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アーカイブ【あさ5時30分~ライブ配信】2024年1月17日「阪神淡路大震災1.17のつどい」

by ANNAPOST



【チャプター】
00:00 まもなく配信
39:11 オープニング追悼メッセージ
40:10 タイトル 橋本アナ・村上アナ
43:27 1.17希望の架け橋 藤原祐弥さんインタビュー
54:30 黙とう
57:46 ご遺族 鈴木佑一さん 追悼のことば(兵庫区で当時44歳の母を亡くす)
1:11:35 久元喜造 神戸市長 のことば
1:14:00 坊恭寿 神戸市議会 議長のことば
1:16:46 宮城県名取市閖上地区 長沼俊幸さん インタビュー

6434人の尊い命が奪われた阪神淡路大震災から、まもなく29年を迎えます。

午前5時30分からは「1.17のつどい」の模様を、神戸市中央区・東遊園地から生中継します。
2024年1月17日(火) 午前5時30分~6時15分

<進行>
橋本航介(サンテレビアナウンサー)
村上文香(フリーアナウンサー)

●サンテレビ防災啓発プロジェクトについて
震災を知らない世代の教員や児童・生徒たちに震災教育として対象番組を録画したDVDや、サンテレビ公式YouTubeチャンネルでのアーカイブ配信を使用する際の申請手続きを不要とします。(2025年1月17日まで)

使用後は番組のご意見ご感想を以下からお寄せください。

バトン1.17 サンテレビ防災啓発プロジェクト

サンテレビはこの活動を通して、SDGsの目標のひとつである「住み続けられる安全なまちづくり」を目指し、防災・減災に放送分野以外でも取組んでいきます。

【制作著作】サンテレビ
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<放送時間>
平日11時55分、15時00分、17時30分(キャッチ+後半)、21時24分
土曜13時00分、17時30分、21時24分
日曜18時00分(ニュースSUNデー)
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#サンテレビニュース #阪神淡路大震災 #防災

[音楽] ます 2024年1月17日午前5時30分を 過ぎまし た手元の温度計で気温は0度風はほとんど ありませんが足の指先が非常に冷たいと いう神戸三宮 です阪時代震災が発生してから間もなく丸 29年を迎え ます今年も震災で亡くなられた方々を追悼 する1.17の集いが神戸市役所南側東 遊園地で行われてい ます会場では昨日の午後5時に希望の 明かりの分島が行われ先ほど午前5時に井 の文頭が行われまし たこ地は2021年からおよそ1年半を かけて再整備が行われ去年4月に利用が 再開されました29年前被災された方々が 見を寄せあったこの場所も次の時代そして また次の時代へと変化を続けてい ますそれでもあの日の出来事を忘れること なく生に伝えていきたいという人々の思い はどれだけ時が立っても変わることはあり ませ ん会場では竹上路に火が灯されてい ます今年はその灯で共にの文字が形づくら れてい ます竹東路上東路で並べられた 1995共に 1.17この文字は工により選ばれたで共 にという言葉には去年2月のトルコシア 自身そして今月1日に発生した野半島自身 の被災者に向け1人ではない共に 助け合う寄り添い 続けるそうした思いとともに世代を超えて 阪神淡路大震災を共に語り継いでいくと いう願いが込められてい ます 東遊園地の南にある関西電力兵庫者のビル では今年も窓の明りを使って1.17の 文字を浮かび上がらせてい ます1995年1月17日に思いをはせ 当たり前の日常に感謝する誰もがその 気持ちを新たにする日ではないでしょうか 阪神淡路大震災では 6432人もの尊い命が犠牲になりまし た東園地の南側には震災で亡くなった方 などの名前を刻んだ慰霊と復興の モニュメントがあり ます訪れた人たちが花をたけ地下にある 瞑想空間へと向かってい ます空間には震災で犠牲になった人の他 復興に貢献した人など5047人の名前が 刻まれてい ます去年12月には西宮市で東海した自宅

の下敷きとなり義の両親をなくした女性や この追悼行事1.17のいを主催する NPO法人 1.17明りの元理の男性など新たに12 人の名前が刻まれまし た震災から29年という月日が立ちあの日 の記憶をどのように構成に伝えていくかが 課題となってい ます経験していなくても当時のことを学び 伝えていくことができるそうした思いで語 活動に取り組む 希望の橋という若者たがい ますこっからは団体の代表で21歳の藤原 優さんにお話を伺いたいと思います藤原 さんよろしくお願いいたしますよろしくお 願いします震災から29年が経ちました 当時を経験していない藤原さんですが今日 の日を迎えたことどのように感じますか はいえまず29年前にった阪さからえま 今日で29年え経ちますけどまとりあえず え今日この日を迎えれたことすごい感謝し てい ます1.17希望の掛け橋この団体がま できていく流れというのはどうだったん ですかはいえ僕自身舞子高校の環境防災化 というところにいてえ高校卒業後あのこの 1.17の都の自己委員長とえ知り合い ましてえその事故委員長の方からあの団体 を作ってみたらといういうことで団体を 作らせていただきましたその中で現在は どれぐらいの人数でまたあの普段はどんな 活動されてるんですかはいえ現在は全員で 52名入っていただいておりますえ普段え この1.17の集いの準備や運営活動また えこの集い会場とえ神戸ルミナリエでのえ 語り活動聞き取り活動またあの小学校中 学校高校でのあの語り部活動もさせて いただいておりますその語り部活動です けれども藤原さんご自身もえ阪神は時代 震災は経験していないという世代として また語っていくことの難しさっていうのは 感じますかはいえその難しさっていうのは あの団体立ち上げた当初はあったんです けれどもあの震災を経験された方からの 温かい言葉をいただくことによってえその 葛藤というのはどんどん消えていきまし た今日のこの1.17の集いにも団体とし て協力されているときましたどのような 活動をされているんでしょうかはいえこの 1.17の集いではえ共にという文字が 上トロでできておりますえその神登路を 私たちの団体で集めさせていただきまし た震災を経験していない同じ世代の皆さん は震災についてどのように感じていると 感じますかはいえ私自身あの小学生の頃

から防災教育震災教育を受けてきた中で今 この活動があるのでやっぱりあの震災に ついては人言ではない部分があると思い ますなのでえまその若い子たちをえこれ からも巻き込んでいってえこれから先も 語りべ活動え続けていきたいなと思います その幼い時から震災教育を受けてきた世代 だからこそ伝えられると感じることあり ますかはいえ今まで語り部活動を行う中で あの若い世代の方に私たちがあの伝えて いく中ですごいあのお同じ世代の方だから あの耳に入ってきやすかったという言葉を いいたのでそこに私たちが語る意義って いうのがあるんじゃないのかなと思います はい希望の掛橋のメンバーの皆さんが野 半島自身の被災地に対して募金活動をした と聞きましたそれはどのような活動された んですかはいえ先日あの神戸の三宮の センター街の入口付近でえ野半島の地震に 向けて私たちが募金活動させていただき ましたえ距離は離れていてもあのま同じ 被災一同士ということでえまできるだけ 私たちの思いを届けたいなと思って企画さ せていただきました今日で震災から29年 となりました1.17希望の掛け橋の代表 として藤浦さんはどのような思いで活動を 続けたいと思いますかはいえ今日で29年 でまた来年で30年えこれから先も40年 50年と続いていけるようにえこの明りを 私たちが決してしまわないようにこれから 先も息の長い活動をしていきたいなと思っ ております寒い中貴重なお話ありがとう ございましたありがとうございまし た まもなく震災発生の午前5時46分を 迎えようとしてい ますここ東園地の南側には希望の明りが 設置されてい ます希望の明りは2001年1月17 日震災で学んだ支えの大を伝えようと兵庫 県内の被災地と全国から火を集め灯され まし た会場ではこの希望の明りから分島された 日が辺りを静かに照らしてい ますこの後東遊園地では神戸市の追の集い が行われ ますもなく 阪大 戸長震災で当時44歳だった母親をくされ た遺族代表の鈴木一さがの前でを捧げ ます今ま災して避難生活をっている方々の により添い にてが込められた文字ですあれから29年 の時を経て今日のこの日をこうして皆様と 共に迎えることができましたここで皆様に

お願いがございます皆様に灯していただい た討RAの文字を全国の方々にカメラを 通してご覧いただくため東路のお近の方は 少し灯ろから離れてしゃがんでいただき ますようご協力をお願いいたします 天下用のロソをお持ちの方はローソの火を 消してしゃがんでいただきますようご協力 をお願いいたし ます 会場内大変混雑しています東路のお近くに いらっしゃいます方は少し離れてしゃがん でいただきますようご協力をお願いいたし ます 午前5時46分になりまし 皆様とに黙祷を捧げたいと思います黙祷は 藤本新一実行委員長が行い ます 場 願 し 1995年1月17日午前5時46 分阪神淡路大 震災震災が奪ったもの命 仕事 団欒 街並み 思い出たった1秒先が余地できない人間の 限界震災が残してくれた もの優しさ 思いやり 絆 仲間この明りは奪われた全ての命 とた私たちの思いを結び つぐ午前5時45分30秒をお知らせし ます午前5時45分40秒をお知らせし ます午前5時45分50秒をお知らせし ます午前5時46分ちょうどお知らせし ます 北斗 ます お直り [音楽] ください それではご遺族の鈴木雄一さんより追悼の お言葉を頂戴いたします鈴木さんお願い いたします時代震災の発生から20 えまず今ここにお集まりの皆さんえ今皆 さんにとって本当に大切な時間だと思い ますえその時間を本当に少しだけえお借り してえお話しさせていただきます よろしくお願いしますえまず1月1日えの 地震で亡くなられた方々にえ心からご明服 をお祈りいたし ます私の挨拶を始めさしていただき ます

え震災の日5歳の私と母と兄の3人は2階 建ての神戸星子料の建物の1階で生活して いました地震で建物が投壊して私は生き夢 になっており知らない人たちが私を 助け出してくれましたそして知らない女性 の方がこの靴を履いてと靴を渡してくれ まし た母はその時すでに死んでおり兄は無事 でし た震災 を私と兄 は父の元に引き取られたのです が私だけ が施設に預けられまし たその日 から私と家族の時計の針は止まりまし たえ施設で過ごしている間父からの連絡が あったのですがえま金銭を私に要求するの で設長の金子理事長が私のことをえ父から 遠ざけて守ってくれていまし た私 が18歳になる頃父は家で孤独ししてい まし た父とはほとんど会をすることはありませ んでし たすいません えその後兄とはえ連絡がほとんど取って おらず 高校卒業後え金子理事長の進めもあり大学 に進学しまし たその頃の私はすでに自分の中で家族との 繋がりを切っており私の心は何も感じなく なっていまし たそれは私がこれからの人生を自分1人の 力で生きていかなければいけないと 気づきそう決めたから です当時の私はとても怖かった です1人でこのまま人生が終わっていく ような気がしてそうはなりたくない怖さが 私の唯一のエネルギーでし た生きるためではなく死にたくないから 勉強をするトレーニングをするバイトを するそんな前にでした自分で手にする何か をがむしゃら に探していましたそうでないと不安で眠れ ないような毎日でしたそんな毎日を過ごし ていくうちに私は当時母子料の職員であっ た岡本先生から母の片と手紙を受け取り まし た手紙には震災の後に私と父と話して しまってごめんなさいと書かれていまし た母がよく私を膝の上に抱っこしていて私 はこの子がいるから大丈夫とよく言って くれていたと書いていまし た

そしてすいませ ん寂しい時は鏡を見て笑ってご覧 ゆうちゃんの顔はお母さんにそっくりだよ と書かれていまし たこの時私は初めて母に愛されていたのだ と実感できまし た私はその当時岡本先生に会うことができ ませんでしたかかに先生の記憶を覚えて おりすごく自分にとっていい方だと感じて いたのですがどうしても自分の中で会う ことできなかったのです当時の私は生きる ためだけに必死で誰も私の心の中に入る ことはできなかったの です大学では自分の音質となる先生と 出会い息子のように面倒を見ていただき ました社会に出てからも仕事の息を超えて 相談できる人たちも増え本当に助けて いただきました私はな経験を経て初めて 困った時に人に素直に頼ることができまし た困った時に助けてほしいと素直に 言えるこのことが私が人に感謝をする きっかけになりまし た自分が助けていただいたからこそ人が 困った時に何かをしてあげたいと本当に 素直に思えるようになったのですこのよう な人間関係が本当に自分にとって大切だと 思い始めてきまし たそして私は3年前岡本先生から私に会い たいと手紙をいただきましたその時私は 岡本先生から今まで私のことを心配して もらっていることに初めて気がつきました そして心から岡本先生に会いたいと思い ました先生と再開すると本当に自分のこと を心配してくれており自分にとって大切な 方だと実感できましたそして震災当時自分 が住んでいた地域のことを教えてくれまし た私は自分の家族のルーツを探し始めまし たその途中でも多くの方々と出会いがあり 初めて自分の親戚に会うことができました 親戚に私にはもう1人のイフの兄がいると 知らされまし たもう1人のイフの兄とも会いまし た井の兄は私の母のお墓に連れて行って くれまし た岡本先生はずっと私の実ののも心配して くれており兄のことについても話をして くれました兄は私に今まで何もしてあげ られなかったことに対して責任を責任を 感じており今更どのような顔をして会えば いいかわからないと自分 は兄として私に会う資格がないと泣き ながら岡本先生に電話をしたそう です私は人に感謝をすることを感じて生活 していくうちに震災があって兄が苦労した ことも自然と分かるようになってきまし

た兄も実の母を なくし悲しい中あまり育児が得意でない父 と一緒に暮らしていて苦労し当たり前だっ たと思うようになりまし たそんな中でも私に対して責任をずっと 感じて今まで生きてきたのだと思いました 私は兄に会いたいと思いましたそれは兄に 幸せで生きていってほしいと伝えたいから です私に何もできなかったことを食いて 生きてしくはない胸を張って幸せに生きて ほしいこれは私からしか兄に伝えることが できないと思いました私は兄の居場所を 探し始めまし たそして多くの方の情報提供のおかげで兄 の居場所が分かりました私は兄に会いに 行く前に金子事長に相談しました金理事長 は言いました自分の中で抜けている家族の 時間を埋めることはこれからの自分の人生 を豊かにして くれる今の自分なら困った時に頼れる人も いるから自信を持って会いに行ってき なさいとこの言葉に本当に励まされまし た私は11月末頃に兄と再開しました 私が兄に伝えたかったメッセージを伝える ことができまし た兄は会いに来てくれて本当にありがとう と言ってくれました兄はとても優しく責任 感の強い方でし た今日1月17日私は初めて兄と一緒に母 の墓参りに行き ます29年 前とま止まった私の家族の時間が今日 やっと動き始め ますここまで私が生きてこられたのは本当 に多くの方に支えられおになったからです 今まで29年間私を見守ってくれた神戸 実業学院の金子理事長をはめ職員の方々 先輩や後輩本当にありがとうござい ます今まで私と兄のことを心配してくれた 岡本先生本当にありがとうござい ますを息子のように可愛がりお世になった 茂野先生ありがとうござい ます私の兄を住所を探すのにご協力 いただいた戸川社長ありがとうござい ますその他にも本当にここで名前をあげる ことはできませんが本当にたくさんの多く の方にお世話になりまし たよく聞かれることがありますあの時震災 がなかったらどうなっていたかと私は震災 で大切な母を失いましたしかし震災の後に 多くの素晴らしい方々に出会い本当に支え て来られてきたことも事実です私は今の 自分がすごく好きですそれは自分の人生で 何が大切かを本当に心から感じることが できているからです周りに支えてくれる人

たちがいるそしてその人たちに感謝をして 何か少しでも恩返しをしていく私にできる ことは何か自分が経験した震災のことを 伝えて1人でも誰かの役に立てたらと思い 今日この場に立たせていただきました皆 さんこのお寒い中本当に私のお話を聞いて いただきありがとうございまし [拍手] た鈴木さんありがとうございまし た続きまして久本貴神戸市長より一言 申し上げ ます阪神淡路大戦祭から29年を迎えた 今年の 石川県半島で最大震度7の大地震が発生し ました地震により亡くなられた方々に心 より愛の意を表しますとともに被災された 方々にお見舞いを申し上げます神戸氏とし て阪神淡路大震災の経験や脳波を生かし 全力で支援活動を展開してまいり ます阪神淡路震災から29年の歳月が流れ ました改めて震災により亡くなられた方々 に心より愛刀の意を表し ます歳月が流れえ震災を経験していない 市民が増えていく中震災から得られた経験 や教訓を風化させることなく次の世代に 継承していくことが求められています神戸 市は市民の皆様の覚を得て被災地への支援 を行いながら震災の記憶を伝えていき ます震災の時私たちは国内外から多くの 支援をいただき市民の力で復興を果たす ことができましたその感謝の気持ちを 忘れることなく防災減災健康安全などの 分野で他の都や地域に貢献する都であり 続けますそして進化しけるテクノロジーも 有効に活用し災害に強い強靭な土作りを 進めてまいります最後になりましたが今日 の集いに参加いただきました全ての皆様に 感謝を申し上げ水藤の言葉といたし ます久本市長ありがとうございました 続きまして某安永神戸市会議長より一言 申し上げ ます阪淡路大震災によりお亡くなりになら れた方々に心より愛の意を捧げますまた 先日発生をいたしました 半島によりになられました方々のご明服を お祈り申し上げますととに災された方々に お見舞いを申し上げ ます29年前にこの町を襲った阪神淡路大 震災は町を破壊し多くの人が犠牲になり ました夢や希望が奪われ町全体が悲深い 悲しみに包まれました がたは歴の中から立ち上がり一歩ずつ前に 進んでいくことを誓いましたその中で 私たちは改めて人と人の絆の大切さを学び まし

た今野半島中心とした北陸の地にも私たち がかつて経験したような悲しに包まれて いる人がいます残念ながら大と いうなの力から私たちは逃れることはでき ませ んしかし大震災を経験した私たちはその 経験を石として災した人々に寄り添い絆を 結びながらしっかりと支えていくことが できます北陸の復興のため私たちは共に前 を向いて進んでいきたいと思い ます今年は震災から30年ととなる節目に なります私たちは神戸の町を震災で犠牲に なった方々も安心していただけるまで復興 させることができましたこれからは震災を 知らない世代の人たちが神戸の未来を想像 していく時代であります東道が作り出す 言葉のように夢や希望に溢れる神戸の町を 若い人たちと共に作っていきたいと思い ます 犠牲になった方々の見た見たの安らかなら んことをお祈り申し上げ追悼の言葉と いたし ますありがとうございましたこの後はお 集まりの皆様それぞれのに水のいが取り 行われました阪神淡路大震災から今日で 29年神戸の町から全のへそして次の災害 への備えとして何を伝えていけるか思いを 寄せる日ではないでしょう か今年東道で形作られた文字は共にです この言葉は被災地神戸から全国の被災地に 共に寄り添うという意味も込められてい ます神戸の町は震災から29年の中で 東日本大震災や熊本地震各地の豪雨災害の 被災地と交流を続けてきまし た今日は2011年の東日本大震災で甚大 な被害を受けた宮城県名取市売上地区の 復興に尽力してきました長沼俊行さんにお 話を伺いますおはようございますおはよう ございます長妻さんは売り上げに住まわれ ながらですね毎年この1.1のねはいええ はい今年はどん思いで迎えられましたか あのやっぱり今年はですねあの正月に 先ほどからも話ありましたけども石川の方 で大きな地震がありましてまその皆さんの ね苦しみというものをですね背負いながら やっぱりこうやってこの神戸に来られて手 を合わせることができたっていうことは 本当にねなんかやっぱり気持ちがなんか こう安ぐっていうかですねそういう気持ち できました はいこれまでは売り上げとはい どのような形で続けられてきたんでしょう うんそれはですね私たちが本当にお世話に なってですねあの1番苦しかった時にこの 神戸の皆さんにですね東北まで来て

いただきましていろんな支援をして いただきましたその中でやっぱこの心の繋 がりっていうものをねあの頂いてずっと こうやって続けてこの場所に来れ るっていうことがねをいだいたので本当に 感謝をしています はい知らない世代がこれから増えてくると いう中 はい石川伝えていくというとろは難しい とこありそうですかねえそうですねあの もうあの東日本大震災もですねもう3月で 13年ということでもうあれを経験して ない子供たちがま増えてきているんですよ ねですからなかなかその震災を伝え るっていうことの難しさっていうのが最近 やっぱこう感じ自分でもの中でも感じる ようにはなってきていますはい うん 石川でも震災がありました被災地に何か 伝えたいことありますかはいあの今皆さん 本当に大変な思いでいるとは思うんですよ そしてこ無が夢中で生活をしてる人たちも たくさんいるかと思いますですからそこで 失ったものも多分本当に大きいとは思い ますけどもやっぱりこういう風に私たち みたいにこの10何年間続けられる繋がり というものがねこれからやっぱりできて くると思うんですねぱそういうものをね ちょっとがあるんだということも知って いただいてちょっとそれ少しでもですね心 の励みになってもらえばいいのかなという 風に思いますはい今年の会場には共にと いう文字を形作りました被災一同士共に 歩み続けることの大切さどのように感じ ますかまさしくそれがそうでですね私も こうやってこの続けてこの10年以上も ですねこの阪神淡路の祈りの場に来れると いうことはやっぱりそれは共にあの阪神和 の人たちと東日本大震災の人たちがあの 繋がってこれたからこそだと思いますので ねやっぱりそういう繋がりを大切に共にや やっぱり歩んでいきたいなっていう風に 思います はい長沼さんどうもありがとうございまし たはいありがとうございましたどう も し 震災から29年神戸の町は長い時間をかけ 復興を進めてきましたがそれは全国から 届いた支援の手があったことを忘れては ならないと思い ます今日1月17日は神戸の町からできる のかを考える1日でもあるかもしれませ んそしてあの日の経験や教訓を伝え続けて いくことが次の災害への備えや今ある命を

守ることにつがると信じます3テレビでは 今日午後5時から特別番組バトン 1.17知りたいあの日伝えたいあなたへ をお送りし ます番組では災を学び若者たや震災で息子 をなくし語りを続けてきた父の背中を追っ て自分もあの日の出来事を語る活動を始め た男性を取材しまし た東園地では今日午後9時まで灯が並べ られていて誰でも分島することができ ます今日で震災から29 年神戸の町 はから30年へと向かって歩みを始めてい ます改めまして震災で亡くなられた方々の ご明服をお祈りいたし [音楽] ます [音楽] OG til

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3 comments

@user-sg2fk2ov1p January 16, 2024 - 10:32 pm

56:11のところが好きです。

@user-pq4mk6er4j January 16, 2024 - 10:56 pm

亡くなった方々にお冥福をお祈り申し上げます

@yuu-mx3ge January 17, 2024 - 4:27 pm

村上文香アナが出るときいて見にきました。このような追悼式をしてることを知りませんでしたが、来年は自分も式に足を運びたいと思います。

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