◯月◯日、区長になる女。公式サイト
https://giga-kutyo.amebaownd.com/
【ポレポレ東中野 予約】
→https://pole2.co.jp/coming/65558fe58305c0196ea1d51f
1月12日(金)12:00時からの回で、津田大介の舞台挨拶あります。ぜひ。
【ポリタスTV 1/10】
1️⃣女たちの署名運動から広がった杉並区の市民運動
2️⃣原水禁運動、君が代問題、制服自由化、教科書問題……運動がゆるくつながってきた
3️⃣岸本聡子区長誕生にあったもの
小関啓子さん、東本久子さんにお話を伺いします。
【出演】
和田靜香(ライター)
小関啓子(元中学校教員)
東本久子(元看護士)
ポリタスTVの番組は一週間後の19時まで見逃し配信、それ以降は下記の有料アーカイブサービスにてご視聴ください。900本以上の過去配信番組(一部ライブ配信番組を除く)がご覧いただけます!
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【ポリタスTV】毎日(日本時間)午後7時より配信中!
多士済々のMC陣が、その時々の時事問題や社会問題、メディア、テクノロジー、文化や芸術などのテーマを解説・深掘りします。
[音楽] [音楽] こんばんはライターの和田静です毎日午後 7時からお送りしていますポリタスTV 今日から毎週水曜は私和田がMCを担当し ますよろしくお願いしますえ今日の放送は 来週の水曜日の午後7時までは無料でご覧 いただけますそれ以降はポリタスTVの YouTubeメンバーシップにご登録 くださいいつでも好きな時に過去の番組が 見放題になりますまたこちら2つの上位 プランもご用意しておりましてこちらに アップグレードいただきますとジョイ プラン向けの限定動画も見られます皆様 是非ご登録アップグレードいただいてえ 番組継続のためにご協力いただければと 思いますえさて本日はえただいま公開中の 映画丸月丸日口調になる女のえにも登場さ れております杉並の市民運動のえお2人 小関敬子さんと藤本久子さんにおいで いただきましたどお願いします私もすごく お世話になっているお2人でもう映画映画 は私ももう見たんですけどなんかもう知っ てる人ばっかり出てなんかみんな知ってる やん友達やんみたいななんか笑いながら見 ていたのですが中でもえ小関さんと藤本 さんが本当にこうなんだろうなすごくご 活躍していてであやっぱりこのお2人にお 話を聞かないとこの映画のことはもちろん だけどその杉並の市民温ってどんなものな んだろうっていうのがわからないなという か知りたいなと思って今日はおいで いただきましたよろしくお願いします ありがとうございました映画の中では関 さんがどんな場面でるいうちょっとかこの 場面ですねこれあのあの岸本さんがいてえ 内田翔子さんがいらしてその隣で両手を 高く突き上げているのがえさんですねで その次 えっとこのまるで当選した本人のように みなに挨拶をしてるのが東本さんで よろしくお願いしますよろしくお願いし ますとま私は前以前杉並に住んでいたのも あってあの杉並の市民運動に行くとよくお 2人のことをあのお見かけしてたんです けどもであと杉並区ってすごい市民運動が 盛んだなっていうのもすごいこう見ていた んですけどちょっと前に私がえっと杉並の あの荻久保の図書館でと杉並の女性師って いう本をえっとちょっと読んでみたらうん すごいびっくりしたのがその杉並のこう 市民運動ってのが主婦の方を中心にま 1952年から始まっていたとで当時 なんか隣組あの戦争中にあった隣組っって いうのがまた復活させようって動きが
なんか全国でこう結構出てきた時に小久保 にある明るい生活会っていう主婦の集まり たちがえっといやそんなのは行けないて もうあの隣組の命令隣組があることでこう 権力とかにこう翻弄されるとか色々あった のにまたやるのかって言ってすごい怒って で署名活動もすごいしたとでそれが結構 大きな話題になって朝新聞とかに戻ってえ 隣組のその え復活っていうのを止めたっていうのが 読んでいやもうすぐこの1952年から もう東本さんとえ小関さんみたいな人たち がいたんだなっていうのを知ったんです けど当時は全然もちろんお子さんだし 関わったらし生まれてないとか言ってます けどそんなことはないと思いますそんな ことはないでもそう当時のことてのえ当時 のことってのはお聞きになったりしたこと ありましたああのだからそういう時代に あのたくさんの女性師水波の中に大学の 先生で女女性師を研究されてる長原先生と かねそういう方もいらっしゃったからもう 歴史についてはねだからその当時も多分 あの主婦だけど同時にあの集まっては色々 話されてた方々がいるっていうのはあの今 でもうんあ杉並の男女 センターに行けばそういう本がたくさん 並んでたりしてなるほどええ今でもああ 運動を続けるっていうそうことはうん 繋がっているだほそうなんですね藤本さん もそういうのってなんかそういうこう方々 から影響を受けたとかってそういうのって あるんですかうあの今年ねあのえっと12 月の末に100歳で亡くなった人がいるん ですねでその石崎敦子さんっておっしゃる 人で石崎敦子さんそえああのえっとね杉並 のPt協議会って杉並の学校のPTが 集まるPT協議会でうん女性のピ教の会長 になったのは多分全国で初めてというよう なうん人がいてそっか女性そっかPTA ってなんだかんだ男の人がすごいいつも蝶 になっちゃうけど女性で初めてそのお方が うんうんそうなんですで非常にそれでその 人と私はあのなんか石崎ゼミと言われる くらいあの非常に優秀な人で家永教科裁判 とかであの住民自治基本条例も今から20 年前今年20年になると思うんですけどえ その甲府ねそのそれもた作られたえ作られ たメンバーの1人だったんですねそん 100歳だったんです100歳なんですよ で100歳のお誕生日迎えてまもなく 亡くなられたうんうんあその人がまあの 市民運動のありよっていうかうんそういう のを本当に教わりましたね私は本当にだ からそこに集まって私は石崎ゼミと呼んで
たんですえそそうたるメンバーが集まんん ですよ取りじゃもうまさにその1952年 ぐらいから多分石崎さんなんかもやられて あもうもちろんリーダー的な存在だっった と思いますそうなんですねうんあでもその 方がつい最近までご存命だったんですね そうなんですよ へえなんかいきなりすごいなんか胸当に なるでその人がまうん私ぐらいあの80歳 ぐらいかな年齢の時に自治基本条例を杉並 で作ろうということでうんあ20年前なら そうですよねうん行政と住民がうん 話し合って議会を通すあ通すところをもう やられた関わった人なんでその時多分 リーダー的な存在だったと思いますねで私 はちょっと教科書問題でバタバタしていて であなたも入りなさいって何でも言われた んですけれどもちょっとそこまでエ なるほど常にいろんな運動がある杉並区 ですもんねうんでちょっと話が戻るんです けどその1952年にその荻久保の明るい 生活会があった後そのほんの数年後ですね えっと1900今度54年にと3月に ビキニ鑑賞でアメリカの水爆実験があって えっと第5副流丸を始めとする多数の日本 漁船が被爆をしましたで4月に杉並公民館 で第6回夫人週間を記念して開催された 講演会っていうのがあってそこでえっとお 魚屋さんなんですよね杉和田にあったで 菅原さんていうえ菅原富子さんという方が 問題を訴えてこっから照明運動がまた 始まってうんうんだってお魚が売れなく なっちゃったあそうですよお魚屋さんです からそうですよねそう自分のお店のお魚が 売れなくなってこれはの被爆マグロ原爆 そっかそっかそっかはいだからこれは おかしいって言って始まったそこから 始まっうんあそうこれすごいのは区内署名 集計27万とかってこれなんか結構短い間 でめて PTAの方たちそれこそ石崎さんあのそこ に出てらっしゃる方はもう大体私たちの大 先輩でもう名前分かる方何かいらっしゃる んですけどだけどPTAを主体にしてやっ たから学校を通じてだからかなりそっか そうでそのさっき言ったとさが言ったその わPTAの連合会のお母さんたちで崎さん がそうんも代表になられたりその後は山美 先生っていう取立の置やられた方が杉並に やっぱりいらしてだから杉並のPTA活動 がそういう形で原学署名運動にも繋がって から早公民館活動がねすごかったっていう のを聞きそうですねなんか荻久保公民館で みんな話し合いをすごくなんかして勉強会 をすごいしてたの私うんで館長が安い香り
そうだその人が結構すごい人だったんです よねそうです育ての育ちのやうんえ安井 さんとかお存じあげま存じあげないうん 安井さんのお嬢さんていう人を12回お 会いしたことありますねへえだけれども 全然ああじゃもう結構ま年齢が違う年代と して1つ前のきな方々ですよねもうこの今 残ってるのは日だけですけどあ杉並図書館 のええ前に今体育館があってそこが公民館 そもそも公民官でそこに委公民館のがあり ましたっていうのはあるええあ今も日が あるんですねあ知らなかったそうなのかあ うんえじゃあその結構杉並公民官ととその での勉強会とあとPTAの集まりが主に なってこのと水爆禁止署名運動っていうの がすごいこれがでもこっから全国的に 広まるんですもんねですよねうん杉並 すごいですねうんなんでそんなこの杉並の 女性たちのこの最初からパワーがすごいっ ていう かな何なんですかねなんな私あのやっぱり あの石崎さんも私もとてもお世話になり ましたし仲良しでしたからうんうんうん あの石崎さんはあのそれこそその当時で 言えばもうね女うんだっ東京代であ人一緒 あのあのあのほら亡くなったあのなんだっ け名で弱長さんさああ瀬戸内弱長さん 瀬戸内弱長さんとえええっと年は下なん ですよ石崎さんの方がえはいだけれども 石崎さんねものすごい優秀で2年ぐらい 飛び級してるんですよええすごいであの 当時ね私が聞いた話だと日さんは国立大学 行きたかったんだけうん女は入れてくれ なかったんですええそういう時代だって それでやえずあの東京女子代っていうとこ 入ってであの2年ぐらい飛び級したらしい のそしたら若鳥さんと同じになってうんあ はいはいィの話聞いたことありますだから ぱそういうこうね学問しながらうんうん あの大長さんじゃないけどやっぱり新しい うんうんせか あ新しい憲法て男女になって選挙も出てて いうそういう流の中でやっぱりどういう風 にっていそういう女性たちというかそれで PTAのお母さんたちとも力合わせてって いうなんかすごくね素敵ですよねうんうん ねえなんか当時のまだだって女性がその 1950年代とかそれこそその今国立大学 入れないとおっしゃったけど仕事とかもね できないような時代ですよねその頃にこう 市民運動をここまでその最初の主婦がです 言ってればそうだからその石崎さんだって 主婦だったんですよねそうですなんかこう どっかのなんか偉い人とかではないですね えないないないけれども優秀ななんか大学
の先生かなんかやってらしでしょ夫さん夫 さんあお連れ合いは大学の先生あなるだ からその石崎さんたちと署名を運動をやっ たという私の母なんかはもうごく普通の 主婦でしたからうんうんまねその署名運動 には参加したかもしれないけどでももう 自分のお母さんたちが走り回ってたって いうことを語るお友達もいますからあ今も 今でもそっかそっか今今皆さん母世代な わけ母世代が署名に走り回ってたんですね うんだと思いますすごいですよねだから そういう意味で連盟と本当ですよね ちょっとね本当でもだから私この前本を 自分が出してあの大磯っていうところね 神奈川県の大磯町をずっと出題してたん ですけどやっぱり大磯町にもえっと沢田 美希さんってエリザベスサダホームを作っ た方とかうんがいらしてなんだろうその 女性がこう何かをやるみたいなこう姿を 普通に沢田美木さんって東海道線の駅とか にも普通に乗ってていらっしゃっすごい 普通に歩いてたそうなんですよねだから やっぱそういう姿をすご見て次の世代の人 たちが結構影響を受けたみたいなそこう なん土台みたいのがあったみたいなんです けどでも杉並区はじゃあそういう土台って のはその石崎さんたちが作ったっていう いや石崎さんのもっと上の人たちさあの あの署名の写真に出てあうんお小沢小沢 さん3人組とかね沢あの小沢さんには ちらっと最後お会いしたことあるけど小沢 さんの夫さんが弁護士さんでんですか小沢 3人組って小沢さん小沢清子さん小沢彩子 さんからもう1人えなんか小沢さんって いういわゆるそういうさっき出てきた写真 の中にいらっしゃるんですけどだからまそ その石崎さん多分もしかしたらそこに少し 代なる崎さんはこの中では若い方だ若だっ たこの公民館のこのこの中で多分石崎さん はじゃこの崎さんはまだあのそんなメイン であやってるっていうではないと思います じゃこの中できっと着物を着てらっしゃる 誰かが3人が小沢 小沢うんトなったのかななんか有名な話 ですうん小沢トリオってのが たじゃその人たががそのでPTAで すごかったっていうことなんですねへえ うんうんですよねその小沢トリオのね小沢 塗料のお子さんとかお子さんとかって今 杉並区にはいらっしゃるんですかねあの 最近までいらした方がいてえそれで あの息子さんのお連れ合いのうんあ方 がだったりもそういう方はいらっしゃい ますけど小澤さんのきこさんもう小沢きこ さんきさんうんはいあのそれこそ私は学校
の教員してましたけどはい子供たちが戦争 体験聞くとかそのはいああ署名の話聞くと かいう時は大澤きさんに来てもらって話を 聞くっていうそういうそういう方が いらっしゃいましたからなるほどそういう ことでもすごくああそっかあでもじゃあ 小沢清さんその元祖杉並の市民運動の小沢 さんの話を祖杉並祖杉のの話を結構じゃあ 780年代ぐらいに杉並の中学校中学生 聞けたんですねすごい伝承があったんです ねそこでねなんかそれすごい大きなキーの 気がしますすごいああそんな面白い知ら なかった沢とりよっ てそっかそんな方々がいらしてじゃあそっ からじゃ今度石崎さん世代があってうんで えっとなんだ石崎さん世代があってでその 多分石崎さん世代の頃に杉並母親新聞とか が作られてたのがこれが 1962年とかなんですけどはいはいはい はい多分これ石崎さんとかもやってるかも しれないぐらいと多分そこには小沢さん たちも関ってうん母親あ小沢清子さんだ まさにこれだ書いてる人が小沢清子さん今 気がつきた 沢さんと彩子さんとかは母親運動のもう選 者ですから杉並のなるほどいわゆる母親 運動っていういやだ私今気づきました小沢 清子さんじゃないですかこれ書いてるの うんああ小沢清子さんの記事ですかそう です口調は私たちの手でって書いてあり ますうんそういうそういうああスドの最初 のももしかしたら初代先輩がでそこからさ に行くうんということかもしれ これ私これもこの杉並母親新聞っていうの もこれ小久保の図書館で見つけたんです けどはいこれはその杉並に母親運動って いうのはPTAとは別なんですかあの えっと全国的にあの母親運動っていうのは 多分その全国的にあった杉並にもだから 母親運動っていうのがあって多分だから 小沢さんなんかはそういう初代というか その頃のはいいわゆる母親連絡会長そう いう女性たちと一緒に連絡会を作っていた その母親新聞のそのものの私図書館のは見 たことなくてええ うん大学の先生たちが研究されてた杉並の 母親運動の歴史みたいなものうん今度聞 あったら田さんにあげますあありがとう ございますそうだからねこんな母親新聞か ていうのも見てたら結構私ちょっと結構 コピーしたんですよこの時なんかいっぱい そしたらなんかいっぱいあってなんか途中 で飽きたんですけどなんかありすぎてで なんかそれでこの時に見てたらそうこの まさに大沢清子さんが書かれてた口調は
私たちの手でっていうのが出てきてこん時 からそう言ってたのかと思ってそれが 1962年でだからもうね 61年杉並不正 9090周年って去年90周年だ去年だか 昨年がそうだから60年ってことは62年 ですね年だからでも今だ から1番最初のうん杉並の区長の最初の 区長さんはうんうんカシ区長さんでへえ2 閣さんていう方だったと思いますけどさん へえシただぐ あの健康が優れなくて半年ぐらいああっと いう間にやめちゃったんですねだったと いううん うん風に思うんですけどその後はからは ずっと割と行政マでうんでその行政マだ からごく普通の普通の自治体の普通の口調 でだからそんなに邪魔されたりうんうん あのなかったじゃない うんうんうんそっかうんでもこのまさに そう最初のにそういう小沢さんのねうん長 は女性でっていうのそれは長はね私たちの 手でです私のねうんうんそうそうだから 私たちのえ望む苦情この時にちょうどなん か私知らなかったんですけど杉東京23区 は長光線っていうのがえっと廃止されて 52年にだからこの小沢さんがこのさっき 自分たちの手でって書いてた頃は議会がえ 区長を選任してたんですねその時代は なるほどなるほどで1974年に区長交戦 がえっと復活して選挙でまた選ばれるだ から多分その私たちの手でっていうのは その区議会が選ぶ口調ではなく私たちが ちゃんと選挙で選んだ長が欲しいよていう のが 沢うんうんなんかでもすごい私これを 見つけたにすい感動したのはこれ1962 年5月155日発行の杉並母親新聞でこの ちょうどだからえっと60年後かですよね 65年60年後の2022年の6月に本 さんが区長になってるじゃないですかだ からなんかわあって1人で図書館で胸当に なってたんですよね 随分時間がそうだよねそうよねからそう こん時に小田きこさんまさにそのね小沢 トリオの小沢きさんが口は私たちの手でっ て書いて60年かかって私たちの手の口調 が誕生したんだと思ってだーみたい なそっかそっ か泣きそうになってたんですよねなんか すごいだからこうやって考えるとその 私たちの望む区長が誕生するまでって本当 にこう杉並のその市民運動ってうん長い 長いこう歴史があったんだなってことを こうこうやってちょっと実感するんです
けど本さんも小関さんもだいつぐらいから その市民運動を杉並で始められたんですか 私私は生まれも育ちも杉並ですしはいうん えっと彼女とね運動あれ自はあの学校が 一緒でしたからあの私娘の恩師なんです そうだけどそっか東本さんと娘さんが通っ てた中学校のリカの先生学リカの先生うん あでPTAPTAて会長あのその時は会長 じゃなくて広報部長かなというのは制服を なくしたいっていう思いがあったのであ 後方後方士でバンバンかけるかけるんです よ後方であのはい制服か私かという特集を 組んでそれがね私賞もらったんですよはい うん賞もらったの読より新文書あ すごいそれ取材して制服の私服のところが 杉並に何個かあって私ねあのそうなんです あのだから杉並って元々うん全国的にあり ませんでした私あの えっと62年に私は教員になったんです うん うんっもう子供も産んだし保育園は杉並で 保育園に入れましたしで82年に杉並に 戻ってきてそれであの給食の問題とか保育 の問題とかってそういうことではあの役所 の人たちと一緒にあの結構あのいろんな 運動は保育運動はにやりましたからうんだ から杉並の保育園っとのは質の高い保育園 をずっとあの維持してきたんですねそんな の保育園なんですねでも杉並あの62年に 教員になって20年間すだくそれはそれで そこでも色々頑張ったんですが82年に 戻ってきた時に杉並にせあ私の馬あの私は 杉並で小学校も中学校も入りました私の中 学校も制服ありませんではい私の言った 杉並は意外と昔から服昔から制服のない 学校が7ってやあったんですで私が入っ たえあのそのともさんと一緒になった中 学校っていうのは制服があっそかだから なくしたいとそうあのねというのはうちの 娘が入った時にやっぱりすごい寒い日に 先生もズバ入ってる男の子も全部ズバ吐い てるのになんでこんなにヒララのスカート 履かなきいけないんだていうようをうん うんうんったみ服なくせばいいじゃんとか あの娘と話したんですよねでま私もあの 入る前から制服はまずいと思ってたので うん制服なくしたいって言うんで後方で ガンガン書きたいと思ってあでPTで後報 やられてでその色々ガンガン書いてそし からそっから運動は広がったんですかあの ねやっぱりあの1年ぐらいなくなったん ですよえ制服じゃなく私服になったのえ1 年で1年でしたよねえだってほら杉並は別 に誰も邪魔しない親子さんたちがみんな それでいいですって言えば先生たちも
そもそもスカート竹をこんなとこに線引い てねあれするなんて理人なはい人権侵害だ しそういう教師集団でもあはいはい教子 集団があの教子集団は服でいいよって感じ なねで子供もそういうだったんだけど親が ねそうなかなかねぐらいは制服がいいって いうことでで広広報部があの主催して制服 が私服かっていうね大議論をやったの覚え てる2回ぐらいやったどこでやったんです かそういうの中学校学校あ学校の中でそれ でねあの再度アンケート調査をしたんです よそしたら逆転したんですようんうんあ 議論を重ねたらあすごいなんて民主的な すごいですねもうそこでなんかやっぱり私 は民主主義っていうのは活動の先にあるん じゃなくてそういう活動の過程の中で実現 していくんだよねっていうことを体現し あの体験したというかええかっこいいだ からなんかそういう運動をしてる時にいつ もあの家庭で活動の家庭で民主主義を実現 して民主主義が定着するんだっていうね なんかねそういう思いがああなるほどでき たんですねでもそこでこう議論できる杉並 がそのお母さんたちとかP10の方が すごいですよねうんそうなんですよ たまたまね藤見中学のP10あると思う 教師集団も非常に良かったで小関さん なんかもいらしてあ小関さんもそういうの には参加してたんですかもちろんPTAの あれにはしませんもうお母さんたちの議論 ですでもね先生方何人か来てくれましたた 見てはあの見てはあのへえ言いますでも 余計なことはあの言いませんしそじゃあ それで1年1年でも制服がま信服が私服に なったでしょそしたら今度次子供たちが ブルマ女の子のブルマってわかりますも悪 でしたもうそのほど嫌でが嫌だっていう風 言い出して嫌ならばあなたたちい嫌だって 言えばてえそう嫌だ嫌なら嫌だって言えば て言ったらブルマーはなくなって短パンに なってえそれはそれは生徒が今度は主体で やったんえすごいあの名してましたようち の娘なえどうするのって言うからみんな から意見聞くもうなんだろうすごすぎるん だけど月のみなんか表面運動してあのえ なんか体操の先生がきちんとしたした人 らしくてひょっとパンツだと限定されるん ですよどんどん限定されえなんでなんか 知らないけど決まってショートあの ショートパンツっていうの決まってるのに たあの膝までの頭分入ってうちなんか参加 してたの嫌だっって言ってうんうん うんうん原されて うんで あのおかしいって言ったらみんななんか
うん子供たちが署名運動先生がなんか署名 運動して生徒会長が校長交渉に行くんだと かうんうんすごいあじゃなんかその親も PTの親たちがそのなんかこう議論したり 署名したり色々こうしてたのを今度は子供 たちがやるようになったってことですよね うんでなんか小関さんなんかが子供たちに 子供の権利上映でがその時もうすでに批准 されてたと思うんだけどそれは子供の権利 条約うん条約それはどこにあるもん国あ いやいや日本があのに国連の子供権利条約 っていうのがあって日本が多分批准したの がいつだっけあそっか国連の条約に日本が 批准したうんうんうんその時に批准し たって見表明権があるんだよみたいな話を してくれうんくださったみたいで関さんが 生徒だそれで背中をした割と別に私がやっ たわけじゃなくてうん多分なんか私も行っ たその ね大体だって考えてみれば杉並は制服の ない学校なんていっぱいあったわけだから それはそれでいいしで制服お母さんたち 変えたらじゃあ次はやなブルマ白のやだよ ねなるほどねうんいうなるほどそういう 意味ではすごい変なことなわけじゃなくて うん自分たちのうんのことは自分たちで 決めるっていううんうんでもそれをこう それ私もすごいブルマ嫌だったんですけど うんうんやだって言えると思ってないん ですよねうんやだなんてもうルールって いうのは決まっていてそれは当然 受け入れるものであって自分がそれ裏では やだなと思って例えば生理の時とか本当に やだったしだけどそれうんだて言えないし やだって言言っていいんだっていう概念が 全くなかそうそうそうそのねうんこんなの 嫌だって言えるっていうこれはおかしいと かねうんうんだからそういう風に思えない まんまがこう学生活をさせられて大人に なるというとどういう大人になるかって いうことなわけですよねだからそうですね だから結局自分の声はあげないしあげた しょがないじゃんと思っちゃうしていうの が多分私たちが育ってきた1965年 生まれなんですけどそう生まれてそう育っ てそう大人になるとま選挙もいかないし うんうんそうそうそうそうなんかそんな できるわけないじゃんと思うけどでもじゃ 杉並はそこでそれ何年代なんですか198 1990年のそう全般にゆかちゃんが入っ たのは90ね8年だから15歳だから95 年ぐらですねそうですよね95年ぐらい 95年っていうのはあの戦後5050年 ああそっかちょうどそうで職場ではうん 平和50年の平和学習とかうんへえ中澤
さん呼んで講演会とかいうね中澤県あの裸 の言あはいはいはいはいなるほど あんやったりとかしてすごい本当にねあの 藤見中学校の本当にねすごい期的で今 考えるとだって出産ビデオを子供たち 見せるんですよあやったうんそれでねうち のあのえっとなんかあの突っ張ってる 男の子なんかもうんなんか男の子なんか どういう反応だったって娘に聞いたら すごい神妙に見てたよって言ってねうんも それもじゃあなんかよくそういう整理の こととか出産とかて女性女子だけに見せ たりするけど男両方に見せてたんですね 両方に見ててええでなんかねうちのすも 厳粛に受け止めてましたねああそっかあえ そういうこう性教育とかもじゃあ1995 年ぐらいはうんやれてたんですよやれてた んですね子供の権利条約っていうのは 1989年の11月20日に国連総会でえ 採択されたいうことですからちょうどそう いうことがねうん うん世代だったということはそれはあり ますよねうんでも私もう1995年は全然 大人で東京で働いていたんですけどで私 まさにその頃杉並区に住んでたんですけど あのそうなんですその頃まさに小くに住ん でいましただけどそんなことを全く思わ なかったしなんかその権利とかうん戦後 50年とかもう実際そういう例えば選挙に は行ってたかもしれないけどうんその記憶 も定かではないだから全然こう何も考えず 生きてたそしてなんかアタフタしてた自分 のことばっかり考えてた頃頃ですねそっか なるほどそうそうやってじゃ杉並はそう やって市民運動どんどん育ってきてで じゃあもうその比定のえ活動とかじゃ学校 のせま籍さ学校の先生としてそれぞれが どんどん活動を始めてじゃその後はなんか だからそあの私はその前に小学校のPt 会長をやってたんです2年ぐあの選挙で 選ばれるわけですけどはいはいでそのその 仲間たちが中学校に行った時にその制服の なんていうの配信運動にも関わってくれ たりとかそこでやっぱりPTの中でみんな が育っていってるんですよねあの当時のP はね結構すごい学習活動なんかさ盛んで へえなんか今だとPtってねどうしても なんかみんないやいややるっていううん あのねその時もいやいやですよ最初だって ねみんなが決める時に私は体が弱いおばあ ちゃんの面倒見てるお旦那が具合が悪いて みんな具合が悪いここは本当に具合の悪い 人が多いんだなとでもうなんかそういう 時間がもう鬱陶しくなって私なんかお調子 もんだからもうじゃあしょうがない私元気
だからやるわみたいなさすがさすがだわそ そんな感じでやったんですけどものすご 勉強になりましたねああ本当にうん私は あのなんか割と音質的な育ち方をしてたの かな割と仲間打ちでだけど社会の ものすごい祝なんですよねPてうんうん どうどういう意味でもう多様すごいあの 地域の人が来てるわけですから多様な人が 集まってるわけです公立の小学校の小学校 だからねうんだから例えばなんかま いろんなあるよね例えばPT会の解職を まず変えたんですよねああやっぱり色々 やられたんですねもうそっからどんどんね うんなんかねうんえこれ違うんじゃなと 思うことがたくさんあってそれ役員でその 時に日の丸君の強制があったりしたんです よあなるほどその時なんですね日あのね その山小学校って先生になんか頑張って くれててあの私娘を入学したすごい感動し たのなって子供の作品がねバーっと並んで てあのそしてなんかそれ卒業式入学式ね 入学式にいろんな作品があってで音楽が みんな子供平場でね子供たちの先生方と 平場であいわゆるこう丸がこうバーンて あってこう飾られてて台の上にそれでみん 気を歌みうんなくなかったのそれで私は そういうなんか松ノ木の分際があってあの ひがあってみて世界で育ってるからねう なんかすごくねうんすごいなと思ったのね あそれが逆にこの子供の絵とかが飾られ たりとかうんそれがでそれがあの2年 ぐらいしたらそういうがこう潰しにかかる わけですよへえであの違う校長が来て突然 子供の作品を全部取り払ってあのなぜか うん長内会のお祭りの紅白の幕を全部張 るっていうねそしてあの音楽あのなんか こう舞台の上に日の丸は飾ってあのや るっていうのでうんうん あの別に私その頃ねしっかりした イデオロギーを持ってた人じゃないのねだ けれども私が変だなと思うのはやっぱり 国家国家行事じゃないやない子供の卒業式 っていうのは本当にあの子供たちのあの 学びの集性うんうん学びの集性で子供たち と先生が作るもんだよねていうのそれで あと熊山小学校の卒業式が非常にあの評価 が高かったの保護者のねうんああだから なんでそんなことするのっていう声が 上がって署名運動が始まったりしまたそこ で署名が始まるんですうんあのピテの中で ね署名は私会長だと預けられたんですよ そしてあの主義うん市長を超えたところで あの子供の成長喜び合いたいっていうよう な内容をだから私はピて会長として校長に 渡てあのそう杉市長を超えたところで
みんなで子供の成長を喜び合いたいって いううんだから強制はやめてくださいあの ね在日の人なんかもいらしたみたいであ はいはいだからそれでそしたら校長は なんかガンガンガンガンて言ってきたのね うんその時になんかなんて言うのかなあの 私なんか偉そうに校長先生に民主主義は どう思いますかっていうすい今でも忘れ だった民主主義なんてないって言ったのね あ学校に民主主義はないでね学校の民主 主義は文科省が右を向けと言えば右を向く ことだえ左を向けて左私はもうそれで すごいもう目覚めましたねその人ことであ これは大変だと思ってそこれなんとかし なきゃと思ってこれ戦わなきゃいけない なんかねその時にねいやこれは大変だよね と思いましたねうんそっかそれが小学校の 卒業式でまじゃそのから本当に結構市民 運動みたいな市民運動でその時はなんか あのみんなねお母さんたちもそんな イデオロギーで戦ってるわけじゃないです うんあそかこれおかしいっていうような気 うんだって今子供の卒業式とか子供の作品 るの当たりうんうんなんで紅白の幕になる んだって思それで右向きそでなんか日の丸 に何度も卒業式て練習させるわけですよ 舞台に上がってあの日間にお辞をして散歩 下がってうやうやしく卒業少々もらうって いうねうんはい小学校でやってたのやって たのそれでそれは見ててもおかしいよねっ てみんな思うわけですよだからそれそれで あの大論争になるわけですねその時に やっぱり私なんかはんはあの当時その取立 の早朝だった山積正美先生だとかというか なんかあの中学校の先生だとか呼びして そのなんでそんなに日の丸君を強制するん だっていう学習会をやったことがあるん ですてたくさんこ保護者が来ましたねえ ええだって学習内容として位置づけるわけ だからあそっかそっかそかそれは私たち 子供のでやっぱりこう全体主義に繋がる わけじゃないうんうんそのたにこれ おかしいよねて普通は思う人もいてその時 にP役員は全員ね黄色いリボンをつけて その時なんか黄色いリボンをなんだっけ なんとかで黄色いリボンが話題になってた 時映画映画かし映画かなそれでなんか 黄色いリボンを作った学級部の部長あ部長 になってた女性がいて玄関で黄色いリボン を配るんですよん役が全部座ったのでうん もうすごい朝新聞かなんかに書かれちゃっ てうんへえもう大変だったんですよいやも 当時からじゃ大変だったんですねうんでも そういうなんていうのしっかりした イデオロギーを持って反対してたっていう
のではないんですだ子供も純粋な子供を 子供の学びでしょ学びのあの集体性 でしょっていうようなところが起点になっ てるんですねうんなんかじゃあそういう とこからこうだんだんだんだんこう本さん も 動てくとけどうんなんかこうすごい イデオロギーがあるってよりはいやこれ おかしいよねとかそうそうそういうこう なんていうのか素直なっていうかあれっ ていようなちょっとしたところから始まっ てる世そうなですそれがきっかけになって あの子供の権利条約の勉強会をがPTで開 たりとかで私はその時山美先生の本に 出会ったんですねん先生がちょうどあの どっかのPt会長やられてて日の丸君側の 強制に反対してるなぜ反対なのかって本を 書かれてたんですよその本にすごい感動し て山積先生来てもらってで私話京の会長 やってたと思うやってたのかうん杉7の杉 7のうんPT会長杉並大7勝第7小学校が お住まいでしたから私のうちの近所なん ですけどはい6ではなくす7だったと思い ますけど山正さんいう先生いう都立大立 大学のせあの最後は早朝じゃないなこの方 はその君が問題とかに詳しいあの教育学の 第1人者と言われてて教育学の第一者も 知らなくすませんの会長だっ私は全然もう なんか全然分かってなくて本を読んで感動 してなぜかず山先生連絡を取ったんですよ ねさすがさで学習会来てくれたら下駄入っ てきたんです山さんがお迎えに上がり ましょうかいらないよとかなんか言っ ちゃって下入ってPTに来てくれて勉強し て校長もみんな集まったのねそんな私 そんなその時はそんな大それたことをやっ てると思ってないから校長とか教員とか 保護者もいっぱい来てなんそでやったん ですねうんだ最後に山積正美さんが言った 言葉なんかそのなぜ国はあの君を制するの か教育教育の管理統につがっていく全体種 につがっていくとかそういう内容を分かり やすく話してくださったんだけれどもその 時最後にね校長の顔を見て何か質問はって 言ったのがね忘れられないああなるほどね いいな山正美さんが山鳥の教授だったん ですけど校長に何か質問はって言った時に 校長がばった顔をしてうんうんありませ んなんかドラマですねすごいですねそれが ねも場面が忘れないえそその時に山積さん が私もその時すごく共感してくれる仲間も いっぱいいるけど日の丸君に反対して るってものすごいあのバッシングを受ける わけですようんその時に山積さんがあなた のやってることは間違ってないから自然と
してなさいって言われたのねで私はそして 山さんが自分の書を紹介してくれてそして 石崎子さんに繋いでくれたんですうんあ なるほどそっからそうやって繋がってくん ですねやっぱり何かを始めると必ずこう人 と繋がっていくってそれでこう運動みたい のってのが広がっていくっていうだから なんかこう無理やりこう何かで繋がろうと したわけではないわけだって結局このお 2人もそのね制服のことでたまたま出会っ て今には至ってるわけでなんかこう 無理やりなってのは全然ないんですよね そうなんですよねその後こうでもすなくて だからそうそれで2000年に私は あ彼女のあのゆゆ娘さんたちが卒業して もう私はあと残り何年あ次の残りだけで 退職で2000年はいっていう時が来て私 2000年3月にその仕事おしまいになっ たからはいえでその時にうん杉にうん変な 調が来るみたいだというところからこれは トムさんただじゃいられないよっていう それ2000年が大きなターニング ポイントなんですそのその前 19909年に多分山田浩さんというえ今 多分参議院にいらっしゃると思いますが長 さんがラグビーボールを抱えて杉並長に なるぞてってはい あみそっから調なんとかしなきゃいけな いって運動がそっからそれまでは普通に あのそっかそっかそれこそあの教え後の はいおじいちゃんが区長さんだったって いう時もありますあなるほど今でもあの孫 と付き合いありますけどねおじいちゃんに 言っといてよなんて私言うぐらいそういう 普通のそう役所におられた行政の方のはい はいまトップの方のような形だったんです よだからご普通のだからあの杉並は給食を 自行方式で守るっていうことも杉並の給食 を支えてきたのもそういう普通のあの不 だったからやれたし保育の保育園を増やす こともそれから中身のことも特別にうん うん2階建てほぼとか言って2階建ての 保育園になるところはうんほぼさんをあの 増員してくれるとこうんあうんとかもう 色々なことをやれてきあでもそういうこと も皆さんが声をあげてたあげ続けては運動 は続けたですそ自動感を作ってほしいって いうだって保育園を撮影したら今度行く 場所ないからで自動感運動が地域でわっと もう起きてもう私なんかも一生懸命なて 自動感作りしえでそういうのはやっててて みんなこう繋がってやっそうそれで役の人 たちと一緒にやってたんですなるほど ところがところが そう1999年に山田浩さん
がそうラグビーボールと共に来たのはうん あのこの教科書を杉並で採択をしたいって いう目標があってきたんですその教科書が ですそそれが作る会の教科科いわゆる いわゆるね山田さんあので私は作り教科書 であの山田区長がはいあの教育委員会を 大倉裕之っていうTBSのなんか教育委員 を変えてくんです変え てなぜかていうとちょっと待っ てそもそも教科書っていうのはあの本当は 昔は学校の先生たちがみんな希望を出して 教員の希望をずっと出してそれを集約して ていう時代もあったんですけどある時から 教育員教育委はうん長含めて4人のあの戦 される教育委員が5人の人が決めるんです だ教育委員会が教科書を決めるっていう システム5人でで議論してで何百冊もある 教科書を選ぶというだから教育員さんが あの普通の人じゃダメなわけですあ なるほどその教科書がいいっていう人が出 てこないといけなくて教育員を変え始め たそこからが始そからがじゃその杉並の 教科書問題ってやつの教科書択騒動みたい な感じで書かれてでそこから皆さんも運動 バリバリに始まったあのそこで私はま石崎 敦子さんなんかと繋がっていたしで やっぱり歴史認識っていうのは本当に私は 人格形成のベースになると思っていたのね うんだからあのやっぱり例えばもっと 分かりやすく言えば沖縄戦について産業 しか書いてないとか広島の原爆にだって 産業ぐらしか書いてない本だとかそれから アジアに対する加害の記述がほとんどない とかそんな教科書だとやっぱりダなだと思 婦はなかったあれは買春婦だていうそう いう風なうんその頃山田は統一協会と 繋がってたんですよねなるほどで大倉米助 ってさっき言った教育委員を連れてきた人 はうんうんあのなんて言う宗教連合の新聞 があるじゃないですかはいそこのコラムを 書いてた人だったんですよで私はその コラムを持ってもうこれは議会で承認する なってねすごいロビングをしたの覚えて ますねうで1日中区議会に行って会う人 会う人に言ったりしてでもちょっと議会で 承認されて教育員になるんですよね なるほどででもそこじゃま皆さんすごいか ま頑張って頑張ってうんそしたらあのそこ で5人ぐらいでねあの杉並の教育をあその 時ネットなんてないですからあの教育を 考えるみんなのか立ち上げたのがどんどん どんどん大きくいろんな人が繋がっていっ たんですよねうんうんうんそっかでなんか 見たのは2011年ぐらいにやっと決着を していくんですよねそううんだあの山田
さんはうんもう あの3期 うんと何期やった3期じゃ結局あえっと 20002000年2001年に教科書 採択があったのですがはいそのために来た んですからだけどその時はもう本当に大 運動してうんうんうんもう区役所を 取り巻いて人間の鎖をやってそれであの 阻止したんです私たちでだからうんでき なかったんだけどその4年後でしい教科書 って4年に1度採択されますからその4年 後の25年の時に入っちゃったうんああ 決まっちゃったんですねそれで決まっ ちゃったんですけどはいそれで えっとだよねそれでうんうんそうですね 2006年度から使用する中学校の 歴史それでうんうんみんなもう愕然とした けどでも教育員をうんうんねられちゃった から最初の時は教育長さんが最後の一票を うんうんだから5人ですから2対3はい はいですよね3人反対すれば通らないけど はいはい3人賛成すれば通っちゃうって そういうだから人ある1人が キャスティングポうんなるほどでそんな ことがあって結局は えその後その時にあのの時の4年入って4 年入3期でやめることを決めてるんですよ 山まだがなんか長期でやらないっていう あああ法律みたいな作って例みたいなの 作ってあなるほどやめてで選挙があった時 に私はうんその教科書を終わりにしたいて なんかうんであのなんて言うのかなあの 田中涼あのはい次の次長田中涼をあ私は 応援したけどこの人は応援しなかったああ それ教科書が変わればいいんじゃないとか 言っちゃってあそっか とり変えたいうんそれからあのなんか変な イデオロギー的なことしかあの山田やって なくてなんか杉並で市販官とかいうね杉並 独自のあのなんて言うの局の教員を要請 する批判じかそれが私ものすごく嫌でえで 田中りが立補するってい時に私はその市販 軸と教科書問題をうんうんけてほしいて 言ったのねその時に前田中はその時は俺は イデオロギーシなのは嫌いなんだよてすぐ 泣きてやるみたいなねそうそれで私は関心 がないつうんじゃ関心っっていう教育に 口出しするほど政治家はあのそんなあの 交渉なもんじゃないんだみたいなその田中 りさんていう方はま次の口調になるわけ ですけど元々はえっと都議会の議長だった んです議会都議会議員民主党の都議会議員 だったんですかうんうんで議長議長だった んですかでその方をじゃあみんなが並の 運動から出したいやみんなはではないん
ですよだからその時はそそか小関さんは 反対してたしうん別の人たああ別な方を 残してたうんうんでもま一部のそのえっと 市販塾みたいのもやだし教科書もやだ からってい方でうんがみんなが推薦して その田中さんって人がま長にうんけよて いう頭があたあでもじゃあまある意味そ 田中さんも最初はが最初それでね私がもう すごいあの田中さんの評判って決して良く なかったのねだけどだからすごい話した時 に田中区長が私に言った言葉は俺はなんて 言うのかなそのイデオロギーシなの嫌いな んだよって言ったのねで私はイデオロギー シな癖をやってくれって言ってるわけでは ないんだって話をしたら目の前に目の前で れうん人がいればうんあの岸のを言わずに 飛び込んで助けられるうん長になりたいん だって言ったのねあすごいいいこと言った じゃないそれでいいよてなんで超いいこと 言ってますよ超いいこと言っててそれで ボトムアップの政治をしてほしいって言っ たらあいいよいいよずいうかそれを言っ てる東本さんの立位が不思議なんですけど で私はそれでいいよって感じまとりあえず 私は市販官とかうんうんのうんあのなん 教科書そういうものをあの終わりにした いって思いがすごい強かったのそれが じゃあ2011年ぐらいってことですね うんそうそれはとりあえず終わったんあ そっかそっかでででもその頃結構藤本さん や小関さんはすでに杉並のそういうこう 口調を自分たちで作ろうみたいな運動の中 でも結構中心におられたっていうかうん あのうんまあ とにかく教科書はなんとかしなきゃいけな いっていうのはもうだって未来の子供たち の問題だからこれはなんとかしいけそう 結局お2人すごく子供たちのためにって いうのはすごいベースにあるそうそうそう そうだからねあの子供たちのためってま そうなんだ けどあの やっぱりあのきちんと歴史の真実を きちんと伝えるってことはやっぱり社会を こう成熟させるためにはもう絶対必要だと 思うのうんうん うんないですはいはいはいそうですねうん ああいう人格の人が溢れてたら困っちゃう っうんだからとりあえず私はそういう風な ところはきちんとしたいなと思っなるほど でで田中涼さんになってえっとま教科者 問題は片付いたんだけどでもだんだん こんな田さんがあのね1目は約束もって くれて学校にクーラーつけてって言うたら 自分は見学に行ってすぐクーラーつけて
くれたりとやってくれはいです2目から なぜか突然変わっちゃってあのいわゆる なんかえ自民党のなんて言うのはいうん 政策であの施設をこう再編していくああで なんか小さい政治みたいなどんどんこうな はいはい自動館も廃止しましせっかく皆 さんで一生懸命作った自動館も廃止し ましょうとかっていうどんどんそういう 方向に杉が行ってしまったってのは私も 2000えうん 15年ぐらいとかはまた今度杉また杉並区 に私住んでたんですねだからそれちょっと 見てましたねうんうんなんそうやって 変わってしまってみんなのこう区民の思い とは逆の方向の苦にどんどんなってって しまったってことですよね多分ねそれは あの彼だけっていうよりはもう国うんあ国 全体のね流れの中で言えばうんもう再編 整備みたいなねうんうんそうそうそうこと の流れの中なだけどうんある意味でその まさにね新主義のうんはいこうで小さな そっかでもその中でも杉並区民はずっと 運動は私はずずやってんですようんあの うんそれこそ口調をはい選ぶはいちゃんと 出すということはねねでもやってないもん ね田中さんだから次々とそうそれは私っだ から岸本さんがなるんだから2022年の 1つ前の選挙の時とか次区にいたんですよ 全く私はぶっちゃけ投票も行かなかったか もしれないごめんなさいでしょねだもう あの自子タイム選挙1番低いですもん 3%とかね1/3ぐらいの人しかに行か ないからまうんねうん変わりませんよね うんで田中涼さんがったから長でそうそう で杉並区役所とか行くとあの当時すごい私 その頃すごいお金なかったんであの国民 健康保険とか払えなかったんですよで払え ないですけどどうしたらいいって言った時 に区役者の人に今もすごい覚えてるんです けどま担当の人のねあのにもよるしその時 の気分にもよるんでしょうけどなんか仁王 立ちされて払いないなんてダメだてすごい 怒られたんですよめちゃくちゃ説教されて 私なんか泣きながら帰ん記憶があってま今 はねもうあの分割払いとか全然オケーだと 思うんですけど当時なんかそんな風に言わ れて杉並バカと思ってるのに正はいかな いっていうこのも最悪なパターンな人だっ たんですよね私ね行って変わるなんて思え ないもんね全くく思なかったですよそう 思いますよねうんやっぱりトップがなんか そういう感じだったらうんやっぱりなんて 的仕事をやっぱりはい職員ができないこと はある本当に川もうね象徴的なのは 山田山田浩長の時はもうすごいケチだから
夏のだ冷房は28°ねだから普通ほら役所 なんか行くとみんな涼しててほっとするっ てなるでスに来る人もいますよね食道に 入ってででもね28°だからちっとも 涼しくないのであこれじゃうん働いてる人 も辛いよなもう本当ケチみたいにで田中 さんになって田中さんていう人はあのそう いう人だからスーっと下がってうんあだ からみんな一瞬役所の人たちも喜んだうん うんうんであっという間に変わるでしょ そして何が流行ってきたパワハラだからあ もうなんかパワハラ区長だからやっぱり 働く人たちが区民に対してそういう応を するはいなるほど あの生活を取るんだって大変でしたようん その困った人一緒に行ったってもうそれ こそ不要紹介はするわ何はするわもうそう いうことがずっと続いて自動感はなくなる もうそれはだからね行っても変わらないと 思ってる困ってる人たちが支えてきた長 ですよねある意ではそれでいよいよずっと 前もう前置きがすごい なでもそれだけ前置きしたらなるかわか 分かりますよねだからこそもうみんな 新しい口調がどうしても欲しい私たちの 口調がどうしても欲しいっていう気持ちで うんいよいよ岸本さんが出てくるわけです けど岸本さんがだから出てくるまで本当に 候補者選びってのがものすごいまず大変 だったっていうのもお伺いしてるしもう それは本当いろんな方に当たったんですね きえいろんな方って67人6人ぐらいか 56人当たりもっと当たったもっと当たっ たあそんなに5人ぐらい当たってないうん あ334人は4人ぐらいは当たった人あで もその元そもそもそういう風にこの人が いいと思える人がいないっていうことなん ですいやいやそうじゃなくてね いらっしゃいあのねやっぱりどういう基準 で選出していくかっていう議論をするわけ ですよあの杉並のはいあのなんて言うのか な住民思いの長を作るかいていううんはい 会を作ってうんうん私たちはこんなこんな 杉並にしたいよねって議論をするわけね そうするとおのずとどういう口調にを 選ぼうかっていうことをするわけですね その時にやっぱりみんなで公平で構成で あることはいとかあととりあえずあの住民 の声がうんうん生かされる議会に生かさ れるあの政策に生かされる区に生かされる ようにしようとうんうんうんそれかあ とりあえずね杉並はみんで応援しなきゃ 勝てないんですよだからみんなで立場を 超えてみんなで応援できる人っていうよう な基準で次々と当たっていくんで優秀な人
当たった人はみんな優秀ですよだけれども 結局仕事を抱えてるんですよねでそういう 人に限って あの重要な仕事をされていてであの興味は あるって示してくださったんだけれども うんなるほどそうか仕事があるからって ことうん仕事あ事務所持ってるとかなんか 自分があの仕事されてたっていうので黙て うんそうでそこで岸本さんっていう人を 内田翔子さんがうんうんそそううち田しこ さんが私の方に決まったっていうかまだ 決まんないよって言ったらあのこういう人 がいるよってうんたんですねでその時に 岸本さんっていうのは私あの品の毎日の なんか新聞で連続してフランスの新運動か 選挙運動かなんかのなんか住民こそが民主 主義みたいなテーマで地方自こそが民主 主義みたいなテーマで書いてあえ杉並も 杉並と同じじゃんと思ってたのねそれで あとマガジンキっていうのは私知り合いが やっているもんだからインターネットの あのあれですねの民といんル うんうんうんあのの人に聞いたらみんな誰 そんな知らないみたいなねそういう感じ だったんですよ私もお会いしてないのよ ただそういう彼女のルポを呼んだことが あるという状況だったで私はその住民こそ が民主主義っていうのは杉並のまさに テーマだよねっていうことで あのあのなんて言うのかな説得してって 内田さんに言ってあそっかそれでな決まっ たってことですね決ま決まるまでにく説 あるんですけど最にお会いしたのは3月 20日 えある場所で私とともさんと2人でうん こうネットでああ内田さんが内田さんが 紹介してくれてネットでお会いしたのが 初めてですもちろんだから彼女がどういう ことしてるかは聞いてましたからこと話し たしかもそのにあの岸本さんはあのあ絶対 彼女日本に来て政治家にを目指すかもしれ ないと思ったのは実は京都のうんうん京都 の うん市長選挙かなの応援に来てらしあそう なんですねそう1ヶ月ぐらい日本に来られ てて応援され応援に来ていらしててそのあ 応援している相手の方がねあのそういう 意味でば私たちが目指すその自治体と同じ ことを考えていらっしゃるところに応援に 来られてたてもうこれは絶丈だそうそう そうそう思いましたうんなるほどねじゃ そうそれでお話直接お話をしてもう本当に 根ばどうぞよろしくで準備は全ていたし ますおお準備は全てそれでえっとま候補者 になるわけですけどもでもこう映画をこ
やっとの話ますが映画を見ていると最初 からじゃあすごくうまくいってたとか岸本 さんが候補者としてこうみんなに超 ウェルカもされてるかって言うと意外と そうでもなくてウルカウされウされてる けどもう大大ウルだけどあのすごい話し合 の場面が映画で出てくるじゃないですか そん時こう結構けけ楽学っていうかいや そうじゃないこうじゃないって言ってで ちょっと画面であるんですけど話は終わっ た後もあの小さんとあの多分ねあれ話し合 の終わじゃないんじゃないかって気がする あの多分学習のこれは別の場面なんですね そう多分どっかのあうんミーティングあの タウンミーティング道路かなんかの問題の タウンミーティングの帰りにずっとなんか やだカメラが追っかけてるやだなとか思い ながらそれで私と別れ際のところでなんか 止まってずっと道路の間中歩いてやり合っ てたんだけどうんでもこうやってやり合う ことすごく多かったんですねあの会議も そうですけどああの会議もあのねやっぱ 選挙っていうのはあのうん昨日合う人だけ の身内でやってたんじゃ勝てないんですよ あだから私たちは立場を超えてあの本当各 政党も市民も一緒にあの先体ってか事務局 を作ってたんですねでそれは結局私たちは もうん本当に徹底した対等平等で政党の 大償にもう関係ない市民と議員もみんな 一緒にやってたんですねああそっかそっか だからあのやっぱりそれぞれの経験値も 違うし最初ねやっぱりどいつもどの選挙で もねうん最初はやっぱりなんて言うのかな いしかも一緒にやってあの大体どなたかお 願いするってなったら私たちの身にいる うんうんうん人でお互いになんか良くも 悪くも分かってるようなつもりになってる 人と議論をしてるわけでしょ今回は全く 違う世界でうんあ目指すところは一緒なん だけれどそのこう道筋はうんうん一緒に やったことのないそっかそっかそうだ読ん でるだけ本は読みましたよさだからそこを こう合意に至るまでって私は当然ある意味 で当然のことだったよなっていう風に思う しそれができなかったらこれは選挙はでき ないなってやっぱり思いますようんでそう いう意味でお互いがけけガクガクやれた ことがある意味ではうん良かったんですね でやっぱり岸さんすごい大変だったと思い ますよ20年間日本に住んでなくて突然来 て長候補になるわけでしょだからなんて 言うのかな1番最初やっぱり彼女は日本の 選挙のあり方についてすごいカルチャー ショックを受けてるんですよねああそう そうねそそうそそうですよねなんでトム
さんなんで朝ね誰も聞いてないのに演説し なきゃいけないのうんうんそうだよなとは 思うけれどもあの他の議員はみんなやって きて当選してるわけじゃないでだって名前 を知らないんだから名前を知らせるために も必要で本人が立つってこと重要だとか 言うわけねでで私はやっぱりそういう彼女 見て私自身もカルチャショックを受けるん ですようんああそっか言われ逆に当たり前 だと思ってることを言わ当たり前っていう かやっぱりそうせざるはええない状況が 日本にあるわけだからでもやってもらわ なくちゃ困るなっていう思いもあってでま 議員と話し合って週に何回か朝休み朝の朝 凱旋を休みを入れようとかねうんうんま 一応私名ばかりの事務局長だったんですね あそうだったんですね今今知りましたそう なみんな一緒にやっ てばかりの事務局でもみんなワイワイ言う からここ事務局もでもいやいやワイワイ 言うんだけどまとめようなんて意識は全然 ないですからあそっかでもやっぱり自分が 言った言ったんだったら自分が動くよって いうのが基本にあるもんだから言い出 しっぺが動く中心になるであと周りは サポートするよっていうような体勢だった から別に1つの意見にまとめようなんて さらさら思ってないですうん映画でも みんないろんな人が岸本さんにもっとこう しなさいもっとこうしなさいって全員が 事務局長みたいになうん うんやっぱりみんな当選させたいって思い が強いからやっぱりあのなんだかんだと 言っても保守的なんですよでかあの私 なんかもあの私は割となんて言うのかな 彼女がヨーロッパで生活して るっていうのが念頭にあるから例えば洋服 の格好なんかだって川にショートパンツ なんか言ってブうん入てきたとかでも私 そういう人だと思っちゃってるんだけど 例えばあの杉並の奥様方ははいそうはいか ないんだよねでやっぱり長はもっと安定し たうんスツしてるみスーツスーツとは言わ ないけど格好するたああいう格好じゃだめ よって私ねもうなんかいろんな人からお 叱りを受けてうんもう本当でもまあなんか 内田さん当選するまで我慢しようみ そっかそっかなんかねうんやっぱりそう いう人がなんかやっぱり選挙に行く投票率 はやっぱり50代以降が50代から70代 80代の人が投票率が高いわけだからそう その年代の人にもねうんその年代の人に 受け入れてもらわなければショートパンツ がいいよねっていう20代の人は投票行か ないんですそうかそういうことかそういう
のがあってなんかねそういうくらない私今 くらない言えばくらないんだけれどもでも なかなかその保守的な空気はうんそうか そっかなかなか破れないっていうとこの 選挙で私やっぱりあのその前の年があの 衆議院選挙でしたから私たちは21年が 衆議院選挙22年が区長選挙23年が区議 会議員選挙この3つの選挙は1つのものだ というふにあのうんある意味でね杉並が 試されるあ3つの連続した選挙だっていう 風に思ってましたからだから最初の選挙は 本当にものすごいみんもう全部頑張りまし たけどうんうんうんうんもう私はあの昔 からの選挙あれじゃないけどその投票日 うんうんうん国次前までに区内5回回り ましたよえどうどういうことどういうこと 5解回るあええええ今度はあの石原さんを 落としたいというそういうので誤解はり ましたええでどれだけの人に選挙にだって 選挙に行かないでしょううんはい行か なかったですねね行っても変わらないと いう人をあもしかしたら行ったら変わるか もしれないという風に思ってもらうために はうんうん投票率が上がらなければそう ですねうんだから投票率上がったら困るの は うんだからそこが変われかもう選挙の極め なうんであの衆議院選挙であのみんなで もう色々あったけれどとにかく吉田はさん がえっと5%5.何% 6%上がってうん勝ったそうでしたねそう のもう比例復活もさせなかったというプ なきまでの勝はいさたわだからじゃあこれ で長選挙にどれだけみんが関心を持って くれるかうんだから名前の決まってない うちからずっと走ってましたようんああ そっかで決まったんですかて言われたら ただいまえ努力中ですてなるほどそんな そんな時かられてた吉田はさんの時に 初めて市民と野党の合道先体みたいなの 作ったん50人先体なんですね50人おお いましたよだっていろんな人がそっかあの 政党だって本当にいろんな生党が来てくれ そっかその吉ださんの時にその50人先体 ができたからこそこの岸本さんのところに 繋が本みたいなものであのその時に やっぱり選挙のなんて言うのかなあの 例えば私私は井線住んでんのね井市民は井 グループうんああなるほど遠グループで 分かれ遠グループで分かれて候補者がいよ と言まとどこかで杉並でこう吉田春見吉田 はみって言える言ってるようなこうあのあ な凱旋校舎いないんだけど勝手に凱旋する 本いない凱でだそれはうん区長戦と一緒 それはなんかあれですねサポ面1人凱旋に
繋がってそう1人が1人でやるわけじゃ ないけどうん前はみんなでやってたけど そのえっと今度区長戦の時は今度1人で ある1人うん選挙みたいに長くないから もう区長選挙って本当に短いので短い間に もう選挙の投票率を上げるっていうのは 本当に大変な選挙なです実は私も1人返に 参加しててちょっと画像があるんですけど うんうんあの私こんななって木駅でやり ましてこの左側の画面ちょっとこれごめん なさい映画から勝手に切り抜いたんです けどこれあれですよねあのうん最初のあの キックオフ集会かなんかの時にえっと 原田さんとあと赤坂たさんあの今えっと 区議会議員になった赤坂たさんが司会をし てえ1人凱旋っていうのをやるから各え 杉並区内の各駅に1人でみんなポスター 持って立ってるだけでいいからやれみんな 手をあげてやりたい人って言って公園寺 公園寺公園寺いるかとかはとかやってで みんなな急駅あんですからね南そうそう ですよねで1人ず私実は生物新宿線近いの ででそしたらなんかよぎいぎって誰も手 上がんなかったんですよねで私それで誰も いないのかじゃあと思ってはいとか言っ たら木行きますみたいなのやったらああ田 さんじゃあやってとか言われて私もこれ私 1回しか実はやんなかったんですけどで これ一緒にいるのあのクトゥの石川ゆさん なんですね 全遠からわざわざ電に乗ってきてくれてで なんか一緒にこうやってで昼間はそのあの いわゆる中高年の人たちがあの沿線凱旋を やってるんですよただねあのえっとなんて 言うのかなやっぱ駆込みたいみたいなが 必要なんですよだから沿線の中古年の人は あの自分の名簿自分の知り合いの人たちに なるほどこういうで声をかけるだけなくて 各駅のその沿線の人た運動する人たちが 口コミで今度広げ実際込あ電凱旋あと凱旋 とかでね私はあのもう2ヶ月しかないわけ でで杉並の今までの1ヶ月半ぐらいかあの 今までのね選挙のデータ見ればうん全ての いわゆるリベラル層と言われる層が 7万5000うんなんですよ7万5000 弱うんだからその基礎表を徹底してその リベラル層と言われるところを徹底して 集めなきゃいけないって言ってでタウン ミーティングをであのああタウン ミーティングやってましたねうん岸本さん 自身もほら杉並のことよくわかよくわから ない状況で校舎になってるわけじゃない ですか突然来てるわけだからだから杉並に は例えばあの点在してるわけです高齢者 問題をうん
うん問題やってる保護あの自動問題をやっ てる人運動してる人がいっぱい各地にいる から各地の点在してる人たちとまずは 繋がっていこうということでそこで5人と か10人なるほどねあじゃこうゆく運動し てる人たちがこう点在してる人たちをゆく こう繋い実際に自分で行って岸本さんがで 緩く繋がっていったいう感そあのその地域 地域で口で広げてそうかそうかそうそのか 点在してそこで活動してる人が今度またわ 込みで広げてだからそれで表が取れたって ことですそれでもう短時間でういやもう 普通ね私会う人会う人に言われたのねトム さん頑張って無理だようんだってね20年 日本にも住んでなかった人が突然杉並来て 1か月2ヶ月原職を倒すなんてね無理だよ ね常識的に無理だろうて合う人合人 ダバダバと水をかけられるわけねそれでも 最終的にはねうんは勝たなきゃいけないっ てそれで仲間たちを信頼しているしいける いけるとも思って動いてたわけなんです けど最終的な結果なんですけどここに数が あるんですけどうん岸本里子さん7万 6740さっきおっしゃってた 7万5000弱言たよりちょっと多いん ですよねああちょっとやっぱ不動表が ちょっと動いたぐらいでうん あの吉田ののようは取れてないんですよね やっぱり選挙の長さもあるし吉田さん自身 が 年頑張って地域で掘り起こしてきてるので でもこれはだからでもそのたった2ヶ月で 不動票7万5000弱と見ていたリベラル 層よりの票より23000ね23000 多くなってで本当187票差で勝ったって いうことなんですよねすごいうんですよね 本当にだから行けばね選挙に行けば本です ね選挙に行けば変わるかもしれないという この区民の体験はうん大変大きいそうです ねものだったという風にでも吉田はさんの 時のうん勢いがやっぱりあったからそっか 余波というかそう思いますねあの時には 30年間のノテを落とそうっていうのが うんそうだからなんか杉民自身がなんか やれば変えられるってみんながだんだん 思うようになってたってのは大きいです俺 はねやっぱり政治っていうのは自分たちの ものなんだっていう風に思えるかどうか はいはいはいうんだからやっぱり世の中 変えたいと変えたいよねでもさ変わりっこ ないよねって思わせてる政治がおかしい わけだからもしかしたら変わるんだって いうのは本当に自分たちがそういうもの 作り出さないと変わっていかないうんです よねそれがまさに民主主義なわけだから
もう民主主義の体験うんだからねあの ヨーロッパなんか行くともうそれこそ学校 でね選挙の体験をするとかうんうんうんね そういうことがあるわけだけどもそういう 政治的な学びもないからそううんでも私 その自分が本作る時に地方自治は民主主義 の学校っていうのを言葉を多いその議員 さんから教わってまうん本当です ようんうんうんだからねあのなんて言うの かな選挙はやっぱりそういう多様な人と 出会う場でもあるんですよねああはいはい はいはいであのねやっぱり選挙の家庭で うんやっぱり育っていくんですよねそっか そっか岸本さんも育ったしで周りにいる みんさんもそっからどん色学んでいって 若い人若い人がすごい育っこの選挙で岸本 さん187票差で勝ったらあと自分たちが 責任持つあの駅に立った人たちはみんな 責任持たなきゃいけない果たせたのはい うんねそそうだったらそう区会議員選挙を なんとかするて自分がるっこに繋がってっ たんすごいですよねこれはねもう本当に からなんかちゃんとこうなんかうん点じゃ なくてこう線になってもうなかも面にな なりつつあるっていうかすごいうん 女を増やしてうんそうでもみんなね本当に そこであのすごいたくましくうんなった 若い女性たちが出てくれたっていうのき ですうんそうそっかちょそろそろちょっと 時間になってきたのであのまとめていうか もうそうやってこうずっとこう連盟ともう 1952年ぐらいから続いてきた杉並の 運動どうなんこれからどうなっていくどう していきたいどう受け渡して行きたいって いう何か思われますかそうまそんな大それ たことは考えてないんだよね私だから やっぱり物が言えるうん人たちで物が 言える空気を作っていくっていうのかな うんうんそれでやっぱりね杉並の私は今 まではやっぱ声をあげて自動感子供が子供 の居場所がないよって若い人は声をかけ あげるじゃないですかいつも声をあげる時 は少数なんですよ1人か2うんだけどそう いう人た絶対孤させないよねていうだから わっといいよ今度凱旋すると手伝うよって 集会やろうやるな手伝うよってあのそう いう人たちを孤立させないっていう うんうんうんそういうあの運動を今まで やってきてるのでうんすごいいろんな人が 活躍をしてますよそっかそっかうんでもだ からあれですね藤本さんだけがやってる わけではなく全然全然みんながそうやって こう誰かがポっと声をあげると誰かが声を かけていくみたうんうんうんそうそうも あのやっぱり教科書問題だって本当に1人
か2人でしたよ3人とかうん45人であの したらなんかそれがやっぱりみんな動いて くれてうんなるほどねうんどうですか私ね あの開表日にうんと187票で買ってうん うんのみんなで万歳じゃないのをやって それですぐ朝谷の駅前にみんな行き報告に 行きますで事務書私を留守してるから言っ て留守してたら若い若いご夫婦がどうなり ましたって入ってきたんですよがご覧に なってください187ひで勝ったんですっ て言ったらよかった私たち入れたんですっ ていうであの初めて選挙に行きましたね私 やっぱりあたちがそうやってもう本当に こう杉並区の住民の主人公になってくれた からよっていう話をしてやっぱりみんなが こう本当にあの自治体でもどこでも自分が 主人公なんだっていう風になるっていう そのことが投票に行くってことはそういう 自覚をするってだからそういう主人公に なろうっていう人をどれだけ広げられる かっていうことなんだよねってうんだから 私たちのやってるこってそんな大さるた ことやってるわけでもなくてうん普通に みんなが嫌だと思うことはやだって声 あげようよねってブがやだとかねそうそう そうそうそうそうだからなんかあのほら そう思いますよ当同士で繋がろうとかそう いう意識がないのねあの例えばなんて言う の子として繋がろうよって私たちは 呼びかけているのでたまたまこの人と一緒 にやったらこの人は共産党を指示してて この人はうん立を指示してる人だったって いうことはあったとしてもだからそういう なんて言うのかなそうそう いう組織とやってるっていう感じはないん ですよでねあの先体は杉並の先体は20代 から80代まで全ての世代がいるんですね おすごいそれはね男女費ってどうなんです か女性のが多いんですっこれだけはあの 言えるんだけどうん男の人たちも本当に 頑張ってるんですがうはいなんかね杉並で なんかいっつもね女が前に出てでそのこと を誰も何とも思わないはいはいあでそっか それが当たり前な初からだって女性がね 始めてるそうそうそううんだからそういう 意味でだからと言って男の人たちが小さく なってるわけじゃないんですよちゃんと うん大きな顔してやるんだけどなんとなく それはそこのバリアフリーかなうん ジェンダーの問題いう意でうん私はあの 杉並のある意味で運動の中でのジェン ダーっていうのを私はずっと見てきたから はいはいはい運動の中のジェンダーって 結構うん大変なんですだから意ではね すごい回答平等なんですよだからなんかね
偉い人は1人もいないのねだから窓口窓口 になるってもうあのなんか自分の携帯を表 に出したりいいたらもう失うものがない人 がいいよていうことで わ失うものあるんですか失うものあるから ま大事な心がそうそうそう大事な心は失い だからあの窓口になる人はいたとしても うんあのなんて言うのかな本当にあのタト ビドですだから整頓をだからそういう意味 で議員であろうが何であろうがうん大償に 関わらず入っていただくっていうそういう 感じですね分かりましたありがとうござい ます本当にどさん小関さん今日長い間 ありがとうございましたはいおしりをさせ ていただいありがとうございますはいえ 本日のポリタスTVはここまでとなります 明日も午後7時からありますえ皆さんご 視聴どうもありがとうございましたこの辺 に新しい道路ができるでここの戦場に なんか思いきり私のアパートがあってあの 立ち退き区域にされちゃってたんです びっくりし [音楽] て これ133号道路が通るとどうなってしま はいあそこがちょうどど真ん中なので切ら れるでしょう [音楽] ね私は本里子です戦所のうにまビバに手に 私ちょっとこういうもんで何でもしますっ て話しかけ て 東京大の仕事大の仕事大のサービスここで 働く人た全然聞こえない全然聞ちゃん もっとガンガンアピールした方がいいです 本当にこれをやりたいっていうことを言っ てください結局こういう選挙やってるから ダメなんだよねって気持ちも私はすごく あって今の状況の中での現状物を私は きちんとした上でこういう風な杉並にし ようっていうイメージがわかないでもそれ は要求だからうん要求だからできるんです よそこはやっぱ制作と要求は違うでも要求 は制作にしなかっ たらできないねこれはうんだって住民運動 の大切さとかもすっげえよく分かってるし さその私が値上げてるんだったらさ後報者 なんかいるわけないよね うん [音楽] さいろんな欲望を持った人の思いを 受け止めなきゃいけないっていう立場なん ですよね候補者 [音楽] って政治っていうのは自分たちが言えば
変わるんだそして長というのはそのすぎを する進行役でなければいけないと思い ます [音楽] DET ne
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地元の昔と今の貴重なお話をありがとうございます。学校のPTAの繋がりは地域のつながりの基礎になりますから大事ですよね。普通の人にとっては、他にはあまりフラットなフックがないので。ただ、そのつながりも希薄になりつつあるのが問題です。それにしても、山田区長、田中区長は悪夢でしたね。田中区長の変節までお話が聞けるとは!
地方在住なので映画を見ることができる見込みはまだないのですが、ポリタスTVの数ある神回の中でもある意味最強です。凄い!杉並区で長く長く引き継がれてきた住民運動は私たちが住む地方にも影響を与えていたかも。全国の老若男女に見てほしい回です。
生き証人のお二人の貴重な話を通じて、自由と自治の実践を積み上げてきた杉並の歴史や人脈が、手に取るように見えてきました。素晴らしい。感動的。
岸本さんに1票を投じた杉並区民です。ポレポレに近日中に観に行くので予備知識として拝見しましたが、杉並の市民運動の歴史を初めて知りました。先輩おふたりのお話から希望をいただけました。