今日の試験はここです:
https://www.arealme.com/english-level/en/
アメリカ人は日本語の語彙テストを受ける!:
セブンイレブン アメリカ VS 日本:
アメリカンスタイル1910-2010年代:
🌸 てすですへようこそ!🇺🇸
私は日本在住のアメリカ人です!
もしリアクションして欲しい動画があれば教えてください!
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#リアクション #外国人 #アメリカ人 #日本 #海外の反応
※著作権を侵害する意図はありません。問題があった場合、即座に削除等、然るべき対応を取らせていただきます。
*FAIR USE No intention of copyright infringement.
Copyright Disclaimer Under Section 107 of the Copyright Act 1976, allowance is made for “fair use” for purposes such as criticism, comment, news reporting, teaching, scholarship, and research. Fair use is a use permitted by copyright statute that might otherwise be infringing. Non-profit, educational or personal use tips the balance in favour of fair use.
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25 comments
やっぱり、てすさんは英語教師だけあって本当にすごいですね👏毎日めちゃくちゃ寒いので御身体ご自愛下さいね😌いつもてすさんを応援していますよ📣
早速やってみましたよ「48/100 You don't speak English」ですって・・・知っとるわっ!
むしろ48点もよく取れたわw途中クラプトンの歌詞見たいのがあったからI say, “Yes, you look wonderful tonightって答えておいたわw
40点でした。ぜひ解説動画も見て勉強したいです。
That is an educational activity to learn English language, selecting the correct response with the corresponding sentence, knowing what the sentence is about.
ぜひ、答え合わせの動画をアップロードしてください。
日本一難しいといわれてるwaseda universityのfaculty of science and engineering のEnglish entrance examをnativeに解いてほしい。
やってみました。88点でEnglish Writer ! Professorにはなれなかったけど、満足! でも私はリスニングは全然苦手なので英会話はできません…
てすさんはどこで英語を教えてるのかなあ。近くのスクールだったら習いに行きたいな。いえ、純粋に英語を勉強しに…ですよ(-_-;)
テスさんやっぱり凄いです。僕は英語さっぱりです。中学の時の英語の先生は、ニュージーランドの女性の方でした。
やってみたところ、88点で「English Writer」でした。
もう少しあると思っていたので、悔しいです!
途中、「give」/「provide」、「want」/「prefer」あたりで迷いましたので、そのあたりで間違えたのかもしれません。
これらは「どちらでもOKじゃない?」とも思えましたが、どちらかが明らかに不正解なんですかね?
日本人だって全員が国語のテスト100点取ってる訳じゃないから気にしないでw
92でした。2つとも正解じゃね?って問題がいくつかあって迷いました。
もしかして英語ってキーが低い?何故なら、てすちゃんが日本語話すとキーが高くなるから。音って重要だよね。
テスさん!!! OK! だって、English Professorだよーーー!!
No problem!! :D
てすちゃんて英語の先生だったの⁉︎ダメだオイラこんなキレイな先生に教えられてもボーッと見惚れてるだけで授業が頭に入らない自信しか無い😅あと、答えの部分で、てすちゃんの読み方がNGワード言ってるみたいなのがじわじわツボってたw
「ごいりょく」ですね☺️
日本語の起源はラテン語?夢とロマンの「新説」が話題に
例えば「こころ←corculum」「哀れ←avare」「こい(恋)← cupio」「上げる←aggero」「下げる← suggero」 「起こす←occurso」や、「がんばれ←quam vale」「おめでとう←omen datum」などのルーツはいずれもラテン語と喝破し、ラテン語が縄文時代に入り、日本語の形成に影響を与えた。
ラテン語と日本語の意外なる共通点
・音の長短が重要
ラテン語学習者が使う辞書や教科書ではマクロンという長音記号が長音を示す時に使われている。実際のラテン語では、そんなものは存在しなかった。
これがあるかないかで単語の意味が変わっちゃったりするんで、区別するのに便利だからと使っている。
例を挙げると、liber(本 )と līber(自由な;līberīと複数形になれば「子供達」という名詞にも)とか。
日本語でも似たようなケースがある。例えば、「好き」「数奇」「スキー」を言い間違えたら、結構残念な結果になる。
・冠詞がない
ラテン語には冠詞というものが存在しなかった。
・主語がいらない
スペイン語で「主語がいらない主義」はどうやら母(ラテン語)から受け継いでいた。ここでも動詞の活用によって主語は判別するため、主語をいちいち明記する必要がない。
古いラテン語文献を読んでいると、「自分語りしてると思ってたら、いきなり三人称単数の動詞が出てきたけど!これ誰のこと!?それともひょっとして非人称動詞なのか…?」という場面に幾度となく遭遇した。本当の主語は英語で言うitなのか、he又はsheなのか…別に主語を記してはいけない決まりはないので、そこは親切心を以って後の時代の異郷人のために書いてやってもよかった。
日本語話者でもたまに何でもかんでも主語を省いて話す人がいる。
・語順は比較的自由
格やら3つの性やらっていう複雑な文法を備えてるラテン語様には難なくなし得る。
人間は楽な方に走りたがる生き物だから、ラテン語が後のスペイン語やらフランス語やらに変化していくにつれて、「格とか面倒だから、もう語順だけで意味が通じるようにしよう。語順が自由すぎるのも疲れる」とか誰かが言い出したのだろう。
学習者にとっては、きっちきちの語順ルールに従う必要がなく気が楽な反面、ラテン語文献をいざ英訳しようと思った時「この単語がこんな位置に!?」と突っ込みたくなる語順に遭遇することは日常茶飯事。名詞とそれに対する形容詞が数単語分離れてたりする(時には、次の話題に移ってるように見せてからの、思い出したようにポロリと付け足したする?とどう見ても思わざるを得ない状況も… )
どの順番でどの品詞が出るかわからない会話を日常的に繰り広げてたラテン語話者はすごい。
日本語を取っても、動詞が最後という決まりさえ守れば語順なんてほぼどうにでもなる。口語に至ってはその決まりすら破る人続出。でも、ラテン語の自由奔放さには敵わない。
(以上)
現在の殆どの日本人に最も濃く残っている免疫グロブリンの血液型Gm(ガンママーカー)遺伝子は土着系(シベリアから来た縄文人)と同じ。現代日本民族全体では、北方型の青のag遺伝子(白人)が45.8%、緑のaxg遺伝子(白人)が17.6%、黄色のab3st遺伝子(北方系新モンゴロイド)は26%、南方型の赤のafb1b3遺伝子(南方系新モンゴロイド)は10.6%であり、大半を占めるシベリア系の遺伝子基盤にシナ大陸中南部系を追加しただけで90%を占める。残りの10%は東南アジア系等のさまざまなDNAで、今の朝鮮半島人のDNAと似たものは僅かに5%程度。原日本人の数が多かったために縄文中期に渡来した人々、飛鳥、奈良時代の渡来人の血も原日本人の中に吸収され、同化していった。インドから東アジアに広がる際にマラリアに対する免疫を得た南方系新モンゴロイド:fb1b3遺伝子(白人)→マラリアに強いafb1b3遺伝子(南方系新モンゴロイド)
アメリカ大陸は大部分が青のag遺伝子(白人)で、南アメリカは緑のaxg遺伝子(白人)が1~40割、北アメリカは黄色のab3st遺伝子(北方系新モンゴロイド)が2~3割である。
(以上)
HTLV-1ウィルスの分布域=日本との繋がり
縄文人に関連する遺伝子として、ATLのレトロウイルス (HTLV-1) がある。日本人にはこのウイルスキャリアが多数存在することは知られていたが、中国東部や韓国ではまれで、東アジアで感染者が多い地域は日本以外では台湾ぐらいである。一方、アメリカ先住民やアフリカ、ニューギニア先住民などでキャリアが多いという特徴を持つ。九州南部と長崎県に多い。沖縄やアイヌに特に高頻度で見られ、中国地方の日本海側、四国南部、紀伊半島の南部、東北地方の太平洋側、隠岐、五島列島などの僻地や離島に多い。内陸部では少ない。これは海岸線を伝って人の移動があったことを示している。九州、四国、東北の各地方におけるATLの好発地域を詳細に検討すると、周囲から隔絶され交通の不便だった小集落でキャリアは高率に温存されている。東京、大阪など大都市で観察される患者の90%以上は九州などに分布するATL好発地帯からの移動者で占められる。このウイルスの感染機構は生きた感染リンパ球と非感染リンパ球の接触で起こり、空気や通常接触では感染せず、体液(血液、母乳、精液など)が主な感染源になる。自然感染の経路は母児間の垂直感染と男女間の水平感染に限られる。特に夫から妻への感染が多く、逆はほとんど観察されない。ヒトT細胞白血病ウイルス1型(HTLV-1)感染者は、わが国では約110万人、世界では1000-2000万人いる。HTLV-1感染は、我が国以外でも熱帯アフリカの一部、カリブ海諸島とその周辺、中南米の国々でも多数の感染者が確認されている。米国やヨーロッパでは、これらの国々からの移住者の間にHTLV-1感染および関連疾患の発症が認められている。近年では、イランなど中東の一部、ルーマニア、ラップ人などで感染者が存在し、関連疾患を発症している。更に、ニューギニア、オーストラリアなどのオセアニア諸国においても原住民(いわゆるアボリジニー)の間で極めて高い感染率を示す。この地域のウイルスはメラネシア型(Type C)HTLV-1で、最も広く分布しているHTLV-1 cosmopolitan型(Type a,b)とは異なり、関連疾患としても気管支拡張症患者が多い。
世界で発見された日本の神代文字
インド、エジプト、南米、アフリカなどの古代遺跡でも神代文字が発見されており、日本学術探検協会の高橋良典氏によると、豊国文字とハングルの類似性から「古代朝鮮も神代文字を使用しており、約6000年以前から日本にあった豊国文字を参考にして作った」としている。
例1……アルプスのチロル地方に「竹内文書」で"カムナ(神字)”と呼ばれるのと同じ名称をもつエトルリア系の「カムナ族」がおり、かつて古代日本のアイヌ文字を使っていたことがカモニカ渓谷やピネローロの谷にある遺跡から明らかになっている
例2……愛媛県越智郡の樹ノ本古墳から出土した漢代の鏡と、国立博物館にある漢代の「単圏銘帯鏡」にある漢字を出雲文字や豊国文字で解読したところ、「ニニギキヲタタエマツル」と「ヒツキヲアタエム」と読めた。「ニニギ」とは"ニニギノミコト"=天皇であり、「ヒツキ」とは王権を表している。
例3……3000年以上前の古代支那・殷の甲骨文字と「阿比留草(アヒルクサ)文字」には44の類似文字があり、「阿比留草文字」が30万年前の文字である事からして、甲骨文字は「阿比留草文字」の草書体であると結論づけている。 これについて、「契丹古伝」によると、「漢字以前の文字を天字といい、天字以前をト字、ト字というのは殷字であり、殷は元これ倭国(日本)」とある。
例4……インドでも日本の神代文字が見つかっている。インダス文明の遺跡モヘンジョダロにある仏塔の刻印をトヨクニ文字で読むと「ユニコーンカムイ(ユニコーン神)」と読め、"象の洞窟"の入り口付近でも「阿比留草文字」と豊国文字を発見、風化が激しい中「……マツラバヤ(祭らばや)」と記されている。
例5……"現代の書聖"といわれる神代文字研究家の安藤妍雪氏によると、「地球上の一切の文字の源はカタカナで、神の御働きに由来する象神名をアイウエオ、カキクケコなどのカタカナ(カタナムナ文字)で表したものを後年、弘法大師空海が48の平仮名に表現し今日に至っている」としていることは驚くべきことだ。
例6……「キリストが日本で習得し故国に持ち帰ったのが「イスキリ文字」、釈迦が持ち帰ったのが「梵字」そして「サンスクリット語」となり、これらがローマ字になった」と研究成果を発表している。
(以上)
シュメール=スメル(天皇=すめらみこと)も日本人だった。
通称「菊の御紋」と呼ばれる十六八重菊花紋は、日本の天皇や皇室を表しますので、ほとんどの方が「菊花紋」というと、天皇、皇室を連想する。実は、シュメールから出土した粘土板にも、菊花紋が描かれている。三種の神器とは、①「草薙の剣(くさなぎのつるぎ)」、②「八咫鏡(やたのかがみ)」、③「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」、のことである。これは、シュメールや古代バビロニアの三種の神器である、①「武神のシンボルの剣」、②「日像鏡」、③「月像の首飾り」、と同じ。さらに、日本の神話には8つの首を持つヤマタノオロチを退治したときに、「草薙の剣」を得たという話がある。シュメールの神話にも、7つの首を持つ龍を退治して、剣を得たという話がある。これらを関連付けると、日本の三種の神器はシュメールの神から授かったものという見方もできる。シュメール人は、自分たちの国を『キエンギ』と呼び、それは「葦の主の国」という意味である。古代日本では、『豊葦原中国(とよつあしはらなかつくに)』と称していて、「豊かな葦の原の国」という意味で、『キエンギ』と、非常に似た意味である。シュメールの神話では「ニビルという星からやって来た、アヌンナキという人々が人類を作り、そして、地球に文明を興した」と伝えられている。これは、古事記や日本書紀に記されている「天から来た神々が日本列島を作り、そこに降り立って、日本を建国した」という『天孫降臨』の話と、非常に似ている。
近年、母系の分析を補完するため、Y染色体による父系の解析も進んできている。一例として、『南米のコロンビア人を調査したところ、mtDNAは、ほぼ全ての人がモンゴロイド系(黄色人種)の特徴を持っていたが、Y染色体はほぼ全てがコーカソイド(白色人種)特にスペイン人に特徴的なタイプのみであった。逆に東ヨーロッパの諸民族のmtDNAはほぼ全てコーカソイド系であったが、Y染色体及び核DNAにはモンゴロイド系の特徴を持っている人々が少なからず発見された。』(『DNA』J・D・ワトソン/B・アンドリュー著)
母系の流れと異なるところは何処か侵略の足跡を窺わせる。いずれにしても、単一民族と云われてきた日本人だが、此れほど多様性に富んだmtDNA集団は世界的にも少ない。
<Mクラスター>(オーシャノイド)
<D>
特にチベット~黄河沿岸~日本列島に多いハプログループD(mtDNA)=D(Y染色体)(3万5000年以上前)or Q(Y染色体) (中央アジア~アメリカ大陸)orN(Y染色体)orO3(Y染色体) (北方で約3万年前に誕生)は、D4(mtDNA)(日本人32.61%)、D5(mtDNA)(同4.80%)(以上は東アジア)が一番多い。
<G>
特に極東に多いハプログループG(mtDNA)=O2=旧O3系統(Y染色体)(北方で約3万年前に誕生)は日本人6.86%でG1(mtDNA)、G2(mtDNA)、G3(mtDNA)、G4(mtDNA)のサブグループがある。
<M7>
ハプログループM7(mtDNA)=K系統→O1b=旧O2系統(Y染色体)=F(mtDNA) (スンダランドで約4万年以上前に誕生)は日本列島・沿海州・朝鮮半島・樺太・ほっと坊領ににいるa(同7.47%)、チベット・長江沿岸・台湾・フィリピン北部にいるb(同4.45%)、台湾・フィリピン・インドシナ半島北部にいるc(同0.76%)のサブグループがある。
<M8>
志那大陸にいるM8a(mtDNA)(中国北部)=NO(Y染色体)→N(Y染色体)=Z(mtDNA)は日本人1.22%である。M8b(mtDNA)→中央布アジアにいるC(mtDNA)=Q(Y染色体)(中央アジアからアメリカ大陸まで広がっている)は日本人0.46%である。北アジア一帯にいるZ(mtDNA)=N(Y染色体)(フィンランド先住民、ヨーロッパ地域、ロシアの極北地域、カムチャッカ周辺の先住民、朝鮮半島、日本とヨーロッパから極東アジアにまたがる分布)は日本人1.30%である。
ハプログループMはM8a、C、Zのサブハプログループからなる。
サブハプログループM8aは日本人の1.2%に相当する。華南と華北にも一定割合で出現し、周辺部には少ない傾向がある。
<M10>
チベット・モンゴルとその周辺・満州・朝鮮半島・日本列島・樺太・北方領土にいるM10(mtDNA)=O2=旧O3系統(Y染色体)(チベットに多い)は日本人1.30%である。
日本人の1.3%がM10であり、チベットでは8%を占め、ほか華北、ブリヤート、モンゴル、中央アジア、朝鮮半島に存在する。北の回廊を形成している亜型ではないかとも言われている。
<Rクラスター>(コーカソイド)
<B>
次いで、特に志那大陸南部・台湾・東南アジア・南太平洋諸島・中南米東部に多いハプログループB(mtDNA)=O2=旧O3系統(東アジア)又はQ(アメリカ大陸)(Y染色体)(約4万年前)は、B4(mtDNA)(同8.99%、特定部位のDNA配列が9つ欠損)、B5 (mtDNA)(同4.27%)もある。
<F>
特に志那大陸南部・台湾・フィリピン・インドシナ半島北部に多いハプログループF(mtDNA)=O1b=旧O2系統(Y染色体)(東南アジアで4万年以上前)は日本人6.62%である。
<Nクラスター>(ユーラシアン~コーカソイドの前身)
<A>
特に極東・北アメリカ・中アメリカに多いA(mtDNA)=C-M217*(バイカル湖畔・アメリカ大陸)又はO1b=旧O2系統(東アジア)(Y染色体)(北東アジア、北アメリカに多い。バイカル湖周辺で約3万年前に誕生)は日本人6.85%である。
<N9>
ハプログループN9(mtDNA)(南アジアで4万年以上前)のサブグループは志那大陸中南部・台湾にいるN9a(mtDNA)=C-M8(Y染色体)(4.57%、日本固有)、日本列島・朝鮮半島・沿海州にいるN9b(mtDNA)=C-M8又はC-M86(Y染色体)(同2.13%、中国南部台湾)、日本列島・朝鮮半島・満州・沿海州・極東にいるY(mtDNA)=C-M86(Y染色体)(同0.4%、北東シベリ沿海州)である。
<その他>
その他6.62%には、オーシャノイドのM2~6(mtDNA)=H→K系統(Y染色体)(インド集団)、D1(mtDNA)(アメリカ先住民)、D6(mtDNA)(東アジア)、E(M9)(mtDNA)=O1a=旧O1(Y染色体)、
ユーラシアンのN(mtDNA)→X(mtDNA)= E(西シベリア)→D(バイカル湖畔→日本、アメリカ大陸)=D(mtDNA)、
コーカソイドのR0(Y染色体)(ヨーロッパ、西アジア、インド、北東アメリカ)= HV(mtDNA)、R(mtDNA)→HV(mtDNA)=R0 (Y染色体) (ヨーロッパ集団)、T(mtDNA) =G(Y染色体)(コーカサス)、U(mtDNA)=I(Y染色体) (バルカン半島・北欧)、J(mtDNA)=J(Y染色体)(西アジア)などがある。HV(mtDNA)=R0(Y染色体)がH(mtDNA)=R1a(Y染色体)とV(mtDNA)=R1b(Y染色体)に分かれた。バルカン半島・北欧はU(mtDNA)=I(Y染色体)である。HV(mtDNA)=R0(Y染色体)は現在の日本の人口に占める割合はごくわずかである。O2=旧O3(Y染色体)は誰彼構わず至る所でレイプしまくった結果、いろいろなmtDNAに入り込んでいる。O1b=旧O2(Y染色体)は東南アジアや極東アジアに逃げ、N(Y染色体)は北アジアに逃げ、N(Y染色体)は北アジアや北欧に逃げ、Q (Y染色体)はアメリカ大陸や北アジアに逃げた。
父系ハプログループ(Y染色体)の移動経路
日本人に多いのがC6グループで5万年前あたりでの分岐、次いで多いのがC2グループで15万年前あたりの最古の分岐の人々。ヨーロッパ人は7万年前あたりに分岐したC5グループがほとんどを占めている。分岐年代からみると三島の分岐図のグループⅠが本図のC2、グループⅡがC4、C6などに相応する。日本人には現在のヨーロッパ人が登場する以前の人々を祖にする人々が多数含まれている。
日本人には最古の分岐が含まれ、右側の新しい分岐の人々も多数含まれている。アジア人もばらついている。各地で複雑な混血(流入混合)があった。ヨーロッパ人は狭いグループに集中している。ヨーロッパ人が近縁の人々だけで構成されている。
(以上)
日本人の父系ハプログループ(Y染色体)の分類
最近の分類では、日本固有種はC-M86(5.4%)、D-P37.1*(3.9%)、D-M116.1*(16.6%)、D-M125*(12.0%)、D-P42(2.3%)、O-47z(22.0%)で合計62.1%。
K-M214→NO2.3%=288万2820人、N1.6%=200万5440人、O(日本固有種を含む)51.8%=6492万6120人を合わせると計55.8%=東アジア系6993万9720人。うちO系統=51.9%=6500万9940人
地中海沿岸系(ラテン語) D-P37.1*(日本固有種3.9%)、D-M116.1*(日本固有種16.6%)、D-M125*(日本固有種12.0%)、D-P42(日本固有種2.3%)、計34.7%=4349万2980人……天然パーマでラテン系ヨーロッパ人、縄文時代(約1万4000年前~)
アルタイ諸語・チュルク系C-M217(1.9%)と北方ツングース系C-M8(1.2%)、C-M86(日本固有種5.4%色白金髪碧眼(青い瞳)高身長)を合わせるとCは計8.5%=1065万3900人。……中央アジア系、岩宿時代(約4万年前~)・縄文時代(約1万4000年前~)
遼河沿岸系(ウラル語族)N-LLY22g*(1.2%)、N-M178(0.4%)でNは計1.6%=200万4160人。NO-M214*がNO=2.3%=288万0980人。……色白金髪碧眼(青い瞳)高身長で匈奴系フィンランド人、岩宿時代(約4万年前~)・縄文時代(約1万4000年前~)
P27から分化したアメリカ先住民系Q-P36(0.4%=50万1360人)、アーリア系R-M207(0.4%=50万1360人)。バルカン半島・北欧系I-P19(0.4%=50万1360人)で、合計1.2%。……縄文時代(約1万4000年前~)
以下は東アジア系
長江沿岸・日本列島系O-P317(旧O2)→O-M95 (旧O2a)、O-SRY465P49(旧O2b)。旧O2系統の計31.7%、
長江沿岸系(ベトナム系言語)O-M95(旧O2a)→O-M95*(1.9%)……弥生時代(約3000前~)
日本列島系O-SRY465P49(旧O2b) →O-SRY465*(7.7%)、O-47z(日本固有種22.0%色白金髪碧眼(青い瞳)高身長)……岩宿時代(約4万年前~)・縄文時代(約1万4000年前~)
黄河沿岸系(志那チベット語族)O-M175-M122系統(旧O3)の計が20.1%、
黄河沿岸系O-LINE1(3.1%)、O-M122*(6.6%)、O-M134(10.4%)。……下戸、弥生時代(約3000前~)
日本人の父系ハプログループ(Y染色体)の地域分布
地中海沿岸・ラテン語系のD(YAP+)はすべて日本固有種で計34.7%であり、D(YAP+)に蒙古斑がない。D1b(Y染色体)は日本本土36%、沖縄45%、アイヌ88.9%。D(Y染色体)はアイヌ89.5%、北海道42.3%、東北35.6%、関東48.2%、沖縄45.1%、西日本26.2%、日本人46.6%、日本人40.8%で、チベット人42.9%、チベット人51.6%、チベット人(チベット自治区ラサ)41.3%、チベット人(青海省貴徳県)48.7%、チベット人(雲南省シャングリラ)36.2%、アンダマン諸島73%である。なお、E(YAP-)から分かれたD(YAP+)には蒙古斑がない。また、血液型の割合はアンダマン諸島(A60%、O9%、B23%、AB9%)、ブータン(A46%、O28%、B17%、AB9%)、チベット(A42%、O24%、B24%、AB10%)、日本(A型38.1%、O型30.7%、B型21.8%、AB型9.4%)とA型が多い。
地中海沿岸・ラテン語系のハプログループD(Y染色体)を都道県別にみると、標本数は少ないものの、北海道42.3%、東北35.6%、宮城県100%、山形県33.3%、埼玉県66.6%、東京都50%、神奈川県50%、静岡県50%、群馬県50%、新潟県50%、富山県100%、石川県33.3%、大坂府40%、島根県100%、岡山16.3%、広島県14.3%、山口県16.6%、高知県20%、徳島県33.3%、愛媛県38.5%、福岡県25.8%、長崎県33.3%、大分県35.1%、佐賀県45.5%、熊本県46.8%、宮崎県36.6%、鹿児島県38.4%、沖縄50%である。関東地方とその周辺で多い。山陰地方では多いが、山口県を含む山陽地方では少ない。九州地方の西部と南部と沖縄県に多い。北海道と東北地方は結構多い。もちろん、北海道のアイヌは9割近い。
地中海沿岸・ラテン語系のハプログループD1b(Y染色体)をブロック別にみると、北海道42.3%、東北35.6%、関東37.2%、東海甲信32.9%、北陸(越)32.4%、関西31.5%、中国30.0%、四国28.5%、九州30.8%、沖縄45.1%である。
地中海沿岸・ラテン語系のD*(Y染色体)は都道県別で東京都1.0%、岡山県のみ。D1b(Y染色体)、D1b1a(Y染色体)について都道県別では、北海道8.0%、16.0%、青森県15.8%、14.7%、宮城県20.0%、7.5%、群馬県15.1%、26.0%、千葉県16.2%、18.9%、東京16.5%、17.5%、山梨県21.4%、19.0%、静岡県19.4%、16.0%、富山県14.3%、11.9%、三重県15.6%、20.0%、奈良県16.7%、20.0%、和歌山県10.3%、16.7%、兵庫県4.1%、21.6%、岡山県15.8%、14.5%、山口県9.4%、24.5%、愛媛県13.6%、13.6%、福岡県17.0%、17.0%、長崎県15.0%、25.0%、沖縄県12.8%、23.6%である。
アルタイ諸語系のハプログループC1a1(Y染色体)、C2(Y染色体)をブロック別にみると、北海道2.9%、5.6%、東北6.7%、0.0%、関東4.4%、5.5%、東海甲信5.0%、1.7%、北陸(越)3.9%、6.3%、関西6.2%、6.9%、中国3.3%、5.0%、四国6.4%、6.9%、九州3.4%、6.2%、沖縄6.8%、1.50%である。蒙古斑はC1a1(Y染色体)由来。
アルタイ諸語系のハプログループC1a1(Y染色体)、C2(Y染色体)は地中海沿岸・ラテン語系のD*(Y染色体)、D1b(Y染色体)、D1b1a(Y染色体)と一緒に来た。
ウラル語族系のハプログループN-M231(Y染色体)をブロック別にみると、北海道0.6%、東北6.7%、関東1.1%、東海甲信0.7%、北陸(越)1.7%、関西1.9%、中国0.0%、四国2.3%、九州1.5%、沖縄0.0%である。都道県別では、北海道4.0%、青森県2.1%、群馬県2.7%、東京1.0%、三重県2.2%、和歌山県3.8%、兵庫県1.4%、岡山県1.3%、山口県1.9%、愛媛県1.0%、長崎県1.7%、沖縄県1.4%、宮城県・千葉県・山梨県・静岡県・富山県・奈良県・福岡県はいずれも0.0%である。ハプログループN-M231(Y染色体)が多い東北に青い瞳が多い。ハプログループNO-M214*(Y染色体)は平均2.3%で、NO(Y染色体)は福岡県5.7%、徳島県ウラル語族系の3.8%のみ。
遼河文明系・ハプログループN-M231(Y染色体)、NO-M214*(Y染色体)、NO(Y染色体)は黄河文明系・志那チベット語系のO-M122(旧O3) (Y染色体)と一緒に来た。
台湾~東南アジア島嶼部・オーストロネシア語族系のハプログループO-M119(旧O1) (Y染色体)系統は、北海道:1.0%、東北:4.4%、関東:1.2%、東海甲信:2.3%、北陸(越):1.3%、関西1.2%、中国:6.7%、四国:1.3%、九州:0.4%、沖縄0.8%、全体:1.3%である。
東南アジア半島・オーストロアジア語族系及び長江沿岸・ベトナム系言語のハプログループO-P31(旧O2) (Y染色体)系統は、北海道:27.0%、東北:33.4%、関東:33.4%、東海甲信:33.9%、北陸(越):32.8%、関西30.0%、中国:25.0%、四国:34.3%、九州:35.1%、沖縄24.1%、全体:31.8である。
黄河沿岸・志那チベット語族系のハプログループO-M122(旧O3) (Y染色体)系統は、北海道:17.6%、東北:11.1%、関東:16.6%、東海甲信:21.9%、北陸(越):20.1%、関西20.8%、中国:30.0%、四国:19.3%、九州:20.9%、沖縄18.8%、全体:19.3である。
インカ帝国の皇族は縄文人だったという現地での伝説
古代縄文人が海洋技術を使って太平洋を越えて南米に到着した。
インカ帝国をつくったのは縄文人の末裔であるとする説は非公開の元日本駐在ペルー大使フランシスコ・ロワイサ氏が書いた文献の要約を読むと分かる。南九州の縄文人は火山噴火と共に世界各地にその足跡を残していった。
■「インカ帝国に日本人建国説」
日本人(縄文人)がインカ帝国を築いたという説がある。このインカ帝国をつくったのは少数のグループと考えられ、13世紀から14世紀ころ、後に帝国の首都となるクスコから一気に領土拡張を開始した。しかし、その人たちが何処から来たのかは、文献が残っていないため、詳細がわかっていない。この説について元日本駐在ペルー大使フランシスコ・ロワイサ氏が書いた文献が残され、国立図書館に保存、現在は非公開となっている。
この本のサブタイトルには「インカ帝国をつくったのは日本人だった。そしてインカの人々は日本人の末裔だった」という説が書かれ、聖なる湖、チチカカ湖は、父ちち・母はは から取ったと言及、更には日本人が海を渡ったルートまで記されていた。南米の多くの譜代文明の風俗・習慣、遺物などには、古代縄文文化と同じような物も多数存在しており、その関連性が海外の研究者の間では、熱く議論されている。
しかし、日本の考古学では、最近では変わりつつあるが、過去は縄文時代とは狩猟採取生活に毛が生えたような未開の時代であり、全く研究に値しないと考えられており、弥生時代や古墳時代などに中国や韓国を通じて知識や技術が入ってきたもので、その文明を受け入れた大和朝廷によってはじめて世界に通じる国作りが始まったとされていた。
そのために、縄文時代には太平洋を渡る技能が全く存在していなかったとされているが、実際、世界中には縄文文明との繋がりを示すと思われる事柄が数多く存在しており、古くから縄文文明を評価した論文が数多く在ることも事実だった。
インカ帝国の記録を紐解いて浮かび上がるもの
インカ帝国 第9代皇帝、パチャクテクの子孫、ミゲル・アンヘル・トレス・チャベス氏には、家に代々伝わる話があるという。それは子供の頃から、インカ帝国をつくったのは日本人だと聞いていた。インカ帝国領土内の人々は、ケチュア語、アイマラ語など、征服した村の言葉を話していた。しかし、インカの王族の間だけで話されていた言葉があり、他の人には誰にも分らない言葉だった。それが日本語であるとしている。
インカなどの古代文明をつくった人々がどこから来たかと云う発祥地に関しても、東アジアと言われているが、日本の考古学では頭から否定されていてその研究も成されていないのが現状である。
しかし、インカに関する記録を紐解くと、
1.彼らの骨格やDNA遺伝子に関する調査では、南米の人々に縄文人との繋がりがあるとされた。
2.インカの創世記の話に、神から支持をされて姓名を上下反対にして、現地の名前の呼び方に合わせたとされており、本来は姓が最初で名が後にくる民族と思われ、東アジアの習慣と同じだった。
3.インカでは沖縄地方で古くから行われていた2度葬儀と同じ方法で埋葬していたと思われた。それは最初の葬儀の後に暫くして開封して、遺骨を洗い浄めるか、または遺骨がミイラ化していたら、正装した後に、同じ住居の中で生活を共にして生きている時と同じように扱う風習がインカに伝わっていたと思われた。
4.インカには創世記の話しが各地に多くの伝承が残っていたが、その中のひとつに日本の古事記の内容と似た話が存在している。
■アメリカンインデアンのルーツは縄文人?
そして、ペルーで見つかった約1000年前のミイラの便から、「ズビ二鉤虫」が大量に発見された。順天堂大学の奈良准教授によると、ズビ二鉤虫は寒さに弱いため、ベーリング海峡を渡り南米に到達したとする北方ルートは考えにくい。さらに、昨年発表された論文では、南米沿岸の人たちは日本人とDNAが似ているという。因みに、このズビ二鉤虫は、縄文日本人が、北米および南米インディオの祖先だということを証明してくれる小さな承認ともいわれている。
それまでは、アメリカインディアンの祖先はモンゴロイドではないかという説が有力だった。モンゴロイドたちは、ベーリング海峡が氷河で繋がっている時にユーラシア大陸から、北米大陸に、歩いて渡って行ったに違いないと考えられた。そうした考えと共に、日本のように小さな島国から日本人が太平洋を越えて移動できるはずがないという考え方が有力だった。
ところが、約3500年前の南米インディアのミイラの体内から「ズビ二鉤虫」という寄生虫の卵が検出された。「ズビ二鉤虫」は、5℃以下で2年間暮らすと体内で死滅してしまうという特徴がある。
したがって、アジア・ユーラシア大陸に住むモンゴロイドたちが、氷河期に凍り付いたベーリング海峡を歩いて移動したという説が誤りであることが証明された。このことでやっと、縄文日本人がアメリカインディアンのルーツだということが、この説を支持している学者は証明されたとしている。
■多くのペルー人は日本人ルーツ説を信じている
ペルーの元国立記念碑文化遺産庁長官フェデリコ・カウフマン・ドイグさんは「子供の頃、日本人ルーツ説をよく聞いた。多くのペルー人がインカ帝国の皇帝は日本人だと思っていた」と語っていたり、インカの暮らしを守り続けているマティンガ村には、日本で見かける昔ながらの竈(かまど)があり、村に伝わる神話がある。「太平洋の彼方からやってきた神さまが王国を築いた後、いつか私は必ず戻ってくるといい残し再び海へ旅立った」と。
また、ペルーより北にあるエクアドルの海岸部で発見された土器類が、南九州で5千年以上前に盛行した「曽畑式土器」とよく似たものであることがわかっている。
■アカホヤの大噴火が起した縄文人の拡散
そして南九州、特に鹿児島に多い「成人T細胞白血病」と同じものを起こす遺伝子も向こうには多い。過去、人類有史最大規模と呼ばれる程の火山噴火が鹿児島沖の硫黄島で起こった。鬼界カルデラ、いわゆるアカホヤの大噴火である。これは日本中に痕跡を残しており、特に九州南部には最大1mもの火山灰を降らせたことが鹿児島の上野原遺跡の地層調査で明らかになっている。沖縄を含む九州南部は全く人が住めない状態となった。
そこで作られていた縄文集落が噴火の後無くなっており、人骨が見つかっていないことから、住民がどこかへ逃避したことがわかっている。
大多数の住民は被害の少ない九州北部に移ったと考えられるが、中国大陸やアメリカ大陸に渡った人たちもいたのではないか。アカホヤの大噴火が起こったのは約7300年前だが、黄河文明は約6800年前、南米エクアドルで見つかった縄文土器は約5500年前といづれも大噴火の後なのである。年代的に見てこれらの文明をつくったのは火山噴火から逃れた九州南部の縄文人だった可能性があると研究者は話している。太平洋には日本からアメリカ大陸に向かって黒潮が流れており、その流れに乗って太平洋を渡ったと考えられる。南米には前述の通り、遺伝子や土器のほかにも埋葬方法や言い伝えなど文化的に似通ったものがあり、自分たちの祖先は日本人だったと主張する人もいる。
7300年前の鬼界カルデラ噴火により縄文人が世界に拡散した形跡
鬼界カルデラ噴火により縄文人が世界に拡散した
7300年前に鬼界カルデラが超巨大噴火を起こし、日本全国に灰が積もった。九州南部の薩摩半島・大隅半島・屋久島・種子島等において、そこで作られていた縄文集落が噴火の後無くなっており、人骨が見つかっていないことから、住民がどこかへ逃避したことがわかっている。タミル人は既に全国に広がっており、そこのタミル人はいなくなったが、タミル語だけは残った。志那大陸やアメリカ大陸に渡った人たちもいた。7000年前に縄文人が朝鮮に渡り始め、縄文語から朝鮮語が分かれた。7000年前の縄文海進では関東まで熱帯だった。西日本は人口が少なく、人口は東日本に集中していた。寒冷化に伴い、3500年前に東日本から西日本に人口が流れていった。そのため、7300年前の鬼界カルデラの超巨大噴火での被害は少なかった。黄河文明は約6800年前、南米エクアドルで見つかった縄文土器は約5500年前である。なお、縄文文明と関係が深かった遼河文明は8200年前に始まった。インカ帝国の皇族は縄文人だったという言い伝えがあり、多くのペルー人は日本人ルーツ説を信じている。JCウイルスが東日本と中央アメリカ大陸原住民が同じMY亜型である。また、縄文人に関連する遺伝子としてATLのレトロウイルス (HTLV-1) がある。シュメール文明も縄文人が起こした。日本の神代文字が世界の各地で発見されている。
(以上)
世界各地の文明遺跡に登場する縄文人
7000年前に縄文人は朝鮮半島に渡り始め、縄文語から朝鮮語が分かれた。旧石器時代のハプログループNが朝鮮半島の森林を燃やし尽くしたため、1万2000年前から禿山になった。その後、ハプログループNは北上したため、その間に人はまったく住んでいなかった。そして、朝鮮は5000年かけて森林が復活した。日本では、墨を使うようになってから、高温を実現することができるようになったため、鉄器を作れるようになり、これまでの厚い縄文土器から薄い弥生土器を作れるようになった。日本で9000年前の鉄の鍬が見つかったため、これから研究が進められる。ヒッタイト以前の6000年前に日本の奥出雲で鉄鉱石から玉鋼が作られ、これによって鉄器が作られた。日本は既にこの頃から鉄器を使用していた。
志那大陸が三国時代だった頃、呉や蜀が青銅の武器しか持っていなかったが、日本は朝鮮半島南部の伽耶で鉄を生産し、日本刀等を製造したりして、魏に輸出していた。魏は日本の鉄や鉄の武器で呉や蜀に勝利していった。この時代に志那大陸では鉄鉱石を採取した形跡がなく、製鉄したり、鉄器を作った形跡もない。
日本では製鉄のために木を燃やした後、計画的に植林していった。鉄器を使った4大文明と言われる地域では、木を倒した後、植林をしなかったので、砂漠化していった。
旧唐書「倭国日本伝」には「日本国は倭国の別種なり。其の国日辺にあるを以って、故に日本を以って名となす」「あるいはいう、日本は旧小国、倭国の地を併せたり」とある。倭国とは南朝鮮と九州北部のことであり、倭寇の8割は南朝鮮人だった。
日向(宮崎県)の高千穂峰の麓・高原町で生まれた神日本磐余彦(かむやまといわれびこ)は、紀元前667年に兄3人と共に南九州を出発し、隼人族(鹿児島県、宮崎県南部)を中心とする熊襲(鹿児島県、熊本県、宮崎県)を伴って、大分から船出して、瀬戸内海沿岸の華北人に稲作の技術指導をしながら東征した。3人の兄が亡くなったが、奈良県橿原市で末子相続(モンゴル帝国、縄文人、フン族に共通する慣習)により初代天皇に即位し、神武天皇となった。神日本磐余彦(かむやまといわれびこ)の母も祖母も奄美大島の人間であった。
日本国は、古代に山陰地方から関東地方にかけて住んでいた毛人(もうじん)=地中海沿岸系日本人、倭国及び高句麗、平安時代に東北蝦夷=匈奴、明治以降に北海道アイヌ=地中海沿岸系日本人等を服属させた。志那からの疫病が朝鮮を経由して日本で蔓延したことから、大和朝廷は大宰府で徹底的に検疫した。志那からの疫病に対する防波堤として、三韓(新羅、百済、高句麗)という自治政府を置き、日本国の配下においた。三韓(新羅、百済、高句麗)のうち新羅が反乱を起こしたので、神功皇后が三韓征伐(主に新羅成敗)を行った。
東三洞貝塚(釜山市)で縄文土器が見つかった。①1929年、日本人高校教師が最初に発見した、②釜山市影島区の遺跡、③約4000年~3500年前の土器、④新石器時代(日本の縄文時代)の土器が階層的に見つかる、⑤九州の縄文土器片が出土、⑥西北九州型の釣針が出土,⑦九州の黒曜石が出土、⑧九州の阿高貝塚と同じ貝面が出土、等である。
世界的に珍しい血液型「CIS-AB」は同じ染色体一つにA型とB型が含まれている非定型AB型であり、CIS-ABとO型との間からAB型またはO型の子供が生まれる。朝鮮半島の全羅道(済州島も含む)と北部北九州に多い。このCIS-AB型の人達のルーツは同じ。
朝鮮半島西南部の栄山江流域では、日本列島に特徴的な前方後円形(円形の主丘に方形の突出部が付いた鍵穴形)の墳形を持つ10数基の古墳の存在が知られる。これらは5世紀後半から6世紀前半(朝鮮半島の三国時代、日本の古墳時代中期-後期)の築造とされ、3世紀中頃から7世紀前半頃にわたって展開した日本列島の前方後円墳の手法を基にした。
(以上)
契丹古伝には「殷は倭(日本人)なり」と記されている
契丹古伝によると、「殷は倭なり」と、大陸最古の王朝と言われる「夏」、その夏を滅ぼしたと言われる「殷」、また中国史では蔑称で記される「東胡」「匈奴(遼河~北東亜平野~西日本発祥)」も、同祖・同族という。大陸の先住民である「殷」の末裔と「漢」との対立こそ、ユーラシア大陸の古代史の真相であるというのが、この『契丹古伝』の核心部分のようだ。古代中国の尭・舜・殷はこのシウカラ系の国家であったが、「海漠象変」と表現される天変地異とともにシウカラ族(東大神族→その末裔たちが韓・満洲・日本の3大民族の祖として大陸に雄飛した)は没落し、西族(漢民族)によって中原を追われる。『契丹古伝』によれば、のちに東夷とよばれるようになる日・韓・満民族こそが中国大陸に超古代王朝を築いた先住民であり、契丹王朝もその末裔であった。また『契丹古伝』は、本州と九州がかつては陸続きであったが、人工的に開削されて海峡となったことや、ゴビ砂漠にはニレワタとよばれる幻の湖があったことなど、超古代の地形の変遷についても特異な伝承を伝える。志那大陸の倭人が築いた夏(紀元前3000年~)や殷(紀元前17世紀頃~紀元前1046年)の時代には反乱が起きたことがない。日本列島だけでなく、環太平洋一帯の人間を倭人と呼び、北九州だけでなく、朝鮮半島、志那大陸東海岸にも倭人はいた。周(紀元前1046年頃~紀元前256年)における春秋戦国時代(紀元前770年に周が都を洛邑=成周へ移してから、周の知事を王に戴く秦が紀元前221年に中国を統一するまでの時代)に難民が周辺国に逃げ込んだ。志那大陸は封建制(中世の日本、ヨーロッパ)の周から専制の秦になり、未だに専制政治が続いている。秦の皇族は日本に渡って秦(はた)氏と名乗り、責任主義だった日本に法治主義を取り入れた。志那大陸では漢が人治主義を取り、未だに人治主義のままである。
日本の先住民には南インド・ドラビダ系タミル人もいた。
日本人で遺伝子検査したら、日本人の持つ亜型にないインド系のM6(mtDNA)の者がいた。7万年前、インドネシアのトバ火山の大噴火で劇的な寒冷化が6000年続いた。その間生き延びたのは、ホモ属ではネアンデルタール人とわずかな現代人の祖先だけだった。
南インドのコーサラ国の公主が伽耶の首露王に嫁いできたという伝承があるが、コーサラ国の太陽の紋章と同じデザインの銅器が日本で71発掘されており、その分布は佐賀県、熊本県、長崎県、福岡県、広島県、香川県、鳥取県、奈良県、岐阜県、愛知県、長野県、群馬県、茨城県と広域にひろがりをみせている。
「記紀の伝承や神社の伝承に見え隠れする小人(背の低い人)の存在」→記紀(古事記と日本書紀)には「身短くして手足長し」と表現される土蜘蛛の記述がある。古事記の神武記に土雲八十建が忍坂の大室にいて打ち殺され、日本書紀・景行天皇記・神功摂政前記にも見える。風土記では肥前、豊後、日向、摂津、越後、常陸、陸奥など各地におり、土雲、都知久母、土蛛、土朱、土知朱と記されており、大和朝廷に従わない先住者を蔑んで呼称した。「身短くして手足長し」縄文人はネグリトの特徴を持っていた。
多くの古代文献に見える広い信仰圏を持つ神だが、記紀の神話での活躍は少ない。生成神・神産巣日神(かみむすびのかみ)の子で指の間から零れ落ちたと記される小さな神であり、出雲の大巳貴神(大国主命)と共に国作りをした後に常世の国に去ったと伝えられる。出雲の大国主命は新治を開いて米(稲)作りにより国土経営をしたと伝えられているが、少彦名命は石(いわ)に示現する神として歌われ、粟茎に弾かれて淡島より常世国に至ったとされるので、米作り以前の焼畑農業的な穀霊と考えられている。
巨石文化を持つインドから到来した縄文時代の神であった可能性が濃厚である。安曇磯良(あづみのいそら)→真弓常忠著『大嘗祭の世界』に、民族の始原を語る神楽を始める前に、安曇氏の祖とする安曇磯良を呼び出す「阿知女作法(あちめさほう)」を行うという記述があり、平安時代には民族の始原に海人の安曇氏を比定していた。安曇磯良とは『八幡愚童訓』や『太平記』に記されている安曇氏の祖神だが、神功皇后三韓遠征に際して神々が軍議に集まった時に遅れて現れて、永年海底に住んでカキやヒシにとりつかれて醜い顔になっているのを恥じて浄衣の袖で顔を隠して青農(細男・才男)を舞ったと伝えられている。神功皇后の時代に永年海に住んで醜いほどカキやヒシが付いていたとすれば、相当古い年代に存在していたことになり、縄文時代を想定できる。この神の姿を描くときには顔に白い布が置かれ表情は見えないが、後代の記紀には鯨面(入れ墨)をしている記述があり、異形の相であったことは確か。ただ鯨のように黒い肌であったかはわからない。群馬県、栃木県、茨城県、千葉県から発掘された古墳時代の埴輪には身の丈が立派な首長の傍らに身長が小さく入れ墨をほどこした馬曳きと思われる人物が馬の埴輪と並んで配置されている。縄文人が騎馬系渡来人の元に隷属していった様子が窺える。その他にもいろいろある。
タミル語の構造は、ほとんどアルタイ語と同じで、すべて日本語と同じである。助詞は、日本語と完全に対応し、細かい言い回しも同じである。似ているところを具体的にあげてみると、①疑問文の作り方が同じ(日本語は語尾に「か?」をつけるがタミル語は語尾に「アー?」をつける)、②文法・文章構成の語順が似ている、③擬音語・擬態語の表現が似ている、④基本母音(a, i, u, e, o)が同じ(長母音と短母音の違いはあり)、⑤その他、似ている言葉がたくさんある(辛いと伝えたい場合、カーラと言えば伝わる)、ことである。擬音語・擬態語では、「すらすらと(日本語)」が「サラサランヌ(タミル語)」、「ひそひそ話をする(日本語)」が「クスクスッカ(タミル語)」、「ハキハキとした(日本語)」が「スルスルッパーナ(タミル語)」、「ワクワクして(日本語)」が「パラパラッパー(タミル語)」となる。
弥生時代の北九州の水田耕作・金属(鉄)・機織・大規模な特異な墓地の造営という四つの文明要素が、BC1000年~AD300年にわたる南インドのタミル地域の巨石文化(Megalithic Culture) の文明要素と共通である。また、その時期の土器の表面に付けられている記号文 (Graffiti) に、何百という全く同形の記号が共通に存在する。古代日本語とタミル語との間には様々な単語に強い共通性が見出される。カミ(神)、マツル(祭る)、ハラウ(祓う)、ノム(祈む)などの宗教史上で重要と思われる単語、コメ(米)、アハ(粟)、モチ(餅)、ナへ(苗)、ハタケ(畑)、タンボ(田)、アゼ(畔)、クロ(畦)、ツク(搗く)などといった農耕の基本に関わる単語、アハレ(哀れ)、スキ(好き)、モノ(物)、コト(事)などの思想史上の重要語、テ(手)、アシ(足)、ハ(歯)、ワタ(腸)、ホト(女陰)などの人体語等々500に達する対応語が見出された。
ハプログループI(Y染色体)等は最近まで黒人だった
氷河期、G (Y染色体)、H (Y染色体)、I(Y染色体)、J(Y染色体)は黒人だった。近年、黒人と白人が遺伝的に近接していることが判明し、衝撃を与えた。1991年にアルプス山中で発見された約5300年前の凍結ミイラ・アイスマンはG2a2a1b (Y染色体)で、黒人だった。最近まで黒人だったG (Y染色体)、H (Y染色体)、I(Y染色体)、J(Y染色体)は黒人に先祖返りする場合がある。白人がアフリカ共和国で暮らしていたら、その子は黒人に先祖返りした。白人の両親の間に生まれながら、肌の色が黒人と変わらなかった南アフリカ生まれのサンドラ・ライングの人生を描いた映画『Skin』(原題)は有名である。アンソニー監督は「多数の遺伝子、ポリジーン遺伝によるものだ。例えば目の色は、優劣や分離の法則に従っているから、もし、父親の目の色が茶色で、母親の目の色が青だったら、優劣の法則で子どもはブラウンになりやすい。しかし、皮膚の色は、両親だけでなく先祖も含まれたいろいろな遺伝子から構成されるため、必ずしも両親の持つ肌の色をそのまま受け継ぐとは限らない。すごく稀なケースだけどね」とサンドラの肌が黒くなった理由を説明する。熱帯地インドではH (Y染色体)は熱帯地適応(型新モンゴロイド)で黒人に戻る。
遺伝的にはコーカソイド≒黒人、コーカソイド≠白人、北アジア人≒白人であることが分かってきた。最後に北ヨーロッパに侵入した白人は西シベリアの北アジア人から分化した。そもそも古モンゴロイドというものはないし、黄色人種というものもない。インド人は熱帯地適応型新モンゴロイド(血液型B型)=新型の黒人であり、白人(血液型A型)ではない。寒冷地適応型新モンゴロイド(血液型B型)=新型の白人であり、白人(血液型A型)が新白人(血液型B型)になったにすぎない。「コーカソイド」という言葉の元になった人たちは見た目が白人ではなく黒人に近い。映画「ターミネーター3」に出演している女優クリスタナ・ローケンを黒人とばかり思っていたら、スウェーデン系アメリカ人と分かった。北欧やインドの人間は黒人と変わらない。コーカソイドの名前の由来となった人種も実際は黒人であり、最近まで白人から除外されていた。他のハプログループと違い、熱帯地では熱帯地適応で黒人に戻ってしまう唯一のハプログループである。これら (インド、中東、コーカサス地方、南欧、北欧) の人たちやロシア人やラテン系ヒスパニックは白人から除外され、逆に日本人が白人に属していた。コーカソイド=白人という通説は廃止した方が良い。モンゴル人からモンゴロイドという言葉が生まれたが、モンゴル人以外には当てはまらない。コーカソイドとかモンゴロイドという言葉自体を廃止した方が良い。遺伝子解析が行われるようになってからは、従来の人種区分が意味を失った。
同じ高緯度地域に住むコーカソイドが新モンゴロイドほどの寒冷地適応を経ていない理由は、偏西風と北大西洋海流によりヨーロッパ地域がシベリアほどの極低温にならなかったためである。日本の場合は、偏西風・ジョット気流により寒気が遮断される上、黒潮(暖流)により極低温にならなかったため、新モンゴロイドではなくコーカソイドの特徴が多く残った。氷河期は海面が140m低く、①寒流の親潮がベーリング陸橋に遮断されていたため、太平洋は大西洋より暖かかった、②現在の東アジアの降水量は夏に非常に多いが、冬はヨーロッパや北アメリカの同緯度と比べて極端に少ないことから、氷河が形成されるだけの降雪が起こらなかった、③東アジアには東西方向に高い山々が連なっているため、氷床の南下が妨げられた、ことが原因で東アジアは氷河化しなかった。このため、氷河期でも太平洋は暖流が巡っており、暖かく、原日本人は旧石器時代後期にヨーロッパ→バイカル湖畔→樺太→日本(陸続き)にたどり着き、寒冷地適応しなかった。ヨーロッパ人の先祖は東南アジアで発生し、西進した。シベリアやモンゴルは寒冷地適応して新モンゴロイドになった。華北は紀元後に新モンゴロイド化した。マルコポーロは東方見聞録で日本人を白人とした。秀吉時代、日本人女性は西洋人よりも肌が白かったので、奴隷として高く売れた。それを知った豊臣秀吉は日本国内でキリシタン大名、宣教師、キリシタンを罰するとともに、スペインと交渉して日本人女性を取り返した。西欧人は日本人を自分たちと同じ白人と思っていたが、最近、モンゴロイド扱いするようになった。
ハプログループN(Y染色体)=東北に青い瞳等が1~2割いる。瞳の青い蝦夷は大和朝廷軍に敗れてから全国に広がった。青い瞳は劣性遺伝なので、日本人の遺伝子に隠れている。現代日本人の中にネアンデルタール人の遺伝子が1.4%含まれている。白っぽい皮膚、金髪や赤毛、青い目などはネアンデルタール人から受け継いだ。シベリアで発見されたネアンデルタール人の兄弟種の化石から、その遺伝子の一部がポリネシア人に混入している。青い瞳等は日本でネアンデルタール人→蝦夷(ハプログループN)→北東亜平野で匈奴(ハプログループN)→西シベリアでヨーロッパ人の先祖(ハプログループR)と受け継がれた。
北欧には色白金髪碧眼でハプログループN (Y染色体)=血液型A型が大部分を占めるフィンランド人(Y染色体ハプログループN1a1・61%、 I ・29%、 R1a ・5%、R1b ・3.5%)、ノルウェーに住むサーミ人(N・48%、I1・約31%)、バルト三国人(エストニア人N・41%、ラトビア人、リトアニア人)等がいる一方、色白金髪碧眼でNが少ないノルウェー人(Y染色体ハプログループI・40.3%、R1a・17.9%~30.8%、R1b・25.9%~30.8%)、スウェーデン人(Y染色体ハプログループI・37.5%、R1a・24.4%、R1b・13.1%、N・4.4%)がいる。バイキングとして集まったバルカン半島のハプログループ I (Y染色体)、アジア特に色白金髪碧眼高身長の蝦夷(えみし)のN(Y染色体)、ゲルマン系のR1a(Y染色体)、R1b(Y染色体)が混血し、北欧人となっていったことが分かる。
スラブ系は結構Nが多く、ゲルマン系はNが少なく、ラテン系はNがほとんどない。
スラブ系のロシア人(R1a・19.8%~62.7%で平均46.7%、N・5.4~53.7%で平均21.6%、I・0-26.8%で平均17.6%、R1b・0-14%で平均5.8%) (色白金髪碧眼)、ウクライナ人(R1a・43.2%、I・27.2%、R1b・7.9%、E1b1b・7.4%、N・5.4%) (色白金髪碧眼)等。
以上で色白金髪碧眼に共通しているのはハプログループN(Y染色体)だけである。
先住民族のサフル起源のY系統はハプログループC-M130*(xM8、M38、M217、M347)(Y染色体)・1%、C-M347(Y染色体)・19%、K-M526*(xM147、P308、P79、P261、P256、 M231、M175、M45、P202)(Y染色体)・12%、S-P308(Y染色体)・12%、M-M186(Y染色体)・0.9%であり、ハプログループI(Y染色体)は存在しない。ハプログループC-M347(Y染色体)、K-M526 *(Y染色体)、S-P308(Y染色体)はオーストラリア先住民固有のものである。ニューギニア人とアボリジニのオーストラリア人が3万年以上孤立している。アボリジニの女性や子供は肌が黒いのに金髪である。
ハプログループI(Y染色体)が色白金髪碧眼高身長と主張する説を唱える者がいるが、ハプログループI(Y染色体)が多いバルカン半島は色白金髪碧眼ではない。また、3割が色白金髪碧眼高身長であるタタール人(Q、C2、N)や色白金髪碧眼高身長の蝦夷(えみし) (C、N) にはハプログループI (Y染色体)は存在しない。色白金髪碧眼高身長はY染色体ハプログループやmtDNAハプログループではなく、ゲノム(全遺伝情報)で見る必要がある。Y染色体は男性にしかないが、女性の色白金髪碧眼高身長はどう説明するのか?色白金髪碧眼高身長のタタール人のあしやさんは女性である。これはどう説明するのか?男性にしかないY染色体を色白金髪碧眼高身長と結び付けようとすること自体に無理がある。色白金髪碧眼高身長はK(Y染色体)から分かれた新しい遺伝子N(Y染色体)、S(Y染色体)、R(Y染色体)【ユーラシア大陸に残った者がN(Y染色体)から受け継いだ】に随伴している可能性がある。少なくとも最近まで黒人だった古い遺伝子ハプログループI(Y染色体)には随伴していない。色白金髪碧眼が全くいないアメリカ先住民はハプログループQ(Y染色体)かR(Y染色体)かC (Y染色体)かD(Y染色体)であり、ハプログループN(Y染色体)等はいない。
ヨーロッパ人の変遷
中東から西ルートで来たのは4万8500年前に中東か現在のジョージア付近で誕生したG(Y染色体)=血液型A型、インドのH(Y染色体)=血液型B型、4万2900年前に現在のアルメニア付近で誕生したI(Y染色体) =血液型A型はバルカン半島南部・小アジア北部→スカンジナビア半島、4万2900年前に中東で誕生したJ(Y染色体)=血液型O型であり、西アジアから中央アジアを通って西シベリアに至った北ルートはアルタイ諸語系のハプログループC(Y染色体)であり、西アジアから東南アジア・オーストラリアに至った南ルートはオーストラロイドMS(Y染色体)である。
ヨーロッパに到達した最初のホモ・サピエンスは、アフリカ以外のすべての世界と同じくY染色体ハプログループC(Y染色体)であった。その中でも最初の分岐に近いハプログループC1a2(Y染色体)である。C1a1-M8(Y染色体)とされる日本最初の渡来人と近縁関係にある。4万年前に始まったオーリニャック文化の担い手と考えられ、ハプログループI(Y染色体)が渡来するまではヨーロッパ人類の主流であった。
コーカサス地方にあるアルメニア(A型38.5%、O型33.3%、B型19.5%、AB型8.6%)を参考にすると、G (Y染色体)・コーカサス地方=血液型A型(コーカソイド)→H (Y染色体)・インド=血液型B型(熱帯地適応型新モンゴロイド)、I(Y染色体)・バルカン半島&スカンジナビア半島=血液型A型(コーカソイド)、J(Y染色体)・中東=血液型О型と推測できる。
4万2900年前に現在のアルメニア付近で誕生したハプログループI (Y染色体)人(クロマニョン人)は狩猟採集民だが、その後にハプログループG2a (Y染色体)人がやってきて、農耕と巨石文明をもたらした。4万8500年前に誕生したハプログループG (Y染色体)は6万5900年前に誕生したハプログループF (Y染色体)の子系統で、4万8500年前にジョージア付近で発生した。非印欧系集団と考えられる。急激なG2a (Y染色体)人の衰亡は彼らに対するジェノサイド攻撃を窺わせる。ハプログループG2a (Y染色体)はG (Y染色体)から分離した後、紀元前5000年ころからヨーロッパに移住した。彼らは新石器文化と農耕技術を備え、ハプログループ I2a (Y染色体)人を巻き込んで文明をもたらした。紀元前5000年~紀元前3000年のヨーロッパの人骨の多くはハプログループG2a (Y染色体)である。現在もコーカサスとカザフスタンで最多頻度を示しているが、ヨーロッパではまれな存在となっており、後続人種に駆逐された可能性がある。イギリスでG2a(Y染色体)人を駆逐したビーカー人とケルト人は異なっている?
ハプログループI (Y染色体)は4万2900年前に現在のアルメニア付近で発生した。下位系統の分岐は3万年前に始まっており、この頃から小アジア・コーカサス方面へ展開を始めた。3万2000~2万2000年前にヨーロッパに至り、コンゲモーゼ文化などを担ったとされる。ハプログループI(Y染色体)はバルカン半島やスカンジナビア半島に高頻度である。I1 (Y染色体)系統がスカンジナビア半島に、I2 (Y染色体)系統がバルカン半島に多い。1万3000年前のクロマニョン人がスイスで出土され、ハプログループ I2a (Y染色体)であることが明らかとなった。このことからクロマニョン人は I2a (Y染色体)人と考えられる。ヘルツェゴヴィナ人63.8%、ルーマニア人48.1%、ボスニア人42.0%、ノルウェー人40.3%、スウェーデン人40%等である。ハプログループC1a2 (Y染色体)に次いでヨーロッパに分布を広げたグループであり、3万2000~2万2000年前にヨーロッパに至った。コンゲモーゼ文化、スウィデリアン文化やクンダ文化の担い手と考えられる。サブグループI1 (Y染色体)は北方人種と、I2 (Y染色体)はディナール人種と分布の相関がみられる。
ヨーロッパ人にはコーカサスG(Y染色体)から広がったI(Y染色体)と、アジアから西北進したハプログループR(Y染色体)、Q(Y染色体)、C (Y染色体)、N(Y染色体)がいた。
CT(8万8000年前にアフリカで誕生)→T→F(6万5900年前にユーラシアで誕生)→コーカサス地方に多いG(Y染色体) (4万8500年前に中近東で誕生)→インドに多いH(Y染色体)、バルカン半島やスカンジナビア半島に多いI(Y染色体)(4万2900年前にヨーロッパで誕生)、中近東に多いJ(Y染色体) (4万2900年前に中近東で誕生)→アジアで4万7200年前に誕生したK(Y染色体)→P(Y染色体)、NO(Y染色体)、MS(Y染色体)に分かれた。
ヴュルム氷期(7万年前~1万年前)は現在より海面が140m程低く、①寒流の親潮がベーリング陸橋(約5万年前~約3万5000年前、約2万5000年前~約1万年前)に遮断されていたため、太平洋は大西洋より暖かかった、②現在の東アジアの降水量は夏に非常に多いが、冬はヨーロッパや北アメリカの同緯度と比べて極端に少ないことから、氷河が形成されるだけの降雪が起こらなかった、③東アジアには東西方向に高い山々が連なっているため、氷床の南下が妨げられた、ことが原因で東アジアは氷河化しなかった。ヨーロッパ北部~シベリア北部及び北アメリカ北部は高さ2000mにも及ぶ氷床に覆われていた。このため、人類の大部分は太平洋沿岸の暖かい日本列島~東南アジアに住んでいた。
東南アジアで4万5400年前に誕生したP(Y染色体)は北上し、東西に分かれて進んだ。スンダランド~北東亜平野で誕生したNO(Y染色体)系統は、O(Y染色体)が志那大陸、日本列島、東南アジアに広がり、N(Y染色体)が極東~北欧までの北ユーラシア一帯に広がった。P(Y染色体)&NO(Y染色体)系統は最大集団。インドネシア・パプアニューギニア・オーストラリア・ニュージーランド辺りのハプログループMS(Y染色体)→M(Y染色体)、S(Y染色体)は少数派。オーストラリア・アボリジニは肌が黒いが、その女性や子供は金髪である。北欧や日本のN(Y染色体)は色白金髪碧眼高身長。ユーラシア大陸北部一帯に多いN(Y染色体)は色白だが、金髪碧眼ではない。O(Y染色体)は東アジアでは肌が白いが、東南アジアでは肌が黒い。P(Y染色体)から分かれたR(Y染色体)やQ(Y染色体)は必ずしも色白金髪碧眼ではない。特にアメリカ大陸のQ(Y染色体)はレッドマンと呼ばれた。
ハプログループP(Y染色体)はQ(Y染色体)、R(Y染色体)の祖型であり、4万5400年前にインドシナ半島で誕生した。P*(Y染色体)はフィリピン・ルソン島のアエタで高頻度であり、他の東南アジアでも見つかっている。ルソン島ではP2(Y染色体)、P1*(Y染色体)も見られる。ハプログループP(Y染色体) は東南アジア~西シベリアでQ(Y染色体)とR(Y染色体)に分かれた。親系のハプログループP(Y染色体)が非常に奇妙な移動を行っており、現在も不明な点がある。中央アジアに到達したハプログループP(Y染色体)人が2万年前~2万9000年前にハプログループR(Y染色体)に分岐し、その後も東西に移動拡散を繰り返している。恐らく半ば狩猟、半ば遊牧の生活を送った。
ハプログループR(Y染色体)=血液型A型は大部分が西のヨーロッパ、中東、インドに向かった。一部は北アメリカ北東部に向かい、ハプログループQ(Y染色体)=血液型O型とともにエスキモーとなった。R1(Y染色体)系統は最終氷河期の後に拡散を開始した。R1a(Y染色体)がインド北部から中央アジアや東ヨーロッパに進出、R1b(Y染色体)が西欧・南欧に進出した。R1b(Y染色体)人は青銅器文明(武器)を伴って西欧まで分布を広げた。今日のバスク人やケルト系民族に80%以上の高頻度に存在する。R1(Y染色体)系統は最終氷河期の後に拡散を開始した。
ハプログループQ(Y染色体)=血液型O型は北に向かい、大部分がアメリカ大陸に渡った。一部はユーラシア大陸に残り、シベリアを中心に分布するタタール人等になった。
コーカサス地方のG(Y染色体)=血液型A型、バルカン半島のI(Y染色体)=血液型A型は肌が黒かった。
色白金髪碧眼高身長はネアンデルタール人→日本列島先住民・蝦夷(えみし)系のハプログループN(Y染色体)→遼河沿岸で匈奴(フィンランドのフィン人、スカンジナビア半島東半分のサーミ人、バルト三国人、ハンガリー人等)のN(Y染色体)→西シベリアでR(Y染色体)に受け継がれた。
N(Y染色体)、R1a(Y染色体)、R1b(Y染色体)、I(Y染色体)はスカンジナビア半島でバイキングとなり、ヨーロッパ各地に広がった。
ロシアではそばの実をよく食べますね。日本のそばはシベリアから持ち込まれました。けっして中国からではありません。大河ドラマ「真田丸」で「そばがき」が出てきますが、江戸時代になると、蕎麦は麺になりました。漆も日本に自生しており、けっして中国からではありません
1万9000年前から海面上昇が始まり、縄文時代に突入した。氷河期の日本列島はステップ気候で森林は屋久島までだったが、氷河期が終わると全体が森林に変わっていった。1万5000年前頃から地球は急激な温暖化に見舞われた。草原が少なくなり、日本列島は闊葉樹の森林に覆われる。狩猟を生業としてきたブリヤート人は大型動物が少なくなって深刻な食糧不足に見舞われた。人類が土器を使ったのは1万3000年前、シベリアのアムール川周辺で発掘され、ブリヤート人はこの手法を日本列島に持ち込んだ。ソバの原産地はバイカル湖付近から中国東北地方に至る冷涼地域。世界最大のソバの原産地であるシベリアの普通ソバが日本に伝わった。北海道の「はまなす遺跡」は縄文前期のものとみられるが、この遺跡から普通ソバの花粉が出土している。縄文晩期とみられる青森県田子町の遺跡からもソバの花粉が出土している。信州の野尻湖底からは弥生時代の普通ソバの花粉層が発見されたので、ソバ伝来の歴史は、縄文前期まで遡って考える必要があり、ブリヤート人が日本に渡来してきた時にシベリアの普通ソバを持ってきた。
漆はウルシの木の幹から採取した樹液 (生漆 ・きうるし) もしくはそれを精製したもの。塗料・接着剤としての役割を果たし、日本では漆は縄文時代から使われており、世界最古の漆器は7000年前の中国のものとされていたが、北海道函館市で漆を使った約9000年前の副葬品が発見され、これが世界最古のものとなった。時代は下るが、福井県や青森県八戸市の是川遺跡などからも、漆塗の櫛などが数多く出土している。現在中国にしか野生分布が無いとされるウルシの自然木が縄文時代草創期(約 1万2600年前)に日本列島に存在していた。1万2600年前の最古のウルシ材が福井県鳥浜貝塚で出土した(福井県立若狭歴史博物館 縄文時代草創期)……現在日本列島で見つかっている最古のウルシ材。ウルシと漆文化の起源を探る最も貴重な資料である。福井県・鳥浜貝塚で発掘されたこの木片の樹種はこれまで不明だったが、樹種同定法の開発により2012年にウルシだと同定された。それにより、外来植物で日本には自生しないウルシが縄文時代の最も古い時期には日本列島に存在していたことが明らかになった。
島根県出雲市の砂原遺跡で約12万年前の旧石器が出土した。日本人にはネアンデルタール人の遺伝子が多い。新石器=岩宿時代(約4万年前~)の先住日本人はネアンデルタール人から色白金髪碧眼【青い瞳】高身長の遺伝子を受け継いだ。
新石器=岩宿時代(約4万年前~)の先住日本人は日本列島系の日本固有種O-47z・22.0%、O-SRY465*・7.7%、遼河沿岸系のNO-M214*・2.3%、N-LLY22g・1.2%、N-M178・0.4%、日本固有種C-M8・5.4%が混在した。東北に多い色白金髪碧眼【青い瞳】高身長のY染色体ハプログループNはフィンランド人のルーツである。福岡県(NO)、徳島県(NO)がおり、遼河沿岸と西日本にだけNO→N、Oと分かれる前のNOがいる。
地中海沿岸系=ラテン系日本人(日本固有種D-M116.1*・16.6%、日本固有種D-M125*・12.0%、日本固有種D-P37.1*・3.9%、日本固有種D-P42・2.3%)は、2万年前、超古代ウクライナ→超古代トルコ→超古代キルギスを通って、バイカル湖畔(超古代ブリヤ―ト人)→アムール川(超古代タタール人)→樺太(縄文人)→北海道(縄文人)→東日本→西日本→沖縄と移動し、岩宿時代(約4万年前~)からの先住日本人とともに縄文(海面上昇が始まった1万9000年前~)人となった。途中でC-M217・1.9%、C-M8・1.2%、Q-P36・0.4%、R-M207・0.4%、I-P19・0.4%を拾った。超親日国であるウクライナ、トルコ、キルギスには「日本人とは兄弟である」という伝説が残っています。
弥生時代(約3000年前~)に長江沿岸系O-M95*・1.9%、下戸の黄河沿岸系O-LINE1・3.1%、O-M122*・6.6%、O-M134・10.4%が加わった。
南欧(6万年前)→黒海北岸(3万9000年前、イタリア・ナポリ西側で火山が大噴火)→コーカサス北部・ウラル南部・シベリア南部・バイカル湖畔・極東南部・北海道(2万年前)→東日本(1万4000年前)→西日本(3500年前)でコーカソイド系(大部分は南欧ラテン系=Y染色体ハプログループDはすべて日本固有種)、ユーラシアン系(モンゴル~東日本、大部分は日本固有種)、オーシャノイド系(3万8000年前、岩宿時代の長江沿岸・日本列島系、大部分は日本固有種)がミックスし、縄文人を形成していった。生物多様性によりいろいろな免疫を獲得した。日本人は90歳、100歳まで生きると中国の歴史書に記されている。7000年前の縄文海進では関東まで熱帯だった。温帯だった青森(色白金髪碧眼のY染色体ハプログループN)から寒冷化に伴い、関東(湿型の耳垢、毛深い、頭髪が天然パーマで禿げやすいY染色体ハプログループD)→西日本(3500年前)と移動していった。3000前から戦乱が続く志那大陸からオーシャノイド系(主に黄河沿岸系)が大量に西日本に流入し、瀬戸内海沿岸に住んだ。先住オーシャノイド系(主に長江沿岸・日本列島系)と合わせると、オーシャノイド系が倍になり、全体の過半数を占めるようになった。
アーリア系インド・ヨーロッパ語族がスキタイ(R1a1(R-M459))居住域から広がっていくと、北インドでは南インドのドラビダ系タミル語と隣接し、ヨーロッパではラテン系ロマンス諸語と隣接した。ハプログループD(血液型A型)は日本列島などに移動した後であり、ハプログループE(血液型O型)が残っていたが、そこにハプログループR(血液型A型)が割り込んできた。役割分担の血液型A型(ハプログループRとD)は安全地帯に固まる傾向にある。バイカル湖畔のブリヤ―トでは、ハプログループD1a2(血液型A型)が日本列島に移動した後、ハプログループC2(血液型B型)が残っていたが、代わりにハプログループN(血液型A型)が入り込んだ。日本列島では、ハプログループN(血液型A型)が抜けた後にハプログループD1a1(血液型A型)とD1a2(血液型A型)が入り込んだ。血液型A型が多い日本の周りの東南アジア、中国、モンゴルは結束力の血液型O型が多い。
北米インディアンのナバホ語は形態的類型論に基づいた分類が難しい。ナバホ語は膠着語(ハプログループD、C、ウラル・アルタイ語族、タミル語等のドラビダ語派、チベット・ビルマ語派、シュメール語等)のように多くの接辞、主に接頭辞を持つが、これらは予測しかねるものが多く、その点では屈折語 (ハプログループR、Q、フィリピン・タガログ語等のオーストロネシア語族、インド・ヨーロッパ語族、ヘブライ語、アラビア語、ロシア語等)的でもある。動詞は名詞と比較して多くの形態素を持つ。平均すると、名詞は4-5であるのに対して、動詞は11である。また、名詞の形態素は動詞よりもわかりにくいものが多い。ナバホ語は一般的には膠着語か屈折語に分類されるが、抱合語に分類されることさえある。語順に関しては、一般的にナバホ語はSOV型に分類される。しかしながら、一部の話者は名詞を人間、動物、非活動体の三種のランクに分類し、それによって主語と目的語の順番を決める。主語であれ目的語であれ、ランクの高いほうが先に来る。これにより、統語論は曖昧になりがちである。言語学者のEloise Jelinekは、ナバホ語を、統語論的規則によってではなく、文脈によって意味を判断する自由語順の言語に分類する。
日本では屈折語の代わりに孤立語(漢語)が膠着語の中に練り込まれた。遺伝的には地中海沿岸ヨーロッパ人(黒海北岸ルーマニア人)と漢人の中間である近世・近代日本人がヨーロッパの概念を漢語の文法に従って和製漢語に造語・翻訳し、近代中国がそれを取り入れた結果、和製漢語は現代中国語の7割を占めている。