「やばい古代史」では、古代史に焦点を当てて歴史を紐解いていく番組です。
我々はどこから来たのか。その鍵を古代史から読み解きます。
※この動画は、過去に起こった出来事をわかりやすく伝えることを目的としています。視聴者に衝撃を与えるような目的はございせん。
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ゆっくり霊夢ですゆっくり魔理沙だぜ今回 はどうして縄文時代は1万年も平和が続い たのかということについて解説していこう ええ縄文時代って平和な世の中だったのね しかも1万年も続いたなんてすごいじゃ ない確かにそうだよなそれではゆっくりし ていってねゆそれで今回はどうして1万年 も平和が続いたのかということなんだけど どうしてこんなに長い期間続いたと思う それは誰も争わなかったということでしょ 平和が失われる時は大体震災か戦争が勃発 するということじゃないだから縄文時代は 大きな震災や戦争が勃発しなかったという ことじゃないかしらなるほどなそれは一理 あるんだぜところで縄文時代の人々は仮に 行ったり海や川に魚を得取りに行ったり 木の実を拾いに行ったり食料の加工をし たり矢じりやああかごを作ったりいろんな ことをしていた生活していかなくてはいけ ないからこれは当たり前よねちなみに仮と 言っても槍や弓矢でししめるような危険な ことを毎回していたわけではなく罠や 落とし穴を仕掛けてそれを見に行くだけの 日もあったり常に緊迫した生活を送ってい たとは限らないそれぞれができることを やるというスタイルだないかにも平和そう なスタイルよね病気や怪我した人を看病し ていた形跡もあるしみんなで支え合って 暮らしていたんじゃないかということだな それで人間関係に関してなんだけど長老は いたけれど身分の差は緩いものだったとさ れているそういえば江戸時代とかは分制度 があったのよね武士は町人の娘と結婚でき なかったりかなり厳格な制度だったみたい だわそうなんだよな縄文時代はこのような 厳格な制度が存在していたわけではなく誰 かに命令されることもなく自由に生活でき ていたとされている最高な世界じゃない しかも自然の恵が豊富で必要な分だけを 取れば良かったから現代のようなヒプの差 もなく大きな争いはなかったらしいんだ つまりさっき私が言った通り縄文時代は 大きな争いもなかたら平和な世の中が続い ていたということねまそういうことだな 稲作が広まった次のやい時代から米を 蓄える人が現れた地域の人を働かせて米を 作るようになり支配する人と支配される人 に別れヒプの差も開いた土地争いや田んぼ に引く水の奪い合いも発生これにより 揉め事も増えたのではないかということだ 揉め事が増えるのは良くないわよまあそこ は仕方がないことだよなそれでもめ事が 増えた原因は米が原因になったということ かしらそう捉えることもできるよなまさか 私たちの生活には欠かすことができないべ が揉める原因になるなんてそれにしても米 を食べるようになったからと言ってそんな に殺伐とした世の中になるかしらみんな米 に執着しすぎじゃない縄文時代の日本には 海のさや山のさがたくさんあり当時は人口 が少なかったとされているからなしかも 島国だから大陸のように外敵から攻め られる心配は少なかったはずだ心にも余裕 があったのかもしれないぜそういうことね やい時代になると金棒で殴られた人や額に 矢じりが刺さって殺された人の骨などが 見つかるようになってしまうんだ一気に 物騒な世の中になってしまったのね縄文 時代は比較的穏やかだったから1万年以上 も続いたのかもしれないこんなに長く続い た時代は世界史世界史の中でも珍しいんだ こんな穏やかな地域が世界中にあれば最高 なのにね縄目の模様がついた縄文時が作ら れていた時代を縄文時代という作られた時 のの表現形式によってロの時代に分かれて いるんだぜそうだったのね他にも皮やサメ の早いの死のキキでできたペンダントとか 赤いうるし塗りの縦串やしので作った かざしとかおしゃれだったんだぜ耳に穴を 開けて土星の大きなピアスをしていたりも していたり男性も女性もこうした アクセサリーを身につけていたそうだ髪型 も凝っていたらしくてお団子にしたり 編み込んだりドレッドヘアのような髪型の 人もいたそうだぜドレッドヘアそんな奇抜 な髪型をした人がいたのどうやらそのよう だぜほ吠えからまた手先が器用だったせい か縄文時もすごくクリエイティブで独特な 見ためをしている代表的な時として縄文 時代中期に作られた火炎火炎時があるこれ は有名よねまるで日がもさっているような 見た目をしていて印象に残りやすいわこう いった縄文時は復元がとても難しいんだ それはどうしてなのかしら時を作ると途中 で割れてしまったり飾りが取れてしまっ たりするからだだからそれぞれの工程を どのようなタイミングで行っていたのか謎 なんだ確かにそうよね普通に作ったら割れ てしまうのよねだとしたらどうやって縄文 時代の人々は時を作っていたのもしかし たら高度な時を製造する技術を有していた ということかしらきっとそういうこと だろうなそれと縄文時代の後半には アクセサリーや時などの工芸品を作る専門 の人がいたと思われている統化のような人 がいたということかしらそういうことなん だぜその人は粘土のなどを知り尽くしてい たんだろうなそして陶芸化は縄文時代で 重要な仮に出かけることはなかったみたい だえめちゃくちゃいいじゃないそうかも しれないけど時を作ることだってかなり 大変なことなんだぜそれはそうよね特殊な 技術が必要だろうし決して楽ではないわ 引出た技術がなければ借りに行くって感じ だったんだろうなここからは知られざる 縄文時代について解説していこう知られ ざる縄文時代一体どんなことを解説して れるのかしらとても気になるわねまずは 地面に設置した縦穴住居に住んでいたわけ ではないということだ縄文時代と言えば 縦穴住居に住んでいるっていうイメージよ ご普通の土の地面の上にある縦穴住居に 住んでいたわけではないのどうやらその ようだそれで縄文時代の人はどんな場所に 住んでいたのかということなんだけど川の 近くの高台の減りによく住んでいたそうだ ここに住めば魚を取るのに便利だし水害を 避けることもできたそうだ安全で食事に 困ることもないのであればここが最適なの かもしれないわ見晴しも良かったみたいで そこに縦穴住居を立てていたのそうなんだ よ縦穴住居は地面に穴を掘って立てられた 半地下の家で木の骨組を樹皮などで覆って 土を被せた土器の縦穴住居が多かったと 考えられているこの住居の内部は温かった そうで縦穴住居の難点は湿気がこもり やすいこともあったただ家の中にある炉で 火を炊けば湿気を飛ばせたり冬でも半袖で 1枚で過ごせるほど温かなるなかなか 素晴らしい住居じゃないしかしながら指が 多い家だと夏は過ごしにくいとされ 20世紀の初めまで同じように土の縦穴 住居に住んでいたカナダの先住民は冬以外 は川の近くの兵にテントのような簡単な 建物を建ててか過ごしていたそれでこの家 はどんな人が住んでいたということなんだ けど同居人は家族とは限らないんだえ赤の 他人同士が1つ屋根の下で生活してい たってことまそんな感じだな家族以外の人 が同居したり男の人だけで住んだり若者 だけで住んだりすることがあったようで 現代で言ところのシェアハウスに近かった そうだシェアハウスが縄文時代に存在した なんて衝撃だわ十条くらいの縦穴住居2後 から6人くらいで住んでいたようで村と 呼ばれる縄文時代の集落にはこうした縦穴 住居が3から5等ほど立っていたんだ ちなみに縄文時代の後期万機の人たちは 現代の人々が今住んでいるような川沿いの 平地に降りてきて穴を掘らずに普通にに家 を建てることもあったそうだ縄文時代の 知られざることの2つ目は買ばかり食べて いたわけではないということだそれはなん となく理解できるわ買ばかり食べていても 飽きてしまうわよそれに買が苦手な人から したら買だけの生活ってきつすぎるわまあ 当時は現代のように食料が豊富に存在した わけではないから好き嫌いを言える状況で はなかったかと思うけどなちなみに貝塚の イメージから縄文時代の人々は怪が大好き だと思うだろまあ確かにそうねただ実際に は貝はカロリーが低くてお腹がいっぱいに ならないんだよそりゃそうでしょう貝って そこまでコスパがいい食料ではないわ じゃあ縄文時代の人々は他に何を食べてい たのかということだけどどんぐり土の実栗 くるみなどの木の実から天分を取ったり イノシシ鹿の肉魚は海ならマグロ鯛スキ イワシ川なら船鯉など意外とカロリーの 高いものを食べていたそうだ魚や木の実を たくさん食べればさすがにお腹いっぱいに なるはずよね驚くことに木の実は粉末にし たものを練って現在のクッキーやパンに似 た加工食品まで作っていたそうだぜええ 加工食品まで存在したなんてすごいわね また土の実を練り込んだ土持ちは山の方で は今も食べられていて美味しいそうだこの 餅は木の実の味がアクセントとなって かなり美味しいとのことだ機械があれば いつか食べてみたいわ会はもちろんその 季節で一番美味しくてたくさん取れる旬の ものを知っていたんだろうちなみにカって 貝殻を捨てる場所だと思われているが アクセサリーや人の骨などが見つかること もあるあらそうなのでも貝塚って食べた貝 を捨てるゴミ捨て場のような場所よねそこ から人の骨が見つかるって恐ろしいわ確か に恐ろしいよな貝塚は現代の感覚では霊夢 が言った通りゴミ箱だと思われているんだ けど縄文時代の人にとってシャステること は自然に返すという感覚だったようだだ から人の名も自然に返すという意味で人骨 も貝塚に混ぜたじゃないか捨てることは 自然に返すことって素晴らしい考えだわ そうだよな3つ目はドグは壊すために作ら れていたということだえどういうこと かしら縄文時代といえばドグも有名だよな そうね縄文時代を象徴するような存在だわ ドグは安全祈願や子供の健康を願って作ら れたとされているでもドグーには謎が多い ドグは大抵バラバラに壊れた状態で 見つかるんだそれは長年地中に埋まってい たからそのせいで壊れてしまったんじゃ ないかしらいや当時すでに壊れていたそう で特に縄文時代中期に作られたほとんどの ドグはわざわざ買い壊すために作っていた と考えられるんだぜこれは本当なのかしら これ以外に自分の身代わりにしていたと いう説もある例えば腕を怪我した時腕を 壊したドグの破片を集落の周りに巻くこと で血を願ったり色々な願いを込めて壊して いたのかもしれないらしいんだそんな事情 があったのね当時は医療が発達してい なかったらこのようなことを行っていたん だろうな医者がいないなんて現代では 恐ろしすぎるわねちなみに医者がいない 代わりにシャーマンという真ない死のよう な人はいたとされるシャーマンシャーマン は神を祭り神に使え真意を世俗の人々に 伝えることを役割とする人々をさんだ ほうほうまた縄文時代は成人や結婚の儀式 として剣士などの歯を抜いていたとされ シャーマンが木の食いを歯に打ちつけると いうことが行われていたとされるもちろん 麻酔なんてなかったんだぜひひこんなこと も行われていたとはいえ特に大きな争いも なく平和な時代だった縄文時代は現代の ように予防注射もないから子供たちの死亡 率は高かったし震災に関しても少なかった かどうかは何とも言えいないし火山噴火 地震津波などの自然災害のリスクも 大きかったんだ確かに大きな災害が起き なかったことと災害のリスクが大きいか どうかは別問題よねもし万が一大きな災害 が発生してそれに対処できなければどう しようもないわそうなんだよなそうは言っ てもさっき紹介したように人骨を自然に 返すために貝塚に葬ったり自然に対して 謙虚な姿勢を取っていた食べ物などの資源 は自然からいくものだから必要な分だけを 取っていたり縄文人から傲慢さはあまり 感じないんだぜ素晴らしいことじゃないだ から食料危機危機も環境問題も縄文時代に はなかったはずだもちろん人口が100万 人くらいだったとも推定される縄文時代と 1億2000万人もいる日本の現代を 比べることはできないけど縄文マインドを 取り入れてこんなんな時代も乗り切ってい たということは間違いなさそうだなここ まで散々縄文時代に素晴らしさについて 解説してきたんだけどここからはこの時代 が平和で豊かだったのかということについ て解説していこう今度は真のことについて 考えていくのねなかなか興味深いわ青森県 の山内丸山遺跡には縄文時代の出土品が 綺麗に整理されていて楽しむことができる そうだここは有名な遺跡よねその一方で 専門家の間では長年腑に落ちないことが あるそうだ縄文時代には豊かな自然の恵み のした人々は平和に暮らしましたという 説明だ縄文時代がユートピアだったという わけでこの説は日本で広く共有されており 信じている人が多いしかし常識的に考えて 豊かな暮らしなら人口はどんどん増え食料 が足りなくなればどこかに縄張りを拡張し て行くしかない確かにそうよね他人の場所 に入り込めば戦いになるいわゆるマルサス の罠というものだ日本の高古学会では縄文 時代までは戦争はなくやい時代になって 戦争が始まったとされてきた高古学者の子 佐原誠が唱えたものだ彼の考えによると 縄文時代までは狩猟最終をしてもを 分け合う平等な社会でやい時代になると 米作などの農業が始まり富の蓄積搾取に よるヒプの格差そして戦争が始まったと いうことだこれは理解できるわところで 霊夢はマルクス理論というものは知って いるかいなんとなく知っているわよ経済学 の重要な理論よねああその通りだその マルクス理論と縄文時代に何の関わりが あるのよマルクスの理論では資本主義が 発達すると社会の格差が生まれ資本家は さらなる富を求めて帝国主義的な戦争を 仕掛ける縄文時代は平和だったという言説 は日本人は元来平和を好む民族でありかつ 戦争のない世界は実現可能だという ニュアンスを含むんだ三内丸山遺跡に限ら ず日本中に縄文遺跡は多々あるけれども どこも縄文時代をユートピアとして描くの が通例のように見えるんだけど遺跡は大事 な観光資源であり戦いと結びつけたくない のかもしれないなしかしながら高古学は 科学的に進めるべきで事実は何だったのか を知りたがっていると環境エネルギーに 詳しい専門家の杉山大使氏が語っているん だ古代の研究に科学を駆使するってかっこ いいわね縄文時代に戦争がなかったという 言説の最大のより所は湿度する人骨に戦士 の形跡が乏しいことだとされるしかし平和 だったはずという潜入感を抜きにして武器 の変遷なども考慮してより詳しく調査 し直すべきだという意見もあるんだそうし た味方を示す論文もあるんだけど最近に なって北海道の薄もり遺跡で縄文時代後期 における戦争の後が見つかったんだすごい じゃないこの遺跡では多数の戦士者が出土 したことに個人の高古学愛効果も関心を 示している世界的に見れば狩猟最終民も たくさんの戦争をしてきた実は過去になれ ばなるほど死亡率に占める戦士の割合が 高いというのが常識になっているこれは 多くの学者が書いているんだけど日本でも 読めるものとして米ハーバード大学 スティーブンピンカー教授の著書暴力の 人類士があるこれはどんな書籍なのかしら ま簡単にまとめるといしい文明が発達する 前の後期なる原始人の世界は平和だった はずという思い込みはかつて海外の高古学 会でも共有されていただがよく調べ直して みると実は時代を遡るほど戦争は多かった ということだ結構難しい文章だけどつまる ところ文明が発達していない時代は平和だ と思われていたけど実際には文明が見発達 していない時代の方が戦争は多かったと いうことよねその通りだもしも日本だけが 今話した理論とは異なり縄文時代が本当に 平和だったとしたら違いは何かということ だ岡山大学の松本直子教授が2018年の 論文で人々の紛争を解決する文化があり 戦いでなく儀式や話し合いをしたのかも しれないようなことを記述しているまた 戦争するよりも攻撃する方が豊かになると の意見もあるま攻撃を行えば自分の地域に はない素晴らしいシジが手に入って生活が 豊かになるわそうなんだよ戦争でなく文化 や攻撃に頼った方が豊かになるのは間違い ないんだしかしこれらの意見は根本的問題 を解決していない豊かになり人口が爆発し たらどうやって調整するのかということだ えどうやって調整するそういうことは自然 と馴染んでくるものではないのかしら結局 のところ縄文時代に戦争が本当になかった とすればそれは何か他のシーンがあまりに も大きくて人口が増えなかったということ しか考えられないということだ例えば病気 などで早々に人々が死亡したという考え方 だそういえば縄文時代は戦争や大災害が ほとんどなかったとすると他には病気の 流行によりなくなってしまうケースがある わ実際縄文時代の平均寿命は重代前半だっ たとされているんだよなえ短すぎるわよ 環境科学技術研究所のホームページによる と縄文人から現代人までの生存数曲線は 女性は子供を埋める年齢になると妊娠と 出産を何回か繰り返し子供を設けるがその 多くは用事のうちになくなり10歳を 超えるのは4割程度で出産自体も危険を 伴ったそうだ4割出産って現代でも命の 危険を伴うかなりリスクのある行為よこれ だけ医療が発達してきた現代でも危険なん だから縄文時代におけるさんはとんでも ないリスクがあったはずよそれを考えると 10歳を超えるのは4割程度というのは なんとなく理解できる気がするわそれで 10代前半を超えたとしてもやがてその 女性自身も間もなくなくなる30歳を 迎えるのは2割程度で平均として1人 当たり2人の子供を成人させて人口を維持 するのは際どいことになるこれが縄文時代 の常識で現代の基準からするとかなり過酷 な生活だったということになる運縄文時代 は本当に生き残るだけでも大変だったのね すると冒頭のユートピア説は修正される こととなる縄文時代には豊かな自然の恵み のした人々は平和に暮らしましたというの ではなく縄文時代はあまりにも貧しくて 人口は増えず人々は戦争を起こす余力も ありませんでしたということだ戦争が なかったのは同じでも背景が全く異なるわ ねそうなんだよ必ずしも平和戦争がない 世界というわけではないのかもしれないな なかなか深いわねももこれだと縄文時代 ディストピアになってしまうから観光資源 にはふさわしくないという欠点になって しまうんだよなま縄文時代の遺跡へ観光へ 行く人がどれだけそれを意識しているのか ということも大事なんだろうけどね1つ 救いがあるとすれば縄文時代の北海道や 青森県は今よりも2から3度気温が高かっ たということだなぜ寒い北海道や青森で 縄文文化が発展したかと言えばこの気候の 要因は大事だったと思われるちなみに当時 は日本海の対岸のロシア宴会集もやはり 気温型 文化が発達していたこれからもしも地球が 温暖化すると北海道や青森県の暮らしや 自然はどうなるか縄文時代はその先取りに なっているよく調べるとこれからの未来が 明るくなりそうだ確かにそうよねここまで 話してきた通り縄文時代は平和な時代だっ た結論としてこれは間違いない岡山大学と 山口大学の共同研究によると縄文時代に おける暴力での死亡率はわずか1.8で あるとの研究結果があるこの研究は全国の 縄文時代の遺跡242箇所から2582点 の人骨を収集し暴力での死亡率を算出した ものなんだけど暴力の痕跡があったのは わずか23点だこの結果は他国や他の時代 に比べると1/5の割合だとされている 本当に暴力がない世の中だったのね縄文 時代は世界一平和な時代だったという説が あるのも納得できるだろえそうね全国各地 に縄文時代の大規模な遺跡が見つかって いるがそのほとんどに争いの形跡はなく 数千年単位で平和な時代が続いていた戦争 は武力を伴った集団間の争いと定義つけ られていて矢が刺さった傷がある人骨は 縄文時代の遺跡でも発見されているんだ けどそのほとんどが致命称ではないんだよ ということは相手の名を奪う目的で矢を 言ったわけではないということかしらそう いうことだなとはいうもののこの傷が事故 によるものなのか戦争によるものなのか それははっきりしていないようだ争いが ほとんどないよの中であれば事故による ものだと考えるのが自然なんじゃない かしらもちろん1.8の暴力があったわけ だから完全に事故とは断定できないかしら まそうだな縄文時代は戦争がほとんどない 社会だったんだけどおかげで人間同士の 格差は生まれにくくなぜ縄文人はこれほど 平和に暮らすことができたのかということ だそれは生きるのに必死すぎて争余裕が なかったからってさっき魔理沙が言ってい たじゃないおよく覚えてたな当たり前よ これでも真剣に魔理沙の話を聞いているの よそうかそうか縄文時代が平和だったのは 今霊夢が言った通りなんだけどもう1つ 大きな理由があるそれは定住したことだえ どういうことかしら縄文時代の前旧石器 時代の食料調達は狩猟がメインだった獲物 を追って人々も住処を点々としたため1 か所で暮らすことはできない一方縄文時代 の人々は主に植物採集や量をして食料を 確保するため盛は海などの近くで定住を 始めたんだ定住することで食料を貯蔵でき 植えることなく暮らせるようになったんだ ぜ定住すれば安定した食料を得ることが できるものねもう1つは土地を所有しない ことだ縄文人は定住しても現代のように 土地を所有するという概念がなく場所に 縛られることはなかったとされている盛明 は海など自然の恵は日々の食料として いだくだけで自分たちのものではないと いう考えがあったんだ貝塚が良い霊よね ここは食料が取れなくなったもっといい 場所を見つけたとなれば集落ごと別の土地 に移っていたようで集落ごと引っ越しを するとなると他の集落との争いが生まれ そうだけど当時の日本の人口は20万人 程度だ人口が減少しつつある現代日本でも 人皇はまだ1億人以上だから20万人と いえば現代の地方都市でも中規模程度の 人口しかないんだよ集落後と点々としても 他の集落との縄張りは重ならず問題なく 暮らせたということだ今回の解説はこんな ところだ霊夢何か感想はあるかそうね縄文 時代は戦争がほとんどなかっただけで別に みんなぬくぬくと生活していたわけでは ないということが分かったわそうなんだよ な生活のしやすさは現代の方が楽なのかも しれないただ人間関係やストレスは現代の 方が大きいのかもしれないなどの時代も それぞれの良さがあるってことよねだな それじゃあご視聴ありがとうございました
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ああ、そりゃあ、古代出雲族の祖、インド・ドラヴィダ人のクナト王とその臣民がインドまで戦乱渦巻く世相が近ずき、バイカル湖周辺のブリヤート人の助言で、オリエント、東の海の向こうに人口少なく、平和で安全な土地の話を聞き、一族臣民を上げ、移住計画を実行したと。そして、中央アジアの少数部族等の一部を入れ、ゴビ砂漠を超え、シベリア方面に向かい、バイカル湖のブリヤート人の一部と共に、樺太に向かい、北海道に渡り、津軽海峡を渡り津軽半島に辿り着き、生活基盤を築きながら、日本海側を南下し、砂鉄の採れる黒い川の付近に拠点を築き、周辺の少数部族等に、米🌾の栽培(米の原生米は日本に存在せず、インド・東南アジアと言われてきたが、インドから来たクナト王等が持ってきたなら興味無い。この米は炊くと赤みのある、赤飯の原型とも。ドラマVIVANTでの出雲大社と赤飯は印象的)、薬草や酒の作り方、着る物の織り方、砂鉄の採り方製鉄の作り方等を教えたら、自然について来た。そしてクナト王等は出雲族を名乗った。・・・縄文時代の平和は、単に人口少なく、国が無く、文化も無く、そして争いのしようがない、無い無いづくしの土地に、出雲族が根付き、北海道の一部から、津軽半島から出雲の地域、北部九州の日本海側一帯、朝鮮半島の一部、四国、大阪辺りまで、勢力範囲を広げ、セグロウミヘビ🐍が出雲に泳ぎ来る10月頃に、勢力範囲の国々の首長(カミと呼ばれた)等が集まり、婚籍と豊作の国が不作の国に分け与える相談をした、神在月と。古代出雲王国健在の時は豊かで平和だったが、秦の始皇帝の時、出雲王国の地域を蓬莱と呼び、豊かな富を手に入れ王になろうと虎視眈々と蓬莱移住計画を立てている徐福、これが出雲王国の崩壊の始まりで、蓬莱の平和が崩れて行く第1歩となる・・・この説、気に入ってます。
あっけなく寿命が尽きるから 切り替えも速かったろうし 争っている暇があったら 助け合ったり 子づくりに励む方が得策だったに違いない。縄文ユートピアの概念がちょっと変わったけど 今より確実に必死だったし平和だったんだろう。
興味深い内容でした。動画投稿ありがとうございます。
年に数本台風が上陸するだけで王も権力者も無力、40m以上の風雨で立木は倒れ鉄砲水崖崩れ家の倒壊も頻発で人々は協力せずには生きられない。地震・大雪・噴火落雷が年中襲うのは世界で日本だけ中国も韓国にもない自然災害に苛まれる国。
縄文時代が 1万年・以上続いた 理由は・簡単!!
女性の時代 だったから 女性同士で・話し合いで 問題解決 した
こんにちは(^-^*)/😊
BGMがらららコッペパンとかみたいな単調なメジャー曲だったらもっと内容に集中できたのになぁ…
それよりも、最高画質720pでアップしてるのは何かの手違い?
旧石器時代も2万年くらい平和だったんじゃ?
そう、明らかにおかしい。
縄文時代1万年というのが嘘くさい。
yap陽性の影響も大きいような気が
人口維持のためには出産可能な年齢帯が必要
年寄りは知恵はあるが人口維持の貢献度が低い
抜歯は人口調整の意味もあり
周辺環境の食糧調達可能量を越えない程度に
人口が減らず かつ 増え過ぎずの状態を
積極的に維持していた
10代半ばで亡くなる人がそんなに多かったら技術を受け継ぐ暇もない(土器、建築、漆等)
少し考えを改める必要が有ると思います。
矢傷が致命傷じゃ無いって急所外してるって意味だろうけど破傷風や敗血症等色々有ると思うのだけど…
それだけ過酷な状況で暮らしていた人々がエジプトやメソポタミア以上の世界最先端の文明とかましてやシュメール文明の祖とか普通に考えてあり得ない。
お〜BGMイラナイネ
ここ2000年~3000年の間の人間の進歩からすれば、縄文時代の1万年以上の間進化又進歩は無かったのか?不思議だ固定観念に縛られずに
余剰の食べ物もないし、ちょっとしたことで死んじゃうしで争ってる余裕なんてなかったというのが真実だろうな。
物成りが良かったといふ事だと思ひます
たぶんだけど、縄文時代のような狩猟や木の実の採取だけでは増やせる人口に限界があったでしょう
争いがない分平和ではありますが、個々の集落の規模も小さくあまり人が増えすぎると今度は食料問題が出てくるので
当然、姥捨て山や間引きなどの人口を減らすこともやってたかもしれないですね
入れ墨って辛いのは肝臓がやられること。
ひもじくても、生きるのに必死でも、戦いは起こるよ!
しかし、獲物がよくいる土地、食物になる樹木の生い茂る林や魚のたくさん取れる浜の近くとか、好条件の土地を争うこともあったんじゃないのかね縄文時代でも。
金属器がなぜもっと早く伝わらなかったのかな?