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国鉄時代に大活躍した高性能かつ豪華な特急型電車をまとめてみた【ゆっくり解説】

by ANNAPOST



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権利表記

BGM
 OP 『Dramatic train』 TAM Music Factory
 劇中 曲名『Train』 作曲 Ryu Ito            https://ryu110.com/train/#google_vignette
鉄道唱歌-First Train Arrange-【DL】
    高宮いぬかみ -旧 高宮魔女-

#鉄道 #ゆっくり解説 #総集編

ようこそゆっくり鉄道博物館へ今回は かつて大活躍した特急型電車をまとめてみ たよ全国の路線の電荷方式に対応し60年 活躍した電車や世界発となる寝台電車など 徹底的に解説していくぜどんな活躍をした か早く知りたいわ1本目は東部鉄道とJR 間の日光戦争で活躍した東部のデラックス ロマンスカーを紹介していくよそれじゃあ 一緒に見ていき ましょうじゃあまずはデラックスロマンス カーについて簡単に紹介するぜデラックス ロマンスカーこと1720系電車が登場し たのは1960年のことなんだ今から60 年以上も前って結構昔の列車じゃない レトロな車両だからって理由だけじゃ乗ら ないわよもちろんそれだけじゃないさ ちなみに同じ頃他者では1957年に 小田急の初代SE社が1958年には国鉄 の特急こだまに用られた151系や近鉄の 2階建てビスタカーがそして1961年に は名鉄の7000系パノラマカーが登場し ているんだぜどの車両も各社を代表する ような車両だねそうだなさてデラックス ロマンスカーの最大の特徴は日本一豪華な 私設特急と呼ばれるくらいの豪華さなんだ しかも登場時はもちろん登場から20年が 経っても鉄道雑誌で国鉄グリーン車以上 日本の特急でサロン室があるのは東部のみ と評価されたくらいだったんだぜえ20年 経ってもあそうだそんな豪華さを実感 できる車内設備の1つが座席なんだ回転式 リクライニングシートのシートピッチは 1100mmで背もたれは深く倒れるほ フットレストも設けられているんだちなみ に国鉄の151系は普通車が910mmで リクライニングがない回転式クロスシート グリーン車でようやくシートピッチ 110mmの回転式リクライニングシート だったんだぜ国鉄のグリーン車とほぼ同じ じゃないしかもデラックスロマンスカーは 全部の席がこの広いシートピッチだった からかなりハイグレードな車両だって実感 できると思うんだまた窓下にはかつての 小田急ロマンスカーにあったような 折りたたみテーブルも設置されていて現在 の最新特急と比較しても引を取らない居住 性を誇ったんだぜ今の特急と比較しても 引けを取らないってなかなかよデラックス ロマンスカーの豪華さはそれだけじゃない んだ車両間の貫通路には日本の鉄道車両で 初となる自動ドアが採用されたんだぜこれ はマジックドアと呼ばれてまだ自動ドア 自体が珍しかったからようもないのに海兵 を楽しむ人が続出したらしいんだ最先端の テクノロジーに触れるとワクワクする

気持ちも分かるわ国鉄ですら車内に自動 ドアを導入したのが1964年の0系新 幹線からだからマジックドアはかなり先進 的な設備だったんだぜ他にもまだまだ豪華 なポイントはあるけどこうした豪華さで 国鉄を圧倒した結果東部は日光戦争に勝し たんだところで日光戦争ってどんな感じ だったのそれじゃあ次は日光戦争について 見てみるぜ分かった わ日光は多くの観光地を抱える上に都心 からの距離が近かったこともあって鉄道が 敷かれたのも早かったんだぜ1885年今 で言東北本線や高崎線などを運営していた 日本鉄道によって宇都宮駅が改良すると 観光客は宇都宮から人力者に乗り換えて 日光まで向かっていたんだ人力者が観光用 じゃなくて実際に足として用いられてた なんて時代を感じるわその後1890年に 宇都宮日光官が延伸し上野からの直通列車 も運行されるとこの頃には日光の地名度が 海外にまで及んでいたこともあって大正教 となったんだぜ日光って明治時代から 外国人にも人気の観光地だったんだね そんな日本鉄道は1906年に鉄道国有法 によって国有化されれたんだ一方同じ北 関東の両毛地域と東京を結ぶ施設東部鉄道 も日光への観光需要の獲得に欲的だったん だルート選定などで右曲節を経て1929 年に浅草駅からの直通運転を開始したんだ ぜ日本鉄道が1890年に日光まで延伸し たから東部は40年くらい遅れたのねそう だなただ遅れた分東部鉄道は前線電荷の 伏線という設備の良さも生かして鉄道賞に 末光勝負を挑んだんだぜこうして始まった 日光戦争だったんだけど1941年に本物 の戦争である太平洋戦争が回線するとお 互いに日光への観光客輸送どころじゃ なくなってしまったんだやっぱり本当の 戦争は嫌なものだよ平和が1番だよな話を 戻すぜ戦後1948年に東部が日光行きの 優等列車を再開すると1951年には 5700系1956年には1700系と 立て続けに新型特急電車を投入したんだ 一方戦後の国鉄はスタートダッシュこそ 切れなかったものの1959年に新型準急 電車の157系を投入これは東部にとって かなり苦戦を強いられたんだぜそれだけ 157系ってすごいのああかなりすごいぜ 当時の一般的な準急型電車153系を 大きく上回るどころか国鉄の最新型特急 電車151系並の設備つまり回転クロス シートを全面採用しグリーン車には リクライニングシートまでついた準急電車 だからなしかもそんな特急顔負けの列車が 準急で運用されても料金は準急と変わら

なかったんだぜそれってかなりお得じゃ ない起きて破りとも言える調合化準急電車 が日光戦争に投入されると国鉄が一気に 優位に立ったんだというのも所要時間はお 互いに約2時間と互角だったんだけど戦後 になって浅草が東京の中心から外れて しまい東部は接続の不便さが目立ち始めて いた一方で国鉄は1957年に日光行き 準急列車を東京まで延長しアクセスの良さ を生かしてたからなしかもその上運賃も 国鉄の方が100円安かったんだぜそれ なら誰だって安くて便利な方を選ぶよね もちろん頭部もただ黙って見てるだけじゃ なかった157系以上の居住性を持ち ながら走行性能も妥協せず他の追随を許さ ない車両で迎え打つことにしたんだぜそれ こそがデラックスロマンスカーかしらそう いうことだぜそして1960年東部にとっ て劣勢とも言える状況で登場したのが デラックスロマンスカーこと1720系な ん だ東部の維新をかけて生み出された 1720系デラックスロマンスカーは見事 に要求に答えたんだ洗練された幽霊な デザインの車体に防音効果も高いペア ガラスの固定まど暖房はもちろん157系 に導入されていなかった冷房も完備し 乗り心地の良い空気バに深深のゆったりし た座席と居住性で157系を文字通り圧倒 したんだぜおここから形勢逆転ってところ かしらとその前にそんなデラックス ロマンスカーこと1720系について もっと掘り下げてみてみるぜ1720系は 全車両電動車の6両固定編成で戦闘車両は 当時公表を得ていた国鉄151系のような ボンネット型をしているんだ確かに一昔前 の特急でよく見るような雰囲気がするわね ただ東部もオリジナル性を出そうと模索し た結果なのかゴツゴツして迫力のある 顔つきとなっているんだぜちなみに当時は 男性的な顔つきと言われていたらしいんだ 言われてみればそうかも車体の塗装は従来 のロイヤルベージュとロイヤルマルーンの 組み合わせを投Proしているんだけど その塗り分けは国鉄特急に順じたものに なっているから151系により似た印象を 抱くかもなだから似たような雰囲気を感じ たのねさて日光戦争の影響もあって東部の 特急はは兼ねてから車内設備が優れていた んだ1720系も当然この伝統を受け継い でいて編成にはギッフェリサロンルームと いった車内設備が設置されているんだぜ ゆっフって聞いただけでお腹がペコペコに なっちゃうわよま国鉄の新幹線や寝台列車 といった長距離列車の食堂車みたいな料理

じゃなくて主に軽食や飲料が提供されてい たけどなそれでも引退寸前の時点で メニューは上り列車と下り列車で異なって いたようにかなり凝ってたんだぜ登りと 下りでメニューが違うってどっちも乗って みたくなっちゃうってちなみに登り列車の 場合は飲料がコーヒーや紅茶など9種類 種類はビールなど7種類軽食がご料理弁当 など3種類の他季節限定でコーンスープや おでんも提供されていたんだまた東部 ホテルによるシートサービスも行われてい たんだぜホテルのサービスってだけで グレードが高そうもう1つのサロンルーム というのはいわゆるフリースペースのよう な空間で乗客なら誰でも自由に利用する することができたんだ4号車の1/3 くらいのスペースがサロンルームに当て られここには1人がけの回転式ソファーが 8脚と折りた式テーブルが設置されたほ ジークボックスも用意されたからレコード を聞いて音楽を楽しむことができたんだぜ レコードを聞いて車窓を眺めるなんて なんて優雅な時間なのさらに5号車の ビュッフェが隣接していたこともあって ビュッフェからコーヒーを注文して くつろぐこともできたんだしかもコーヒー 付きなんてもうその雰囲気に酔いしれ ちゃうわねちなみに乗客には日本人だけ じゃなくて外国人観光客も多かったから このサロンルームは国際新前の場でもあっ たらしいぜところでサロンルームの回転式 ソファーは背面が低く小さめでやや貧弱な ものだったんだそれだと豪華って感じがし ないけどもちろん理由があってのことだぜ もし客席と同じくらい快適なものだった 場合快適すぎると同じ乗客がずっと居って しまい他の乗客が利用できなくなって しまうかもしれないからなんだそれを回避 するためにあえてこのようなものにした らしいぜなるほどみんなのことを考えて あえての選択だったのねまあそれでも居り 続ける人はいたらしいけどなこのサロン ルームみたいに教職設備を備えない定員外 フリースペースは中高特急だと1989年 の485系スーパー来朝グリーン車 ラウンジまで登場しなかったから172系 はその先駆けとなる列車だったんだぜ30 年近い間他の列車にはなかったって考え たらそりゃ気象価値が高いわよさて乗客に は外国人観光客も多かったって言ったけど それもあって1964年の東京 オリンピックの際には通訳さんが乗務する ようになったんだ通訳さんまで乗ってたら 外国人も安心して利用できそうもしも外国 の列車に乗ってそこに日本語を話せる通訳

さんがいたらかなり安心するよなそんな 通訳さんはやがてスチュアーデスと称し 通訳だけじゃなくてガイドや英語での社内 アナウンスもうようになったんだぜ当時 このようなサービスは国鉄はもちろん他の 施設にもなかったから東部のデラックス ロマンスカーだけが唯一提供していたんだ 今だと当たり前のような外国人向けの案内 もデラックスロマンスカーが先駆けだった のねそれにしてもガイドも兼ねていた なんてスチュワーデスさんのスキルって かなり高いじゃんそしてさっきも言った けど座席もデラックスの名にふさわしい 豪華さを誇ったんだシートピッチは当時の 国鉄特急波の1100mmを確保し3段階 のリクライニング機能とフットレストを 有していたんだぜ後に登場する0系新幹線 の普通車が90mmの他東海道新幹線の 最新車両n700Sの普通車が 1040mmなことからしても 1100mmの普通車がいかに破格だった かが分かると思うぜ今の新幹線よりも広い だなんて客室設備だけじゃなく車両性能面 では軽量構造の全電動車で加減速力を 大きくするこを重視したんだ足回りは 1700系で実績を積んだものをベースと しながら手電動機に改良を加えたことで 設計最高速度は165kmを誇り栄養運転 での最高速度も1700系の105km から110kmへの向上に成功したんだぜ サービスだけじゃなくスピードも改良され たのねまた起動加速度も2.3kmを誇っ たんだちなみに現在東部で運用されている 新型特急利きこと500系電車が設計最高 速度130km起動加速度2.23kmだ からデラックスロマンスカーはリバティを 上回る性能を備えていたんだぜ今の特急を 上回る性能って1960年に登場したのが 信じられないそれだけ東部が大国鉄を かなり意識していた証拠でもあるな話が それるが鉄道共会という鉄道愛光家たちに よる鉄道業界に影響力を持つ団体があるん だけどそこでは1958年から毎年その年 に活躍した心臓者ににブルーリボン賞と いう賞を想定しているんだ最優秀新型車両 賞ってところかしらそうだな東部もこの 1720系で1961年度のブルーリボン 賞獲得を狙いに行ったらしいんだこんなに 豪華な列車なら取れるに決まってるって ただ国鉄の初で用られていたディーゼル 機動車キハ81系が立ちはかり一気打ちと なったんだぜそれでもキハ81系は故障の 連続で悪評の多い1年だったから東部 1720系の優勢と見られていたんだ ブルーリボン賞獲得間違いないじゃん

しかし蓋を開けてみればキハ81系の圧勝 だったんだぜえ故障が多かったんでしょ そんなの不正投票だよその理由として友海 メンバーもそうなんだけど鉄道ファン全般 に国鉄引きの傾向があったからだと言われ ているんだまあ国鉄と聞いたら全国誰でも 知ってるからねでもなんか認められないわ 見た目もどことなく似てるしキハ81系 だって良い列車なんだだから許してやれよ ただ霊夢は元よりブルーリボン賞獲得を 逃したのは東部関係者にとってかなり ショックだったらしいなしかもこれ以降も 東部は賞に見放され続け初めてブルー リボン賞を獲得したのは30年後1991 年まで待たされるわけだからな30年って かなり長い間九重を飲まされ続けたの ねさて1720系が運用についたのは 1960年10月日のことで当初はまだ 編成も揃ってなかったから先代の1700 系も継続して特急運用についていたんだ 運用についた1720系は利用者から大 好評で国鉄の準急を圧倒したんだぜ効果 抜群じゃない年追ごとに1720系の装備 も進み全ての特急を1720系でカバー できるようになるとその頃の国鉄には東部 に対抗するくらいの体力が残ってなかった んだというのも1966年には準急の価格 が急行と同じ水準に引き上げられた他段階 的に準急を廃止する方針が打ち出された ことで車両台ヤそのままに急行格上げ つまり実質値上げとなってしまい東部に 対する強みの1つだった料金面での アドバンテージを失ってしまったからな ふむふむさらに157系の豪華差があだと なってしまい東海道線の特急に起用された 関係で車両が不足してしまったんだ不足分 はやなく一般の急行用電車で補われたんだ けどそれによってサービス面での劣化も 発生してしまったんだぜあらら加えて 1973年に国鉄は東京駅の在来線ホーム 1415番線を新幹線用に転用するため 使用停止にしたことで東北上信越方面の 優等列車の東京乗り入れが中止となったん だこれで乗り換えの利便性という アドバンテージをも失った国鉄にもはや 頭部と争う力は残っていなかったんだぜ 一気に風向きが変わってしまったのね日光 戦争に事実上のピリオドが打たれても 1720系は東部特急の顔として運行され てきたんだしかし長年に渡る運行でふさも 見受けられるようになり運行開始から30 年近くなるとさすがに老朽化も進んだこと から光景として100系スペーシアが心臓 されることになったんだぜ東部の特急と いえばスペーシアの印象が強いわ1990

年にスペーシアが登場すると1720系は 置き換えの対象となり翌1991年8月を 持って定期運から引退したんだ1960年 10月の運用開始から31年間東部の顔と して走り続けたのねそういうことだぜ今回 は電車寝台特急のパイオニア583系電車 を徹底的に解説していくよ寝台列車1度は 夢見る憧れの列車だよねそれじゃあ早速見 て いこうまずは583系の基礎情報について 紹介していくよこの列車の登場は1967 年言わずと知れた中夜健康の特急型車両だ よ中夜健康ってどういうこと昼を走る列車 を中高列車夜をかける列車を夜行列車って 言ってこの列車は昼と夜の両方走れる特急 ってことだそういうことなんだかなり確信 的な車両だねしかも寝台列車だから座席 モードから寝台モードへ変化させられるん だこの点においても確信的だな面白い特徴 を持ってるんだねこの特徴的な仕様から 全車引退した現在でもね人気を誇っている んだその特徴的な色から青いエル特急夜の 女王など様々な相性で親しまれたよ昼も夜 も働き続けるまさに高度経済成長機の象徴 のような車両だな485系と並んで国鉄型 特急車両の代表格だ ぜこの列車の登場は1967年ちょうど その頃の日本は高度経済成長期現代は身近 な飛行機は馬鹿みたいに高く高速バス なんてのはなかった時代人々の長距離移動 を担っていたのは鉄道だったんだ鉄道全盛 時代だね特に寝台列車は寝てる間に移動が できるというかなり合理的な移動手段だっ たんだ確かに寝てる間に移動できたら朝 から目的地で活動できるもんねだが時代は 高度経済成長期車両が足りないかと言って 車両を増やそうとすると今度は車庫が足り なくなってしまうそして何よりコストが 馬鹿にならないじゃあどうするのそこで 国鉄は中夜健康という相でを出したわけだ 昼も夜も走らせられば車庫にいる必要は ないし寝台車などの夜行用の車両を作る 費用はかからなくて済む車庫は使わないし コストも低く済むんだねこんな理由で登場 したのが581系車両だ581系583系 じゃなくてこれは583系の先輩に当たる 車両だもし車両の製造費に対しての経済 メリットがなければこの車両を作る意味が ないそれだったら普通に車庫広げて従来の 車両を増備すれば済む話だからなましてや 座席から寝台に変形するなんて前代未もの 構造だ1両当たりのコストも馬鹿になら ないだろうだからこの581系は試験的な 意味合いもあると思うぜ最初は新大阪から 博多を走る特急月光号の運用についたよ

このことから581系は月光型なんて呼ば れ方もするぜ結果はどうだったの予想通り 経済的なメリットを見せたんだただこの 列車は対応電源の問題で東北の方を走る ことができなかったんだどういうことと実 は電車を走らせるための電気には種類が あるんだそれが直流と交流そして交流の 電源について東日本と西日本で異なるんだ そうなのめどくさいねだから581系は 東日本の交流区間である東北の方が走れ なかったんだその電源に対応した車両を 作ろうってことになってそして1968年 583系車両が誕生したこういった経緯が あるからこの車両は座席寝台両頭使3電源 対応とという前例の一切ない圧倒的な マルチ電車特急として登場したんだよ電気 があればどこでも走れるだけでもすごいの に寝台列車と座席列車もこなせるなんて 本当にマルチ特急だねそれが583系が 根強い人気を保っている理由だな車両の 登場経緯1つとってもかなり面白い理由が あるんだ ね続いて583系の車内構造について紹介 していくよそういえば座席モードと寝台 モードで切り替えができるって言ってたよ ねどういう構造をしているんだろうまずは 昼間の座席モードについて当時の特急と いえばロマンスシートと呼ばれる リクライニングしない前向きの座席が主流 だったんだが寝台モードに変化する仕様の 関係でボックスシートと呼ばれる 向かい合わせになる座席なんだこの仕様は 当時の急行に用られていた構造なんだよ 特急なのに急行の構造で走ってたのいや 元々は急行で走らせる計画だったんだよ そうだったんだただ急行で走らせると停車 駅が多く時間がかかって結果的に座席 モードから寝台モードに切り替えるための 時間がないことが分かったんだそんな理由 があったんだだから仕方なく特急として 走らせたんだよただしボックスシートと アドルなれそうなのこの車両のボックス シートは一味違うよ座席の角度は良い感じ の角度に倒れていて座面もかなり柔らかい ことはもちろん足元のスペースも12分に 確保されているんだボックスシートの問題 点である足と足がぶつかる問題を解消して いるぜ普通の特急と同じような快適さに しようとする努力がすごい世界一豪華な ボックスシートと言っても過言ではないか もねそうかもしれないな次は寝台モードに ついてだよ当時はまだ走っていたブルー トレインの寝台車は基本的に通路が左側に 寄っているヨーロッパタイプの仕様だった んだこれは現在走っている唯一の定期寝台

列車サンライズエクスプレスと同じだな そうなんだでもなんでこんな構造にしたん だろうそれはこの車両が中夜とわず走れる ことを目的とした車両だからだなこの車両 ならではの理由があるんだね昼も夜もお客 さんを可能な限り乗せて走ることが目的 だったこの車両はボックスシートの座面を 下段そして天井壁面に格納されている中段 上段のベッドを展開して合計3段寝台とし たんだサンライズエクスプレスでも2段 寝台だぜすごいしかもこれで当時の メジャーな寝台車である20計客者より かなり広かったんだ下段に至っては幅が 1m弱あって当時の一等寝台レベルだった んだよ快適性も両立していただこれで昼間 は4人乗せていたスペースによるは3人 乗ることができたのもすごい点だな努力の 賜物のような構造をしていたんだねこれら の機能を入れたせいで車両限界一ぱいの 大きさになったのも特徴だな車両限界って 車両を作る時の大きさの限界のことだ普通 は余裕を持って車両限界いっぱいに作る ことはないんだがこの車両の場合はそんな こと言ってられないからななるほど普通の 電車より大きかったんだねこの他にも食堂 車などの車両も存在したよ 続いてこの車両がどんな活躍をしたか見て いくよまずは西日本での活躍だこの車両の パイオニア的存在である581系は特急 月光号緑号での運用だったよ博多から夜行 で新大阪まで走るのが月光号その後座席 モードに切り替えて昼間は新大阪から大分 まで緑号として運転していたんだなるほど 不眠不及落ちでいくような走りをしていた んだね他にも同じような携帯での運転が確 していくが1975年山陽新幹線の開通に より中高特急の運用は消滅するぜ昼間は新 幹線の方が早くて便利だもんねそんなわけ で583系は昼間の運用を求めて九州の 特急である有明北陸の特急である来朝の 運用につくことになったんだまだまだ現役 って感じだが1980年第2次オイル ショックが発生日本の高度経済成長は 終わりを迎えたんだこれにより需要は一気 に減少したんだよちょっとやばくなってき た関西九州の夜行はブルートレインで 賄えるようになりいくら快適とはいえ ボックスシートの特急は片落ち感が否め なくなってきた寝台に関しては583系で 良くないブルートレインより快適なん でしょ車両の使い勝手はブルートレインの 方が良いんだろうな昼夜健康での運転と なると車両の整備などにも時間もコストも かかるし以前ほど車庫に余裕がないわけで もないから夜行に特化したブルートレイン

が用いられるようになったんだと思うぜ なるほど そして1984年には九州方面への運用を 全て失ってしまったんだ結果的に日中の 来朝号のみに使われるようになったんだ元 は昼夜健康だったのに本来の目的とは全然 違う使い方になってしまったんだだが 1985年になって環境が変わる何が 起こったの大阪から新潟を結ぶ列車急行北 2号の設定だなんか聞いたことあるこれが 583系での運転だこの列車は民営化され た後も運転され20133年に廃止される までグリーン車を組み込んだ堂々重量編成 で30年弱に渡って運転されたんだ割と 最近まで走ってたんだねまたバブルキノス ブームに乗ったスプール号盆シーズンに 走った東北夏祭り号青森号として運転もさ れたぜ青森まで乗り入れてたんだそして 2013年に北国号の運転が終了それに 伴って583系も全敗されたよ時代に 合わせて柔軟に対応してきたんだ ね 次は東日本での活躍についてだ東日本の 東北に入るために583系となっただけ あって583系の視線場は東日本側だった かもなデビューしたのは1986年最初に 重東された列車は特急初号上野から青森を つなぎその先の北海道連絡まで見据えた 列車だなすごい長い距離を走る列車なんだ ねその後に行われた大改正43頭を経て この区間を走る寝台特急である白鶴号ユ号 にも頭されたよまさに583系天国そして 1972年に常磐線を通って青森へ行く 特急道の号も誕生東北本線を通る初白鶴号 常磐線を通る道の夕鶴号と全てに583系 が重東されているしかも仙台までの特急で あるひ5にも重東されたりもしているんだ 本当に583系が便利だった証拠だぜ便利 じゃなかったらここまで使われないもんね そして時は1982年代2次オイルが発生 こっちでも影響が出るんだいやオイル ショックによる直接的な影響は特にないよ そうなの実際にこの頃のゆる号は1日後 往復あったんだよ今じゃ考えられないほど 多いそれだけ北海道や東北へ行く需要が 多かったって証拠にもなるななるほどただ 別の方向から東日本の583系を衰退させ ていくよ1982年の東北新幹線の大宮 盛岡間が暫定開通これにより特急道の合が 廃止されたよあららそして国鉄の民営化 これを切りに東日本の583系もだんだん と消えていくよ中夜問わず走っていたこと から老朽化が激しく寝台特急の再jug者 家や需要の減少による夜行列車の原品など が行われたんだ一気に衰退していったね

バブルもは新幹線も東京駅まで繋がった ことから需要が減少1993年に初日号 から撤退1994年にユズル号が廃止 そして2002年に寝台特急白号が止過じ て残っていた臨時の初号からも撤退これを 持って東日本での定期列車が廃止されたん だよ最後まで花型の列車を貫いたんだね その後秋田や仙台を中心に活躍したんだ 団体列車や臨時列車として走っていたんだ けど2017年に団体臨時列車さよなら 583系が運転そのまま運転を終了したよ 最後まで愛された車両だったんだ ねさてここまでこの列車の花の部分を解説 してきたがこの列車の闇の部分を解説して いくよシパ列車って何さっきも話した通り 西日本の583系は需要の現象から早々に 活躍の場が減っただろだから583系の 一部は1984年から1985年にかけて 単編成化近郊型改造を受けて地方区間の 普通列車に重東されたんだえ当時の国鉄は 財政状況が厳しいがゆえにあまりの やっつけ改造をしたんだドアを1箇所から 2箇所に増設デの除去一部ロングシートか こんな改造を施したよボックスシートの 部分だけ見たらめちゃめちゃ豪華な車両だ ねこれらの車両のうち東北九州地区向けの 715系北陸向けには419系として運転 開始したよ外観は583系そのままなのも 特徴だねこれは面白いねでも食パン作り ないよ実は単編成下の時に中間車を戦闘者 にしたんだどういうことそのままの意味だ よこれを正面から見た顔が丸で食パンの ようだだったんだよだからシパ列車だ なるほどこんなんだからファンも多かった んだよ面白い車両だもんねこの車両たちの うち715系は1998年に419系は 2011年に引退したよ若い鉄道ファンは 419系の方が身近に感じるかもだ ね583系は食堂車を中心に個人や民間 企業に多数の払い下げが発生しているよ 大人気の車両だけあるねずれも短期間で 閉店老朽化で維持が困難になって現在では ほとんどが解体済みまたは鉄くず同然の 状態で放置といった状態になっているよ あららそんなわけで583系581系が 減損している場所は現在4箇所思ってた よりも多いそのうち2箇所が気軽に行ける 場所だどういうことそれについては後で 解説するよまずは気軽に行ける場所につい て1つ目が九州鉄道記念間だここに保管さ れているのは581系183系の先駆けと して誕生した車両だよねこの車両は九州 にて715系として活躍した車両の 生き残りなんだよそうなんだ2か所目が 京都鉄道博物館ここは純粋な583系が

保存展示されているよ機会があったら行っ てみたいなこの2つが一般の人が気軽に 行ける場所だでも大宮に鉄道博物館はある よね残念ながら首都圏にはいないんだなん でいないの元々修造予定ではあったんだよ えしかし廃車時期が予定より遅くなった ため修造されていないぜじゃあもう東日本 の生き残りはいないのいやいるよそれも2 か所だ1箇所目が秋田総合車両センター 大宮の鉄道博物館に修造する予定だった 583系の戦闘車両が佇んでいるんだこれ は気軽に行くどころかほとんど行くことが できない場所だねこの車両は今後の教習が 注目されているよそしてもう1箇所これは 驚くべきことに海外にいるんだなんと海外 なら確かに気軽にはいけないね場所は台湾 日本は台湾の新幹線建設に携わっているよ ここでは583系のうち中間車2料が特殊 な構造が評価されて大平気象後に建設さ れる予定の鉄道博物館に修造される予定だ よ583系は海外進出したんだすごい な1960年代の高度経済成長期に国鉄の 救世士として生まれ新幹線の開通や国鉄 民営化と歴史に翻弄されてきた583系は その特殊な気候を武器に全国各地を視線上 に昼も夜も走り続けた偉大な車両と言える だろうそれくらい以上なほどマチな特急 だったんだね走行距離も普通の列車より 長い中その汎用性を武器に21世紀まで 40年近く活躍したから十分に大王城と 言えると思うぜ長い間本当にお疲れ様だね 今回の主役はJRの全身である国鉄が開発 した485系特急型電車だぞ485系って 国鉄時代の特急電車の代表みたいな立位の 電車だよね485系電車は全国の路線の 電荷方式に対応していて四国以外の日本 各地を60年近くに渡って走り回ったけど 2022年12月についに営業運転を終え たんだその歴史を紹介する ぞ485系って改めてどんな電車なのかな 485系特急型電車の大きな特徴は国鉄の 在来線で採用されていた3種類の電荷方式 に対応していることなんだ3種類の電荷 方式というのは具体的には何かなまず鉄道 の電荷についての説明になるけど電気を 動力源として走る電車や電気機関車には 外部から電気を供給しないといけないこと は分かるよなそうだね電気を供給する設備 を整えて電車が走れるようにすることを 電荷と言うんだよねところが電荷と一言で 言っても国鉄の在来線においては3種類の 電源による電荷方式が混在しているんだ 具体的には直流1500V交流50hzの 2000v交流60hzの2万Vだ日本で は一般家庭で使うような交流電源の周波数

も東側は50hz西側は60hzに分かれ ているけど鉄道でも交流電荷の場合は同じ なんだね直流電源にのみ対応している電車 はこいう電荷された路線ではもちろん走れ ないだけど485系は3種類全ての電荷 方式に対応しているんだよ要するに万能型 電車なんだね在485系と総称されている 電車は最初から3種の電源に対応して作ら れたわけではないんだまずは1964年 から直流と交流60hz対応の481系次 に1965年から直流と交流50hz対応 の483系そして1968年から直流公流 50hz交流60hzの全てに対応した 485系が登場したんだ最初に製造された グループは万能タイプではなかったたんだ ねそして1971年からは485系の仕様 に手を加えた489系も製造されたんだ 群馬県と長野県の県境にあった新越本線の 薄井峠を通過する列車はEF63型電気 機関車に補助させていたんだけど489系 はこの機関車との強調運転ができるんだ 強調運転というのは機関車にた押されたり 引かれたりするのではなくて機関車からの 指令で機関車と電車が力を合わせて走ると いうことかなその理解であっているぞ一言 で485系と言っても色々な仲間がいるん だね485系を狭い意味で使う場合は 1968年から製造された3種類の電源に 対応していて薄い峠には非対応の車両を さんだだけど今回は481系483系 489系も含めたより広い意味での485 系電車を紹介させてもらうぞ色々なタイプ の車両が登場して全国各地で活躍できたの ならやっぱり相当な王女体だったのかな 481系から489系までを合わせた意味 での485系は1964年から1979年 までの長期間にわって製造されて製造数は なんと1453両だ国鉄の在来線特急型 電車としては圧倒的最多の製造数を誇って いるぞ活躍の範囲が広くて製造期間も長期 だったから最初の登場から58年にも渡っ て走り続けてこられたんだねなんだよ3種 の電源方式に対応している485系は地方 の路線を走る特急列車の充実夜勤大化に 大きく貢献したんだ時代が変わってもその 万能ぶりを生かして形を変えながら活躍を 続けてきた485系はそんな電車なんだ よそもそも485系はどういった経緯で 登場したのかな登場の経緯を説明する上で 欠かせない存在が国鉄の特急用車両として は初めてのの電車である1958年に営業 運転を開始した151系電車なんだ東京と 大阪を結ぶ東海道本線の特急こだまだね それまでの特急は動力を持たず自装でき ない客車を機関車が牽引するタイプの列車

だったんだだけど151系電車による特急 列車こだまは従来の客車特急列車を走行 性能でも快適性でも大きく上回っていたん だそれで国鉄は他の特急列車も電車に しようと考えたのかなそうなんだけど 1958年時点の国鉄の路線は重要な感染 であっても非電荷の部分が多くてそれで 国鉄では感染の電荷を徐々に進めていった んだだけど前線が直流で電化された東海道 本線と異なり例えば東北本線北陸本線と いった路線は部分的に交流で電荷されて いったぞそれはどうしてなのかな交流電荷 は車両が効果になる一方で地上の設備は 減らすことができるんだこのメリットに 当時の国鉄が着目して列車の本数が少ない 地方路線の電荷方式は交流が有利だとされ たんだようん交流が採用された理由は 分かったけどとにかく直流専用の電車は 交流電荷の路線を走れないんだよねそうな んだよだから直流電荷と交流電荷が混在 する区間を走る電車は両方の電荷方式に 対応する必要があったんだそして151系 電車は直流専用だからこのまま使うわけに はいかなかったんだよそれで485系が 登場することになったんだねそういうこと だだな当初は151系電車に交流対応改造 を施すという計画もあったようなんだけど 結果的には151系の交流直流量対応版と なる車両を申請することになったんだまず は直流と交流60hzに対応の481系が 製造されたんだっけそうだな1964年 12月25日から481系が北陸本線経由 で大阪富山間を走る来朝名古屋富山間を 走る白さぎとして運転を開始したぞ485 系グループの58年間にも渡る活躍の 始まりだねでも12月25日からってなん でそんな区切りの良い訳でもない日から 走り始めたの本当は10月1日のダイヤ 改正から走り始める予定だったんだけど 車両の落成が間に合わなかったそうだ 1964年10月の交通校舎の時刻表には 来朝と白さぎの時刻は掲載されているけど はっきりと運休中と書かれているぞ現在 じゃあまり考えられないことだねちなみに 初期に製造された車両は戦闘車が151系 に習ったボンネットスタイルになっている ぞ大宮の鉄道博物館や京都鉄道博物館に 保存されている戦闘者はこの形だよね一方 で1972年下半期頃から製造された戦闘 車は後発の183系電車などと同じような スタイルになっているぞこっちの顔の方が 馴染みのある人も多そうだねそういえば 常磐線の日立では片側の戦闘車だけが ボンネットスタの編成が走っていて 面白かったよね1965年10月1日から

は483系が東北本線の上の盛岡間を走る 山びこ上の仙台間を走るひで運転を開始し たんだ483系は東日本の交流50hzに 対応した車両だったねこの時のダイヤ改正 では481系が伝統ある特急のつばめに 重東されて名古屋熊本間を走り始めたこと も特筆されるぞかなりの長距離突列車だね そして1968年10月1日からは 50hzと60hzの両方に対応した 485系が上野山形間を走るヤバとして デビューしたんだ両方の周波数に対応して いるけれどもまずは50hzの東北地方で 走ったんだね薄井峠でのEF63強電気 機関車との強調運転に対応した489系は 1971年に登場したぞこれで485系 グループが出揃ったんだね40089系の 本格的な活躍は1972年3月15日から でこのダイヤ改正では上野金沢間を薄峠 経由で走る客車急行の白さが特急に格上げ の上で489系電車に置き換えられたんだ 489系の本来の製造目的に叶う列車とし て走り始めたんだね1972年10月2日 のダイヤ改正からは485系が大阪青森間 を走る白鳥に重東されたんだ北陸の流電荷 区間は60hz東北は50hzということ でついに直流交流50hz交流60hzの 3種の電荷路線を1本の列車として直通 する列車が誕生したんだよ485系の性能 をフル活用できる列車だね白鳥は昼間に 運転される在来線の特急列車としては最長 の運転区間を誇る列車だったんだそれと3 種の電荷路線を直通する定期列車は後にも 先にもこの白鳥が唯一だったぞあれそれっ てちょっともったいなくない例えば東北 本線を走る山びこだけに重東されている 車両にとっては交流60hzに対応する 機能は宝の持ち腐れっってことだよねそれ はその通りなんだけど3種の電荷方式に 対応していることの最大の利点は運用の 自由度の高さそして車両を全国で 使い回せることなんだよそうなんだ国鉄は 全国が管轄範囲だったから例えば東北から 九州へ車両を転属させるといったことが 当然のように行われていたんだ現在のJR は地域ごとに分割されてしまったからそう いうことは普通起きないよねそのような 転属を行いたいのに転属先の電荷方式に 対応していなかったらお話にならないだろ そういえば関東から関西へ引っ越すと電源 周波数が違うから家電を買い換えないと いけなかったりしたよねでも今は家電も 両方の周波数に対応しているものが増えて きて買い換えずに済むものも多くなったよ ねその引っ越しと家電の話と全く同じこと なんだ485系電車は直流交流50hz

交流60hzの全てに対応しているおかげ で電化さえされていれば活躍の場をほぼ 自由自在に移せたんだよそれが重要なこと だったんだね485系は時代の変化ととも に実際に活躍の場を移していったんだもし も運用や転属の自由度が低かったなら 485系の寿命は大幅に短くなっていた ことだろう な485系は3種の電荷方式に対応しいる 利点を生かして直流区間と交流区間を またぐ列車や交流区間のみを走る列車に 次々と投入されていったんだ具体的には どんな路線列車かなここまででも山陽本線 から九州へ行くつばめ東北本線を走る 山びこひ北陸本線などを走る来朝白さ白鳥 白山東北本線大本線を走る山端とかが出て きたよなそうだったねそれに加えて上越線 羽越本線を走るイホ東北本線万越西線を 走る会津常磐線を走る日立九州行きのか緑 北海道の札幌旭川間を走った石といった ところだな他にもまだまだあるぞこんなに あっても全部じゃないのがすごすぎるよ 当時は特急系電車の数が少なかったから新 大阪島の岡山県玉市を結ぶうず塩のような 走行区間が全て直流電化されている列車際 も一部の列車が485系で運転されたぞ 485系様に出ていただくまでもないじゃ ないのそして485系は北海道でも使われ たんだね国鉄時代には短い期間ながら使わ れたんだ短い期間ということは何か問題が あったのかな北海道向けに製造された 1500番台という車両でも北海道の 厳しい冬に適応しきれなかったんだ 1975年7月18日から石狩デの運転を 開始したけど北海道戦用に開発された 781系電車と入れ替わる形で1980年 に撤退しているぞ万能選手も北海道の原頭 には勝てなかったのかあるいは元々781 系登場までのつなぎだったのかもねところ で石狩の運転開始日はなんでまた7月18 日と半端な日付なのダイヤ城は7月1日 から運転開始予定だったんだけど ストライキで18日からの運転になった そうだぞこれぞ国鉄時代だけどそれはそれ として485系は冬が厳しい北海道と電荷 が遅かった四国を除いて本当に日本の各地 で使用されたんだ ね四国以外の各地で活躍していた485系 だけどすぐに撤退してしまった北海道は 例外としても本州でも走っていた路線を 追われるようにもなっていくんだえ活躍 できる範囲の広さが売の車両なのにそうな んだけど新幹線の改良や延伸によって 485系に限らず在来線特急の活躍の場は 失われていったんだよ速さでは新幹線に

勝てないもんね1972年3月15日に 山陽新幹線が新大阪から岡山まで改良した 時や1975年3月10日に博多まで延伸 改良した時には山陽本線から九州へ直通し ていた列車について運転区間の短縮や廃止 が行われたんだそれはそうだよねそして 1982年6月23日には東北新幹線が 大宮盛岡間で改良同年11月15日には 上越新幹線も開業したんだ上野青森間の初 が盛岡青森間の運転に上野秋田青森間の 稲穂が新潟秋田青森間の運転にそれぞれ 短縮されたぞそんな風に運転区間が短縮さ れるんじゃ車両が余剰になっちゃったん じゃないのそうだから余剰になった車両は 東北から九州へと言ったように大規模な 転属を行ったんだそして転属先で新たな形 での活躍を続けられたんだよこれがさっき 説明してくれた全電荷方式に対応している ことによる大きなメリットなのね 1987年3月から1994年7月までは 九州で有明のうち博多熊本間を走る一部の 列車が当時非電荷だったホ本線の水前寺 まで乗り入れていたんだ485系は非電荷 区間を自装することも空調などの電源を 取ることもできないはずだけどどうやって 走ったの走らせるのにはDE10型 ディーゼル機関車を使って空調などの電源 は発電機を備えたスハフ12に計画者また はよ2万8000円型車掌者から供給され たぞディーゼル機関車と客車と電車って かなり珍妙な編成だね今でも静岡県の伊豆 急行が所有しているザロイヤル エクスプレスが北海道を走る時はそういう 編成を組んでいるよね珍妙な編成といえば これもあげておこう1986年12月から 1990年8月まで大長が臨時特急の ユートピアワクと連結して走っていたぞ ユトピアってま改造された車両の第1弾で 登場したジョイフルトレインだだったよね そうだな元々は急行系のキハ615型機動 車に全面を展望窓にしたりしつつ最高時速 129で牽引されて走れるような改造を 行った車両だぞ大阪金沢間では電車の来場 が機動車のユートピアワクを牽引して走っ たんだよ高速でカットばす来朝に ユートピアワクが引っ張られて必死でつい ていくってなんだかゴードンに無理やり 高速で引っ張られるトーマスみたいだね 初期のゴードンって子供にとってはかなり 怖かったよね最のゴードンは性格が相当 丸くなったよなってこの話が分かる人って どれくらいいるんだろうかそして1987 年に国鉄は解体されてJR各社が発足した 485系はJR北海道東日本西日本九州の 4者に引き継がれたんだあれあっという間

に北海道から撤退したのにJR北海道にも 引き継がれたんだそうなんだけどJR 北海道に引き継がれたのは中間車で モーターもついていない食堂車が一両 グリーン車が6両という謎のラインナップ でしかも食堂車が多形式に改造された以外 は使われないまま廃車になっているぞJR 北海道は一体何がしたかったのかな グリーン車に運転台と動力を取り付けて ジョイフルトレインにするつもりだったの かな結局糸は不明なんだけど仮に ジョイフルトレイン化が実現していたら JR北海道内房工場の改造車両伝説の1つ に加わっていたことは確実だなそうだね 北海道以外のJRに引き継がれた4815 系はしばらく活躍していたんだよねそれ ばかりか新たな活躍の場も得ているぞ 1988年3月13日には青函トンネルが 改良したんだ盛岡青森間に設定されていた 初日のうちの一部が青函トンネルを通過し て函館へ行くようになったぞ札幌の方に こそ帰れなかったけど1980年以来実に 8年ぶりに485系が北海道に帰ってきた んだね青函トンネルを通る列車として他に 上野札幌間のの寝台特急北斗星やそれから 翌1989年には大阪札幌間の トワイライトエクスプレスも登場したんだ これは客車を機関車が牽引する列車なんだ けど食堂車は485系489系の食堂車 からの改造だぞ余剰になっていた食堂車を 有効活用するために電車から客車への 珍しい改造が行われたんだね九州では 1989年から1991年まで有明と破 183系機動車によるオランダ村特急との 強調運転が鹿児島本線場で行われていたぞ 来朝はユートピアワクを牽引していたけど こっちは強調運転なんだそうこの電車と 機動車の強調運転による営業列車は短い 期間ではあったけれどもなんと世界発だっ たんだよちなみにJR北海道ではキ 2011系という機動車が現在も731系 電車との強調運転を行っているぞ民営化し たことで485系は新たな姿を見せて くれるようになったんだねそうだなJR 各社発足後の485系は塗装の変更や座席 などの内装のグレードアップが盛に行われ たんだよサービス工場に熱心だったんだね jr西日本では戦闘部が展望窓になった グリーン車が改造で作られたぞjr東日本 は485系電車を改造して数々の ジョイフルトレインを生み出したぞ いろんな見た目や内装のジョイフル トレインがあって面白かったよね走る ディスコと呼ばれたリゾートエクスプレス Uとか座席がごたつになっている花とか

フリーザ様にしか見えない彩りとか ジョイフルトレイン以外の一般の編成を 含めて485系は臨時列車としても盛に 活用されたんだ電化されている路線なら ほぼどこでも走れるし全国が管轄範囲だっ た国鉄の時代の車両で自社以外のJRの 路線にも乗り入れがしやすいからかなり 柔軟に運用することができたんだよJR 発足後に作られた電車はもはや485系の ように全国を走り回ることは無理そうだよ ね [音楽] JR発足後もしばらく活躍を続けていた 485系だけど後景の車両も登場していっ たんだjr東日本だと651系やE653 系だよねjr西日本は681系や683系 JR九州は783系や787系といった風 に新しい特急型電車がどんどん登場してき たよね485系はこれらの車両に置き換え られていたんだちなみにJR九州の新型 車両は485系と違って交流60hz専用 の電車になっているぞ艦内の電荷路線がご 一部が直流であることを除き全て公有 60hzだからなんだJR九州は485系 にも交流専用にする措置を取ったぞ九州 以外での運転を想定していないJRの時代 らしい施策だねそれから485系は老朽化 で置き換えられた以外に他の形式に編入さ れて485系ではなくなった車両もあるん ださっきは客車寝台特急の食堂車に改造さ れた話をしていたけど他にもあるんだね 特にjr西日本所属の車両が直流電荷区間 専用の183系に編入された際には名義が 183系に変更されただけではなくて実際 にこいう電荷路線向けの危機を撤去されて 直流区間しか走れない車両になっているぞ JR2日本の485系から撤去された交流 用の機はどうなったの直流専用の113系 電車に搭載されて高直流対応の415系へ 改造することに使われたぞそして415系 は高直流対応の電車が必要になっていた 石川県の7尾線に投入されたんだそんな 流用方法ってありなの113+485= 415+183これすなわち魔改造の式と も言われているぜ左右とも合計が見事に 598だねちなみにこの改造者もすでに昔 の存在で改造後の415系と183系は どちらも引退しているぞ7を線の415系 の引退って結構最近だったような2021 年3月か老朽化による廃車だけでなくJR 発足後も新幹線の海洋による運用の削減が 続いたんだ1992年7月1日に山形新 幹線が山形まで開業して485系の翼が 400系新幹線に置換えられたぞそれから 1997年3月22日の秋田新幹線の海洋

に伴森岡秋田青森間の田沢が廃止されて いるぞどちらも新幹線の電車を在来線に 直通させるミニ新幹線で東北新幹線のよう な古企画新幹線とは別物だけどでも485 系が置き換えられてしまうのは古企画新 幹線開業の場合と同じだよね1997年 10月1日には北陸新幹線が長野まで開業 してその際には薄い峠の鉄道が廃止されて しまったぞだから薄い峠を経由していた 489系による白さ浅間などもこの時に 廃止されているんだ489系の製造された 目的が失われてしまったんだね活躍の場が 狭まる話が多かったけど1997年3月 22日に開業した北越急行北北西には特急 博多として乗り入れていて2005年2月 28日まで485系が定期運用されていた ぞ在来戦の博多といえば681系や683 系が最高時速160kmで運転していた ことが有名だけど485系が走っていた 時期もあるんだね2001年5月12日と 13日には大阪駅と四国の高松駅の間で 485系を使用した臨時急行列車サポと 高松が運行されたぞこれで485系は 北海道本州四国九州の全てを自装した実績 のある電車になったんだ万能型電車に ふさわしい実績だね2006年3月から 2011年6月までは全区間が直流電荷 路線だだけどjr東日本線と東武鉄道線を 直通する特急列車日光と木川に重東されて いたぞ東武鉄道の乗務員さんは東部に務め ながらあの485系に乗れるとはと思っ たっていうよしかし運用範囲拡大の話題も ここまでだ少し時間を戻して2002年 12月1日には東北新幹線が盛岡から八戸 まで延伸改良したぞこの時初が廃止されて 運転区間は八戸盛岡函館間で名前は白鳥と 列車が再設定されたんだ白鳥って元々は 大阪青森間の特急だったんじゃそうなんだ けど大阪青森間を直通する需要が乏しい ことから運転区間を区切って複数の特急 列車に分割される形で2001年に廃止さ れていたんだそうだったんだ元々の白鳥と は運転区間が変わったものの列車名として は復活したんだ ねここからはいよいよ急速に姿を消して いくぞ2010年3月3日のダイヤ改正で はjr西日本の489系によって上野金沢 間で運転されていた夜行急行の野が定期 運行を終了したんだそれは何をもたらした のかなのの定期運行終了によって1958 年に先輩閣の151系が登場して依頼続い てきたボンネットスタイルの戦闘者が ついに姿を消すことになったんだよ反省 以上続いた伝統のボンネットスタイルに ピリオドが打たれたのねそして2010年

12月4には東北新幹線が八戸から新青森 まで延伸改良したので白鳥は八戸青森函館 間だった運転区間を新青森函館間に変更し ているぞ東北新幹線の延伸改良で再び北に 追いやられたんだね続いて2011年3月 12日のダイヤ改正ではjr西日本とJR 九州で485系の定期運用が終了したんだ まずjr西日本では来朝が全て681系や 683系によるサンダーバードに置き換え られたぞJR九州ではどうして引退になっ たのJR九州では九州新幹線が新発代から 博多まで延伸改良するのに伴い在来戦特急 用の783系や787系が余剰になったん だその783系や787系を転用して 485系を引退させることになったんだね そういうわけで485系を運転しているの は2011年以降jr東日本だけになった んだ4082系が重東されている列車は 少なくなかったけどjr東日本でも もちろん安泰ということはなかった老朽化 しているのはjr東日本の車両も同じだ もんねまず2011年4月23日には秋田 青森間を走る津軽が485系からE751 系へ置き換えられたE751系は485系 と違って交流50hzの路線しか走れない 電車なんだこの区間だけで使用するなら それで十分だもんね2014年7月11日 には新潟坂田秋田間の稲穂が常磐線の特急 から転用されたE653系に置き換えられ たぞ新車を大量に導入するjr東日本が よくこの時期まで485系を使い続けたね って思っちゃうな2015年3月14日に は新潟金沢間の北越が北陸新幹線の金沢 延伸開業に伴い廃止された新潟新井新潟県 妙光士間を走っていた485系の快速くき のも同時に廃止されているぞ2010年代 に入っても新幹線と交代する形で消えて いったんだねそして2016年3月26日 に新青森から新函館北斗まで北海道新幹線 が開業するのに伴って485系最後の定期 特急列車であった白鳥が21日を最終運行 日として廃止されたぞついに特急列車とし ての役目を終えたのね2016年6月18 日から19日にかけては仙台死者に所属し ていたクリーム色と赤色のいわゆる国鉄色 で残っていた編成がラストランイベントを 行って引退したぞいよいよ国鉄は遠くに なりに蹴りだね新潟駅と糸井川駅を結ぶ 快速列車が485系最後の定期運用となっ たんだこれは正確には定期列車ではなくて 毎日運転の臨時列車なんだけど毎日走って いたことから定期運用と扱われているので ここでもそれに習うぞ糸井側からは北陸新 幹線に乗って金沢へ行けるからつまりは 北陸新幹線を保管して廃止された北越の

代わりにするための列車だったんだね新潟 から糸井川まではほとんどが直流電荷だ けど糸井川駅は交遊で電化されているから 485系の特徴を活かせる列車ではあった んだよでも新潟県内だけを走る快速列車か 国鉄を代表する特急系電車としては ちょっと寂しい最後の定期運用だったんだ ねこの快速列車は2017年3月4日の ダイヤ改正で廃止された481系の登場 から数えて52年あまりでついに定期運用 終了ということになったぞあとは臨時列車 だけかな485系を改造したジョイフル トレインが2017年3月の時点では だいぶ残っていたんだけれどもこれらの ジョイフルトレインも続々と引退していっ たぞまずは2017年9月30日に入り ガラストランその後廃車されたああ フリーザ様が編成の全車両が製造当初の 車体を有用しているジョイフルトレインは 彩りだけだったんだ彩りの引退を持って 485のおかを残す車両は消滅してしまっ たんだよ特急運用がなくなり国鉄職の編成 がなくなり定期運用がなくなりオリジナル の車体の編成も消滅一部のファンにとって はこの辺りまでですでに485系とは 終わった車両だったかもしれないね 2018年にはのどかとリゾート エクスプレスU2019年には宴と キラキラウ2021年にはジパングが引退 したぞ以前は当たり前のように名前を 見かけられたジョイフルトレインたちが 次々と重機の餌食になっていくよ2022 年まで残存した花も10月30日にラスト ランを経て引退となったんだ堀ごたつも これまでかそして最後に運転されたのは どんな列車だったのかなリゾート山取りが 2022年12月11日に埼玉県の上尾 から群馬県の長野原草口までをツアー列車 として位置往復したぞ草温泉に行ったり するツアーだったのかないや長野原口での 停車時間はわずか24分ほどのツアーなん だ温泉に入れないじゃんうんツアーの内容 はリゾート山取りに乗ってお弁当や群馬 ちゃん生ロールケーキを食べて停車駅では その地域ならではのお出迎えをして もらえるというものだったんだリゾート 山取りそして485系との別れを惜しむ ためだけのツアーだったと言っても言い 過ぎではなさそうだねそうだなこのツアー 列車の運転を持って485系はついに全て の営業運転を終了したぜ58年間の歴史が 終わったんだね昭和の高度経済成長機の 田中に生まれて国鉄の崩壊とJR発足青函 トンネルの改良新幹線の延伸改良と在来線 特急毛の祝勝などなど様々な出来事を経験

してきた電車なんだよなこの電車のおかげ で北海道から九州まで国鉄jrの特急が 走り回るようになってサービス工場や近代 化が成し遂げられたんだよね占領以上作ら れて日本各地を走っていたこの電車がもう 日本のどこにも走っていないなんて今でも まだ信じられないよちなみに鉄道博物館 京都鉄道博物館九州鉄道記念館新潟市2一 鉄道資料官石川県の小松駅前などの複数 箇所で生態保存されているぞ今度その場所 に行った時には今まで以上に485系の ことをありがたく見られるような気がする よ今回はかつて大活躍した特急型電車を 紹介してきたけどどうだったかな厚生のウ だけじゃなくて特殊な装備を持っていたり 何十年も前の列車とは思えないくらい豪華 だったりどれも特急電車の歴史において 欠かすことのできない車両だってことを 理解したわ現在も保存されている車両も あるから今度見に行こうぜ是非行きたいは 視聴者の皆様も印象に残っていることが あれば是非コメント欄で教えてください当 チャンネルでは鉄道を始めとする交通の 話題を解説形式で分かりやすくまとめてい ます皆さんのチャンネル登録や高評価が 励みになりますそれじゃあご視聴 ありがとうございました

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19 comments

@user-ik3ec5xg3b March 24, 2024 - 11:02 am

こいつがボンネットだったのが

@user-bf6lc9hb6o March 24, 2024 - 11:05 am

485系や583系は、北海道から九州まで縦横無尽に活躍した。
交流機器撤去して、直流専用車183系に改造された車両もあった。

@user-bf6lc9hb6o March 24, 2024 - 11:08 am

東武鉄道1720系は、JRC認定ブルーリボン賞受賞車には、なれなかった。
1991年に100系スペーシアは、スーパービュー踊り子と争った結果ブルーリボン賞受賞車になった。
2024年は、N100系スペーシアXでブルーリボン賞争いに加わる。ライバルは、Osaka Metro中央線の400系。

@sahashi1650 March 24, 2024 - 11:12 am

583系は 武蔵野線などの「わくわくドリーム」を担当しましたね!京葉ホームの583系は既に183系の国鉄特急がいたので見慣れてはいましたが目を疑う光景でした。

@sug3366 March 24, 2024 - 11:24 am

583系は昭和のサラリーマンのように昼も夜も働いて最後の食パンまで働き抜いて本当に素晴らしい昭和の名車でした。

@user-gp3yu1ru5n March 24, 2024 - 11:44 am

やはり、東武のデラ。
浅草行の準急は、せんげん台でデラの通過待ちをよくしていたね。

@user-vv4hs3qh3n March 24, 2024 - 11:45 am

583系はまだ国鉄時代の1984年2月改正で山陽九州筋から完全撤退と案外早かったです。また583系登場の頃には東海道新幹線が既に開業していて東京発着の東海道筋には使用されなかった。意外かと思うかもしれないが同系の本領とも言える往路夜行復路昼行に当てはまる列車がなかった為と思われます。

@user-vm9no7fu2b March 24, 2024 - 11:55 am

583系は「ゆうづる」「 きたぐに」で乗った事が有ります きたぐに は 国鉄最後の日に乗車
大阪駅~新潟駅まで 自由席で 深夜 寝台引っ張り出して寝ていて 車掌に怒られたのは思い出!

@user-mm2zz6wl7v March 24, 2024 - 12:57 pm

419系のトップナンバーに乗れたのはいい思い出^^

@user-ko1xw2nm1e March 24, 2024 - 1:26 pm

583系初期の頃は、22時発車の下りはくつるで食堂車が営業していました。高度経済成長すごい

@user-vo3wm9xl6e March 24, 2024 - 1:34 pm

サンライズの寝台はのびのび座席以外は個室で通路は中央にあります。
窓側に通路があるのはのびのび座席だけです。

@user-je5wz2yc1s March 24, 2024 - 2:26 pm

座席💺転換の手法は、今後何かに応用出来そうな「二刀流」ですね😊。

@yaresouken2023 March 24, 2024 - 2:54 pm

583系の思い出は奥羽本線経由の夜行急行津軽ですね。東北新幹線開業後も活躍していた時期。国鉄民営化後にJR東日本が土日祝日用に出していたフリーパスで東北地域を乗り鉄していましたね。青森〜盛岡間の583系はつかり号も良かった。天井の高いグリーン車は今でも忘れられません。

@user-lz6vm6ns4p March 24, 2024 - 3:09 pm

485系、神奈川県では定期特急の運行は、なかったですよ。
つまり、「四国、神奈川県以外の日本全国」になりますね。

@user-em3kr6oy4n March 24, 2024 - 4:15 pm

東武のDRCは近くに住んでいたけと、結局乗れなかった。深夜にはマルチプルタイタンパーという保線用の車両もゆっくり運転され、けっこう騒音だった。

@user-ip2cw8ot6b March 25, 2024 - 12:53 am

東武は日光の観光開発にも注力していましたから、輸送するだけの小回りの利かない国鉄では負けてしまうのも仕方ありませんね

@Yoshin-Sashizume March 25, 2024 - 10:28 pm

祖父母に会いに九州に行く時に583系の寝台特急「はな」を利用したり、新幹線+在来線特急で帰省する時は「有明」で485系・583系どちらもお世話になりました。
583系の晩年は急行「きたぐに」、2009年のお盆休みには東北旅行で郡山~盛岡の臨時快速「夏休み東北縦断号」という列車に乗りました。
583系下段寝台の居心地は最高でした😂

@3-leggedcrow805 March 26, 2024 - 3:16 pm

昔はよく修学旅行で貸切列車で色々な所に行っていましたが今はもうないのかなぁ…😢

@user-mg4oo7mx3f March 28, 2024 - 6:23 am

魔理沙さん霊夢さんこんにちは!583系にはたしか急行銀河のトレインマークがありましたね!一時東京から大阪までの銀河に使用する予定があったようですがいつの間にか立ち消えになりました。その代わり急行きたぐにに使用され最初は12両でした。その前には急行立山に試用されて様子を見たみたいです。試用で書いたのは間違いではなく使用ではありません。最も立山は寝台使用時間が短すぎるので利用客は少なかったです。季節列車というのもあったかもしれません。きたぐににはわざわざサハネ581型を改造して開放A寝台にしました。間合い運用で急行庄内に使用していましたね!改造A寝台サロネ581型は普通車指定席だったと思います。

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