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アートと学ぶジェンダー#4 ジェンダーとインターセクショナリティ|インターセクショナリティとは? 『現代美術史:欧米、日本、トランスナショナル』著者・山本浩貴さんに聞く|ゲスト:山本浩貴(1/13)

by ANNAPOST



【ポリタスTV 1/13】
1️⃣書籍化決定「アートと学ぶジェンダー」最新回
2️⃣インターセクショナリティをわかりやすく解説
3️⃣ジェンダーとアクティビズムに関わるアート作品を紹介

【出演】
小田原のどか(彫刻家・評論家)
山本浩貴(文化研究者)

ポリタスTVの番組は次回放送日19時まで見逃し配信、それ以降は下記の有料アーカイブサービスにてご視聴ください。900本以上の過去配信番組(一部ライブ配信番組を除く)がご覧いただけます!

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【ポリタスTV】毎日(日本時間)午後7時より配信中!
多士済々のMC陣が、その時々の時事問題や社会問題、メディア、テクノロジー、文化や芸術などのテーマを解説・深掘りします。

[音楽] [音楽] 皆さんこんばんは彫刻家評論家の小田原 のどかです毎日午後7時から放送している ポリタスTVえっと今日の放送はあの無料 でご覧いただけますえポリタスTVはえ YouTubeのメンバーシップ制度が ありますのでえっとこちらにご登録 いただくといつでも好きな時に過去の番組 が見放題になりますまたとこちらの2つの 上位プランも用意していますのでこれらに アップグレードしていただくと上位プラ 向けの限定動画を見ることができます皆 さ様是非ご登録アップグレードをいただき 番組継続のためご協力をいただければです 今日のテーマなんですけれども私があの 2023年から独自にスタートさせた アートと学ぶジェンダーという連続の企画 があるんですがとそれの4回目ということ でえっと文化研究者の山本弘樹さんに来て いただいていますえっと今日のテーマは アートと学ぶジェンダージェンダーと インターセクショナリティですゲストは 文化研究者の山本樹さんです山本さん よろしく願いしますはいよろしくお願いし ますまずじゃ山本さんの自己紹介から ちょっと始めていただきたいと思います はい頑張ります今日の目標は1度も噛まず にこの収録を終えることです噛んで くださいどんどんどんどん全く大丈夫だと 思います私今日初めてポリタスTVに出て パソコンがないっていうもう全部山本さん にお任せして私はもう1人の学生として皆 さん視聴者の皆さんと一緒にふむふむと 言いながら学ぼうと思っておりますはい まう任せていただいてはいお願いしますて てはいわかんないなんか分かりにくいとこ があったらちょっとはいツッコミを入れて いただいてま進めていきたいとはい今まで 招いたあのえっとアートと学ぶジェンダー 企画のあのゲストの方は割と私いつも緊張 してたんですけどもあの山本さんと ちょっと気心が知れてるというかはい色々 本を一緒に作ったりとかですねなんかもう いろんなありあらゆるところに本さんを ちょっとあのご協力いいてしまってる ところがあるので一番気楽にやれるなって 感じがしますすませはい僕ももうすごい このまま寝れるぐらいそんなにですけど もうそのぐらいもうちょっと緊張はします よろしくお願いしますはいお願いします じゃあスライドから行きましょうかはい はいでまあのと今回は導入っていうことで ま自己紹介を兼ねたま導入なんですけれど も僕はあの文化研究者という風に一応自分

ではま名乗っているんですけどま美術批評 とかあの政策も作家とのコラボレーション で映像作品とかを作ったりま キュレーションとかプログラムをま作った りっていうこといろんなことをま自分なり に幅広くやっていますでえっと店長として 今まで出ているものは2つでえっとこれは 2019年僕がイギリスで博士を終えて その後すぐ香港でポス読をやっている時に 今書き上げたあの現代美術市欧米日本 トランスナショナルとえっと新相なんです けれどもまなるべくえっと分かりやすくま 現代美術っていうものの歴史とか理論を あの一般向けにまとはいえ学者の人たちも それなりに楽しめるようにということで 書いたものですでえっと日本に戻ってきて からはまエコロジーのこととかを結構やっ ていてあのその成果として一応2冊目の長 があありますあのポスト人身性の芸術と いうことでま人間のま存在をこう相対化し たような美術の歴史のこう物語みたいな ものをこう紡いでいくっていうような えっとものになっています他の強調を ちょっと見てみてもまレイシズムの問題と かえっとエコロジーの問題とかパブリック アートとかコミュニティとかえっとこの ニュっていうのをつけてこれちょっとあの この指の矢印ちょっと今日初めて使って それなにちょっとはまっだって今日結構出 てくると思うんですけどあの小田原さんと の共編長この話にもちょっと後から戻り たいなと思ってるんですけどあの日本美術 史を脱帝国主義化するとでまこれを ちょっと見ていただけると分かるんです けど僕の専門はま特に東アジアの現代美術 とま戦争や植民地の歴史それからま人種 差別のことやまエコロジーとそに幅広く 扱ってるんですけどあのジェンダーって いうのをこう中心にしてあの作ったものっ ていうのはまだなくてでそこからちょっと 今回の話に入っていきたいなと思っている んですで今まであのここでゲストで出て くださった方とかこれから多分お呼びする 方もあのまみんながそうかっていうのは 分かんないけど結構こうジェンダー研究 っていうのを中心にしてやってきた方だと 思うんですでうんそういったこう プロフェッショナルの方々の列の中でま僕 が1つお話をする意義としてやっぱり伝え たいなと思ってることは今やっぱりこう 美術とか現代あ文化研究っていうのをやっ ていく中でジェンダーの問題っていうのが 必ずあのそれが中心でなくても必ずどこか にま入ってくるでそれをあの無視すること はまできないっていうことをまちょっと

伝えた上でその話をちょっといきたいなと 思います今日あのうんお話ししたいなと 思っているテーマの1つがま中心テーマが インターセクショナリティという言葉です ねこれあの噛みやすいのでちょっと僕は気 をつけたいなと思ってるんですけどえっと 日本語にするとま交差性っていう風になっ ていますでえっと1つちょっとあのこの えっとレイシズムとは何かでこれもちマシ 書の本でとてもあの分かりやすくあの古典 的なレイシズムからま現代的レイシズム までを抑えた本になっていて僕はすごく あの学びの多かった本なんですけどこう いう言葉が出てきます現実の歴史の中では 従属が常に複数の従属と交差していると つまりあのジェンダーにまつわる従属って いうものとまレイスエスニシティ人種や 民族にまつわるま抑圧従属様々なまその2 つだけではないけど様々な種類の従属や 抑圧っっていうのが現実の中ではま交差し て起こってるだからそれぞれをもちろん こう取りあげてきちんと考えていくことっ ていうのは重要だけれどもそうではなくて その交差している部分っていうのをま考え なくてはいけない考えることが重要なんだ ていうような概念になっていますで先ほど ちょっと僕の自分のお話とジェンダーの 関係っていうのをちょっと話したんです けどジェンダーっていうのが中心になって いなくてもそうした例えばレイシズムの 問題とかエコロジーを考える時に ジェンダーの問題っていうのをもう今の 世界の研究の中でもう無視全く無視できる ようなあの研究っていうのは僕は成り立た ないと思うしそういう意味でこの インターセクショナリティていうのを今日 はちょっとあの実際のえっと美術の作品や 歴史と関連付けながらあの話していきたい なという風に思っていますわあ楽しみて いう感大丈夫はい大大丈夫ですかこんな 感じでみはいはいでしますえっと3番目の あとこのインターセクショナリティがま 最初に使われたが最初に使われた例として このキンバリークレシというえっと黒人 女性のあの法学者になっていますで彼女は あのフェミニズムあのジェンダーの問題と まレイシズムそのやエスニシティにまある 差別っていうののこう交差っていうのを すごく考えていた人でえっとこういう風に 言ってます差別はえ交差点を通過する往来 のようにある方向に流れているかもしれ ないしまた別の方向に流れてるかもしれ ない結構分かりやすいイメージとしてま 差別や抑圧っていうのがま交差点みたいな 形でこういろんな形でクロスしているうん

でその交点みたいなことをま インターセクショナリティ交差性っていう 風にま一旦は理解するっていうのがま 分かりやすいんじゃなかろうかという風に なっていますはい特に日本語だと交差点 っていう風に言われた時やっぱり点が出て きちゃうのでそういう風にイメージされる ことも多いかもしれないですよねそうです ね交差性っていうとその性質なんだけど 交差点っていうとその重ねれてる場所 みたいなイメージが強くなでえっとこの イメージとしてはすごく大事ではあるんだ けれどもちょっと次のスライドに行きます とま少しやっぱ注意は必要で結構よく言わ れることとしてその差別のまもちろん折り 重なりっていうの考えてくのは重要なんだ けどなんかこう数学でなんかベンズみたい 感じでこう重なっていてここみたいな風に あの考えていくようなまあの考え方って いうのは結構こうイメージとして浮かび やすいんだけどさっき言ったようのこの 交差点っていうところとかのイメージとは いええっとこの清水とこあ清水明子さんえ があのこういう風に言っています インターセクショナリティとは複数の差別 が折り重なる限られた特別な領域への着目 を促す観点でではないっていう風に はっきりと述べられているでこれはさっき 言ったようなあのいろんなものがこう 重なる重なり合ってある種のこう特殊な これもあってこれもあってこれもあって これもあってみたいなあの差別のま見方 っていうものをあの促す観点ではないじゃ 何かと言うとその焦点をこう絞り込んで いって特殊ないろんなのが重なってる領域 っていうのを考えていくっていうよりかは 今まででま例えばあの僕が結構関心を持っ てるブラックフェミニズムとかに関して 言うと女性っていう風に言われてたものの 中に自然と黒人とか障害を持った人 もしくはあの高等教育を受けられなかった 女性貧しい女性っていうのがこう排除され ていたうんだけどみんな女性だっていう形 でその中にあの含めていくわけですね もちろん違いっていうのをちゃんと認識し たままだけも女性という表書の中排除され ていた人たちをこ中に含めて考えていく つまりその焦点っっていうのを絞り込むん じゃなくてある絞り込みの中で排除されて いたその重なり合いみたいなものっていう のを絞りなして広げていくっていうような 作業だっていう風にあの清水さんはまで この考え方やっぱり結構重要でとにかく こう細かい特殊な領域っていうのを どんどん作っていくっていうよりかは今

までそうだと思われていたある領域の中で どういう排除がなされているかん なぜそういう排除がなされているかって いうのをま考えていくっていうのが インターセクショナリティで特に ジェンダーに関してはジェンダーとじゃあ 人種差別ジェンダーとえっと障害者差別 そういったものがどのようにこう 重なり合ってるかっていうのを見ながら そのジェンダーとか女性っていう強こ広げ て考えていくっていうようなあの概念に なっているということではいよく分かり やすいですとってもあます良かったです 分かりやすさには評があるって言たいなと 思って頑張ってますおもろはいでですねと はいえあのま定義っていうのをあんまし すぎるとま難しくあるんだけど1度あの 分かりやすくひとまずちょっとあの一般的 な定義っていうのをここで定義づけた上で えっとちょっとえっと美術との関連にあの 入っていきたいなという風に思っています はいで今えっとインターセクショナリティ ていうま本が翻訳されていますでここには ま様々な事例っていうのを述べながらま インターセクショナリティについてま包括 的にえっと述べられている本になるので あの日本語でもあの手に入る本としてあの あの読みやすい本になっていますでそこで こういう風にえっと書かれています インターセクショナリティとは交差する 権力関係が様々な社会にまたがる社会的 経験や個人の日常的経験にどのように影響 を及ぼすかについて検討する概念そしてえ 様々のカテゴリーでこれは他の部分から ちょっと例えとして取ってきてるんです けど人種階級ジェンダーセクシュアリティ ナショナリティえこれは国ですね アビリティこれはあの健常者と言われる 領域やま様々なま障害えっと心身ともの えっと障害それからエスニシティ民族年齢 などを相互に関係し形成し合っているもの としてま捉える概念ですよとで今日はあの とはいえこう様々な絡み合いをこう全部 包括的見ていくことは難しいのでちょっと 美術の歴史に紐付けながら例えばこういっ たまジェンダーやえっとエスニシティ ジェンダーや人種ジェンダーやま階級と いったものがまどういう風にあのあと ナショナリティの話もちょっと出てきます ねあの重なり合ってるかっていうのを具体 的うん作家とか作品とかをこう見ていき ながらあのちょっと一緒にあの考えていき たいなという風に思っていますはい ありがとうございますこのあのアートと 学ぶジェンダーのあの連続企画だとえっと

1番最初に高木しさんあの関東の美学の 研究者のあの高木さんが来てくださった時 にフェミニズムアートについて少し解説し ていただいたんですけどかなりこうあの 作家作品につい深く掘り下げて話すって いうことが今までそんなにあの前回の千葉 の時は可能害のあの誹謗観能やりました けども現代の作家っていうのはそんなに あのなかったんで今日はすごく楽しみだな と思っていますはいありがとございます じゃあちょっと早速えの入っ ていきましょうか今回えっとちょっと3つ のあのものを取り上げてあのそのえっと 重なり合いっていうのををちょっと見て いきたいなと思っていますであそうだ インターセクショナリティで僕があのよく あの学生とかに話したりする時にオム インターセクショナリティのすっごく ずっとやってきた専門家っていうわけでは ないんだけどよく言われるのが結構こう 重なり合いっていうのをなんかやっぱり 足しさっきのちょっと話にもなるんだけど 足し算でなんか捉えていくでこれはすごく 重要な視点ではあると思うけど一方でま 単なる足算っていうよりかはこ僕がいつも 注意してるのはあるものとあるものがこ 混ざり合ってきた時にこう性質が変わる こともやっぱりあったりして単なるaとb の足し算がこうABBになるっていうより かはもっと別の要素が出てきたりうんする でなんかそういった形でちょっと インターセクショナリティをま考えてい くっていうのもあの重要なのかなと思って いますはいでえっとこの今日は フェミニズムポストコロニアリズム トランスナショナリズムというのをあの 取り上げてみましたでえっとこの3つをま 分かりやすく自分なりのえっと噛み砕き方 でちょっとあの共通点をえぐり出してみる とフェミニズムというのはま家付調整や 男性中心的な規範ポストコロニアリズムは 植民主義や帝国主義もうちょっと厳密に 言うと植民地主義や帝国主義がま現在に 残しているものはいうんそれからトランス リズムはまこれベネディクトアンダーソン ていう社会学者の言葉で想像の共同体と 言われるま国民国家でこの言葉は結構あの 社会学の中ではすごく有名な言葉なんです けれどもあの国家っていうのはその国民 成員のこうイメージ頭の中でま生まれる ような1つのま繋がりであの決してこう 実体として存在しているわけではなくて そのイメージの中で作られるまイマジン コミュニティうんの共同体だという風に あの話していますでこの国民国家があの僕

の意見としてはそれ自体でその国民国家 っていうものが全て悪いわけではない けれども国民国家がま例えば排他的な ナショナリズムていうものを生み出し やすくそういったものがこう現在に残し てる影響でそれぞれフェミニズム ポストコロニアリズムトランス ナショナリズムをえっとフェミニズムは核 調性が作り出す差別や予感とこうどう戦っ ていくかっていうための思想であり ポストコロニアリズムはえ植民地主義帝国 主義が残した現在に残したものとどうやっ て戦っていくかっていうようなあの差別や 抑圧と戦うための思想でありトランス ナショナリズムは国民国家のま区というか 国民国家の制約もしくはそれが作り出すま 差別や抑圧と戦うための思想でそれぞれま 異なるものとま戦っているあのどうやって 戦っていくかっていうようなま思想では あるんですけれどもこれをあのこの上で出 てくるような差別と抑圧っていうのは 決してあのそれぞれ独立して相互に排た的 っていうのはそれぞれ独立して存在してる わけではなくてインターセクショナリティ のさっきの考え方っていうのをあの 踏まえると密接に絡み合っているなから それを独立して考えるのではなくて それぞれのあの想っていうものをこう 組み合わせながら作家やあのその作品って いうのがどういったま差別発っていうもの に対してこうアプローチしそれを解体 しようとしているのかっていうようなこと をあの見ていこうというのがあの今回の テーマになってます今回のテーマになって いますてちょっと何回も言っちゃったこれ は今回のテーマです本当にはい真のはい真 のテーマでここからり ましはぐあここから具的な作品とという ちょっとタイミング間違えちゃったなと 思ってあの思っけどすごいご自分厳しい もう全然問題ないと収録中にちゃんと反省 をするっていうところではいもさ本当に 反省を繰り返して長から長へそして長へ次 の長へというそうなんですその今日長の話 も最後にきます次は本当に作家 ですはい富山太子さんですねさんだはい 1921年に生まれなって2021年 えっと99歳であの亡くなられました えっと本当にあの99歳になるまであの 元気で勢力的にま活動したりあの若い人や まあ年下の研究者をこう家に招いてお話を したりっていうようなこがあのたくさん あっという風に聞いています僕自身はあの 富山さんのことを調べ始めたのがちょうど なくなられるぐらいだったので直接お話を

あのしたことはなくてあの孫子さんを返し てっていうことだったんですけれども すごく本当にあの僕はあのお孫子さんより も年下なんですけれどもあのいろんなま 研究者とか若い人に対してあのオープンな あの人だったという風にあの自身とし覚え てるしいろんな人からもま聞いている作家 ですででえっと富山さんはまあの学科で 1921年にあの神戸に生まれていますで あのとても文章の上手な人であのいろんな 本がご自身の書かれた本があの残されてい ますでえっとその中に色々なこう幼少期の こととかどうして作家になったのかって いうのが書かれてるんですけどあのまず 幼くしてえっとかつての日本の占領地 えっと満州のえ領域内にあったタイレンと ハルビンに移住していますお父様の仕事の 関係で幼少期をタイレンとハルビンで 過ごしあの植民地士配下の朝鮮半島にもえ 大学生時代にあの日本に戻る時にあの 立ち寄ったという風に話していますで富山 太子さんのあの文章の中で僕がすごく印象 的なのはその中である種のその日本の帝国 のねじれみたいなものを見たっていう風に 語っていてそれは何かと言と あの占領地の人たちに対してはすごくあの 応募で傲慢な態度である一方例えば イギリス外史系の会社にあの関連していた のでそのイギリスの人とかあのいわゆる ヨーロッパの人たちに対してはどこかあの 何かこう変ななんていうのコンプレックス というかなんかそこに日本帝国っていう もののねじれを見てなんかそのうんここで の生活っていうのが自分が生涯にわたって ま植民地やま戦争の歴史もしくはそれが 残したものやあの現在も起こっているよう なそういった戦争っていうものに対して 作家としてこう作品を通してあの何か意見 を述べていくっていうようなあの自分の 態度っていうのを決定付けたっていう風に あの富山さんはあの書いていますでえっと 女子美術大学を中対してあの富山宇さんと いうまあの美術表評論家の方のま私塾で 学んでいるとなので あの少しだけ一般的なあの美術教育を受け てるんですけど基本的にはこう自分で いろんなことをこう探しながらあのやって いったあの画科の方になっていますで ちなみにあのこれはもう発表されちゃっ てるのは全然言っていいと思うんですけど あの横浜トエナーレの参加作家に入ってい ますねああはいはいえっとシンキング パートナーズっていうのであの アーティスティックダイレクターの リーディンとキャロリンハルーが何人か

あの専門家の人を招いてセクションごとに ちょっと対話をしながら作っていくとで 富山太子さんについてはあの美術秘あの 評論家であの文化研究もされている萩原 博子さん黒人文化研究の特にこう パイオニアで今でもあの大勢に活動されて いる方なんですけどあの富山太子さんの 研究というのもずっとやっていうんで英語 での論文もたくさん出していますでそんな 中でこう富山さんの作品とか障害っていう ものをどう考えられるかっていうのをあの 横浜トレナーレっていうま国際芸術債権だ とでどういう風にこう捉えられているの かっていうのすごく楽しみだしあの僕も 楽しみにしてるしあのこれを見てくださっ て方も是非あの行っていただきたいなと そうねはい会期はえっと横浜トレエナーレ はえっと3月から15日から はいはいうんうんということでということ でてあの勝に出したんですけどということ でその結構現在でもこう再評価というか あの亡くなられてもなおあの様々な研究者 が関心を持ってあの調べたりしている作家 なんですけれども あのこの作品からちょっと行きたいなと 思いますあのヒの鉱山というあのユサがに なりますで1954年の作品です戦後 えっと富山太子さんはこれもあのご自身の 著作に書かれてるんですけれどもあの シングルマザーとしてえっと2人の子供を こう育てながらあの作家として絵を描い たりまアンデパンダン店に出展した りっていうことをあのしますでえっとこの 鉱山の絵を書いた作品がたまたまあの記者 の方の目に止まって日本各地のを取材し ながらまそれを絵と文章で報告するって いう仕事がまたくさん舞い込んだとでその 辺りのことは1960年に毎日新聞社から 出てる炭府と私っていうもう故障になって なかなか手には入りにくいんですけどそん 中に色々と書かれていますでえっとそれを 読むとすごくよく分かるんですけど 1950年代を通じて北海道から九州まで を含む3タ地や鉱山とま東京まオマの東京 を何度も往復するっていうようなでかつ こうシングルマザーとして子育てをしな がらっていようなま凄まじいあの忙しい 生活を送ってましたでえっとこの作品に 関してえっと今えっと当分権で先生をされ ていてえっと韓国のま文化えをま研究され ている真裕子さんがまルポルタージュとし ての絵画っていうあの言葉で説明してるん ですねでまさにまその通りで本当にこうと えっと文章っていうのをこううまく ミックスしながらその単行の様子っていう

のをこう伝えていくっていうことをやって いたんですでまさんご自身はもしかしたら こう直接こうはっきりと意識してこの言葉 を使ったわけではないかもしれないんです けれど もちょっとあの歴史的な話に行きたいなと 思っていますこのルポルタージュ絵画と いうえっとま運動というよりか1つの ジャンル的なものがあって1950年代ま 戦後日本のますごく重要な運動ですで やっぱりあのこれちょっとだけ話ずれるん ですけど僕の最初の単調の中でこ10年代 のものとしてこれはどうしても入れたいな と思ったんですよ一般書であっても入れ たいなと思ったそれはなんでかって言うと 僕はやっぱり海外で日本美術師っていうの を勉強してきてま例えばあのそれが全然 悪いということじゃなく具体とかモ派は すごく有名でどこの教科書にも出てくるん ですけどポルター画とかそれこそと夫妻の 原爆のっていうのが美術師の中で日本語の 教科書であっても英語の教科書であっても 日本美術師の中で出てくるっていうことが 非常に少ないでこれはなんでだろうって いうのを考えながら僕はあの白音を書いて いたのですごく重要な運動だと思うんです でそのなんでだろうの問に僕なりに答え るっていうのはちょっとこのポルタージュ 絵画を説明した後にちょっと戻りたいなと 思うんですけれどもはいポルタージュ絵画 はあのこれはそれこそあのジャスティン ジェスさんのあの英語で書かれた本の中 からあの引用してるんですけれども米軍 基地や工場のある地域など軍国主義や軍 主導の資本主義の暴力が権限する場所に 運ぶ足を運ぶことうんこれによってま展開 される政治的芸術実践と様々なま砂川闘争 とか三立逃走とかあの戦後日本がGHQに 占領されてあのそこでこう起こるま逃走 っていうものがあの住民をま主にしたま 闘争っていうのがあたで主にそうしたま 様々なプロテスとかあの住民運動が起こっ てるとこに足を運びでそこでまあのあるし のこう絵画の力っていうのを使いながら そこでの実情っていうのを説明していっ たりまそこにこう文章を書いたりっていう ようなこも合わせながら ルポと言わであの全部言い切る前にさっき の問にちょっと行っちゃってまたあの ちょっと組み立てを間違えたなって今喋ん なが思ってるんですけど言っちゃうとあの ここでやっぱり思ったのはすごく日本の コンテクストなんですねこのGHQによる 占領とそれに対してこの米軍の基地拡張 運動とかに対する住民の反対逃走っていう

のでなんかそういったものていうのは やっぱり日本美術師を語っていてもこう 欧米中心的なまあのグローバルで ユニバーサルな歴史っていうものがあの なんとなくこう背景として存在する日本 美術師の中でやっぱり排除されていったか ま終焉化されていったんじゃないかなって 思ってるんです具体が結構こう アンフォルメルとか当時のあのグローバル な動き欧米の動きとこう連動しながら少し ずつ日本美術師の中ですごく重要なものと されていた一方で日本のローカルの コンテクストにすごく密着したあの美術の 重要な動きっていうのがあまり日本美術の 中で語られないっていうことに対して やっぱりちょっと自分としてはあの違う その動きをま複数化していきたいなって いう風に思っていて書いた運動なんですけ もうんすいませんちょっと補足入れた方が いいのかなと思って具体ていうのは何物派 って何っていうあの視聴者の方もいるかも しれないので具体はあの具体美術教会って いうこうまグループの名前なんですけど それが海外とかでももう具体っていう ローマ字であの紹介をされていてですね かなりあの欧米でも熱心にあの紹介されて いたり本が出ていたりっていうことがある んですが関西あのが中心の動きだったって いうこともあってなんかこうちょっと東京 飛ばして海外あの関西から直接もうあの タピエとかと繋がってみたいなんそういう 運動の面白さがあのあるものでもあります ねでモノ派っていうのはあのあちょっと 話していただいてもいいですかいモハも えっと具体の少し後ですね19ま60年代 えっとにま今度は東京をま中心としてあの 起こった1つの動きで具体と違うところは モハは私たち物派ですて言ったわけでは なくてあの主にこう生のま素材木とか鉄と かそういったものをあまり加工せずにこう 出していくっていうようなあの動きって いうのがすごくこう物に自体にアプローチ するってことでま物はっていう風にあの 言われてうんそうですね評論家の人たちも そういう風に読んででまたある種こ同時に というか欧米ではあのランドアートアース ワークが対当したりとか中小表現主義の あのミニマルなあの一体策が出てきた りっていうところとこうま うんじられやすいというかはいそういう ところがあるかなと思いますうんそうです ねやっぱり今小田さんおっしゃってくれた ように欧米の動きとこう比較したりまその サイも含めてこう言及するっていうことで やっぱり海外でもよく知られた運動になっ

ていたしその中でまちょっと戻ると ルポルタージュ絵画っっていうのはすごく 日本のああるしローカルな冷戦のコン テクストっていうのにこう紐付けられた うん動きの中であまりこう美術所の中では 光景に知りといていったの動きになってい ますでえっとこの中でえっとちょっと スライドに戻っていただくと今ここではま 最も有名なルポルタージュ海外1つと言わ れている明保村物語ですねえっと山下菊 さん池田達夫さん桂川浩さん中村浩さんが ま男性作家があの主にこのルポルタージュ 絵画の動きを担いましたでさん自身は ルポルタージュ絵画という形で論じれる ことはないしご自身もそういう意図はない かもしれないけれども実際にいろんな ところに足を運びま炭鉱っていうのは当時 いろんなとこでプロテスが起こっていたり すごく重要な政治的闘争のま場所だった わけですけれどもあのそういったところで あの自分に出足を運び絵と文章の力を使っ てま色々なあの自分なりの活動を展開して いくっていう意味ではますごくこの レポルテ絵画とももこう響き合う運動なん じゃないかなとあの思っていてであの ルポルタージュ絵画というのはとても重要 なあの政治的なま闘争のま武器となりあの 歴史的な意義もあるだけれども一方でま 男性作家が中心だったということも大きい と思うんだけれどもその女性の問題やま 女性の存在っていうのはあまりその絵画の 主題とかテーマの中にま出てこないじゃ ないかという風に僕は思っていますうん うんでその中であの富山さんはあの自分の 絵の中にあの炭鉱であの働くあの子供を 背負って働く女性のスケッチとかが たくさん書いてあったりまご自身のその 当時のあの状況っていうのも関わってるの かもしれないけれどもなんかそういった こうジェンダーとかま女性に対する目線 っていうものがこの中にま入っていたって いう意味でもあのとても重要なあの作家な んじゃないかと思っていますうんうんうん はいありがとうございますあの山本さん いろんなところで富山さんについて書いて いらっしゃると思うんですけどもえっと 2021年に美術手帳っていう雑誌があの 女性たちの美術市特集っていうのを組んだ んですねその時にあの富山太子さんのあの 特集というかまいろんな女性の作家が紹介 されるんですけどそこで山本さん富山さん について書いているねはいを書ました すごく重要なあの美術長のその特集ごと 重要だと思うので是非あの読んでいたはい 私もあの書いているのでバックナンバーを

探していただけたらいいかなと思います はいうんうんじゃあ次に行き ます富山さんの作品の中に囚われて死んだ 子というリトグラフがありますこれはあの ここに書いてあるようにえっとあその さっきの話のこれごめんなさい前半は続き だった交付による妻への家庭内房力など 炭鉱を取り囲む見えにくい女性問題にもま 目を向けていたそういったま視線の中で 炭鉱府と私という先ほどの著作の中には 結構あのスケッチがいっぱい出てくるん ですけど文章と共に赤合成を母 ドローイングなどがま掲載されていますで この囚われて死んだこというのはま炭鉱 背景にあの泣いている女性のあの姿を描い ていますでこの女性はこ富山さんがあのご 自身が語っていることなんですけどえっと 朝鮮半島の出身であり日本の植民地統治 時代に鉱山での柔労働に従事させられたえ 夫と息子を持って涙を流しているという 作品になりますでえここにはその炭鉱と いうところににあるまその女性の問題って いうことをあの語っているわけですけど 一方であの朝鮮半島というのがまあ日本の 植民地主義帝国主義の歴史の中でま植民地 とされま特に炭鉱のようなま危ない労働や ま重労働の中であのそこのあの人たちが こう強制的にあの労働に奉仕させられたり まもしくはすごく大きな賃金格差の中で あえてその危険な仕事にまあのつくために 渡ってきたりでその中でまあのたくさんの 命がま失われそしてその例えば夫や息子ま 失ったま女性が存在してるでここには さっきあの最初に述べたまフェミニズム ジェンダーの問題とあのポスト コロニアリズム植民地主義や帝国主義が 残した問題のあの交差っていうものがま見 て取れるんじゃないかと思っていますこれ をまどちらかだけで論じるっていうのは やっぱりこの作品の重要性っていうのを あのフルには掴みきれてないんじゃないか と思っていてこういったあの目線っていう のを197うん75年の時点でま富山さん が持っていたというのはもちろん インターセクショナリティやポスト コロニアリズムていう言葉自体があの学問 として出てくるような前の話ですのであの 本当にそれはあのすごくあの到達した出し というかあのすごく重要な視線っていうの をあの芸術を通してあの可視化してい たっていう風にあの感じさせる作品です うんうん うんで えっと富山さんはまあ80年代以降もあの 日本やま主にえっと朝鮮半島と日本です

けれどもその日本の植民地主義が残した 問題や戦争責任の問題にま芸術を通して アプローチしていくということをあの 亡くなるまでえっとずっと続けていきます 84年にはえガルンガンの祭りの夜という えユサ画の作品の中でえっと同じようにこ フェミニズムとポストコロニアリズムのの ま工作というのを描き出していますえ富山 さんが2009年にアジアを抱く画科人生 記憶と夢というま今までのこう総決算 みたいなあの事情伝を書いているんです けどそこでこういう風に話しています韓国 と出会うことを通して私には植民地問題と 女性問題が同時的なテーマとなっていた これはまさにその インターセクショナリティという言葉を 使ってないけれどもこの植民地問題と女性 問題の同時 同時にこうテーマとして浮かび上がってく るっていうのはまさに インターセクショナリティのま核となる 考え方で富山さんにこのフェミニズムと ポストコロニアリズムのこう交差性って いうのをあの見出すことができるんじゃ ないかという風に考えてますであのポスト コロニアリズム簡単には説明したんです けどもう一度ちょっとあと奥なりのこ自分 を引用するっていうちょっと不思議な形式 になってますが自分なりのあの宣伝では なくて自あのないんですけど自分なりの あの言葉で整理し直すと過去の植民地主義 が現在に残す影響を批判的に考察すること で公正な未来を作り上げていくつまりその 過去の植民地主義は決して終わっていなく て現在にもその影響というのは残っている 様々な権力関係やあの様々なま差別の問題 として残ってるでそれをえっと解決し なくし公生な未来をま作り上げていくって いうあの過去現在未来っていうのを貫く ようなあの学問領域になっていますで えっと他にもあのこれらがま連帯でき るっていう考え方はこの インターセクショナリティていう考え方が 出る前にあのから既に言われていてあの ロバートヤングっていう ポストコロニアリズムのすごく重要な人は マルクス主義や社会主義フェミニズム環境 保護運動といった世界の支配的な権力構造 に挑戦するために格闘してきた他の政治的 な運動とポストコロニアリズムは連携 できるんだっていうことをずっと言ってい ますそれはあの世界のま支配的権力構造に 挑みそれに対すそれに抑圧されてきたもの やそれが生み出してきた差別っていうのと ま格闘してる様々な面で格闘してるわけだ

からま連帯できるだろうという風にあの 語っているわけですでこのガルンガンの 祭りの夜という作品はあのインドネシアの バリ島で行われるまあの宗教的食材を モチーフにしてま日本軍のまあのいわゆる 慰安婦問題慰安婦とされにされたあの の女性の方たちに対するこう リメンバング早期っていうものとえっと そこへの連帯っていうものあのをま示して いる絵になっていますで富山さんの場合は このようにそのジェンダー女性の問題と 日本のえっと帝国的過去植民地主義がま 残した遺産の問題っていうのがこう交差 する地点っていうのを芸術によってこう 深く探っていくっていうことをあのずっと していたサッカーになりますはい ありがとうございますあの富山さんの作品 が国内でかなりこう大規模に紹介された ことっていうのは今まではあるんですか ほとんどないですあの中三もあまりされて いなかったんですねで富山さん自身が あのやっぱりそのいわゆる美術の中心的な 構造つまりその政治的な作品っていうのを すごく気比したりそういったものに対する あのに対してまその反抗というかそこに こう寄っていかないっていうことはあった と思うんですけど一方でやっぱ美術って いうのがとりわけその政治社会的な領域 特にその日本の帝国主義や植民地主義の 過去っていうことに関してはすごくこう ある視してきたそういった中でやっぱり 美術っていうコンテクストの中で富山さん がこう論じられたり紹介されたりっていう 機会はあの近年まですごく少なかったと 思います近年になって色々な研究者の方が ま関心を持って僕自身を含めてあの論じて はいるんですけどそれでもまだまだあの 富山さんの今までのあの活動っていうのは すごくあの様々なとこに移動している人 ですのであの組み尽くされてないうんかな いう風には感じてますうんありがとう ございますうんはい富山さんのあの今見せ てくださったガルンガンの祭りの夜の作品 なんて本当にこのあの作品を丁寧に見て いこうと思えばそこに何が描かれていてて どういう時代の背景があってっていうこと が説明されないわけがないですがやっぱり 現状のその日本国内の美術館だといろんな ことがタブーになってししまって るっていうところがあって例えば今あの菊 のご問が描かれてましたけどもそういう もの自体もあのなぜここにこれを描く必要 があるのかっていうことがうんすごく言い づらい美術のあの状況がありますよねそう いう中でやっぱり富山さんのお仕事とか

なぜそれが紹介されてこなかったのかって いうこと込みであのどんどん研究を深めて いくっていうのは本当に緊急あののことだ なという風に思いましたはいそうですね やっぱりあの図像的にもすごく面白いし 美術作品としても様々な見方があるので あの美術師の中でまどう見ていくか作品 分析としてどう見ていくかっていうことが これからもっともっとあのなされていくっ ていうことが重要なんだと思いますはい じゃあ次に行きまして少しえっと世代 をあの下に行きましてはい田子さんですね 島田子さんはあの田さんと学共延長したえ この国近代日本の芸術にもえなぜ私は 日本人安婦になってみなければいけなかっ たのかという論考をあの気候してくださっ ています美術作家でもあるし一方でその 研究者としても様々なところでま論文を 書いたりあの講演をされたりあのすごく まちにあの今でもあの応戦が活動されて いる方になりますはいであの立川生ま れって書いたのはあの結構立川重要でご 自身もその影響をおっしゃってるんです けどやっぱりあの基地米軍基地がまあの 東京の中ではあのあったところでその闘争 とかをま小さい時になんか聞いた りっていうようなこがあってそこに やっぱり自分の芸術家としてのその政治的 問題対する関心っていうのがやっぱりあの 育まれた部分があるんじゃないかという ことはあの本人もうんすごくあの おっしゃっていましたはいあの島田さんの お写真がランドセルをねシって るっていうねはいはいそうなんですよ島田 さんこれちょっとどこかネットから引いて きた後で島田さんにこれ大丈夫ですかて 聞い大丈夫ですって言ったんで大丈夫だと 思うんですけれどもはいおちゃめな感じで おちゃめかめなんですがやっぱり島田さん の作本当にあのなんて言うんですかね 厳しいというか極めて面積ではいまあすい ませんどうぞ腰しまいそうになったのでい いやいやもうそのおった腰の状態のまま 行くんですけど本当にあのその自分に対し ても他者に対してもあのある種のの妥協 っていうの許さないような厳しさっていう のがあってまその話はすごく今回のテーマ でも重要なのでちょっと話していきたいな と思います1993年のま白い砲義とで これはあの先ほどあの富山太子さんとこで ちょっと話した上原子さんの英語のの論に 書かれているんですけれども従軍ヤフの 問題を取り上げるアーティストは日本では 皆無に等しかったとはっきりえっとこの 時点1996年の時点でも書かれています

この状況はま今でも大きくはやっぱり 変わっておらずま日本のま帝国主義植民 主義の歴史に関わる問題っていうのは なかなか日本の美術館やあのギャラリーで はすごく扱いにくい島田さんは90年代 からずっとこの問題をあの扱ってきた作家 になっていますでえっともちろんその問題 は使ってる作品もたくさんあるんですけど ここでちょっと最初にこの作品を取り上げ たのは少しこうポジショナティの問題って いうのを考えていきたいと思ったからです であの先に多分ポジショナティのスライド からた方がいいなって思ったんですけれど もうんあのこれポジショナティを考える上 であの島田さんは戦後生まれの日本人女性 ということであのあのその自分の立場から こう何ができるかでポジショナティの問題 っていうのは特にえっと文化研究では エドワードサイードという人がオリエンタ リズムっていう本を書いた以降をうん やっぱり今まで論文ってあのなるべくこう 中立的に中立的に学問って中立的にって 言われたのをいや中立っていうのは そもそもやっぱり不可能で自分がどのよう な立ち位置に立っているかっていうことを あの踏まえた上でどういう議論をしていく かっていうことをまこう求められる文化 研究の中ではすごく重要なあのことでそれ はポジショナリティっていう風にあのよく 言われますで僕がこの島田さんの作品を 考える上でのポジショナティでちょっと あのここでハイライトしたいなと思うのが えっと加納美夫さんのえっと女たちの15 という1995年初版の本ですでこれは あのヒルタスですねあのはい私が司会を やっているヒルタスのはいありがとう ございますここに紹介していただいてはい この加野さんのえっと資料室のがま広島に 多くそうなんです2023年の3月にはい オープンしましたサゴという場所ですね そのことについてこう話されているのが このヒルタスのはい番組がありますので あのはい遡ってみてくださいはい宮崎園子 さんと一緒にあの高尾菊さんというか清夫 さんの資料室のあの借人をなさっている方 で広島の女性運動の本当に生きしきでも ある方ですね山本さんとはあの昨年えっと 佐であの共編した本のあの諸表会というか 観光記念のイベントをサリでやるという こともしましたサも本当にあのどなたでも 事前に予約すればあの伺えますのでかの 美夫さんのぜま全部というか資料ですね 是非あの見てほしいなと思いますうんいや 僕はもう本当に佐に行けて感動したんです けどうんうんあのすごく僕はかさんのこの

特に女たちの15という本にせの時に影響 を受けていてそれはあのこのポジショナ ティの問題にちょっとあの関連付けるん ですけれども一般的にまそのもちろんそう いう面はあったと思うけど男性にまあの 男女のま不構生不平等の中でま男性のま 軍国主義に抑圧されていた女性っていう 一般的な像の中でそれでもその女性が積極 的に戦争を支えそこに加担したっていう ような部分をま批判的にあの見つめなして いくっていう研究はすごくおにとってその 学問のま重要性みたいなものをあの感じ させてくれたあの本になっています例えば まこういう形で女たちの15の務めに支え られて初めてあの戦争は15年の長きに わたってあれほど過に戦われてえとうんで 日本人の命やそれ上のまあのまここでは 中国の人の名前だけは書いてあるけどそれ 以外のまアジアのまたくさんの人の命にま 女たちにも責任があるっていうことをま はっきりとあの書いている本です えっとこのえっと戻りますけれども島田 さんの白い各方議に出てくるのはあの国防 婦人会というま夫人団体ですねあのこの砲 義っていうのはままさに大所の象徴である 種女性がま閉じ込めていた場所と言えるか もしれないむしろそれをあの1つの女性の シンボルとしてあのあの大所からま支え るっていうようなあのことをましたんです ねであの見送りっていうのに行ったりま すごくこう戦争っていうのを下させして いくでそれをま15っていう形であの前傾 化したのがま加納さんの本であるとすれば 島田さんはま資格芸術の領域でその関連性 っていうのをんこう隠されたま位相みたい なものを示していくここではこう日本人 女性の侵略戦争への積極的勧誘という隠さ れた一そうとでそれがまこのシンプルなま 写真のあの配置によって前書き出されて いるでどれも国保婦人会の写真なんです けど1番左側はあの台所で料理をしていで 右側はこれ見送りでその間にあるのはま その男性にま銃のあの打ち方というのを 教わっている女性ですねでこの2あのこの 3つのま組み合わせによってま女性の侵略 戦争への加担っていうような部分それを 下支えしていた部分っていうのがま見来れ てでここにはま島田さんのあの当然ながら ま日本の帝国主義その男性的な軍国主義 っていうものを批判すると同時にあの女性 としての自分にはまどういう目線批判的な 目線を向けられるかっていうようなあの ことがすごくはっきりとあの示さうんされ ているのではないかという風にあの思って いますでここにもあのフェミニズムとあの

帝国主義やポストコロニアリズムていうの がどう関わってきたのかでそれは単純に 抑圧だけではなくてあの加害の方をまあの との交差っていうのをま描き出していると いうような作品になってい ますはいありがとうございますその私が さっき島田さんが厳しいって言っちゃった のでなんか島田さんのこうパソナについて 言ったみたいなことに聞こえたかもしれ ないですけどそうではなくてそのあの島田 さんの作品っていうのはこれからあの えっと山本さんに紹介していただくものに もつがっていくんですけれどもその日本の フェミニズムが隠蔽してきたものに対して ものすごくこう鋭い批判のまなざしを 向けるんですねそれはひって自分自身の ポジショナティにもこうあの迫ってきてい てそういう意味でのものすごいこう自己 反省ととにあの女性たちがが日本の女性 たちがどういうこう戦争加害に関わってい たのかっていうことをあの問い直すていう そういうことを美術アートの中からあのお やりになり続けてるっていうことが本当に 凄まじくあの仕事としても本当に尊敬が できるという風にいつも思ってい ますでそんな島田さんがあのありがとう ございます本たちの強調にこう気候して くださったそうですね第のあの一部にも なっている日本人慰安不になってみると いうのは実は2012年からあの最近は やってないんですけれども定期的にこう いろんな場所でやっていたパフォーマンス のあの作品のタイトルになっていますどう して自分はこのあのパフォーマンスをやっ たかっていうことをご自身の言葉でま様々 なま当時のフェミニズムの設の状況とか あの社会的背っていうものとも関連付け ながらま語ってくださっている文章なので 是非そちらもあの目を落としていただける と嬉しいんですけれどもここではちょっと 作品に絞ってえっとパフォーマンス アーティストでもま島さんはありここは えっとロンドンの日本大使館前ですであの 博士はキングストン大学といってま ロンドンのあの大学へ通っていてまその 在学中にまやったパフォーマンスだとか 思うんですけれどもあの着物を着て肌を こうブロンズに塗り1時間ぐらいま無言で 座り続けたとでいろんな人がま関心を持っ てまあの来てくれるんだけどま1つのこの 婦とされた人たちのま存在っっていうのが あの経されそしてま沈黙を知られてい るっていうことのまパフォーマてィな メタファーであると同時にここではあの そういった問題をこう議論するような場所

っていうものを公共空間の中にま作り上げ ていくっていうようなあのパフォーマンス として僕はあの読み取れるのかなと思って いるんですけれどもあのここではその 日本人の慰安婦像つまり着物を着て韓国の あの反目あの韓国のま韓福とのああるあの よく知られている慰安婦像とはまた違った 格好士これはその日本人慰安婦の存在と いうのがあの基本的にはこう不可し化され ていてあの今ここでちょっと引いてるな 木下直子さんという方の書かれた慰安婦 問題の現世空間日本人慰安婦の不家と現前 というあの本でとてもあの重要な本だとか 思ってるんですけどえっと加害国の被害者 という点で特殊な立ち位のため日本人慰安 婦のその苦しみや痛みの声はなかなか 聞き取られてこなかったでそういった意味 でそのここもま1つポジショナティの問題 としてあの当然ながら島田さん自身はその 慰安婦の人たちへのま責任っていうのを すごくこうセーフな責任っていうのを批判 するような作品があったりその人たちの 連帯を示す作品ももちろんあるんですけど 一方で日本人としてのポジショナティとし てここではま日本人案不というあの存在に ま自分を変えてパフォーマンスをしている ということになっていますそうですね田 さんあのいろんなあの最近はやっ てらっしゃるないとあの山本さんからお話 ありましたけどえっとこれまでにあの日本 人安婦像になるということをされた時には こ口にテープを貼ってっていうそういう あのこともなさっているのでうんでそれは こうあの口が封じられたっていうのだっ たりとかやっぱりこう自由を奪われてその 場所にっていうこともあるしいろんな あの読み解きもできるあのパフォーマンス ですよね平和の少女像っていうものが隣に 空白の椅子があってっていうのも踏まえた 上でおやりになっていてでまた私彫刻に あの彫刻化でもあるのですごく面白いなと 思ってるのがそのリビングスタチューって いうのあの大同の1つであの銅像肖像の ふりをするっていうのがあの日本でも見る ことがあるかなと思うんですけどあって それもこう関わってきている パフォーマンスだなとも思うのですごく 本当にあの私自身とっても島田さんの作品 の中でも興味があるあの作品です ねここからちょっと3番目の事例にはい つなげていきたいんですけどえと1つあの 島田さんがコラボレーションの中であの やったパフォーマンスとしてこの暴挙への 抵抗ソウルというのがありますこれ 2019年5月1日えっとこの水曜デモと

いうのがえっと韓国のえっと日本大使館前 であのずっと行われていますあの慰安風の 方々やそのサポーターのあの人たちがあの ずっとこう謝罪を求めて飛ばしを求めてま 抗議をしているうんんですねでその水用 デモにの中で行ったパフォーマンスになり ます島田さんはあの日本人安婦の格好して このパフォーマンスをしま隣にはあの韓国 の慰安婦像がま並んでいるという パフォーマンスですでえっとま ロサンゼルスとソウルでこの パフォーマンスを行っていますそれぞれ 2018年19年でこれがまあの コラボレーションとして行われたんです けどそのコラボレーションの相手がま明日 体というあのグループになります最後の 事例としてちょっと明日少女体の話をし あのトランスナショナリズムていうものと まあのフェミニズムやポスト コロニアリズムとの接続インターセクショ ンっていうのをあの見ていきたいなという 風に思いますはいであのここではあのま 慰安婦問題を多くの人と議論し被害者の ために国性別世代を超えて連帯することを 目指して明日商隊はパフマこの暴への抵抗 というのをロサンゼルスやソウルで行って いますでまこれはあのみんなでこう1に なってまそのヤフとしてあのされた人たち に対してのその言葉を述べてあのみんなで こう連帯を示すっていうパフォーマンスな んですけれどもえっとここでちょっと次 に社長体の話に入る前にまあのトランス ナショナリズムていうのもあの簡単にい 説明したんですけれどももう1度ちょっと 抑えなしたいなと思っていますでこの言葉 は結構あんまり日本ではまだまだ広まって ないんですけれどもあの海外ではこういう 形でハンドブックが出てたりあの一般的な ま学問の中ではしばしばあの活用される 概念になっていますえっとま定義としては 国民国家の教会を超えて世界に広がる人々 場所や制度の間での経済的社会的政治的な 連下つまりその国民国家っていうものだけ ではいろんな現象とかあのものはま見れ ない中でまどうやってその重なり合いとか ま連結とかをま見ていくかっていうことの 1つのまあの方法論的なあの概念になって いますでこれをちょっと踏まえた上で下 少女体を見ていきたいなと思いますでこの 本が今年出ましたあ2023年ですねそう 年ですね昨年出ましたはいあの今年も良い 年になるようにっておりますえっと昨年出 ましてえっと正体作品集Wecanアート フェミニズムアクティビズムという本が出 てここにはあの様々な行者の僕も書いてる

んですけれどもうんま方がロコを書いて かつこう作品っていうのも今までの明日 招待のプロジェクトも見れるので是非あの 手に取っていただきたいなと思っています うん車掌状態は2015年にオンライン上 で結成されまえっと主に新しい世代のあの フェミニストからなるま社会派アート グループという風に説明されますで メンバーはあのインターネットでま どんどん広がってま50名以上現在はいる ということですで面白いなと思うのがあの 決して日本人やあるいは日本居住者だけで はなくて日本中国韓国台湾スペイン アメリカカナダこれでも一部なんですけど もなど様々な国籍を有するメンバーが在籍 していてしかも居住地もあの日本で生まれ たメンバーも日本以外のとこ住んでるとか 結構たくさんあってあの世界中に広がって でこうした他国性って他国石性っていうの がそのトランスナショナルなあの性質明日 正体のっていうのをま作り上げている要因 となっているのかなという風にあの思って いますでまどういうプロジェトをしている かというとま例えばこの公事園 キャンペーンというのはまあの署名活動と かまあのYouTubeとかの動画配信し たりまメディア戦略は結構あってで1番下 にあるように結構このアート アクティビズムつまりそのアートと アクティビズムの教会政治的な運動って いうのをあの資格的な要素を使ったり芸術 的な手法でやったりっていうようなあの 部分がすごくあってこれはまあの公事に おけるまフェミニズムやフェミニストって いうのがあのこのプロジェクト以前はあの 女性に甘い男性みたいな書かれていたもの をそうそれこそもう国際的なスタンダード であるまその性やまジェンダーにまつわる 差別とかあの不構性をなくすっていうよう なあの本当の意味では一般的なあの フェミニズムとかフェミニズムの定義に あの変えていくっていうようなで一部あの 実際に表記が変わったりとかあの現実的な 効果もまもたらしうんでまあのこれも日本 で行れたプロジェクトだけもいろんな国の メンバーとま共同したりあの国際的なま あの他の国ではこういう風な定義になって ますみたいなものが結構ウェブサイトに 上がっていたりすごくこううんナショナル な枠組だけではないのっていうのがすごく 示されていてあのそこにもさっきこう示し たようなトランスナショナリズムていうの のあの要素が見られるじゃないかなという 風に思っていますでこのえっとこれがま ビリーブキャンペーンというプロジェクト

でまここにあるように幸せ涙性合力と寄付 を考える当事者の回茶台外し女子 アクションと4団体でのコラボレーション 様々なま団体と連携しながらあの決して アートと言われるその限られた領域の中 だけではないあの活動をしていますで多様 な団体と連携しつつパフォーム性や展示を 通じて100年以上も改正されてこなかっ た警報正犯罪でその制定は女性賛成権が 認められる前のことつまりその女性の声と いうのがあの政治的意見として認められる 前にあったその警報正犯罪っていうものを 一部改正するっていうことに成功しました でこの写真として使わせてもらっているの がえっと3331土田あのであの行われた ま展覧会での様子なんですけれどもこう いったこう外での活動っていうのとまた 美術館のま中でその活動を示していったり あの結構参加型の作品でここの中にはその ジェンダーギャップランクみたいなやつが 書いてあってでちょ来た人に日本って難易 だと思いますかみたいな話しながらまそう いった問題にこう興味を持ってもらったり あの自分が何らかのアクションを起こす ようなあのことのできるようなこう一歩を 作ったりとかあのこういった形であの アートとアートのま外そこもはっきり 分かれてわけじゃないけどそれをこう繋ぐ ようなあのアクティブな活動をしています で社長女体の1番新しいプロジェクトです ねダンジョに言論超えてとこれ YouTubeで見れるのでこれは YouTubeでのキャプションになっ てるんですけれどもあのこの女坂男坂って いう名前のあのこう道の分れた山があるん ですけどそこの真ん中をあのどうにかうん く映像作でこれはもちろんあのとしてあの 的な振舞としてやってるけれどもその男性 とま女性っていう2元論の中でま例えば トランスジェンダリズム 論じてくれたような分かりやすく説明して くれたようなハントランス差別っていう ようなあの部分うんにもすごく重なって くるあの作品になっていると思うのでこれ あのフルレンスでYouTubeで見れる ので是非あの見て欲しいなと思っています こういった形であのまこの後とマナブジェ ダっていうシリーズも多分それぞれが インターセクショナルにこう絡み合い ながらあのできていてあの高井さんが 例えばジェフリーズとかを引きながらあの はいま批判する形であの論じてくれたま そのトランス差別っっていうものに対して どういう風に理論的に抵抗していくかって いうようなことをま明日商隊は今度は資格

的にこうどう考えていくか芸術としてどう 考えていくかっていうようなことをやって いてこの反トランス差別っっていうものの あの動きっていうのはずっとし症状態は あの今でもま続けていろんなあの海外の あの団体とかとも手を組みながらあの いろんなところでうんうんイベントやっ たりあのキャンペーンをやったりしてい ますはいありがとうございますあの明日 少女隊のあの皆さんの特徴としてはその 作家名っていうのがあの明らかにしないと いうかこうコレクティブの中でえっと こ昔のそのフェミニストの名前を使って みたいなことありますけどそのあとえっと 仮面をあのつけたりとかていう形でその なんかすごく1人の中心的な人物にあの 取り組みを集約させるみたいなことを すごく丁寧に避けていてでまたあの活動を こうずっと継続しているっていうところも あの特筆しべきところかなという風にいつ も見て思ってますそうですねそれはすごく 重要な点だと思います多分一方でこう名前 を出してあのこういったこうジェンダーや フェミニズムのことあのハトラ差別っって いうような活動にこう関わるっていうこと のまだまだ難しさっていうのもやっぱり 示している部分もあるしあのそういった点 でもま例えばケラカールズという前あの 選挙80えっと70年代こかなから80 年代かけて今でもま活動してるけど匿名の グループであの様々なこう美術制度にまに おけるこうジェンダ差別とか様々なことを こう批判的にあの見てきたグループがあり ますけどそこへのレスペクトもすごくあっ てうんあのうん基本的にはこう名前を出さ ず匿名であの仮面を被ってま活動し うんうんうんうんでなんかまたやっぱり そこにこう参加できるっていう余地もある というかそれもあした少女隊の皆さんの こうすごく重要な点だなという風に思って はいそういますでそこからちょっとあの まとめに入っていきたいんですけどもあの 今回えっと小田原さんとあの共編したあの この国近代日本の芸術え日本美術史を脱 帝国主義化するあの日本美術師の左側の 括弧ちょっと忘れちゃったんですけどあの ちょっと括弧つけてみて欲しいんですけど あの想像力大事ですか想像力で補って いただきたいんですけどこの本の中でも あの様々なあの日本美術史の中で終焉化さ れてきたテーマ排除されてきたテーマそう いったもののこうをただ個別に見ていく だけじゃなくてすごくこれは最初からい識 していたところだけどどういう風にその 絡み合いのま力学それらがまどういった

力学によってま全てが同じ力学によって 排除されたわけではないかもしれない けれどもそれがどういった共通のま力学に よって排除されるかとかそれをこう つなぎ合わせることで何が見えていくかと かっていうのをすごくあの意識してみたと 思うんですけれもそれもやっぱり インターセクショナリティの考え方から するとすごく重要で様々なものをこう単体 としてだけ捉えるわけではなくてそれらの こうびつきっていうものをま考えていくっ ていうのが重要だしそれはもちろんジェン ダーっていうのを考える上でもあの ジェンダーはもちろん互いなく重要だ けれどもそのジェンダーっていうのと他の 様々なテーマがどう関わっていくかって いうのをあのもう今現代世界においてそれ を考えずにいることは絶対できないし どんな問題に関してもやっぱジェンダーっ ていうのは必ず関わってくるなんかそう いったあの意味で色々な関心を持った人が それとのジェンダーとの繋がりととかって いうのをもっともっとあの興味を持って あのくれるといいなという風にあの僕自身 は思っていますありがとうございますあの 今紹介していただいたこの国の芸術って いう本は結局852ページにもなってあの しまったんですがあの工事園と同じ紙を 使ってるっていうことで結構こう持ち運び がしやすいようなあのサイズ感と重さに なってまして月曜者というところから 20203年の11月にあの出たので えっと書店とかでまだあの割と手に取り やすい場所にあるんじゃないかなと思うの で是非あの書店で立ち読みしてもらっても いいですし図書館であの頼んで読んで いただいてもいいしそれで気になったら 是非購入していただいてみたいな形で読ん でいただけたらいいなと思っています やっぱりあの山本さんがおっしゃったよう にとか今日のあのお話の中でもやはりこう 今までそんなに紹介されきていないとかと 島田さんのあのこれまでのお仕事について 言っても本当に素晴らしい作品とあのご 研究とあと著述の活動とあるわけです けれどもものすごくたくさんの展覧会が 国内で開かれてきたわけでは決してないと いうかむしろすごくあの島田さんの作品を どうやって安全に見せるのかっていう ところが本当にあのなかなか厳しい状況が あるっていうところも合わせて知って いただきたいなとと思いますしそれはもう 言うまでもなくあの作家や作品に責任が あるのではなくてそれに問題があるという 風にみなしているあの構造と社会と制度の

問題なのでそれをこうどう変えていけるの かっていうことがやっぱり重要だしそう いう意味でもやっぱりまずはあの関心を 持ってくれる人を増やししっかり知りたい と思った人にアクセスできる本を作りこう いう番組もあればあの無料で見てもらう こともできるのでみたいないろんなあの 方法でえっと読者を作っていきたいなって いう風に思っていますであの今日冒頭に ちょっとうの忘れちゃったんですけどあの 前回第3回でも発表したんですがあのこの 後と学ぶジェンダーは書籍になることが 決まってましてあのがわあ嬉しいはいまた 山本さんと本を作ることになりますがあの 明書店さんというところからあの観光して いただけることになりましたので2020 年今年のどこかで出したいでもまだまだ あの第今日第4回ですけどまだ続いていく というあのところなんですけどもポリタス TVであの見ていただいた方も本になった 時になんかどういう風なあのまとめ方をさ れてるのかとかなんかこう引き続き監視を 持ってくれる人がいるといいなっていう風 に思っていますはい山本さん今日はあ 終わりなんあまだ終わんないですよ終わ まだ大丈夫スライよかっめに入ってると 思っはい締めにちょっと分かってたんです けど閉めないですまだ大丈夫ですかった あとワンスライドで終わりますざはい意外 と長くなっちゃってすいいいえはいでです ねあの奥はやっぱりその文化研究会の中で 1争あのストイックなとこがありまして あのでチンと課題を出そうみたいな やっぱりどんな理論もあのどんなはい論文 もどんなプレゼンテーションもま璧ないの で最後に課題をねちょっと出してうんうん でこのまその先へということで言うとあの ニューアートヒストリーというま潮流が あってそこに関して僕があのドールさんと の対談でちょっと話してるところをあの 取ったんですけれどもこのニューアット ヒストリーというのは例えば今まで男性 中心的に描かれてきた美術師を女性の視点 から描き直すとか白人中心のえっと美術史 を黒人の視点から出すとかあのそういった ことをまやってきた西洋中心的なものを非 西洋の視点から書き出すとかでそれは すごく重要だったけど一方であのそれが1 つ批判された点としてはある種のこうサブ カテゴリーみたいになってしまった部分が あるってことはその先へちょっと進むまで にやっぱり時間がかかった女性の美術師 っていうものが出てきたんだけれどもそれ で終わりではなくてどうして女性の美術師 がなくなったのかみたいなことをその力学

とかあのプロセスを考えていかなきゃいけ ないそうしないとまた別のところでそう いったことが起こるかもしれないで インターセクショナリティについても やっぱ同じようなことが言えて今1つ結構 流行りみたいなとこがあって別に流行りが 悪いとは思わないんだけどあらゆるものは まインターセクショナルだっって終わらし てしまうのではなくてはいそれが多分様々 な位相で絡み合っている全てがあの対対等 にと言ったらあけど同じ割合で1つの現象 に絡み合ってるわけうんではないしそれも 様々だったりすると思うんですでしかも どういう風に絡み合ってるかどうていう ようなまこととかを考えていけるつまり この先にインターセクショナリティと概念 の重要性が導入された後はじゃどうやって それはインターセクショナルでありえて いるのかみたいなこととかあのそういった 個別の事例っていうのを今度は丁寧にそれ は僕も含めてだけれどもやっぱり研究者は ま見ていかなきゃいけないんじゃないかな というま1つのここでの時点の2024年 年の2024年時点での課題ということで えっとま自分への課題というのも含めて あの最後示してあのこの今回のあの僕の プレゼンテーションというかは終わりにし たいなという風に思ってますありがとう ございますすいまなんか先に人足先指に 入っちゃってちょっと申し訳なかったん ですがここここまでが山本さんの今日の あのアートと学ぶジェンダー第4回の ジェンダーとインターセクショナリティの あのレクチャーになってます山本さん ありがとうございます 整理にと作というのそれがなんかこうあの 紹介だけにとまらずそれをこう山本さんが あのこう取り上げようと思った背景だっ たりとかあとそれとあのなんて言うんです かねえっといくつかあのポリタスTV ヒルスのことも紹介していただけたので あの過去会を見ていただく方が増えたら 嬉しいなと思います あの山本さんのご研究の中ではやっぱり インターセクショナリティてものは非常に ま重要なわけですよねなんかあのこれから のご研究のちょっと展望というかなんか 一緒に本を作ってでまたあの別に山本さん とこうなんかずっとにってずっと一緒って いうわけでは全くないのでなんかこう今 こういうご関心があってこういう研究をし てるとかこういう作品に関して何かをし てるみたいなことがあったらまたちょっと ぜひ教うんいただきたいなと思ってるん ですけど今ね今完結に言うとあのあの

ちょっと最初の紹介でも示したように エコロジーとかまあの気候危機とかあの非 人間の問題とかをやってきたんですけど あのドさんとの共編長の中ではあまりこの エコロジーの問題っていうのはそんなに 前傾化してなかったでそれは1つはやっぱ 道具建ての違いっていうのは結構あって やっぱりあの人身性もそううんそうだけど ポストヒューマンとかってすごくもう防衛 天体望遠鏡ぐらいの感じで現象を見ていく んですよね一方でポストコロニアリズムと かフェミニズムはやっぱりその現実の 例えば僕とダさんの間にある様々なサ みたいなものとか僕と僕の隣に住んでる人 の間にある様々なサイとかを見ていく ぐらいすごくまさっきのヒで言うと顕微教 的な部分がだからその道具を両方使い ながら論じていくてやっぱ結構すうんすう 難しいとこがあったんですけもどうにかこ エコロジーの問題っていうのを今までやっ てきたあのそして今日話してきたような ところにこう接続していくっていう部分を うんうんうんあの考えたいなと思ってます それはやっぱりなかなか簡単には出てこ ないし今もあのいいアイデアが浮かんで ないんだけど何らかの形でそれぞれやって きたことをこう合流させていくっていうの をやりたいなと思ってますすごく楽しみ ですそしてそれはやっぱりあのアートに 関わるあの研究5本とかにな るっていうことですよねそうですね やっぱり僕の場合はそのアート広く言うと 文化っていうものにうんうんあの目を 向ける中でそういった問題を考えていくっ ていう部分はすごく重要な自分としての 部分なのでそこはあの軸としてあのこれ からも保ち続けると思いますありがとう ございます本当にあの今日もとっても充実 した内容ででまた今日からもしあのご覧に なったという方がいたら過去のあの3回の 後とマブジェンダーのアーカイブの方も 是非見ていただけるとそれぞれお1人お 1人専門性も違いますしあのアートジェン ダーっていうことに関して本当にいろんな 角度からのあのレクチャーをいいているの で合わせて見ることによってもまた面白さ があのすごくあの増えていくかなという風 に思いますはいということで今日は文化 研究者の山本樹さんにお話をいだきました 山本さんありがとうございますはい ありがとうございましたはい今日の ポリタスTVはあのここまでになります えっとまた明日のえ夜7時からもポリタス TVあの続きますのでえっとご視聴また よろしくお願いします次のあの回もあの

すごく素晴らしいあのゲストの方に来て いただく予定ですので是非楽しみにして いただけたら嬉しいですはいということで 今日はありがとうございました [音楽] はい H

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2 comments

@ornetc January 13, 2024 - 1:06 pm

興味深いお話しでした。次回も楽しみにしてます❗️

@bleken11 January 14, 2024 - 9:41 am

とてもわかりやすかったです。有り難うございます。

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