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2024年1月28日 神戸大石教会主日礼拝説教

by ANNAPOST



日本イエス・キリスト教団 神戸大石教会
2024年1月28日主日礼拝説教「三度目の苦難の予告」
聖書:マルコ10:32-34 新聖歌:270、337、387 交読:21

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次週予告「主イエスの模範」マルコ10:35-45 新聖歌:24、206、367

よくですね耳にタコができることていう ようなですね言葉をこう聞くことがあり ます耳にタコができるくらいていうですね 本当にそれは同じことを何度も何度もま こう聞かされる時にああもうその話は何度 も聞いてもう耳にタができるぐらい聞いて るっていうですねまそういうようなと言い 方をすることがあるわけですえこのなんと 言いましょうかそれほどお年でもないのに あるいはですねお酒が入っているわけでも ないのに同じことを繰り返しているその ような時には何かしら強い思いがある あるいはですね強い思いであったりとか あるいは何かしら意図があって何度もこの 繰り返して語るわけですねでそこにはどう いうことがあるのかその多くの場合は本当 にですねこの忘れて欲しくない忘れては いけないといや覚えていて欲しいこと理解 して欲しいこと悟って欲しいことそういう 事柄を何度も何度もですね繰り返して言う わけでありますすなわち本当に大切なこと を伝えたい時に私たちはうるさがられても その人が理解するまで悟るまで何度も言い たいというですね思いになるわけですねで そのようにして繰り返されるわけであり ますが大切なことを語られる時によく 前置きとして誠にあなた方に言いますと いうですねこの言葉から始められることが 多くありました誠にあなた方に言います誠 にアーメンですよねでその時にもう耳を こう皆さんこうやってですねあの向ける わけですねしっかりと聞きもらすなという に誠にあなた方にいますそのようにして 大切なことをこの伝えられたわけであり ますけれどももちろん大切な内容にも 関わらずこのような言い方をされなかった ところもあるわけですで今日のこの御言葉 の今日の本文ではですねイエス様が極苦難 ご自分の極苦難について語られたその時の ことが記されていますでこの時は誠に あなた方に言いますから始まっているわけ ではないんですねイエス様はご自分が苦難 を受けられる事柄については実はこの時 だけではなかったわけですね前にも見て まいりましたマルコの福音書で言いならば 8章の31節9章の31節そしてここ3度 目なんですね3度に渡りイエス様は弟子 たちにご自身が苦難を受けられるという ことを伝えてこられたわけでありますで 最初の2度に比べるとさきの2度に比べる と実は今回このところに書かれているのは もっと語られた内容が詳細なんですねここ ではえこの特に34節33節の終わりの方 では彼らは人の子を死刑に定めて死刑に 定められることそして34節では人の子を

あり唾をかけ鞭で打ち殺しますとまこの ですねえあけるとか唾をかけ鞭で打ちって いうのもこで初めてこのイエス様が語られ たわけですね詳細に語っておられそして その通りイエス様がそのような苦しみに 遭われていかれたわけでありますなぜ イエス様がこのようにして詳細にお語りに なったのか実はその時がいよいよ近づいて のであります32節を見ますとさて一向は エルサレムに登る途上にあったというその エルサレム エルサレムに登る途上でイエス様は弟子 たちに3度目の苦難の予告をされたわけ ですこのエルサレム途上とありますが最後 のエルサレム行だったんですね最後の エルサレム入場でしたイエス様は今回の エルサレム行きが最後になること今回の エルサレムに行を通してご自分が捉え られること苦しみを受けること十字架にけ られることをイエス様をよく知っておられ ましたイエス様のその真中ってどのような ものがあったんだろうかなと思うんですね もちろんイエス様はこのために神太郎方が 人としてこの地上に来られましたイエス様 の最大のご目的は私たちの罪の代わりに 身代わりとしてまた罪が私たちを救い出す ために十字にかかって死ぬということが イエス様のご目的でしたですからいよいよ その時が常治しようとしているそのような 時がその時が近づいているというその時の イエス様もう本当にもう覚悟もうそれを よく理解し覚悟なさっているそしてその イエス様のそのような決意を持たれた イエス様の中からきっとですね尋常では ないものからならぬ気配というものがです ねこのイエス様から醸し出されていたので はないかなっていう風に思うんですね そしてそれがためにイエス様に従っていく 弟子たちは驚きついていく人たちには人 たちは恐れを覚えた驚きや恐れを感じる ようなものをイエス様からこの受けたわけ ですねイエス様の姿から彼らは受けて受け たわけでありますそのようなイエス様の波 ならず決意と覚悟を持ってに向かっている 行くその途中においてイエス様は弟子たち を味そに呼んでそしてご自分にこれから もうもうすぐ間もなくご自分に怒ろうとし ていることをイエス様はここに詳細に渡っ て弟子たちに語られたわけでありますなぜ イエス様は3度も伝えられたんだろうか 3度も語られたんだろうかもちろんその 内容が重要であったっていうことは当然で ありますけれども他にも理由があったので はないかなと思うのでありますイエス様は どのような理由を持って3とも語られたん

だろう か1つは弟子たちはこの時にこの後に及ん でもと言いましょうか名を悟っていなかっ たっていうことも理由ではないでしょうか 弟子たちはもう2度も伝えられ聞いてきた でもまだまだ彼らは悟っていないイエス様 の苦難の横2度に渡って聞いてはいたでも 面通りに彼らは受け止めていなかったん ですね2度目にこの1回目の時ですね1回 目の時マルコの8章の30え1節のところ に8章の31節でイエス様が1回目の苦難 の予告をなさいましたここで自分は捨て られ殺されでも蘇るんだということを伝え られます でもその後どうであったか32節を見ると イエス様がはっきりとこのことを話された するとペテロはイエスを脇に連れしていめ 始めたまイエス様にその後叱られたわけ ですねイエス様は脇にお連れしていめ始め たいやここで何を言ったのかと言うとその 時の内容はマタイによる印書 の章ですね16章のえこの22節にその時 いめ始めたその言葉の内容はどんな風に 言ったのかっていうのが伝の16章の22 節に書かれていますここでペテロはイエス を脇にお連れしていめ始めた主よとんでも ないことですそんなことがあなたに起こる はずがありませんイエス様が自分が苦しみ を受けて殺されるそして蘇 るっていうことを伝えたのにペテロはいや とんでもないそんなことがあなたに起こる はずないじゃないですかどうしてあなたは そんな風におっしゃるんですかとまそんな ことをペテロは思ってイエス様に言った わけであり ますとんでもないとんでもないこのですね この前に直前にこのペテロはイエス様から 褒められるような信仰告白をしてるんです ねあなたは生ける神のキリストですマルコ の方でもキリストですとことが彼が言った ことが書かれておますペテロはめ弟子たち はイエス様がメシアであること救い主で あることキリストであることを信じてはい ましたしかし彼らはそのメシアだと考えて はいたのですけれども彼らのメシア感 イエス様をメシアキリストと考えていたん だけれどもどのように考えていたかって いうとこのイエス様がやがてとして大いに 疲れるそして私たちをこの国をローマから ローマの支配から救い出してくださる彼ら はそのようにこの考えていたのであります そして先週にもちょっと触れましたけれど もこれはですねこのヤコブやヤコブと ヨハネのことがこの後ですねえ書かれてい て先週も触れましたけれどももうイエス様

が応援につかれたら自分たちを大臣臣にし てほしいと願い出たことが書かれていて それを他の弟子たちが知った時に他の弟子 たちもそのことで分解したってことがここ 書かれているわけですねこの後にそれを 見る時にこの弟子たち皆はイエス様が大い に疲れたら自分たちみんなが自分がイエス 様にこの長与されるいや与してもらえるに 違いないっていうような淡い期待と言い ましょうかそのような願いを彼らは心の中 に持っていたのであり ます彼らのメシア官っていうのは実は 正しいメシア官ではなかったんですね イザヤ所の53章にクナの下部についての 予言が書かれています彼らはそのイヤ所の クナの下部の予言も耳に何度かこの聖書を この聞いたでありましょうしかし彼らの目 の前にいるイエス様をメシアと信じてはい たでも苦難の下としてそのイエス様を捉え ていなかったんですね彼らが捉えていたの はやがて大いに疲れるキリストという風に 捉えていたのでありますすなわち彼らが 捉えていたキリスト像というのは実は やがて聖書はイエス様がさき主として世の 終わりにさき主として当事者として支配者 として王の王主の主としてやがて再び来 られるというですねそのことが予言されて いるわけです旧約の中でもですねそのよう に来られるということがまあこう書かれて いたりするわけです彼らはそのイエス様の 苦難の部分を飛ばして今目の前に いらっしゃるイエス様がこの再臨のイエス 様とま同一と言いましょうかもうそこに 行ってたわけですね感動していたわけです この時のイエス様は書林のイエス様書人 って初めて臨在するという処理ですけれど も最初イエス様が処理のイエス様は人とし て来られた処理のイエス様は人間の罪の あないをするために苦しみを受け十字架に つけられて死なれるっていうことが処理の イエス様のお姿でしたそして蘇ること そして再臨のイエス様は王の王として来 られるそして弟子たちがイエス様を キリストとして信じたのは良いのです けれども王の王になられるという すっ飛ばして底に行ってたわけですね そして彼らは自分たちも本当にそのイエス 様大いに疲れるイエス様の元で自分たちは 高い地につくんだとまそのような思いを 持っていたわけであり ます弟子たちはイエス様が語られたこの 苦難の予言そしてまたその苦難の予言は彼 らにとっては受け入れがたいことだった わけですそして蘇るということを おっしゃっているにもかわらず蘇りがある

なんて信じられない実際の地にペテロと ヨハネはですねこの女性たちがイエス様蘇 られた墓お墓にいなかったっていうこと 告げられてもまたごを言ってるという風に 彼らが捉えたっていうことが聖書に書かれ ています彼らにはイエス様の蘇り市人の 蘇りというのは信じられなかっただから イエス様が3日の後に蘇るとおっしゃって もその言葉を全然聞いているで聞いてない んですね入ってもそのまま抜けていたわけ でありますそしてイエス様が苦しみを受け て殺されるということはもう彼らにとって は受け入れらがたいことだったわけです 私たちの主であるお方が死であるお方が 捉えられて殺される私たちの前からいなく なるっていうことそれは彼らに大きな 悲しみをもたらすものであり大きな不安や 恐れや痛みをもたらすものでしただから イエス様のこの苦難の予告を彼らは本当に 心に受け入れることができなかったわけで ありますですからそれをですねもうイエス 様のそのようなお言葉を無視してそして イエス様が応援につかれたならっていう ですねその間違った方向に心を向けていた のであり ますイエス様の苦難の予告を本当に学名 通り受け止めることができなかった 受け入れることができなかった弟子たちで ありましたそしてイエス様がその故に何度 も何度もお語りになられたでも私たちも 同じような失敗と言いましょうか私たちも 同じようなところがあるのではない でしょうか私たちも聖書を読んでいく時に 自分の心に喜びを与える慰めを与える 励ましを与える力を与えるそういうお言葉 は喜んで受け入れますああ嬉しい感謝だ 受け入れますけれどもそうではなくって その反対のお言葉に対しては私たちも耳を 塞いでしまう読んでも無視してしまうって いうことがあるのではない でしょう神様のお言葉は時に私たちに罪を 示すことがありますそしてまた私たちの心 の愛を深いところ探って取り扱うとする こともありますあるいはこの神様のお言葉 は私たちが願ってない方に私たちを導こう としているそのような御言葉に出会うって いうこともありますそのような時に私たち はこの弟子たちのように聞いたけど読んだ けれども見なかったことにする聞いた けれども聞かなかったことにするいやもう イエス様いいですこのお言葉は結構ですと まあ拒否してしまうというようなそういう ことがあるのではないでしょうか私たちの うにある肉的な思いがたちのその肉が喜ば ないお言葉を拒絶しようとするということ

があるのではないかと思うのであります けれども神様のお言葉は私たちに罪を示し 私たちの深いところを取り扱ってどう しようとしているのか私たちをただ 苦しめるためにそういう耳障りの良くない お言葉を私たちにそのお言葉を持って 私たちに問いかけてくるのかそうじゃない んですねそらの言葉を通して私たちを深く 探って私たちを罪から離れさせ清めそして 私たちを神の子として本当にふさわしく 整え神様との親しい交わりの中に至ら せようとして御言葉は私たちに聞きたく ない嫌ほしくないと思うような御言葉に 私たちを導くということがあるわけですね そして私たちをい望んでいない方向に 導こうとされる御言葉はいや神様私は こちらに行きたいんですと思うようなこと があるかもしれないけれども神様のお言葉 は最終的には私たちに恵みを与えようと するものであること私たちを祝福するため のものであることそのことを私たちは心に 思いておきたいと思うのです私たちがその 時に拒絶したとしても後々に同じ御言葉 同じようなお言葉が私たちを追いかけて くるということがあるわけですね神様は 本当に深く私たちがなお御心に叶わない ところがあるならば深く掘り下げてそこを 探って変えようとしてくださいそして イエス様の姿に作り変えようとして くださるそしてもっともっと神様の 素晴らしさをそして神様が私たちに 与えようとしているものがいかに 素晴らしいものであるかそのことに対して も目を開かせようとしておられる私たちは 一時的なそのような苦しみ一時的な痛みを 与えるっていうことを拒んでその後ろに ある様々な恵みを拒絶するというような 誤ちを犯すことがないようにしたいもので あります私たちにとって本当にそのような お言葉であったとしても精霊様の助けを いただきながら悟らしていただいてそして 私たちは死のお言葉を学名通りに受け止め て受け入れてそしてに従っていくそのよう なもので表していただきたいもの ですそしてこの彼らが名を悟っていなかっ たというですねもう3回目の時もそうでし たね3度目を語られた主がヤコブとヨハネ の出来事があったわけです本当に結局は肉 人間的なこの精霊様の助けがなければ人間 はなかなか悟りえないものだなていうこと をも教えられるわけですま悟れないという ことがイエス様が何度も語られたその理由 であったであろうと思われるんですかもう 1つは近づいているイエス様の極苦難に 対して弟子たちに弟子たちの心を備える

ためであったということもできるのでは ないでしょうか弟子たちの心備えの ため彼らは本当にイエス様の3度国難の 予告をされましたけれどもなおも彼らは 悟ることができなかったわけですね心備を 与えようとされましたけれども彼らはなお もそれが十分に届いていなかっただから こそ彼らはゲッセマネのそでイエス様が 捉えられた時に一目さに逃げ出したわけ ですね自分にも危害がこのですね及ぶかも しれないいやいやとんでもないことだ 逃げ出してしまったそしてでもイエス様が 気になって後をつけていったペテロそして でイエス様がもう入っていた盾も外で日に 当たっているとあなたはあの人と一緒にい ましたねと3度もですね女中から言われた 時女性から言われた時にイエス様を否定し たいやとんでもない私はそんな人じゃない というですね違う違うと否定してしまった わけでありますやがて彼は本当にそのこと の故にもう号泣しそしておそらく自己兼用 に陥ってしまったのではないかなと思うの です彼らは本当にこう失敗した彼らであり ましたけれどもでもおそらくその失敗を 通してイエス様が語られたそのお言葉その 通りになったということでイエス様が語ら れた3度に渡って語られたお言葉を通して イエス様がキリストであられたっていう こと救い主してあられたというその隠しを イエス様が語られたお言葉によって彼らは また得ることができたのではないかと思う んです 彼らの心はイエス様が3度語られてもなお この備えられなかったということは人間の 心がいかに鈍くていかにこのですね硬い ものであるか高くなものであるかっていう ことを教えられるわけでありますでも イエス様を信じていく時また聖霊様が働い てくださる時に神様はお言葉を通して 私たちの心を備えてくださるんだなという ことですね思うん です私たちがではどのような心を私たちは これからに時代今生きる私たちどのような 心備を神様は御言葉を通して私たちのうち に与えようとしていらっしゃるんだろう かっていうことについても考えていきたい と思うのです2000年前に成就した有言 のお言葉も数多くありますイエス様に関し て成就たくさんの事柄が成就しました けれども今なお旧約の予言の中で成就して いない事柄もありますそしてまたこの新薬 聖書の中に記されているイエス様が語られ た世の終わりについてのこの予言のお言葉 お言葉そしてヨハネに掲示された目視録の 内容そういった事柄の多くが今なお実現し

ていないこれからの地に成就しようとして いる事柄そういう事柄が数多くあるんです ね私たちにとってイエス様の再臨は 喜ばしいことですうわイエス様早く来て くださいあイエス様早くまた死を来りま せって私たちは特にこの地上で苦しみに 合ってる時にそう思うでありましょう けれどもこの目録を読む時に世の終わりの 様々な出来事に目を向けていく時にいや そこはちょっと通りたくないなっていう ような事柄もあるわけであり ますでも私たちは本当に神の御言葉を えり好みしていいとりをするのではなくっ て本当になお将来についての聖書のお言葉 イエス様の語られたお言葉それらのものを ですね全てに心を止めてって私たちは やがての日に備えさせていただきたいもの であります 第2ペテロの1章の19節にこういうお 言葉があり ます第2ペテロの1章の19節え後ろの方 の474ページであり ますここにこのようなお言葉がありますお 読みしますまた私たちはさらに確かな予言 の御言葉を持っています世が開けて明けの 明城があなた方の心に登るまでは暗い ところを照らすとしとしてそれに目を止め ているとうのですというお言葉があります ここにこの明けの明があなた方の心に登る までは暗いところを照らす灯しとしてこの 予言の御言葉に目を止めているとよいと あるんですがこれはイエス様がやがて再び おいでになるその再臨の前 暗いところ今まだ再臨前の様々なもすでに ペテロのこのは迫害が起こっていました けれどもそのような時代を生きる クリスチャンたちに今この時代に予言の 御言葉を予言にしっかりと目を飛べてい たらいいんだよと予言の御言葉をしっかり と握っていなさいとまここで進めている わけです私たちも聖書の中にあるこれから やがて怒ろうとする予言の御言葉を私たち もしっかりりと握ってそしてその日がいつ 来たとしても灯しびとして私たちに希望を 与えるお言葉として私たちは握りそして また心を備えていきたいと思うのです将来 のその日を前にして私たちはさらに心を 備えていきたそしてまたそれだけではない んです ね私たちはこの地上においても今私たちが 恵の時代に生かされてそして今日本におい てクリスチャンだからといって迫害される ことはないですけれども私たちが天に移さ れるその日まで私たちは1度も迫害される ことなく苦しクリスチャンとして苦しみに

会うことなくこの地上の生涯を送ることが できるかどうかそれは私たちには分から ないわけですね今後もしかして大きな変化 があってそういうようなことが起こって くるかもしれない世界の女性や国のも政治 って言いましょうか正義がですね守られな いって言いましょうかそういうような時代 に来ている私たちこの世界がどうなるか 全くわからないわけですでも私たちはこの 時代に生きている私たちもまた覚悟して おく必要があろうかと思うのですがえ マタイによる福音書の10章を見たいと 思いますマタイによる福音書の10章のえ この10章のところはですねえイエス様が 12弟子たちをこのこれから2人ずつ色々 な権威をこのですねお与えになって使わそ としたその時におっしゃったお言葉であり ますがその当時いよいよイエス様から まちまち村村に使わされようとしている 弟子たちに語られたお言葉であるとともに 今を生きる私たちにもまた有効なまた語ら れているお言葉であるっていうことを覚え たいと思うんですね10章章の17節 に人々には用人しなさい彼らはあなた方を 地方法院に引き渡し街道で鞭打ちますまた あなた方は私のために相徳たちや王たちの 前に連れて行かれ彼らと法人に証しをする ことになりますまこの辺りはあのかつての え第2次世界対戦中に本当にこういうこと も起こりましたそしてまた この後22節にまた私の名のために あなた方は全ての人に憎まれますしかし 最後まで耐え忍ぶ人は救われますまた23 節でも迫害という言葉が出てきますこの ように当時の弟子たちだけではなくって それ以降のイエス様が天に帰って行かれて そしてその後ペンテコステが下ったその後 の弟子たちによる選挙の働きがなされて いった そして迫害が起こっていったこのイエス様 がこの時語られたお言葉はよよに至るまで ずっとこの全てのイエス様を信じる人々に 対して語られているまた有効なお言葉で あることを私たちは覚えておきたいと思う のです私たちもいつ迫害されるか分から ないそしてイエス様は24節で弟子は死 以上のものでなくも主人以上のものでは ありませんすなわちこのやがてイエス様が 苦しみを受け十字架につけられるイエス様 が迫害された迫害されたそしてそのイエス 様に従っていく人々弟子たちも死である イエス様と同じような迫害同じような 苦しみを受けることを覚悟しておかなきゃ いけないっていうことであり ます私たちはイエス様を

信じるものとして今はこのような苦しみが ないとしてもずっとこの状態が続くかどう かは保証はないわけです私たちはそのよう な状況の中に陥った時にいや神様そんな はずではなかったのではないですかと そしてもう恐れをなして信仰を捨てるとか ではなくっていや自分が迫害されるのは 本当にイエス様を信じているからだ救われ ているから当然なんだとそのような捉え方 をして私たちはここにあるようにイエス様 がおっしゃったように最後まで耐しぶ人は 救われます絶しのんでいくお互いであり たいと思うの です私たちはこの覚悟が必要であるという です ね私たちもイエス様と同じような十字架の 道というものがある苦難があるんだという ことでありますけれどもけれども十字架の 道というようなこの苦しみに合わせられる ようなことがあったとしても私たちはこの 地上におけるこの十字架の道が天における 豊かなこの祝福に至る道なんだっていう ことをですね覚えておきたいと思いますし またその先天に備えてくださってるこの 祝福にですね目を止めながら私たちはこの イエス様が歩んでいかれた十字架の道を 私たちも歩んでいくことをもう1度ですね 覚悟したいと思うのであります主に従う ものとして心が備えられているかどうか今 一度私たちは自分の心を探り確認したいな という風に思うのですそしてイエス様が 3度に渡って苦難を予言したことそれは 弟子たちにとっては聞きたくないことだっ たでありましょうしかしそののお言葉を 通してイエス様は本当にえ大切なこと彼ら に悟ってほしいそうなんだあなた方が私に 従うっていうことはこのような道もあるん だということを彼をしてほしいとまイエス 様のそのような深いお心があったという ことを心に超えつつ私たちもそのことを しっかりと捉えさせていただきたいそして 癒しの後に従っていきたいものであります

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