよし よしエビフライに彼は旧字女の方に向いて こ高機械的に叫んだお父さん僕枝豆を 食べようかなしばらくすると長男はまた 行ったよしよし枝豆にそれからお調子彼は やはり同じ調子で叫んだちびまる子ちゃん にですねマルコ寿司屋さんに行くというお 話がありましてネットで調べてみたら原作 は11巻に収録されているそうなんですが 友じいさんが可愛い孫のマルコのために 年金で誕生日プレゼントを買ってあげよう とするんです遠慮はするなとついでに食べ たいものを聞いたらカウンターのお寿司が 食べたいというお金持ちの花君が通うよう なですねネタの値段がと書かれた高級店に 入りマルコが遠慮なくウニだのキャビアだ のお願いしてくる度友蔵じいさんは清水の 舞台から飛び降りる覚悟で大将に注文を する私は小中学校の頃に原作を読みまして アニメを見てゲラゲラ笑い転げた覚えが ありますがこうを連れてのエビフライや 枝豆にもこれと同じ面白さがあるわけです バーを出た親子は電車に乗って渋谷で降り 友人経の下宿へ向かいます平の県によると このケは相馬大造をモデルにしているよう でいてこの時訪れた下宿屋は広津画像の ところだったとしか思えないのだそうです がともあれ主人公が下宿屋の主人に一晩の 宿をお願いしている最中長女がシクシクと 泣き出すんですねどうしてもここは嫌だと 言って聞かないので仕方なく親子3人当て のない方向が始まる長女の越は絶望的な夜 が決定的になる瞬間であると同時に自虐的 なおかしさが最好調に達する瞬間でもあり ますこうを連れてだけでなく前走による 自虐文芸の本領はここにあると見なして いいでしょう事実に即した小説であるのは 間違いないけれど事実よりも完成度を優先 させていることもまた言うまでもない以下 再び伊藤性です明治の終わり1910年頃 まで方明硬就高などはほぼ正確な生活の 報告として私説を書いたが大正7年 1918年に葛西善造がこつれ手をかき その友人の宇浩司が倉の中を翌年に書いた 頃から小説は少しずつ事実を作り替える ようになったしかし本質的には体験に即し たものであったダザイおの作品のあるもの は大部分が作り物なのに告白的な私小説と して読まれた入門書にあるざっくりした 文学士のおさいなのでこういう書き方に なっていますが厳密に言いますと前は 1912年大正元年に発表した処女作悲し 父の時から家族構成や自身の健康状態など を歪曲して書いていました純文学界隈で この傾向が定着し出すのが対象の中頃だと 理解しておけば問題ないでしょうで小林 秀夫がこの点について本質的な指摘をして いるんですね引いてみ ましょう一体は私小説というものはいい 意味でも悪い意味でも自分で自分を眼 greするところにその魅力の中心がある もので読者は作者が自分をいじくり回す 才能に完封したり嫌悪を覚えたりしている ので読者が一般に無邪気に考えているほど 私小説というものに作者の姿は現れている ものではないましてや文学者が文学的邪気 を持って考えているほど自己告白のうちに 自分が現れるものでは ない葛西善造はまさしく自分で自分を眼 greして笑いを取るのがうまかったと 申しますかこの芸にこそ活路を見出した わけですね生活区に飲まれていてはこう いうことはできません心身共に自分で自分 を客観視する余裕があればその分だけ作品 の完成度も上がるヒンクや病気に苛まれ ながらどれだけ正気を保っていられるか 前走の破滅的な作家生活はなんだがチキン レースを連想させ申します蒲田哲さんの 表現には勝利に帰った妻はそれからもう 2度と状況できなかった東京での家庭生活 はこを連れてのラストシーンで終わったの だったとあります妻の兄前走にとっては 義兄に当たる人物が見かねて祭祀を勝利に 連れ帰ったのだそうで東走という作品には その時の心情が描かれております資料に よって多少のばらつきがあるんですが親子 3人で都会の夜を彷徨ったたのが1917 年大正6年6月から8月頃祭祀を義兄に 託したのはこ連れてが発表された1918 年大正7年2月から3月頃とのことです数 ヶ月の開きがあるので妻は金策に赴いた 実家から一辺都内に戻ってきた可能性も あるなと個人的には見ておりますともあれ 東京に取り残された前も結局はいつも通り 田舎に引っ込むですね早稲田文学1918 年3月後に発表した高連れてによって葛西 はようやく分断から注目されることになっ た第1作悲し父から6年も経ってのことで ある家作に過ぎたとはいえ不遇だったこと には間違いないこの年7月富山県魚津市の 魚民西上の行動を短所にしてコメ騒動が 全国的に波及した前年にはロシア革命国内 でも各地で大企業が頻発していた企業とは ストライキのことですねえまともに働いて も食えない時代だった食い詰めて葛西は また怒りがに戻った何度目かの東走で ある古い義吉もこういった社会的文脈を 踏まえてこう連れてを読んでいますつまり 米の値段と同じく都会における地下と家賃 も後頭していたのではないか主人公に正論 をぶつける友人知人の口ぶりにもどこと なくこのの時代特有の不安が感じ取れると 言うんですね私はそんな不安などを味人も 感じなかったと申しますかむしろ切実さを 感じさせないところに作者の芸があると 考えているくらいなんですがしかし国 Discoverさや概略み要は笑いに 言及した下りで子を連れたこの親もまた子 でしかないかと実にさげなく確信を継ぐ ところには簡単いたしました社会不号者の 主人公が課長の責任を果たそうとしてまと 外れな行動に打って出るのもおかしいです しなんなら7つになる長女の感覚が最も まともに思えてくるこの長女がクソ親父の せいで泣かされるのがまたこの上なく おかしいから困るんですね怒りが石に 引っ込んでからの生活を描いたものとして こちらの文庫には呪われた手と火傷という 短編が納められているのですがどちらも 優れた自虐文芸ですとりわけ呪われた手は 面白い父親と警防それから彼らのもい語が クラス実家の世になっている手前嫁姑問題 にしろ子供たち同士の喧嘩にしろ主人公は 祭祀の肩を持ちたくても持てないんですね で事態を収集するため長女のまました頬を ひっぱたくんです長女は当然泣きだします その直後の下りを引いてみ ましょう何をするんだ何も知らない子供を ブなんて父はこう言って不自由な腰を 起こしかけたのを彼はどうぞ構わないでと 目顔で抑えた警は茶の間から出てきた そしておわが悪かったわしが1番悪いのだ さあもういいから泣かないでこう言って彼 の前から長女を連れて行ったしかし彼には その切なに敬difficultの後編に ある残忍な勝利の微少が浮かんだ気がした で育児なしな自分は呪われているぶっては ならないものをぶったこの手は呪われた手 だって本当にどうしようもねえなこいつと 思わず吹き出してしまうんですねこの怒り ヶでの暮らしが妻と生活した最後になり まして前走は欲1919年大正8年にまた 単身状況しますこの年の3月には最初の 作品集こ連れてを身長者から上司本合の レストラン円楽券で開かれた出版記念会に は徳田修正や中村村尾などの出席を得まし た一所不在引っ越しを繰り返したり相関さ れたばかりの文芸士改造の編集長横関愛造 の計いで新州は別所温泉に缶詰になって 不能者という 中辺路町寺の敷地内にある法主院の一室に 移ったのは1919年の暮でした前走は 関東大震災の被害で住めなくなる1923 年大正12年9月までここに身を落ち着け 大勢な筆力を発揮して行きますダザイオム は笑いに一定のこだわりを持ちつつも社会 的弱者である女性ににふするなどして独自 のロマン主義を完成させましたが葛西善造 はいつまでも大人になれない分子の日合を 笑いに転化させることにこだわった前回の 動画でも指摘した通りそんな自分を客観視 した時にもたらされる市場にこそ純文学と 呼ばれるにふさわしい新前美が含まれて いると私は考えているのですがいずれに せよ前走の捜索スタイルは一時いっぱいと 言われるほどストイックでその結晶である 短編には滋賀尚弥やそれこそダザイオムの 短編にマサルとも取らない下品が少なく ありませんただ性込めて小説を戻すという のは非常に苦しい作業なんですねサザエ さんに登場する伊坂先生も担当ののすさん からしょっちゅう 前の場合はお金がないくせに地方の旅館に 連泊して周囲を困らせるという無茶を結婚 直後から晩年に至るまで何度も繰り返し ました以下平の件ですギリギリのドタン場 に直面すると葛西は接続的なるもの一切 から逃走すべくデスペレートな行動を 起こすのである世俗の一切の批判から逃げ て逃げて逃げまくるというのがその行動 様式のモティーフに他ならない還元すれば それほど自分を窮地に追い詰めなければ 葛西は一辺の作品も各期になれなかったの である良き環境が得られなければせめて悪 環境を 湧き立つも人となり有心を絶するいう生活 心情もまたそこに由来している常人から 見れば非常識極まる火災善造一流の磁力的 なビタスがそこから生まれるのである無線 宿泊を題材にした作品のうち評価が高いの は不老並びに晩年に書かれた湖畔主です とりわけ湖畔主はファンが相性する白根山 雲のウ夕やけてつまし思えは胸痛むなり秋 の赤木を噛めばすくしく種あるもかしおせ もかしという歌が挿入されていることも あって最高傑作との呼び声も高いのですが 私は不老の方が優れていると思います全蔵 は湖畔主機の頃になるともう酒の力を借り た後述筆記を始めていまして本作において もその弊害が大いに出ていると宇野浩司は 指摘しております湖畔主の続編と申します か後日端である千白は素晴らしいんです けどねともあれ前は父親の死や関東大震災 を経て心身共に衰弱しついには作品までも がSiri滅裂で閉まりがないものになっ ていくんですねそんな彼をずっとそばで 支えてきたのは後におせも悲しと読まれる おせでした本名浅見花県長寺の形代具体的 に言うと県長寺の裏手半蔵帽という陳寿者 へ向かう参道沿いにあった茶屋少県の次女 で前が法主員に落ち着いた当初から持ちを 下げて雨の日も風の日もせっせと食事を 運ぶようになったのだそうです前走は当時 33歳の新身作家おせの方は19歳でした 山の上の部屋がりの寺へ高い石段を 登り降りして3度3度ご飯を運び万和晩で 12時近くまで私の長い屈な晩酌のお石を させられる雨風雪それは波大抵の辛抱では なかったそれがちょうど丸3年続いた丸3 年前の12月彼女の二十歳の年だったが それがあと半月で24の春を迎えるのだっ たその3年の間彼女は私の貧乏病気感触 ドバあらゆるそうしたものを浴びせかけ られてきた私はエゴイストだおせの家への 借金もかなりの額になっていたが年経った が長編どころかこの夏貧弱な全収穫の短編 集一冊出せたきりでその金もおせの家の 借金へは回らず自分の父の死んだ後始末 などに使ってしまった改めまして前走が 法主員の一室に移ったのは1919年大正 8年のくでした翌1920年4月に発表さ れた7枚程度の商品アヒルのようにでおせ は早くも登場します残念残念ながら私は 読めてないんですけど本作はおせのお腹に 新たな生命が宿っていることを暗示して 締めくくられるそうなんですね平野健も 蒲田哲さんもこの妊娠は悲し父における 活血と同様の小説的加工としつつ実際に血 を破棄もすればおせをはませもすることに なる前の盗作した生き様について言及して おります自己撃化による破滅の典型例なの で詳しく見ていますがアヒのように以降 おせはいわば火災文学の常連となり時には 溜まった借金の取り立て役としてまた時に は学業のため前走と一時期一緒に暮らして いた長男の重り役として登場することに なります性的なたを全く感じさせない献身 ぶりを示していた彼女が愛人として圧倒的 な存在感を放つようになるのは震災直後 うめくものからです前は本作において 1923年大正12年9月1日自身が経験 した大震災の様子を国名に記しております 県庁寺内の大建物は3門を残したほ ことごとく潰れて大法城の裏の大はまだ盛 に凄まじい音を立てて崩れていた最初に 一段の下からNさん生きているかよみんな 生きているかよこう鳴き声を降り立っ半ば 狂乱の姿のわり履きで一段がが跳ね上から 消し飛んでいった井戸の屋根中ほどから 折れた直径78寸ほどの杉の木倒れた門の かやそうした間を危険も忘れたかのように 駆けてきたのはおせいだった生きてる みんな生きてるぞ自分も思わず大きな声で 叫んだその時のおせいの顔を自分は忘れる ことができ ない前は2番の塾もう2番は無事だった おせの家少権に止めてもちゃっかり借金の 正文を欠かされて被災後5日目に約4年間 暮らした県長寺を離れ上京しますほどなく 落ち着いたのはかつて暮らしていた本郷3 丁目の高座店近くにある最上官でした一次 ほどしておせが表向き借金の取り立てに 追いかけてきてそのまま6畳の部屋に いついてしまう守もなくしておせいの父親 から借金と娘を返せと特則上が届くついに はおせの叔父が警察を伴って下宿に 押しかけてくるひれ自分巡査が差しを持っ てきておせいが顔色を変えて行ってみると 鎌倉から叔父が出てきていたが結局警察で ももう子供のことではないんだから無理に 引きずるようにして連れて行っても女の方 から追いかけてくるようなんだとまた 飛び出してくるんだからそこはよく納得の 行くように話をして連れて帰るがいい だろうと叔父に言うほなかった叔父はその 晩私の部屋に泊まったが結局連れて帰る ことができなかった前走はぶち切れおせい に向かって怒鳴り散らし手をあげます借金 も含めてこれまでの身勝手を詫び肉体関係 を持ったのもお互い様自然な成り行きで あって何年もそばにいてそういうことが なかったら帰って不自然じゃないかこんな 風に疲れたら小説なんてかっこない頼む から帰ってくれとこの男にしてはと前置き いたしますがこの男にしては割とまともな 時伏せ方をしますでもおせは癌として 帰ろうとしないあとと罵声を浴びせた辺り からうめくものでは本格的な野知り合いが 始まりましてこの頂上発がもう本当に 面白い男が女ととっくみあって顔や頭を 殴るわけですから本来なら舞をしかめずに はいられないシュラバなんですが面白 おかしく読めてしまうのは主人公が誰にも 勝てない男として描かれているからですね おせは口からたらたら血を流し反狂乱に なってセルロイドのキュピーさんみたいに 形のできていた胎児を下ろし実家の桃の木 の下に埋めたとカミングアウトをします 主人公はおせの妊娠を疑いこそすれまさか そんなことになっていたとはつ知らず 打ちのめされます彼女の両手を取り謝罪し ながら泣くんですね火災文学の主人公は 神類演者や友人知人から説教されたり窮地 に立たされたりするとよく泣くんですが これは明らかに笑いを取るためのものあの 劇団1人さんがブレイクした当初にやって いた泣きゲそのものでして実際の前走は もっと気の強い男だったという証言もあり ますうめくものが中央行論に発表されたの が震災から半年ほど経った1924年大正 13年4月同じ年の7月に改造に発表され たCの若葉から後述筆記が始まります11 月に発表された湖畔主友ども改造の編集者 古木哲太郎が筆記しました後半主の際は わざわざ東京から奥日光ホテル四季彩 [音楽] やってきたそうなんですが作品の方では ドラマ性を重視してお勢いが来てから 初めて完結したことになっております 1925年大正14年4月中央高論に発表 された指示を産むではうめくものにおける おせのカミングアウトが作り話であること が暴露されますうめくものには勝利の妻に 一切を打ち明けおせを連れてこいと案に 責められるシーンがあるんですが指示を 生むでは妻の皮肉を間に受け本当にその 通りにしたところさらにこじれもうどうで も良くなって自生するのを良した結果 とうとおせを妊娠させてしまった顛末が セララに語られますその挙句ラストで再び 流山という加工を施すんですね指示を生む こうした台の短編を自分は彼女の生まれた ある月の4月のある雑誌に発表しているが 実は自分がそれを書き上げた34日後に女 由子は小石川にある参加院で健全なうぶ声 をあげたのだったが自分とても無論それ ほど深く子供の出世を呪わしく考えていた のではないが色々な事情から生まれてくる ものの不便さを思わないわけにはいか なかった1926年大正15年1月中央 高論に発表された我と遊ぶ子の冒頭です 引用文の直後には母子ともに元気であると 知りさすがに自分もほっとした温かい不意 を感じたとあるのですが愛人とはいえ自分 の子供が生まれようとするまさにその時 小説に流産する落ちをしめるというのは 一体どういった心持ちなのでしょう狂気と しか言いよがありません酔った上での後述 筆記にめたい自作解説が加わりもう むちゃくちゃここまで錯綜してくると読む べき箇所は心身の健康状態に関する自己 分析くらいか葛西善造がなくなるのは 1928年昭和3年7月23日活け活血 神経その他の病状に関する自己分析には式 を予感した人間特有の切実さが滲み出て いるそんな風に思っていたのですが古井 義吉の東京物語校を読んで唸らされました 以下専業作家ならではの指摘ですご覧 ください自己客観というものも過激になれ ば時の関係としての現実をおそらく解体 しかかるこれは自己暦などという言葉が 思わせるような雑なものよりはもっと冷酷 で険しいものに違いない私小説が極まれば 現実と挙行とは取り替えの聞くものとなる 是非はともかくそういう運命は考えるべき である言われてみれば確かに現実と強行 正気と狂気の教会線があやふやになって いる危なっかしいがあるんですよね古井 吉吉が引用文の直後に指摘していること ですが我と遊ぶ子では発狂する恐怖が切切 と語られてもいます我がして失った実母の 2番目の弟が40代前半で教師したそうな んですね以下前走が振り返る20代前半の 頃の思い出ですその夏自分はまた気GOD して山のりんご小屋を書斎にしていたが ある暑い日の午後自分は昼寝でもしていた かそこへひりとすっかりやみほけた顔の 叔父が5つばかしの女の子の手を引いて 訪ねてこられたには自分はかなり驚かされ たのだった自分を畑の中を探してまだ十分 に熟しきらないブドのふを2つ満つひどく 人知するその女の子に持たせたがふとその 女の子の目を覗いて自分はやはり普通で ない何かしら野生的な動物などを連想さ せる黒いチカチカと刺すような光を感じた そして彼ら親子の後ろ姿を見送って自分は 言いよのない痛ましい気持ちに打たれたの だった果物のなる田園風景の中どこか普通 でない親子が佇む様は読むものにも戦列な 印象を与えてやみません前走は生まれた ばかりの我が子もあの従子の女の子のよう になってしまうのではないかと危惧します うめくものの長長発を経て後述筆記を始め た辺りでもう笑えなくなってくるんですよ ね新たに生まれた子供の本名は裕子で戸籍 場は制裁との間の産女となっているのだと か裕子が生まれる一月前前走は本合3丁目 の最上官から世田谷の未熟へ引っ越しても います1927年昭和2年1月には新長に 水橋者の独白という74枚の中編を発表 これを筆記したのは身長者から相関された 文芸士不道長で編集者をしていた神村磯田 です磯田自身前に5億崖の下の2作を読ん でもらい後に私小説の極北と称される作家 となりますつまりは弟子ですね磯田は未熟 に通って水橋者の独白を筆記していた頃を 以下のように振り返っており ます後述がしってくると逆上して夫人を ぶつケルはほとんどマオのことで2枚もこ を釣れるとすっかり右頂点になって狭い 室内を真っ裸の四つばでワンワン吠え ながら上ずり回りこうして片足をあげて 小編するのは男犬こうしてお尻を血につけ て小編するのは女犬と犬の正面の真似を するかと思うと畳の上に長く垂らした ふんどしの橋をようやく歯の履い始めた 裕子さんに捕まらして山のボリを踊り ながらけ君け君と私を見て君は聞いたか 寒山しじっと連れて2人ずれほいほい君が 攻めりゃおいらこうやって裕子と2人で五 老婆に逃げていくべとそんなでたらめの バカふざけばかしやったもうどん引きです ね頭のネジの23本ぶっ飛んでいる感じが しますがこのくらいのバカ騒ぎなら法主員 の頃からやっていた模様です通教者の独白 は自身の看病と子供の重りを期待して 住まわせるようになったいこの娘友子が おせと2人して自分をあ中の神経描写と 決めつけないがしろにしてくることに絶望 しひたすらな弁名も聞かず病で身よりの ない彼女を追い出すところで締めくくられ ますふーんと読み流してしまうところです が古い義吉はこんなところにも切実なもの を読み取っているわけです7月23日 月曜日咲夜からの小雨はふりやんでいた 午後になって葛西は懐中時計を帯に祝い させてから仕切りに上ことを言うように なった1時頃の記者に乗っていくことにし て切符を買っておいてほしい切符を落とさ ないようにちゃんとしまっておいた方が いいこの野原でちょっと便をしますから 故郷へ帰り夢を見ていたのであろう彼の 長年の夢とは故郷の丘のりんご畑に小屋を 作りそこで体を休めることだった蒲田さん はこのように臨時の様子を伝えてくださっ ておりますりんご小屋にてあの教師した おじさんのまともな笑顔に接し今の木は心 の底から安心したのかもしれませんといっ たところで今回は締めくくらせていただき ますお疲れ様でしたとチャンネルはこれ からも私小説を従来通りに扱っていきます けれどもしかし破滅型だからといって 頭ごなしに否定していいものではないこと を示せたのは良かったのではないかと思っ ております前回に引き続き今回も最後まで ご覧くださった視聴者様誠にありがとう ございました失礼いたします

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7 comments

@user-ku6bv5rm4u May 30, 2024 - 9:46 am

西村賢太にはじまり、今年になって岡田睦、川崎長太郎、上林暁と個人的に私小説を読んできた時期にこのシリーズ、とてもありがたいです。おかげで、やや値段の高騰が始まりつつある『贋物・父の葬式』をポチる決心がつきました。『哀しき父・椎の若葉』とともに、じっくり味わいたいです。

@sie9231 May 30, 2024 - 10:44 am

配信ありがとうございます。私は「作家が紡ぎだすフィクション」も好きですが、「なぜそれを書くに至ったか」という背景に注目する傾向があります。ですから、私小説は外せません。今回もいいヒントをいただきました。

@kotasaito6058 May 30, 2024 - 9:11 pm

いつも楽しみにしております。私事ですが、ロシアで勉強しておりまして、日本語や日本文学の話を耳に入れたくなったときに、よく動画を拝聴しております。小林秀雄の回で、「ドストエフスキーの動画もそのうち、、」という話をされていましたね!どんな切り口で動画にされるのか、ワクワクしています。村上春樹の動画も楽しみです。雑談会も好きです!今後とも、偶の更新を心待ちにしております。

@youth4613 May 31, 2024 - 3:14 am

お疲れ様です☺️

@tomtom.hirorin.2018 May 31, 2024 - 7:56 am

こんにちは。今回も中身のぎっしりと詰まった深掘り動画、ありがとうございました。主様の切り口が私小説愛に裏打ちされているが故にこころに響きます。ただひとつだけ腑に落ちないのが停留場近くのバーで晩飯を済ます場面。主様はちびまる子ちゃんのプライスレスなお寿司屋さんでの友蔵さんを引き合いに出されていましたが、その友蔵さんへの笑いは理解できるのです。でもそれは葛西の場合と同質なものでしょうか?葛西の長男の追加注文(しかも値の張りそうなエビフライ、枝豆二つずつ)への鷹揚な対応には算盤を弾いている様子は伺えない。それよりもむしろ腹を空かせた子供達への金銭に頓着しない葛西らしい愛情表現を感じており、この葛西の心の有り様がエンディングへと繋がっていくのだなとひとり合点をしていた次第です。小さなことなんですが、妙にこだわりたくペンを取りました。長々とお読みくださり、いつもありがとうございます😭

@user-tb2sl2nj3o June 3, 2024 - 1:41 am

大好きなチャンネルです。いつも投稿ありがとうございます

以下は一視聴者の戯言まがいのことですが、宜しければご一読ください

-文学思想の解説動画でしばしば作家志望だったと仰られていますが、もう筆は取りませんか?

私は作家志望の10代の学生です。周囲の同級生や年下世代は、ルッキズムやバズり、男女対立、広がり続ける格差、刹那的な激情に揺さぶられて、新自由主義が露呈した醜悪な牢獄に囚われてしまっている気がします。とても苦しそうです(傍から見れば若さをふりかざして随分愉快そうですが)。

ローティの偶然性•連帯•アイロニーの主張は私にとって非常に親しみやすいもので、脱構築された世界で(物理学も量子の登場で、真理を手放してランダムネスの土壌で全てを考えなくてはならなくなりました)文学が現代人の病理にとって特効薬になると強く信じています。

全ての文学が社会に直接作用するものでなくても構いませんが、売れるもの(ミステリ、感動ポルノ、ライトノベル)が文学として市場を制圧してしまうと、うまく言えませんが、かなり宜しくないと思います。

私は投稿者様のバックグラウンドを全く知りません。お仕事も忙しいかもしれませんし、作家を志す中で大きい裏切りに遭遇したかもしれません。
しかし私は、私はどうしても文学を守ろうとする人間を一人でも増やしたいのです。
私も何歳までかかったとしても、人を暴き、癒し、すり潰し、世界に留め続ける作品を書きたいと思っています。しかし才能や実力がなくて、あるいは運が味方しなくて私には成就できないかもしれません。

いつになっても構いません、どうかもう一度筆を取っていただけませんか。

@user-zm1go9iq4t June 6, 2024 - 10:55 am

こちらで紹介頂きさっそく葛西善蔵の本を手に取りいくつか読んでみました。ありがとうございます。

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