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37 comments
とっとと「VR広島原爆」作って頒布すればええねん。語り部なんていらんやろ(鼻ホジ)
池田大作さんも長生きですね。
正直当時8歳とかの話を聞いたりするより、ウクライナから避難してきた人たちの話の方が何倍も特になると思う。
俺の周りにはアフガン人とかウクライナ人とかいて、みんな明るく接してくれるけど、かなりつらい思いをして逃げてきたんだろうなと思うと考えるものがあるよ。
ありがとうございます!
こういう体験談はもちろん主観なので、ただの不幸自慢に終始してるものもあるんですよね。苦しさに年も時代もないじゃろ
大東亜戦争が負け戦でしたから、従軍された方々の口も重く、事実が伝わらなかったことも多いのでしょう。従軍した祖父も、父に戦中の話はほとんどしなかったそうです。父は80歳です。
その世代の方々って、高度成長期で美味しい思いをしたど真ん中世代なんですよね。テレビで東京オリンピックやアポロ月面着陸を見てた世代と言い換えてもいい。
今のZ世代にとっては信じられないようなバラ色の時代ですよ。そんな時代を生きた人々が戦争の悲惨さを語るって、バランスおかしくないですか?
別に深く考えているわけではないが、「悲惨んな戦争体験…」云々聞くと、現在でも比にならないくらいの悲惨な戦争体験をしている人がいるのではないかとふと思ってしまい、その話にどれだけの価値があるのかと考えてしまう。
本当に戦争を知ってる世代の人の話は戦後育った老人の話と全然違います。実際に戦場で戦った経営者から言われたのは「今の日本は中国やロシア、北朝鮮、韓国が束になってかかって来たら対応出来ないよ。軍備をちゃんとしたり蝶者(スパイ)に対応しないといけない。」、シベリアで抑留されて死体置き場に捨てられながら奇跡的に帰って来た人は「強制的に慰安婦を連れて来た部隊があったなんて信じられない。」戦時中、軍需工場で働いていた人は「工場で空襲があった時にちょっと外に飛び出した同僚が戦闘機の機銃に撃たれて亡くなった」戦時中、女学生だった女性は「戦前の日本は一等国でした。それを忘れないでね。」最後の女性だけ今も存命してます。ご先祖様は戦争で亡くなってますが、戦地で亡くなったご先祖様の最後の言葉は「ワシらは現地調達ってことで銃も持たせて貰ってない」出征する前に亡くなったご先祖様の遺書には「子供の教育は健康に重きを置き国家の為、○○家の祖先の為にも家名を辱しめざる様養育すべし」と書いてありました。今の老人で子孫の為とか先祖の為と言う人いるのかな?
確かに見落としていた視点です。ありがとうございます!
面白い話ありがとうございます😊
お誕生日おめでとうございます🎉🎉
家人が以前、巷で話題になった『少○H』を「あんなものウソばっかり」と憤っていたことを思い出しました…
私もかれこれ30年前からそう思ってました。朝まで生TVの司会者である〇原SOイチロー氏が戦争体験をこれ見よがしに話している時『何歳だったんだよ!』と思い調べたら、1945年時点で11歳。11歳で何がわかるんだ?と思ってました。
私は小学校の時と、高校の時に先生の体験を聞きました。前者は学徒動員され空襲時に負った傷と共に大半の友人を無くしたお話を頂いた。戦争は良くないことは当たり前だが、今で言うお花畑でないお話であった。
後者は、終戦前に生まれてはいたが記憶はそれ程でもの方で、学生運動に参加をしたかは判らないが、社会党を応援し、自衛隊の存在を否定し、人の鎖?などの“平和”活動を紹介された気がする。今おもえば、赤側の“平和活動”(弱体化工作)だったのかな。
親父や親せきの戦争話は食べ物に不自由した話ばっかりw
たしかに、コロナ禍を経験した自分らが、その間の政府の功罪、社会情勢の変化と理由、経済動向を総合的に正確に語れるかって言ったらそんなの一握りもいるかわかりませんしね
結局は個人の体験談としての局所的な断片以上の話は出来ないかと
上念さんは世代的に「1年戦争戦中派」ですね。
確かにあの戦争はひどかったですよねぇ。
野坂昭如氏も戦中は赤ちゃんだったのに少年時代の戦争体験を語ってた。後昔舞台を創ってた何とかピエロって人は戦争体験を語って嘘がバレて批判されてたのを覚えてる。だから世界体験を語る60年代70年代の有名人を信じない様にしてる
子供の時に親から、昔は頭の良い人はみんな軍隊に行ったんだ、と聞かされて、みんな軍国主義に洗脳されていたのかと思っていた。 坂の上の雲のドラマを見た時に、貧乏な家の子供が学費無しに高等教育を受けるには軍の士官学校に行くしかなかったことに気づいて、何十年もの疑問が初めて解決したことがある。
戦争体験談はそのとおりで
ずっと変だよなぁと思ってたし、戦争マウントを取りたい人たちが戦争体験者を利用している面が今はあると思う
戦後しばらくの間だと出征した人たちが戦争について語ることがタブー視されていたとかもあったらしいけどね
上念さんの指摘は鋭い。小・中学校で若い女教師が得々として平和教育をしているが、どの視点からのものかが問題だ。
経験したこともない戦争の悲惨な面だけを語って『絶対に戦争はいけない』と締め括る。
しかし、侵略戦争と防衛戦を区分しない教え方は百害あって一利なしだ。ウクライナは防衛しなければ国が滅びるのだから。
織田信長の「人間50年」は平均寿命ではなく、「下天(天界の最下層の世界)の1日は、人間界の50年と同じ」と言う意味。
だから「下天の内を比ぶれば、夢幻しの如くなり」になる。
誕生日おめでとうございます🎉
それに戦争が終わったのは今から約80年前の1945年。
仮に、「戦争を体験した」語り部の方達が小中学生だった1950年に、ほぼ80年前の戊辰戦争や西南戦争の話をしたとしよう。
B29が都市を空襲し、核兵器まで登場した戦争があったのに、大砲や刀で斬り合ってた戦争の話をされたってシラケるだけじゃないかなぁ・・・。
少なくとも日本の「戦争を知る教育」は1945年からアップデートが全く出来てないと感じます。
退役米軍人や、戦火を逃れて日本に来た人は結構居るのだから、ベトナム戦争やウクライナ戦争などの話を聞いた方が有意義だと思うのですが。
仮に戦争体験者がいて、聞きたいことは次に同じ負け方で負けない方法ですね😓
左翼系の人に利用されていると言うのは構いませんが、悲惨な体験をなされた方々を嘘つき呼ばわりするような発言は許せません。当然ながらどのような境遇に立たされたによって経験は全然違います。私の年代は経験者から直接話を聞くことができました。叔父は沖縄戦で敵艦に泳いで切り込みをかけ頭部貫通銃創で亡くなりました。祖母への手紙には検閲が厳しいなか艦砲射撃で山の形が変わったと書いてあったそうです。もう一人の叔父は踵の銃創を私に見せながらウジがわいた傷口を紐を通すように掃除した経験を話してくれました。南方のジャングルで飢えで仲間が死んでいくなか、部下の食料調達能力が高かったため生き残れたそうです。どうして調達できたのか聞くと周りの兵士の限界より少し遠くまで探しにいくとあったそうです。父はで本土決戦の準備ため九十九里浜を馬に乗って警戒してました。父より一学年下は学徒動員で招集されたひとはほとんど戦死したそうです。満州から引き揚げた叔母はその経験を坊主頭にして帰ったこと以外は話してくれませんでした。これが戦争、戦場のリアルです。だからこそ戦争を引き起こさないようにするには安全保障に真剣に向き合わなければだめです。
修学旅行でいった沖縄で聞いた戦争体験。終戦時、どう考えても1,2歳なのに、なんで覚えるんだろう?。
今、思うと、活動家だったんだな
初代タイガーマスクのデビュー戦はリアルタイムでTV観戦した気がしているのですが、
後日のVTRだったのかもしれません。
でも、語ります。
平和教育のファンタジー粉砕は学校教育の見直しから。
生き証人の言葉って文献とかの学問的な歴史に肉感というか血を通わせるものだと思う。どっちかだけではなくて、バランスよく感情も込めて学べれば学ぶ魅力も生まれると思う。
私の母親は10歳前後で終戦を迎えましたが戦争体験は「飛行機(当然日米の区別はついていない)は見たけど、疎開していたから空襲は受けてないし、山の向こうの出来事」程度の認識だったそうです。
父親は後1年戦争が長引いていたら学徒動員で引っ張られていたそうなのですが「隣町に爆弾落ちたよ。友達も死んだね。怖かったよ」程度しか話してくれません。
戦中派の「体験談」なんてこの程度の物なのではないでしょうか?
織田信長が好きな幸若舞「敦盛」の ”人間五十年” は、「人間の寿命は50年」という意味ではなく、「人間界の50年は、下天(天界の最下層)の1日であり、天界から見れば一瞬である」という意味ですよ。
昔の平均が低いのは乳幼児死亡率が高いからで、同級生とすら認識できていない人が多かった。
と聞く。
母親が昭和8年生まれで神田に住んでいたんですけど・・・
戦争番組なんかは嘘や大袈裟、紛らわしい話が多いから嫌いだと言っていました。
101歳の祖母も同じことを言っていたました。
「守られる側だった弟妹達が戦争体験?何言ってんだか。戦後大変だった時に苦労したのは当時の大人」
うちの婆ぁは昭和6年生れなんで、それなりに当時の記憶もしっかりしておりまして、終戦前後のことは色々教えて貰いましたよ。もちろん身の回りの事に限りますし、それでも参考になることは沢山あります。
とはいえ、妹尾河童を筆頭に口先戦争体験の連中には辟易しますな。
全てではないものの、人の記憶は変わる、或いは実際に見た事実と異なるなど、実験で実証されているし、経験もしている。非日常的なものほど変化が大きいのではないかと個人的には思う。
記憶を語るというものは実に曖昧なものだが、
果たして、そうなった場合それが記憶と呼べるのか?と、今回の動画でのお話を聞いて一つ答えを見た様に思います。