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日清戦争と明治後期の議会【日本史 近現代編】#1

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目次
00:00 授業①
16:02 授業②
37:21 演習

[音楽] 皆さんこんにちは日本主担当の田中です 今日もよろしくお願いいたし ますそれではえ第28章日進戦争とえその 後の明治後期の議会について見ていき ましょうま日本市においてはね様々な戦争 が出てきますさあその戦争には一体どの ような背景があったのかまた戦争が終わっ た後え歴史はそして国際社会はどのように 変わっていくのかこういうところに注目し てみてくださいえ日進戦争が起こった背景 は日本と新国とがえどちらがこの朝鮮を 指導する立場に立つのかというところの 対立ですよねえこれについては1870年 代から90年代の朝鮮情勢という形でた 及びベーシックの方で扱っておりますので そちらを参考にしてくださいえ今回この プレミアムでは日進戦争後の国際情勢え さらには日進戦争後の国内政治について 扱ってみたいと思いますでまずはそのえ 大外関係の方外交士の方からね見ていき ましょうかはいそれでは日進戦後の対外 情勢を見ていきましょう まずは戦後日進間で結ばれた和条約下関 条約から見ていき ましょう下関条約を結んだ全権となった 人物日本代表は首相の伊藤博文と外務大臣 の宗光ですえ申告の前件はえ最小履行省が 務めまし たでまず最初のま今回このね戦争自体が どちらが朝鮮をね指導するかというこの 立場を巡る争いだったんですが日本は清国 に対して朝鮮の独立を認めさせましたこの 独立を認めさせるっていうところはもう ちょっと具体的な方が分かりやすいと思い ますのでその場合は資料を読んでみたら 分かると思うんですよちょっと見てみ ましょうはいこちらご覧ください第1条の 部分です ね申告は朝鮮国の完全無欠なる独立自主の 国たることを確認すと自主の国 ねよって右独立自主を損害すべき朝鮮国 より新国に対する貢献例などは将来全く これを廃止すべし貢献例というのは中の 1番続の立場から が国に対して未だ兆候とかやってたんです よねこの近代においてねもうこういうこと はやらなくてもいいよとこれを持って朝鮮 の独立人かとこのように捉えてくださいね 続いて日本はえこの戦争に勝利したことに よって中国から領土を獲得いたします すなわち両党半島台湾宝庫諸島の活を受け ましたまこれも非常に基礎的ではあるん ですがちゃんと地図を見てその場所を確認 してみてくださいじゃあ地図開けてみ ましょうかはいこちらまテキストだと列挙 の中国分割がこの後の第29章に入って おりますのでそこの地図が分かりやすいん じゃないかと思いますえまず両頭半島って いうのはこれは朝鮮半島のこの北西部この 部分ですよ ねこの部分ですよねはいそして台湾という とまもちろんこの沖縄のさらに西側にあり ます ここ宝庫諸島はこの台湾周辺にあるこの 辺りのの島を指しておりますのでここがま 日本の領土の中に組み込まれることとなっ たわけですねあのね台湾が日本の領土に なった時点で例のこの沖縄沖縄は琉球処分 によってすでに日本は時国の領土である ことをこれ主張していたんですがまだ中国 側はこれを認めてなかったよねえしかし 台湾が日本の領土に組み込まれると自動的 にこれ沖縄もまた日本の領土に組み込ま れることが正式に決定するんですよねさ 続いてこの台湾についてもう少し掘り下げ てみましょうえこの台湾を支配するための 期間として台湾相徳府が設置され初代相徳 には海軍から神山典が任じられますそう 台湾はしばらくこの海軍が軍事支配を行う んですよやはり台湾こうねえ武力によって 台湾をこう制服したわけなんですよねえ 従って軍事支配を行うというような意味 合いで相徳府が置かれるわけなんですただ 軍事力を用いた支配というのは長続きし ませんどこかのタイミングで統治政策と いうのを変えていかないといけないんです よねえそういう意味で統治政策が本格化し ていったのは第4代相徳のこだま元太郎の 時ですよね西暦で言うと1898年 はいこれ以降統治政策は本格化しました 具体的には民政局長となった五等心平に よってえ台湾の近代化が進められていき ますえ例えば台湾銀行を作るとかねあとは 台湾といえば砂糖やあと防虫剤として 使える小脳というねえものが取れますので こういったものを日本はしっかりと獲得し ていくわけなんです はいですがやはりえ台湾にいる人たちから するとえこういう日本からの支配には耐え られないとして抵抗する人たちもいました ので台湾人たちの抵抗は 1915年頃まで続きますので大正時代に 入ってもなお抵抗するような勢力がいた わけなんですよ ねはいであとはですね台湾をこうやって 植民地支配するようになっていくとこれ まであの沖縄の方はどちらかというと本土 とは違うような扱いをしていたんです けれども打って変わって沖縄は本土と同じ 扱いを受けるようになる要は1899年に は起訴改正が沖縄に適用されるようにも なっていきますはいえでは続いてこの賠償 金2億テールっていうのはこのねテールっ ていうのはこれ銀のことなんですよ 中国の計りで測った銀のことなので賠償金 は銀で支払われたんだということを知って おいてください ねそして1番難しいのが最後のこの4つの 港を開口する話差し重訴Actually 公州の開校についてまずこれさっきの地図 でもう1回確認してみましょうかさあでは こちらの地図をご覧くださいまず重訴講習 はこの辺にあってどこだこの辺にあっ ていずれもこの長行沿になるっていうのは 大丈夫 いきますねだから日本の船がこの長子に バーっと入っていってこれらの都市で自由 に貿易ができるっていう内容なんですよで まずここまで理解してもらったらあとは あの欧米は一体どこで貿易をしていたの かっていうところに注目しますそこで考え たいのがさあこの南京条約なんですよ 懐かしいですね1842年というと亜戦争 の後に結ばれたのが南京条約えイギリスと 新との間に結ばれましたはいえ勝利した イギリスはですねえ真に対してまず自由 貿易というものを求めますえやはりえ イギリス製の面織り物や毛折り物っていう のをとことこの申告に買わせたいとこう 制限された独占貿易ではなくて商人たちが 自由に取引できる自由貿易を要求したん ですよねその際に使われる港を5つ開放さ せるんですがはい 公衆 アモイ 忍法復讐シハですこの 辺どちらかというとこの東品沿の港を開口 させてえここで貿易を行っていたんですよ ねえさらに多額の賠償金を得た上で香港を 植民地にするっていうのは有名な話です これあくまでイギリスと清国との間に結ば れたものこれがほぼ同様の内容のものが新 アメリカ間えさらには新フランス間にも 結ばれてまいわゆる欧米というのはこの 緑色で示された海岸沿いで貿易を行ってい たで今回日本はこの長行沿いに入って いけるようになったわかりますかで日本は 今日進宗行上記と呼ばれる清国と対等の 条約を結んでいましたよねところが今から 日本は新しく申告と条約を結び直すんです よすなわちこちらご覧くださいはいえ18 96年に日進通称公開条約と言ってえ欧米 と同じ立場にだって日本が有利新国が不利 な立場になる条約を結ぶとあら不思議はい この最警告待遇が適用されることとなるん ですすると日本もこの緑色のこの港町を 自由に使うことができる一方ではい イギリスもねアメリカもフランスも今度は この長光のところに入っていきるんですよ お互いが持っていた開口値をお互い両方 ともが使えるようになっていくっていう こういうわけなんですよねえ従ってこの 下関条約によって獲得したこの4つの港の 開口っていうのはこれはイギリスなどに とっても非常に良い影響を与えたという ことになるんですよはいそれ踏まえてこの 日進戦後の対外情勢の中に必ずこの日進 通称公開条約を入れておいてください日本 にとって有利な条約となっておりまして ここで最慶国体育が適用されて欧米と同等 の条件の元で今から日本は中国市場に進出 していくこととなるん ですでは最後この辺りをえ教科書で チェックしてみましょうはいえそれでは まず小説日本市の日進戦争と三国鑑賞の 部分ですねはい戦いは日本の勝利に終わり 1895年え日本全権が伊藤と無申告全権 履行書との間で下関条約が結ばれ公和が 成立いたしました内容については新国は 朝鮮の独立を認めるまずこれを最初に言う ようにしてくださいねそして東半島台湾 諸島を日本に活賠償金2億テル当時の日本 の貨幣流と約3億1000万円ですで新た に差重訴講習の4項を開くことなどがあり ましたはいそしてこの両頭半島の活動は東 アジア進出を目指すロシアを刺激したため ロシアはフランスやドイツを引き連れてえ この両頭半島のを日本に要求する三国鑑賞 ですえ3大国の圧力にこすることを不可能 と判断した日本政府はこの勧告を受け入れ たが同時にガシ小端の兵庫に代表される 国民の反論感情が増大することとなりこの 後国民たちはある程度の軍備の拡張を 求めるようになっていくわけですよ ねで両党半島を変換した日本は新たにに 領有した台湾の統治の方に力を注ぎます 1895年え神山助のりを台湾相徳に任命 し島民の頑強な抵抗武力で鎮圧していく わけ ですさあでこの台湾相徳が第4代相徳の こだま元太郎えさらには民政局長5藤神兵 の台になるのが1898年 土地調査事業に着手し土地制度の近代化を 進めていきましたまた台湾の三業進行の ためにえ台湾において紙幣の発行権を持つ 銀行台湾銀行や台湾の佐藤の製造会社政党 会社が設立されますこうして産業の進行が 図られました台湾支配は現地の自主や商人 などの不裕層を怪獣しながら進められるん ですよね一方で貧農などの民衆は日本への 支配に抵抗し続けたんだ事主層を取り込む ことはできたんだが貧農層を取り込むこと はできなかったんだっていう話ですただ これもねあのこの後やる韓国併合あたりと 退避してみると面白いんですがえ結局この 後日本は韓国も植民地にするじゃないです かその時には朝鮮韓国においては自主思想 を取り込むことにすら失敗するんですよね はい従って台湾以上のこの半日勘定が形成 されていくことになるんだというこの植民 地統治の違いについて注目すると面白いと 思いますえさここはね実況出版の日本市B ですさっきのあの小説日本市Bのところは 例の日進通称公開条約が載ってないんです よねあでちょっと物足りないのでえ実況 出版の日本市Bでは中にね1896年下関 条約に基づいて日進中行上記に 変わる日進通称公開条約こうかこれを締結 し領事裁判権や初会の設定など欧米と同様 の不平等条約を真に押し付けることとなり ましたまた琉球貴族問題も日本の勝利に より自然消滅したわけですはいというよう な形で日進戦争後の大外情勢についてまて みました今回はここまで [音楽] ですはいえそれでは日進戦争後の政治動向 から見ていきましょうえ戦争前は反発政府 とあとは自由党や立憲開進党などの政党の 側は予算を巡って対立しておりましたよね え政府の側は軍学予算を作りたかったただ え衆議院で下半数の勢力を持っている民党 はそれを許さなかっ たところが日進戦争の後はえ選挙権を持っ ている事主の中にも軍学に賛成するような ものが出てきますのでで政党勢力は やっぱり自主から好かれたいっていうのも あってこの政府の軍学予算に一部協力して いくっていうことなんですそこで両者の 定型が見られるんですよね具体的には こんな感じ ですはい日進戦争が起こった時の内閣は第 2次伊東内閣ですがえこの戦争の後伊藤 内閣は自由党と提携 する板垣大輔を内務大臣に使います ねその後松方内閣は進歩刀と提するこの 新法刀っていうのは立憲会心島のことだと 思ってください政府と提携するようになっ た立憲会心島は名前を進歩刀と言います 大く茂信を外務大臣に迎えまし たこれだけではちょっとイメージしにくい 部分がありますのでこれをさらにですね図 にして考えてみたいと思いますはいこちら をご覧ください日進戦後の政治を理解する ための図を準備しましたここれ内閣を示し てるって分かりますかね内閣のトップは 内閣総理大臣首相ですよねその下には内務 大臣外務大臣大倉大臣あと全然カットし ましたが文部大臣農処務大臣定信大臣など 他にも大臣がいてあと陸軍大臣や海軍大臣 と言ってま陸軍省海軍省は軍の人事会計を 担当いたしましたよねさらにこの大臣の下 には高級管理や下級管理たちがいますはい 高級管理っていうのは時間局長級だと思っ てください各省の時間や局長たちそして 下級管理は一般の管理たちだと思って くださいねでね今って国家公務員の人って いうのは当然国家公務員試験を受けて合格 したら慣れるんですけれども当時はですね この管理の方は確かに試験任用なんですが 高級管理の方は自由任用となるんですよ どういうことかと言うとえ大臣が自分の省 の高級管理を推薦できるっていうわけと いうことは先ほど第2次伊東内閣は板垣 大輔と提携しいいねこの内務大臣のポスト に板書を置きましたよねはい自由党の人間 を置いた でしょこうすることによってえ政府を支持 する政党とこの自由党が合体すればえ衆議 院の過半数を獲得できて予算を通過させる ことができるから ねただ板垣ははいこの高級管理のポスト 何かしらここに反発系のAさんや反発系の Bさんがいたはずなんですけれども はい今からこの板垣はこのAさんやBさん を首にしてここに自由党員を立てると思う んです よこうやってこのAやBが時間や局長を 剥奪されるこれ反とされるわけですから 量感っって言うんですよねはい高級管理で 量感が行われて自由党員が配置されること になるただし自由等味方にすることが できるので第2次伊東内閣は軍予算を通過 させることができるっていうことなんです あほんでねえ1年だけ予算を通過させたん ですが2年目予算を組む時に伊藤広文と 板垣大輔とが結局また喧嘩になるんですよ 対立してしまってもうお前とはやってらん ねて言って板書をやめさすことになり ます相が臣を直ことはできません大臣たち を直接やめさすことができるのは天皇だけ ならばどうやって伊藤は板書をやめさせた かと言うと自らが総辞職するほんで新しい 内閣総理大臣に変わると大臣全部選び直し なんでえこうやって板書を道連れにする ことによってこの自由刀を外すわけですよ ねはいあこうか外しましたはい変わって第 2次松方内閣はやはり自由党か進歩党の どちらかと提携しないと衆議院で過半数を 獲得できない軍学予算を作れないんですよ そこでえ松方はどうしたかと言うと進歩刀 と手を組みました大く茂信を外務大臣にし ますするとまこの辺りね大倉省において 何かしら反発系ののCやDがいたと思うん ですがここもがっつりと量感が行われて 進歩員にはなるでしょう ねはいこうやってえ外務省のポストは進歩 当職に染まってしまうんですがえこれで 松方内閣は新法党の協力を得て無事1年間 予算を通過させましたたださっきと同様 もう1回予算を作ろうとした時にはあのね 訴増長が必要になってくるんですよこれ 以上軍学予算を作りたければ基礎増長が 必要うんそれを大く茂信に持ちかけた ところ起訴増長なんかしてしまったら自主 に嫌われるよね今選挙権を持つのは自主が 中心だよねだからそこに嫌われてしまっ たら次の選挙で負けちゃうからそれだけは 受け入れられないって言ってじゃあお前と はやってらんねということで松方は大くと 対立するような形で掃除職することになる んですさあ松方内閣掃除職の後第3次伊藤 広文内閣が発足いたし ます伊藤広文もえこれ以上の文覚を行う ためにはチソ増長案というこういう法律を 通さないといけないんですよえそこで衆議 院の過半数の賛成が必要だというところで 政党と提携しよう自由党か進歩党かどちら かの政党と提携しようと思っていたんです がえ伊藤内閣は政党との提携に失敗しまし た政党員を含まない内閣超然内閣になる わけですでも基礎増長案はなんとか議会に 提出しておいおい納得してくれよえ自由 新法党はライバル同士普段は仲悪いくせに 今回は絶対起訴増長を通さないというこう いう目的のために両者は合体して牽制党と なりまし たま衆議院の議席がえ300議席あったん ですが自由党と進歩党ってどれぐらいの 議席数だったかと言うと見てくださいこの 300議席のうち自由党が35% 進歩刀も35%持っていたんですよでこの 両者が合体して牽制党になったわけです から分かりますかねはいえ牽制党というの は合わせて70%の議席を持つ超巨大政党 ですそんな彼らが起訴増長には反対した わけなんですよでもうこれ議会運営の 見通しを失って伊藤内閣は対人することに なったん ですますると1度この反発系は内閣から 降りまして圧倒的なえ事主たちの指示を 持っているこの県制党の大く茂信に内閣を 譲ることとなりましたこちら第1次大熊 茂信内閣です大熊茂信自身は牽制党員でで 今から大臣のポストに牽制党員を置いて いきますもちろん旧自由党も牽制党になり ますので板垣大輔も牽制党員ですちょっと さっきの図の中に牽制党記していき ましょうかいいですかではまず首相がはい 牽制党の大 茂信大臣は今から大くが決めれますよって 内務大臣は板垣大輔制と外務大臣は俺が任 すると 大大倉大臣も牽制党文部大臣も脳商務大臣 もみんな牽制党になっていくしあとはこの 高級管理も反発系のEFGHえ色々おった でしょうがみんなこれ量感されてしまって 牽制員になるでしょう ねところはこれを危惧したのが明治天皇 です明治天皇はこの陸軍省と海軍省だけは ここだけはちょっと正当員を置かないで くれこれは軍の人事や会計を担う重要な ところでここに正当員置くわけにはいか ないんだと言って天皇がこれを守りました すなわち陸海軍大臣を除く大臣えがえ牽制 党員となったわけなんですえ従ってこの 大熊内閣はえ政党内閣と言えますよねさ ところがこの大熊内閣は民衆たちの期待を 大きく外すような形となってしまうんです よはい早速なんですが共和演説事件って いうのが起こりますこれね文部大臣の小崎 幸夫っっていう人がいますまこの人 めちゃくちゃ選挙が強くて民衆からは大の 人気者衆議院選挙15回連続当選という 記録を持っている人なんですが演説が うまいんですよねでついちょっと演説し てる時ってもうなんかテンション上がっ ちゃって色々こうね大げさなこと言っ ちゃうんですよもううちのね大くさんだめ だよとまずは大くの金権政治を批判します その上で万が一日本が共和性だったら三井 や三菱が大統領候補となるだろうとえ共和 性っていうのは天皇がいない大統領性の ことなんですよまあ日本がねまないとは 思うけどね万が一大統領性だったらって 言っちゃったことに対してあの明治天皇が 気悪くしたんですよねなんなのあいつ俺の こといらないって言ってんのってそこでえ 天皇の命令によってこの小崎は文部大臣を 首になるんです よじゃあ公人の文部大臣はどうする元自由 党の星とる元進歩党の犬か強しどうすると たったこれだけのことでこの元自由党と元 進歩党の議員たちが大喧嘩するんですよで お前とはやってられねえよってなってはい 牽制党はすぐに分裂することになったん ですわずか4ヶ月での分裂ですねで旧自由 党系が制党旧進歩系が本島とちょうど真 立つに分れてしまったんですねはいすると この後内閣を任されるのは反発系の山形有 友です山形有友は県制党と提携する形で 様々な法案を通していきますなぜ県制党は 山形に協力したのかって言うとみんなの 期待を裏切ってしまったのでおそらく次 選挙したら制党も制本島もボロ負けするん ですようんでもこの牽制党が次の選挙で 勝つ道は1つだけそれは選挙権を持つもの を拡大 するそうすると新たに選挙権を得た商工 業者などは自分たちを支持してくれるんで はないかっていう狙いがあったんですよね あで山形にどんどんと彼らは利用されて いってしまうんですよね具体的には例えば えこの念願の訴増長案なんですけれども 当初はえ地下の2.5を4%に引き上げ るって言ってたんですがこれは間を取って 3.3という形で妥協することとなりまし たまたえ文官任用例が改正されてえ今から この高級管理の選抜が試験任用となります これさっきの図れ記してみるとさあ今の ところこの高級管理が自由任用となってる で万が一こんな感じで大臣のところに政党 員が来たら自動的に高級管理も正当員に なってしまう山形りとはそれが嫌だったん ですよ山形って代の政党議でねやっぱり 政党って指示者の方を向いてしか政治し ないでしょ自分の指示者さえハッピーに なればそれでいいっていう偏った政治に なってしまうそれが嫌なんだって言って 山形はこのとりあえず生徒が嫌なんですよ ねでも万が一 予算を作るにあたって何かしら政党と妥協 してここに政党員置いたらなんで自動的に 高級管理まで政党になってしまうの良く ないよと自由任用良くねえよそこで試験 任用これを付け加えることによってさあ この高級管理になれるのは一体どのような 立場のものがなるのかというとやはり大卒 のエリートたちいいですかねそんな彼らが この高級管理を占めるようになっていくん ですよでこのエリートたちの一部は今から 山形有友の指示者になっていく山形罰を 形成していくことになっていくんですねえ 続いて丸の3番軍部大臣現役武漢性につい てここもですね先ほど大内閣の時にあの 陸軍大臣と海軍大臣のポストには政党は つかせるわけにはいかないと明治天皇が それを守りましたよねはいそこをもう制度 化してしまおうはい陸軍大臣海軍大臣は 現役の武漢しかなれない要は現役の対象 中将のみに制度化することによって生徒員 を入れなくしようっていうわけすなわち こんな感じですねはいこちら参謀本部や 海軍軍令部から対象や中将が陸軍大臣海軍 大臣になると というような感じでこの山形内閣の時には 正当勢力がこの内閣の中に入る場所を 少なくしていくあこれを政党たちも実は これ協力してるんで自分で自分の首を 閉めるようなことをやってるわけですそこ までして彼らは選挙法を改正したかったと いうことになるんですねではこの念願の 選挙法改正についてなんですが実はこれも ね山形内閣山形有友はなかなか選挙法改正 しようとしなかったんですようんコキ使う だけコキ使っといてこう人参ぶら下げる ような感じで選挙法改正をずっと引っ張っ てたんですすると山形ではなくもう1人 はい重鎮の伊藤博文実はね伊藤博文はもう この頃にはですね自分の政党を持とうと いう風に考えるようになっていてたんです ねどういうことかと言うと元々伊東も超然 主義って言って政党なんか偏った政治に なってしまうから嫌だって言ってたんだ けれどもやっぱり政党の力を借りないと 予算を決めることができないじゃあ定型 すればいいって思うんやけど定型って 長続きしないんだよねやっぱり長期的な 政治ができないと民衆のための政治をやっ てるとは言えないならば自分が政党を作っ て偏らない政治をするような新しい生を 作ればいいって考えるようになってたん ですよそんな伊藤広に今からすり寄って いくのがこの牽制といいねあならばこう やって今から選挙法を拡大し商工業者たち の政治参加を可能としてで彼らをしっかり と指示基盤として持って政治をすればいい んじゃないですかとうんで伊藤文もそうだ な俺にもこういう基盤が欲しいからなと いうことでが接近する形で制党は伊東に 接近する形で衆議院議員選挙法改正と持っ ていきます納税資格は直接国税10円以上 を納める25歳以上の男子すなわち商工 業者の政治参加が可能となっていきました さこの山形内閣の内容をまとめていてこの ね治安警察法が1900年に制定されるの も非常に重要なんですが今日の授業とは ちょっと関係がないのでえこれはまた第3 章で扱いますので今日はちょっと1回置い といて ください最後6番ですはいついに伊藤博は 県制党を吸収するような形で新政党立憲 声優会を結成し自らがこの政党の総裁と なりましたこれもジャスト1900年です ねはいで牽制党は解散してここに合流する こととなったんですこれによって伊藤は 衆議院の過半数を味方にすることができ ますので予算を非常にこう通しやすくなる ああであっという間に予算を通してその後 その予算に基づいて政治をやっていけば いいと思っていたんですが思わぬところに 敵が出現します不思議なもんでねこれまで 全然こなかれ主義でやる気なかった貴族員 がやたらと責任感を持つようになってき ますこれまでは衆議院がちゃんとチェック してくれてるからそれでいいんじゃねって 思ってましたがこうやって伊東が衆議員を あっという間に味方にしてしまうと貴族員 勢力がしっかりとこれをチェックするよう になってなかなかこう予算を通そうとし ないような姿勢を見せるんです要は第4次 党内閣がこの後結成されますま山形内閣は 牽制党と対立して除するでしょその後伊東 が立憲声優会を基盤にして新たに第4次 政権を発足するんですが結局貴族員と対立 するような形でえ伊藤の4児政権も長続き はしなかったんですよね掃除職することと なるんですえそしてここで山形や伊藤は 内閣総理大臣を完全に引退して次の世代桂 太郎や西音寺金持ちの新しい世代にバトン を託すことになったでいくん ですとような形ではいえ日進戦後の政治 動向について立憲声優会成立までの流れを 確認いたしました今回はここまで です重要な点が2つあります中期の火炎と かどうですか外地県の方とかって火山が ないよね [音楽] はいそれでは第28章の問題演習に入って いきましょう今回は慶王技術大学の問題を 使ってえ明治機の外行士を扱った問題と なっておりますのでえちょうどいい復習に なると思い ますま慶の問題はめちゃくちゃ長いリード 文があって五群がめっちゃありましてこっ からこのクラに補充していくんですけれど も 5軍これ見てもらったら分かるようにあの まず西暦があってでその後はこの青木伊井 の上へのもがこれ相上順に並んでますんで これに気づけばこう選択肢いっぱいあり ますけど結構早く見つけることができると 毛を受ける方気づいてましたか大丈夫です かはいえじゃあ上から順番に入れていき ましょう今回の問題は大外関係士なんです が ロシア琉球新国朝鮮のこの順番でリド文が 扱われており ますさでは次の段落なんですが 1871 年はい宇大臣岩倉とを前件大使とする岩倉 施設団が欧米に派遣されましたさあこの 河川部に関連する問題はまテキストに載っ ておりまして1問一等形式の問題となって おりますま今回のこの動画ではえ解説は この部分は割愛いたしますのでまテキスト お持ちの方はですね回答例を参照して くださいえ近代国家の法律や政治経済の 仕組みを視察しましたそして何年に帰国し たんでしょうか確か帰国した時にルス政府 との間で正官論制編別名明治6年の編が ありましたのでそのあたりを考えるとこの 4142には 1873年が入り ます従って5軍の中だと12番を選んで ください ねはいその後ですね 1878年これも何回か扱いましたよね 外務教の誰々がアメリカと交渉して関税 自主権の回復について一旦は合意を得たん だけれどもイギリスなどの反対にあって 無効となったこれは条約改正交渉に登場し た7名の人物のうちの2人目寺島胸のり ですさ選択肢だと照らし はここかはい66番を入れておきましょう こっちでいいですか66 はいそしてその後4546年にここ日英 通称公開条約が調印され領事裁判権が撤廃 されましたさあ日英通商公開条約は外務 大臣無宗光によって結ばれましたこれ確か 日進戦争と同じ年ですよ皆さん日進戦争と いえば基本的ですが180094年となり ますということでこの4546には 1894年ですはい20番入れて くださいそして同様の条約がアメリカ ロシアドイツフランスなど欧米諸国とも 結ばれましてで今度はこの思考について ちょっとずれるんだったよ ねなんで思考ずれるかって言うとまだこの 94年の段階では民法と商法が思考延期に なっていたんですよえこれらが試行され ないとこの条約も効力を発行しないという ことで思考時期はややずれまして 1899年となりますはい22 番いいですねはいしかし関税自主権の方の 完全回復はと言われるとこれは 1911 年第2次桂太郎内閣の外務大臣小村寿太郎 によってようやく実現することとなりまし たえ小村寿太郎はここ45番 ですはいということでどんどんどんどん 歴史用語を放り込んでいってこの第2段落 これで完成しましたねじゃあ次の段落見て いきましょうでは次の段落はロシアとの 関係ですねロシアとの関係は江戸時代爆発 に日ロ和神条約が結ばれてエトロフ党と ウルップ島の間には国境を決めることが できたんですがカラフトには国境を決める ことができませんでした従って日本と ロシアはカラフトカラフトのことは サハリンとも言いますよこの領有問題を 巡って対立していたんです でね開拓市は北海道の開発に専念するため に何としてもこの領土問題に決着をつけ たかったそこで1875年カフ千島交換 条約が結ばれてカフ前島を ロシアそして千島前島を日本領という風に 定めましたこの時の員者の名前なんですが ま開拓市長官といえば黒田清じゃないです か今回はそうじゃなくって黒田の元でこの ね中路講師として活躍した人物なんです はいえ答えは26番の江本竹を入れて くださいま絵本はこの空太千島交換条約の ところぐらいしか出てこないかなあとは あの五両角の戦いとねあの辺りですねはい そしてですね東京都南部のこの小笠原諸島 についていいですね小笠原諸島なんですが 実は 1827年段階でイギリスが占領しさらに アメリカ人が移住していました確かこれ 授業でもえ当時の国際法を教えましたこの ような島国っていうのは無主先制と言って そこに先に住みついたものガチなんですよ ねだからこのままだったらイギリスや アメリカの領土に組み込まれるんですが このアメリカ人なんていうのがもうどっか 行っちゃったんですよねそこで1861年 に江戸幕府がその領有を宣言しその後 イギリスやアメリカ両国との貴族争を経て でえアメリカイギリスがもう文句を言わ なくなったので内務省が出張書を置いて その統治を再開しました要は日本の領土に 組み込んだわけなんですその時の西暦が 聞かれておりますがこれは70年代の後半 ですこの中の選択肢だとこの14 番はい 1876年のこととなりますはいでは次の 段落琉球との関係を見ていき ましょうこれ江戸時代の内容からまず問わ れてますよねえ1609年 これは江戸時代初期にえ殺の大名であった え島津家久の軍によって琉球は征服され 以後さ班の支配下に入り ますさあえ島家久ね選択肢だとここですね はい53番 です大丈夫ですねはい一方で琉球は中国と の症候貿易も継続することとなりますので え日中両足体制となっていたわけなんです そこでえ1870年代に入って日進間でえ 国交が自立されるとこの流の貴族問題と いうのが浮上してきますそこでえ 1872年明治政府は琉球を日本量とする 方針を定め琉球犯を置き国招待を天皇の 家臣としますはいえこの57番58番には 琉球王国の国王正体を入れましょうこの中 だと56番です ねはいこれに対してもちろん中国からの 反発があったわけなんですがまた後でこの 台湾出平の話はリード文の中で出てきます のでちょっとそこは置いといて結果的には は 1879年に明治政府は琉球犯を廃止 そしてえ沖縄県を設置しましたまこれを 琉球処分と言いますよねそれに対して総権 を主張する新国は強く抗議しましたえ日進 関係が悪化したわけなんですがこれを調定 しようとしたのが全アメリカ大統領の グラントですはいグランとは36 番グラントの考えでは宮古島だとか八山と いうこの先島諸島ま沖縄っていっぱい島が あるじゃないですか沖縄本島よりも西側に あるこの先島諸島を申告に活用しそして 沖縄本島は日本の領土にすればいいじゃ ないか分割すればいいじゃないかっていう のがこのグラントの定案なんですよところ が日告ともにえこれを良しとしなかった ためにグラントの調定は失敗に終わりまし た結局琉球貴族問題が最終的に解決したの は日進戦争の勝利によって日本の領土に 組み込まれた時なんですよ ねさあとはですねちょっとこのね沖縄県の 設置のところこの河川部の右についてなん ですがここでその琉球における夕間温存 政策についてといますこうしたま北海道や 沖縄といったところがえ明治政府によって どのように支配されていたのかという ところをちょっと寄り道してえ一緒に考え てみたいと思いますはいではこちら実況 出版の日本守備教科書を挙げておきました 地方制度と北海道沖縄についてこれ特にね 山川の小説日本の方を使っている方はこの 辺りの記述が非常に弱いですえこの辺は やっぱ実況出の方が記述がえ濃い内容と なっておりますのでそこで補っておき ましょうえ元々この北海道は江地と呼ばれ ておりましたが明治時代に入ると江地の ことを北海道と言いますよねで開拓市が 当初この北海道開拓を行っていたわけなん ですが結局開拓市勧誘物払い下げ事件の後 え開拓士は廃止されましてで180086 年に北海道庁が設置さ れねえ以後この北海道庁が北海道を支配 することとなりましたただえ本州とは 異なるえ支配が行われ例えば衆議院議員 選挙法の思考やあとは地方議会の設置って いうのは相当遅れることとなりましたま中 の1番に書いてますが衆議議員選挙法の 思考は1900 年はいそしてえ地方議会の設置は1901 年 とかなり遅れておりますよねあと北海道は やはり先住民族と言われるアイヌがおり ますこのアイヌとの関係性もはっきりとさ せておきましょうこちら先住民族のアヌは 狩猟魚郎や三輪伐採の権利を失うとともに アヌ固有の文化も尊重されず日本人への 同化をよぎなくされますま日本語教育の 学校に通わされたりするというえこういう 支配を受けたわけなんですねところがま 明治政府は1899年北海道旧保護法 を制定しますなんこれ地面だけ見たらね旧 保護法ってなんか愛のを保護するのか なと思いきやはい実際には農業に適した 土地はすでに入植者がありアヌは限られた 土地に集中させられ依然として貧困と差別 に苦しめられることになったんだとこの 中身をねえこの法律とその実体のこの帰り みたいなものをね抑えておく必要があり ますねはい同様に今度は沖縄を考えてみ たいんですが沖縄も1879年に沖縄県が 設置されてからも しばらくは旧来の土地制度や所税制度が 温存されたこれを夕間温存策と言いますえ でこのジャバな登るという人が中心となっ て県民たちが運動したこともあって 1899年から土地整理ま起訴改正が ようやく開始されることになるんですよね またえ不憲制や衆議院議員選挙法の実施は さらに遅れますま中の1番に書いてますが 不憲制の実施が1909年最初の衆議院 議員選挙が行われたのはなんと1912年 もう明治時代が終わって大正時代に入ろう とするまその時まで大きく遅れてしまう ことになるん ですでこの間経済開発は進まず多くの県民 が本土や海外へ出稼ぎに出ていったと こんな感じで北海道と沖縄においては地方 制度の整備が本土と比べて大きく遅れたと いうことを確認しておいてくださいえそれ では次の段落に入っていきましょう今度は 申告との関係を見ますはい1871 年え日進周行上気が結ばれました日進間で 結ばれたえの条約なんですがこれは対等な 条件のもでの条約でしたよねこの時前件と なった人物を書いてくださいはいAには ここにしましょう か元上島班の半でもあっ た伊達胸なりを押えておいてくださいね はいでその後台湾で琉球漂流民殺害事件が 発生しますえ新国の支配下にある台湾人が え日本の支配下にもあるえ沖縄の人ま琉球 の人を殺害するという事件が起こったん ですそこでえ1874年え明治政府はえ この台湾に報復しようということでえ 6162の引き隊を台湾に派遣しました この台湾出平のリーダーとなった人物が 問われておりますえ確かこれは西郷高森の 弟だったと思い ますこちら最後剣道の方を選んでください ね49番 ですはいそしてえ事件を解決するため 6364が前件として新国と交渉し イギリスの調定もあって清国は賠償金を 支払って事件は収集したと書いております がこの1874年当時の明治政府の打上官 の主犯となる人物を答えればいいんですよ となってくるともうこれ民間運動も始まっ てますので政府代表はもちろん大久保俊道 となりますよね はい従ってこの27番を答えてください ねはい以上ここまでが日進関係ですはい 続いてこちらの段落を見ていきましょう 1894 年朝鮮において交互農民戦争が起こりまし たいよいよ日進戦争に突入いたしますえ これを鎮圧するために朝鮮政府の依頼で まず清国が援軍を派遣したんだよ ねうんでこれを鎮圧した後も申告軍は中流 し続けたこのことに不満を持った日本も 申告に対抗し公使官を守るという名目でえ 出平したんです先にどちらが出平したのか なんていうのはえ受験ではよく問われます のでこの辺り気をつけてくださいねそして 日本が申告に戦線告をする形で日進戦争が 始まりまし たさあこの日進戦争は日本の勝利に終わり ますえ1895年日本全権の伊藤博文や無 宗光が清国全権利行省との間に下関条約を 結びましたはい清国全権の履行省72番を 入れておき ましょうさあ今度は下関条約の中身につい てはこれもをしっかりとまとめましたよね まずは日本が新国から活を受けた領土に ついて台湾宝庫諸島以外にもう1つ もちろんこれは両党半島となります従って 74 番えさらには賠償金2億テルを獲得しまし たこのテルっていうのは銀のことですえ 本来は銀で支払いを受けるんですが日本は これをねえイギリスのロンドンの銀行で この銀を金に両替するんですよえら イギリス決まんええなって思うんですが その代わりその金で持ってこの後イギリス から軍艦を購入するという約束を取り付け ておりますしって結局その金はまた イギリスに支払われることになりますので えそういうこともあってイギリスはその 領外に応じたんだと思って くださいはいそしてえ日本の勢力の中国 東北部への拡大を警戒したのがロシアです 当時ロシアはフランスやドイツと同盟関係 にありましたそしてえ清国へのこの両党 半島の変換を日本に要求するこれが三国 鑑賞でしたよねえ日本はその要求に屈する ことになりえ国民の間にはもっともっと 軍学をしてそしてロシアになめられない ような国作りをするべきであるえBを 合い言葉にロシアに対する鉄心が高まって いくこととなりましたさあこのBに入る 言葉なんですがこれ漢字が難しいです今は 我慢の時いつかリベンジしてやるという ような意味合いで ガシ小端という言葉を使ってくださいねで は最後の段落に入っていきましょう下関 条約締結後日本軍は1895年に台湾に 上陸しましたま先ほど台湾の活動を受け ましたのでねところが台湾においては現地 の人たちが最後まで抵抗します7576の 成立が宣言され各地で半日運動が起こるん ですこの時に成立が宣言されたのは台湾 民主国という国これ選択肢になると思い ますの ではいえ62番ですね台湾共和国じゃない よ台湾民主国の方ですはいこれ62 番はい日本は台湾相徳府を設置し初代相徳 海軍の神山助のを任命してください神山は 33番 ですそして島民の抵抗を武力で鎮圧する こととなるんですただし武力による支配は 長続きしませんので 1898年には陸軍出身のある人物が第4 代相徳になると内務官僚のCが民政局長に 就任し統治政策を転換して植民地形を成功 させていくんですよねはいこの時にえ台湾 相徳となった人物そして民政局長の名前 これも一緒にね授業中ピックアップした はずですまずこの台湾相徳の方がこだま 元太郎はいこのこだま玄太郎ですね42 番はいあとこのの内務官僚といえば Cこの五頭神兵ですね五藤神兵は日代戦争 の後に設立された満鉄の初代総裁にもなり ますのでその辺りもえ気をつけてください ねということで今回は明治時代の外交士 全般を扱った問題をやってみましたまこれ で何回かねこの外交士はやったと思います のでえ知識は定着したんじゃないでしょう か今回のテーマはここまでです

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