Home » Announcers » 美人お天気キャスター » 北海道の稚内から沖縄の果てまで行ってみた!

北海道の稚内から沖縄の果てまで行ってみた!

by ANNAPOST



詳しくはこちらの動画をご覧ください。

観光誘致株式会社チャンネルを開設しました。ぜひチャンネル登録して更新をお待ちください。
https://www.youtube.com/channel/UCgg1UAcjYOzucdY9VRHxTiQ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
0:00 稚内→留萌
27:34 留萌→小樽
49:51 小樽→新潟
1:03:35 新潟→長野
1:26:35 長野→名古屋
1:48:23 名古屋→橿原神宮前
2:10:35 橿原神宮前→徳島港
2:28:50 徳島港→八幡浜港
2:46:46 八幡浜港→熊本
3:04:38 熊本→沖縄島
3:28:23 沖縄島→与那国島

スーツ旅行チャンネルでは旅行記、ホテル、旅館のレビューなどを掲載しています。皆さんの楽しい旅行の参考になればと思っております。
交通に特化したチャンネルはこちら
▶スーツ交通チャンネル→https://bit.ly/3dzDc5i

ホテルを中心に紹介するチャンネル
▶スーツホテル→https://bit.ly/40wXEMb

うるさいナレーションを排除した車窓チャンネルも試験的に運用しておりますので、宜しければご覧ください。
▶スーツ車窓チャンネル→https://bit.ly/3k0ZKit

〈連絡先・SNS〉
□Twitter→https://twitter.com/usiuna7991
□Instagram→https://www.instagram.com/suit_ryoko_channel/
□事務方の連絡先→https://as-douga.com/contact/

取材依頼や案件なども募集しておりますので、お気軽にお問い合わせください。ただ、私宛に連絡しても見逃す可能性が高いので、事務方の連絡先までお願いします。
※贈り物や差し入れに関しましては、現在受け付けておりません。

【広告募集中です】
各チャンネルにて、広告を募集しております。
私が知らなくても全国には行くべき場所、体験すべきことや商品がたくさんあると思いますので、ぜひPR手段として検討してください。
ご予算に合わせて各種プランを用意いたしました。詳しくは下記ウェブページをご覧ください。
□会社サイト→https://as-douga.com/

【スーツ旅行アプリ】
公式アプリ「スーツ旅行」をリリースいたしました。駅にチェックインすると、その駅にまつわるスーツの豆知識が読めます。旅のお供に最適ですのでぜひインストールしてください。

■ Androidアプリ
https://play.google.com/store/apps/details?id=com.su_tuapuri.SuitTravel

■ iOSアプリ(iPhoneなど)
https://apps.apple.com/jp/app/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%84%E6%97%85%E8%A1%8C/id1584092978

〈アフィリエイト欄〉
■Amazon→https://amzn.to/2WDfxLf
■楽天トラベル→https://bit.ly/3dIR1PS

このリンクを介して買い物をして頂きますと、私の懐に売上の一定割合が入ります。しかし悩ましいのは、協力頂いた皆さんには何の見返りもないということです。せめて皆さんから頂いた額を見て、視聴者への感謝の気持ちを忘れぬようにします。

※情報の正確性について
多くの動画に複数の誤った情報が盛り込まれています。そして大抵、視聴者から訂正いただいています。こちらではそのような有益な情報が判別しやすいようハートマークをつけています。

#スーツ旅行
#旅行

当社の動画で宣伝をすれば観光客で大繁盛 しかも訪れるお客さんはみんな親切な方 ばかりだと取引先の皆さんからもご好評を いたいておりますスーツチャンネルを使っ た宣伝は観光有地株式会社ま僕の会社なん ですけれどもここにお任せください ませ2024年最初の旅行は日本銃弾の旅 とすることにしましたえトロフ島に行く ことはできないので一般人の行ける北端稚 石から再生の米町まで移動してみました冬 の寒さんが厳しい北海道からいつでも 温かい沖縄県の西畑まで日本を人に数日の うちに移動してみることによって日本とは どのような国であるのか1つ勉強になれば 幸い ですスタート地点の稚内からゴールの米島 まではどのようにしたら日本の姿をよく 知ることができるだろうか慎重に検討して 有意なものとすることにしましたすなわち 安易に東京や大阪などの大拠点を経由する ことなく主要感染ルートも安に利用する ことのないよう注意しましたその結果今回 の動画は主に3編に分けられたと思います 稚内から長野県までの潮の道長野県から 九州にかけての中央構造線にソルトそして 九州から沖縄米国方面の日本の防衛ライン の3つです動画の中には主に3つのテーマ を組み込みましたので意識してご覧 いただけるとより楽しめるかもしれません 224年1月7日稚内桟橋にやってきまし た戦前にはここから鉄道と連絡しカラフト へ向かう連絡線が出ていたまさにその場所 です目の前には多少波が高くなっていて 近づくにはちょっと怖いホツの白波が寄せ てくる様子が見えますここからJR北海道 稚内駅まではすぐそばです今回の日本銃弾 は足元に気をつけながらこの稚内駅より スタートしたいと思います稚内の町は本当 に足元がツルツルで滑るので気をつけて ください1番最初に乗る列車の折り返しと なるものが今到着したところです これから先この普通列車は折り返し名行き となります稚内は旅行YouTuber 家業をやっていると何かにつけてよくやっ てくるところで駅ホーム場のこの看板JR 北海道日本西北端の駅北45°の表記もま いつも見慣れているようなものになって しまっていますがどれだけ慣れていても 乗る時には油断できません足の裏に くっついた雪をしっかり落としてから出 ないと床がツルツルになり滑って転んで しまいますこの車両の座席は新幹線で使っ ていたものを て変快適ですいよいよこれから先何千も 離れたとこにあります沖縄県は米島までの 第一歩が始まりまし た今日もjr北海道をご利用くださいまし てありがとうございます駅を出て少しする と稚内の港を一望できます夏の時期の 水ダコの客が全国1位だそうですその1つ お隣の南駅で降りてしまいました実はこの 日はまだ本当の出発ではなく1駅だけ南下 し南輪内で体制を整えて明日の朝明るく なった良いタイミングで出発するよですと いうことでホテルへやってきましたが ベッドはいらないと書いてありますベッド いるに決まってるだろなんてこと言うんだ と思ったんですが大丈夫です私の止まった わかないグランドホテルはちゃんとした ホテルでしたあのベッドはいらないって いうのは変わった名前のホテルに入って いるパン屋さんのお名前でしたここには 素敵なレストランもあり先ほど取り上げた 水ダコを冷凍して保管してくれているん ですねこの時期でも食べられるようになっ ています稚内に来たらこれを食べましょう と書いてありましたタコしゃぶほ豚肉の しゃぶしゃぶみたいな感覚美味しかった です ね2種類のソースを出して丁寧にもてなし てくれ ます他に稚内には謎の食べ物チャーメンと いうものがあり一旦麺を茹でた後さらに 炒めなければいけないらしくて結構大変 らしいんですけれどもチャーメンという ものがある中ではわっかないが全国で一番 その扱いが多いようです地下1200m から湧き出る温泉などに入りこの日はすぐ に就寝翌朝いよいよ出発の日ある2024 年1月の8日この日は成人の日です外へ出 ますとまだ朝の5時台ですから人々は 詰まっているかと思いきは全くの反対で むしろ今が1日の間で一番忙しい時間帯の ようにも見えます大型車が大量に集まり力 を合わせて除雪を行っています大量の雪が 降る日本西北の町ではこのように1日の 始まりの前にまず除雪を行ってからでない とその日のの活動をすることは難しいの ですこれは道路の上だけではなく鉄道でも 同じですこれから乗ってまります日本で 1番北を走る宗谷本線はこれまた全国で 唯一ご覧のような排泄列車ラッセル車が 毎日毎晩運行されるただ1つの路線となっ ていますこの列車は昨日の夕方にはか南方 の旭を出発しました除雪列車第371列車 で今一晩に渡る長いお仕事が終わり ようやく稚内に到着ここで反対からやって きました普通列車と行き違いを行いこれを 持って宗谷本線の朝は忙しく始まるという ことになり ます休まず動いているんです ねこのラセル車は南稚内駅までの運転で ここで持って終点となりとりあえず今から 車庫へ引き上げまた午後の出番を待ちます 都南稚内駅の方が終点の稚内駅より大きい んですね [拍手] [音楽] このように昔ながらの機関車がラッセル車 を押したり引っ張ったりしながら雪を どかしていくという光景も近頃ではもう ほとんど見られなくなりましたがまだ 北海道西北部の東谷本線では見ることが でき ます3名の運転手さんたがラセルを操して のお仕事をなされていましたまずはここ まで旭からお疲れ様でし たそしてようやく南の空が明るみを帯び 始めましたただいまの時刻はすでに午前6 時39分です日本で1番北にある稚内の 日の出は午前7時13分日の入りは16時 7分と冬のこの時期日勝時間があまり ない日本でもなかなか体験することのでき ない短い1日を過ごす街となっています ようやく始まった1日暗い間に人々はもう 盛に動くようになっていてこれが事実上私 にとっての1番列車となるでしょう旭行き の特急列車サ別2号です南稚内を出た時点 ではガラガラでした北海道の中でも特に 最果てと言える場所にあります稚内の人 たちは移動するのに早起きをするのが 当たり前だと思います朝6時代のこの特急 に乗ったとしても札幌に着くのはお昼前 ですここで進行方向の左手小がちょっと 透けて見えるような場所がありますがここ から左手方向にかつて天北線という別の JRの路線が分岐していましたかつては 鉄道が2つあったのですこの辺りでは東の 天北線中道の宗谷本線そして西野道の羽線 と3つの鉄道がありましたが現在は宗谷 本線1つを残して全部配線になりました そしてこれから先は西側のルート天北線の 大体交通を使って札幌を目指します スマートフォンのアプリを使えば今自分が どこにいるかを大体ることができますが ただ右上の電波状況をご覧ください アンテナが全く立っていませんこの宗谷 本線は全国でも珍しいぐらいの電波状況の 悪い路線です進行方向の右手に昨日見たの とは反対側ホツの反対側の日本海が見えて いるはずですが天気が大変悪く海がそこに あるのかどうかすらあまりよくわかりませ んでしたま昨日海なら駅前でも見ましたね 列車からの景色はそれほど今よくありませ ん木が周りにたくさん生っていて視界を 奪っていますしかし一瞬だけが途切れはか 遠の東大の明りなども見えてきたようです これはどういうことなのかと言いますと実 は線路の周りにわざとたくさんの木を植え ています鉄道林ですこれによって冬の 激しい風や雪嵐などから鉄道を守るための 昔の人たちの涙ながらの工夫なのですです から景色が悪いというのも一口で言っては よくありませんねまもなく廃止になると見 られているばか駅を通過しますそれを映像 に撮ろうと思ったのですがちょうど車掌 さんが検察にお越しになりました鉄道営業 法で察に応じなければいけないことが定め られています撮影はうまくいきませんでし たねまその代わりに過去に撮影したものを ご覧いただきたいと思いますこれ雰囲気の いい駅だったんですけれどもま合に やっぱり利用者が全然いないということで 配信になる宗谷本線にはこのような駅が これから先いくらでも現われますまずは 朝ご飯としましょう北海道代表する コンビニセコーマートで購入しました チョコクロワさんえ203NHとか書いて ありますが132NHで購入することが できましたえそれからチョコチップメロン パンこういう体力のつきそうなパンをお腹 にガチッと入れてセコマートの緑茶で 閉めるというのがいい北海道の食事ですよ 宗谷本線を取り巻く経営環境については 大変厳しい状況が続いていますこの特急 サロ別号もいくつもの駅を通過していき ますがそのほとんどが廃止になる見込みの ようです今通過した有地駅は廃止になる 見込みが今のところないということで むしろ注目されるぐらいです次に通過して いるこのカブトの馬はここもちゃんとした 駅舎が立ってはいますがどうも北海道新聞 の報道によると廃止になるのようですね もちろんすでに廃止になったという駅の 跡地も見られますここに機械室だけが設置 されていますが元々あそこには20年 ぐらい前に廃止されたのかな芦川という駅 がありましたが駅前にはすでに集落も なくなっているようです北海道のローカル 駅は駅の真正面に集落が作られていると いう例が多いですまず鉄道駅を作ってそこ を開拓して人々が住むようになったという 歴史的な経緯から北海道の駅には目の前に いくつかの民家が並んでいるという パターンが多いです駅が廃止になった後も それらの民家は残りまるで駅があった時の 風景が抜け殻のような形で見ることが今で もできますここに元々特立駅があったん ですねその駅は割と最近に廃止されました が特立駅周辺の民家は今も残っています このような区間を走る中列車は特急の停車 するような大きな町豊富に着きました豊富 温泉は日本最北の温泉地と呼ばれており 独特のお湯川面白い場所です駅名の看板を 見ますと隣の駅が廃止されたので今駅名が 1つけえられてカブト沼駅となっています しかしこのカブト沼も下沼もまた廃止さ れる見込みだと既に報道が上がっている ところだそうです今北海道で鉄道について の話をするならば何度も廃止という言葉を 口に出すことになるでしょうしかし鉄道の 利用者はすでに小さな駅においては ほとんどゼロになっていてようやく実態が 事実に合ってきているのかもしれません 停車 列に到着しますこのホで列車を降りてバス に乗り換え最短ルートで札幌方面を目指し ますこの幌駅に到着する手前のところでは しばらく鉄道林がないところがあり北海道 の北部らしい永遠と続く広大な大地を見る ことができました列車は幌延に着きました 南若内を出て以来の拠点的な駅この駅には 駅員さんもいます最も最近週1日定休日に なったようで今日がちょうどお休みの日だ ということで無人駅としての営業でし たここまで乗ってきたサ別号の旅がおよそ 1時間でしたがここで降り ますなかなか札幌へ向かうのにここで 降りるという人はいないと思いますここ からが今回の日本団の本番と言える でしょう乗ってきた261系は現在北海道 の各所で見られる車両です が加速力が高くあっという間にホームをい なくなる性能の高さを感じられ ますこのはちょうど北井45度に当たる町 でまっすぐ南の方から登る朝日を見ること ができまし た雪に包まれたこのホーム列車が離れれば すぐ無音の世界になり ます本日は無人駅として営業しているこの ホノベ駅はまそれでもどなたか管理の方が 来てくださるようで充実したベンチ スペースに暖房もかなり温かくしてくれて いました列車の本数が少ないとはいえ主要 域の異言を感じます駅での宿泊はご遠慮 くださいあ確かにこんなにいい小座敷の 待ち合いスペースまであったら寝たくなっ ちゃいますね夜中も空いて るってことなのかな これから先の乗り換えに際してトイレに 行って準備をしておくことにしましたうわ いいトイレだ便器だけは新しくなってる ようですけどこれですよスガ神ガムなど 捨てないでくださいうわなんだこれは グリーン車のマークがえあの男性トイレで ね狙いの的を設置してるのってあります けどグリーン車のマークとは意味ありげ グリーン車に乗ってるお前みたいなエロ そうお前をこうしてやろくしみたいな感じ なかなと思いまし たさてホの1日の利用者数はわずか22名 ですがこの駅舎が作られた時点では数百名 ぐらいいたと思いますまた北海道北部若井 方面から札幌へ向かう場合今は宗谷本線 しかないので強制的に旭川経由となります が1987年までは羽線という別のルート もありこれでルモイを経由していった方が 実は距離が短かったそうですそして現在 自動車で行く場合はやはりルモイ経由が 最短ルートとなります 1987年にハボ線が配線になった後それ で終わりではなくその後を受け継いだバス 会社がありました女性キャラクターが 出迎える沿岸バスですバスの運行本数は かなりたくさんありますがすごいですよ こっから路線バスに乗りますと次のルモイ まで3時間26分も路線バスで走り続ける というのです3時間も乗る割には220円 と運賃は安めではないかと思いますこれが 高速バスではなく路線バスなのですか しかもなんかちょっと高速バスみたいな 車両で来るのかなと思ったら思いっきり 普通の路線バスで来るんですねこれは なおさら乗りがありそうですということで これから先北海道の左上部分を走る超 スーパー長両線バスに乗ってルモイ深川 経由で札幌をいたします昔実際に使われて いたルートをたどりそこにあったものを見 てみたいですところがバスに乗ると早速 驚かされました車内でラジオが流れてい ますそれ普通なんですかか遠くのルモイ からラジオの電波が届いてそれを車内に 届けているようです暇つぶしにはちょうど いいですねここで宗谷本線と別れしばらく はハボ線の配線後にそう旅が始まりました 北井45°通過点とありますねそうなん ですか目的地の米国は北井24°ですさて 羽線は配線になってはしまいましたが しかし今なお役に立ち続けていると言え ますどういうことでしょうかこれから先 バスは自動車専用道路みたいなかなり しっかりしたバイパスの区間へ入るんです がこの波防災という名前の道路は元々波線 が通っていたその配線跡をそのまま活用し て作られているのですそしてこの道はただ 土地を活用したというだけではありません あの植えられている木は元々羽線を守る ための鉄道林だったというのです鉄道時代 に疲れた資産が今でもそのままたどれる ようになっている面白い区間そして地域の 役に立ち続けていますここでバスは手川を 渡ります川は今凍結し表面に雪が積もって 白くなっていますまた向こうには私が今 渡っている橋の前の橋ですねまだ残って いるみたいですがすでに廃止になっている 珍しい光景を見ましたそして今渡った手川 もこの辺りを開拓した大変重要な川です からご案内したい です現在稚内から札幌方面に向かう場合 宗谷本線などを使って南下していくという 動きが当たり前になりますしかし開拓が 進んでいなかった頃道路や鉄道はなく 使えるのは日本で4番目の長さを誇ると いうこの手川だけでした川を交通手段とし てではるかナオやビフなどの町から日本海 に注ぐ町手まで川下りをするという動きが 普通だったそうです人の流れが逆だったん です ね町へ入ると大変立派な元役場らしい建物 がありましたこんな赤レガの建物は相当 立派ですまだ日本が貧しかった時代に こんな赤レガの立派な建物を建てたそれ だけ鉄塩の港は重要な横あるようになって いたということですね手を出まして左手を 見ると丘の上に1筋平らな横一線に 切り開かれたような土地がありますあれが 国鉄ハボ線の配線後でしょうさて現在地は 鉄使用の1つ南の町隣町の遠別です北海道 を車などで旅しているとはっきり隣町と いうのが分かるので面白いですね町同士が ポツポツと点在しているのですまるで アメリカを旅しているような気分です遠別 のバスターミナルへ入るところで右手に 並ぶ農業倉庫が目につきましたおそらく 元々は国鉄ハボ線から貨物を積みあしする ための倉庫だったと思います現在地はハボ 線の配線後駅の後地ということになる でしょうここでバスは4分間停車するよう です運転手さんが僕の方を向いて数字の4 を示して頷かれましたお4分停車元のあっ た駅は全て解体されてしまっていますが 跡地がバスの待合所になっていてここで トイレに行くこともできました途中ただ1 回だけあったトイレ休憩です国鉄線の配線 後はこのように今も切り開かれてバスなど の交通ターミナルの乗り換え拠点として 運用されているようですさて遠別の街を出 ますとしばらくの間まっすぐ進みます が道がまっすぐなのもすごいし上に赤い 矢印がいくつか並んでいます雪が積もって 路肩がどこにあるか分からないようにする ための工夫ですねまた緑色のピンというん ですかねなんかいくつか横にボールが立っ ているのも見られました最近は矢印では なくこういうLED表示の機械を横に設置 するのが主流のよう ですなおこのから南方にある別までの区間 は戦前のうちには鉄道が開通しなかった 区間ですつまり戦後の技術が比較的高まっ た時代になってから鉄道が建設されたと いうことで結構立派な作りが残っています うわこれはいかにも立派な鉄道配線跡だと いう羽線の移行がこれから先進行方向の 主に左側に頻繁に目につくようになります つまり円別から所産別別までの間がこの バスの景色の1番の見所となるでしょう左 にポツポツ なんか草みたいなのがうわってるところも このトンネルのところももちろんハボ線の 配線跡ですね相当立派なトンネルですね 戦後の建築だと分かり ます景色の見所はやはりここではない でしょうかハボ線が緩やかに左カーブを 描きまもなく日本海に沿うように進もうと いう区間この橋は景色の良いところであっ たようで国鉄ハボ線が廃線になる時国鉄が 乗客に対し配布した記念品の写真撮影 ポイントにも選ばれたようですこの コンクリート作った洋平の上にアポロ線が かつて通っていたようですつまりバスより も1段高いところを鉄道はかつて走ってい たようで右手に見える日本海の景色もよく 見えただろうと思います今日はそれほど波 が高くなく寒々しくも穏やかに寄せてくる 日本海の砂浜の景色をご覧になれます つまりこの辺りは砂浜なわけですが使い にくい海でもあったはずですというのは 砂浜で水深が浅く大型線を入れることが できませんですから船で荷物をたくさん 運ぶということができず代わりに鉄道の 建設が急がれたようですじゃあ何を運んだ のかと言いますと間もなく到着する別の 名物石炭です1930年代にここから先の 区間は開通していましたまもなくバスは別 郵便局を通過しますがこの辺りから昔鉄道 がさらに分岐していましたここから山の方 へ行った別炭鉱地区では昔優れた品質の 石炭を算出していましたたくさんの人が 山奥に住んでいて百貨点なる建物もあった ほどかなりの賑い用だったようです もちろん炭鉱には今もう誰も住んでおらず 当時の建物が廃墟のように残っているだけ だと言います山を降りてきたここ別の駅 周辺駅跡地には昔大きな鉄道施設があった ようでおそらくこの郵便局が当時の名残り として残っているだろうと思います戦前の 郵便局は鉄道と一体的に使われていました からねあの山の方に別炭鉱という地区が あるそうです向こうに見えている木など スーパーサイヤ人のようにつまり頭が まるで寝癖がついた人かのように品がって しまっていますがこんな風の強いところで も石炭が魅力的だということで昔人は住ん でいたんですねとここでバスが一旦停車し たかと思えば何度後ろから同じ会社の沿岸 バスの特急便が追い抜いてきました私の 乗っている便の他沿岸バスでは札幌方面へ 特急稚内号や特急ハボ号など活発に運行し ていますそしてどうも私の乗っているバス がま普通列車に相当する便で前を行ってる バスが特急ですから特急待ち合わせを行い 道路場で追い抜きを行ったようですこんな 光景は初めて見ました色々な長距離便を 運行している沿岸バスならではだと思い ました2台のバスはそれぞれ 仲良く沿線1番の主要な町ハボに入ってき ました国鉄ハボ線の名前の由来にもなった ところ石炭と漁業などで栄えた重要な街 です隣にある特急のバスに並びましたが 結局私たちの乗っている各駅停車タイプの バスの方が停車時間が短く先に出発しその 後かつて国鉄ハボ駅があった跡地の町の中 のターミナルにやってきましたハボは 大きな町でバスターミナルが2つもある ようですこの目の前に大きな壁があります がここに昔このようなサイズ感で国鉄ハボ が存在したようです今その跡地は雪捨てと なっているようですまた使えるところは バスのターミナルとして使われここで運転 士さんがついに交代されました僕の乗っ てるバスの運転さんはずれてきたはずで ここで交代した方がのルモイまで担当され ますここから先の景色は爽快そのものバス はここを安全に持続50kmぐらいで時間 通り走っていきます遅れないんですね ちょっと遅れるもんかと思いましたが反対 のバスも時間通りだったみたいですさすが にこの辺りは気象条件が厳しくお家の目の 前にはいくつも壁が備えつけられまた畑も 壁で守られているように見えましたこれで は大変です ね冬の時期特に強くなってくる日本海から の 風抜群の守りで固められてい ますそんな中で途中に交流施設を見つけ ましたがクルと書かれていますクルとは何 なのかこれですね海が真白に染まり2が 繁殖している時の光景です北海道北西部で は昭和20年代頃まで毎年春に大量の2が 押し寄せていましたこれを一も打にする 仕事を1ヶ月すれば1年分の稼ぎを得る ほどであったと言いますその漁師さんたち が発動の拠点としていた西新後店もしくは 西バヤと呼ばれる建物は今でも北海道北西 部に多く残されています日本経済連盟期の 1つの拠点たる姿ですそしてその中でも 最も立派な建物はここハボのまさにはバス が止まり私が目の前に見ることができた この建物なのだと言います岡拠点に毎年2 両が忙しく行われ加工された肥料が日本 海側各地に運ばれていきました今冬です中 を見学することもできませんが冬に使う 建物ではないのでそれもそれらしい姿で いいと思いまし たこの西万屋は北海道内にいくつか見学の できる場所がありこの写真で紹介させて いただいてるのは前オタルで見たものです ここで2心を取ることが日本経済の1つの 言動力だったんですねレブン島にもユス ホステルとして転用されている有名な建物 があります ねこの辺り並行する羽線の線路はちょっと お家のウラぐらいのところを通って1段 高くなっている道があるんですが分かり ますでしょうかここを見ていただければ 納得この辺りの区間は戦前のうちに開通し ていましたですからそれだけ設備も古いと いうことで逆にがっちりとした構造物は あまり残っていません右手に見え続けて いる日本海は確かに春になれば2が たくさんやってくる余裕味であっただろう と思いますが延々と砂浜が続いています これでは大型線を切断できるような場所も 全く見つけるができません昔せっかく取り た2や石炭を運ぶのもだいぶ苦労していた だろうと思いますしかしこの先にいい場所 がありますバスは間もなく区間の終点 ルモイ市に入りますハートな形をしている ようなルモイはルモイ川の加工に設けられ た港町で拠点的に古くから整備をされてき ましたですからかなりきちんとした船の 雪がスペースが設けられているのです50 年ほど前の航空写真を出して岩壁の辺りを 拡大してみますと黒い荷物で岩壁が いっぱいになっていますこれはつまり別や 羽で取れた石炭もしくは山の方で取れた 木材などを持ってきてここから外の世界へ 積み出しているわけですこの辺りには ほとんどまともに使える港がなく砂浜 ばっかりだったという中でルモイは古く から川を拠点に使える港として戦略的な 整備をされ続けてきたのでしたそして今で も極めて重要な役割りを持っています わっかない以来のいや輪っかないをもしか したら上回るかもしれないかなり充実した 設備を見ることになりました北海道のこの 辺り温めるためにとても重要な石油ここに 大型線で運んできてさらにタンクローリー に積み替え厳しい冬の中敵を待っている人 たの元にこれから届けられていくまさに その準備を行っているところを見ましたユ をかな大型貨物自動車がいくつも港の荷物 を受け取りさらに北海道の新部を目指して 進んでいきますこれまでには見ることの なかったセメント工場建物を作るためには セメント工場はある程度ので作る必要が あるそうですがその拠点を置くとしたら やはり港の優れたルモイの地ですこのよう なわけでルモイはこれまでに全く見なかっ たような都会的な景色がいくつも続き ますですがちょっと今日は天気が悪すぎ ましたねものすごい強力な防波堤とかも あるのですが見たかったもの1つは見る ことができました右手は国鉄ハボ線左手は 国鉄ルモイ本線の配線後ですもう鉄道は 完全に役割を終えまし たさらに手前にもう1個鉄道の配線跡が3 つ並んでいるみたいですね手前にもう1個 配線跡らしものがありますしかし鉄道が どれほど大きなやわを担っていたかという ことも感じられましたGoogleマップ で拡大してみると配線アが見事に港の あちこちへ化し線路が伸びていた時代も あったそう ですこれまでに見ることのなかった集合 住宅大型マンションを見ましたこれまで 通ってきたような北各地のののとなって いるですからこのように色々なものがある のも納得大都会です大江戸カラオケ カラオケ屋さんもありますねういプラザ2 階建ての綺麗なお店が入っています そろそろ私もこの長く乗り続けたバスを 降りることにします次に降りるのは井駅前 場すなわちJR北海道井本線の井駅で 降りることにし ますで持って波線の旅は終点となりまし たみにのはできそうな場所は1か所しか ありませんでしたのでまトイレはよく気を つけて利用した方がいいかもしれません ねルモイの町には初めて来ましたがここが 中心街のようです駅前自由市場とか書いて ありますが雪がわっかないては比べ物に ならないほど多くこんなに多いのか街が どのようになってるかも見渡すのは困難な ほどの高い雪の壁に阻まれましたが化線と かに緊急用のものはちゃんと除されてい ましたそして駅にきましたがは列車には 間に合いませんでし たというのは列車にあと1歩タイミングが 遅く乗り遅れてしまったという話ではあり ませんこちらJRルモイ駅と看板があった のを取り外した後がありますすでにル駅は 廃止されてしまったのでしたこのおよそ1 年前2023年の3月を持ってJR北海道 井本線井駅は業この町に鉄道はもう来なく ななりました路線後と配線になったわけ です本線の名前を受けこんな大きな駅舎を 持ってあちこちに線路を伸ばしていた ルモイ本線もついに平和の時代になって 役目を終えることになったわけでしたと いうことで鉄道での移動はまだできません から他の方法で移動するために歩いている のですが思ったよりも雪が激しくも動物の 足跡を頼りこっちに道がどうもあるらしい ということを参考にして進んでいった ところあると思っていた道はどうもただの 獣道で冬の時期には道は完全に除雪されず 雪捨て場として埋まってしまっている らしいということが分かりましたここを 迂回していった場合には大変な遠回りをし ないといけないので私は歩前身のような形 で2mほどある雪の上によじ登ってここを 突破しました雪の山の上に登ってみると 完全に除雪されず土行きの中に埋めて何が なんだか分からなくなっているル駅と反対 側かては貨物列車などが忙しく走り回って いたと思われる本線や波線の廃となった 鉄橋が残っている様子を見ることができ まし た雪と貸していた雪山から歩いて降りて くるとあらなんか横のバーが立ち入り禁止 だったんですかねでも歩道と横の線路の ところと全部雪捨て場になってしまって いるのでまあ不可効力でしょう僕は歩道を 歩いたつもりでしたさてそんなに遠くあり ません道の駅へやってきましたここでまず お昼ご飯を食べてルモイの名物も知り ましょう中はよく整備されていました この間配線になったばかりのJR井本線に ついての記念品ルイ駅で営業していたお麦 屋さんもここに移ってきましたここからは 奥に集合住宅が色々見えますが昔は鉄道 係員の人もいっぱい住んでいたんじゃない かと思いますお昼ご飯にいただくのは もちろん2そばですルモイも2の取れる町 として大変強い力を持っていまし今でもを 取っているということでも注目に値する 場所 でしょう周辺にはほかないとか良いおばの 取れるところがたくさんありますから まさに地元の名物でしょう味はかなり おいしいですルモイの町の発展の経緯に ついての展示が道の駅の中にありました 元々はこのように川が海へ流れ注ぐだけ でしたが最盛紀にはこのように川と港 そして鉄道が複雑に入り組み特に鉄道網の 充実ぶりは半端ではなかったようですこれ らが全部なくなってしまったというのは 知識としてはよく分かりますが感覚として は全く信じられないものでありますまその 代わり自動車が便利になったわけです ねということで鉄道にとって変わる今の 時代の主役であります自動車に乗り換えを しましたこの自動車とは何なのかと言い ますとでこれ実はま今回日本中団の旅を するためにまず北海道に行く必要があり ますが羽田空港から千歳行きの飛行機に 乗るとなんとお隣の席が知り合いの方で しかもちょうどこの辺りの方でしたであ じゃあスーツさんルモイに行かれるんだっ たらルモイから車でお送りしますよえいい んですかありがとうございますということ でなんと車で乗せていただいてしまって いるのですさあじゃあこっから先はどう するのかと言いますとこのルモイには最近 高速道路ができました無料で乗ることが できますそうルモイ本線は廃止になって しまったかもしれませんが最新の移動手段 高速道路が無料で利用できる状態で整備さ れたのですですからルモイの交通事情は して悪いニュースばかりではないという こともお伝えしておきますむしろ全体で 言えばますます進化しているルモイの交通 事情 ですこの高速道路を深川ルモイ道と言い まして山を簡単に超えて日本で2番目に 大きな石平や深川までのアクセスを提供し ていますその周辺には港を持っていない 内陸の大きな町がたくさんありこれらの町 とルモイの港をつなぐ重要な役割を追って いるわけですですからルモイ本線が なくなるともこの辺りの三筋は大切なもの であり最新の高速道路という形に アップデートされましたこれから山を越え て日本海側から内陸部の石平野へと抜けて いき ます大体こっからあとわずか36分で抜け ていってしまうそうです目的地は石狩沼田 の町ですトンネルはいくつか続いています ル本線時代よりもだいぶスピードアップし ています大和田トンネルここがおそらく 日本海側と市ヘア側を分かつ一番重要な トンネルでしょうこれを抜けると石の方に 入ったらちょっと雪が減ってくるよ運転し てくださった方教えてくれましたままだ山 の上の方ですから標高が高く雪も積もっ てるようですがもう日本海側の空気も届き ませんこの高速道路を全て進めば深川の町 へ出ることができますが私はお願いして その手前石狩平屋に入って山を越えて最初 の町沼田で下ろしていただくことにしまし たインターチェンジから一般道へ沼田は例 によってかつて炭鉱の産業などで栄え大変 な賑いを見せていたというこの辺りの交通 の設点ですそして現在のところはまだこの 沼田から深川方面にかけてはル本線が残っ ています最もこれも廃止になる運命は すでに確定していてそう長く見続けられる 光景ではありませんが石沼田の駅に下ろし ていただきまし た駅名の案内看板も一部掛け替えられてい ます井方面の線路は配線になったのでここ 石沼田が終点となりました沼にはもう結構 人がたくさん住んでいるのでまだ地域交通 として使われているんですね自動車乗務員 休憩室と書かれています昔国鉄バスがあっ た時代の名残りですその国鉄バスももう 廃線になったんじゃないかと思いますここ から殺生線という札幌への別の路線も分岐 していた時代があったんですねもう残りの 命も長くはないルモイ本線の普通列車が やってきました昔はここからルモイハボ さらには幌延稚内へ鉄道が運行されていた と言いますがま最後の灯しが消える前に 列車の動いている姿を見ることができたの は良かったと思いまし た大量の雪に包まれた沼田駅はほとんど 列車の走るような音も聞かせず静かに入っ てくるのがいいですよね音が聞こえ始める 瞬間を聞いてみて ください 雪というものがいかに周りの音を吸い込ん でしまうかというのを感じられる瞬間でし たこの光景を見ながら沖縄に行くというん ですからすごいですよ ね日本は意外に広いものだと思わせてくれ ます乗る時には毎度気をつけましょう本当 にこれ気をつけてやった方がいいですよ靴 の裏の雪をしっかり落としてまもっと ちゃんと落とした方がいいかもしれません ね 整理券も忘れずに取り ますルイからここまで送ってくださった方 にお礼を言ってどうもありがとうござい ましたもう列車の走ることのないルモ方面 の線路を見ながら列車は深川までのわずか な距離へ進みましたありがとうございます 普通列車深川行きです途中北鉄にはりませ ん先ほどの高速道路など充した道路が横を 行しています運転してくださった方の情報 通り列車が石狩平屋の歩みを進めるにつれ て天気は良くなってきていますさっき トンネルをいくつも抜けて超えてきた山が 日本海からの湿た空気をブロックしてくれ ているのではないかと思いましたルーモ ほどすごい天気ではなさそうですね時速 80kmと快適な走りを見せてくれてい ますもうほとんどの区間が配線になって しまった残りわずかな命とはいえこの路線 の名前はルモイ 本線特にこの区間は線路も真っすぐで高速 で走れますね横にはこの後を今現在担って おります高速道路と並行してい ますこの列車は普通列車ですが通過駅が あります沼を出て最初の途中駅北ジップ別 です小さすぎてよく目を凝らしていないと 分かりませんこれです国鉄がJR北海道に 分割民営化されるまでの間仮上行場という バス停みたいなちっちゃい駅があてそれを 格上げしたものですね利用者はほとんどい ないと思いますこれに対してそのもう1つ お隣のチップ別は周りにたくさんの農業 倉庫のがある主要駅の様子を見せています 今は最も利用者はだいぶ少なくなって しまったとは思いますが今でもこの駅から 通学をしている人は多いはず ですこれがチップ別駅舎ですねおそらく 戦前の時代に作られてずっと同じものを 使い続けていると思いますがかなり立派な 作りちゃんとした駅があります送って くださった方の話ではこのチップ別駅前も 炭鉱があったような頃人が大勢歩いていて 車なんかなかったしみんな列車に乗って 列車も4両か5両繋いだものを立って乗る ような感じでであった大人がいっぱいいた という話でしたお隣の北一案も立派な戦前 に作られた古い駅舎を使い続けているよう ですが井線と同時に深川ですその役を 終えることでしょう全てのドアが開きます またここで気になる車内放送が流れまし たお客様にご案内いたしますこの列車は 終着の深川駅到着後お客様がお降りになり ましたら一のドアを締め切ります降しの 列車をご利用のお客様も恐れ入りますが 一度ホームにお降りくださいお降りの際に は手荷物も必ずお持ち ください手荷物による座席の確保はおやめ くださいご協力をお願いいたし ます日中の時間はもはや乗客のほとんどが 鉄道マニアとなっていて必要でこの列車に 乗っていると人はもうないようですその ため鉄道マニア同士のトラブルなどを防止 するためにもあのような放送がかかって いるの でしょう今や日中の時間ルモイ本線に必要 で乗っている人はほとんどいないようです その代わりにたくさん乗っているのが鉄道 マニアの人たちでマニアの人たちは同じ 路線を何回も乗ったりすることもあるので こうした放送がかかるようですちょっと 寂しいなと思わせる景色もこれまで たくさん見てきましたがここからは少し 感じが違ってくると思います石平や中央部 に差し掛かりさっきとは天気も変わり紐 さすようになってきました 列車はなく函館本線と内陸深川に到着し ますから続いた鉄道の旅もここでり [音楽] です [音楽] 券本線と函館本線の合流する深川は函館 本線取れる町から貨物列車を出発させる 大切な役目を昔持っていました今利用する 人もだいぶ少なくなったと思いますがうわ すごい数の人が向こうで特急電車を待って います私もこれからそれに乗り換えここ までは鉄道マニアの人がちょっと乗って いるぐらいのガラガラの1両の列車でした がここからはどうも随分感じが違うよう です自分が席に座ることができるか心配し なければいけないかもしれません右手1号 車左手6号車です 6号車という案内放送を久々に聞きました つまり6両も連結しているということでお 客さんもそれだけたくさん乗っているわけ ですご注意くださいこの特急来号は北海道 1番の津札幌と2番目の大都会旭川を連絡 し30分大きに走り ますわ結構混んでいるみたいですねもう 窓側の席は全部グリーン車も含めて いっぱいでしたということでデッキに立っ てこの辺りの景色を見ながら行くことにし ましたでもデッキの窓だけは汚れてるん ですよね普通の窓は綺麗なんですがま ちょっとこのデッキの窓が汚れていると いうところは今無視して今から渡る川の 景色をご覧いただきたいと思いますこれは 石狩川です品川は常川に続き日本で3番目 に長い川となっていますこの広い石狩平屋 をうろしています石狩平屋には人が たくさん住んでいる街がいくつもあります 続いて列車は滝川に着きました向えの ホームに停まっている普通列車は4両も 連結していますそして人がものすごい数 こんなにいっぱい乗ってくるのかもう車内 には座るところさえありませんこれはこの 日大行で高速が使えなくなっていたという ことが深く関係しているようです続いて 砂川に着きました始発駅の旭川から続く駅 深川滝川砂川と川の存在感が大変濃い地域 です横にある石狩川がこの辺りの歴史の 主役でずっとい続けていると思いますこの 広大な石狩平屋は線路を左右に曲げて敷く ような必要もなくひたすらまっすぐ特急 列車は一直線に最高時速で突っ走ります かつて日本で1番早い列車がここを走って いましたがJR北海道での事故が続いた ことを受け持続130kmから120km に最高一速を落とし今その範囲で走ってい ますとはいえ早く景色もいいですまた だいぶ景色は晴れてきましたこの辺りは 元々農業に向くような土地ではなかった ようです広い土地があるから農作物を育て やすいのかと思いきや一面の湿地体でお雨 が降ればすぐに光川が溢れてしまい農作物 も流されてしまったそうです川を改造する 工事を繰り返し施して現は米もいが取れる ということで日数の国地に成長しています 北海道は恵の大地のような印象も持ってい ますが冬になれば雪が降って作物は育て られず夏になれば雨が降って作物も育た ないということでかなり大変な土地が 多かったようですまレガの倉庫が見えまし たがその大変な思いをしていた人たちも 使ったもの でしょうすっかり今では良い土地になり 全く昔の使いづらい湿体という雰囲気では なくなりました向うにはが美しく見えい ますがあの山の裏側には日本海がありまし て雲もつっているのが見えます多分山の 向こうから日本海の湿った空気がやってき てあそこでブロックされてこちら側はよく 晴れているということではないでしょうか さっきルモイまではひたすらドテの中バス で走ってましたからねこの辺りはさっき雪 が大量に降ったようでちょうど私今先頭 付近に乗っているのでララ号の足元雪かが 横に雪を強く跳ね飛ばしている光景を見る ことができました北海道はかなり寒く雪が 湿っているというよりもむしろパラパラの 粉雪が降りがちだというのが知られてい ます雪室の良いスキー場がたくさんある そうです岩見沢に到着しました北海道開拓 の象徴星のマーク昔あそこ鉄道工場として 使ってたんですね今も使ってるのかな観光 名所としても案内されていますこの岩見沢 は鉄道の町で昔は周辺にある炭鉱から大量 の石炭運搬列車がやってきていたのですが 炭鉱は全部閉山しました今はベッドタウン としての機能があると思いますさてあと 30分もしないで札幌に到着するはずです が雲行きが札幌方面は怪しくなっています この石狩平屋はま結構地形がバラエティに 飛んでるようで天気の変化も面白いですま 赤連が倉庫がありますね見ときましょう 100年ぐらいは使われている貴重なもの なはず [音楽] ですエベの辺りになりますともうすっかり 天気はどんよりとした感じになってきまし た向こうに社長橋が見えますがあの下に 石狩川が流れこの特急列車と並走してい ます現在地付近はやっぱり日本海岸に山が ないからだと思うんですよねそこからめ 空気が入ってきて時より大きに発生すると いうことがあるみたいです北海道の特急 列車は内地と比べ物にならないほど雪対策 が充実しているのでこれぐらいは平気です そして数走るとすぐに海晴の天気に変わり ましたあれさっきまではどか行きだったの にやっぱり石狩平屋の天気とは分からない ものですともかく200万人が進みます これまでとは比べ物にならない圧倒的大都 会札幌に到着しましたこんなに雪が たくさん降るというのにこんな大会がある というのは界的にも珍しい現象のよう ですそれだけ広い北海道から人が札幌に 集まってるんですね外側にできた雪の壁を 蹴散らしまして札幌駅に降り立ちました これから先引き続きこの函館線を進み本州 方面へ向かいます現在地札幌は石狩平屋の 生誕に意図的に気づかれた北海道の都です なぜ札幌が都なのかこれは広い土地が確保 できる石狩平野が都合が良かったようです がでも石平屋には良い港を作れそうな場所 がなかったのでじゃあ1番近い天然の良行 小樽と生しやすいようなところを都と しようという考えがあった模様です次の 目的地は北海道の玄関小樽にしましょう 14時48分発快速エアポート141号が 小樽に行く最速列車ですが結構ね外国人 観光客の方で混んでいてあ指定席も満席 ですね今日は前後の列車も運休しましたで も待ってよ発送の転換です1個お隣の琴駅 からであれば大樽までの指定席が買える ようですじゃあこれで買っちゃえばいい ですねキップ購入はチケット です1個お隣のことにまでは先に出ていく 普通列車に乗って移動しておきましょう ところが普通列車が編成意外に短かった ようでお客さんあなんだあんなところに 泊まるのかみんな今民族大動を始めてい ますこの乗りました普通列車のデッキにて まわずかな時間なんですがあら残念窓が 曇りまくっていて全然景色を見ることが できませんこれはね札幌周辺あるある です普通電車の窓が曇っていて外の景色は 見ることできないんですけどもなんかJR 北海道の苦情サイトみたいなとこにもなん か書いてあったようなの僕見ましたけれど もこれにも北海道ならではの事情があり ます寒さ厳しい北海道ではこ雪が列車の 足回り代車付近にも吹きつけそしてその雪 が溶けて線路にバチャンと落ちたりとか すると今度線路の石が跳ね返って窓ガラス が割れてしまうこともあるそうですそう なってしまってはお客さんのことが危険な ので割れにくいガラスとするとこのように 曇る結果を引き起こしてしまったんだそう ですねま仕方ないと言えば仕方ないですね ありがとうございますJR北海道も経営 環境大変な中やってくれているわけです から安全を最大のサービスだと思って 私たち受け取りましょう北宮札幌市の優な 景色をここから霞んだ窓よりわずかに 楽しむことができまし たちなみにこの線路のすぐ横には北海道新 幹線を建設する工事も行われています しかし霞み過ぎてこればかりはあまり ちゃんと見ることができませんでした列車 が遅れておりますこと詫び申し上げます これで指定席を取った小駅で降り後の快速 エアポート号に乗り移りますよかった新型 車両が来ました新型車両は窓がかんでたり 曇ってるってことは比較的少ない印象です のもガラスの部分が劣化してだんだんああ いう風に曇ってしまうらしいんですよね いやしょうがないことですよね着ボタ席は 空いていたのは2つだけで窓側埋まってい たので通路側にお邪魔しまし た札幌オタルカの景色はただの移動で 片付けてしまうにはあまりにもったいない ほどのかなりの良さです右手に寄せてくる 荒波の日本海左手は画面に移ってはいませ んが厳しい山崖の真下を今列車は走ってい ますということでさっきより天気は悪く なってきました札幌方面は山がなくどうも 青空が広がっているようですがこちらは雲 がそびえていますまこれつまりすぐ横に山 があって日本海の空気がそのままここに 当たり雪なども今降っているということで はないでしょうか横には高い雪の壁があり ますがこれはこのがギリギリを行く昔から ま災害の影響を受けることの多かったで あろう厳しい環境にある鉄道を守るための 防御壁防波堤のようです ね札幌と小樽の間の鉄道は北海道でも最も 歴史のある区間です昔から集中的に止され てきまし た立派なトンネルが掘られていますえ 時折りトンネルの向こうに窓がついてる ような区間を見ますがこれは雪や落石など から列車や線路を守るためのものですね それだけ危険な区間も走ってるということ です危険がないようにJR北海道もお金を かけて整備していると思い ますこの厳しい環境の中車窓に時折り 見える高い防波堤や落食余計などを活用し 列車をなんとか太郎へ通すことで札幌は大 都市として成長してきたんです ね時よりわ大きな警笛の音が聞こえてき ます雪でいっぱいの北海道の中で遠くまで 響く笛の音はこのようなネルにになるのだ そうです旅行雰囲気も味わえる良い音だと 毎度思っています列車はまもなく大樽に 入ります北海道の北西方面日本海側はご覧 にいただいたようにほとんどが砂で港を 作るのに良い場所があまりありません しかし次の小樽は状況が比較的良かった ようですなく樽の一番奥に樽水平線のあり に黒い線ができてる見えるでしょうかこれ はタの港を守るための防波でそこに波が今 当たり砕けているのも見えますれのお客様 波でとも大きなです南樽に止まります Googleマップで見てみますと小樽港 は入江のところ一面にあって1番左端の 手宮から1番右端の地行までここを一線に 締め切ることで概要の波を入れないように する防波堤の様子も航空写真で確認する ことができますオタル市街は今までに見て きた街の景色の中でもま悪く言ってしまえ ばちょっと狭苦しいという印象を受けます というのはこの辺りの地形が大変険しく兵 があまりなくて人が住めるような場所も 少なめだからです街の景色は立体的で観光 客として見る分には美しく楽しい場所だと 思いますこうした地形の険しい場所は海の 水深が比較的深くなって良い港となるそう です小樽駅に到着しましたがものすごい 外国人観光客の数日本に来てくれて ありがとうございますしかしあまりにも人 が多いので今キャリーバックの人たを縫う ようにして滑るホームの上を歩くのは あまりも危険だと思いました時間にも余裕 があるはずですし皆さんがまずはホームを 立ち去るのを待ってから安全に出発したい と思いまし た回るですよまだまだ道は長いですからね 怪我をしてはいけませんお客さんがホーム を離れるまでの間立って周囲を一別してみ ますと周りは山に囲まれていてすでに日本 で2番目に大きな平石平屋という雰囲気は 完全に消せていましたそしてこれから先の 鉄道の筋も山が続き険しいものであること をさせますしかし実際にはその険しさは 想像上回りますここをオタルからさらに 函館本線で南下しようとすればニセコアナ プリや陽山などの険しい山に阻まれて 険しい峠越が必要となるわけですその きつい山越を回避するため今では札幌から 函館方面に特急が別のルートで行くことに なっていますしかしこの別ルートを使った 場合でも途中の室蘭から森までは遠回りを 敷られますさらにおしべの前後は大変 険しい崖続きで昔は鉄道すこともできない ほどでしたようやくその辺りを過ぎても 駒ヶ岳という大きな山があってここもまた 勾配を超えるためにかなりの工夫をし なければいけないしやっと函館に至ったら 今度は青函連絡線に乗り換えて海を渡る 面倒がありますやっと海を渡り本州に入っ たと思ったら青森県特に秋田県にも険しい 峠があって秋田県から南商内地方には冬の 厳しい風が吹きつける上津本線というまた これも南緒がありますというようにここ から先新潟方面までは問題だらけの区間 です 案の定早速もう大樽から先は大行がひくて 今のところ進めない状況であると案内放送 をしていて出発さえできませんですが 大丈夫ですこうした地形の険しさの問題を 解決してしまう良い方法が昔からありまし た目の前にある小樽子を使ってしまうこと ですここ小樽から本州方面へは昔から船で の連絡が大変充実していました北海道の 玄関口としての樽の実力はやはり今でも在 でに今回はここから船に乗って本州へ 抜け出していってしまおうと思い ます鉄道や道路などで行く場合険しい地形 をどう超えていくかということ心配が常に つまっておりますが船は意外と極端に波が 高いという状況を除いて安定的な輸送を 実現してしまうのです心配なのは良い港が ありちゃんと使えるかということですが オタルコニは明治時代のうちから完璧に 整備された大防波堤がありこれが今日も 荒れる日本海の波を全てブロックし平穏な 水面を維持しています次の目的地は新潟 です小樽から新潟までは明治時代のうち から政府の命令行路として日本優先の航路 がありました現在でも新日本海フェリーが 運行しています東北地方や北海道南部の 厳しい条件を全て解決してしまうため船に 乗るというのは小樽港の伝統的な使い方で もあるのです北海道の中心部その懐に直接 入れるようにと使われていた小樽港は大変 重要な港でした全盛には北海道に入って 貨物の半分がオタルを経由していたという ことです現在では主に苫マ行の発展などに 伴い衰退しましたが跡地は観光地として今 も活躍しているから分からないものです オタル運河はこのような経緯で発展してき たんですねえここで私は走り始めました なぜ走っているのかと言いますとここから じゃああはタクシーを呼んでフェリー 乗り場に行こうと思ったのですがなんと もう太郎外国人観光客の方があまりにも多 すぎてタクシーを呼ぶということも電話 さえつげることもできませんでしたこの ままではフェリーに乗り遅れてしまうと 滑る雪の上を走って移動するはめになった のでした船は2隻止まっていて一応電話を かけてギリギリのタイミングまでうんこの 時間までに行けば大丈夫ということは確認 していただきましたありがとうございます まずい道も歩道も全て雪に埋まってしまっ ていますうわこれはバランスを取るのも 大変これで転んで海に落ちたら死ぬ でしょうねということでかなり危険を伴う ような街中の移動でもあったと思いますま 結局車道の方から行きましたがまかなり 大変でしたがバタバタとも新日本会 フェリーさんから聞いていた期限の時間 15分前までに来ればいいということだっ たんですが17分前までに到着することが できなんとか船に挑戦できることになり ましたこれから先の新日本海フェリーの ルートも日本経済を昔から形作ってきた 大切なルート ですその出発店がここ大樽の港でしたこれ から先動画を見続けていただければお 楽しみいただけることになると思います この樽の平穏を100年以上に渡り守り 続けている大防波堤が [音楽] こちらスーツチャンネルでよく紹介されて いる防波堤の1つだと思いますが広い小樽 の入り江を全て締め切ってしまっている 一直線の様子は相関ですここを出てま今日 はもうこれから先どんどん波の高さも 落ち着いてきていると言います冬の日本海 を進むことになります試行の時間が近づき やいが解かれ ます珍しいトラックを使って外しています ね雪がツモっているから踏ん張って砂を 解くということができないん でしょうそのため冬の時期だけ限定で トラックと綱を連結 [音楽] しオッケーということ確認し てこれでより安全確実に出行の手続きを 進めていくわけですねこちら側は軽 トラックで行われ向こうではあちょうど 除雪をやっていた除雪者を をてしまうそうです行の時間は17時半機 のためいつもやっているのか願した時に民 さんがドラを叩いていました樽はその解説 以来北海道の名産品つまり2や石炭などを 運び出す重要拠点としてそして北海道の人 たちが必要とする壇を運び込むための重 拠点として活躍してきました今日もそれは 基本的に変わりませ んで北海道日本海側の経的な繋がりを 感じることができたことを嬉しく思いまし たまた今日1日ほとんど観光客という人は 小樽以外で見ることはなかったのですが この船は気に観光的な雰囲気になってき ますその中で本州方面へ仕事へ出ていく お父さんを見送りに小さな子供たちが たくさん集まってきていたようでした岩壁 にはいくつかの家族が見送りに来ていて皆 思い思いに別れの時間を過ごしたようでし たその中でまるで自分の家でテレビを見る ような感覚で日本銃弾旅行などをやって いる私はすっかり感覚がおかしくなって いるのだということを改めて感じた次第 [音楽] ですここで札幌方面を向きますとまい明り があの明かりは少なくとも昔はここ小樽を 返して全て運ばれていたと言っていい でしょう ね小樽港を出る時にこの寒い中でも手を 振って皆さん見送ってくださいました最後 に終わる前辞儀をしてお疲れ様でしたお 戻りですミカエル小樽市街の景色は美しい ですこの町には天子山という展望台があり そこからの夜景が有名で大変お勧めでき ますしかし私の考えでは一番美しいおれの 景色は常にここを北海道最後の土地として 立ち去る時に船の上から見る景色だと思い ますなぜならばフクからの北海道の 受け継がれてきた文化遺産的な光景だから です昔の人と同じようにこれ以降北海道の 地を今回踏むことはないという気持ちで 美しい夜景を見返せば旅行の気分が ますます高まります長い防波堤の外へ出 ましたこれから先波の高さは2m3Mほど あるそうですまあほとんどないも同然 でしょう防波堤の外へ出てトカいっぱいま いっぱいかは分かりませんが大きく左手 方向に火事を取りタ市街の夜景は少しずつ 離れていきまし た さて乗り込みました船のご案内をしたいと 思います上前中の船は新日本海フェリー アザレアラベンダーとペアを組んでいる 1番新しい船ですね席の投球はスイート ルームから1番下のツーリストCまで色々 ありますが今回私は下から3番目の ツーリストSを選択しました仙内は 吹き抜け構造観光客の方も適度にいますが スペースが混雑して場所が取り合いになる とかそういうことはなさそうでしたの ツーリストS席はこれ内側のところ1部屋 1部屋が区分されている窓なしの部屋です ま十分な快適性でしょうこの船は最新式で 上船券のQRコードをタッチして入ると いうやり方でしたベッドが1つこの部屋は かなり広いですびっくりしましたこれ ベッドのお隣に謎のこののスペースがあり ま机ですよねそこに椅子も設置されていて 1人で過ごすには十分過ぎますお茶を置く とゴロゴロと転がっていきましたこれは今 北海道の地形に合わせて南向きに家事を 取り続けているためですこれがずっと左折 してるんですねということで景色を見よう と千美後方に向かいますとうわすごい雪気 の吹雪になっていますこれは吹雪の中を 高行しているというわけではなさそうです そうではなくこの船に停泊中降り積もった 粉雪がものすごい速さで高行しているため に今立町後ろへ吹き飛ばされていく光景 です本線アザリアの最高速力はおよそ25 ノット持続40km少々出すことができ ますこうした大型船舶の中ではかなり早い 部類に入ります明の朝9時過ぎには新潟に ついてしまうの です見える明りは日山東台です道内で2番 目に古い東台として北海道の玄関口はここ ですよと150年近く昔からこの辺りを 生きする船に情報を送り続けてい ます2mから3mの波ではこのような 大きな船はほとんど揺れませんでしたま 揺れましたけれども船酔いした方はそう ですね全体の1割から2割ぐらいではない でしょうか私は全く船酔になどする心配も ない揺れのない線内でレストランに行き ましたこの船は新しくタッチパネル方式で 注文すると自分の席に運ばれる方式北海道 名物などで固められたラインナップになっ ていますここではザギなどを注文しました まこれは唐揚げとよく似た北海道名物で 唐揚げと同じような味がする場合もあり ますが新海フェリーのやつは生姜を効かせ て作っているようでした他にもジギ感を 注文野菜たっぷりで肉もいっぱいあって 食べごたえがありましたねバランスの良い 食事もさせてくれます小太郎を出発し シャコタン半島を回り込みここから先は西 からの風が今日吹いてるんですがその波の 影響を受けるような区間でしたしかし波が ちょっと高くなったとはいえあまり船が 揺られることもありませんをちょうど シャコタンに近づくとシャコタンみの案内 が流れ始めますシャコタンブルー綺麗です よね実際に僕2回ぐらい行ったありますが 信じられないほど綺麗な青い海が有名です おここでまた船が火事を取り足が反対側へ 自動的に動かされましたねちょっと左右の 揺れもあるみたいですまこんな感じか な揺れのほどを移してみました波の高さが 3mぐらいの横から来る波 ですぐぐっと大きく傾いた時にこの僕は 斜めになってるのなんかを見ていただくと 分かるかと思います僕まっすぐ立ってる つもりなんですけどね自分の部屋にある テレビは音を出すことができない構造に なっていますえ字幕ボタンを押したら字幕 表示できるのかなと思いきやの字幕表示 機能はこのテレビにはついてないみたい ですねあニュースのテロップだけを読んで 過ごしましたでもこれは案内上に行って すいませんヘッドホンを貸してください 借りてここの穴に差し込めばもちろん音を 聞くことができるようになっています他の 方の迷惑にならないようにということ でしょうアクル2024年1月の9日6時 30分の時点で船は山形県商内地方坂田の 沖合いにいました坂田日本海航路の重要 地点ですね朝ご飯が提供されています メニューは色々ありますが僕はカレーを 注文しました朝からカレーとは結構 がっつりした感じでもね新日本海フリーの カレーは美味しいんですね食べるのを 楽しみにしていました言わせた高校生の皆 さんにカレーをお勧めしたら食べてくれた 方もいて美味しかったですお声をいただき ましたありがとうございます順調に新潟 まで一直線ノンストップの高校を続けます かなりの速さ です南東の方角朝日の登ってくる方角に 見える険しい山波は私も詳しくありません がこれが朝日連邦でしょうか山形県と新潟 県の境目につるというこれらの山は上越新 幹線旭日号の名前の由来になりました しかし朝日そのものは山に囲まれていて 全く見ることができません新潟県の代表的 な国会議員田中各が当選する時越後の人は 山に囲まれているから朝日を見たことは ない私がこの山に穴を開けてみんなに朝日 を見せてあげます約束しますよと言って 国会議員として初めての当選を果たしたと かいう話 ですともかく見えてきました新潟は人口 80万の大都会日本海側は唯一の政令指定 都市としてこの辺りの町の中核たる地位を 占めています人口はこれよりも多いという 自治体は日本に数多くありますが日本海側 でここまで新潟ほど大きな町はないので各 企業の視点などが置かれているような ところ工業や海運物の拠点ともなっている ところです天まで届く煙が新潟港の力を 伝えてい ますさらに広い土地を利用して砂浜からは 飛行機が飛び立ちました大阪や名古屋への 便が多く出ているそうです私も1回使った ことがありますあっという間に行けるので 結構便利です ねさてそれでは私も部屋に戻って下線の 支度を進めますもう北海道ほど寒くはない でしょうから下に色々着込んでいたものを 取り出してリに詰めることにしました しかしこれは大間違いで日本の冬は思った よりも寒いのですね結局これらのものは また取り出しもう一度使うことになりまし た北海道とあまり感じない寒さ新潟港は 外側まで伸びてくる防波堤が特徴的そして その内側へ進んでいきますと日本一の長さ を誇る品川の加工部分に入りますこれが 新潟港の大きな特徴 です明治以来使われてきた港の形には主に 2つあると考えてい1つは河川光型外洋の 波が川の中までは入ってこないので船は その中に入ってしまえば安心という考え ですしかし常流から砂が大座運ばれてきて 浅くなってしまうという問題があります これに対し地形の険しいところにある天然 の良行型ま僕が考えた名前ですが外洋の波 が天然の地形にブロックされ水深も深く 使いやすい港となりますただし土地が ほとんどないというのが問題点ですこの ような歴史的経緯のある中で間もなく到着 する新潟港は来基本的な形が変わってい ない典型的な河の姿を楽しむことができる と思いますまず右手に防波が現れその内側 に入りますとこれから品川を遡り始めると いう感じになりますこんな大きな船で川を 遡っていく体験は日本ではなかなか今時 できないですよね向こうに新潟港の主要 施設や街並が見えていますがもうこの辺り からは品川の加工部分ということになり そう ですで左手を見れば工場地帯軍がずらり 見える景色はもはや海の景色ではなく陸の 景色ばかり川を遡っているという感じがし ますアメリカやヨーロッパに行けばこう いった景色を見ることがたくさんできると 思いますが日本にはそれほど大きな川が ないのでこういった景色に出会える機会も 稀ですしかし新潟は大きな品川があるので できるんです ねここで南に目をやりますと船が作り出し た水流が海底の砂や泥を巻き上げて水が2 食になっている様子を見ることができまし たこれは水質が汚染されているとかいう話 の以前に品川のはか上流から砂や泥が運ば れてここに溜まるので船が水流を作ると これが巻き上がってドロドロの色になると いうことなんです ねこのようなドロドロの川の景色を見 ながら船は日本海側最大都市そして 日本海側で1番高い建物時メッセバダ橋 などの立派な景色を見ながら新潟港に到着 するわけです手前から2番目に見えている 橋がバダ橋ですね新潟は江戸時代末期の五 家国条約において開口を約束した5つの 生えある港のうちの1つです当時の貴重な 建物もまだ残っていて見学できますし 何より日本海側の最重要拠点の港町として の地位は当時から今に至るまで変わってい ません新日本海フェリーアザレアは新潟港 山下不に9時15分 完璧に帝国通り到着しまし たここまで乗ってきたフェリーの勇志を 岩壁から少し歩けば見に行くことができ ます相数1万1Tの有子です日本海の荒波 にも負けない高い船の還元がこの船の強さ の 象徴選手の部分はスルルとかり日本海の 荒波を切り裂いて円滑に進むことができる 三菱垂直選手という技術を採用してい ます新日本海フェリにはもっと早い船も あり令和の北前航路を今も形成していると 言われていますここから連絡バスに 乗り換えて後方を振り返れば山東周辺で 先ほど見た新潟港の工業地帯の高い煙突の 煙を楽しむことができます日本海岸は豪雪 地体奈良ではの屋根つきの商店街をバスで 通り抜け東京一極集中と言われて久しい ですがしかし昔ながらの各地方の力を 合わせた分散型の社会であった古きよき 日本の姿を新潟市の都会ぶりは今の私たち にも伝えてくれているような気がします私 の好きな景色を見ることができましたさて jr東日本新潟駅前に到着しました新潟駅 前もそろそろ再開発が境に入りだいぶ景色 が変わると見られていますjr東日本新潟 駅は今火の作りに改まりましたここからは 上越新幹線に乗り換えます東京行き時 316号に乗れば都までわずか時間少々で 行くことができてしまいますしかし新幹線 で東京まで一発で行ってしまうというのは ひねりがないですあくまで新幹線に乗るの はここ新潟県内だけ次の目的地は新潟県内 長岡新幹線で東京へ出てさらに乗り継いで いくなどすればまどんどん日本銃弾の工程 を進めることはできそうですがせっかくの 日本銃弾ですから東京へ向かうというだけ ではなかった古きよき日本の交通網などを 体験しながら人々の動き経済の結びつきを 勉強することができればと思っています まず小樽から船で延々と後悔してきただけ のことはあり険しい山波の区間は全部通り すぎることができました山が遠くに全く 見えません列車はこれから先しばらくの間 平坦な越後平屋を走っていき ます新潟港の高層ビル2つ新潟日本のビル と時メッセが見送ってくれまし た本日もjr東日本をご利用くださいまし てありがとうございますこの電車は上越新 幹線都東京行きですここが日本で4番目に 大きな平屋越後平屋ですなお北海道を除い て内地とゆっくりで見ますと内地では2番 目に大きな平屋関東につむ大平屋となり ますですからお米がたくさん作られており 日本で1番のお米の産地 ですまだお米は見えませんまず最初に 見えるのは品川の分水路のために設けられ たの分岐店で日本海に注ぐところには水門 が設置されているのも見えます広い平屋が あるからお米を作るのも簡単だねと思いき や意外と簡単ではなかったようですという のは先ほど船で入ってきたこの品川は大雨 降ると溢れてしまって周りの作物も流して しまいますそこでこのように分岐を作って 海の方に水を流しまた新潟湖を砂で埋めて しまわないように砂もある程度は分流させ ているよう ですそして一面の節減が見えてきました これが春から秋にかけては田んぼとなる わけですがこの広大な田んぼもなんとか ポンプなどで排水を行いちの工事を 繰り返した結果ようやく誕生しているもの で血がうまくいかなくなってしまえば立町 この辺りは水浸し大出現になってしまうの ではないかと言われています日本一のお米 の産地も簡単には手に入れられなかったん ですね実際こうやって見てみるとこの辺り は川だらけ品川が途中で一旦分岐している ということもあって水浸しの合計です その真ん中島のようになっているところに まもなく新幹線は停車します次の停車駅は 燕三条駅ですこの辺りにはつばと三条2つ の大きな街がありそれぞれの拠点的な駅と して使われますまたここで品の川を渡り ましたがいつ見ても水門とか [音楽] [音楽] 地水火風空燕三条駅に到着するという ところで見てみるとつ市と三条市の教会の ところに新幹線の駅がぴったり位置してい ますまたお隣には三条つばめ インターチェンジというのもありますつば 三条と三条つばめまこの紹介よくします けれどもどうも田中各の仲裁によって それぞれの都市のメツが保たれるようにと 工夫したようですともかく色々な名産が あるこの辺りですがやはり第1はめ今では 欲な大地となってい ますさてまもなくは長岡に着きますこの まま長岡から東京方面に新幹線を乗り継い でいくと最終的には今日の夜のうちに 鹿児島まで至ることができてしまいます1 日のうに行くこともできますがまあこう いうありきになるとは今回はやめておき ましょうこの長岡で降り日本海からそして 北海道から続く昔の人たちの営を知る旅を 続けたいと思い ます長岡駅に到着ホーム場には鳥のが たくさん落ちていました鳥がたくさやっ てきてしまって長岡駅も体操を苦労して いるのだと思いましたこの日は1月もう そろそろ冬休みシーズンが終わるという1 月の上旬であり ます小盆年始の新幹線ホームの風物師黒砂 で時間を過ごすため規制してきた家族を また東京へ送り出す地元長岡の人たちのお 見送りの光景を見ることになりましたこの ような状態ですと車掌さんたちもドアを 閉めるのが辛いという気持ちになる場合が あるようですがまもし僕が車掌さんだっ たらわずか2時間でまた戻りになります から是非どんどん上一新幹線をご利用 くださいそう思いながら閉めますかねさて ここ長岡はまさに昔軍事拠点お城があった ところですその場所に駅が立っていますと いうのもここは交通の幼少関東地方の玄関 水上へも北陸地方の玄関名越へも普通列車 が出ていますこの光景を見るだけでも交通 の拠点だということが分かります ねちなみに今回はこんな変な長い乗車券を 購入しています経路が複雑なので乗車券が 大きくなりましたでも 潟新よ2000円ぐい券になったかな岡 からこの先新幹線が通っていない上越妙 までの間をついでくれる特急列車として1 日数本白雪号が運転されています終点の 上越で長野へ向かう新幹線に乗り換え [音楽] ます新幹線の高の隙間からちらりと雪のガ がずらりと並んでいる景色が見られました ここ長岡は港がないということで鉄道が 貨物輸送にある程度大事な役割を果たして いると思います大きな貨物の運行拠点を見 た後列車は宮内の駅を通過してここで日本 の鉄道の中でも結構重要な分岐点を過ぎ ましたここから左手方向には東京へ向かう 上越線が分岐していきますあの険しい山々 の麓を抜けていくことになります今日は 天気が良く上越線日和ですがこの白雪号 からの景色もいい ですまず先ほど船に乗って新潟港という形 で入り込んだ品川を渡りますここで品川を 渡りますとしばらくの間この川とはお別れ になり ます列車の速度はかなり高く最高 120kmで運転できます乗車中の新越 本線は日本でもかなり昔から使われている 重要路線で今品川を渡った辺りで長岡の 平野地帯は終わりましたここから簡単に峠 越を行い海沿いの柏崎まで抜けていき ます報徳山稲神社が進行方向左手上の方に ちらりと見えます越後岩塚駅の近くで見る ことができます山に近づいてきていますが 列車の速度はあまり落ちませ ん山際を走る時列車の速度は大概を落ち ますが昔から高速で特急列車が走ってきた ところで高速運転に対応した線路が引かれ ているよう ですこんなに早くてもお客さんは正直 ほとんど乗っていませ ん新幹線でないと今の自動車社会に 打ち勝つことはなかなか難しいよう ですこのネを抜けて峠ということになる でしょう海際の新潟県中部にする柏崎市に 入りましたなおも高速で柏崎までノン ストップで向かい ますお客さんが3割ほどしか乗ってい なかったと思いますま日中ということも あるのかなお客さんが少ないのがもったい ないぐらいの速さですこの柏崎でそのいた お客さんのかなりの割合が降りていき一方 で少し乗り込んできましたお客さんが少し 減ってきてしまってはいますが快適な車内 から美しい景色を柄の状態で見る絶好の 機械となりました列車は今波駅を通過し ここから先大川笠島あ米山駅ぐらいまでの 間しばらくの間右手に日本海が広がる有名 な区間となります右手後方を振り向けば 荒々しい岩場の彼には柏崎有原発この地域 のシンボルたる発電所軍が見えています 列車はこの辺り海のギリギリのところを 走りますがあまり速度を落とすことはなく 高速で次々と抜けていきます大体海のを 走る列車は速度を落としますがこの辺りは 線路あまり速度を落とさなくてもいいよう に作ってあるようで景色の良さと爽快さを 同時に味わうことができる贅沢なったん です右手にVの切れ込みの入ったところが ありますが昔はあそこを通ってたんでしょ ねその古い線路は配線にしてより高速で 走れるように改造したと見えます列車は 日本海の目の前に位置することで有名な 大江川駅を通過しましたかつて大阪発札幌 行きの寝台特急列車がこの辺りを通過する 時の時間になり西海に沈んでいく夕を眺め られるということでその列車には トワイライトエクスプレスの名前が与え られ日本で1番有名な列車になったと思い ます現在その列車はjr西日本の別の区間 を走る列車に名前は受け継がれています ここがその名前の発症だったようです ねそれにしてもこんな荒々しい磯の際の ところをこの高速で今の時代でも走ってる 路線というのは珍しいです安全なように ちゃんと管理されていると思いますから そこはご心配入りません昔の線路が配線に なっているところも見られました昔の線路 を廃止して新しい線路に付け替えて スピードアップをするということが昭和 40年代頃全国のJR路線で行われてき ましたまた日本海の強い風除けのために いくつも壁を横に設置していましたねその 壁の向こうについに間接した険しい山並が 見えてきましたあれは北アルプスの山が そのまま海へ落ち込んでいくところです 列車はそろそろ日本海側の大変急峻な地帯 糸井川静岡構造線と交わるところに至り ます何でも日本列島にはプレートなどの 移動の関係で勝に1本線を引いたように 険しい山のつりが見られますこの中部地方 にある一筋の線を糸井川静岡構造線と呼ん でいてこれを東西に超えるのは大変ここが 東日本と西日本の別れになっているよう ですそこでこの糸静岡造線を前にしてを 日本海のルートから外れこの険しい山から とりあえず逃げていきたいと思います列車 はまもなく名越に到着しますここは東日本 最後の町と言えるでしょうこれから先は今 紹介した井川静岡構造線向こうに目ての山 を越えて行かなければいけない厳しい山の 区間が始まるのです現在は鉄道網も トンネルなどが充実していてま超えるのは 簡単ですが地形的にはここが険しい山の 手前最後の駅ということになります 今列車が通過しているのは黒井駅でここの 近くにはその険しい山の手前になる幼少と して栄えた名越の港があります港町という ことで橋もおしゃれな雰囲気に整備されて いました昔は北海道からこの名越まで やはり船がいっぱい来ていて北海道の産物 西などをここへ持ってきていたということ ですルモイや羽などの街との繋がりがここ にもあります今は佐方面にだけ船乗り場が まだ整備されていますこのに重要な位に あるた越駅は新越本線の運行拠点として 大きな車両地も持っていますまた駅には 日本線アカ2の煙突を持したものが設置さ れていてこれは海の町であるということを 関連けている演出だそう ですここ越から先は山の方へ向かうことは なく新越本線は南側に折れて山にうような 形で少しでも地形の平坦なところを選ぶ ようにして走っていき ます右手に分れていく線路は旧北陸本線昔 はここから先jr西日本でしたさらにこの 向こうに見えてる山波を超えた向こうの人 たちは関西弁を喋るのだそうで東日本と 西日本のはっきりとした協会となってい ますまだ右手に険しい山を見ながら私たち は東日本の区間を走ることにしましょう このように海や陸などがはっきりと地形 分れた重要地ですから軍事的なともなって い [音楽] て上杉健や直江金などがこの辺りで活躍し たという春日山城があった場所ですその後 も城下町として江戸バクの身近な人たち 松田だけがここを納めました城下町高田を 過ぎ て列車は上越妙光駅に着きます現在は新潟 県上越市の拠点となっておりますこの辺り 右手には妙光山が見えまた列車が降りて 前方を見ればやはりこれから先進んでいく 線路の前にもついに険しい山が立ち塞がっ たということでここからは山を越え新州へ の三筋を進むことになります次の目的地は 長野方面ですここからは北陸新幹線を使っ て移動することにしますそのが快適です から ね上越妙駅にはこれ上杉剣身ですよね随分 可愛い感じにしましたねこの感じの上杉 剣身見て喜ぶ人いるのかなまままいる でしょうね北陸新幹線ホームに上がってき ましたガラス張りの高い天井を作ってくれ て を駅舎の額縁越に見ることができますこっ から先乗ります列車は東京行き白田562 号です停車駅が少ないですね次の停車駅は 長野ホームにはゆっくり入ってきました例 によってここからも規制のお客さんが何人 も乗り込んでいき見送りの光景を見ること になりまし た新幹線で出発しますと右手につる妙光山 その山波が少し低くなっているところが ありあの低くなっているところを新越本線 は狙って多少なりとも地形の緩いところを 超えていきますしかし新幹線はそんなナパ なことはしません険しい山があるならそこ にトンネルで大穴を開けて時速200km 以上の高速で通過してしまえばいいという 暴力的な運転をしていますせっかくあそこ に低くなっているところがあるのに新幹線 は険しい山に真正面から挑んでそこを高速 で突き抜けてしまうことを選ぶわけです ともかくこれで新潟県より長野県へと至る トンネルに入りますこのトンネルは飯山 トンネルと言います 確か日本に今ある山のトンネルで3番目に 長いのかな全長が20何kmだとかあると いうとんでもなく長いトンネルです私たち は普段北陸新幹線通ってあトンネルが長い なぐらいしか思わないのです がさっき目の前に見えたあの険しい山の ことを想像してみるとあの山の地下深を 時速200kmで走れるというとんでも ないことをやっているの自覚できていい ですねさあ次に明りを見ますと早速長野県 の駅を通過していますここが飯山駅です ここは品川が作った谷沿いの駅なんですが 見えると思います新潟以来もう一度品川と 出会いましたこっから先はまた品川長野 県内では千川と呼ばれるこの川と一緒に県 南部への旅を進めていくことになります そして雪の量が随分減ってきましたね海 からだんだん離れてきたのでさっきまで よりも雪がこれからまたさらに減るような 部分ではないかとと思いますさてここで 上越妙光駅にて新幹線乗り換えの間に購入 した弁当を紹介したいですこの弁当は2飯 名越名物と書かれていますしかし名越で2 シが取れているでしょうかおそらく昔も今 もほとんど取れていなかったと思います じゃなぜ名越名物が2飯なのかこの動画を ご覧いただいた方は想像に固くないと思い ますがここで潮の道という概念をご案内し たいです日本海路を使い北海道北部ハボ ルモイ樽などから出発 新潟や越などへ船がやってきましたそこで 上げした後解散物をタンパク質などを必要 とする長野県の人たちに海の産物が送られ ました今通っている妙光などを超えて長野 さらにあみの松本南方の塩尻ありまで 北海道の解散物西清や潮などが運ばれて いったということです長野県の人たちに とっての生きる三を今北海道から私たちは たどり見てきたということでしたちなみに 西はただ食べるための魚というだけでは なくそれを加工し肥料としたものを田んぼ に巻くことによって収穫量を高める江戸 時代明治時代には特に大切な役割を持って いたというわけですそれらの日は潮の道を たどって新潟県や長野県など様々なところ に運ばれそこでお米をたくさん取れるよう に活躍していたというわけでしたしかし ここ長野県は先ほど通ってきた新潟と 比べると強行が高く夏場でも気温が下がり やすいところですそのためお米に変わる 良い産物はないか明治時代ぐらいから色々 考えた結果今は商品作物としてリンゴを 多く作るようになっているようです沿線に はたくさんの危機が見えていますがこれら はリゴの果樹園ですもちろん田んぼも たくさんありますが長野県でりんごが たくさん作られているのはこうした経緯に よるもののようですね基本的には日本の 農業はお米を作るというのが江戸時代以来 の伝統だったようですしかしお米が作れ ないとなったらば他の作物何かいいものは ないか考えた結果それぞれ土地の名物が 生まれていったということでじゃあなぜ その年でお米が作れないのかという理由を 考えるのもまた面白いと思いました左手に 長野総合車両センターが見えますここは前 を通るたびに楽しみに見ているところです 引退したjr東日本各地の古い電車が解体 の瞬間を待つ光景を見ることができます中 には解体されていない貴重な車両が保存さ れるためなんですかね残っている光景も見 ました新幹線開業前から活躍していた古い 特急電車浅号が置いてある光景も見ること ができまし た寺の門前町として栄えました日本で一番 標高が高いという県庁所在地の町長野市は やはり他の町よりもだいぶ気が低くお米を 作るのも付録から苦労してきたような ところだと思います名越から山を登ってき ましてたどり着いた長野周辺は広大な平屋 になっています尊敬を集める全光寺から 名前を取って全寺平と呼ばれてい [音楽] ますここで東京行き新幹線を降り ます止まりますこの長野駅でもお正月明け のこの時期このような見送りの光景をよく 見ることになる でしょう13番線ドアが閉まります黄色い 点字ブロックまでお下がりください黄色い 点字ブロックの外までお下がりください 案内がかるとお客様は全員展示ブロックの 外まで行儀よく出て列車は時間通り出発 することができまし た新幹線を見送って米島の歩を進め ましょうと言ってもここで3数分の待ち 時間がありますまず長野駅全寺口駅舎を見 に行きましたここがリニューアルされて 早や今年で10年です中には緑という 美しい商業施設が入っていますしかしなん と言っても長野駅周辺の1台名所といえば 何が何でも全寺全道と案内してるは ドンキホーテドンキホーテも案内する全寺 みがみ寺街中にはたくさん案内の看板が 立っていて長野駅周辺にいて寺がどこに あるか分からなくなってしまうということ はないでしょうしかし残念ながら今日は全 寺に行く時間はないのでおそばを食べて 長野県らしさを感じることにしましたま これもいい日本銃弾の旅ですね長野県は そば八のなぜ新州でそばなのかということ ですがま色々調べたんですけども3幹部で やっぱりお米を作れるような場所が少ない しそもそも寒くてお米を作るのが難しいと いうことでどうも古来には消去法のような 形で作っていたのではないかと思います しかしそうは思えないほどのとんでもない 美味しさのりを入れて食べるのもいいです ねここでおそばを食べている間に味に違和 感を覚えましたというのはこの商品が おかしいわけではなく海の味がしたから です昆布やカオなどの出汁が入っている ようですこれらは長野県では決して取れ ないものです長野には海がないですからね すなわち今私が通ってきた潮の道を通って はるか南方もしくは今通ってきた北海道の 方面からなえそして潮の道をたどりここ 長野にたどり着いて美味しいそばを作って いるわけですねそばは各県の合作と言える でしょうそしてシナノで発明されたそばは 私がたどってきた潮の道を逆にたどりなや からは日本海へ出てついには北海道にも たどり着いたということを皆さんもご存知 だと思いますルモイで2そばを食べました よねまさに長野県とルモイの合作だと 言えるでしょう日本の大いなる繋がりを 感じる良い乗り換え待ち時間になりました やっぱり日本銃弾ずっと続けて長距離の 旅行をするというのもいいですねすぐに 特急品野号が出発しますこっから先新州を 縦に横断していく特急列車です全を駅の タペストリー型案内表示で 用次の目的地は3時間後に到着する名古屋 ですこの特急シノ号は沿線の景色もかなり 良く列車としての性能もかなり高いので 移動手段と観光を同時に楽しめる全国でも ななのない素晴らしい列車だと思います1 時間に1本運転されていますお客さんも いっぱいですまず最初に渡る川はこれが 西側ですよね長野県のこの辺りには大きな 川が2つ流れていますま品川が分れていっ たものですけれどもこの辺りでは西川と川 の2つが流れておりその間のところを川の 真ん中にある地点川中島と呼んでい ます川中島の名物は桃なんですねお米を 作るのが難しいところになると逆にその他 の品が目立つのでそれも面白いと思いまし たま今は長野県も良いお米がたくさん取れ ているそうです実際には品質もスブいいと 言います川中島を過ぎて左手に線路が 分かれましたこれは時折り新幹線を用い つつ新潟よりずっと辿ってきた歴史ある 線路新越本線でしたこの先高崎大宮上野 東京と続いていく重要路線です別れてシ号 が入った路線篠線こちらは前光寺平から 松本平へ長野県の険しい山波を抜けてまた 違う平地へ抜ける役割を持っています長野 県は長野と松本が2つ大きな都会があり ますが次は松本へ向かうわけですその前光 寺平から山を登って松本平へ向かう時進行 方向の左側に全国のJR線で1番いいと 言われている景色が見えますまず下方に川 が見えますがあれが 品川長野県内では千川と呼びますが新潟 からずっと辿ってきた川がなんなら新潟 から入り込んだ川がまだここでも見えて いるという感動そして列車はこれから先急 な上り坂を進んでいき ます右左へと線路がカーブする光景特急 シナノ号は性能も良くカーブで高速運転を することもできるような作りになっており また昔はワイドビューシナノと呼ばれてい ただけあって窓の景色の良さも大変 素晴らしい ですこんな面白い観光列車みたいなのが1 時間に1本走ってるといいながら楽しい ですよねまもなく小バス駅を通過します昔 高齢車を捨てに行っていたという伝説の あるところですその話は最後ハッピー エンドとなりますので調べてみて くださいここから見える景色が日本3大 車窓のうちの1つとされている小バス山 から見る全校時代らの景色です向こうに ある長野市さらには一番多くの山の向こう の新潟県もっと向こうの海を超えた北海道 からずっっと来ているわけですね日本列島 の繋がりを感じられる景色でもありました またここは棚田があることで有名です古く からこの棚は歌などに読み継がれれてき ましたしかしここで棚田を作るのも大変だ と思います傾斜があって大変だからリゴを 作ったりそばを作ったりとか色々な工夫を している中でここでお米を作るという脳 作業の大変さ伝統的な景色を私たちに 見せるための地主の方たちのご苦労も等し のものだろうと思いますなお私は日本3大 車窓と先ほどお伝えしましたが3大車窓の うち1つは配線になりもう1つは線路が 周辺区間流されて現在走ることができない 状態にあります現時点で日本の3大車窓の うちまともに見られるのはここだけ ですバスを通過しますとここからか山を 抜ける長いトンネルに入りますこの入って いるところの音を聞いてみて ください列車が悲鳴を上げるようなや隙間 の音がしてきます車内は暖房が効いていて 快適ですこのトンネルは作られた当時日本 でぐしの長さを誇る南光を経て作られた 長大トンネルでしたお米を作るのに必ず しも向いていなかったというイニシエの 新州ではクアを植えて海を育てそしてこの 篠井線や中央線などの線路を使って横浜校 から世界へ売り出し日本国を強い国にする ために活躍していたのだと言います現在は もうクアを育てるような時代ではなくなり ましたがその当時から作られた古い鉄道の 路線は長野県の栄光を今に伝えていると 思いますということで列車はだいぶ高い ところへ登ってきまして今山を越えて松本 大へ降りていくところですがま長野県は 豊かな平屋が色々あるとは言っても基本的 に大部分は山ですからこの山をどのように 利用していくか昔の人も色々考えたと思い ますこの先あみの市を経て松本塩尻方面を 目指します松本へ山を下っている間に長野 駅で買ってきたものを食べることにしまし たりんごパイです基本的にはやはり儲かる 作物というのはお米らしいのですがりんご も手をかければ高い値段で売れるとのこと であります長野県の名物青森に継ぐ名産で ありますりんごの価格が上がればと願い ながら食べました本当に長野はいろんな 作物がありますねドラ焼き山と書いてあり ます有名なブの栗もありますか小バスの山 を下りトンネルを抜けて松本平屋に入り ました景色がさっきまでと全然違います雪 がほとんどありません周囲を高い山に囲ま れた松本は冬でもあまり雪が降らないん ですね標高も高いんですがただ遠く見えて いる3000m級の北アルプスの山頂付近 にはさすがにツモっていますこれらの山波 遠く越の辺りから続いてきた糸井川静岡 構造線が最も険しくなっているような辺り ですねこの山の向こう側にどこかの タイミングで抜けていかなければいけませ んまこの特急列車に乗っていば山の反対側 へ行け ますここで川が2手に分かれています右奥 があずさ川前側が奈川ですがねこれらの川 は今まさに見ているこの視点で合流し西側 となりさらに長野市内で川に合流最後は橋 をで通ってきた新日本海フェリーの船 乗り場のところから日本海に注ぎます つまりずっと同じ水の通り道を列車で たどり続けているというわけですま大体 日本を長距離旅するとそういう感じになる と思いますけどねまもなく松本に到着し ます和水の美しい町松本に到着ここでお客 さんの結構な割合が入れ替わり ます長野駅から乗ってきたお客さんがここ 松本で降りるという県内の2拠点を結ぶ 役割りを品野号は追っていますまたここ から乗ってくるお客さんは中部地方名古屋 方面に抜ける人が多いと思います名古屋と の結びつきを強く感じることができるのが ここ松本 です松本を出るとしばらくは平野を まっすぐ走るということで列車の速度も 上がりがちだいぶ軽快な雰囲気になります さらにお客さんが入れ替わったので車内 放送をもう一度繰り返し列車の雰囲気も 仕切り直しという感じになります列車が 通過する南松本の駅は海や港などのない 松本平にとっては大切な物理用の拠点です 特にここには石油ターミナルが併設されて いるということを紹介したいと思い ますここにある石油ターミナルには三重県 の四日市より貨物列車が毎日大量のタンク 車を引き連れてやってきますそして寒い 長野の冬を温めるわけですこのタンク なんかがそうですね名古屋方面から運ばれ てきた石油を貯めているのだそうですここ で動画も これまでははか北海道から続き越より城に 至る潮の道解散物運搬のルートを通り松本 へ至りました一方で逆方向の太平洋側 名古屋方面からも石油の道が伸びてきてい てちょうどここ松本で合流し太平洋側の 経済券に近づきまし た次の停車駅の名前をご覧ください次は 塩尻ですまさに昔の時代太平洋がは 日本海側からそれぞれ陸上の輸送手段で塩 を運んでくると大体この辺りが終点となっ たという話があります潮の道もついにここ で終点となりそう ですまるで古くからの文化をそのまま 受け継ぐかのようにここからはjr東日本 館内を離れJR東海館内に入ります そろそろここでお弁当も開けておく間と いうことですね塩尻ですからはるか北海道 から持ち込まれてきた2おそらく昔はこの ような形で実際に塩尻ありにまで届いてい たと思います名越名物は北海道名物でも あり潮の道の全体の名物とも言える でしょう北前船が運んだ海の恵女にあり ますよ名越には他にも選択肢が多いことを 伝えています開けてみるとこれは名越の 食べ物というよりほとんど北海道の食べ物 ではないですかそしてどれも塩漬けかの子 昆布磨になど北海道の解散物が保存性の 高い塩漬けの状態で届いています塩分の 取り次ぎには注意が必要かもしれませんが それだけタンパク質を保存して持ってくる ことの大変さを感じることができたと思い ました号はそんな大変な時代のことも忘れ させるかのように時速120kmか 130kmぐらい猛烈な速度で中央線を 南下していきますそう塩尻から先は中央線 に入りましたこれから先いよいよ前方に山 が立ち塞がるようになってきましたこれ まではなんだかんだ土地の比較的平らな ところを選びながら進んできましたがこの 先峠声をしなければいけませんそして 日本海側から太平洋側へ抜けるの [音楽] です列車は有名な石碑スーツチャンネルで も紹介したこれより南木地の石碑の横の 辺りを過ぎていわゆる基地区間に入りまし た険しい山並みが連続するところとなり ます日本を代表する重要街道中仙道の 通り道でありながら日本を代表する狭い山 の道である基地これほどの重要感染道が山 の中をずっと走り続けるという光景はない でしょう基地は全て山の中と言われます その基に入って早速太平洋側と日本海側の 境い目であるト峠が見ていますあの辺りを 列車はトンネルで抜けていよいよ太平洋側 へ至ることになり潮の道は完全に終わりと なりそう です深い山の奥にありながら流通毛が古来 より整っていた基樹は木材の産地として 栄えました特に通過中のヒサは基礎湿が 作られている街で今も大変有名です いよいよ日本海側の稚内から続いてきた 景色は全部終わりとなりますこれから鳥峠 越の区間左手には川が見えますこの川を たどればやはり 番台橋をくぐって右方から日本海へ注ぐ筋 です稚内から続いてきたこの主要の道は どり海を渡りながらついにここ習いまで やってきて終わりとなりますまた名越の 辺りからは糸井川静岡構造線が進路を塞い できましたがちょうど現在地習い付近だけ は比較的山が低くなっていてここからは 鉄道でも抜けることができますこれが鳥峠 です一方でちょうどこの辺りからは中央 構造線と呼ばれております日本をて脈が横 1列に大体九州方面まで続いていますです からここから先はこの中央構造線に沿う ような形で九州熊本県八代を目指してみ たいと思い ます左手に見える奈川結局ずっと新潟に 上陸してから同じ水の流れを見続けていた ということになりますがその水の流れとも ここでお分かりになりました前方に トンネルが見えました昔のおれを持した ような看板も見て 中道の雰囲気が漂っている習いを過ぎます 列車が入ったトリートンネルは大変よく できたトンネルで速やかにこれを抜けて しまいます次の停車駅は昔石車も置かれて おりました基礎福島です峠のトンネルを 抜けますともう松本平の区間も完全に 終わりましてまた太平洋側からの湿った 空気が入ってくるということかさっきより もむしろ雪が増えてきまし た天気の勉強になっていますね横には国道 19号が並走しています車のスピもかなり 早いです走高速と呼ばれている区間 ですここで右手を見れば木福島の広い街並 が見えます昔この辺りはほとんど通り道が なかったそうですが今はだいぶ土地も良く なってい ます江戸時代からの街並が今に残っており ます木島毎度通るためにここをズームして いますが上野段という古い建物が一番よく 残ってるのは今ズームしたあたりでした だいぶ深い山の中であるということは映像 からもりと思いますが昔峠の手前の区間で もありまた比較的人もたくさん住める ところということでここ木福島は鉄道の 拠点になっていました基礎福島機関区が あり今も線路整備の拠点として使われて いるようですまた人も結構たくさんいます 観光客だけではなくビジネス客のような人 もいるしまた通学の人たちも普通電車を 待っていました山でありながら人も たくさん住んでいるところです福島を出 ますと右手に野竹さんが見えます さすがにここから山の麓へすぐ行ったり 登ったりということはできませんがその姿 を見ることはできました遠くから山にご 挨拶廃をする場所がここです中央線の景色 の最も美しいと感じる場所の1つだと思い [音楽] ますさらに揚げ松を通過しました昔木材を このように運んでいたんですよ通過するお 客さんにも伝えるための基礎森林鉄道の 看板しかし時期がければこやってくれば今 でも森林鉄道に乗ることができるという からすごいですそしてこの辺りではついに 発電所の光景をよく見るようになりますメ 発電 所これは近くの名所ザメのとこに由来した 名前です発電所時代も名所と呼べる産業 遺産ですがこれは近くの名所覚めのとこ から名前を取っていますこれがめのとこ です外側の激しい水の流れがこのような 険しい警告を切り開いたようです流れ 落ちる川の水を使ってでたののなど名産の 木材をブルクから下へ流してきました現在 は下りではなくトラックなどで輸送されて いると思いますが木材の産業は今に至る まで続けられてい ます日本ではほとんど魚というのは なくなってしまったのですが基地ではこの ように元気よくやっている姿を見ることが できます続いて桃山発電所が見えました これは大正時代のうちから作られている 黒い発電所ですい流の時代が終わった後も 流から流れ落ちる水を電気に変えて日本の 工業の都を大阪に送ったといいます現在で もここは関西電力が管理していますこの 辺り見える景色は名所だらけです続いて 通過するJR須原行は昔横の中仙道を人が 歩いていた時代をついに終わらせ鉄道の 時代を到来させたその当時の建物を今も 使っています明治自体の建物ですさらに 線路の横には中千道須原宿の街並みを残っ ています江戸時代や明治時代の建物は さすがにはもう少なくなってしまったよう ですがしかし江戸時代当時とほとんど同じ 道幅で両側には家がぎっちりと並ぶ宿場町 の風を今でも列車から簡単に見ることが できる中央線随一の名所ですここで進行 方向を右て後方を見えると宿町の並び越に 中央アルプスがこの辺りの山を支えている 光景を見ることができますこの中央 アルプスコスが先ほどからついにたどり 始めついには九州まで至るという日本の 大きな構造線中央造線のまさに始まりの 辺りにする山と思いますこの山がこれから 本州半島そして四国さらには九州麻山の 方面まで大体続いていくのだと言います これから先3日間の旅の友と初めて出会い ました遠には引き続き対象時代に作られた おしゃれな発電諸群が見えていますこれら は中部電力の管轄になりそうですがそうで はなく関西電力の管轄となっていますこの 発電所を作っていた時代の大阪はまく日本 一の大都会であって電気を必要とする工業 都市でもありました当時は名古屋よりも 断然大阪の方が工業力が高かったようです 大量の電気を必要とする大阪にいち早く 必要な電気を届けるためいくつもの発電所 が木曽川域に作られたということのよう です列車はそうに着きましたここも駅横に 丸田が積まれている良い雰囲気のところ この辺りで基礎は終わりとなります基礎の 木と書かれた会社なん気が見えましたね そろそろ外側の狭い流れも終わりとなり まして左手にはさんが見えてきましたこの エさなどつっているこれら一連の山波が 中央構造線ですこれらの山波は昔から大変 険しくなかなか人の通る道ではなかった ようですしかし将来はここに大きな穴を 開けて中央新幹線を通してしまう計画と なっています列車は中津川を出ました今 渡った川が中津川 ですもうだいぶ名古屋の都市県に近づいて いると言えます右手にも中央自動車道が 並行するようになりまし たに窓の外の景色が傾いている様子を 楽しむことができます車体を大きく傾けて カーブを高速通過する特急しの号の性能が 発揮されていますいよいよ西へ沈む夕日が はっきりと見えるようになりました山の 区間はだいぶ終わってきました全て山の中 と言われた基地も完全に抜けたり岐阜県 立見へかなり都会的な雰囲気になってきて あとノンストップで名古屋市内に行って しまうというところですが名古屋市街に 近づこうというところで急に地形が険しく なってきます系ですねここものすごい速度 で通過しますこれを過ぎればいよいよ中教 圏に入ったという実感をもたらしてくれ ますノビ平野の景色ですノビ平野は一応 統計で言うと日本で5番目の大きな平屋と いうことになります実際ね日本で2番目な んじゃないかと思うんですけどね結構広い んですがま平野というのは意外に定義が 難しい概念らしいですともかく大工業地帯 大田園地帯の中京県名古屋にやってきまし た名古屋は歴史がありつつも新しい町です 空中から復興する際に巨大な道路をいくつ も通してしまいました街中が道路にこんな に道路が便利な街は日本中探して他には ないでしょうね夜景は自動車によって構成 されています日本経済の原動力自動車の都 名古屋に着きまし たどこを見ても車のスピードは早く道も 広くテールランプが美しい日本の名物自動 車の列を見ることになりましたそしてここ から 冬のを 送り届ける東京からやってきた海道新幹線 となんなら少し抜き去るような形で新幹線 号と同時に着名古屋駅に到着しまし ただいぶ南また西の方にやってきてさらに 土地が広く太陽の明りも届くということで 夕方のですがまだ明るい時間となってい ますここからわか6分で関西本の快速列車 乗り換えをし ますあまり時間はありませんがバタバタと 大都市を飛ばしてしまうのもいい でしょうここから先大阪方面へはほとんど の人たちが東海道線経由で行くと思います しかし実は大阪方面には奈良を経由して いく関西本線という別ルートがあり昔は こっちの方が主要だったでしょうそして こちらの方が距離も短いのです行ヨヨと 快速電車は三重県桑名へ向けて出発しまし たこの先20km以上先にある県の桑まで はノンストップ ですどこまでも続くノビ平の景色が見え ますがいまいちスピードに乗りません三重 県までノンストップで行くはずだったのに 最初の途中駅発駅にも止まってしまいまし たこの辺り単線で反対の列車との行き違い を行うためにたまに停車しなければいけ ないのですこの間見せつけるようにして横 近鉄線のライバルの会社の急行電車が 追い抜いていきましたちょっと面白かった ですにおんのはていないので時刻表情は 通過なのですがすぐお隣の春田駅にもまた 停車その後蟹にも停車したんじゃなかった かなという感じでポツポツと最初は快速 電車と言いながら止まっていましたがその 後は本当に心よい速さとなりいよいよ三重 県との境にあります木川などの大きな川を 渡っていきますシノ号でさっき並走した川 です反対からはライバルの近鉄線の特急 電車がやってきました後ろには越看板が 見えますこれから先私がやることですね あれはお酒の宣伝ですね有名な看板ですね 稲越自体も有名ちなみに名古屋から桑名 までの間快速電車の方が本数が少なく時間 もかかってしまうのですがその分運賃が 350円と安めになっているのが特徴です これに対し近鉄線は名古屋からクワナまで 本数も多く便利ですが530NとJRより もだいぶ高くなりますまこれはJRの方が デメリットが大きいということで値段で 対抗している面白い例ですですからまある 程度どちらを選ぶかというのはねえ利に 叶った選択ができると思います左手には 白い煙が見えたち始めましたまもなく列車 は四日市に着きます三重県最大の町は県庁 所在地の津ではなく四日市だそうです 1960年代ですかねエネルギー革命が 起こり北海道でもう石炭を取るということ も次第にやめ始めたという傍石油の時代に なって日本で初めての石油科学 コンビナートはここに気づかれそれ以来の 繁栄を続けているところです時代の移りも 1回の旅行で見ることができましたタク車 の大群衆が見えております同駅がJR東海 の四日市駅です横にはJR貨物の取り扱い 施設がたくさんありどちらかといえばJR 貨物の方がメインのような印象を受ける 四日市を過ぎてその後は途中各駅に停まり 終点の亀山駅に到着しました大きなホーム の屋根が目立つ駅ですここは江戸時代から の交通の幼少で現在でもJR線が名古屋 伊勢京都奈良大阪方面に伸びている交通の 幼少昔は機関庫も置かれた鉄道の拠点でし たしかし現在ではどうかというと近鉄線や 自動車交通にすっかり負けてしまっていて 昔の光今伊豆子という言葉がぴったり合う ような広大な駅にほとんど列車が止まって いないという光景をいつも見せています しかしこの亀山駅の大根はすごいです昔 東京や大阪京都伊勢あちこちに列車が走っ ていた時代の立派な屋根を今でも残してい ますもしかしたらいつかまた注目を浴びる ことがあるかもしれませんねリニア中央新 幹線が開業すれ ば長いプラットフォームにご注目ください はるか向こうの橋から私の足元を通り抜け て まだまだ昔ここ関西本線は新幹線ができる 少し前ぐらいまで東京と大阪を結ぶ三筋と しても機能していまし た横には昔蒸気機関車が忙しく活躍してい たと思われる車両地があり私が名古屋から 乗ってきた列車もとりあえずこの車両地に 入るよう [音楽] ですまたここから先奈良大阪方面に向かう 関西本線の列車はなんと1両になりました しかも普通の車両よりサイズが小さい一両 です昔はこの長いホームを全部使い尽くし てしまうぐらい長い列車がやってきていた のだと思いますが今列をなすこともない たった1両の列車が来るだけの寂しい区間 になりました割にはお客さんがいっぱい 乗っていますまたたくさんお客さんが 乗り込んでいき ます若い人だけじゃないですねさらにここ は交通の要ということでタイミングを 合わせて伊勢方面県庁所在地のつも列車が やってきましたあれにもお客さんがあれ 意外に乗っているじゃないですかもしや 思っていたほどはまだ衰退していないのか と思いました駅のホーム場には昔の看板 などが残っていてこれを見たいと思ったん ですが早く取らないと席などがなくなるか もしれません専門店ガリバ鈴鹿警察署前店 もうこの店は存在しないみたいですね イニシエの広告がまだ姿消すことなくその まま残っていますじゃあこれぐらいで車内 残っていきましょううわ大勢乗り換えて くるすごいなんだかんだ使われているじゃ ないですかこれ主要街道ですからそうです よね私が狙っていたのは当然座席ではなく 進行方向の一番後ろ流れ去る景色を見る ことのできる場所でしたそうそうここから JR東海を離れjr西日本館内に進みます 浜駅の長いホーム広い 校内昔ここに列をなして泊まっていた急行 列車の姿も想像できそうですこの関西本線 は衰退してしまって寂しいなという感想を 与えるかと思いきは意外に高速で走ったり とお客様も乗ってるしなかなか分からない 路線ですね1個お隣の関駅で途中下車して みることにしました途中下車する理由は この列車に乗っていってもこの先の乗りが あまり良くなく1本後の列車で行っても 最終目的地ならまでの到着時間はあまり 変わらから ですここ席で降りますと私の頼ってる水が 今はこのように寂しくなったかもしれませ んが確かに物流の大動脈に位置するのだと いうことを感じることができます駅前の 国道1号を通り抜け急東海道まで歩いてき ました駅から程近い距離にありますこの 東海道の宿場町関宿の光景を見ることが でき ます53次の中でも特に立なが残っている ここ席は東海道で1番昔の雰囲気をめて いるところでしょう観光地として人気を把 する関西線沿線の宿場の景色を見て確かに 今関西本線は人が多く利用する路線で なくなってしまったかもしれませんが元々 はこの三こそ日本1の人が多く通った 東海道中であるということを自覚すること ができましたちなみに本当はもっと暗い です携帯電話はかなり色々調整して真っ暗 なところで写真を撮って頑張ってかっこ いい写真が撮りましたわ2だなんとやって きた関西本線は2両 編成さっきは1両だったんですが今度は2 両車内もだいぶ空いていました 着出発しますと列車は急な上り坂の区間に 入りますこの車両の面白いところは運転さ のお隣の部分にお邪魔して前方の景色を誰 でも見ることができる構造になっている ことですこれから先は伊賀越とかカブト越 とか呼ばれている急行配の区間ですそして 賀の国へ向かいます三重県の西武に向かう んですね登り坂を登るためのエンジンの音 が響くとついにレガで作られたトンネルに 入りましたレガで作られたトンネルという のは日本の鉄道にある色々な施設の中でも かなり古い部類になりますつまり古くから この険しい区間に鉄道を通す必要があった ほどの重要ルートだったことの現れですね またレンガのトンネル [音楽] ですもう外は真っ暗になってしまいました が前哨灯が明るいので景色は十分楽しめて います そして次に見えます落石位に囲われたこの トンネルがカブトトンネルです作られた 当時1kmぐらいあるものすごく長い トンネルだということで入口と出口から 掘り進めるだけではなくこの上の山の上の 部分から斜めに掘り進める車高というもの を建設し初めてそうした方法で作られた トンネルだそうですつまり新しい技術の 初めての最容れになったトンネルでここが 峠のトンネル天井部分を見ると黒いものが こびりついています昔ここで懸命に煙をた 蒸気機関者たの残していたものだろうと 思います今ではたまにディーゼルカーが 通るだけになりましたがお客さんは結構 いっぱい乗っていて列車はここを ビュンビュン飛ばしながらそれなりに地域 の役に立っているという感じで走ってい ます最もここを単独でjr西日本が維持 するのもかなり難しい区間だろうという ことは思いますが将来はこのトンネルなど 周辺の区間も全部中央新幹線という新しい 形に生まれ変わる見込みのようですまだ 詳細なルートは決まっていませんが多分 そうなるでしょうはい刀越をしましたこっ から先は急な下り下25%ミルと書いて ありますがねかなり急な下坂であるという 標識が上っていましたこれから先は東へ 向い下列車は次駅に着きましたここから 乗り換える草線を使うと京都へ出ることが できます私の目的地は京都ではなく奈良 方面この次駅もまた大昔の鉄道駅の雰囲気 をこの柱とか屋根とか昔のまんまですね 全般的に昔の雰囲気を感じ取ることの できる関西本線しかもスピードも上々で 時速100km手前まで軽く出してくれ ますこれで忍者のイガも抜け京都府の南方 傷に到着しましたここは京都府ではあり ますがまほぼ奈良みたいな感じですね奈け だと感覚的に思っていただいてもいい 位取りだと思いますここから先はいよいよ 都会的な電車に乗り換えとなります大阪 難波まで向かう快速電車に乗り換えをし ましたただ大阪には行きませんけどねそこ から短い時間でついに明りめく大会奈良に やってきました人口は36万人大体今日 通ってきた長野と同じぐらいですもしくは 北海道の旭川と同じでしょうホームの端 っこだけは明りが必要ないということで 真っ暗になっていましたが駅全体が光に 包まれた安心できる雰囲気ですしかし ベンチの上に地元の方が手縫いで作ったの を寄付したと思われこんな座布団があり ましたこうのすごい田舎の無とかだと地の 方寄付してくれてるものは置いてあること ありますが奈良レベルの都会の駅でこの パターンは初めて見ましたここ温まる光景 です今日の旅行はここまでとなり ますなんと見事な駅校内票様式と言い ましょうか空用の奈良っぽい建物にどだと 並ぶ世界遺産の観光案内もうこのままここ で旅行を終えて奈良の観光に移っても後悔 しないぐらいの心持ちです が今回は日本銃弾をするのが本分です立派 なJR奈良駅将来はここに中央新幹線が 来ることになるだろうと思い ます駅前通りの三条通りを行けば春大社や 東大寺などがある奈良県の中心部に至り ますこの奈良で寺院建築などを見てくれる こともなければ地に合うこともなくただ 日本団の通り道として南とを抜けることが できることを光栄に思いました交通の要と して奈良を使うことができたわけですね あえて今回はただの移動客であるという ことで名物などを食べることはなく適当に そこら辺であったとんかつを食べ駅前の スーパーホテルに泊まることにしまし たなんと駅前にはスーパーホテルと スーパーホテルプレミアがありましたあれ 僕の予約したのはこれ僕の予約したのは プレミアの方ですねこっちの方が高いのか と思ったねプレミアの方が安いんですよね どういうことなのかな朝食の無料サービス を今はやっていなかったようですそして 時間一杯ぐっすり7時間ほど眠り 翌朝午前5時50分頃6時23分発の普通 列車で出発しようと思いましたが思った より日の出が遅く景色が何も見えません 予定変更ちょっと出発を送らせることにし ましたいっぱい出ている駅前のバス停から 近鉄奈良駅へ向かいます昨日の夕方名古屋 を立って夜9時に奈良までやってきました 到着したここは奈良盆地の中です奈良盆地 は日本発生の盆地であり多くの人が住んで いますそこの交通を担うため大阪行きの 関西本線南方奈良本を結ぶ桜線さらに 和歌山方面へのアクセスも担う和歌山線 それの他JR線のライバルであります近鉄 奈良線が大阪へさらに県南部から大阪方面 は近鉄大阪線が京都方面との連絡も担う 近鉄柏原線や吉野線他にも南大阪線などの 多くの路線が通っていてまはっきり言って しまえば近鉄線の方が便利で早いんですね そこで少し時間を送らせて近鉄経由で行く ことにしましたバスで近鉄奈良 への鹿の住か奈良公園をここから拝んで おきますいつも失礼なことを申し上げて すみませんという気持ちと共 に奈良は鹿は今日いないみたいですね朝は やっぱりまだ他のところにいるのかな夜中 でも公園の奥の方で草を食べたり色々やっ ているみたい です地下にある奈へ降りてきますと ちょうど私の乗特急電車が入ってきました 今インターネットで指定権を購入しました この特急電車の編成の長さを数えてみ ましょう今4両目が目の前を通過これが4 両目さらにその後も続き ます5両目6両目うまだ繋がってますね7 両目8両編成ですねすごい長さだと思って いたらなんとまだその奥にも繋がります これはすごい重量編成ですかなかなか見る ことのない長大編成特急列車は朝バンバ 繋げて長い編成にしました大阪まで ちょっとリッチに通勤したいという サラリーマンたのにえる豪華編成です しかし乗り込んだ時点ではまだお客さんは 全然乗っていませんでしたま他にも車両の 運用の都合とかもあるのだろうと思います 奈をガラガラの状態で出発出発するとすぐ に後ろの喫煙所何人かタバコを吸いにき ました大人気ですねお待たせしました おはようございます近鉄特急をご利用 いただきありがとうござい ますこのは 大阪発表があったんですが近鉄特急内に ある喫煙スペースはついに廃止になるそう ですねわ吸っていた方はショックだった でしょうねさて左手にも右手にも昔ここに あった平常橋の跡地が復元されています なんと見事な平常橋とはここで今どんどん 建物が作られ発掘作業が進んでいます近鉄 特急は恐れ多くもその都のど真ん中を通過 するのですしょうがないですよね特に 振り返る奈大の建物なども一部見える とては早速私の乗り換えるべき駅奈良の1 台乗り換え駅大和西大寺に着きました京都 からやってきた電車とすれ違いまた大阪へ この電車は分れていき ます色々なところから列車がやってきて 色々なところへ分れていくこの大和最大の 忙しさ電車が常に朝の時間帯は動きまくっ ています特にここから振り返ったところ 線路がぐちゃっと分ちている光景が面白く スーツチャンネルでもこれまで繰り返し 紹介させていただきましたこのさですよ 電車が見えない瞬間がありませんよく ぶつからずにやってるなと思いますが全 自動で絶対にぶつからないように理されて いるので大丈夫です狭いホームの上奈良 県民が忙しく歩き回り電車同士が追いかけ するような形で次々とデリを繰り返すこれ が冷え込んだ冬の大和の朝のきるです ね人が江戸のみたい見てるようなを感じる ことができましたの音が大きいです からさてここから先私は南方奈良本の南の 方へ行き和歌山県方面を目指したいと思い ますここから先乗り換えて行く列車はまた 近鉄線の特急です特急に乗って行った方が 早いしお金もそんなにかからないし撮影の 邪魔にもならなくて気を使わなくていいん ですねあの奥の方に見えているのが私が 乗るべき車両です今車庫からこっちへ 入ろうとしていますが色々な列車が行き まくっていますから大変ですすい光 [音楽] 番場が発しますまず駅の校内放送1番 乗り場の奈良4両編何を言ってるのか全然 わからない多分最大の駅を使っている人た もほとんど駅の校内放送を聞き取ろうとは していないと思いますディスプレイと列車 の行き先表示だけを見て確認している でしょう ね次々動きますで私の乗ろうとしている 赤い列車も今向こうで待機してこっちに来 てくれそうな準備をしているようには見え ますがあまりにも頻繁に列車が出たり入っ たりしているのでなかなかこちらへ来る タイミングがありませんちょうど今右側の ホームに入りました白とオレンジの特急が いなくなるとおそらくですねこれの左手前 のポイントを線路の上を確認していただき たいんですが1番画面の 左下線路がガチャンと切り替わるでしょう はい切り替わりましたこれで来てくれる わけです ねはい動きまし たこの車両の名前を伊勢島ライナーといい 伊勢島の観光地へお客さんを運ぶのを目的 として作ったリゾート車両ですですが朝 だけは奈良盆地の中の県民の通勤輸送に 協力して走ります車内も豪華すごいですよ ねああいう豪華な車両もありますが今回は 慎ましく1番安い席で行くことにしまし たま1番安い席も結構いい雰囲気です 行き先は柏原神宮前行きさらに吉野方面の 特急と連絡 1番安い席とはいえいい雰囲気ですよ ね最尾の指定席を予約しまし た線路が入り組む最大時朝も早くから列車 が1回全部で120万人と大変多くの人口 を誇ります奈良盆地の力の有用を鉄道の 行きかう風景を通じて私たちに伝えて くれる奈良県の力を示す1つの象徴の場所 だと思います駅を出ます左には出発する 近鉄特急の朝のお仕事の始まり大量の車両 が止まっていてこれが今みんな一斉に大阪 京都へ出ていきますこれは忙しくて大変 ですねそしてこんな強力なライバルを持っ てるのでjr西日本も列車の運行が大変だ と思いますま新幹線でしっかり稼げば 大丈夫 でしょう特に奈良の都などをチラチラと見 ながらズームしてすごく頑張ると実は大仏 の屋根とかがここからも見えるような場所 なのですがまちょっと難しいかな災害の 少ないと言われるここ奈良盆地には実際 太古の昔の建物が今も多く残ってい ます通過しているのは薬時で2つの塔が あるうち画面右側が特に古い薬時等々奈良 時代の頃からのものです近には東小大事と か色々古い建物が 目し古い建物が壊れてしまったその理由も 平の木による焼き打ちであったりとかま 必ずしも災害によって壊れてしまったもの ではないというのですからすごいですよね 地震も比較的少ないと言われることがあり ますが怒ってもおかしくない状況ではある そうですから災害対策には奈良の皆さんに も警戒を持っていただきたいと思います東 の方角日の出てくる方向からちょうどこの 奈良本町を飛び越す朝1番の東京発大阪 行き全日空の朝一番の便が見えましたあれ に乗ると朝8時ぐらいに大阪駅に着くこと もできるんですよ ねところでどうして奈良は古来より都の 置かれる場所として選ばれてきたの でしょうか奈良盆地の西側には伊駒山脈が ありこれよりも西側は大阪平野ですが昔は これはほとんど海であったようですだから 土地はありませんでした北側には京都盆地 もありますがこの辺りには木川宇川桂川 淀川など多くの川が流れていて大雨が降れ ばこれらは溢れてしまうということで水害 のリスクがつきまとう土地でした一方奈良 盆地に大きな川はありませんでしたです から広い土地があるのに水害のリスクは 少ないということだったのです現在奈良 盆地には大きな川がなく水の用を安定化 するために多数のため池が設けられていて 奈良の名物たる光景となっています今は どうしてもその水の確保について苦労して しまう部分もあるかもしれませんが実は昔 この奈盆地付近にはもっと大きな池があっ たそうですそして広大な池もしくは湖から 水を引いてしまうことによって割と水を手 に入れることも絶やすい時代があったのだ と言い ますこのように水害に悩まされるリスクも 少なければ意外に水も割と手に入る十分な 広い土地があるということで奈盆地は事務 天皇に始まる日本の歴史の最初の地として 初めての都が置かれることになったそう ですま本当はヤタガラスの案内によって ここへたどり着いたということですが多分 それは嘘でしょうともかく列車は宇山を 背景に見る大和八駅にまもなく到着します こここそ日本の歴史の始まりの奈良県柏原 市上下に線路が行きかう大和駅は奈良県の 中でも最大時に継ぐ重要乗り拠点となって いると思い ます大阪へ向かう近鉄大阪線との乗り換え 地点です右手に見えるウビ山の麓にはここ こそ柏原の宮が昔置かれたとされている 市上初の高居があった場所 ですイエの5所があったとされる場所には 任務天皇をお祭りするための柏原神宮が 気づかれました柏原神宮そのものをここ から見ることはできませんがそのすぐお隣 に柏原神宮の敷地として運動競技原公園が 置かれていてここで強い大和の人たちを 育てようと戦前のうから作られたものです 今でもその目的通りに使われてい ます奈良盆地の南端終点柏原神宮馬駅に 着きました大阪川新特急にご乗車のお客様 は7張り到着するなりいし案内がかかり ますここから先南大阪線が分岐しまた大阪 への通勤客が運ばれていきますが私の進む 道はこちらですこの先険しい山がつってい ますその関係で途中は少々登り降りする ような感じになりますあの前方の山を 超える必要はないのですがこれからは気腹 のある道筋です大阪へ行く人たちに混じっ て私も近鉄吉野線のホームへ向かいます駅 には伊勢神宮へ行きましょう飾り付けそこ に柏原神宮があるんだから柏原神宮に行け ばいいんじゃないかって気もしますけどね 柿の外しがありますねまだ朝早い時間で 買えませんでしたがまこの後変える予定 ですさらに乗り換え吉野行きの近鉄特急が やって この列も乗り時間が 完璧お待たせしました近鉄特急をご利用 いただきありがとうござい ますこの電車は吉野行き特急 ですさすが日本の歴史の始まった辺りと ありまして沿線には多数の古墳があり列車 からも目にすることができます向こうに 見えている高台はどなたの古墳かは分かり ませんが丸山粉と呼ばれていてしたら天王 の三かもしれない参地として扱われている のだそうです列車は次に阿駅に着きます徳 大使が宮殿を置いたというイの町 ですもなく鳥の明日の宮に着きました到着 のと名ですお出口は側 ですあを見ることもでき良かったと思い ます ねちなみにこの近鉄特急に3回も乗り換え ていますが奈良から1時間ぐらいに乗って 料金は投資でわずか52円ですこれプラス 乗車券が必要となりますがここ日本の小長 樽奈良本の南アカ柏原という辺りでいい 朝ご飯食べますね実に日本らしい パン列車は次に吉口駅に到着し ます列車はののまでやってきましてここ から先は和歌山へ向けて木川奈良県内では 吉野川と呼ばれております川に沿って さらに西へ向かうことになり ます降りた吉野口駅はびっくりえここ近鉄 の駅だよねjr西日本方式の青い駅名の 案内看板がなんだこれはJRの駅と近鉄の 駅が繋がっているようでわこれは昔の国鉄 方式の案内の看板ですねJRなのなのか よく分からない雰囲気の駅でしたマニアと してはびっくりしかし時間はほとんどあり ませんここまではICカードで乗ってき ましたのでスカをビッとタッチ し私の乗ります列車はこれですねここから 木の川に沿って西へ向かう和歌山線 です山井の小さな駅ですがJRと近鉄の 連絡がお互いにうまくいっているのか 乗り換えは一瞬で済みかなり便利でした そしてここから県境の町5条を過ぎて 和歌山県へ入りますままだもう少し距離が ありますけどねえ昨日から思っていたん ですが意外に大和もしくは気の通った伊賀 などは結構寒いですもう方面に下が降りて ますね北海道からだいぶ南下してきたので 温かいだろうと思ったらとんでもない あまり北海道とそこまで気温も正直変わら なかったですよ朝晩についてはからもっと 温かい格好をしておけばよかったんですよ ねまもなく左手前方に険しいが見えてき ます吉野熊の国立公園山地5大子天皇が 三種の神技と共に逃げていったのも大体 あの辺りでしょうこの辺りで昨日も1度見 た険しい山波にもう一度出会いました中央 構造線からつる金山地です昨日も中央線 からご挨拶をしましたがまたこの山に沿っ て九州を目指すということを思い出したい ですさて列車は奈良県最後の町5条に着き ますここ5条では楽しみにしていたことが ありました柿の外しの購入です 停車時間は4分ある予定でしたが列車の 遅延に伴い3分に減ってしまいましたまた 売店の方は柿の外しを1つずつ詰めてくれ てかなり急いでやってくださったのでなん とか購入することができましたここ5条は 柿の外し発症の地であり朝も早くから売店 が営業していますそして5畳でお客さんの ほとんどが降りていき車内でお寿司を食べ ても問題ない雰囲気になりました田中の柿 の外しは奈良の都の名物ですが本当は奈良 盆地の中ではなくここ5畳の名物ですなぜ 5での外しなのでしょうかこれから進んで いく和歌山県の地形をご覧ください びっくりするぐらいほとんどが山となって いますその中でこれから進んでいく木川の 流域だけは比較的平坦な土がありこの川を 使って海の産物を奈良に送っていました また昔大和で取れた木材を木の川に乗せて 下らせ和歌山の町へ送っていたというのも どうもこの辺りのようです列車が出発した 和二駅周辺この二は昔木材を木川に積み 拠点としてしていたのだと言います今でも 木材屋さんがありましたねここから和歌山 までは中央道線及び木川に沿って一直線 ですこの辺りが柿の外しを食べるにも良い 頃合いだということでしょう柿の外しの 定番の具材はこれ1つのみですサバ昔 和歌山ではサバがたくさん取れたそうで それを木川の水温のルートに沿って大和へ 送っていたという話ですじゃあなぜこんな にサが薄いのかご飯よりもサが随分少ない ですこれは保存性を聞かせてゆっくりヤ まで送っても腐らないようにするための 塩漬けの工夫だったそうですそれと塩分が 多くしょっぱくなりますのでご飯よりも サバの方がだいぶ薄いのだそうですここ からは和歌山県に入ります紀州最初の駅 須田駅を出発現在では柿の外しも地域の 名産ということで新しい商品も増えてい ますその中で歴史が古いのは鮭でしょうか 今から130年ほど前に新商品として開発 されたようです列車は次に橋本に着きまし たここは高野山への玄関口となっていて 南海電車との接続があります 小屋さんは今回は日本団には関係ないので 行きませんが私も今行きたいと思っている 場所です5年前に一度行ったことがあり ますが当時より色々知識が増えたと思うの でまた今の目で見たいと思ってい ます大阪の間を生きする特急電車荒野号今 ホームにつつけてお客さんを待っている ところでしょうか大阪へ直行する複線電荷 の南海高野線は大変立派な線路で大きな トンネルが口を開けています南海電車の 実力を感じることもできるしまたさんの 政治としての下れよも感じることができ ました次に停車して駅は高野口駅ですこの JR和歌山線は南海線よりも歴史が古く昔 明治時代にはここまで人々がやってきて 歩いて荒野山へ登っていたと言いますうわ なんですかこれは3階建ての旅館ですね昔 人々がここから歩いてはかな聖地をな大師 返上金剛合言葉に登っていたという時代の 古い旅館が残っていましたここから歩いて 高野さんの学へまっすぐ進んでいたことと 思います歩いてですから1日がかりか2日 がりでの観光になったでしょう [音楽] ね列車の横にたくさんの木が羽を落として いる様子が見られますがこれらは全部柿の 木のようです柿の外しの発生には実際には 諸説あり奈良県吉野の柿の木を使ったとか もしくは全国1位の生産を誇っております 和歌山の柿の葉っぱで包んでいたかもしれ ません他にもこちらはみかの木と和歌山 らしい光景が早速見え始めています列車が いるところが和歌山県で1番十分な兵の あるところこれ以外の和歌山県は全部海 もしくは全部山というから凄まじい場所 です列車は先ほどから吉野より流れてきて 吉野川から名前を変えた木川に沿って進ん でいます木川が見えるところは意外とこの 和歌山線線でも少ないのですがここでは よく見えます目の前には小さな島川の中須 がありますが昔熊のモデをした帰りに時の 関白藤原の寄道がここで船遊びをしたと 伝わっていますそんなにすごい人が来たの かとびっっくりですが実際に水温の要所で あったようです伊島神社が今でも島に置か れているんだそうですね伊島神社は安全 高校のお祈りをするために昔から下れてき た神社ですさてドが列車は各駅で3つの扉 全部を開けますがこれかなり寒いですドア が開くたびに私の方に冷たい空気が寄せて きますつまり和歌山県の山奥は1月となり ますとだいぶ寒いということですね山を 舐めてはいけませんしかしこの和歌山線 沿線はまず古い駅舎がたくさん残されてい て駅前には駅前商店があって駅にタクシー が待ってくれているなどだいぶ伝統的な ローカル線の雰囲気を今に伝え続けている と思いましたこれ結構また来たいところ ですね川をついに下り切りまして列車は間 もなく若山市街中心部に入りますここで この路線図を見ていただきたいのですが 列車はこれからタの駅現在地を出発します そして木の川に沿うようにして作られた 和歌山線の終点和歌山市を目指して進むの ですがところがこの辺りの線路の構造が ちょっと改造されて不便なことになってい ますかつて線路は伝統的な木の川にソ ルートを取っていましたタノの次は木 そして和歌山市ですしかし大阪からの半波 線が通る東和歌山駅の方が重要な位置付け になってきましたそこでこの和歌山線の 線路を改造し東和歌山駅を和歌山駅として このようなルートに変えました和歌山線は 東wi-fi前駅へ入るようになりここで 折り返し和歌山市へ行く終点までの路線は 分離たのですそして伝統的な川沿いの ルートははっきりとは分からないように なったのでしたということで昔まっすぐ川 に沿うようにして終点の港近く和歌山市へ 向かっていた配線後前方に見ながら今住宅 地になっているようですねここで不い ながら左折していただきます僕はこの先 まっすぐ港の方まで行きたいのですが一旦 東和歌山改めて和歌山駅 へ歌山到着した和歌山駅で折り返しまた 最終目的地の和歌山市駅を目指したいと 思い ます 番後から作ったらしい左のカーブが続く 線路です ね昨晩奈良に着いてからどれだけ大阪に 向かう交通を見過ごしてきたでしょうか 鉄道の時代になって文明が便利になって この辺りの経済は大阪への依存度を高めた のかもしれないです ね 到着した和歌山駅ではすぐに本来の終点で ある和歌山市行きの電車と同じホームで 連絡するように作られていましたですから 乗り換えは簡単でそれほどの不便は感じ なかったのが正直なところです次は到着し たホームをすぐにバックしてまた元の三筋 の木の川沿いのルートにちり ますまた後から作った感じのする旧カーブ の線路を進み ますここで後方を見返すとあの自動車が 止まってるところの奥に変な橋があります よね昔はあそこに私が5条ありからずっと 辿ってきた和歌山線路昔の線路が通ってい たようですあの辺りが配線後のようです駅 のにしてくさい終点が近きますと線路は 高架になりましたにお気をけくださいここ から和歌山市街を一望することができます いよいよ瀬戸内海が近づいてきまし たそんな交通の幼少にある和歌山は州徳川 の拠点として重視さ れ今でも和歌山城があそこにあります当時 のものではありませんが町のシンボルとし て見えやすい位置に立っていますまたここ でも大阪からの交通を見ることになりまし た左から南海本線が合流してき ます 西本を利用いき まし5条から辿ってきた和歌山県の背骨と なる路線を全部乗りしました終点の和歌山 市駅に到着から先もう少し港まで南海電車 に乗り継いで医療しついに船でしたいと 思いますこの和歌山市駅は相当立派あれ前 こんなんでしたっけリニューアルして かなり綺麗になりましたね前も確かに綺麗 でしたけどね前はJRと南海の改札が 繋がってたりとか結構面白い駅でしたここ から先徳島までの切符を購入します スキップです船の切符も同時に購入できて しまいますしかもこれは安いです船台だけ 払えば電車賃はただになり ますちなみ大阪からも関西空港からも電車 賃はただになるということで船の旅をし たい人たからものすごく産の声を浴び まくっているスキップお勧めし ます大阪からやってきた特急電車サザ号 です豪華な車両が前4両連結されています が後ろ4両は特に追加料金を払うことなく 乗れますすぐについてしまい次が終点と なりますので安い方の車両で行き ましょう安い方の車両はす 50年はかないかなぐらい長く使われ続け ている車両です南海線はそういう車両が 多いんですねま乗り心地別に悪くないです からね和歌山市駅を立って瀬戸内海までは もう少しです実際横を並走する木の川に 加工から2.6kmと出てい ます奈良から続く木の川の全部をたどる ことができたと言っていいでしょう港 らしい雰囲気になってきましたここ和歌山 は海上交通というルートで見れば大阪の 手前にある重要地点で州徳川が置かれたの も納得の重要事態です終点和歌山攻撃に 着きましたここからはそのままフェリーに 乗り換えることができます鉄道連絡線です 日本でもこのように列車から直接船に 乗り換えられる場所というのを昔は たくさんあったんですが今はこれとあと 広島電鉄の宮島に行くフェリーだけですか ねともかくこのような雰囲気でかなり しっかりとベリー乗り場と鉄道乗り場が 一体化しているのはもうここだけだと言っ ていいと思います奥にはこれから乗り換え ます南海フェリーアイが停泊してい ますフェリーまでの長いツールを歩くのが 楽しいですね次の目的地は丹海峡を過ぎて 四国徳島ですアの線内はこのようにかなり 広くお客様はあまり乗っていませんま トラックが死体のコなんでしょうお客さん はついでで乗せてもらっているという感じ だと思いますありがたくお世話になります 広い座敷の席をほとんど1人で使うことが できまし た 10時35分時間通りに出行しました徳島 港までの所用時間は2時間と15分です向 に見える鉄場戦争中に作られその後の復興 と高度経済成長を力強く後支えしました 現在の主力製品はパイプ事業のようです これから進んでいきます北端海峡は右手に 行けば大阪神戸左手に行けば九州名古屋 東京方面ということで大変重要な海の十と なっておりますこの重地を見張っていた 和歌山班の殿様は紀州徳川家というわけ ですね特に有名なのが徳川義宗徳川家持ち などを出しまし たそして先ほど和歌山線に乗って五条 あたりからずっと沿い名前を吉野川その後 木川に改めてついに海に注いできた和歌山 県の1番の歴史的メインルートもついに ここで北端海峡瀬戸内会へ抜けました川と 一緒に旅をできたことを嬉しく思い ますこの海で取れたサが塩漬けにされ柿の 葉に包まれて保存されて今にた木の川を 遡って大和の地へ送られたというわけです 名物はなかなか1箇所だけで完結しない 場合もあるわけですね各地方の合作によっ て生まれた名産柿の外の残りをここで全部 平らげることにしましたこれから進んで いきます北海峡地図はこのようになってい て大阪港神戸校や明石海峡さらに堺和歌山 校など重要地帯がつるこの辺り昔は紀州 徳川家が監視しておりましたが現在は会場 保安長や海上自衛隊がこの辺りを守ってい ます特に外国勢力に対する警戒を働かせる のは海上自衛隊ですがこれは潜水艦では ないですかこんなのも動いてるんですね 初めて見ました潜水艦といえば水の中に 潜って煙なども出さず秘密の任務を行うの が常ですがこの辺りは完全な日本の宇宙と いうことでまだディーゼル推進で分かり やすい状態で航行していまし たその後反対の徳島から和歌山行きの南海 フェリーがやってきてお互いにすれ違いを しました桂木は和歌山県の街の名前ですね 一方私の乗っているフェリーアというのは 徳島県の名産品から取られています四国が 近づいてくるとやはりちょっと海峡の多分 気象条件が違うんですかね日が刺してくる ようなところもありました四国は比較的 香水量の少ないところをこれから走って いき ますまもなく到着する徳島は川が ものすごくたくさんあり街中水浸しのよう になっているすごいところです昔から水温 の便利が大変良くそれを生かして当を多く 稼いでいたと言います向こうに見えており ます長大な橋は四国三郎と呼ばれる広い川 はか愛媛県の方から流れてくるという 吉野川を一にする橋でようやくこれで橋の 区間が終わりましたね私の乗っている フェリーアはまもなくこの前方にあります 徳島港に入り ますあまり仙内の紹介しませんでしたが この時売店とかやってなかったですねまた 普通スだったのでまお弁当を食べるぐらい で済ませることにしましたがこれね記念 撮影コーナーがありましたパンダですね 和歌山県といえば パンダこんな風な持ち方の方がいい でしょうかなんかその面白くて可愛くて パンダも可いそうでいいなと思いましたが これよく考えてみますちょっと問題になる かもしれませんおいお前中華人民共和国に 喧嘩売ってんのかこの野郎何やってんだ この野郎あ大変申し訳ございませんパンダ は中国との外交関係を取り戻す大切な役割 をっておりますんで気をつけましょうさて 足をくりまして四国の地を踏むのはここ 徳島港からとなり ます昔は歴史ある小松島港に切断しそこ から列車に乗り換えることができたよう ですが現在はバスへの乗り換えとなります 早速フェリー乗りを降りますと漁船が入っ てくる光景が見えましたここ徳島は船の 便利が大変いいところですバスに乗ってい てもそれらしい景色を見ることができると 思いますバスもそれからここまで乗ってき た船も皆色で塗られていました徳島の色を 1つすれば断然この青色ですバスが止まっ ているところから時折り川が見えます大体 川には船が生していて利便性の良さを感じ ますねさてここまで奈良県から後に木川と 名前を会話しましたが吉野川に沿うように して和歌山へ至りましたそして船でやって きますと到着したここ徳島にもまた吉野川 という川が流れていますしかもよく見て みるとそれぞれの地形は大変対象的数学の 授業で習った戦対象という感じになってい ますがこれらははつまり中央構造線の上に ありまして地形的には繋がっているのです ですからこれから先さっきまでと逆向きに 吉野川をたどり遡るような形で徳島から 鉄道の旅を始めます路線の名前もそっくり です先ほどまでは吉野川に沿う和歌山の メインルート和歌山線に乗りましたこれ からは吉野川に沿う徳島県のメインルート 徳島線に乗ります徳島駅には駅弁というの が全く販売されていないようですそこで パン屋さんでこんなものを購入してみまし たまたで他のところでご飯が食べられると 思いますまた徳島の車両は全てディーゼル 車です電車というものが一切存在しない 全国唯一の県となっています徳島以外は 沖縄を含め全46の都道府県が電車を走ら せています駅を出て目の前の大切列車が 走る時だけ長い渋滞になります重要な道 ですね後ろを振り返ると柿の木が線路の方 へ垂れていましたうわいっぱい実ってい ます取る人がいないんでしょうねこの徳島 線は徳島県内にある色々な路線のうち最も 早く明治時代のうちにほとんどの路線が 完成していました路線橋の柱をご覧 くださいこれ明治時代とかに作られた鉄道 の構造物でよく見られる立派な柱ですそれ だけ徳島県の経済の基礎をなす重要な路線 だったんですねだから徳島線という名前が 与えられているのでしょう昔は徳島本線 でしたこの駅も明治時代っぽい雰囲気で ずっとやっているようです染と書かれて いる看板がありますね徳島は染め物で大変 有名この後見ていきましょうまた歴史ある 鉄道の脇にはやはり木が置かれているもの ですね今回の旅でも色々見てきました木材 の置場がここにもあります昔はこの路線に 並行する吉野川におそらく木を流して徳島 の町へ送っていたのだと思います現在は 鉄道の駅も使われることはなくここ拠点に トラックで輸送しているのだと思いますが 一時期は駅の横にあるこの貯木場から 積み替えていたのだと思いますなんか 和歌山でも見たような話ですね本当に そっくりな路線ですちなみにこの徳島線は ローカル線かと思いきやかなり高速で 走れるように整備されていて普通列車と いえどなかなか爽快な景色を楽しめます ちょうどここで右手に吉野川が見えるよう になりますこの吉野川は日本有数の長い川 四国の経済の重要な役割を果たしてきまし たがしかし今は水位がもうダムなどが作ら れてだいぶ下がっているようですが昔は雨 が大雨が降るとこれが溢れて周りを洪水に 落とし入れてきたいうちょっと悩みの種で もありましたご覧ください今は堤防があり ましてまあそう簡単に溢れることはなさ そうです列車もこの辺りではその堤防の上 に当たるような高いところを走っており ましてなかなか姿を見ることは難しい 吉野川を上から見下ろすことができてい ますこの吉野川が溢れてしまうということ をうまく利用し徳島の人たちはお金を設け てきまし た私が徳島から乗ってきた列車はここ穴吹 で終点となりました徳島線はまだまだ先 まで続きますがここからは高速バスに 乗り換えがてら沿線の観光をしていきたい と思います向こうに金の社長子みたいなま 金ではないですけれども立派な飾りについ たお家がありますねここが輸送の拠点と なっていたところだそうです駅舎もこれ 相当古いんじゃないですか昔から1回降り てみたかったところなのでした駅前には タクシーが何台も並んでくれていました このタクシーで穴吹駅を出発し吉野川を 渡る新華橋を渡っていただき大外の脇町の 辺りまで送っていただきますでこの脇町の 町をちょっと見た後バス線へ行ってそこ からは高速バスで移動するという考えです タクシーの運転手さんに堤防の上を走って いただきました昔は水が溢れて大変でした よねえそうなんですよあの辺にある竹山 これ植えてあるのはね堤防ができる前に もしも川が溢れてきたらまあ多少は水が来 ないようにするためのものだったんですよ ねこの辺の空地にも昔は色々畑とかあった んですけれども今は堤防を作るっていので 全部国に買い上げられたそうですよ やっぱり地元の情報はタクシーの運転手 さんにお聞きするに限りますねあこれが 金華橋ですよああなるほどあるんですね 徳島にもこういうのがあのシマト川とかで 有名ですが増水するとこの橋に何かが 引っかかってしまっては危ないということ でこの橋が流されないように横ほとんど柵 などを設けられていない沈む前提の増水 対策の橋となっています現在でも吉野川が 増水しがちであるということは変わらない でしょう領士に竹藪を向けとりあえずの 守りを固めていたところを抜けて色々教え ていただいてありがとうございました タクシーの方に下ろしていただきました ここが脇町宇津の街並ですバスまでの時間 があるのでちょっと見ていきたいと思い ます宇津の街並の景色は素晴らしいです 徳島を代表する観光地の1つだと思います 明治時代ぐらいが全盛紀ですかねこの辺り は溢れる水を生かした愛の栽培で栄えまし た愛染ですそしてその時に多額のお金を 作った人たちの豪邸が並ぶうの上がる 街並み軍がこの徳島の観光名所となってい [音楽] ますまず愛とは何なのか水が溢れてしまう ので台風の時期よりも早く収穫できる作物 ということで畑をこの辺りに作りました これで作った青い染め物が日本の名物とし ても広く知られています昔日本に来た海外 の人がうわ日本はこの色ばかりで綺麗で品 があってジャパンブルーだねみたいなこと を言ってくれたそうです昔日本の町を歩け ばの色一食であったのだそう ですそしてこの脇町の古い街並は石垣の上 に作られていますこれも昔の雑炊対策の ようですお金持ちの人たちが雑炊の被害を 受けない高いところに住みますこの下に船 が展示されていますが昔はこの辺まで水が 来ていたそうで船に乗ってこの辺りまで やってきて取れた愛を倉に納めて商業の 拠点としていたということらしいです商人 の人たがこの高台にぱ住んでいたんですね 案内看板も色 一食扉を過ぎてお家を見学できる施設へ 進みますバスまでまだね1時間ぐらい時間 があったんですねお吉野川洪水の最高水 記録に残る上ではここが一番高いそうです 画面右側のお家は昔の状態だったらば皆水 に使ってしまっているようなところだった んですねしかしこちらのお金持ちの商人の お家はどうでしょう おりそうですねつらないです ねよくできたものですよねジャパンブルー のお土産物を販売している古い消化にお 邪魔し見学させていただきましたここに 取引の相手を呼んで売買を行っていたよう です中には明治時代のある時のお正月です かね全盛紀のこの街の様子を再現してい ます歩く人もみんな青い服を着て街中に 青い染め物が出されています まこうしたのは科学線量が普及しても愛染 も海外の愛とかの方がやっぱり安いという こともあっておそらくかなり今はすたれて いると思いますが昔はとにかくものすごい 儲かり方であったそうでどの家も家と家の 間に盾の壁の仕切りのようなものをつけて いますこれがうですこれを取り付けられ ないような貧しい家に住むことをうつの 上がらない行為だとそういう言い方をして いたみたいですが実際には火災対策として の役割もあったけれどおそらく自分たちの 家を立派に見せためのお金持としての誇り があったのではないかと思いますここから は高速バスに乗り換えをしまして一度 まっすぐ中央構造線に沿って松山へその 高速バスの乗り場はここから40分ぐらい ですかね歩いた脇町インターチェンジです 向こうに高速道路が見えますね吉野川の 水温岩ではなくなり徳島本線も正直お客 さんはいなくなりですが高速道路は栄えて います高速道路を目指して高いところへ 登っていくと田んぼが見えるようになって きましたま今は至るところに田んぼあり ますが昔は高いとはぼ低いとは愛の畑と いうことになったんじゃないでしょうか 高いところだったら田んぼ作っても別に 流されてしまいません低いところは台風 より前に収穫できる愛を作る必要があった でしょうさて高台へ登ってくると見えまし たこれが徳島道ですか立派な高速道路です ねやっぱり今の最新技術を投入していると いう感じがします高速道路を見ると ワクワクしますねですがGoogle マップでバス乗り場のところを案内して 行ってみるとはいここから壁をよじ登って バスへ高速道路の壁をっくださいみたいな こと言われましたまあの時間に余裕を持っ てきてたんで迂回できたんで良かったです が気をつけたいですねこっから先 乗り換えるバスがちょうどやってきました このバスは松山行き吉野川エクスプレス です吉野川の流れに経緯を表した名前と なっていますなんか料金所もうつの上がる 料金所でしたねま本当にうが上がるような 収入の多い料金所か分かりませんがいい 雰囲気を演出してくれていて旅行気分が 高まります良い体験でし た先ほどのお店でこのようなものを購入し ました緑外側愛の愛染カードケースです 徳島に来たら買わなきゃいけないような気 がしますよね高台から見下ろすことの できる吉野川の眺め高速道路もいいものだ と思いました今はもう川沿いは田んぼが メインですかね愛染をどれぐらい作ってる か分かりませんが昔より収入は難しいと 思いますけれどでもされている方も いらっしゃるそうですさて早速の休憩 吉野川ハイウェイオア室によりますそして なんと15分も休憩してくれると言います そこで慌てて駆け込んですいません徳島 ラーメンお願いしますお昼ご飯あんま ちゃんと食べてなかったですからこれで 食べることにしました比較的最近の名物と いうことですが味が分かりやすい美味しさ これで出発の2分前には車内に戻っておき ました絶対に遅れてはいけませんね人数 確認などもありますからバスの休憩の時に は2分前ぐらいには車内に戻った方がいい と思いますこの後2回ほど吉野川を渡り いよいよ徳島県を離れる体勢に入ります ここで吉野川は南方に折れていきここから 高知県方面に向かいますついに吉野川とは お別れトンネルの区間に入りました 四国内のルートをご覧ください徳島港から 上陸し吉野川を遡ってまもなく境目峠から は愛媛県に入りなおも四国産地の北側を 真倉この一直線に四国をかるようなルート こそ中央構造線が作り出した四国の最短 横断ルートです高速道路からは横一般道を 中央構造線の山波を背景にして県境へ 向かう大型トラックの姿を見ることができ ましたまるでジオラマを見下ろしているか のようです横に並ぶ山波がずっと長野県 ありから見続けている中央構造線ですねま もなく入ります新境目トンネルこれを持っ て徳島県の消しが終わりとなり愛媛県へ 向かいます中央構造線として一筋に並んで いる山波の中腹を沿うようにしてバスは 高いところにある高速道路をまっすぐに 進みますその後右手には西島川野ありの 夜景と大型線が停泊している様子などが見 られ ますどうも元々この辺りは朝で大型線が 入れるよう場所ではなかったそうですが 戦争の前後ありから海岸線の開発が始まり 今では大型線もつけられるようになりこれ から通過する新浜西城と合わせて西日本を 代表する重要な工業地帯を形成しています 夜の時間に通過しましたから新浜や西城の 夜景がよく見えました高速道路ならではの 高いところからの景色には造船の都今張の 景色も含まれていますが高速道路は今治は 通過しません特に一瞬見た後トンネルで峠 を抜け て四国最大の人口を誇る松山市街に入り ましたまた来る予定があるので温泉は次回 の機会に沿っておきます城下町の松山堀に 沿って急なカーボを描き路面電車もそ 曲がってくるという江戸自体から受け継い だ景色ですJRバスは松山駅に到着しまし たこの駅舎は昭和28年から使われている ものだそうですが間もなく解体される 見込みのようです後ろには新しい松山高岡 駅が見えています近く松山も連続立体事業 が完成するんですね連続立体交差かなま ともかく昔ながらの銀行などの看板が出て くる松山駅改札の横にあるうどん屋さんで 食べました松山は鍋焼きうどんが有名です よねともかくうど文化が川県と近くある ようです出し入子出しですね瀬戸内海の 航路から運ばれてきたものでしょう松山は 海の名産が目立ちますもちろん外すことの できないジコ店さらにか松山愛媛県は本当 に海との関係性が深いところですですが今 船でここから行ける行き先は北九州ぐらい しかないので引き続き鉄道で陸上の移動し ます特急券を購入これから先乗り換えるの はJR四国の特急列車上島行き上海号 です中央構造線は四国を横一線にかける ように通りこの先さらに佐崎半島として海 の上へ姿を表しますそしてこれから先 いよいよこの中央 をついに貫き造線の反対側へ出て八幡浜の 港から九州方面へれするというのがま一番 近道で面白いき方ではないでしょうか後方 見返りますととても良い状態で昔のお城が 残されている貴重な定石松山城を見ること ができました原村12天使のうちの1つで 本当に素晴らしい場所ですね1回行った ことありますがまた松山の観光をしっかり やりたいと思い ます列車は松山市周辺のの部分をけまして ここからいよいよこれまでほとんど横断 するということはなかった中央構造線に穴 を開けてりで通過する区間に入ります列車 が向原駅を通過しますとここで右手方向に 線路が1本分かれます昔はここで右手に 進み山を大きく迂回して海ギリギリの ところを抜けるトマリルートしかありませ んでしたが今は技術の力を使って中央構造 線に大穴を開けてしまいそこを時速 120kmで通過するというすごい運転 方式を取っています時会合に乗っていて 面白いと感じる区間ですここ松山から 八幡浜までのルートは2通りあり今お伝え したように海の方を中央構造線の形を なるべくま尊重して山の平坦なところを 選ぶようにそしてそこに気づかれた川に 沿うようにして遠回りで進むかもしくは 一気にズバンと貫いてしまうかのどちらか です今回は貫くルートから行きます列車は 犬妖精トンネルに入りました全6km四国 で1番長いトンネルはここですねもう すっかり夜になってしまいましたがこのに 山の奥トンネルで持って長い距離を抜けて いくというのが一番面白い路線ですからま 暗くてもあんまり関係ないんじゃない でしょうか車体を左用に大きく傾け全力 疾走をする特急列車の姿は 相関この辺りは特急列車を高速で通すため に作られた新しい路線ですそして中央構造 線を貫き最初に見えてきたこの町を内子と 言います明りが光っていますね昔こうした 伝統はありませんでしたそういった時代に ソを使明りを確保していたわけですがその ロソを作ることで大変栄えた商業の町で あり ますここから先列車の走る路線は内子線に 変わりますこの路線は元々山奥の内子駅で 行き止まりとなっているローカル線に過ぎ ない存在でしたが長いトンネルを掘って 松山と連絡させられたことによって四国で 1番の高速列車が走る重要感染に成長し ましたしかしとにかく険しい山こういった とこで重な物として2が注目されたよう です2は多少急な土地でも作ることができ たそうですね何しろ愛媛県は暖かいですし 定府も適していたということらしいです時 にこの愛媛県の地形を見てみると松山より 東部分はまあある程度さて海沿いに平地も ありますが一方松山より南はもう山しか ないですこりはみかを育てますよね左右に 厳しく線路がカーブしていきますここを 特急は技術力を使って高速通過なんとみか の木が線路側に伸びていましたさすが間も なく到着する八幡浜は日本で1番のみかの 産地として知られているところです駅は みかと言いますが松山辺りよりは特に こっちの方が多いんじゃないですかねま 松山ありも多いですけどね到着しました 八幡浜駅イの大阪と呼ばれて昔栄えた商業 の町ですここにやってきた鉄道は1945 年終戦直前の開通でした逆に言うとそんな ま割と最近の時代まで八田浜の町に鉄道は 来なかったのだと言いますこれだけ険しい 土地ですから当たり前ですかね鉄道を作る のも相当の苦労があったようです駅周辺に は古めかしい建物が残っていて予感とか なんか食堂とかいい雰囲気の場所が色々 あり ますここから九州へ向かうための船乗り場 はまバスとか意外にないんですよ多分ない と思いますたまにあるんですけどタクシー が歩きで30分という感じ今回は時間の ためタクシーで連れてきていただきました 今日はあかいですねどうもありがとう ございました八田浜は最近大変綺麗になり ましたもう綺麗になってから45年ぐらい 経ちますかね前もっと古かったんですが ここから先は四国開発フェリーのオレンジ 四国に乗りまして九州は大分県内木港へ 向かいますこのオレンジフェリーの豪華さ は凄まじいですよまオレンジフェリーって ねニハ航路はちょっと僕乗ったことないで 分からないですが全般的に豪華さや食べ物 などを売りにしているみたいですなおここ 八は重要な港で他にも九州駅のフェリーも 就航していますかなりフェリーの本数は 多く九州と四国の橋渡しの役割をしてい ますもう夜の時間にこのフェリーに乗る人 などほとんどいないということは分かって いたので1番安い席で行くことにしました 他にもう1人だけお客さんがいたかな ほとんどはトラックのドライバーさんたち でトラック輸送がこのフェリーの主な仕事 となっています余角スペースは広く使わし ていただきまし た女仙内を歩き回り用のスリッパまで用意 してくれていてさがいいです豪華な仙内は 吹き抜け 方式イギリスのタイタニック語と間違える ような豪華 さすごいですね何こんなに色々あるの しかもお客さんは僕1人しかいなくてこれ 全部使い 放題文語水道の景色を楽しめるラウンジが ありこの船は最新式の船ではないらしいん ですけどリニューアルでこんな立派になっ たんですかねうわ映画コーナーまであり ますよ昔の新幹線にもこういうのがあった とかいう話ですすごい 21時が出行の時間目的地の薄港には23 時25分に到着の予定とのことです出行 する時左右には高い崖がつっているのが 見えますそこにはだんだん畑が刻まれて みかが今身をつけているところ でしょう携帯電話を操作して暗い時間でも かっこいい写真を撮ることができました ここ八は崖に囲まれた天然の行です新潟と 同じように船が作り出すを見ると新潟とは 違って鮮やかな水色と青の色を確認でき ましたこれは水深が深いからこうなるん ですね海底の砂を巻き上げるということも ありません現在地八幡浜周辺の地形は高い 崖に囲まれた複雑な入り江となっていて 深い水深と外洋の波が入り込まない穏やか さを備えた天然の良行ですこの良行を 生かし明治時代になりますと大阪から別で 折り返し八幡浜に至る戦の航路が解説され ました当時松山は砂が多く線を入行させる ことができないので八幡浜はこの辺りにを 大阪から持ち込む中継地点としてイの大阪 という別名を受けるほどの体操を栄えた町 となったのですさらに近くには内子があり ここから送り出されたローは八幡浜から 大阪に運ばれ関西のあちこちを照らすこと になりました経済の出発店の1つでもあり ましたそしてミカエルイの大阪の町並は今 でも船から見る九州最後の景色として同じ ように楽しむことができ ます先ほどJRの列車からも感じ取って いただいたようにこの辺りの地形は大変 険しい山並となっています特に大分県方面 まで航路の大部分は進行方向の右手側に 半島を控えながらの公開となりますこれは 全国的に見ても珍しい形をした定崎半島 です地図でご覧いただきたいと思います これは中央構造線つまり長野県の辺りから ずっと続いている日本の山波がまだここに 残っているものです海の上にまるで腕を 伸ばしたかのようですこの相崎半島に北側 を守られてこれから先の公海は大部分平穏 なものが続くということが多いと思います 波を感じることもありませんそして後方を 振り返れば高い山々に囲まれた中に井の 大阪として今も九州へ向け光を発する四国 最後の港八幡浜の明りが険しい山々と共に 見送ってくれていまし た仙内では八名物のが売られてい ます他にもお酒など飲めるようになってい ます運転をされる方は絶対飲んではいけ ませんね戦時間も短いです町の酒屋さん 年齢確認機能どういう意味なの町の酒屋さ んっ て時反対方向の別府や薄などからやって くるフェリーと行き違いをします夜中まで 運行されている重要な航路 です右手には台が見えましたこれがのと いうことになりますこれを抜けますと文庫 水道に入りまして多少概要の波を感じるか もしれませんがこの日は平穏穏やかでした またすぐにウの湾に入りまして波も ほとんど感じることはなくまもなく帝国 通りウに到着します今日の旅行はもちろん ですがこの薄で終わりとなりますここ薄に 上陸した後はどうするかということなん ですがまず上陸する九州を南北2つに 分ける線として薄木八代構造線っていうの があると言われていますこれが中央線と つると思われる山波だそうですこれに沿っ て九州を横断してここから先進んでいき ましょうもうだいぶ遅くなり眠くなってき ましたちょっとゴロゴロしております とお客様の無人目地まで到着とご旅行をお 祈り申し上げますとに無事目的地まで沖縄 への到着を祈ってくれました文水道を横断 しいよいよ九州に 到着ここが州で港の1つフェリーが夜中で も出ていきます薄の景色です九州の第1歩 は僕が乗ったフェリーからいくつもの大型 トラックが降りていく光景でし た一般の乗客スペースにはもう僕1人 ぐらいしかいなかったんですけれども実際 にはトラックドライバーさんたちが トラックドライバー区画に何人も乗ってい たみたいです ねそして今からなおも深夜隊のフェリーに トラックと一緒に乗り込み日本の物流を 支える人たちの姿がありましたフェリー 乗り場電食は消されてるみたいですけど昔 ながらのフェリー乗り場という感じですね また地元大分県から市街はこちらですよと 丁寧な縦看板を出してくれています京都 大学みたいです ね大型トラックをある程度の道しべとし後 に着いていき駅前にあるビジネスホテルで 就寝としました駅まで歩いて15分ぐらい でしたねなんかこんなのまでもっちゃい ましたよ大分県何こんな観光キャンペーン れるんですかうわ残念今回は日本銃弾横断 の旅ですからあに明日にすぐ大分県を離れ てしまうので使う機会がありません ともかくホテルはいい感じのところでした あまり広すぎることもなくベッドの寝心地 もふふで綺麗な作りおはようございます 昨日到着したフェリー乗り場が窓から近く に見えましたここ薄は周りをぐるりと山に 取り囲まれ水深が深くなっている天然の 良行でその血のりを生かした増が古から 行われています町の窓越しに写真を撮って みました駅前にはjr九州駅がありますが ここから列車に乗って大い駅へ出ると 遠回りとなりますこの時間はバスもないの ですいません運転手さんちょっと遠いん ですが三重町駅までお願いしますタクシー で1万円はかからないぐらいの距離じゃ ないかと思います三重町まではショート カットです僕は観光地を紹介する仕事をし ておりましてあじゃあこっちを通っていき ましょうこっちのが近いですから運転手 さんが細い道を通ってくれましたなんと この薄にはそんなすごい昔の街並が残って いるところがあるそうです元々は城下町 また天然の良行を生かした古くからの商業 の街として栄えたところです戦争中の空襲 は大丈夫だったんですかと聞きしたらば この隣の佐木が群行だったのでそっちは 空襲が広かったんですがこっちは大丈夫 だったみたいですねということで昔のもの がよく残っているんですねま大体海運で 賑わった大きな町というのは戦争中に空襲 で焼き払われてしまっていることが多いと 思いますがこの町は運よく生き残っていた そうですさてここ薄木から宮町までの タクシー移動は昔大泉洋さんが有名になっ た時のねえ水曜同デシの番組のかなり最初 の頃にもタクシーで移動していました結構 知れている名前の知れた移動だと思います 登り坂を進みますと山が近づいてきました これから九州の中央部へ一気に標高を上げ ていきます九州の中央部にある麻の外輪山 を超えるまではひたすら登り続きの道です さてただいま目指している 町は私が通ってきたからやってくる道と 別府大分方面からやってくる道が合流する 古からの交通の要江戸時代から交通の要 だったそうですその宮町の合流地点に到着 しここからは鉄道と合流できます列車に 乗り換えましょう駅向い側京倉庫には今 フォークリフトがちょうど出てきて トラックに積み込んでいるところです おそらく名物のただろうと思い ますはではなく貨物列車に積み込んでいた んですねだから駅前にあるわけですね駅に は看板が出ていました文王のジオパーク よく見れば印象的なものが目立ちます 荒々しい岩の跡横一戦に切れたナアの滝の ような地形どうも岩場の地形が色々面白い 街のようですけれどもというのは昔麻山 から巨大な火流が流れてきてそれが水に よって削られたりとかした結果現在様々な 形の岩場が残っている 到着駅員さんの元気な放送を聞きながら 大分より我々の道筋に合流してきました 熊本へ九州を横断する特急名前そのまま 九州横断特急がやってきまし たこの三重町駅はいわゆる赤字ローカル線 の駅ですが特急列車もたまに来て駅員さん もいて駅で切符を切ってくれるなどま昔 ながらの雰囲気がよく残っている素敵な ところだと思いまし た 駅員さんからの案内が車内に聞こえてき ました九州横断特急を発車します昔の駅は こんな感じが多かったんでしょうねご乗車 ありがとうございますこの列車は熊本行き 九州横断特急2号この九州横断特急は元々 四国で使っていた車両を九州に上として今 でも使い続けているものですが内装が完璧 にリニューアルされていてとても綺麗です トイレだけは昔風かな 宮町駅を出た列車は険しい谷側に沿ったり 大岩を切り通しとして貫いたりする区間に 入りましたこれらの岩見えがありますが 元々は麻山の火龍溶岩の流れだったもの でしょう日本で最も存在感のある火山と 言えます麻山は本気で噴火すれば九州一体 はほか後範囲にまで火山バを撒き散らし また多くの範囲を溶岩流で埋めてしまう ほどの大変強いエネルギーを持っているの だそうですさてここで景色の見所右手に 水道橋が現れます農作業などをする際の 水路を昔石積で作ったものだと思います この辺りデコボコですからねそういうのも 重要なんだと思いますがいつも見逃しがち ですこういう名前なんですけどね読み方が 分からないからどこにあったっけなと思っ てる間に通過してしまうのですさて列車は まもなく文庫武田駅に着きますこの次の駅 で乗務員交代がありますがこれもまた麻生 さんの関係なんじゃないかと思いますけど ね詳しいことはまだ勉強できていませんが の目の前には大きな競り立つ岩壁が見え ますこれは上からこちょうどパイプみたい のが設置されてポタポタと水が落ちている のが見えましたが上から水が落ちていて 人口の滝となっています今日は水の少ない 時期ということで随分少ない水でしたが水 が増える時にはじゃーっと一気に滝のよう になりますちなみに江戸時代ぐらいから あの滝はあるというので人口の滝と言って も馬鹿にできませんかなりすごいですよね つきました文竹駅は工場の月などを作った ことでれており 太郎のツチャンネルでも田川の曲でよく 使わせていたいています竹駅の横に は読み方合ってますかいや傾き大崩れ ユネスコエコパークうわこれはもう昔から 岩が崩れまくったりしたところなんだろう な火山の発動の影響を受けたところなの だろうと思いましたこの武田を出た後もな も標を上げて登り詰め1番標高の高いとこ へやってきましたここが九州の駅からに なります波野駅ですこの波野で峠越え長い トンネルに入ります僕はさっきからトイレ に行きたかったのですがトイレに行くなら 今がラトチャンスですこのトンネルは 2kmほどありかなり長いですが抜けて しまうと後は景色の見所がずっと続トイレ に行く余裕もありませ んこのトイレの鍵は赤い線までちっと閉め ておく必要がありますこれで大丈夫ですね トイレを出るとちょうどトンネルも抜ける ところでした朝のにある山の外側をぐるっ と巻きとかのようにして取り囲む外輪山を 今貫き外へ出たところですここから眼科へ 広がる広大な麻の兵長を見ることができ ます大カルデラの景色をご覧ください朝の 見え方が一番いいんじゃないでしょう かこの外側の山から少しずつ山の内側の 大きな心地広大な麻の平屋へ降りていき [音楽] ます降りました今日はちょっと雲が出てい ますがこれもいい感じです ね九州の中でも観光客が多く目立つ高原 地帯 です左手にも同じような高さの山がずらっ と並びます元々この辺りにはマグマだりか 何かがあったようですがそれが噴火して 全部地下が空洞になったのでズンと全部盤 が進化してこのように大な平な地帯が できることとなったそう ですこの辺りは地の玄関ですから降りて バスでお出かけするのも素晴らしい場所だ と思いますが今日は列車に乗って通過して しまいます周り360°山に取り囲まれて いる景色を見られるだけでも十分ですこれ がカルデラナラデワの景色ですよね途中 対抗列車待合の赤水駅で周りを全て山に 取り囲まれている様子を楽しみましたまた 熊本からやってきた観光客用に特化して いる特急列車麻生防号と行き違い前回九州 にやってきた時はあの列車に乗って1番前 からの景色を紹介し大変ご好評いただき ましたその時に1番人気あったシーンが こちらですが列車はこれから先麻の高原 地帯より流れ出て熊本県の市街海の方へと 抜けていく谷側の流れ下る区間に入りまし たここから見える警告の景色がヒ本線1番 の絶景だと思います昔火山活動によって 作られた険しい地形火山バなどが侵食され てこのような大きな谷が作られたのだと 思い ます前回もお伝えしましたが列車は熊本 市街から崎県の運まで見える区間に入り ましたここで左手中央部分ぐらいに少し平 な目に着きますどうも麻生熊本空港から 飛行機が離陸したようです東京成田空港 行きのLCCジェットスターだったよう でした熊本空港は忙しく東京からやってき た全日空も今到着するところのよう ですあの空港へ降りたり離陸したりする時 の景色も相当いいですね注意ください 列車はスイッチバックの名所縦に間もなく 到着します今左手に線路が1本見えてい ますがこれは今から私たちが進行方向を 逆向きにして下っていく線路ですこの辺り の坂道は大変急で鉄道は普通に走ることが できませんそのためこのような特殊な走り 方をしますこないもご案内したのと同じ ですがまず一旦スイッチバック専用の ところに入り折り返しもう1度駅に入って また折り返して出ていくのです回目のりに 入りましたこのまままっすぐ行けばまず縦 駅ホームに到着します左手今降りてきた 線路もこれから降りていく線路もどちらも 急な坂道ですこの坂道の間列車の一番前の ところから先ほど降りてきた谷側の景色が 見えます麻さんのあの麓のとろから一気に 降りてきたのですさっきはあそこにいたの だという気持ちをもう一度取り戻すことが できますこの時もう1名私の横に前方の 景色をご覧になりに来た方がいましたが その方は韓国人客の方でした日本にご留学 の最中だということですよくこれをご存じ ですねスーツさんの動画を見て日本語と 鉄道のことを勉強しました教えてくれまし た軍隊からお帰りになってきたそうで今 観光を楽しんでいるところだそうですお 疲れ様でした列車はここで2度目の 折り返しを行います縦の駅に到着ここから もう一度進行向を逆向きに今指差した方向 へ降りていき ます2回目のスイッチ バック九州にはにもスイッチバックで 今あるのはこれだけですかね山形の スイッチバックは山降りてしばらく行けば 後は熊本の市街地で右手に高いビル軍が 見え始めまし た新幹線の開発によりますます元気になっ てきているJR熊本駅に到着 です九州横断特急は東駅で終点 です横断特急今回一応日本の旅なんですが のうに地で中央構造線に沿うような辺り から日本横断の旅を兼ねてきましたしかし ここからはどうでしょうか稚内から木子 ありまでは大体日本中段でしたそして木子 ありから中央構造線に沿うようになりここ 熊本までは横断の旅になっていましたが 熊本から沖縄方面までまた日本中団の旅に 戻り ますここ熊本からはどのように南下して いくか色々考えましたが今日はならではの 方法がありました本日は木曜日毎週木曜日 限定で運行される特別な豪華列車jr九州 の36+3号がありこの列車は今お伝えし たようにいつも走っているわけではあり ませんが今日はこの豪華な全部の車両が グリーン車で構成されている6両編成の 特急列車に乗って次の目的地船手の港 鹿児島を目指せます車内はピカピカに磨か れていて僕はその中でも1番豪華な最保湿 席を利用しましたまず靴や上をこの中に 入れておけるようなロッカーが設置されて います床は 畳敷き個室仕様となっていてま完全個室で はないですがパーティーションでほぼ自分 たち専用のスペースとして使うことができ ます今回は友達を招待し3人用個室を利用 することにしましたちなみに3人で料金が 7万円ぐらいだったと思いますすごくいい 値段しますがお客さんはそれなりに乗って い ますお昼ご飯を早速出してくれました専用 のお弁当箱に入った高級な食材で味も上品 なものになっていました地元九州の名産を 使った熊本の旬を詰め込んだお重お弁当と 書かれていますね左手には山がつってい ますがこの山は究極的に言えば長野県の 基礎の辺りからずっと続いてきたま今回 中央構造線とかそういうように呼んでい ましたがそれらと一体的な山波だろうと 思いますその終点が間もなく到着する八代 ですここ八代は名物が2つあり1つは紙で もう1つは草畳の地としても知られてい ますこの列車の畳にも八の畳が多分使われ ていると思います調べればね一発で分かる んですけどすいません調べていませんがま これを使わないはずはない でしょう調べるまでもないですね今は 日本精神になってますかね白を黙々これが 安の力の 象徴八を出ますといよいよなどのりから ずっとつり続けてきた山波とここで交差 することになり ますいよいよ一緒に来た山ともお別れな わけですこの険しい山の塊の間を川に沿っ て進む鉄道がありますJR九州必殺線です しかし2020年の豪雨の災害に影響を 受け今運転することができていませんもし かしたら配線になるかもしれないと言われ ています大行タクシーの運転はありますが 今回は豪華特急36+3号の運転日で 重なるのでこちらを選択しました この辺りはオレンジの木々柑橘系が たくさん入っています地形が険しくなって きたということですね三重県でも見た景色 ですここれから海の際のところを走ると いうことで我々はいいことを考えましこれ いいね最高じゃない 素晴らしいこ逆こあそうだねでもうちょい もうちょい後ろに行けばいあいいじゃあ めちゃめちゃいいあいい最高だわ今私たち が座っている座は列車全体の最後尾であり まして他に通る人もいないのでここに椅子 を置いても邪魔になるということはあり ません海が見える窓の際のところへ椅子を スライドして窓に張り付くようにして木 からずっとつってきた山波がいよいよ海に 落ちていく景色を見ました昔のブルー トレインの旅みたいですね寝台車の窓辺に ついていた椅を思い出しますここで小さな 橋を渡りましてこれが明治時代からある 非常に貴重な橋だそうですがこれで鹿児島 県に入りました鹿児島県に入ってもなお 沿線には柑橘系の木々が目立ちますこう いった木がたくさん生えているということ でこの路線の名前は今必殺オレンジ鉄道に なっています元々はJR九州鹿児島本線 でし たオレンジ畑がつる険しい地形の合間に泉 の平屋がありますこの辺りでは貴重な まとまった平地ですこの平中をめがけて冬 の渡りの時期になると鍋鶴鶴がたくさん この辺りへやってくるそうですま他に 寄れるような兵がないから毎回ここなん でしょうね定番のスポットなっているよう で遠にはつるまマークが目立ちまし たさてこの泉の辺りで車内イベントが開か れますこの36プス3号では車内で追加 料金を支払うと色々な体験ができるのが 売りとなっていて本日はお茶の飲み比べ 体験 です九州はお茶の名産地が非常に多くあり ます各県とにりとするお茶があるんじゃ ないですかねで高級なお茶を飲み比べ味は 非常に美味しくなっていましたがそれでは 味を飲み比べた後それぞれのチバを自分 たちの好みに合わせてブレンドして ブレンド茶をお土産として持って帰れると いう体験です高級なお土産がつきますこれ がお土産になるわけですね混ぜる時には このようにして振ってはいけないという ことでしたコロコロ回して混ぜないとお茶 の匂いが潰れてしまうかもしれませんよと いうご案内をいただきました出来上がった お茶を試しに飲んでみました 僕は前案件で紹介した福岡県や市のお茶に 中性神を表し福岡のお茶と鹿児島のお茶を 混ぜて美味しいお見上げができました他に もこんなビフコーナーがありましてこれが jr九州のシンボルの1つここで温かい 食べ物などを注文しいただくことができ ますま食堂車みたいな感じですよねカレー とうどんを注文しました味はものすごく 美味しいですがさっきもご飯を食べました のでま簡単に軽く1杯にしておきまし た 列車の揺れが少しずつ大きくなってきまし た間もなく終点鹿児島に入ろうという ところですその手前最後の山越の区間に なっています列車が走っているのは日です この辺りについての紹介をしたいと思い ますが間もなく到着する鹿児島は海に面し ていて周りをぐるりと取り囲まれた崖の中 に閉ざされたような町となっていますこれ は北側にある霧島あとは桜島南方の イブスキなどいくつもあった活発な火山が 昔色々な噴出物を出しまして火山や岩流 などが同じような高さの大地を作り結果 鹿児島は崖に囲まれた町となったよう ですですからその崖を列車がトンネルで 突き出るともう突然市街地の中に入り ますこの横に見えている崖もそうですかね 火山のものではないかと思いますかなり南 までやってきました崖に囲まれた鹿児島の 日の時刻は17時33分わかないより1 時間30分も遅いものになっていますね ですがまだまだ日本は果てまで続きます いよいよ鹿児島市街に入り桜島とも対面 そして熊本で合流した友人たちとは早くも お別れです短い集団行動でした江戸時代 から使われている沖縄への出入口鹿児島港 からは今日も沖縄航路の船が出ます本日の 担当会社はマエフェリーで使用船舶は波の 上です港の北側を動きますと美しい山が もう1つ温泉が湧くことで知られており ます島があります霧島桜島などこの辺り 一体たくさん強い火山が在していて巨大な カルデラをいくつも作りました時間がそれ ほどないのでタクシーの運転手さんに港 までお願いしますなんか沖縄行きの船が1 個壊れてしまったそうですね運転手さんは ラジオで聞いた情報を教えてくれました 最近修理が終わったそう ですマエフェリーは沖縄の本土復帰前から 鹿児島と覇の間に路を持っていました すなわちおよそ50年と少し前は国際線と して運行していたの ですまた途中行地には格闘が欠かすことの できない物資は運ぶのがこの船に課せられ た大切な役割です中でも郵便はかつて国家 の中心的な事業であったということでこれ を運ぶのは名誉なことであるとされてい ます今出発までの短い時間に急ぎ貨物の 積み込みが行われているところ です私もここで名簿に入し手続きは本島 北部の元です1番安いやつでいきましょう 2等席で購入しました運賃は 1万6000 ですYouTubeだとやっぱり高い部屋 の方が再生数伸びるんですよねだから なかなかね安い部屋を紹介する機会がない なと思っていたんですがま今回の日本銃弾 だったらいい でしょう途中奄美大島名瀬徳島亀徳沖縄選 島和泊そして与島と沖縄本島元那覇に行し 最終校までは24時間以上かかり ますここが2等 席これからおよそ21時間以上ですね元 まで21時間ぐらいかなかかるこの仕切り 付きの部屋で寝ることになります コンセントも共用です今お隣の方と1つ 開けた状態で配石してくれるよう です我が波上が出航の時を待つ間いくつも のフェリーが遠方へ向け出ていきます今 出るフェリー機会は同じく夜便です鹿児島 ほど忙しくフェリーの来する港は他にない でしょうまた本線波上の上からも景色を よく見ることができ鹿児島市街のめきを 紹介したいと思います江戸バクを倒し今の 日本政府を作ることになった最大の貢献を したさ班鹿児島城の城下町の景色ですその 鹿児島城の後は今見えている白山ホテルの 真下にありますハはから不正に入手した 貨物を不正に沖縄へ売却し多額の利益を得 ましたその得た資金力を使い江戸バを倒し 今の私たちの使っている日本政府が作られ たのですこのように秘密の貨物を積んで いくつもの船が昔沖縄へ向かっていたよう です現在ではもちろんそのような不正な 貨物は一切積まれていないはず ですJR貨物のコンテナがこの船にいくつ も積まれている光景を見ればどの役割を 果たしているか説明を差し上げる必要も ないと思い ます昨日の船が血行だったので貨物が増え 2は遅れているようです出航前の一時に 周りの景色をもう一度見回してみました 同じような高さの山が周りを取り囲んでい ます監視の目も行き届きにくかったかも しれません白す大地や火山活動の結果この ような地形になったのだろうと思い ますここから沖縄まで本日の天候状況は 大変よく乗り心地が悪くなる心配もあり ません鹿児島港の出行は所定より10分 遅れましたしかし明日の朝最初の飛行地 奄美大島名瀬には予定よりも30分早く4 時30分に起行するとのことですおそらく 2の時間は確保するため でしょう鹿児島からは江戸時代の初め頃さ 阪神が船に乗り球を侵略に出発したという 歴史がありますそして琉はさの支配になり まし た沖縄へ向かう船に多数の物が乗り込む 光景は今の時代も同じです陸上自衛隊の皆 さんはこのカーテンの裏側にて本日は奄美 方面まで短い夜をすよう です今は沖縄奄美を守るため勢の自衛官 さんたちがほぼ毎日のようにごになってい ます自衛隊の皆さんのお弁当が何かですよ ねの準備が終わりますと私たちの食事の 時間これを注文してみましょうカツオ飯と 書くのかなと思いましたらこれで京阪だ そうです京阪というのはこれから気候して いく甘美の名物私は鶏肉で作るバージョン しか知らなかったんですがマウでは鹿児島 の名物カツオで作る京阪ってのもあるん ですね美味しかったです出汁をしっかり かけて今日は椎茸とかも見ましたからね 椎茸も食べられて嬉しいです さらに柚シや揚げなどがありましてこれも 全部入れてしまいました柚シは少なめに です ねそして今日はこんなものまでもらえると 言います通常はないお子ですこれはどうし たんですからばこれは船の鏡開きですねあ なるほどね船の中でのイベントをお分けし ていただけましたマエフェリーの レストランはずっと営業しているわけでは ありませんレストランで働いている皆さん はレストランの仕事以外にもいくつもの 仕事を持ちしてですそのたレストランの 営業時間も限られるんですねやってると 聞いたらすぐに食べに行き ましょう本来であれば5時入行のところ4 時30分入行と出ていました宮町なの到着 時刻です長い近郊湾もそろそろ出口に 差しかかってきました船に乗っている視聴 者の皆さんとも色々おしりなんでそうです ね向こうに見えていますがあれはいよいよ 加島の出口となりますナンタの佐崎ですね これにて就寝ゆっくり眠ることにしまして 翌朝も早起きする必要はないですねどうせ 暗いです からだいぶ日の登るのが遅くなってきまし たただいまの時刻は6時5分すでに奄美 大島なぜを出航したところです奄美では 大量の需要があって大勢の人たちが降りて いきました高い建物もいっぱい立っている ところ自衛官さんも皆ここで降りたよう ですようやく明るくなりました奄美大島 南部の景色は荒々しく素晴らしいです以前 案件で紹介しましたので是非ご覧いただき たいと思います現在地は天宮島の南部これ から徳島を目指そうとしているところで この先沖野選ぶ島与島沖縄本島最後この 航路は那覇港に入りますただ那覇までは船 で行くのではなく途中の元から車で那覇 まで行ってみようと思います次の機構地 徳島が見えましたこの徳島は歴史の話を する時にはよく名前の出るところでつまり 戦艦大和が沖縄を守るために特作戦につい ている途中たどり着くことはできずこの 辺りで沈んでしまったと言われています 実際にはもっと本土に近いところで沈んで しまったようですがよくそれで紹介される 徳の島は他に長寿の人がいるということで も知られているところ島の景色は田んぼの ように見えますが田んぼよりも砂糖キビの 方が多いようです温かく稲坂に向いている この辺りですが実際には台風などの懸念が 尽きず砂キビの方が台風には強いよう ですここまでしてきますと今までに見る ことのなかった景色としてすぐそこの ところに波が寄せてくる光景があります この辺りが広大な浅瀬になっているのです ではなぜ浅瀬なのかと言とおそらく温かい 海の浅いところに群れを作り固まる産子に よるものでしょうこうした浅瀬に十分注意 しながらフェリー波の上は次の行地徳島に 到着しました那をどうも遅れて出行した ようですやはり貨物が多いからでしょう2 に時間がかかっています到着やいやまだお 客さんの案内も始まっていない時にすぐ 貨物を下ろし始めましたそうでないと遅れ てしまうからです ね自動車用のランプが降りるとまたすぐに 車の出入りが始まりましたとはいえ徳島は かなり大きく人のたくさん住んでいる ところでしばらくの白時間が必要となり そうですじゃあ景色をちょっと見ておこう 見てましたらなんかとんでもないものが来 ましたよあのトラックはボンネット 1950年代とかのトラックじゃないです かなんでこんなものがいるのか調べたん ですがどうも徳島では砂糖キビの出荷時期 つまり今の時期のみ古いトラックが活躍し ているのを見られるそうですすごい速さで 走るらしいですそんな貴重な光景が船は やはり遅れを持った状態で徳の島亀とこを 出航しました波が寄せている穴あたりは 水深が浅いですまたこの船は自分で泡を 作りその泡の上を滑るような仕組みを持っ ていてこの空気潤の仕組みによりおよそ1 割の小エネルギー性能を発揮しているとの ことです次の機構地沖の選ぶ島和まもそれ ほど大きな港ではないと思います小さい はずです水深もさっきより位が下がった こともあって浅そうですななら地面の底 まで見えてしまっていますなんという美し さ海がまで現れました海はどこにでもいる わけではなくある程度暖かいところにしか いないだろうと思いますずっとに使っま 暮らしますそして亀は基本は変音動物です から水温が下がると動けなくなってしまう と思うので暖かいところにしかいないん じゃないでしょうか引き継ぎが終わり海の 中に入りましたこれでしばらく30分ほど 引き継ぎなしで呼吸できる呼吸というか 生活できるという話ですねこんな岩壁の 近くまで来ているんです ね和まから乗ってくる方も多かったです おそらく覇に行かれるのではないでしょう かまた船が壁の長さギリギリのとまで いっぱいに使って泊しているのがお分かり いただけると思います岩壁の長さと船の長 さはほとんど同じですこのフェリー波の上 は大きさの割には船がちょっと短いという かずんぐりしたような形をしていますが これはつまり途中機構地の和ま港やこの先 のヨロコなどがそれほど大きな岩壁を持っ ていないのでサイズを合わせているという ことでしょうここでお昼ご飯の時間になり ましたカツカレなどのメニューがあり注文 しました離れ沖の選のに大きなドームの ようなものが見えましたこれは航空 レーダーですよ ねおそらく自衛隊の関連のものではっきり 言ってこの辺りに核ミサイルとかが突然 飛んできてもどうにかなるように監視する ためのものだと思いますということで調べ てみましたすると確かに航空自衛隊の基地 があり監視正体は24時間ここを警備して いるらしいことが書いてありましたこの 基地を司る内田司令の新年のご挨拶の ページがあったので読んで言ましたが皆様 ご承知の通りここ沖の選ぶ島を含む南西域 の安全保障環境は非常に厳しい状況が続い ておりますがという書き方でこの辺りの 安全関することは少々厳しいというのが 前提であるということがもうそれは周知の 事実なんですねさて先ほど過ぎた奄美大島 にもちょっとズームしてみましょう奄美 大島にも現在陸上自衛隊の瀬戸地分団地 なる施設が作られていてこれは今まさに 拡大の建設作業をしているところだそう ですこの船にもそれに向かうであろう人 たちが何人も乗っていて駐車場には大きな 車が止まっていましたパック33ですね もしも敵の核ミサイルが飛んでくるような ことがあればこちらから打ち返し私たちの 安全を確保するための地対空ミサイルと 呼ばれる防御設備として重要なものだと 聞いていますこの辺り南西諸島はどうして も日本の防御拠点として重要な価値を持た ざるを得ませんので自衛隊も力を入れて 守っているとこだと思いますいよいよ県境 の海にやってきました向こうに見えている のが沖縄本島手前は鹿児島最後の島与島 です沖縄が本土復帰する前はここが日本最 南端の島であるということで大勢の人たち が観光に来ていて今でも綺麗な海と美しい 建物が私たちを魅了します夜に入る前は アルファベットのJの文字を描くように 大きくターンします後ろに去っていく宝石 をご覧ください 急な角度を取っていることもお分かり いただけると思いますこの世論の港は大変 狭く岩壁もあの左に見えていますがたった あれほどの長さしかありません切は一番気 を使うところではないかと思いますここで 水面下を見渡すと何やら水色の板が出てい ますこれはフィンスタビライザーと言い まして船の横を防ぐための大切な装置です と言っている間にフスタビライザーは どんどん船の内側に畳まれもうほとんど 見えなくなってきましたに入る前フィン スタビライザーが完璧にぶつかるのを防ぐ ため畳むのが毎度の作業です本当に綺麗 南国の海が綺麗な理由は水温が高く水の中 の大流が起こりづらく水の中が栄養成分の 少ない状態になるので結果濁りが少なく なるようですその辺りにあるサゴ礁なども 全部見えますさらに黒い丸い物体が近寄っ てきて船と交差しました海がと交差した ようですそんな様子まで見せてしまう透明 度砂が巻き上げられています新潟でも見た 光景ですがこの辺りの方が断然綺麗です それだけ栄養成分が少ないということです ね船は遅れています大急ぎで 切雪がが終わり次第ランプを下ろしてすぐ にフォークリフトたちが乗り込み貨物を 取りとし ます作業は終わったようですうわ終わった と思ったもう車が降りてきました乗り込み にもプロ揃いなら客もプロだと思いました このように大急ぎで2を行い遅れを回復 するということはできませんでしたが しかし遅れを拡大することはなかったです ねいつもより忙しい2だったと思います いよいよ次は沖縄本島です本島北部は一番 山の険しいところでヤバ国立公園ですね 21年に世界自然遺産になりヤンバル クイナが住んでいるということは大変有名 です沖縄線の最後の頃この山に生き残った 人たちが逃げ延び最後はここで集団自決を したと伝わっています沖縄本島は大変巨大 な島で南北におよそ100kmほどあり ます かこの巨大な南の島は九州と台湾の ちょうど中間あたりに位置しまして様々な 場所へのアクセスの良い便利なリチです 旅客器の飛行時間およそ2時間ほどで到達 できる範囲には多くの巨大都市が含まれ ます東京名古屋大阪 ょダレ天北京上海アイ州香港平マニラなど が含まれますいざ竜次ということになれば 沖縄は狙われる可能性の高い土地だとされ ておりそのため警戒の意識も非常に高いの だそうです江戸時代の初めにはタハが攻め のったこともありましたその攻めた最終 目的地は世界文化遺産になっております ナジグスの後あそこで戦いの決着をつけ 世論までは現在鹿児島県となっているのは 江戸時代の戦争の経緯だそう ですこの辺りには大変有名な観光地があり ます沖縄チュラム水族館は日本で1番 大きな屋内水槽を持っていて神米ザメで 有名です那覇空港からだと遠いですけど海 からも見えるんですねまたまもなく本線も 元に到着しようとしていますがいくつもの 貨物線が同じ方向へ向かって進んできまし たしかも先体は随分上の方へ浮かび上がっ ていますから今積にはないようです視聴者 の方から教わったのですが現在在日米軍の 海兵隊が使っている不麻場をこの島の反対 側の辺のこに移設するということで辺のこ の移設先の埋立て工事を行うための船が たくさん集まっているのだそうですここで 土を持って辺のこ側へ回っていくんですね 他にもこの辺りはせかの産地となっていて 沖縄の道路や諸々のコンクリート設備を 建設するためにこのの鉱山も活躍てい ますその産業の拠点元に船は入ってきまし た元ありは空港から遠いため東京に住んで いるとなかなか降り立つ機会がありません せっかくですからここで船を降りてあは バスで那覇市街へ向かうことにしました ターミナルへ降りて一番最初に見たのは 角松の景色沖縄にももちろんありますよね でも沖縄は旧正月を祝うところもあるそう です よにしきましょうには魅力的な飲み物が たくさん暑いからが飲み物が充実してる気 がしますここからは高速バスに 乗り継ぎ船で行っても所用時間はあんまり 変らないんですけもせっかくですから地に 足をつけてじっくり沖縄本当を見ておき ましょうまだまだ日は長いです北海道なら 特にわっかないあたりならとっくに沈んで しまっているのではないかと思います水を きながら車が入ってきましたに行くんです ねこの辺りは水がビチビチになっています が沖縄の道路など様々な建設材料がここ から出発して運ばれているようですよう こそ元沖縄道路塩川工場ここは塩川桟橋 たまにニュースに名前を聞くところです もう今日これから先時間に追われることも ないのでゆっくり進みましょう元から技能 ワ式まで向かいますバスは名市に入りまし た向こうには明るいという文字が書かれて います先日地元名市の新人の皆さんが漢を 1つ選んであそこに灯すことをやったそう です毎年の高齢行事なんだそう です金田には一足先に那覇港へ向かった波 の上の姿がありましたただ今の時刻は17 時58分日没はもう夕方の6時前とわっか ないよりも2時間ほど遅くなっています バスはそろそろ高速道路へ入りますナハで の快適なドライブ ですこれ昔は右側通行だったらしいですね 高速道路は この沖縄本島の1番くびれている辺りで 本島の西海岸から東海岸へ移ります細長い ので東内の横断は簡単に終わってしまい ます先ほどとは逆の海岸線を見ました こちらの海岸線がノコの基地とかを作る側 ですねこの辺りにはホワイトビーチとは アメリカ軍も使っている重要な石油の 受け入れ施設がありまして沖縄の エネルギー原の入り口となっていますいく つも煙突が並んでいますがそこから入って きた石油を右手に見えているアメリカ軍 基地の方へ送るのだそうです住宅街が色々 並んでいるように見えますがこれは アメリカ軍の関連施設でキャンプいわゆる 米兵山の住居だと思います向こうには巨大 な空港実際には軍専用のものとなってい ます風な基地が見え ます入った石油は風な基地などへ パイプラインで送られていく仕組みだそう [音楽] です太平洋にある主米軍基地としては ハワイの湾やグアムの他日本に駐留して いるもの韓国に駐留しているものなど色々 あるそうですがこれらは基本的に北朝鮮 中国などの共産主義勢力への対策だと思わ れますそして先ほどご案内したように沖縄 の立地は大変いいわけですが今色々懸念が 深い台湾や北朝鮮そして中国本土の主要 都市へ近く沖縄はやはりアメリカにとって も重要な場所のよう です現在ニュースなどで中国の海洋進出と 言われることがありますが戦後以来 アメリカは主義勢力に対する防波堤として 日本を使おうと考えてきた不があるらしい 僕は中学の授業で教わりましたが実際に 利害関係が一致するということで沖縄など に米軍基地が置かれていますでは中国は 一体なぜ海洋進出をしようとしているのか というところもまちょっと調べてみたん ですがどうもこんな感じらしい です驚くべき大国となった中華人民共和国 ですが日本と同じように資源を自刻で賄う のは難しいそうですそのため中東ありから マラッカ海峡シンガポールを抜けて中国へ 石油を輸入しなければいけないということ になっていますなおこの輸送ルートはシレ と呼ばれ日本も大部分を共有しています この中国が何かことを起こした場合 シンガポールやこの日本列島から台湾に かけて全て封鎖してしまえば中国は石油を 手に入れることができず動けなくなって しまうということだそうですその対策とし て中国はマレー半島に鉄道を建設したり 重要地帯の南 に埋立てを行したりさらには資源が出ると 言われている尖閣諸などこの辺りをどうも 欲しがっているらしいということのよう です色々こういったことを知ってみると 沖縄の旅行が特者感を持ってますます興味 深くなります高速バスを降りた後さらに ローカルのバスに乗り換えて今日のホテル へ向かいますに安心してご利用いだけます バスは現金もしくは地元ローカルのIC カーで乗ることができ ます明日あるんでから基地の目の前に宿泊 してみようと思いましてもじ移転で なくなってしまうわけですからねこんな ところで止まってみましたベースビュー 前原ホテルへの入り方英語しか書いてあり ませんでしたもう主格客の大半が米軍関係 者ということなんでしょう日本語は書いて ありませんでしたこれグアムでもね似た ような状況がちょっとあるようです マンションを改造というかマンションの椅 をそのままホテルにしているようです チェックイン時間は夜の8時までとなって いました 201号室でチェックインの手続きを行っ た後別の部屋にあただいま自分のうちに 帰ってきたような快適さですこれいいです ねしかも家も結構いいものが揃っています ホテルとして使っていたり普通に誰かに 貸していたりするんでよねでベッドが置い てありエアコンも設置されていて注意 アテンション英語での案内が手厚いです コンビニで色々買い物をしてきました 武蔵の沖縄沖縄で作ったやつです ね色々あっためましょういや私服の空間だ 普通のホテルよりいいかもしれないと思い ましたセブンイレブンで購入した沖縄そば 沖縄にもセブンが進出してますもんね おいしかったですねカツオだし南方のお魚 ですか洗濯機までありました完璧じゃない ですか普通のホテルよりこのホテルの方が いいかもしれないと思いました沖縄では こういうところばかりに止まっています 沖縄でこういうホテル流行ってるみたい ですね寒いんで暖房入れようと思いまし たら冷房がつきました沖縄ではあまり暖房 をつつける人はいないということなのかな 米兵さんは涼しいのが好きかもしれない です ねそれでは翌朝になりましたいよいよ今日 は最終日そしてもうここから先は飛行機も 使わなければいけないところまでやってき ました朝のギノア市内はひんやりしてます ねま寒くはないですけどこのものすごく 厚着をしていても暑いってほどではあり ません良かった早いうちに涼しいうちに 行動し行きましょうこの後暑くなる から今日は最終日で時間もあるのでホテル の近くにある展望台高津公園にやってき ましたここからは那覇方面を見ることも できますし昨日止まったホテルの真正面に ある不満基地を眺められます街が周りに ぎっちりと詰まった状態の真ん中に設置さ れた飛行場は大変危険なのだそうでこれは 実際に防衛省もその危険性については懸念 を示しこのように移転がているにあるのだ そう です滑走路の横には航空機がたくさん止め られていますがこれが有名なオスプレー ですねコスプレは危ない飛行機だとか言わ れていますが私はちょっとそのについての 知識はないので詳しくここで話すことは やめておきたいと思いますただともかく この飛行場については移転が必要というの はあらゆる方面から見解が一致している ようですまたこの展望台のある場所は沖縄 線1番の激戦地だったところだそうです 当時なくなった日本兵をめたのがいくつも っています遠方の土地の名前を見ると沖縄 についての問題は私たちにとっても完全に 自分事なのだと実感させてもらえます先頭 でボロボロになった地家がありましたこの 中に日本兵の人たちが入って迫りくる アメリカ兵に対し対抗するために頑張って いたそう です公園を降りてきましてあこれ5年前も 見ましたね懐かしいうんちはかこ犬の 持ち帰ろう 人間の運賃は持ち帰らないていいのかな5 年前にも言った記憶がありますここからは 那覇空港行きのバスに乗りますがこれじゃ ない190番ではありません僕が乗るべき はあっちです125番の那覇空港沖縄の バロ専門はく色々ありまして間違えると 違うところへ連れていかれます Googleマップなどで便利に確認でき ます ねまだ道はスムーズに動いていましたが 少しするとすっかり渋滞してしまいました 沖縄では渋滞が名物です米軍基地がもし なくなるようなことがあれば多少渋滞も 緩和される場所があるよう ですま那覇市街の渋滞は米軍基地関係ない と思いますけど ね飛行機の出発時刻まではまだかなり時間 があるので処理場も見に行くことにしまし たうわこんなところに努力は実る北九州 呼び子木に北呼のなんかこんなパネルが 括り付けられてるなんで誰もいない無人な ところに作り付けてあるんだ今日は ちょうど横の高校で大学入手共通テストが 行われていたんですねうわあこれが北呼び かと思いましたね歩いてすぐのとろに修理 城がありました修理城は赤く塗られた白色 の美しい建物が並び建物の後が世界文化 遺産として受け継がれています建物の 雰囲気は全般的に中国風ですなぜならば 琉球王朝は昔から日本側と中国側と それぞれのやり取りが深かったからです 実際沖縄の伝統的な河屋根の色合いはこの ように中国風の赤屋根が多いのだそうです 中国の文化と日本の文化が混じり合い ながら独自の琉球の文化を作っていった これが沖縄の特徴だそうですねだから13 ぐらいは中国っぽい雰囲気があります いよいよ日本の最果ての辺りまで来て中国 に近づいてきたということも感じます中国 切符を買ってみましたそして入場件を持っ て入ります3つの入口がありまして説明が ありましたそれぞれ意味があるんだそう ですが真ん中の入口が一番重要なんだそう です ねそして中国などから来るお使いの人たち を迎え入れるために使われていたそうです 中国語で買った切符を持って中国人の気分 で修理場に入ってみたいと思い ますご存知のように修理城は火災によって 燃えてしまい今作り直している最中ですが その作業を見ることができましたこれは カラハを作っているところですねカラハは 日本が古来から受け継いできた伝統的な作 方でこれは中国風のものではありませんま 沖は別に中国というわけではありませんの であの日本風のものもたくさん見ることが できますそれが胃に混じってるというのは 面白いですさてそれではちょうどいい 頃合いになりましたここからはモノレール に乗っていよいよ那覇空港を目指し ましょう最近モノレールは延伸されました また電車も2両編成で運転されていたのが 一部3両編成になりました高いところを 走るため景色が大変いいです作り直して いる場の景色美しい石垣の並びなどを見 まし た那覇の市街中心部は県庁前駅付近となっ ていますが沖縄線の前は次に到着する旭橋 付近が市外の中心地でした戦争で全て破壊 されてしまいましたが戦前まではここに 鉄道の駅もあり那覇の交通の中心として 那覇駅がありましたそれが旭橋駅のすぐ横 ですまた旭橋のすぐ南側には日型マコが海 に注ぐところがありましてここが那覇港 沖縄のウォーターフロントとなっています 那覇港の脇那覇軍港には会場保安町や米軍 の感染が置かれていますまた手前側は かつてさからの三保駅の船が多数発着して いたところですが現在もここに鹿児島から のマエフェリーなどが毎日発着しています というまさに沖縄県の入り口を横に見て いよいよこれから那覇空港へ向かいます 那覇空港の1つ手前赤嶺駅に到着します このユエルも電車の一種ですが当駅赤嶺が 日本最ナタの駅として有名ですなお次の 那覇空港は少し北になりますが日本最盛の 駅としてやはり有名です駅を出て少し北側 へカーブしていきます と覇空港の敷地が見えてきましたレーダー などの設備も多数置かれています東京から やってきた大型が今到着するところ ですここはもも帝国海軍の場としてれたと で米軍に接されている期も長かったのです が現在は変換され防衛省が管轄する自衛隊 機の発着するところとなっていますそして 自衛待機と予期が共に利用する軍民共用の 空港となっているのです終点の那覇空港に つきました飛行機で手軽に訪れられる再生 誕ですがそれではありがみを感じませんで も今回は飛行機なしでここまで来たわけ です北46度の稚内から26°の那覇まで ついにここまで来たかと思いました右那覇 空港は沖縄に来る人がまず1度は間違い なく通るところですが僕はここまで空港 なしできたとは我れながら感動ですしかし いよいよここから飛行機に乗り込みます 保安検査の手続きを行い出発まで時間が あったのでそばを食べて目の前を眺めてみ ますと東京から飛んできた日本航空の大型 機材の後ろにはここは軍民共用空港という ことで裏側には会場自衛隊のこれ会機と いうそうです海の上に不審な船が来てい ないかつまり皆さんご存知の尖閣諸島の 中国漁船のような怪しいことが起こらない かどうか化駅は確認をするために空の上を 飛び続けています沖縄から西にはまだまだ 先島諸島がつりますが先島へ行く船の便と いうのは現在はもう存在しませんここから は飛行機の旅です米島行きの飛行機は プロペラ機で運行されます沖縄旅の大醐 ですねプロペラ近くの窓側の席を予約して おきました乗り込んでドアが閉まりますと インターネットは使えなくなりますそこで 今のうちに気になることを調べておきまし た陸海空の自衛隊が拠点とする那覇空港 そのうち航空自衛隊那覇基地を司る鈴木 さんからの新年のご挨拶のページ航空自衛 隊ホームページを開いてみましたまずご 挨拶は昨年末のイベント成に終わったこと への感謝の言葉に始まりこのように続き ました中国軍島の活動は衰えとを知らずの 空審判に関わる各種任務に取り組む隊員 たちは祝とそして確実に任務を遂行してい ます作以来の長期にわたり北朝鮮の弾道 ミサイル等に対し放射部隊中心として覇が 一眼となり対処してきました航空自衛隊を 及び全ての自衛官さんたちが皆大切な 役割りを担っているといえどここほど大変 な場所もありないのではと思いまし た めに [音楽] 表すではへいよいよこれから日本の再 すなわち日本の最前線一番前へ出ていくと いうことでもあるかもしれないです ねののは陸羽の回転数が上がりますこれ どんどん上がってますよ ね回転速度が上がりきると水力が増して いったようでしたこうして加速し空を 目指すわけですね奥に見えているような ジェット旅客器の方が最高速度の面では 上回るようですがどうもこのプロペラ機材 というのに関してはこっちの方が燃費が いいとかですね長い時間燃料を節約し ながら飛ぶことができるとかそうした メリットもあるということ です地面の上は離れましたこれもまた見所 です車輪を格納する光景あ面白いですね下 には海上自衛隊の哨戒機が見えますが空の 上長い時間とまって警戒の旅に飛ぶような こういう飛行機もプロペラ機材で運行して いるんだそう です那覇空港の奥には那覇軍港米軍基地 なども見えますここがさの三時代から使わ れていたという歴史ある港です ね石油を取り込むためのも来ましたさらに 奥にはちょうど離島からやってきた フェリーが入行するところですあの入ろう とする小さな港は泊まり校で琉球王朝が 使っていましたサゴ礁が防波堤の横に 広がる美しい那覇港ここには新しい港も 築かれていて現代の時代大型コンテナ線や フェリーはここに到着します日本にやって きた歴代の旅客線の中で1番大きいMST ベシも止まっていました驚くほどの街の中 にあるということで点が決まった不基地 そして羽田空港の2倍ある巨大な軍用飛場 風な基地を見ることができまし たここで細長い沖縄本島を見いて後方に 過ぎ去りいよいよ東海を作島諸島へ向けて 飛んでいきますただ景色の見所はまだまだ 続きますこれはすごい美しいサゴ礁の 真ん中に細く生まれた 砂浜間の眼地体をぶつからのよう慎 に場所を確認しながら進む観光用の船の姿 がありましたここは泊まりから観光用の船 で渡ることができるそうですバーベキュー などができるそうですね他にも敷島がつっ ていて島の周り浅いところにはサゴシが つるということでこれも大変綺麗です 鮮やかな水色南方に来ないと見ることの できない海の色です ね時は 現4000フメに換算いたしますとおよそ 4300mの高度をえ時速およそ 53kmの速度です順調に飛行しており ます先島へ向かう景色の中で目立ったのは 大型タンカーたちの姿でした中東から シンガポールを経てやってくるこれらの船 は日本がまともな状態で動くために常に 必要不可欠な石油を運んでくるものでその 通り道はいついかなる時も自衛隊のの活躍 により維持いないと呼ばれているそうです こうした船が多く見えるということはこの 辺り沖縄県周辺の海域が大変重要な地帯で あるということを意味するわけですねここ で車輪が出てきましていよいよ着陸ここで 海の向こうへ目を凝らしてみますとこれ までの沖縄県ではあまり見ることのなかっ た非常に高い山が横1000に並んでいる のを見ましたあれはつまり台湾で日本列島 はここで終点ですその南にはフィリピンが ありフィリピンとの間の馬をす船の姿も 見えましたがともかく日本銃弾はここまで これが米島そして日本の1番西であります 入Onceです着陸したら見に行ってみ ましょうこの日の風向きは進行方向右側に 入Onceを見ることができるような状態 だったのでこちら側右側の座席を指定して おきまし た米島降りるのは2回目ですが真下にマサ の景色を見ながら降りる眺めは最高ですね この着陸シーンを見るだけでこの島へやっ てきた価値は十分にあったと思いまし た最近は国防の関係でやってくる人も非常 に多くなっているという米国 島少しの時間ですが楽しみこれで日本銃弾 の旅の最後を閉めることにしたいと思い ます夜島前やってきたのは6年ぶりですが 6年前と比べると観光は少し難しくなった かもしれませんねまず空港ターミナルを 出ると6年前に来た時はここにタクシーが 止まっていましたが今はいませんこれね 台数が少なくなったことのようですま多分 そうだろうなと思っていました運行して くれる再生炭観光さんに電話もしてみまし たがやはり今日タクシーを動かすのは ちょっと難しい状況のようですまたバスも ありますがこれも観光客向けのダイヤと いう感じではありませんまそれほど大きな 島ではないので何かしらの方法で再生のち を踏むことはできるはずです乗ってきた行 は折り返し石垣へ飛んでいきました次の私 に乗るべき飛行機が来るまでの間に色々見 ておきましょうというのは米島の宿泊施設 今非常に不足していまして止まっていくと いうことは正直難しいのですワリー クーポン500円のクーポンが束になった ものをもらいましたこな補助の試作も色々 やってるみたいですねお土産台などの購入 に当てられますまた米にうすくなるものを 空港料販売していてあそういえば米島って 馬がいるんだよなと思ったらうわ本当にい ました空港のすぐ近くのところにいました 日本の昔ながらの馬ですよねお侍さんとか が乗っていたというちっちゃい背の低い タイプの馬でこういうものはだいぶ種類が 少なくも絶滅の方に行ってしまっていると いう話も聞きましたが米島では昔ながらの 馬が大切に保存されているそうですや見る ことができて光栄でし た空港でいいサービスをやっていました もう2時間3時間ぐらい歩いて見て回ろう かなと思ったんですがJALのマークの 自転車を貸してくれるサービスです有料 ですがこれはチェックインのカウンターの ところでお願いすると小さな自転車を貸し てくれましたまサイズは色々あるようで これが残っていましたが鍵もついていませ ん国島の治安はそれだけいいわけですね あの再生端の三先を目指して進みます自転 車は時速30kmぐらいのスピードを出し て進むことができました性能がいいです そしてしばらく来いで着きましたここが 再生端の三崎を望むフブ漁港米軍地下の 時代には台湾を経由して日本本土との間で ここで湯が行われた湯の拠点だった場所だ そうです今は大きなカジキマグロや米島と 石垣島を結ぶフェリーの中行地として有名 ですこの奥に台湾がありいよいよ日本再生 誕まで来ました駐車場の隅に自転車を止め て旅の終点はあそこですね丘の上へ登って いき ましょうご視聴ありがとうございました 北海道の稚内を立っておそ1週間日本の 厳しい冬の寒さに耐えながらついには 温かくいや暑い再生誕の地へやってきまし た日本はここで終点です日本国再生誕の地 米国島の看板は1度は見に行くべき でしょうここが日本に東西南北と当然 ながら4つの橋があるものの民間人として は唯一訪れることのできる小心照明日本の 橋の地日本の終わりの地となりますここは 単純に景色のいいところで まし美しく透き通るサゴ礁や岩礁に世界の 海から寄せてくる白波が立つ素晴らしい 警官ですここから最寄の陸地としては2つ 上げられ1つは同じ八山諸島に属する入島 もう1つはこの海に見えている台湾大体 台湾と入島の中間地点に一しますさらに ここから最寄りの大都市となりますと台湾 の大平または中国のアモイとなります那覇 と中国のアモイとの間大体距離が同じ ぐらい まさに日本と中華人民共和国との間に位置 する島でもあるのですこの展望台からの 景色も素晴らしく先ほどのク港などがよく 見えますがその前に展望台の足元に大変 印象的な地図が置かれているので見てみ ましょう現在地米島はここにあり尖閣諸島 がこの北側そして九州はと言うと九州は もうあんなに遠くにあり ます日本は広いですねそして近くにあるの はは中華人民和各に台湾海峡そして台湾 ですまさに日本の思いきり西側に突き出た 位置までやってきたの ですこのあからの景色は大変よく先ほど見 た台湾との間中継地点としても使われまし たク漁港を見ることができます実際に台湾 との間に国際行路を就航させようという 動きも今活発なようですまたこの景色の中 で特に注目しておきたいのは201年に 解説されたという比較的新しい陸上自衛隊 米国駐屯地つまり最近の時代になってここ に自衛隊基地を増設する必要性が認め られるほどこの辺りを防衛する必要性も また高まっているということ でしょう飛んできたミサイルに対しこちら から反撃を行い安全に処理するための設備 を今建設している最中だそうですその関係 者の宿泊が米国では大変多くなっていて 宿泊施設の手配もなかなか難しいのが昨今 の現状だそうです日本の再生ということは 日本の最前線までやってきたということで もあります飯という時の友二の時には島民 全員を1日のうちに避難させることを計画 しているそうです太陽が非常に高いですね もうわっかないだったら夕日または日が 沈んでいるぐらいのところだと思い ます今回の再生誕の地を目指し日本レッド あちこちを観察しながら進む旅行も勉強に なり意深いものだったと思いましたまた この丘の下へ降りますと平成の時代も 終わろうという時前の天皇工合両陛下が ここ米国へ良行になったという記念の石が 立てられていました陛下によりますと日本 の各地とりわけ遠隔の地や島々への旅が 大切な天皇の象徴的行為とおっしゃって いるとのことですがその意味についても 今回少し分かったような気がしますつまり あちこちの自衛隊基地や国土防衛の遠隔地 最前線を見て天皇というのは黒船以来国土 防衛の中心に置かれた象徴的存在だったと 思いましたつまり憲法一条に記された日本 国民統合の象徴たる天皇の役割というのは 1つ非常に重要なところとして日本の国土 防衛にあるものだと思いました日本最前線 の地で憲法1条についての意見を深められ たのはいい体験だったと思いましたそれで は東京へ帰らせていただきますお聞きいい てる音楽はエンディングの定番ホの光ご 存じだと思いますしかし実はこの曲には 歌われていない正式な歌詞がありまして それは今回の日本銃弾の旅の最後としても ぴったりな曲です日本の遠隔地へ思いを 巡らせる歌詞を最後に紹介させていただき これでこの動画を終わりにいたしますご 視聴ありがとうございまし [音楽] た [音楽] 当社の動画で宣伝をすれば観光客で大繁盛 しかも訪れるお客さんはみんな親切な方 ばかりだと取引席の皆さんからもご好評を いただいておりますスーツチャンネルを 使った宣伝は観光誘株式会社ま僕の会社な んですけれどもここにお任せください ませ

You may also like

39 comments

@SuitTravel March 22, 2024 - 9:28 am

詳しくはこちらの動画をご覧ください。
https://youtu.be/5lRKselQ5LI?t=1s

観光誘致株式会社チャンネルを開設しました。ぜひチャンネル登録して更新をお待ちください。
https://www.youtube.com/channel/UCgg1UAcjYOzucdY9VRHxTiQ

@user-jc4xf5wl1p April 22, 2024 - 5:34 pm

国土の素晴らしさ
スーツさんのおかげで感覚が変わった

海外旅行行く前に、まずは日本をくまなく旅行したいと思った

スーツさんがグルメじゃないところ、すごい重要だと思う、団子より花

ううん、太平洋側に目が行きがちかもしれんが、日本海側の観光って色んな意味で重要なんだな

@JesusBuddha April 23, 2024 - 12:56 am

普通は自転車で横断するんだよ(笑)

@prant_877cot April 23, 2024 - 3:40 am

またフェリーのったんですね!
沖永良部で一度下船してください!案内しますよ笑
畑しながらいつも船みてます、スーツさんもうこないだろうなぁと思ってたらまた船のってたなんて!一度会いたい!笑

@jibanyandaisukij8139 April 23, 2024 - 11:30 am

個人的にはBGMが無い方が良いです。スーパー等でBGMが比較的大きな音で流れていると、流している側は無神経だと感じ、早くそのスーパーを出たいと感じます。

@user-vt7xb5gy7q April 23, 2024 - 6:00 pm

行きたいと思っても行けなかったところも見ることが出来て、嬉しくなります。ありがとうございます😢

@Kowdan_Joshu April 23, 2024 - 8:20 pm

日本縦断しながら各地の紹介するのはさすがスーツさんの知識量
台湾から天気が良い時与那国島を見ることができるほど近い、台湾・花蓮市とのフェリーは早く実現するように期待します。

@user-yf1xu9of7w April 23, 2024 - 11:34 pm

行ったことない小樽の構造をワンカットで撮り切ってくださりありがとうございます😊

@user-sc3tf7dr2m April 24, 2024 - 2:41 am

紹介のスピード感がすばらしい。吉野川のくだりはへーっと言うしか無い。

@user-rk8ue5wb5j April 24, 2024 - 12:30 pm

小樽〜舞鶴航路の方が早くね?

@otaribonkichi April 24, 2024 - 7:44 pm

長尺だけに満足感ありで面白かった~

@okinawa8406 April 25, 2024 - 1:53 pm

船の上から、海撮ってると落ちそうで怖いです‼️

@user-gf8ye4hg8s April 28, 2024 - 1:42 am

17:39「路肩がどこにあるか'分からないように'するためです」が地味に面白い笑

@mothlla3000 April 29, 2024 - 9:22 am

2:29:46 線対称は数学というより算数ですね。初等数学ではありますが。初等教育課程です。

@alinomamao April 29, 2024 - 2:33 pm

観ても良い聴いても良い流しても良い心地良い素敵な動画を感謝します🎉

@keisukerat56 April 30, 2024 - 4:25 pm

次回
キン先輩に見習って、
ビビとスーバンジー飛ぶってさ!

@user-on5mr7dc2l April 30, 2024 - 5:17 pm

クソ面白い

@takayukiiida4669 May 1, 2024 - 11:29 am

バスでラジオが流れているのは〜交通情報を聴く為です。

日本海側を走る国道は〜冬は暴風雪で、夏は〜雨風や落石で通行止めになる事が良くあるので、ラジオで情報収集する為に車内でも流します。

@user-vr7um7ul8y May 1, 2024 - 2:19 pm

今度は、根室から波照間島もやってみてください。🚂🚈

@nakaiti3780 May 1, 2024 - 9:39 pm

渡嘉敷島の名前で紹介している島々は座間味村で上から阿嘉島、慶留間島、滑走路があるのが外地島(ふかじじま)ですよ

@user-kf4gx1pk2s May 2, 2024 - 12:21 am

ちょっと失礼に当たるのかもしれないけどサムネが面白すぎる

@user-ts8dl7jv8v May 5, 2024 - 4:20 pm

素晴らしい動画でした
ありがとうございます😊

@zeppelin6394 May 9, 2024 - 6:07 pm

日本地理の授業として使えるレベルの動画。流石です。

@chip-nk7vv May 10, 2024 - 3:38 am

17:41 分からないようにする為?

@user-wm7ib6ft3z May 13, 2024 - 6:31 pm

2:58:47
瀧蓮太郎の出身は東京都だった気がします。大分は蓮太郎氏が亡くなった地ですね。

@massiguraneko1562 May 14, 2024 - 1:53 am

2:28:36 仕事しながらBGM的に動画流してたら…突然🤣

@user-ks3oz1be9c May 15, 2024 - 10:32 am

映画化できるレベルの命がけ大冒険。
淡々と語るが無事を祈ってます❣️

@ri.ru1227 May 17, 2024 - 10:02 am

稚内から枕崎まで、鉄道で行く〜というのはよくあるのですが、まさか沖縄の最果てまでいくとは…さすがスーツさん!!

@user-xc9vf3tv9r May 18, 2024 - 8:12 pm

おらァァ❗スーツーウゥゥ❗お疲れ様

@user-vr7um7ul8y May 21, 2024 - 1:51 am

豊後大野市三重町、懐かしいですね。🚂🚈原尻の滝、行ったことがあります。🚂🚈根室納沙布岬から、波照間島の企画してください。稚内宗谷岬、根室納沙布岬、波照間島まで行ったことがあります。与那国島は、行ったことがありませんねぇ😅。🚂🚈

@izumitauchi5909 May 24, 2024 - 10:35 pm

橿原神宮辺りで「君が代行進曲」ってチョイスがスーツさんの魅力。

@mitsuki4042 May 26, 2024 - 9:54 am

郷土愛や歴史への敬意はこうした経験がないと湧かないねということがよく分かる

@user-jf7bk6he9k May 28, 2024 - 2:32 pm

お前は家でおとなしくしてろ。

@user-jn4uu1xw4x May 28, 2024 - 9:52 pm

スーツチャンネル大好きです。
安心して見ていられます。
紹介している所全部観て周りたいです、、素敵ですね、、稚内から、、
与那国まで一気に移動し、日本を周りとても羨ましいです、、、私も
クルーズ🚢で日本、、済州島を周る
予定です、、❤楽しくなる様に、
そして綺麗な海を想像してます😊

@user-vx6zk9iw1d May 31, 2024 - 12:08 am

与那国島の馬は、戦国時代で言うと運搬用です

@ryu0919 June 1, 2024 - 10:25 pm

52:12 ミオシティのBGM!

@akiyosa2229 June 2, 2024 - 1:11 am

久しぶりにスーツさんみました すっかり営業が板についてますね かつて様似で海をぼーっとみていたころが懐かしいです(勝手にw)

@kazumiikuta8263 June 2, 2024 - 7:46 pm

北海道なめてると凍死するよ

@runrundon3 June 2, 2024 - 11:29 pm

52:12 小樽港のシーンでポケモンのBGM使うの最強すぎだろ!!!!

Leave a Comment