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CDメガセールス時代…小室ファミリーと宇多田ヒカル【邦楽通史#26】

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[拍手] [音楽] [拍手] [音楽] ようこそミノミックどみのです本日もです ね法学通し解説シリーズやっていこうと 思いますこちらにあります私の書籍日本の 歌音玉と学と芸能にまつわる法学通こちら を用いてですね法学通信の解説シリーズ 制作しております本動画がシリーズの第 26弾となります今回はですね平成期のえ 音楽シーン中でも特に大きな存在感を放っ ていた小室哲也そして宇田ヒカについて 解説していこうと思います平成期に最も 存在感を放ったスタープロデューサーと いえば小室哲也で異論はないと思うのです が彼が手掛けた数々のアーティスト小室 ファミリーと称されましてCDのメガ セールス時代に1台ブランドを気づくこと となりました小物徹夜生まれがですね 1958年東京の府中です中学時代から シンセサイザーを所有していまして作曲に 打ち込む熟な少年でしたスタジオ ミーシャンだったりバックバンドとしての 活動を経ましてTMネットワークとして 1984年にメジャーデビューを果たし ますでこの人ミュージシャンとしての活動 のみならず作曲家としても積極的に活動を していまして自身のプロジェクトである TMネットワークと並んでたくさんの楽曲 をいろんなアーティストに提供していまし た中でも1986年に渡辺里に書き下ろし たマイレボリューションこれがですね チャートの1位を獲得するなど大ヒットを 記録しましたて小室哲也の名を世間に広く 知らしめる足がかりとなりましたこの頃他 に小室哲也がえ楽曲を提供していた ミュージシャンだったりアーティスト ちょっとあげていきますと荻洋子お にゃんこクラブ中森明奈小泉京子松田聖子 中山美穂岡幸子などなどということで トップアイドルそなめっていう感じですよ ねまいかに早くからえヒットメーカーとし て業界にね認められていたかっていうのが 伺えるかと思いますそして88年に発表し たコンセプトアルバムキロは対策ながらも ロングセラーを記録しましてTM ネットワークの代表作と広く見なされてい ますこちら僕え本社の冒頭にねえ収録され ています日本の歌100000という ディスクガイド的なものがあるんですが そん中でキャロルをねえセレクトしてい ます小室徹夜並びに小室ファミリーの中 から一作どうしてもねえ入れる必要がある と個人的に思っていたんですけどもまあ一 作選ぶんだったらこのキャロルになるのか なと思ってセレクトしてますでこの人本当 にマルチなんですよね89年平成元年には ですねソロ名義でRUNNINGTO ホライズングラビティオブラブといった 作品をチャートの1位に送り込んでいます TMネットワークえそしてその名義さらに 楽曲の提供者としてもねチャート1位を 取るとこの辺りからさらに小室徹夜のね 開進劇は勢いを増していきます94年TM ネットワークとしての活動を終了した頃 から小室徹夜が手掛けた楽曲がチャートを 接見するようになっていきます 93年に活動を開始しました男女5人組の ダンス&ボーカルグループのTRFなん ですけどもこちらのプロデュースを小室 哲也が手掛けますでTRFのねコンセプト なんですがディスコプラスカラオケ÷2と いうものがありましてこれがね結構周一な んですよね当時流行っていた2種類の音楽 空間ディスコとカラオケえこれらの流行 敏感にキャッチしましてさらにダンサブル かつ口ずさみたくなるメロディを目指すと いうね徹夜の姿勢これがめちゃくちゃ ヒットしました当時あのカラオケボック スっていうのが流行していた時期なんです よカラオケボックスって今どこの繁華街 あるいは駅前にもありますよねそれまでの カラオケのイメージってスナックとかに あってホステスさんと中年サラリーマン客 が演歌を歌うみたいなそういうイメージ ちょっとなんか水商売的な香りの強い娯楽 だったんですよでそれがカラオケボックス という携帯にだんだんねえ主流が移行して いって若者でも気軽に行けるような健全な 娯楽としてのイメージが定着していくその 辺りのカラオケの営業形態のシフトって いうのがねこの時期あったんですねで小室 哲也はその流行をねま敏感にキャッチして いたとさらにディスコと掛け合わせて割2 をするというでディスコの要素なんです けども当時ね欧米を中心に流行していたま クラブミュジックですよねハードコア テクノとかジャングルとかアシッドハウス とかユロビートとか特に小室哲也はユーロ ビートのイメージ強いと思うんですけど そういったダンスミJPに落とし込む案 これがですねもう他の追随を許さなかった んですこの時期の小室哲也がね手掛けてい たミュージシャン本当にねすごいです TRFを初めとしまして鈴木ヤアなえ田原 智美瞳篠原良子よしきと組んだV2そして 浜田正敏とのユニットであるH Junglewithtグローブなどなど でこれら全て特大ヒットを記録しますこう いった小室徹夜が手掛けるアーティストは 小室ファミリーと総称されましてまさに 時代の長時として小室ブームと各メディア に表されるほどでした1996年4月にや チャートのトップ5を小室がプロデュース した作品が独占しましてブームはピークを 迎えますやばいですよねトップ5全て独占 単純比較はねできないと思うんですけども 1960年代ビートルマニアがねもう本当 にピークを迎えていたアメリカ4月4日 付けのチャートでですねビートルズが トップ5を独占するという現象があったん ですけども小室徹夜もね日本国内でそれ ぐらい勢いがあったと言っても過言では ないでしょうかそんな1時代を築いた小室 ファミリーだったんですがまやっぱり英子 整水と言いますかねブームも徐々に 落ち着いていきます小ファミリーと 入れ替わるようにしてですね歌田ヒカル だったりミーシャを代表とするr&b シンガーあるいはツクが手掛けるハロー プロジェクトらのえ対当によるトレンドの 変化もありまして98年頃からブームは 鎮西化を迎えます宇田とかのR&Bブーム に行するようにですね小室哲也もR&B 試行の強いユニットであるトゥルーキス デスティネーションを結成するのですが こちらは全盛期ほどの生育を得ることは ありませんでしたその後の小室徹夜の活躍 ちょっとね駆け足ですが話していきますと 2000年代は詐欺事件で逮捕されるなど ちょっと低迷してしまうんですが2010 年にAAのプロデュースで復帰を果たし ましてスマップだったり浜崎歩みに楽曲を 提供するなど活動を再開小物徹夜が プロデュースした楽曲の総売上は一 7000万枚を超えましてえぐいよねこれ はプロデューサーとして現在国内1位の 記録 ですそんな小室哲也そして小室ファミリー と入れ替わるように登場した宇田ヒカルに ついてえ話していきたいのですが当時あれ だけ売れていた小室哲也がですね宇田 ヒカルが僕を終わらせたと語っているん ですよこの宇田ヒカルの衝撃とは何だった のか宇田ヒカルはですね83年 ニューヨーク生まれでお母さんが富士敬子 ですこれがまた面白いですよね昭和で1 時代を気づいた富士慶子の娘がね平成で また時代を作るとおもろいよな歌でヒカル 幼少期から日米を生きする生活を行ってい まして国際的な言語感覚と音楽感を養い ました平成10年に98年ですね若干15 歳にしてR&B食の恋オートマティックを リリースしますとこれがまた琢磨に チャートを駆け上がり200万枚を超える ヒットを記録しますエグすぎる当時ね いくらCDが売れまくる時代だったとして もデビューシングル200万枚超えです からねここでちょっとね宇田ヒカルの リズムそして言葉のアプローチについて 話していきたいんですけども一般論として ですよ日本語は欧米の言葉と比べると リズムを小刻みに刻むアプローチというの が難しいとされていますでこれ資格的に 捉えるとして1番分かりやすいと個人的に 思っているのが現行用紙なんですよ あれれってグリッド上になっているじゃ ないですか一方で英語をねノートで書く時 ませいぜい河川は引いてあったとしても それぞれ文字をね1個ずつこれぐらいの スペースで書いてくださいっていう指定は ないですよねあのイメージほぼ全ての文字 に母音がある日本語はなんか小刻みに言葉 を刻んでいくっていうよりもより メロディーの展開を長くしていって大きな うねりを作って感動を生むみたいなそう いった手法がね主流になっていますただ 一方でですね歌でヒカルは単語内の音節を 切り離して配置することでそれまでと比べ ても圧倒的にリズミカルなメロディを獲得 することに成功しましたま日本語において もこの単語をこうどっかで切って割って別 のところで配置することでリズミカルに できるじゃんっていうの歌だヒカルがやっ たとまもちろんねこういったアプローチが それまで全くなかったわけではないんです けどもやっぱり宇田ヒカルのアプローチ これがね非常に完成されていたと言えると 思いますさらに同時代的な欧米のR&Bの 影響音楽性をちゃんと咀嚼して出すと しかもオリジナルなものに化している そんな宇田ヒカのねえ音楽性これがもう めちゃくちゃ衝撃だったわけですね宇田 ヒカルの方法論は皇族のミーシャンたちに 絶大な影響を与えますもっと狭く言うと 日本語のえ言葉の配置っていうところで 法学会にパラダイムシフトを巻き起こした と言っても過言ではありませんデビュー 翌年に発表したファーストアルバム ファーストラブは社会現象とも言えるほど のセールスを記録しましてこれまで760 ま枚以上を売り上げていますえぐいですよ ねこれは国内のセールスにおいて歴代1位 の記録となっていますまもう不動の記録 ですねこれは90年代は中盤頃からニシを 始めとしてウーアとかバードといった多く のR&Bシンガーがブレイクした時期でも あるんですが宇田ヒカルの衝撃的な デビューこれがもうまさに新内登場といっ た印象を与えました宇田ヒカルはその後も え優れた作品を継続してねリリースして いくのですが2010年に人間活動を行う と称して突如音楽活動を休止します15歳 からね国民的スターとして多忙を極めた 生活を行っていて普通のね人間らしい生活 ができなくなっている気がしているみたい なそういった感覚があったみたいですこれ に際して拠点をロンドンに移してしばらく の給養を取りました2016年にはおよそ 8年ぶりとなるアルバムファントームを 発表活動再開後の作品グは第2次黄金期を 迎えたと言えるほど充実した内容となって いまして今日に至っていますミノ ミージックをご覧の皆様ごげようところで ですね音楽活動を行ってる人たちのことを ミュージシャンではなくてアーティストと 呼ぶのも結構一般的になっていると思うん ですけどもこれがいつぐらいから呼ばれる ようになったのかちょっと気になりません かこれもね大体平成の初期ぐらいからなん ですアーティストというねなんかふわっと した肩書きこれがなんで定着していったの かこれを紐解くとですね平成のJPOPの シーンがより立体的に見えてきます前回の 動画でも解説していきましたがJWAVE が打ち出したJPOPという言葉当初は より洋学的な作風を持つ法学のね ミュージシャンを指す言葉でしたけども このJPOPという言葉が打ち出されて いく過程の中で演歌とか火曜局集がね強い 楽曲ミュージシャンが切り離されていき ましたがその理由の1つとして大衆が ミュージシャンなリアルの捜索をより強く 求めるようになったというのがあげられ ますつまり自分で曲を書いて自分で歌って 欲しいっていうね需要が高まっていったと いうことですよね一方で昭和的なね歌手像 というのは作詞家だったり作曲から与え られる曲を歌うそういった活動姿勢これが ですねま華やかではあるんですけども平成 期に入ってくるとどこか人工的に捉え られるようになっていましたこうした昭和 的な歌手像がチプ化していく中でレコード 会社はある妙案にたどり着きますこれまで 通り作曲家が曲の制作を担うのですが作詞 の領域は歌手本人が行うことで例え会議室 で練り上げられた綿密なマーケティング 戦略に基づいた楽曲であってもメッセージ の部分だけでも有期的に響かせることが 可能となったのですつまり作詞家の作業 領域を犠牲にすることで部分的な自作自衛 を達成させた今日でもこういうパッケージ のアーティストって結構たくさんいますよ ね曲は人に書いてもらってんだけど死は 自分で書くよみたいな人たちこういった 活動モデルが平成の初期ぐらいにどんどん 一般的になっていったんですでこのような 平成の歌手像次第にですね種ではなくて アーティストという神秘的な名称が与え られますどれほど作品に関与しているかは ともかくとして自主性のある存在として 演出されるようになるこの奇妙な価値転換 なんですけども歌手たちが時代の変化に 対応する上での大きな発明でしたただね これがねめちゃくちゃややこしいのが アーティストという故障これがですね やがて自作自演を行うミュージシャンも 含めてJPOPの領域で音楽を発表する 人々を広く指す用語として範囲が拡大して いきます今日もさほとんど音楽活動を行っ ている人たちはアーティストと呼ばれる じゃないですか元々はそんなに範囲が広く ない言葉だったのに一気に拡大してしまっ たこれはですねちょっとJPOPという 言葉にも似ています最初JWがシーンの中 でも洋学的な活動を行っている楽曲を発表 しているミュージシャンたちをJPOPと 呼んでキレーションをしようとしたのに 気づいたらCD屋の売り場法学のコーナー がJPOPというな名前に変わってしまっ てほとんどのミュージシャン演歌とか火曜 的なね香りが強いものを除いてほぼ全てが JPOPと呼ばれるようになったあの現象 と似ていますよね平成の歌手たちは あらゆる存在がアーティストという故障の 元に並列化される中でまるでざとに身を 隠すようにしてですね自主性の課題を うやむやにすることに成功したんです なんか歌手って作詞か作曲かにね楽曲を 与えられてそれらを歌ってる人工的な存在 だよねっていうあのニュアンスをなんか うやむやにすることに成功した一方でです ね昭和の歌手像そのものである演歌歌手 だったり肩書き自体に偶像性が付与されて いるアイドルはアーティストと名乗ること は許されませんでしたつまりこの アーティストという名前がねもたらす なんか曖昧なあの感じその恩恵に預かる ことはなかったわけですこの時代であって も演歌歌手はやっぱりえ楽曲は作詞家作曲 家の先生が書いてるだからアーティストと 名乗ることは許されないあの人たちは歌手 だよねっていうねそういう感覚がこの価値 転換の過程でもえ残りましたアイドルは ですねそもそもアイドルという名前自体が 偶像という意味ですよねまだからそもそも ね芸術家という言葉であるアーティストと の噛み合わせがま悪いなのでアイドルの人 たちはアーティストと名乗ることは許され なかったでまこのねノりというか感覚が 今日まで変わっていないと思いますまただ 一方でですねアイドルの音楽性これは演歌 歌詞と違って流行と連動とした同時代性を 持っているのでえアーティストと呼ばれ ないがJPOPには内法されますま ややこしいですけども我々無意識にこう いったなんかカテゴリー分けみたいなのは なんとなく頭の中ですでにやってますよね でこのアーティストという方法論で大きな 成功を納めたのの一例として酒泉が中心と なって形成されたザードですねこちらは バンドの定戦なんですけども楽曲は織田 哲郎とか明正夫といったえ売れっ子の作曲 家が担当そしてほぼ全ての作手を酒井が 担当するということで作曲は外部の 売れっ子にやってもらうんだけど作詞は 自分でやるまさにアーティストとしての パッケージ1993年発表の楽曲負けない で応援ソングの本当に代表的な存在とも 言えるナンバーですが人々の背中を押す ような前向きな歌詞でバブル崩壊に 落ち込む大衆の心を掴んでミリオンセラー を超える大ヒットを記録しましたでこのね 応援ソングというのがなんで成り立つかと 言と歌手本人が歌詞をいるからより内容が 身近に感じられるっていうのはね絶対ある と思うんですよね作詞家の先生が書いてい てそれを歌手が歌っているという構図だっ たらここまで応援されてる気持ちにはなら ないそういった何でしょうパッケージ部分 の巧みさがあったと思います他にもこう いったアーティストとしてのパッケージで 成功を納めたのは玉崎歩とか柴崎ことか 河田組と中島美香とか西野カとかまそう いったアーティストの方々があげられるの かなと思います ということでいかがだったでしょうか今回 も法学通解説を行っていきました歌でヒル 小室哲也そしてアーティストと呼ばれた 平成の歌手たち興味を持ってもらえたら 是非えこちらにあります私の書籍日本の歌 音玉とガキと芸能にまつわる法学通こちら 手に取ってもらえると嬉しいなと思います そんな感じでミノミュージックでしたそれ で [音楽] はあ

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26 comments

@jimmyshimizu9000 May 23, 2024 - 1:41 pm

さすがにTK最大の黒歴史である吉本興業時代は触れなかったか

@BuzzCommunicationErRa May 23, 2024 - 1:41 pm

正確には明石正夫は編曲家ですね

@user-qd5xx7yz8f May 23, 2024 - 1:53 pm

音楽活動をする人をアーティストと呼ぶ現象は昭和50年代後期〜60年代にかけて起こってますね。
それはアイドルデビューした人が歌唱力と楽曲を評価されてアーティストと呼ばれるようになったのがきっかけで、その人達の代表が岩崎宏美や中森明菜ですね。
あと本田美奈子もアイドルデビューして2年目くらいにアーティスト宣言なるものをします。
しかし岩崎宏美も中森明菜も自分の立場は歌手であるとは思っていても、アーティストだとは思ってもなかったと思います。

アイドルそのものをアーティストに昇華させた松田聖子みたいな人もいます。

@anthonythefool6756 May 23, 2024 - 1:58 pm

小室ブームが終わった本当の原因は宇多田さんではなくて、単純に99年に小室さんが曲を書けなくなったことだと思います
理由は全くの謎です

@Ramenman-ct1te May 23, 2024 - 1:59 pm

「ブーム」で終わらなかったからこそ、今も現在進行形で活躍してる小林武史についても解説してほしい

小室哲哉の影に隠れがちだけど、彼以上に邦楽に影響を与えてる気がする

@user-js7fg6wd4w May 23, 2024 - 2:14 pm

ZARDの場合、売れた曲は坂井泉水×織田哲郎コンビが多いけど個人的には坂井泉水×栗林誠一郎コンビの方が好きな曲は多いな
SeasonとかDon't you seeとかpromised youとか名曲が多い

@tamori-0822 May 23, 2024 - 2:37 pm

1:23バカ不自然でおもろい

@sencha77 May 23, 2024 - 2:51 pm

宇多田ヒカルが一番好きな邦楽曲がGet Wildである、という逸話も挙げておきたい

@staygold0801 May 23, 2024 - 2:52 pm

小室哲哉、マイケルジャクソンがアプローチしてくるぐらい売れてたのはすごいよね。

@ramen119 May 23, 2024 - 2:55 pm

小室世代です。とにかく耳に残るいい曲だからどうしても繰り返し聴きたくてみんなが小遣い握り締めて買ってたという現象だったなぁ。小室が作ったから買ってたとか応援してたみたいな空気は全然無かったように思う。

それが97、98年くらいから「あれ?なんか今度の曲良くないな」ってのが増えてきてね。別に他のアーティストに押し出されたわけでもなくシンプルに自滅していった。

当時あれだけ若者が心躍らせて聴いた小室の楽曲だけど、ほとんど後世には聴き継がれなかったように思う。なぜだろう。

@user-rh4xss May 23, 2024 - 2:58 pm

ミュージシャンが自分のことアーティストって言っちゃうのは違和感あるけどな・・。

@Nagatak-jj8nh May 23, 2024 - 3:21 pm

修正動画ありがとうございます。

@user-sx1oe3xd6f May 23, 2024 - 3:21 pm

'70年代はポプコン出身等作詞作曲する歌手をフォーク・ニューミュージックと呼んだり、'70年代後半~'80年代はシンガーソングライターとも呼んでいた気がします。サザンやもんた&ブラザーズ、ゴダイゴのようなバンドはバンドと呼んでいたのか?!は定かではないです🤔'80年代はアーティストともチラホラ聞いた気がします。Beingが出た'90年代初頭からアーティストが浸透確立してきたのでしょうか?! '80年代後半Stock Aitken Waterman のユーロビートが流行り、'90年代初頭に小室哲哉プロデュースのTRFがヒットし小室ファミリーが次々に席巻していった気がします。
応援ソングには岡村孝子「夢をあきらめないで」なんかもありますが、ZARD「負けないで」を初めて聴いた時は、イントロがDaryl Hall & John Oates 「Dreamtime」かと思いましたw

@nofu-oe5zi May 23, 2024 - 4:27 pm

TMNETWORK期の小室さんほんと好き。アルバム「HUMANSYSTEM」「CAROL」はほんと良いですよ。
最近シティーハンターやトリビュートアルバムでまたTMが注目され始めてるのはほんと嬉しいです。

@faff-lz5zx May 23, 2024 - 4:58 pm

90年代前半はビーイング系で、90年代中頃が小室プロデユース、90年後半がつんくプロデユースで移り変わりありましたね。90年代CD売れていたのは大量生産大量消費の時代でネットもなくチャートの数字くらいしか指標ないので売り上げ枚数を気にした結果かなと。小室哲哉氏はその時代に合わせた若干希釈したような大量生産型の楽曲を送り出してたわけだけど、失敗は自分の力過信しすぎたことと、借金重ねてもまたあの時代のようにドカンと売れて返せるだろうと思ったことかもしれません。

@user-jq3sc8oe5j May 23, 2024 - 5:34 pm

宇多田ヒカルが出てきた時は衝撃だった記憶。小室哲哉は99年頃からヒット曲のイメージが無いなぁ。聴いてはいたけど、パッとしないR&B風の曲とトランス方面に走った印象。

@toshi6755 May 23, 2024 - 8:05 pm

90年代はビーイング音楽出版の長戸大幸氏の存在も大きいですね。
かつては三原じゅん子の歌手デビュー曲「セクシーナイト」なんかも書いてますけど。
小室氏は85年から女性アイドルのアルバム曲・シングル曲で良曲をかいてるけど当時は作曲のみだったのに、90年代から欲を出したのか全てやるようになってから自身を消耗してったように感じる。
アイドルでも80年代後半以降斉藤由貴、小泉今日子、森高千里などが全てではないが「作詞」するようになってますね。

@danmoroboshi9796 May 23, 2024 - 8:19 pm

作詞だけやるのは80年代のアイドルロック歌手から顕著だった。それこそ小室も曲書いてた渡辺美里とか。作詞能力高かったのにアーティストなんて名乗らなんかった森高千里は偉い。今じゃアイドルや芸人もCD出せばアーティスト名乗ってるし

@assholestartorme7037 May 23, 2024 - 8:31 pm

サムネで宇多田ヒカルが一瞬 口から血が出てるのかと思った

@zononkz May 23, 2024 - 9:53 pm

何処か他のこの手の動画でもコメントした事がありますが、「小室哲哉はロック・ミュージシャン」と個人的には思っています。
TMNを終了させたのは素晴らしいプロデュース、以降プロデューサーに専念する事は間違っていると当時から感じていました。
この方はホームとなるバンド(グループ)が必要で、その上で他へ楽曲提供やプロデュースを行うという形が才能が活きると思っていました。
表現が悪いですが、プロデュース業により楽曲の質がどんどん下がっていったのは間違いない。宇多田ヒカルさんの登場により、流行りを作っていた人が一瞬で流行りを追いかける側になってしまいましたね…。

@atsuhappy5429 May 23, 2024 - 11:01 pm

当時の人気プロデューサーとして小林武史もいるけど、小室哲哉よりあまり語られない存在ですね。

平成はサザン、ミスチル、マイラバ、レミオロメン、令和になってもbacknumber、uruなど本当に時代を超えて手腕を発揮していて本当に凄い人なんだけどね。

@user-en6db1cd7u May 24, 2024 - 1:21 am

いつも動画ありがとうございます。
少し関係無いですが、

ビートルズにモロ影響あるじゃん!
みたいな曲、アーティスト沢山紹介して欲しいです。


パフィーのこれが私の生きる道
イエモンラブラブショーのラスト
みたいな感じで、みのさんチョイスで、教えて下さい。

@user-ll8ih1vp7o May 24, 2024 - 7:09 am

宇多田ヒカルさんがデビューした時は高校生のロック小僧だったから全然興味無かったけど最近になってサブスクで宇多田さんのファースト聴いてたら衝撃的やった。

@seijikobachi2893 May 24, 2024 - 10:13 am

原稿用紙の話、とても分かりやすかったです。歌詞とメロディの関係、その日本語と英語の違いを視覚的に説明、目から鱗でした。

@Microglobe May 24, 2024 - 5:10 pm

当時、小室哲哉を嫌う音楽ファンがちょいちょい居たなぁと思うのですが、

改めてそれが何故だったのかってのを客観的に考えてみようと思いました。

まず、ミュージシャンが作曲をする理由というか欲求って大きく分けて二通り有るように思って、

自己表現の手段として作曲をする人と、自分の好きを共有したいが為に作曲する人の2パターン有ると思うんですよ。

(完全にどっちかに割り切れるって物でも無く比率の問題なんだろうけど)

そしてそもそもは自己表現の為に作曲する人は表立って活動する人が多くて、好きを共有したいタイプは裏方が多かったんだと思います。

でも小室哲哉は好きを共有したいタイプなのにブランディングの為に自ら一番前に立つ様に振る舞った。
(実際、ミュージシャンとしての収入が少ない頃は音楽誌のディスクレビューとかも書いてたりした)

特に自己表現したい物があるわけでもない、他人に曲を提供してる作曲家風情がなんでそんな目立とうとするんだ、

鼻につくなあ、という感じが嫌われる大きな要因の一つだったのでは無いかなぁなんて思ったりもします。

90年代はそういう活動をする人が日本では少なかったのもあって悪目立ちした形ですが、

今ではDJ型の作曲家とかも増えたので、当時は嫌ってたけど今はそんなでも無いって人も出てきてるのかなとか。

@02.YeahYeah May 24, 2024 - 5:48 pm

アラサーになってからH jungle withTが異様に染みるようになってきた。やっぱりあの人は凄いよ結局。

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