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【遂に解明⁉】邪馬台国はココにあった⁉魏志倭人伝から読み解いた『邪馬台国』の本当の場所とは?【ゆっくり解説】

by ANNAPOST



今回は、遂に解明⁉魏志倭人伝から読み解いた『邪馬台国』の本当の場所について紹介させて頂きます。

今回の動画は、青松光晴様の許可のもと動画を作成させて頂きました。
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■参考図書
『図でわかりやすく説き明かす日本古代史の謎~神話の世界から邪馬台国まで』(青松光晴著)
https://amzn.to/3HbwUJz
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このチャンネルは
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#ゆっくり解説 #歴史 #邪馬台国

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48 comments

高井聖治 April 30, 2023 - 3:40 am

隋書に「大和に都がある。大和は魏志倭人伝で言うところの邪馬台である」という主旨の記述がありますよね。
畿内で決まりじゃないんですか?

Satoshi Tanaka April 30, 2023 - 11:20 am

研究者には自分の考えを貫いてほしいな。偉い先生に異論を唱えないようでは新たな発想を生み出す学者にはなれないでしょ。

NoName May 1, 2023 - 4:40 am

この動画を見た一番の感想は「学会はクソ」
というか常識的に考えれば中国と一番関わりがあるのは地理的に近い九州の国だろうと想像がつくのに、なぜ畿内だの沖縄だのと突拍子もない話が出てきて、それが真剣に議論されるのかがわからない

T T May 1, 2023 - 8:44 am

アカシックレコードの記録だと九州一体と四国の西半分までが邪馬台国になってますね
北九州と限定してしまうと火山の番であるもう一つの卑弥呼の役職である火巫女の存在がおかしくなってしまいますし
ちなみに北九州はアマテラス(邪馬台国)とスサノオ(出雲)の諍いがあって一時期はスサノオの支配下になってたりしますね
皆にもアカシックレコードの記録見せてあげたいわw

苦楽園Kurakuen May 2, 2023 - 4:52 am

出雲大社の建築様式は、纏向遺跡と同じ。(事実)
天照大神が大国主命に頼まれて出雲に神殿を立てた。(古事記「国譲り」)
出雲大社は、地上50mの高さにそびえる神殿だった。(うず柱が見つかっている)
(実在する地上50mの建物に、EXPO70のブリティッシュ・コロンビア州館がある)
卑弥呼の時代、糸島周辺にあった集落と纏向遺跡周辺にあった集落の土木技術が同じ。
伊勢神宮は、天照大神を祭っている。(事実)
これらのことについても、このチャンネルで取り上げて欲しい。

さらに、
日本は、アトランティス大陸の残骸であり、日本神話の神はアトランティスに住んでいた。
「かぐや姫」は並行宇宙からやってきた宇宙人で、「鬼」は恐竜から進化したとされるレプティリアン。
このあたりについても触れて欲しい。

蝉丸山茶花亭 May 2, 2023 - 11:39 am

古田武彦氏はのちにずっこけるが、この邪馬壱国系の最初のこの一書は名著だと思います。
必要不可欠な場合を除き”原文改定せず”という姿勢は学問の基本。
ここのサイトがこの書籍に行きついたことをうれしく思います。

恙恙 May 2, 2023 - 7:50 pm

朝鮮半島は現代でもソウル〜江陵市の直線距離が350kmとされて居たり色々謎が多いですからね😊ギシワジンデンデワカラナクテモシカタナイ

恙恙 May 2, 2023 - 8:08 pm

そもそも邪馬台国が諸倭邦の全てを統治して居たかも全く怪しいですし魏に朝貢を行って居た国についての記述との観点から観ると畿内説よりは九州説の方が説得力は有りますね😊

高瀬智史 May 2, 2023 - 9:50 pm

返信欄では埋もれてしまうため、新規コメントで警告を発信致します。
当該動画のコメント欄にて、返信のやり取りをされていた『@ama kun」氏は、
自身のメールアドレスに届いたyoutubeからの返信通知を、プログラム改変等をされて削除された、
等と主張し、畿内説支持者の「@りゅ」氏を犯人と一方的に決めつけ、執拗に攻撃しました。
当たり前ですが、youtubeのコメント返信通知メールと言うのはyoutubeから自動返信されるものであり、
「@りゅ」氏が「@ama kun」氏のメールアドレスを知る事が出来るはずもなく、
メールアドレスも知らない相手のメールを削除、操作、プログラム改変等できるはずが有りません。
しかし「@ama kun」氏は自身の勘違いを認める事なく、「@りゅ」氏に対し、謂れなき中傷を繰り返しています。
この行為は悪質性が高いので、チャンネル管理者様にも何らかの対応を御願いしたいです。
何卒宜しくお願い致します。

@HIDE May 3, 2023 - 7:41 am

新しい視点をありがとうございました、腹落ちいたしました。

史書の記載ルールに立ち返った「傍線行路」という考え方、不弥国が港湾都市であり、船で迂回路を伝って南方の投馬国(薩摩)へ行く考え方に、思わずひざ打ちいたしました。

個人的には、平野部に国(集落)が広がっていただろうと考えると、
「不弥国」は、姪浜を国境線として博多湾エリアの平野部に集落が広がり、

「邪馬台国」は、
そこから南方すぐの平野部エリアであり、一部地名(山門)も残っていることから、

みやま市(山門郡)〜吉野ケ里〜久留米〜八女(やめ)
あたりに七万戸が分布していたのではないかと推察いたします。

また、太陽信仰から、日の昇る方角である宇佐神宮(亀山古墳、百体神社)に卑弥呼が祀られたのではないかと、、

toro wahaha May 4, 2023 - 5:08 am

大和(邪馬台)へと十種神宝(結納品)持参の饒速日を入婿王として送り込み
葦原中国の独占支配を目論んでいたのが宗国の建日向日豊久士比泥別…かね?
それを建日別と豊日別が裏で共闘連帯しながら潰しに掛かってたんやろな
で弱体化に成功し、実権(神権)奪って、東征…
一大卒に睨まれピエロに徹していた白日別はとりあえず勝馬に乗るだけw
素直に考えると案外簡単やったわ。

もりせいいち May 5, 2023 - 4:14 am

YouTube検索すれば、でるけど
魏志倭人伝は、草書で原稿は
かかれており、投と殺は、ほぼ
同じにみえる、つまり、投馬国は、
本当は、殺馬国ーーさつま!
で、ぴったりなんですよ。

booby May 5, 2023 - 11:58 pm

どの説でもほぼ共通で比定されている壱岐と対馬をもっと調べればいいのにね。特に畿内説にとっては当時の壱岐に15000人住んでた計算で女王国30万人などと言ってるわけで、現在の壱岐の人口と対比してもちょっとこれは誇張ではないかと考えられる数字。西暦200年頃の日本の人口が60万人程と言われている。記述通りなら邪馬台国への行程にある国々だけでそれを超えてしまう。50年で60万人から劇的に増加しない限り魏志倭人伝の戸数を誇張とするか、弥生時代の人口を再検証するかすべきところを放置する学会がどれだけ偏向しているのかがよくわかります。
。朝鮮南岸→対馬→壱岐→末盧国が1000里ずつで大まかな距離もわかる。
そもそも位置情報の優先は方角→距離→所要時間で、これを一切無視して出土物のみでしか論じない畿内説は常識外れ。奈良から何が出土しようとそれはそこに巨大な国があった証拠というだけで、ブランド力抜群の邪馬台国とイコールにはならないのは中学生でもわかる理屈。
また、方角も距離も所要時間も無視するのであれば、松浦→怡土→那→穂波→妻→山門と、隣へ隣へと進めばヤマトに到着。後に黥面文身を土蜘蛛と揶揄され畿内勢力に滅ぼされた田油津媛の女王国があった地域に辿り着きます。

ken N May 7, 2023 - 7:04 am

”乍南乍東”の訳が間違ってますね。以下、張明澄氏の見解です。

もともと漢文の中には“乍A乍B”という文型があり、”たちまちAたちまちB”の意味である。しかし、すべて”乍”が前後に出てきたらこういう意味というわけではない。もう一つ”暫A忽B”という意味がある。『辞海』(中国書局編輯部編輯 中華書局中華民国六十一年発行)に”乍”の意味は”暫也””忽也”と書いている。

もともと漢文の中での“乍A乍B”という文型は、ただ”たちまちAたちまちB”の意味だけでなく、”暫A忽B””先A後B“という意味もある。つまり、”まずゆっくりとA、あとで急にB“ということであり、むしろこういう使い方の方がはるかに多いのである。

『医学入門』の「感異気」のところに“乍寒乍熱”という表現がある。

“たちまち寒くたちまち熱く”という意味にとれば、短時間に寒気と灼熱感が小刻みに何回も何回も繰り返すことになり、実際にこんな症状はどんな病気にもない。

“しばらく寒くたちまち熱く”という意味にとれば、長時間の寒気の後で急に灼熱感に変わって体温が上昇することであり、これなら、マラリアをはじめ、すべての間歇熱に共通した症状である。

乍南乍東というのは、裴松之の注にあるように、“乍南乍東者先南行後転而東行(乍南乍東は、先ず南行し後に転じそして東行す)ということである。

たけあさ May 7, 2023 - 9:24 am

北部九州説、賛成です。
日本旧記にも、やまいちこくが載っていて、この動画のように、国々を、方位と距離で辿っていくと、北部九州にたどりつくと。

古事記、日本書紀の訳は、本居宣長のものから基本、変わってないですものね。
その時代、江戸にいて、九州内の方位、距離がわかるわけない。
常識から外れると、昔だから間違えたのだろう、と曲解したものが、今でもまかり通っているという、、

P ES May 7, 2023 - 11:08 am

景行天皇の巡行や神功皇后の三韓征伐の時、三潴国の見沼氏に案内や朝鮮への渡航の仕方を聞いてる時点で大和朝廷と魏国と関わりないですね
九州各地の神社や郷土史、日本書紀にも記載されている
歴史マニアの方もブログ記事にありますから間違いないでしょう

宮浦和夫 May 7, 2023 - 12:33 pm

邪馬台国は北九州です、奈良の王朝とは別です、

graif gigant May 8, 2023 - 2:34 pm

中国の史書の正確性を信じるのが間違い。中国において史書は経書より一段低く、しかも魏志倭人伝は三国志の魏志の四夷伝の倭人条という隅の隅の隅に書かれたものに過ぎない。
従って、そこからは大まかな情報を得ることが出来るが、精密に分析しても無駄に近い。
現に倭人伝には訳の分からぬ鬼などが国名となっている国がわんさか出ている。
本紀はともかくして、野蛮とされた四夷伝などは適当に情報をつなぎ合わせた、一丁上がり的代物だと思う。
それを、他に資料がないせいもあるが、ひどく権威のある大書物であると有り難がる事が間違いの
始まりだと率直に思う。
三国志の魏志の隅の隅の隅の代物だということを前提として魏志倭人伝は読むべきだと思う。

大黒軒 May 10, 2023 - 9:16 pm

宇佐??ふ~ん( -_・)?よく解りません!

大黒軒 May 10, 2023 - 9:31 pm

ご苦労様!~

遠野紗斗 May 13, 2023 - 11:35 am

陳寿と言われている晋の時代に書かれた書物に「倭人伝」というものは存在しない。正確にいうのなら「魏志東夷伝」という書の「倭人の項目」というのが正しく、その後、宋の時代、明の時代に、古い文書が見つかったとされ、偽装と脚色されていったのが、私たちの知っている「魏志倭人伝」と呼ばれるものである。
 三国志と呼ばれる、正史とされるものですら宋本、明本などのバージョン違いが存在し、それらに等しくある傾向に「新しいバージョンのほうが文章が、細かく、長くなっていくというものがあり、19世紀中国人の学者が語っている。これは元々短い文章であったものを引き延ばし、記述を細やかにすることによって、信ぴょう性を高めようとするやり方なんだそうだ。

 ちなみに最初の東夷伝倭人の項においての卑弥呼の記述は

 倭に卑弥呼という名の女王あり、70年間、国を治め90をすぎなくなった

これだけでしかない。もっとも陳寿が書いたバージョンの前のものがあり、それは焚書にされ、その時代がもっと古い可能性も存在するのかもしれない。
 信じるも信じないもあなた次第です。

須羽ミツオ May 17, 2023 - 4:39 am

説得力のある解説と思いました。ただ博多の街はもう建物で埋めつくされていて、新たな発掘は期待出来ませんね。永遠に謎のままになると思いました。

公一 今村 May 20, 2023 - 12:11 pm

糸島の前原を“まえはら”ですか!

トミヤマ May 21, 2023 - 1:27 am

北部九州には100%邪馬台国を比定するのは不可能でしょう。
魏志倭人伝の記述と矛盾が有りすぎますからね。
まず七万戸という大きさの国が入る場所がないのと、卑弥呼が用いていたという鬼道の痕跡が畿内に比べて無さ過ぎですから。

Ke CN May 28, 2023 - 2:02 am

当時の魏の使者は伊都国にとどまることになっていましたが、当時としては畿内と伊都国ではコミュニケーションをとる点から距離として現実的では無いでしょう。畿内であれば少なくとも難波辺りが伊都国の役割を担うはずです。そして北部九州から畿内までについての国名等の記載が無いのも不自然。国名についてはと投馬国以外は北部九州になっています。
帯方郡から邪馬台国までの総距離12000里のうち、狗邪韓国までで7000里。そこから島伝いに海を渡って九州に上陸した地点で10500里。残り1500里で畿内まではいけないでしょう。
元々、畿内説は南を東に読み換えて邪馬台国と後の大和朝廷との継続性を持たせるために考え出された説だから魏志倭人伝の記載内容とは全く整合性がありません。

あかいろ May 28, 2023 - 2:41 pm

日本史に邪馬台国の存在は有りません。
三國志は信用出来ません。

adx May 29, 2023 - 12:45 pm

惜しい、唐津から東南の多久、小城までは、北東の糸島より楽に行けるのに。

AoKu May 29, 2023 - 12:46 pm

吉野ケ里遺跡で弥生後期の墓発見したと聞いて

Y W May 29, 2023 - 2:40 pm

品川→川崎→横浜→藤沢→小田原と細かく説明しておいて、目的地は富田林です、とかおかしな話しだし。

U TA May 29, 2023 - 3:39 pm

石棺が見つかったと聞いて戻ってきた

暢 宗元 May 29, 2023 - 10:32 pm

三国志の中の魏志の中の東夷伝の中の和人の状に書かれているんですよね。全部せ80巻?でしたっけ。超一級の資料です 
それを嘘と言うのは偏見からくるものでしょう。6月5日10時が待ち遠しい。

加藤勉 May 30, 2023 - 7:27 am

図書館にあった数多くの邪馬台国本の中で最後に手に取った「『邪馬台国』はなかった」。

読後、あまりの感動でしばらく動けなかったのは51年前の夏休みのこと。

私の中では、基本的にはここで邪馬台国論争の決着はついている。

freeway104 May 30, 2023 - 8:20 pm

すでに、これまで何度も指摘されているが、
当時、九州には「国家」を形成するほどの「富」の蓄積が無かった。

九州を統一しても、ただの部族の集まりでしかなかったろう。

当時の交易における運搬手段は、単純に馬や人の背に荷物を載せるか、船で運ぶしかなかった(荷車は、まだ日本にはない)。九州から朝鮮半島を陸路で中国に向かうには、途中の盗賊などの被害もあり、細々とした交易しかできなかった。

一方の近畿には、国家形成ができるほどの膨大な富が蓄積されていた。

日本海には、すでに縄文の昔から「日本海巡回航路」が発見されており、中国で作られた大型船を海流に乗せて、大陸と日本の北陸の港を直接結んで、大規模かつ頻繁な交易が可能であったのである。そして、近くの奈良盆地は、富の集積地としては最適な場所であった。

したがって、当時の近畿は大繁栄地として日本全国に鳴り響いていたと思われる。だからこそ、九州の南のハズレから、神武がもうナリフリ構わず近畿を目指したってことだ(神武東征)。

Ryouta Kusano June 2, 2023 - 11:56 pm

いきなり朝鮮半島内地をジグザグに行く時点で破綻してませんか?地形も街道も無視して行くのでしょうか?日本の考古学は国内は詳細になるけど、日本に至るまでの道のりが大雑把すぎると思います。

ペンちゃん June 5, 2023 - 11:49 pm

唐津(末蘆国)から糸島(伊都国)の海岸線ルートはリアス式海岸であり、崖っぷちの道しか無く人が荷物運んでは通れない。

ペンちゃん June 5, 2023 - 11:58 pm

不弥国までは里程である。不弥国から投馬国までを旅程(日程)としているところに問題がある。何方も、帯方郡からであり、他史書では、又、投馬国・邪馬台国とあり、里程と旅程を別にしなければならない。

toshirou horino June 7, 2023 - 12:10 am

倭人伝は、倭国へ旅する一人の人物の目線で書かれている。以下ご参考。
例:(洛陽から)帯方郡に(従)依りて倭へ至るには、海岸を巡(循)りて水行し、南(乍)したら東(乍)して、
(即ち、くの字に水行して→)到るのが、その(船で旅する者から見て)北の岸辺にある狗邪韓国である。ここまで7000里也。
次例:(倭の末盧国から)、東南へ陸行すること500里にして(即ち、くの字に陸行して→)到るのが、伊都国である。

愛は地球を救う June 7, 2023 - 4:29 am

卑弥呼の時代は福岡の赤村あたり、それから大分へ渡り、香川へ渡り、最終的に奈良へ

Adam Anderson June 7, 2023 - 7:51 am

邪馬台の中国語読みは「yamato」です。

うめきち June 8, 2023 - 12:05 am

魏志倭人伝なんてものはただのゴミ。

yam7243 June 8, 2023 - 2:22 am

魏志倭人伝と言うか中国は交易があった国について記述しているだけだから、入り口を押さえていた九州の事柄と捉えるのが正しいね。
この頃の交易品も北九州に集中しているし、物証からもわかる。

あくまて近畿と言うなら弥生時代後期に九州平定していた事実確認が必要です。
記紀で6,7世紀までかかっている事を記載さているけどねぇ。

あと交易品も山ほど掘り出さないと。
国産の鏡はノーカウントですよw

ラマルクガリレオ June 9, 2023 - 2:23 am

金印は漢倭奴国王
漢から倭の奴国の王宛のもの
当然時代は漢・後漢時代のもの
女王の認識は漢時代の奴国のものといえる
倭人の認識は後漢時代のシショウからの朝貢から始まると思う
半球の地球・中国大陸しかない大陸
周りは海
四方には東夷・南蛮・西戎・北〇の蛮族が住むとされた地域感
そういう世界地図だ。
東夷は韓の先の島々という認識だったと思う。
魏志の東夷伝
伝だから聞いた話といえる
金印を与えるにあたり多少の事前知識は必要だろう。
東夷伝は後漢時代の調べが流用されていると思う。

倭国ではなく倭奴国
女王国・奴国からも朝貢があったことは間違いない
漢は倭が一国ではないと認識している。

金印は公式なもの
邪馬台国とはしていない
邪馬台国は呼称・俗称

そもそも倭人とか卑弥呼とか奴国とか
象形文字の発祥の国は漢字に発音を優先されない
見た目、聞く印象を簡潔に漢字に表現させる
多少侮蔑的でもある意味彼ら的に素直な感覚なのだ。

行ったものの話を聞き、それをまとめたものが東夷伝
誰に行かせたか、誰が言ったか
とにかく少数で、渡ったことのある漁師ないし朝鮮人
通訳も含めてだろう。多分朝貢にきた倭人の帰途に数人がついてきたのだろう。

ちなみに日本人は縄文時代からイルカ漁をする民、追い込み位できる操船力は持つ。
渡来渡来とあちらから来るのを待つような印象が強いが
昔から取りに行くのは日本側だと改めた方がいい。
人も物日本人が運んだと思う。

東夷がどういうものか知らない中国人
ただ朝貢する前から韓とは行き来がある
渡ったことのある者の印象認識が俗称を作る
当時として一番盛んな国と行き来していたと思う。
彼らが目にするのが邪馬台だろう。
要するに出雲の神殿や各地にある出雲式神殿がその漢字名の由来である。
ヤマトの発音ではない。

奴国の奴はかみさんに頭が上がらない亭主
故に女王の国という意味なのだ
不弥国はシャーマンを置かない国
狗奴国は奴国の属州か敵国か男シャーマンの国
という見方ができると思う。
伊都国は滞在したした場所といえ、少々良い漢字が選択された感がある。
その他は聞いた話をもとにしたものだといえる。

東夷を知るものは邪馬台国が国の中心と思う。倭国全体の国名みたいに使うだろう。
そういう者を通訳みたいに雇えば、東夷伝のような形になってしまう。
九州勢力と本州勢力が争っていた認識があるのかないのか・・・?
ちなみに出雲は投馬国と推理する。
これはスサノオの故事にちなんだ名である。

ran oi June 9, 2023 - 11:08 pm

邪馬台国は無かったが正解だと思う
史実と言う物は後年いくらでも改変できるからだ
後世の人間が好きなように解釈し、己の好きなように細工できるのが歴史なのは
今現在までそういう事をしてきてる事で立証済みだ
原本が消失してる時点でいくらでも嘘を記述することが可能な訳で、信用に値する物はないんだよ

木村信行 June 11, 2023 - 1:42 am

竹内宿禰睦泰に生前、言われたのですが、奴国という国名ですが、「ナコク」と読まず、「ヌノクニ」と読むのが正しいと思いませんか。八島士奴美神と書いて、ヤシマシヌミのカミと読むということは奴はヌと読むべきで、候補地に那の津があるからという先入観で「ナコク」と読むというのは心理的観念が招く誤解だと思いませんか。一般的に国名や人名を音読みで読まず、
訓読みで読んでみれば、妥当そうな候補が浮かんでいきませんか。おかしいですか。

Y. S June 11, 2023 - 2:57 am

邪馬台国と魏との間で交流があったのは3世紀辺りで、それ以前の1世紀頃には漢字の輸入がなされた後漢時代であり、その後漢当時と思われる交流の証の金印で日本は奴国とされている。 3世紀頃というとちょうど大和王朝も台頭していた時期で、邪馬台国というのはもしかすると大和王朝のことかも? 邪馬台国というのは日本側の表音から魏側が当て字でつけた漢字名かもだし、日本側は倭国(自分たちの意味の「わ」に対し、中国側が倭という漢字をあてた)として充てられた漢字を「和」にあらため、偉大な和と書いて大和、漢字表音のタイワではなく、大和と書いて和名のヤマトと読むとするみたいにしたのかも。 こういう中国側の当て字や日本側の言葉遊びは今でもよくやっていること。

栄治 西岡 June 11, 2023 - 7:18 am

カレー買ってご飯🍚歴史研究する。日本福岡金印なら筑紫出雲筑紫姫船乗って交易なら香春銅~鉄出雲鉄邪馬台国騎馬軍なら

ken Ohzu June 11, 2023 - 2:54 pm

博多と言われると違和感ないわ
そりゃ、上陸するのも九州北部を選ぶし、近辺のことをやたら書くし、邪馬台国としても中国に使者を送りやすい立地条件

まりあの June 12, 2023 - 2:55 am

距離が今と昔じゃ違って変わるのは理解できるけど、お偉い先生方が南は間違いで東が本当とかいうのはご都合主義。
昔の文書を解読するのに、方角を変えていけないのは絶対条件。 自分の結論に結び付けるためにやるから強引な解釈、証拠の捏造なんかが起きてしまう。
自分の考えとは少し違うけど、たしかにすっきりする考察ですね。

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