「やばい古代史」では、古代史に焦点を当てて歴史を紐解いていく番組です。
我々はどこから来たのか。その鍵を古代史から読み解きます。
※この動画は、過去に起こった出来事をわかりやすく伝えることを目的としています。視聴者に衝撃を与えるような目的はございせん。
※動画内に、死を連想させるような言葉を出てきますが、関係者を冒涜したり行動を助長するような意図は一切ございません。
※動画内の素材は全て引用であり、著作権や肖像権を侵害する目的は一切ございません。
著作権などに関するお問い合わせはこちらのアドレスまでお願い致します。
yabaikodaishi@gmail.com
ゆっくり霊夢ですゆっくり魔理沙だぜ今回 は古代日本の人々はどんな言葉を使ってい たのかについて紹介しようそういえば古代 の日本人はどんな言葉を使っていたの かしら全然知らないからちょっと気になる わね古代の日本人がどんな言葉を使ってい たのか探る上であの有名な義姉は神殿が 重要となってくるそして日本語の語言には あの有給王国も関係しているんだえそれは 興味深いわねそれじゃあゆっっくりして いってね それではまずはそもそも日本語の語源に ついて見ていこう日本語の語源ってどんな 感じなのかしらかなり気になるわね日本語 の起源は言語学情の論点の1つとされて いる日本語は孤立した言語の1つとされ その系統については定説はないんだ主に 日本語が他の言語から派生したとする仮説 に基づいた日本語と他の言語との系統関係 について解説しよう日本語と琉球劣等の 琉球語との系統関係は明らかなんだ日本語 と琉党の言語にはほぼ間違いなく関係が あるということねそういうことだ国際的に は両者を別言語と見なし合わせて日語族を 形成するという立場が一般的なんだけど 日本語の起源論では有給語と日本語の系統 関係は証明済みとし日本語の起源という 言葉で日本語有給語全体の起源を論ずる ことが一般的とされているんだよええ日本 語の語言って有給の言語が大きく関係して いるなんて知らなかったわこれまでにいく つかの系統関係に関する理論仮説は出され てきたものの総意を得たものはないんだ けど言語について日本語との類似性や関係 性が指摘されているんだよただ有給や日本 語の語言が生まれる以前は日本列島の 古代人には文字がなかったと考えられて いる文字が存在しないって結構不便な気が するわねそうだよな文字を使って コミュニケーションを取ることができない となると手紙や岩などに文章を書くことは できないからな結構不便なんだぜ例え記号 のようなものでも何かあったのではないか と考えてしまうけど明確な証拠は見つかっ ていないようなんだこのことから漢字を 導入するまでやはり日本列島には文字が なかったということになるなるほど一方 幹事文化権の古代中国には様々な歴史や エピソードが言葉で残されれているんだ さすがは中国ね人類学的にも同時代の人間 の能力に対した違いはないため文字で残さ れてはいないんだけど当時の人類は講師や 申しの言葉を論理的に理解することができ たはずだまあ能力的には理解することが できるはずよねちなみに日本人の文法は SOV公文でいわゆる守護目的同士という 形だそうよね語尾まできちんと聞かないと 皇帝なのか否定なのか疑問系なのか過去系 なのか日本語は判断できないんだぜ一方 中国語はsvo公文で欧米語などと同じ 守護同士目的という順番になっているそう だったのねちなみに日本語と同じ公文を 持つのは近隣では朝鮮後だそのため中国文 を読み下し時には点や12点上下点に手に をはを振らなければならないんだけど漢字 導入後はなんとかかとか工夫をして文字を 獲得したということになるそういう歴史が あったのは知らなかったわ平安時代になる とカタカナとひらがなという表音文字も 登場して日本語表記のバリエーションが 一気に豊富になるそれより前の時代の万葉 がは当時の発音をきちんと区別して残して くれているため言葉の研究に大きく貢献し たんだよしっかりと発音について記録して くれたのはかなり大きかったのねそうなん だよただ今回取り上げているのは表記では なく言葉そのものだこれといった根拠は ないんだけどおそらく日本列島で発せられ ている言葉で最も古いのはおいこらえワハ などのような言葉だと思われているおい こらえわこの辺りは言葉というよりとっさ に出る言葉って感じがするわねそうだな これらの言葉は遅くとも縄文時代には すでにあった言葉ではなかったとされて いるさっきが言った通りいずれも反射的な 感情を表現する音だけどはいという改まっ た返事は遅くともやい時代後半にはあった と考えて良いかもしれないそれは三国市義 商が戦伝和人の城すなわち族に言う義姉は 神殿の風俗報告にあるからだえ義は神殿に そんな記述があるなんて知らなかったわ 義姉は神殿によると上位の人に対する承諾 の返事は愛というこれは受けたりましたと いう意味だこのような術があるこれは興味 深いわ当時の義姉たちには愛と聞こえたの だろうかこれははいそのものもしくはその 原型だったとされている時代を下ると現代 に残されている子もある例えばまつ毛と いう言葉を見てみようこれは目のけ目の毛 ということになる若い女性が間と言ったり マエなどと言ったりしているんだけどその 語言は遅くともなら時代ぐらい明日時代や 古墳時代にまで遡ると思われるそうだった のね私たちがっている現代後にもいつから 使われているのか分からないぐらい昔から の言葉が隠されている形を残さない音で ある言葉を研究するのは大変なことだけど 面白いかもしれない言葉ではないんだけど 激動のなら時代に生きた商務天皇や三明 工合が聞いたであろう楽器の音は上層員に 保存されている放物楽器が伝えてくれて いる音の考古学が成立すればこれはこれで 面白いかもしれないんだぜ音の考古学って かなり面白そうよね梅のく頃にはよく通る ウグイスの鳴き声が響く他にもカラスや スズメひりやトビなどが空を飛び声を聞か せてくれるこういった生き物の鳴き声は他 にもし犬猫など溢れるほどこい身近にあっ たんだ犬がワンワンと吠えてそれがババウ と聞こえようとも鶏がクッカブーブルブー と泣いてそれがコケこっこと聞こえようと も鳴き声は全く同じなわけで人の表現が 違うだけなんだよこれは本当にそうよね 自然界の音も豊富だ風の音だけでもどれ ほど種類があるさやさやスースーぎ55 などなどいくらでもあるんだけど雨音や波 の音川の流れる音落雪の音落雷もそうだよ な確かにこういう言葉ってたくさんある気 がするわこういった自然界の音はこい 変わるはずがなく古代人もみんな聞いてき たはずだ人間が作った道具も音を立ててい た例えば道徳資料感などに再現されたもの があってネロを確かめることができた金属 性のコーンカーンという音がするんだけど 大きさや形によって微妙に個性があるんだ よこうした物や生き物が立てる物音や 鳴き声などが全く変わっていないことに こだわってみると現代の私たちも言葉も 宗教も価値観なども違った古代人も同じ音 を聞いていたことに気づくはずだおこれ からはそういうところに意識を持って いこうかしら現代は音が豊富だ車の クラクションやジェット機のエンジンオン 工事現場のドリル音や横断歩道で鳴り響く 音楽電車の走行音やインターホンの音 スマホの信音など実に多くの文明音がして いる音楽なんてこの世には無限にあるし そもそも現代の日本において音が全くし ない場所なんて存在しないんじゃない かしらそうなんだよなもしこれらの音が 一切なかったとしたら人はもっと自然の 奏でる音に敏感だったかもしれないんだぜ 確かにそうよね万葉化について考えると これは実にリズミカルな歌詞となっている するとそこにはメロディもあったのでは ないかということだ年が開けると疑い始め があるんだけどなんとも悠長で個を感じ させるものの棒読みではありませんか人々 の聞いてきた音について考えていると 間違いなく豊富なメロディがあったに違い ないと思えてならないんだぜ当時から メロディに関しては豊富だったのねあの人 の歌はしもいいけれど誰も真似のできない 独特な節がいいよねあの人は節は下手だ けど透き通った声が魅力なんだよねあの娘 は声もいいがあの仕草や振り付けが 素晴らしいんだなどとそれぞれの家人に 色々な理由ファンがいたのだと思えてなら ないんだ実際に関西を中心に活動を続けて いる万葉歌理会の方々は万葉歌にはるやボ の場同様風や更新曲風になど様々な曲を つけて歌っている素晴らしいじゃない 忙しく音に溢れた現代だけど豊富な自然音 に耳を傾けていた古代人の感覚で一時を 過ごしてみてもいいかもしれないんだ ぜここからは上代日本語についても紹介 しよう上代日本語一体そんな言葉なの かしら上代日本語とは古墳時代頃からなら 時代頃まで日本特に都のあったなら付近で 使用されていた日語族の言語だ後に中古 日本語に発展したんだぜこの動画の最初の 方で日本と有給に関する言葉の流れは紹介 していたわねこれと関連があるということ ねそういうことになるな上代日本語は当時 のかはあや木must上層員に残された 文書の他当時成立した文献の社本から代償 される義象除いた適当な文献の代表例とし ては乞食日本初期万葉臭不などがあげ られる戸籍定長や消息などの他はわずかな 量しかない元乗長にタを発する国学の研究 成果によってその姿はかなり明らかになっ ているあの元乗リナが関わっているのね 素晴らしいわ日本語が記された最も早い 資料は3世紀の義姉神殿がある日森などの 役職名や固有名詞の語が見られ日本列島で 記されたものとしては471年名の稲山 古墳鉄拳に若たけるなどの固有名詞や役職 名があるしかし長い文章の記されたものは 量的に十分でないことが知られているんだ ぜあららそうなのねなら時代頃になって からの資料としては万葉集や乞食日本初期 の火曜など引分資料が大部分を占め3分 資料は上層因がな文書や職日本議書斎占領 演技式大機書斎の士などにとまるその他 木管も近年各地で発掘資料性が進んでおり 事務所利用文書若メモなど様々な種類が ありこれらも上代日本語の資料に加え られるんだ結構上代日本語の資料は存在 するのね文字は漢字のみでありひらがな カカはまだなかったこのようなことから 漢字を用いて日本語を表記したその際漢字 の意味を用いる方法と漢字の音だけを 用いる方法とがあり校舎は万葉がと呼ば れる用法がある両者は用途に応じて混用さ れることが多いんだけど万葉がのみで綴ら れた文章や万葉がを用いない変態勘文で 綴られた文章もある万葉がの身を用いた ものには乞食日本食等の中にある火曜や 万葉集の一部上層因が文書と呼ばれる消息 などがある万葉がを持ちいないものには 放流時薬不造像機孤児機の本文などの他 万葉集の略体化と呼ばれる表記がある両者 を接中したものの中には女子女童士活用 語尾などを小書きにした天明体という表記 もあるんだよまずは義神殿とは何なのかに ついて解説していこうよろしく義神殿は 中国の歴史書三国市中の義将第3間右岸 千美当意伝の役所のことなんだ当時日本 列島にいた民族住民の和人の種族や地理 などについて書かれているんだ三国士は 精神の珍珠により三世紀末である280年 のくれの滅亡や297年の陳久しの没年の 間に書かれち久しの死中国では精子として おじられたふんふん三国士の中に和人殿と いう独立した列伝が存在したわけではなく 義者関三銃カラス丸戦当意伝の一部にはの 記述があるんだ中国の精子中で初めて日本 列島に関するまとまった記事が書かれてい て五関女伝の方が扱う時代は古いんだけど 三国市義神殿の方が先に書かれたんだぜ ええそうなのねなお公団者学術文庫和国殿 ではご関所を先に収録していて当時の輪に 女王のとする山大国を中心とした国が存在 しまた女王に属さない国も存在していた ことが記されておりその一官命生活様式に ついての記述が見られるんだそしてこれに は当時の和人の風習や動植物の様子が記述 されていて3世紀の日本列島を知る資料と なっているんだぜ義神殿は古代日本の謎を 読み解く上でとても重要な資料ということ ねそうなんだよ238年に山大国女王この 死者が明定への配列を求めて楽よに到着し たとありこれが事実であれば配列した皇帝 は創英ということになるんだけどこの剣士 の年は啓発3年であるという異なった説が ありその場合には死者が配列したのは双方 ということになるんだしかし必ずしも当時 の日本列島の状況を正確に伝えているとは 限らないことから山大国に関する論争の 原因になっているまた一方で東洋師の専門 家である岡田秀など義姉は神殿のとしての 価値に疑念を投げかける研究者が一定数 いる岡田さんは一関係や利定にずれが 大きく信頼性にかけるとの見解を述べてい て他の専門家は義姉は神殿が完全ではなく トータルで整合性が取れていないし著者 期間が長いのだから手話で同時代資料と いうわけにはいかない下略は三国士より 先行成立は確実とされるんだけど原村の 一分にはごきも多いこのように語っている なるほどねさらに三国士の研究者である渡 義は三国士の義者と同様に義姉は神殿は 著者であるち久が実際に朝鮮半島や日本に 訪問して書かれた文献ではなくあくまで噂 や朝鮮半島や日本に訪問したことがある 人々からの聞き伝えで書かれていて信憑性 には疑問があると述べているまた義神殿に は日子が死者を派遣した当時のつぎの内政 外交や歯科の世界観に起因する多くの変更 や歪んだ記述が含まれているとの見解を 述べているんだぜ義姉はには実とは異なっ ている内容が書かれている可能性があるの ね古代日本を読み解く鍵になるから内容を 全て鵜呑みに指定しまうのはやめた方が 良さそうねそうなんだ よさっき少し触れたんだけど義姉は神殿に 詳しい専門家の渡辺義博さんが執筆した義 は神殿の謎を得について少し解説しよう よろしくこの本では三国士の研究者が三国 の1次の歴史にのみ登場する山大国につい て解説しているさらに絶対に確実なのは 皇帝の証書に書かれていて山大国からの 贈り物とそれに対する判例品でこれらは 歴史書であるから編集せずにそのまま乗せ ているしかしそれ以上は当時の世界観また 当時の義を取り巻く世界情勢を抜きに和人 殿を読むことができないことを強調 ほうほうこれまでは和人殿の部分だけを 自説に有利なように自分の都合が良いよう な読み方が多かったことが予想される なるほどねまず三国士の著者ち久しの接し た思い元々は食感の主観だったのにつぎに 使えることとなりつまり義の精子という 正しい歴史ではなく王朝の正当性を述べる 歴史をかざるを得なかったという背景また 中華の外の脅威である遠い成獣北恵比寿 南蛮がいかに中国王朝の権威と特にひれし ているのかを強調ただ当時の現実としては 成獣は食管に接し難番は孫れに接し直接 つぎに接する期待ビスと遠いに当たる部分 の身が書かれているその1つとして邪は馬 国があることになるんだただつぎは食間と の対向上聖域の国に親木大月子王の称号を 与えこれに対応するのが神木王の称号と いうことになるつまり大月始に匹敵する東 の大国それも令法の行届いた御会ではない 大国でなければならない和は長寿の国不老 長寿の憧れの地でもあるんだぜええそうな のねそして当時の地理は中国を中心として はるかに広い地域が想定されていて大和も インドの苦な国に匹敵する距離でなくては ならないこのようなことから和の国までの 距離が逆算されるまたはか東南アジアの 少しばかりの知識から和の国の人たちの 種族も想像されることになるつまり輪は 実在していてもその一またその種族は珍珠 のイデオロギーの産物ということになる そうだということも鑑み筆者は山大国 イコールヤ説を取るそしてひこたちの シャーマン的内政と優れた外交セスも評価 するいずれにしても3世紀の本本のことが 断片ながら文書に残っているのはすごい ことなんだけどなちょっと難しそうな本だ けど時間がある時に読んでみようかしら それが良いと思うんだぜインターネットで 購入することが可能で電子書籍板も購入 することができるから誰もが手軽に購入 することもできるんだぜ分かった わここからはギシ神殿の謎そもそもギシ 神殿とは何なのかもう少し詳しく解説して いこう分かったわ最初も紹介した通り義姉 は神殿は3世末280から297年に中国 で書かれた秘書三国史の一部分珍珠という 人物によって書かれたんだぜ三国史の三国 とは中国に生まれた義5職の3つの国の ことでこのうち義について書かれたのが 義姉だやい時代の日本が分かる中国の秘書 には有名なものが3つあるそれぞれ漢女 地理氏ご関女伝三国士の義姉は神殿がある どれも聞いたことがある名前ねその中で とも日本について詳しく書かれているのが 義姉は神殿だ義姉は神殿の主な内容は 大きく分けて3つあるんだけどそれぞれ 和人の国々の場所や規模和人たちの移植中 の様子や風習和人たちの政治外交について だどれも興味深い身だしね義姉和神殿では 当時の日本という和国の政治について次の ように書かれているその国は元々男を追と した国だったところが今から70から80 年前和の国々に相談が起こり何年間も戦争 が続いた諸国の人々は共に1人の女性を追 としたその名をひこと言ったいきなり登場 するその国は山大国という国だと考えられ ているまた70から80年前っていうのは 具体的に期限170から180年頃だと 考えられていてこれはご関女当意伝に書か れていた同時期の日本の様子と一致して いるんださっきは一部実と異なっている 内容があるって言っていたけどやっぱり 信憑性の高さは素晴らしいものがありそう ね今回はやい時代の日本について書かれた 貴重な資料の1つご関女意伝について 分かりやすく丁寧に解説しているそれで 和国は乱れることになるんだけどそれは どうしてなのかということだ義姉は神殿に はその理由は書かれていないそのため はっきりとした理由は分からないんだけど 大きな理由は2つあるだろうと言われて いるどんな理由があるのかしら1つ目の 理由は五感の力が衰えてきたこと五感の 権力は10050年以降急速に衰退して 184年に公金の乱が起こると五間の国家 権力は崩壊その後中国では新しい派遣を 巡って義5職が争山国時代が到来この中国 の政治情勢の変化は日本にも大きな影響を 与えたと考えられているというのも和国に はたくさんの国が乱立していたので国々を 平和的にまとめるには互換の権力権威を 借りる必要があったんだぜ実際に九州北部 の国々は五官との関係を深めそれによって 他の国々というマウントを取ることでなん とか国々をまとめることができたんだ ほうほうもう1つの理由は鉄の合いが 始まったということだどういうことこの 時代鉄を巡る争いが激化したためと考え られている鉄がアジア大陸から輸入される ようになると人々は鉄の便利さに気づくん だなるほどね強度は完璧だし薄くしても 使えるし熱で形を変えれる日本人は鉄の 便利さに気がついてしまうんだそうよね気 や粘土とは次元が違うもの農具から武器 まで鉄はありとあらゆるところで使えるん だ当時鉄は簡単に手に入るものではなかっ たので鉄を巡って争いが起きたと推測する ことができる確かに当時は鉄が貴重だった だろうし欲しい人はたくさんいたはずよね それを考えると鉄を巡る争いが起きること は不思議ではないわそうなんだ山大国は 和国の対談を終わらせるため各国の人々は 考えた末山大国の秘を女王とすることで 国々をまとめようと考えた義姉は神殿は卑 の様子を次のように書き残している軌道を 使い人々の心を支配恒例であり夫を持た ない弟がいて国の政治を補佐鬼道とは呪術 などの道の力という意味つまりひこは 不思議な力を使って人々の心を掴んでいた ということこの不思議な力とは具体的には 自然界の霊や神々と更新する力のことだ今 を生きる私たちはこれまで蓄積されてきた 人類の英知のおかげで自身竜巻神雷といっ た自然のもいの仕組みを知っているしかし 当時の人々は自然の仕組みを知らず自身は 大地の霊の怒り神なりは天の霊の怒りと 考えていたかもしれないほうほうそんな 霊体とやり取りができたのがひこの力とさ れているひは霊感が強かったというのは 聞いたことがある気がするわただ実際に卑 に霊感があったのかどうかはっきりした ことは分かっていないま真実は別として 人々があの人は例と更新できるからあの人 の言うことには疑った方がいいと思って くれるかどうかが軌道で人々の心を掴む ための最も大事な要素になるんだえそうな のねつまりひこには人々にそう思わせる 不思議な魅力カリスマ性があったのかも しれないななるほどね義姉は神殿には弟が ひこを補佐したとも書かれているこれは卑 がシャーマニズムに特化する代わりに実際 の政治は弟が行っていたことを意味すると 考えられているんだえひこに弟がいた話は 聞いたことがあるわよこれらの話を まとめるとこんな感じになる和国の大乱を 沈めるため山大国のひこが女王になるひこ はシャーマニズムによって人々の心を掴み 国々の争いを終わらせ実際の政治は弟が 行っていたこんな感じだな239年ひこは 義に死者を送って義から審議は王という 称号とそれを証明する金員を授かるんだ これも知っているは有名な話よねそうなん だ私は義から和国の王と認められひに逆 うってことは義に逆うってことになるため ひこには安易に逆らってはいけないこう いうことが当時囁かれていたとされている んだぜほうほうこのように他国に対して 牽制をすることで和国を統一しようとした とされる卑は不思議パワーと外交パワーと いう相反する2つの方法を巧みに利用して 人々の争いを抑えようと務めていたこうし て和国は平穏を取り戻すことになる中国が 義5職に別れて争うようになるとこれまで 五間に復習していた国々では独立の動きが 見られるようになるんだぜそんな中逆に義 の参加に入って称号をもらおうとハバ海を 渡ってやってきた日本は義多いに喜ばせた 義姉は神殿には義は日本の死者を歓迎して 迎えたと記録されているつまり義重の外交 のタイミングも完璧だったわけだ 素晴らしいじゃないしかし和国の平穏は 長くは続かなかったそうだ240年頃山 大国とその南にあるく国が争いを始める 245年に日子は義にヘルプを求める義は 卑を支援する方針を決定しかしこれとほぼ 同時に卑はなくなってしまうんだあれまあ 山大国が昔のように男の王を両立すると 各国の人々はこれを不満に思い戦乱は激化 また女王のシャーマニズムに頼るしかない と考えた山大国はひこの娘の伊を女王に 選んだイは当時わずか13歳だったと言わ れているイはひこの娘だと言われており ひこの後継者としてはこれ以上ない人選だ イが女王になると再び戦乱は収まったと 義姉は神殿に書かれているんだけど シャーマニズムは戦乱を終わらせてしまう ほど強い影響力を持っていたことが分かっ ているいは母のひこに習って義との外交を 続けるんだけど義姉は人殿は266年の 義重の死者派遣の話で終わっていてそこ から先どうなったかは分からないんだイが 活躍した後の話は義姉は神殿に書かれてい ないどころか他の資料にも記録がほとんど 残っていないそのため300年代4世紀の 日本の様子は不明な点が多く謎の4世紀と 呼ばれることになったんだぜどうしてここ まで謎に包まれているのかしら記録がない 以上確かなことは分からないんだけどもし かしたらイの活躍が記録に残ったら都合の 悪い連中がいたのかもしれないよな なるほどねそして山大国には様々な謎が あるそもそも場所すらどこにあったのか はっきりとしないんだからなそうよね山 大国は和国統一の中心となる国であり おそらく当時最も力を持った国の人だった しかし義姉は神殿は肝心の山大国がどこに あるのかまでは記述されていない記述され ていたらここまでの論争は巻き起こら なかったでしょうねだなただ九州化機内の どちらかにあった可能性が高いと考えられ ておりどちらの説が正しいか今でも いろんな人たちが山大国の謎に向き合って いるんだぜ山大国の場所卑の人物像など謎 はたくさんあるんだけどそれでも義姉は 神殿が書き残されていたおかげで文字の なかった日本のよを知ることができている その意味で義姉は神殿は日本の歴史にとっ てとても大事な資料の1つと言えるんだぜ そうよね義神殿は山大国が日本のどこに あったのか未だに論争している遊園となっ ている文献だ中国古代子野助教など中国 思想が専門の研究者が執筆した書籍による と義姉は神殿は日本のために書かれてい ないということが分かるまあ日本人が書い た書物ではないんだからこれは当然よね何 度か説明しているけど義姉は神殿は中国の 精神の時代265から316年に書かれた 三国史という歴史書の一部だ三国史は偽書 5書触書と3部構成になっている後の時代 で三国史の義者は北である386から 534年の精子義者と区別するため義姉と 呼ばれるようになったさらに義者にのみ キスという野蛮な民族の列伝進化の電気が 書かれている精神の歴史家である珍獣の 表した三国士は歴史小説の三国史演技と 分けるために正子と呼ばれることが多いん だけど三国史は書かれた当初から正子で あったわけではなく式から始まる紀伝体の 師匠国家の正当性を示す秘書として正子と 呼ぶことは党から始まる皇帝の年代機と 列伝からなる機伝体は中国に複数の皇帝が 乱立した時誰を本義に記すのかにより政党 を表現する陳寿は義者3間触書15間五所 20間という産部構成で三国士を表し ながらも義者にのみ本義を設けたそれに より早々が基礎気づき消費が建国した葬儀 の政党を示すためとされている中国の生男 を支配した食管を建した有備も中国の盗難 を支配した孫を建した尊権も列伝に知るし 形式的には葬儀の進化として扱っているん だぜほうほうこれは歴史事実とは異なり 有備も尊敬も皇帝に測しているからであり 正子は正しい実を記録することで正子と 呼ばれるわけではない歴史事実と異なる 記録をしてまで正当を示す秘書である精子 には変更が含まれたとされている今回の 解説はこんなところだ霊夢何か感想はある かいそうね日本語の語言について色々と 考えさせてくれる内容で非常に良い勉強に なったわあと義姉は神殿についても詳しく 知ることができて良かったわそうかそうか それじゃあ今回はこの辺でご視聴 ありがとうございました
5 comments
神代文字・・・イヤナンデモナイ💦💧💨
そう
神代文字は白村江の戦い以降抹消された。
序盤の話はオノマトペですね(*^^*)
言語数でいうとインドヨーロッパ語族(?)の方が少なく特殊だとも言える。琉球語と鹿児島弁は、主語が「私」だけで動詞が目的語の前にくる点、近い言語だと思う。
ただ、鹿児島弁はほぼ外国語だぞ