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世界メシア教教会誌『グローリー』朗読版 15号

by ANNAPOST



0:00:00 タイトル
0:00:15 表紙
0:00:26 聖旨
0:01:20 目次
0:03:44 明主様 御姿
0:03:59 明主様 御書
0:04:13 明主様と「聖書」14
0:08:25 教主様のお歌
0:10:47 教主様と真明様 明主様のみ心をお受けして 12
0:18:17 豊穣祈願祭
0:18:30 豊穣祈願祭 御讃歌
0:19:10 豊穣祈願祭 明主様聖言
0:20:18 豊穣祈願祭 祝詞
0:23:26 豊穣祈願祭 真明様聖言「秩序ある世界」
1:13:57 豊穣祈願祭 報道
1:16:27 真明様メッセージ「裁きと感謝」
1:30:23 報道「教主様による神事の御下付式」
1:32:45 報道「名古屋にて教主様ご出座の入信式」
1:34:24 手記「教主様との出会い」元・理事兼宣教部長 中村博
1:52:32 Instagram公式アカウントのお知らせ
1:53:34 信徒家庭向け「御神体」と「御神影」
1:54:02 発行所

公式ニュースサイト:https://sekaimeshiakyo.news/
公式サイト:https://www.sekaimeshiakyo.org/

世界メシア教教会士グローリー15 号2021年4月 発行 表し 写真ボケ壁 運送 精子我らは恐れ多くも我らの誠の親にして 唯一の神なるスシが天界にて成し遂げ たいし見を地上に起きて受けしスシのこる メシアとして新たに生まれられし名主様を 全人類の雛形にして我らの模範なりと かしこみ つつ2000年前思考なるメシアの皆を 体現接し聖イエスキリストと様が愛こして 信に使えたもを信じその名様の見を限界 にて権限なさるる教師様のご共同を唯一 絶対無理のより所とし信行活動を行うもの で ある2021年4月 後 目次6ページ 名主様お 姿7 ページ名主様 本書8 ページ名主様と聖書 1410 ページ教師様のお 歌12 ページ教師様と正明様名主様の見をお受け して 1218 ページ法条祈願 祭20 ページご 参加21 ページ名様 御言葉22 ページ法条祈願祭 のと24 ページ正明様御言葉 秩序ある 世界46 ページ 報道47 ページフォト ギャラリー52 ページ正明様メッセージさきと 感謝 報道60 ページ教師様による真事のご家 式61 ページ名古屋にて教師様ご出座の入信 式62 ページ

式教師様との 出会い元理事県選挙部長中村 浩司お知ら せ69ページ Instagram公式アカウントのお 知ら せ70 ページ新と家庭向けご身体とご 親衛名様お 姿昭和19年から25年 頃熱海登山層付近 にて名主様 音緒 神経神様の恵みで神経と読み ます名様と聖書 14名主 様1948年6月18日五和 6 人が一度信仰に入ると神は見恵みをくださ うとするが汚れたものがある場合それを 清めて くださるそれは幸せになる資格を与えて くださるの です信仰に入ると必ずいきなり幸せになる とは言え ないまず汚れを取り除かねばなら ない 1947年2月5日天国の 福音今日までのあらゆる学説は一様に病間 なるものは変更の破壊となし究極において 生命を失うものとされてい たまた宗教においては神の海国あるいは罪 汚れに対する刑罰ともされていた しって病気とは恐るべきもの悲しむべき もの呪うべきものとされていたので あるしかるに私の説は病気とは祝福すべき もの喜ぶべきものであって全く神が人間に 与えた最大なる恩恵でありまた自然の生理 作用でもあるというので あるゆえに病気によって人間の健康は保持 され樹霊は延長されるのであるから感謝す べきもので あるこの説を読まれたいかなる読者といえ どもその意外なるに共感せずには置かない で あろう 聖書ヘブル人への手紙第12章4節から 11 節あなた方は罪と取り組んで戦う時まだ血 を流すほどの抵抗をしたことが ないまた子たちに対するようにあなた方に 語られたこの進めの言葉を忘れて いる私の子よ主の訓練を軽んじてはいけ ない主に責められる時弱り果ててはなら ない主は愛するものを訓練し

受け入れる全ての子を無知打たれるので あるあなた方は訓練として耐え忍び なさい神はあなたがたをこして取り扱って おられるので ある一体父に訓練されない子があるだろう か誰でも受ける訓練があなた方に与えられ ないとすればそれこそあなた方は聖子で あって本当の子では ないその上肉親の父は私たちを訓練するの になお彼を敬うとすればなおさら私たちは 魂の父に服従して真に生きるべきではない か憎しの父はしばらくの間自分の考えに 従って訓練を与えるが魂の父は私たちの駅 のためその清さに預からせるためにそうさ れるので ある全ての訓練は遠は喜ばしいものとは 思われずむしろ悲しいものと思わ れるしかし後になればそれによって鍛え られるものに平安な義実を結ばせるように なる教師様のお 歌3年4月1 日身の山井心の悩みを足と 見る思いにのみぞとらわれ しわれとらわれし思いを君は浄化 とう御言葉持ちて解き放ち たり名様時けり下 こそ神の大なる美恵なれ と絶えがき苦難に会えど名主 様ひたすら神を信頼しまし ぬ始まりの天にて神は人 をあない許し清めたまい ぬ 成しを得し浄化をよにて現実 つつ地球と人を救います 神見いのために我らを頼みと し浄化の技に用います 神 新しく生まれさせんと絶え間 なく我らに浄化を恵み 神うちにます神は我らの苦しみ を共に感じて励ました もジカとは美恵なりと思いえ ぬ我が心根を許させた まこの我をとめず許し今もなお 用いたえる恵 かしこし見恵の全てのものに 分け与えられますようにと祈らせた ま教師様と正明 様名主様の御心をけして 12愛のみ 名 様世間よく神様のバが当たるという言葉が あるがこれは邪心系の神様で あるなんとなればバチということは人を 苦しめることであるから人間に対し絶対愛

より他にないのが精神であるからそのよう なことはないわけで ある精神は人間からの報酬や条件などに 関わらず無愛に救わせたうので あるそうして精神とは姿勢主直思考死命に して絶対愛そのものであることを知るべき で あるちょうど子に対する親の愛の一層拡充 されたものと言えるので あるゆえにバを当てるということは精神に は決してないので あるしかしながら正しき信仰から離れ邪心 邪教に迷うかまたは不正の行為のあった 場合当然の結果として災害を受けるという そのことがバチが当たったように見えるの で ある1943年10月23 日神と 悪魔教師 様最後の審判ですが審判とはさくという ことです ね例えば裁判所で判決が出た時全部が有罪 ですか無罪もある でしょうですから最後の審判とは神様が 私たち全員を審判してくださるということ です ね神様は本当は許すことが前提なん です許さなければ神様の子供として 立ち回らせることができませんから ね私は名主様が夜昼転換の刑事をお受けに なったということは私たち全員が神様の 審判を受けて全員が許されたということだ と思い ますだから最後の審判とは悔い改めて私の 許しを素直に受けてほしいだよという意味 なのだと思い ます人間の中にはそれを認めたくない姿が あるから名子様は最後の審判という言葉で 警告しながら私たち信徒が素直に認め られるように促してくださっていると思い ますでもさくということは神様が私たちを 無視するのではなく相手にしてくださって いるということなんです よ裁判所に来る必要がないと言われている わけではないのです裁判所に来なさいと おっしゃっている呼んでくださっているの です よ私たちがはいと言って裁判所に行ったら 許すと言ってくださるの ですそれをしないで私たちは行こうか行く 前かうじうじしてためらっている姿になっ ていたの ですどうしても私たちは経験的に人悪い人 というように人間はさかれないといけない という発想をし

ます神様はそういう発想じゃないの です神様は我が子の全てを許そうとする 人間の親のように私たちの全てを許すと いうお気持ちなの ですそして許しを受けて欲しいんだよと 望んできて いらっしゃるでも許しを受けるかどうかを 選ばせるようにしてくださっているのです 私たちの思いが大切です から名様のお歌に果てのさきの日ぞ狼の愛 の道から現れいでなんというお歌があり ます審判の日に神様の愛の道からが現れる とおっしゃっているの です許したことを受け入れてほしいという 強い思いですよ ね2017年5月14 日教師様ご教京都滋賀不教区新党 大会正明 様どんな浄化の中にある方であっても やはりどうしても我々1人1人に何か 気づいて欲しいことがあるから神様として はは本当にお辛いところを様々な形で我々 全人類を使っていらっしゃることは間違い ないと思うん ですだから弱者という言葉もそういう言葉 で神様の栄光の現れの強弱をこちらで判断 して人間の立場として神様をさばいて しまうのではなくてやっぱりどのような方 であっても神様の栄光と愛が最も強い形で 現れていらっしゃるというように思い直す 必要があると思い ますそうじゃないと神様に対して本当に ブレなことになってしまいます から目の前に自分の知らないような大変な ご苦労をされた方を神様が連れてきて くださった意味は 何かそれはやっぱり全て我々1人1人が神 様をないがしろにしてきた結果だと思い ます相手のためではなく自分のためにその ような方に出会うようにさせてくださっ た神の愛の現れの強弱を自分で判断して神 様をさいていたような我々の 姿神様の栄光の強弱を人間の思いで限定し ていた 姿本当に今までの人類の歩み全てがいかに 神様に対してブレだったか思い直す必要が あると思います だからどのような方と接してもまず私こそ お許しいただきたいのです神様は寝ておら れるかのような大変な勘違いをしてきて しまいましたでも私も相手も神様の愛で 満ちていますすでに全人類は救われてい ますその本当の意味での全地前脳の神様に お使えしますのでお使いくださいとその 姿勢こそが大切だと思い

ます2016年6月24 日岡田正明様ご面会若手先住 者北条祈願 祭令和3年3月1 日本部ご 神前 北条祈願祭ご 参加試しなき見に使え祭る こそ人と生まれしこよなきさ なる数ならぬ身あれども恩技 の橋になりとも加えさせた 前たはる心にちり愚の ためひにつくさ今を境 に北条祈願祭名様 御言葉玉占教周期大祭ご 講和昭和10年11月11 日天地が崩れてもできる 邪魔しようと何しようと大巧妙世界は できるそして全世界は統一さ れる人類始まって以来ない結構なことに なるそれが何百年何千年先のことでは ないただ今から世界は一歩一歩そうなって いくその時は全てが非常に結なことに なる皆が一生懸命になろうとなるまと できるただ一生懸命にならぬと置き去りに さ れる代わりはいくらでも ある北条祈願祭 のと我らが意識の中心に存在 せる と輝く天国に生き生きと生きてわします駆 もあに かき創造の主にして天の父なる唯一の神 崇神の大前 に最岡田 洋一かしこみかしこみも まさ大調和なる創の身業のにゆく 中やか日はあれども今日の良き日にこの年 の法条祈願の見まり並びに年祭慰霊祭を 使えまらんと持ち寄られたる草草の種をば 備え 祭り万物と一体の存在たる我らを養い育て たまい身業の豊かなる実りと成したわんと の大恵を片なる我ら豆人一同は魂を我が者 のごとくなしたる我ら全人類の罪の許しを 都心に恋い願いしせいイエスの捧げたいし あなの恩父をこそ名様の告げたいし夜昼 転換のもいなりと崇め 祭りその苦しく絶なる蘇りの命の息が我ら を貫き全てを貫きたえをかしこみまると とも に名様がイエスキリストと愛こしてスシに 使えたまい恩自ら食い改めてスシの許しを かりたまいてみたをスシに捧げたまい神の こるメシアとして新しく生まれたいし見

こそ我らが模範なりと心に定めまりて全て のもととに自らの内なる天国に 立ち返りメシアの皆の教会の一員たる自覚 を持ちて救いをもる多くの者たちをスシに 取り出すための祈りを捧げまり つつ万物ことごとく蘇り人身神の子として 新たに生まれんとの名様の見したえる潜在 一宮の誠の救いの身業に使えまる喜びを 1人でも多くの腹からと分かち合い祭ら しめたまいかて全ての栄光と権威と恵みを メシアの皆と伴なるスシに岸祭を許させ たまえとかしこみかしこみも恋のみ祭り たえごと終え祭らと 申す秩序ある世界 北条祈願祭正明様 御言葉皆様 こんにちは私たち名主様の信徒にとりまし て非常に重要な問があると思い ますそれは名主様は今も生きて いらっしゃるのかどう か生きていらっしゃるのか生きて いらっしゃらないのか 生きていらっしゃるのかはっきり言えば 死んでいらっしゃるのかどちらですかと いう問いがあると思い ます皆様の中にはこれを聞かれてそれは そんな重要な問いじゃない名主様は今当然 生きて働いておられる当たり前じゃないか とそういう風に言われたい方も いらっしゃると思うんですけれども私は これはそんな簡単な話ではないと思って おり ますというのは私たちは私たちの願って いる名主様この名主様には生きていて いただきたいです よ私たちの作り上げる名様像通りの名主様 この名様には生きていていただきたいです よ ねだけどもし名様が今も本当に生きて いらっしゃるんだとしたら私たちは今様々 な信仰活動をしておりますけれどもその 義足について名主様からはっきりと言われ てしまう可能性があるということです ねそしてその名主様とはどういうお方なの か名主様は教団名の観音弥という名前を いきなり下ろされて世界メシア教とされ たりあるいはご条例についても裁判年には ご条例は2の問題であるとおっしゃったり された しかもそのような変革をたった数年のうち になされたお方それが名様です よその名主様がご商店になってもう何十年 も経っておりますけれども今現在名様は 本当は何を願っていらっしゃるのかこれは 計り知れないものがあると思い

ますですからどんなに私たちが自分は名様 の通りにでい自分はこれをしているから名 様の見に叶っているというようなことを 言ったとしてももし名主様が本当に生きて いらしたらそれは私の願いではないと はっきり否定されてしまう可能性があると いうことです ねご存知の方もいらっしゃると思います けれども名主様は非常に分化が多いんです ね名様を教祖と仰ぐ宗教団体はいっぱい ある そうするともし名様が本当に生きていらし たとしたら当然名様の願いは1つなわけ ですから例えば10くらいそのような団体 があったとして名様は10の中でこのコ巣 は私の心に叶っていないと言われてしまう かもしれない私の心に叶う教団はこれだと はっきり言われてしまうかもしれないまあ あるいはその10個全部ダメかもしれませ ん よ どれも私の心に叶っていないと名様に言わ れたら私たちはどうするんでしょうかどう することもできないです ねどんなに一生懸命御言葉通りにやって いるんです私たちの活動は社会に受け入れ られているんです世の中の人と協力して やっているんです多くの人に認められて いるんですと言っても名様からそのあは私 の願っているものではないと言われたそれ でもうおしまいということになってしまい ます よだからそう考えると私たちは名主様には 当然生きていらしてほしい生きて働いてい ていただきたいと思うかもしれないけれど も本当にそう思っているのかというと実際 は怪しいものがあるんじゃないのかなと 思い ますだから実は私たち1人1人が問うべき 問というのは名様が今生きていらっしゃる のかどうかという問いではなく自分は本当 に名様に生きていらしてほしいと願って いるのかそれとも願っていないのかという この問いではないのかなと思い ます自分の思い描く名主様像の名主様この 名主様にはいくらでも生きていらして ほしいです よ自分の行動を承認してくださって応援し てくださるこの名様には生きていらして ほしいですけれども絶対的権威をお持ちの 名主様私たちはこの名主様に本当に生きて いていただきたいのかいただきたくないの かあなたの信仰姿勢は全然私の心に叶って ないとはっきり言われたら私たちどうする んですかもうおしまいです

よでも本当に生きていらしたらそう言われ てしまう可能性ががあるということです ねだから私たちは名主様は生きて いらっしゃる生きていらしてほしいと 当たり前のように思っているようです けれども本当に生きていらして欲しいのか どうかこれは1人1人考えなければいけ ないことだと思い ますここで世界救世教の話に入っていく わけなんですけれども世界救世教としては 名主様は生きて働いておられるということ になっているんです ねどういうことかと言うと世界急世教には 狂気というものがありましてそこにそう 定められて いる細かく言いますと世界急世教信徒が 従うべきルールというのは規則と狂気で 定めてあるわけなんですけれどもそのうち の規則は国の方に出すものです ね凶器は国に出すというよりむしろ私たち の信仰のルールを定めたものなんです ね私たちはどういう信仰の道を歩んでいく のかというルールを定めたものが 凶器その凶器に世界救世教の教師とはどう いうご存在なのか何をされるのが教師なの かということが定められているんです けれどもその中の1つに教師は教祖の生業 を継承しとあるんです ねつまり名主様のご正業を継承されるのが 世界急世教の教師であるということが定め られて いる教祖の生業を継承すると言ったらそれ は他に取用がないですよ ね要は名主様は1955年にご点になって この地上にはおられなくなったけれども じゃあそこで様の限界でのご信行は終わり なのかと言とそうでは ない名様を継承されるお方がいらっしゃる んだそれが教師様であるということです ねということは世界救世教としては名主様 はご焦点後は世界急世教教師というお立場 に生きてお働きになりますというルールを 定めているということです ねだからこのルールが気に入らなければ 世界救世教の信徒でなくていいとそういう ことです ねということで名主様ご承天後まずご夫人 であられた2代様が名主様を継がれ た2代様の後は名様のご即事でいらした三 大 様そして三大様の後は名主様のお孫様で あられる現岡田洋一4代教師様ということ になっているわけなんですけれども 今ねここでちょっと揉め事が発生している とそういうことです

ねでこの凶器の教祖の生業を継承しの後に 重要な文言が来るんですけれどもそれが 競技に基づき世界急世教を統一するとなる わけ です世界急世教の教師は教祖の生業を継承 し協議に基づき世界急世教を統一すると こういうことです ねではその協議は一体何なのかここが問題 です ねというのは結局今言ったようにメ様の 御言葉またご自責これらのものの解釈は 色々可能ですよねだからたくさん分化が できているわけです からだからその協議に基づきの協議とは何 なのか 世界救世教の教えの方向性は誰が定めるの かというとこれも世界救世教としては狂気 にはっきりと協議を定める協議の対抗を 定めるのは教師様であるとそう定められて いるこれは皆様もよくご存知だと思います けれども今言った狂気の内容と類似します が2代様は教主教研ということを おっしゃいましたね 2代様は名主様ご商店後は名主様は霊界 から時の教師にご自分の見を伝えられるん ですよ御言葉見吉えの解釈の最高責任者 またどうやって信徒を教え導くかという 最高責任者は教師なんですよそして名主様 の御言葉を拝読する時は教師教研の元に あってそれをさせていただいていることを ちゃんと心に刻みなさいとそのようなこと を2代様は大世です ねこれはある意味では当たり前の話です ね膨大な量の御言葉があってその解釈は いくらでも別れるだから分化がたくさん できているわけですよ ねだから教団の教えの方向性を定めること についてあの人はこう言っているけどこの 人はこう言っているというように誰が責任 者であるかが定まっていないと全然信行 活動が進んでいかないですよ ねこの人が言ってることの方が正しいいや あの人が言ってることの方が正しいという ことではずっとまとまら ない軍隊とかでも式系統がはっきりしてい なければ非常にややこしいことになります よ ね上司が2人いてこっちの指示を聞けば いいんですかそれともこっちのの指示を 聞けばいいんですかということになって しまいますの でだから世界救世教のルールとしてはまず 教師様ご自身が協議の方向性を定められて そして教師様がご自分で定められた競技に 基づいて世界急世教を統一されるとそう

いうことです ねということで名主様ご頂点後は2代 様2代様はとの関係もありましたしまた名 様というご存在と同時に神様というご存在 これを非常に打ち出されまし たもちろん二代様の解かれたことを一口で ちょっと言うのは大変難しいですけれども どちらにしろ2代様は神様というご存在の 大切さについて解かれまし た3代様は2代様の方向性を継承されつつ も芸術という側面を大事にされ たもちろん名主様も二代様も芸術について は触れておられますけれどもその時代時代 の教師様が定められる方向性で世界急世教 を歩んでいくことになっていますのでね3 大様はそのようにされ たそして今の4代教師様になるわけです けれども教師様は私たち名主様の信徒に とって大切なのは名主様が裁判年に おっしゃったメシアとして新しく生まれる ことじゃない か世界救世教という名前になってしまって いるけれども名主様は世界メシア教とされ てたじゃない か名主様はご条例は2の問題でこれから 少年の世界であるとおっしゃっているこれ はどういうことなんだろう かあるいは名主様が祖先の総合体と おっしゃっているということは私たち 1人1人の中に多くのご先祖様が いらっしゃるのではないかというような ことを大切だと思われてそしてそれを 私たちにお伝えくださって いるこのようなことを私たちは今まで歩ん できた方向性と違うと感じるかもしれませ んがこれらは全部名主様がおっしゃった ことです よキリスト教と公王とか世界メシア教と いう名前もこれから年の世界であることも 全て名主様がおっしゃっているがゆえに 教師様は名主様の信徒にとって本当に大切 なのはこのことではないのかと感じられて そしてそれを私たちに伝えてくださって いるだけれどもそれが納得いかないという ことで世界急世教責任役員会と名乗る人 たちが教師様は協議違反だ追い出して しまおうと一方的に主張しているという ことですね流れとして はでも世界救世教のルールとしては協議を 定めるのは教師様ですからね彼らにその 権限は ないそもそも世界急世教にとって教師様は 名主様の制御を継承していらっしゃるお方 ですから ねだから世界急制教責任役員会と名乗る人

たちは名様の業を継承しているのは教師で はなくて自分たち責任役員会なんだと認識 したということですよ ね教師様のことを協議違反だと言えると いうことは彼らは自分たちは名主様の協議 とは何かを知っている自分たちこそ名主様 の御心が分かると思ったということですし ということは自分たちの中にこそ名主様が 生きて働いておられるとそのような認識で あるということですよね そうでなければ彼らがしたようなことは でき ないで世界急世教としては教師という存在 がありますのでねあちらとしては自分たち の教師様を立てました ね世界救世教の5代教師それが渡瀬信之氏 という方なんです ね東海大学の名誉教授で品数教の学者また MOAの関連団体の理事である渡瀬信之 氏この渡瀬信氏が現世界世教の教師様で あるとあちらとしては主張しているという ことです ね渡瀬信之と言いますかあちらとしては 岡田信之と名乗っているということでこれ は岡の一員としてはちょっと迷惑な感じも ありますけれどもでもきっとあちらの生と しては渡瀬信之氏が教祖の業を継承しとか 協議に基づいて世界急世教を統一すると いうことではないんだと思い ますきっと海来の教師と言いますかお飾り と言いますかルール上教師という立場が 必要なので一応定めているだけで渡瀬延之 氏を担ぎ上げている方々としては自分たち の中にこそ名様は生きて働いておられるん だとそういうことなんだと思い ますそこで立春祭の時にも少し話したん ですけれども結局美行盗聴盗撮ということ がありましてこれは事実なんです ね東方の光MOAグループ事実上現在世界 急世教責任役員会を名乗る方々のことです がが教師様のことを美行盗聴盗撮して そしてこのような行為を多くの人たちが 容認しているこれは事実なんです ねということはMOAグループや世界救世 教責任役員会を名乗る方々の中にもし名主 様が生きて働いていらっしゃるとしたら 名主様はそれらの方々に美行盗聴盗撮せよ と命じられたということになります ねもし彼らが名様の制御を継承していると するならば美行朝盗撮せよというのが名主 様の見であるとそういうことになります ねでももし私たちの最も大切なご存在で ある名主様が美行盗聴盗撮を命じられたり そのような行動を容認されるようなお方 だったらもうねそれは私たち即刻この信仰

をやめた方がいいです よそんな教祖のの元で信仰していたって どこにも行きつくないですよそれ はだって私たちが信仰活動をするという ことは清い存在汚れのない存在になって 少しでも神様に近づかせていただきたいの にもし私たちの教祖そのものが美行盗聴 盗撮を容認するような存在だとしたらもう 私たちは何のために信仰活動をしているん ですかということになります よあるいはあるいはですよ教師様はどうで いらしたの かキリスト教の方とお会いになって聖書の ことを学んでおられたのが問題になってい ますけれどもこれ教師様何も大の時間でし ていらっしゃったんじゃないんです よご勤務本当にお忙しい中にあって週末 遊んでいらしたっていいんですよ リラックスされてねゴルフに行かれるとか されてもいいところを休日ですら信仰の ためにお時間を使われて いるそれはきっと名様がメシアという言葉 を残されたりとかハレルヤコーラスとか キリスト教と公王するとか聖書の重要性に ついても解かれていますのでねなんとか その見をということで教師様はもう24 時間毎日休みの日でも関係なくキリスト教 や聖書のことを学んで いらっしゃるどっち名様が働いて いらっしゃるんですか美行盗聴盗撮を実行 容認する方々の中なのかそれとも進化を 惜しんでお休みの日のプライベートな時間 まで名主様の見を求めるためにキリスト教 や聖書に触れておられる教師様の中に生き て働いておられるのかどっちなんです か答えはあまりにも明白ではないでしょう かそして様がそういうことをしてくださっ ているのは名主様の見のためでもあります しまた私たち信徒をなんとか名主様の本当 の見に導かれたいとそのためなのではない でしょう かだからやはり名主様が教師様に対して こういうことを勉強せよ学びなさい私の 本当の願いを知って少しでも私に近づき なさいとそう命じられたのではないのかな と私は思っており ますではね今の話の流れからして私たちは 美行盗聴盗撮という行為を一方的にさいて いいんですかと言うとこれは決してさける ものではないんです よ私たちが偉そうにあの人たちは悪い人 たちだとんでもないと言ってさけるかと いうとそんなことはないんです よ名様もくれということで人をさく前に 自分をさきなさいとおっしゃっています

ねまたこのさく流れというのはイエスが 聖書であなた方がさくそのさきで自分も さかれますよあなた方の図るその図りで 自分も図られますよマタイによる福音書第 7章2節とおっしゃってます よ美行盗聴盗撮というのは非常に卑怯で 卑劣な行為ですよ ねではねなぜそのような行為を私たちは 単純に悪としてさけないのかというと 私たちはまずなぜ彼らがそのような行為を したのかを考えなければなら ないなぜと言ってそれは確かにいろんな 理由があるとは思いますけれども突き詰め ていくとやはり教師様がお示しになる方向 よりも自分たちに都合の良い方向性自分 たちの願いこれを優先して生きていきたい ということではなかったのでしょう かではもしそうだとして私たち自身神様に 対してそういう思いを持ったことはないん です か神様の御心があるのは 分かるだけど私たちはそれを求めるよりも この世の喜びとか自分の都合とかいや自分 の家族がこうだとか自分がこうだとかいう ことで自分の都合を優先した生き方これは 私も含めてですがそういう生き方をしてい ません かそしてそのように生きていながらその 自分自身の思いとか行動を正当化するよう なことを神様に対してしていませんかして いると思いますよきっと私たち はだからそのような私たちの姿というのは 神様からご覧になったらきっと卑怯で卑劣 なんだと思い ます神様はあなた方は本当は私の言うこと を聞かなければいけないのに自分の都合を 優先して生きているじゃないかそしてその ことも神様がこうおっしゃったからとかメ 様がこうおっしゃったからと言いながら 正当化して生きているじゃないかとこの ように神様は思って いらっしゃるいやだってですよそんなね 美行盗聴盗撮という行為なんて普通したく ないですよだからもし私たちがずっと前 から私たち自身の神様に対するとんでも ない姿に気づくことができていれば彼らも あのようなことをしなくてよかったん ですでもね神様があの方たちをあのように 使われなければならなかったのは私たちが あまりにも私たち自身の神様に対する姿に 無知であったからだからです よだから神様が分かりやすい形でああいう ことを彼らにさせて私たちに対して彼らの 姿を見なさいこれがあなたの姿じゃないの かあのような卑怯を卑劣な姿が本当は

あなたの本性じゃないのかということを形 に表してでさえ私たちに教えてくださうと していらっしゃるんじゃないのかなとそう 思います そして私たちがそういうことに気づくこと によってああいう風に使われた人たちが神 様からせったお役を私たちが本当の意味で 全頭させてあげることができると思うん です ねこれをですよただ私たちがさばいてね あの人たちは悪いんだ悪いんだと言ってい たら神様がその人たちを使った役目が ずっと完結しないことになります よだから決してさくことでは ないむしろ彼らの姿は私たちの姿であると いうことを深く胸に刻んでおく必要がある と思い ますということででは名主様は誰の中に 生きて働いておられるのかというとこれは 私たちとしてはそれは教師様であるとそう いうことですね だけどこの教師様は何とおっしゃっている のかというとこれが実は特殊な人だけでは なくて名主様は実にあなた方1人1人の中 に生きて働いておられるんですよと おっしゃる教師という特殊な立場の人の中 だけで生きて働かれているのではないと おっしゃる名主様は教師様の中に生きて 働いておられるだけどその教師様は名主様 は皆様方お1人お1人の中に生きて働いて おられるとおっしゃっているそういうこと です ね名様ですよ明様ご自身が私たちの中に 生きて働いて いらっしゃるこれは大変なことです よ私たちはこれを当たり前のことのように 思っているかもしれませんけれどもメ様 そのものが私たちの中に働いて いらっしゃるこれは大変なことです よそしてこの名主様はどういうご存在なの かと言うと名様は最終的にはメシアとして 新しくお生まれになっ たそのメシアとして新しくお生まれになっ た名主様が私たちの中に生きて いらっしゃるこれは大変なことです よもしこれが事実だとして ではどうやったら1番名様のお役に立てる かどうやってお使えさせていただくのが 1番いいかというとそれは名主様と1つに ならせていただくことです よそれが1番名様のお役に立てることです よ ね名主様の本当の願いを進めるのに名主様 たったお1人では限界がありますよ ねだけど名様の本当の願と1つになって名

様のご信仰を進める人たちがたくさんいれ ばそれは名主様にとってこれほど心強い ことはないわけですよ ねだから私たちは自分の中にいらっしゃる 名主様と1つにならなければなら ないということはメシアとして新しく 生まれなければならないということです よだから名様は私の中にいらっしゃると いうののは簡単な話のようですけれども これは大変なことだと思います よ大体普通どんな宗教でもキリスト教で あれ仏教であれその信仰の目的は本来自分 が教祖と仰ぐその存在に少しでも近づき たいということのはずですよ ねだってなぜ私たちはずっと条例とか自然 農法とか芸術活動とかしてきたんですか 名主様ご自身がされていたことを私たちも させていただいてきたのはそれは少しでも 名主様に近づかせていただきたいという ことのはずでしたよ ね教師様がお時になっていることも 突き詰めればこの一点ですよね名主様に 近づかせていただくかいな かだとしたら結論としてはあなた方も名主 様に習ってメシアとして新しく生まれるの かいかということになります よだからこれ協議違反になりよがないです よ ね名主様と1つになることこれ協議違反に なりよがないんです よなりよがないからだから結局美行みたい なことをせざるを得なかったんじゃないん です かというのはもし教師様が本当に協議違反 であったとしたらそれはは競技上で見え上 で論じるばいいことのはずですよ ねメイス様メシアとして新しく生まれると いうことをおっしゃっているかどうか おっしゃっています よ教師様は思いを神様にお捧げすること年 の大切さを解いておられますが名主様は おっしゃっていないんですかおっしゃって いますよご条例は2の問題でこれから年の 世界であるおっしゃっています よ教師様は生まれ変わりはないと おっしゃっていますが名主様おっしゃって いないんですかおっしゃっています よ生まれ変わると言うんじゃないですね 新しく生まれるわけですねおっしゃってい ます よ私たちは名主様と1つになって新しく 生まれようとしているのに名様が否定して おられる生まれ変わりをどうやってあると 言えるんです かだから教師様がおっしゃっているのは

全部競技見えにあることです よということで競技上の論争になり得ない からあちらの方々としては美行盗聴盗撮 みたいなことをして何か教師様を攻撃する 材料を見つけなければ追い出せないとなっ たんじゃないんです かだから美行朝洞察という行為を実行した こと自身教師様が協議違反ではないという ことを彼らは彼ら自身の手によって証明し てしまった実は ねなぜなら本当に競技違反であったならば 競技で論じなければならなかっ たでも競技では論じられないので何か悪い イメージを作り上げるという方法でしか 追い出せなかったそういうことですよ ね この私たちもメシアとして新しく生まれる ということ私たちの中にメシアという存在 があるという ことこれは教師様がこうおっしゃっている わけですがこれは事実としては独立して 存在していることです ねだから人によっては教師様というお名前 を出さずにメシアという存在が私たちの中 ににあるとか私たちの目標はメシアとして 新しく生まれることだと言えてしまいます よ ねこれから少年の世界であるという御言葉 があるだから少年でお委ねするんだとか 生まれ変わるんじゃないとかそういうこと を教師様のお名前を出さずにあかも自分が そのことに気づいた知っているかのように して人に伝えることも可能といえば可能 ですよねだってそれらのは事実としては 存在していますから ねしかし私たちはこの地上に教師様という ご存在がいらっしゃる以上そのご存在に 全てを来さなければなら ないこれは教師様がそのように教えて くださったことですこれは教師様がお時に なっていることですという風に教師様と いうお名前を出し教師様に教えていただい ていることを教師様に来さなければなら ないなぜかと言うとそれは秩序がある から 秩序で現界の秩序は何だと言うと名主様の 御心をお受けになる教師様がいらしてその 元に私たち信徒がつって いる天下の秩序もあります よそれは何かと言ったら一言でいえば神様 が頂点に君臨していらっしゃる秩序です よあらゆる知恵と力と権威と息の力とか 全てをお持ちの神様が天界にいらっしゃっ てそして私たちは天界において神様に ひれ伏す以外に

ない神様が全ての根源ですから私たちは神 様にひれ伏す以外に選択肢は ないですよ ね私たちはどんなに自分が頑張って生きて いると言っても神様に息を取られたら一瞬 にして終わりです よこれを知っているあれを知っていると 言っても神様から知恵を取られたら一瞬に して全てを失います よだから私たちは神様にひれ伏す以外には ない何かを知りうることができたとしても 神様これはあなたから頂いたえです感謝の 心が湧いてもこれはあなたから来たもの です何か力ある技をしたとしてもこの力は あなたから来た力ですという風に全てを神 様に来さなければいけないです ねだから私は限界における特訓訓練が必要 なんだと思い ますというのは全ては霊ですから現界は 天界の秩序に従っているわけ ですもちろん教師様が神様だと言っている わけじゃないです よそうではなくて現界にも現とした秩序と いうものがあるということです ねだからこの地上においては教師様から 色々教えていただくわけですからそのこと についてこれは教師様から教えていただい たことですと言ってあらゆる技について 教師様に来させて いただくというのは私たちは後いつか天下 に行く時神様にちゃんとお使えできるよう にならないといけ ないもちろん今も神様にお使えしている わけですけれども本当の意味で神様にお 使えできるようにならなければなら ないそのために今この形ある世界で練習と 言いますか中心の存在に全てをきすことに ついて特訓訓練をさせられて いるだからそういう秩序をないがしろにし て教師様から色々教えていただいている ことについてこうだああだと言ってあかも 自分が気づいたかのようにして自分の手柄 にしてそしてそれらのことを教師様にきす ことをしなければ結局天界に行ったら神様 からあなたは1から出直しなさいと言わ れるようなこだと思うんです ねだから限界に教師様がいらっしゃると いうことは私たちはそういう特訓とか練習 を今神様からさせられているのではないの かなと思い ますいや確かにね教師様が色々おっしゃる ことについてこれは分かるとかこれは 分からないということがあるのは分かり ます よ例えばこの前の立春祭教師様は新しい

教団マークのことについてこの教団マーク は私たちの中に生きている勧告されている んだとおっしゃっ たこの意味分かりますかそれは簡単には 分からないですよだって見えないじゃない です かどこに隣国されているんですか私たちの 中にマークが生きているとはどういうこと ですかと思いますよ ねだけど例えばですよもしねもし名主様が 私たちに面と向かって私の作ったこの教団 マークはあなたの中に勧告されている生き ていると言われたら私たちははいという しかないんじゃないですかありがとう ございますお受けしますという以外にない んじゃないです かということはもし名主様ではなくて教師 様がおっしゃっているがゆえにそこに自分 の中にワンクッションあってこれは名様の 御言葉に叶っているんだろうかこういう 理由が色々あるから受け入れることは 難しいとしていたらそれは結局今回の教団 浄化で起きたことと同じになってしまい ます よ教師様の基準よりも自分の基準が上に あってそしてその中で色々判断するならば 今回教師様を追い出したと主張している 方たちと同じになってしまいますよ いやもちろんね色々思うことはいいと思う んです よだけどまず教師様がおっしゃっている ことをお受けしますありがとうございます という姿勢それが大切なんだと思い ますというのはもし名主様から直接言われ たら無条件に受け入れるんだとしてそして 教師様が今名主様の代理としてこの地上で 働かれていて教師様の中に名主様が生きて 働いていらっしゃるんだとしたらですよ そうしたら教師様が新しい教団マークは あなた方の中に隣国されている生きている と言われたらお受けしますという以外に ないんじゃないでしょう かということでよしよくわかった私たち 名主様の信徒の務めは名主様と1つになる ことだ様に習ってメシアとして新しく 生まれることだということででは私たちは その道を歩んでいけば私たちの役目を全頭 できるのかというと単純にそういうわけに もいかないんです ねというのはもう1つだけ重大な問題が 残されているんです ねそれがイエスキリストという 存在このイエスキリストという存在を無視 しては進んでいけないんですね というのはキリスト教徒のみならず世界中

の多くの人がイエスキリストをメシアとし て認識して いるですからメイス様と1つになる道 メシアとして新しく生まれる道を歩むとし た場合イエスという存在をどうするのかと いう問題がどうしても残るんです ねもちろん自分たちだけの世界に生きて いこうとするならイエスのことは無視して いいんです よもう人類救済は関係ないんだ自分たち だけの世界でいいんだ名様と1つになって メシアとして新しく生まれるそれでもう 十分じゃないかということならそれでいい んですけれどもでも名様の救いを世界に 述べ伝えていかなければならないとなった 時にもし名主様を唯一のメシアとするなら ばキリスト教徒の方々にとってはイエスが 唯一のメシアですからこれはもうずっと 平行戦ですよいつも言うよう にだけど私たちが信じる道はそうではない ですよ ね私たちが信じているのはイエスがメシア として新しく生まれる最初の道を作った けれどもそれを誰も継承せずに2000年 経っ たそしてイエスの話というのは中東での話 ですよね それをイエスから2000年後まさに時空 を超えてメス様がイエスの残した真実を それは神様の真実ということですけれども それを日本というところで受けられて そしてメシアとして新しくお生まれになっ たこの名主様は人類のひ方なんだ人類の 模範たる名様なんだだから私たちはイエス がメシアであることは否定しない名様は 当然メシアであられるそして私たちは名様 と1つになってメシアとして新しく 生まれるでもこのメシアとして新しく 生まれる道は全人類にも開かれて いるだからその道をキリスト教と公王し ながら進むということなんだけれどもこれ もただ何かキリスト教の人と仲良くなると か何か聖書のことをもっと勉強しなければ いけないということだけではなくて本来は 私たちが名主様から託されている真実を キリスト教徒にまた全人類に伝えなければ ならないということを信じているわけです よね私たち はそれで少し伺った話によるとキリスト教 と行するということがある中で私たち名主 様の信徒はキリスト教の教会に行って礼を 受けなくていいんでしょうかというような 質問があったんです ねそれはねもちろんその熱意は理解でき ますよだけどねもし私たちがキリスト教の

教会に行って洗礼を受けたらそれはもう 私たちがキリスト教より下だということを 認めることです よキリスト教の軍門に下ることですよそれ はむしろ私の本当の使命は洗礼を受ける どころじゃなくてその 逆私たちはキリスト教の人たちに対して イエスの願っている本当の洗礼はこの メシア教でこそ受けられるんですよと 伝えることこれが私たちの使命ですよ ねだってイエスの本当の願いは全人類が メシアとして新しく生まれる道ですよ ねだとしたらその道に至る洗礼をメシア教 で受けませんかという風にキリスト教徒に 言うのが私たちだということになります よキリスト教の教会に行って洗礼を受け るって言いますがじゃあねメシア教と キリスト教どっちが上なんですか私たち ですよ上なの はいや上なのはという表現がちょっと直接 的すぎますけれどもでも使命感としては自 不信としてはそういうことですよ ねだから聖書のことを学ぶのもキリスト教 の教会に行っていろんな話を聞くのもただ それに触れて素晴らしいなということでは なくて御生誕祭とか心霊祭でも主の祈りに 関連して色々お話しさせていただいたん ですけれども教師様がお時になっている ことはキリスト教では解かれていないこと なんですね 私たちの中にご先祖様がいるからいろんな 思いが湧いてくるこれをお捧げしましょう ということはキリスト教では言っていない んです ねキリスト教ではご先祖様という存在その ものをそこまで認めていませんので ねあるいは誰もがメシアとして新しく 生まれなければいけないということも キリスト教ではイエスのみがメシアです からキリスト教では解かれていないことな んです ねだからもし聖書やキリスト教のことを 学ぶとしたらそれは今教師様を通して教え られている本当の名主様の願いイエスの 願いを知ってもらうためにさせていただく キリスト教の方々を救うその手がかりを 掴むためにさせていただくそういう目的 ならいいと思うんです ねミラトがミイラになるみたいなことに ならないようにです ねキリスト教で洗礼を受けてキリスト教は 素晴らしいと言っている場合ではないん ですよ本当に ねこのメシア教というのは本当に日本の 宗教会の中において最高峰の存在なんです

ねそして世界においてもイエス本人という ことは別にして今のキリスト教をはかに両 がする素晴らし宗教なんです ね今日のお歌にもありましたけれどもメス 様がお示しになっているそのような救いの 技の端にでも加えていただけることは本当 に光栄なことなん です人類を本当の意味で救うことのできる ことを知らされている私たちの使命の大き さその技の偉大さが分かったらその橋にで も加わりたいと思わざるを得ないと思い ます また今日の御言葉も少し厳しい内容で 代わりはいくらでもあるということを名様 おっしゃってドキッとするような言葉です けれどもそれは要は強制ではないという ことですよ ね本当にこの技の端にでも加わりたいと心 から願う人たちだけがこの道を歩むべきだ とそういう意味だと思い ますだから名主様はあなたは本当にこの道 を歩むことを望んでいるのですかという ことを私たちに聞いてきておら れる単純に代わりはいくらでもいますから はいあなたやめなさいということではなく てここに名主様の厳しい愛があるのでは ないのかなと思ってい ますだから本当に私たちは今教師様を通し て素晴らしい道を知らされているわけなん ですからそんなキリスト教の教会にに行っ て洗礼を受けるということではなくてもう 圧倒的な自不信と誇りを持って進ませて いただくだってキリスト教で洗礼を受ける ということになりますとでは名主様に入信 させていただいた時は一体何だったのかと いうことになります よ神様の御心は2つあるんですか明様に 入信した時が神様の見を受けした時ですよ ね 確かに入信した当時は名主様のご存在の 本当の意味に気づいていなかったかもしれ ないですよだけど今そのことを知らされ ただから名様に入信させていただくという ことはそれはいろんな意味があります けれどもキリスト教の人に対しては本当の 意味のイエスの洗礼を私はすでに受けてい ますと言っていいんです よだってイエスの本当の願いが誰もが メシアとして新しく生まれることです よそしてそれを実行して成し遂げられて しまったのが名主様であってそれにつる 私たちなんです からだから洗礼は1つですよ2つ ない洗礼が2つあったら神様の見は2つ あるということになってしまいます

ねだから私たちは 本当にとんでもない道にお導きいただいた わけなんですねいい意味でですよいい意味 でとんでもない道に導き入れていただい たそして名主様は教師様を通して今私たち を力強く導いてくださっているんですから それを確信して本当に大いなる誇りを持っ て歩んでまいり ましょうありがとうございました 報道絶対的権威をお持ちの名主様に本当に 生きていていただきたい か法条祈願 祭採種であられる教師様ご出座のも法条 祈願祭が3月1日本部ご神前で取り行っれ たまさ 教師様の継者であられる正明様がご輪に なり中部教区の信徒が参拝し た午前11時30分会式と共に教師様がご 入法条祈願祭のりと相場され玉串を 転教師様の先達のも参拝者一同でご新名 祈りの言葉世界メシア教主の祈りを報し た三に移り年祭慰霊祭が取り行っご神前 にて西院がご参加を 早場一同御言葉玉占教周期大祭ご講和を 拝聴し教師様よりご条例を賜っ た次に正明様がご 登壇秩序ある世界と題されたご挨拶の中で 自分の思い描く名主様ではなく絶対的権威 を持ちの名主様に本当に生きていて いただきたいと願っているのかを1人1人 が考えなければならないこと神様より自分 の都合を優先させ自分を正当化してきた姿 を認める必要があることをご教示くださっ たそして教師様からご共同いただいた あらゆる技を教師様にきすことが現界の 秩序でありこの秩序に従うことこそが神様 にお使えするために必要な訓練であること など情熱と迫力また時折り笑顔を交え ながらお述べになっ た参拝した信徒は名主様が教師様を通して 今私たちをひいない素晴らしい道に導いて くださっていることを確信し心新たに本部 を出発した 正明様 メッセージナンバー 5さきと 感謝2021年3 月英語とポルトガル語でなされたビデオ メッセージの 和訳4年前2017年9月私たちは教師様 と奥様がプライベートな時間に美行盗聴 盗撮をされていたことを知るに至りまし たそしてそのようなとんでもない行為を するよう指示実行したのは現在日本におい て世界急世教責任役員会と名乗る方々に

つがる人たちであることも知るに至りまし た言い換えればそのような信じがい行為を するよう指示実行したのは自分たちは名主 様の信徒であると主張している方々である ということ です名主様は他人を愛することの大切さを 解かれたお 方全ての人々が恐れることのない幸福に 満した地上天国を作ろうとされたお方秘密 や闇がなく全人が栄え正義が行われる推奨 世界をこの世に打ち立てようとされたお方 それが名主様 です名主様の信徒であると主張したいので あればまた名主様の信徒となりたいので あればこのような恥ずべき行為を認める ことなど到底あり得ないこと です美行盗聴盗伐という行為を実行する ことは言うまでもなく容認するということ は他者を愛し美しく正しいを立てようとさ れた名様の信徒となるのを放棄するのと 同じこと です美行盗聴察という行為を容認すると いうことは名主様が私たちに見えくださっ た全てのこと名主様が守ろうとされた全て のことに反しているの です美行盗聴盗撮という行為を容認し ながらどうやって私たちは地上天国を 作れるというのでしょうか このような臆病もがする行為が容認されて いる地上天国とはどのような地上天国なの でしょう かそうです美行盗聴盗撮は臆病ものする 行為私はこの表現が適切であると感じ ます当時この行為が明るみに出た時私は名 様の信徒であれば誰もこのような行為を 容認することはないだろうと思いまし たしかし驚くべきことに世界中の私たちは 名主様の信徒であると名乗る多くの方々が この行為を容認しまたその行為を実行容認 した世界旧世教責任役員会と名乗る方々を 受け入れまし たブラジルヨーロッパアフリカアメリカ等 にいる多くの信徒が現在日本で世界急世教 責任役員会と名乗る方々を受け入れてい ますすなわち人のプライベートな時間を 美行盗聴盗撮するという臆病ものする行為 を受け入れているということ ですその方たちはきっと教師様が名主様の 見えに反することを解いていたのが問題な のだと言いたいのでしょう では教師様は何を解いておられるの でしょうか教師様は私たちも名様に習い メシアとして新しく生まれなければなら ないこと手を掲げるご条例は確かに大切だ がそれ以上に重要なのは私たちの感じる

様々な思いや感情を少年を通して神様に 捧げなければならない ことそして全世界をを救うためにキリスト 教の方々とご一緒に歩まねばならない こと教師様はこのようなことをお解き くださってい ます名様は何とおっしゃっているのです か私たちの最もとむべき雛形であられる 名主様はメシアとして新しく生まれたと おっしゃったのではないのです かご条例は2の問題でこれからの世界で あるとおっしゃったのではないのです かキリスト教とこして人類を救うために 全地前脳を挙げて働いていきたいと おっしゃったのではないのです かもし教師様が協議違反であると主張し たいならばそれは協議上で論じられなけれ ばなりませ ん教師様のおっしゃっていることが名様の 教えの方向性に則っているか否で論じられ なければなりませ んしかし教師様を追い出したと主張して いる方々はそれができなかったの ですメシアとして新しく大りになった名主 様を信じそれに習うことそれがどうすれば 協議違反となり得るのでしょうか私たちは 名主様を信じる名主様の信徒ではないの です かだから教師様を協議違反として出すこと ができないから彼らは教師様と奥様を美行 盗聴盗撮し教師様を攻撃する材料を何か何 としてでも見つけなければならなくなった の ですしかしキリスト教の友人がいること ですか聖書を学んでおられることですか彼 らは本気でこれらのことが教師様を批判 する材料となり得ると思ったのでしょうか にわかには信じがいこと です美行盗聴盗撮を実行したことにより彼 らは教師様を協議違反という理由によって では追い出せなかったことを自分たちの手 で証明してしまったの ですそうでないならばなぜ教師様を隠れて 付け回しなければならなかったのでしょう かそして皆様は名様が美行朝盗という行為 を本の少しでも容認されると思われます かもし容認されるならば私たちは即座に 名様信仰をやめた方が良いのではない でしょう かそのような臆病ものする行為を認める 教祖のもで進行する価値など一切ないので はないでしょう か未だに美行盗聴盗撮という行為をまた 教師様の追報というありべからざることを 容認している方々に本日私は目覚めなさい

と申し上げたいと思い ます目覚め悔い改めよと申し上げたいと 思い ますあなた方は最初なぜこの信仰の道に 入ったのかを忘れてしまったのです か罪で汚れた古い着物を脱ぎ去り名主様が ご用意くださっている新しい霊なる着物を 切るに 存在になろうとしていたのではなかったの です か神様は必ず全ての人々の心を正し清い ものにされ ます私たちはその神様の道からを決して 見くびることのないようにしなければなり ませ ん隠れて誰かをつけ回し盗撮することこれ は卑劣なことですそしてそのような行為を する人たちを容認することこれも卑劣で ありはずべきこと ですしかし私たちは考えではなりません 私たちは美校盗聴盗撮を実行容認する方々 をさくことはできるのでしょう か彼らは悪い人たちで私たちは正しいのだ と言えるのでしょう か私たちはあのような のする行為を実行を容認している方々より もまさったものなのでしょう か断じてそうではありませ んそもそも彼らはなぜあのような行為を 実行容認し教師様を追放したかったの でしょう か一言で言えば彼らは自分たちのやりたい ようにやりたかっただからではない でしょう か彼ら自身は違う私たちは名主様のご信行 をお守りしたかったのだと言いたいの でしょうしかし世界急世教に属するもので あれば誰でも教師様が名主様のご正業を 継承されるお方であることは知っている はず ですいきなり教師様なしの世界急世教に なるとでも言うのでしょうか2代様と3代 様についてはどうするのでしょうか 私たちは教団の歴史そのものを否定しよう とでも言うのでしょう か自分たちのやり方でやりたい人たちは 自分たちが勝手に教師様になり教師様から 離れていったと言われた渡辺先生のことを 覚えています か名様の見は世界救世教教師の胸に移ると 言われた代様のことを覚えています か教師様の座を守られるため自分たちの 都合で進めたい人たちと必死に戦われた 山大様のことを覚えています かですからやはり美行盗聴盗撮をした方々

は現界での名主様の代理であられる教師様 の願いのもではなく自分たちのやりたい やり方で歩んでいきたかったからあのよう な行為をされたの でしょうでは私たち自身はどうなの でしょうか 私たちの神様に対する姿勢とはどのような ものなのでしょう か一言で言えば私たちは神様の願いの元で はなく自分たちのやりたいように今日まで 歩んできたのではないでしょう か神様の願いはうっすらと感じながらも こういう理由があるああいう理由があると 言い時には神様のことさえも出しに使い ながら 自分たちの思いのままに今日まで歩んでき たのではないでしょう か神様からご覧になればそのような私たち の姿こそ卑劣でありはずべき姿だったので はないでしょう か目覚め悔い改めなければならなかったの は本当は私たちだったのではないでしょう か私は思います教師様への美行盗聴盗と いうはずべき行為をした方々は私たちの ためにそのような行為をしたのだ と彼らの教師様に対する姿勢が私たちの神 様に対する姿勢で ある神様は私たちにこのことを気づかせる ために彼らをお使いになったの です神様の御心のなんと計り知れないこと であり ましょうですから決して美行盗聴盗撮をし た方たちをさきそして私たちの方が勝って いるなどと思ってはなりませ ん名様は人をさく前に自分をさきなさいと 大ではありません かイエスはあなた方がさくそのさきで自分 もさかれると言ってるではありませんか マタによる福音書第7章2 節 さかないどころではなく本来私たちは神様 に対する私たちの許されざる姿勢を教えて くれた彼らにイそのような彼らをお使いに なった神様に感謝をしなければならないの です私は彼らをお使いになった神様に心 から感謝をさせていただいて初めて美行 盗聴盗撮というはずべき行為を実行を容認 している方々をお使いになった神様の目的 が完結すると思うの ですその目的とは私たちを目覚めさせると いうこと です神様あなたがご用意くださっている霊 なる着物を着させていただくことをお許し くださいそしてあなたの溢れんばかりの見 が全てのものと共にありますよう

に 報道教師様による真事のご不 式採種であられる教師様による誤不式が3 月10日本部ご神前で取りれ たまゆよ様教師様の後継者であられる正明 様がお立ち会いになり教師様が全国から 願い出のあった教会並びに家庭向けご お光を成事長に付され たご身体やお光の家付は世界急世教の強記 第2章第7条に教師はご身体及びお光りを 授与すると定められている通り教師様に よって取り行っれる真事で ある現在教師様が授与されるご身体及びお 光を排除できるのは様を信仰する世界中の 多くの団体の中でも私たち世界メシア教 のみで ある名主様ご商店後はどなたが名主様の 正業を継承されているのだろう か世界救世教は狂気に教師は教祖の正業を 継承すると定めているように教師様をその 信仰の中心に頂いてき た私たちの信仰活動には書くことのでき ないお光やご身体ご親衛に関わることまた ソレ様への慰霊などの宗教的霊的行為は 名刺様信仰のどの団体であってもどなたか を中心にして取り行わなければなら ないそしてこれらのことは教師様が いらっしゃるからこそ尊徳清いあり方で 行うことができるのではないだろう か教師様がお参りしてくださからこそ 私たちはきちんとしたあり方でソレ様をお 祭りすることができるのではないだろう か名主様を信仰する私たちにとり名主様の 生業を継承される教師様と結ばれている ことが誠にありがたいことだと思えてなら ない 報道名古屋にて教師様ご座の入 式教師様ご出座の入信式が3月21日中部 教区名古屋協会にて取り行っれ た教師様の後継者であられるマサ様がご 隣席になり中部教区の入信希望者と世話人 が参集し た午後1時30分会式と共に教師様がご入 座になり入式のりと 場参拝者一同でご親衛に配れし教師様から ご条例を賜っ たビデオ神様の子供となるために新しく 生まれるが上映され準備が整った後教師様 が入信希望者にお光を授与され兵式し た入信者は神様の子供として新しく 生まれるという名様ととイエスキリストが 残された誠の救いの福音を1人でも多くの 人にお伝えしていく決意を胸に会場を立っ たなお兵式後3月21日で41歳になられ た正明様に高原中部教長がサプライズで

花束を贈呈する一幕があり正明様は笑顔で お受けになって和やかな雰囲気の中記念 撮影が行われた 主機教師様との 出会い元理事県選挙 部長中村 浩司世界メシア教の信徒として教師様の 尊いご共同のもに日々生活をさせて いただいておりますことを心より感謝 申し上げます 私は長年先住者として御用を許され昨年の 12月に退職いたしまし たその後非常勤の出資者として今年の3月 までご用をさせていただきまし た教師様を初めて廃しましたのは私が20 代から30代にかけて本部職員であった頃 です当時教師警視であられた教師様は水運 境内で遠くからお見かけさせていただく方 でし た誠に不なことではありますが当時の私は 警視でいらした教師様に名主様のお打ちの 方という村数の念を抱きつつも自分とは 関わることのないお方という思いであり まし た昭和59年に教団浄化が始まり和平合意 を経て平成12年に世界成教は包括非包括 体制によって進むことになりまし たこのことは4代教師に周囲された教師様 のご存在があって初めて可能なことであり まし た平成22年の3比包括法人の統合によっ て1つの教団を目指すべく各種 プロジェクトも発足し話し合いが行われ まし たその1番の論点ははつまるところ教師様 のお心をお受けして1つの教団になるかい なかということでありまし たこのことはそれぞれの教団が組織として お受けするということでもありますが 1人1人が教師様をお受けさせていただく ということがなければなりませ ん私が初めて教師様のお心を感じさせて いただいたのは平成15年箱根の明で行わ れた須光教団の周期大祭でのことであり ます私はこの時舞台の幕を開閉する係り でし た教師様ご登壇となりお言葉が終わりまし た私は舞台の横で平幕のボタンを押そうと しましたところが教師様はご退場になり ませんじっと参拝席の信徒の方を向いて 立ち続けておられます 私は幕のボタンを押すことができずどうさ れたのかと思っているとこちらも緊張して きまし たすると教師様は再びお話を始められまし

たお言葉の言行はありませ んちとにお顔を向けてまっすぐにお言葉を 発せられまし たその時に教師様はお言葉の中で神のこと いうことを何度もせになりまし た私は名様は確かに見えの中で神のこと 言われているが教師様はどうしてここまで 繰り返して言われるのだろうと思いまし たまた教師様は私たちは浮世の名前で 生きるだけで良いのだろうか小さな夢で 生きるだけで大きな夢を持たずに生き なければ何の人生だろうかという意味の ことをおっしゃいました あなたは幸夫の名前だけで生きるのですか 小さく生きるだけでいいのですかそこに 本当に生きがいはあるのですかと問われた ような気がしまし た教師様は静かな口調ではありましたが 力強く語りかけてくださいまし た私はとても大事なことを教師様がお伝え くださっているような思いがいたしまし た私はこの時の周期大祭を境いに教師様の お言葉を学ばせていただく心を持たせて いただきまし た平成22年世界救世教は3つの非包括 教団を統合するに至りませんでし た須ひ教団においてはその年の周期大祭で 中止理事長当時より教師様のお姿とお言葉 に習うことを徹底する旨が発表されまし た須ひ教団は教師様のご共同のもに進ませ ていただくことを宣言しまし た教師様はご勤務ご多様の中を慈愛溢れる お心を持って数多く真と先住者にご面会 くださりお言葉をくださいまし た誠にありがたい極みであり ます 私は教師様とのご面会の折りに司会の御用 をいただきまし た平成27年に全不教区の不教所長が教師 様とのご面談の場を順次いただきまし たある不教区の所長が感謝をノートに書く ことに務めている信徒について報告させて いただきまし た教師様は次のような趣旨のお言葉を くださいました 引用 始め感謝する材料を探そうとすると ちょっとおかしくなってしまいますよ ね要するにこういういいことがあったと いうことで自分で感謝する材料を選んで しまう可能性があるということです ねそれでは自分の思いが先立って しまうでも私が思う感謝というのは基本的 に1つしかないと思うんです ねそれは神様に対して私を子供として産ん

でくださってありがとうございますあなた の子供としてくださるんですねというこの 感謝これしかないと思うん ですいろんな人間関係の中の感謝もこの 唯一の感謝に気がつくために存在している と思うん です引用 終わり教師様はこのようにご共同ください まし た人間の側が感謝する材料を探して決める のは違うのだということを教えてください まし た感謝は基本的に1つしかないということ を私の心に深く打ち込んでいただいたよう に思いまし た直接にご共同をいだいた署長も大きな 感動を持ってお言葉をお受けさせて いただきました 私たちが最も大切に受け止めさせて いただく御言葉メシア好々お言葉があり ます教師様の後継者であられる正明様が 時空を貫く名主様の御言葉の玉好の中で死 制限とお伝えくださっている御言葉であり ます死生源の中で名様は生まれ変わると 言うんじゃない 新しく生まれると言明しておられ ます平成29年5月に京都南不教所で行わ れました京都滋賀不教区新都大会で新都 から教師様に新しく生まれることについて お伺いがありまし た教師様は丁寧にお答えくださいまし たこの日のお言葉お伺いとお答えが後とし て発行されまし た教師様は当日のお答えの中に追金も記し てくださりさらに内容を深めて今節にご 共同くださいまし たところがです私に問題が生じまし た私たちは本質的に輪廻転生のように 生まれ変わる存在ではないと教師様が明言 されていることにめでこのことを知る徒は びっくりするのではないかこれまで教えて もらったことと違うと混乱するのではない かとうとの思いが私の中に湧いてきまし たそうした私の懸念を教師様に申し上げ ました教師様は即座に新しく生まれること をどう受け止めているのかということを 大変厳しい口調で現前とご家紋になりまし た教師様はそれまでごめのりにいく度も 新しく生まれることに言及してくださって いまし た私は教師様が私の話すことを本当に聞い ているのかと本気で通ておられることを 感じ身の縮まる思いでし た京都での新都大会の追求の中で教師様は 次のようにせになってい

ます引用 はめ私たちの魂は想像されたものではあり ませ ん創造主であられる神様ご自身の魂 です私どもの本質である神様の魂は決して 生まれ変わるものではありませ ん私たちはこの世を去った後再びこの地上 に戻ってくることはないの ですですから今まで魂を自分のものとして いたことに気づかせていただき名様がなさ れたように私たちも悔い改めてメシアの皆 にある神様の許しをお受けし天国に 立ち返って魂をお返し 申し上げ改めて神様の魂としてお受けさせ ていただくことが新しく生まれることで あり永遠の命を獲得することでもあると 思い ます引用終わり 私たちの魂は想像されたものではなく創造 主であられる神様ご自身の魂であり 生まれ変わるものではないとご共同 くださってい ます信徒の受け止めではなく他の人の考え ではなく自分が教師様のこのお言葉をどう 受け止めさせていただくのかそのことです 自分がどうなのかということです 生まれ変わるのではないということは 分かっていたつもりでしたがもうこの世に 生まれることはないと思った時何か寂しい 思いが湧いてきまし た私のこの時の気持ちは形ある現世が主で あったのでし た目に見えない世界神様ということが主で はなかったということになり ますまだまだ目に見える世界のことが中心 となっている自分であということ です名主様がはっきりと御言葉になって いることが主ではなく自分の心の中の こだわり執着している事柄が優先していた ということ です教師様はそのことに鉄HVを下して くださったのだと思い ます私は以前に名主様の側近としてご用を されていた山本慶一先生の抗議録を読んだ ことがあります 昭和45年ブラジルハワイ参拝団へ名様の ご生活と題されたお話でし たその中で山本先生は名主様の印象に残っ ている生活態度として神様に絶対素直な 態度で望まれておられたとおっしゃってい ます神様に絶対帰依の姿勢であられたこと そして法に叶った生活であられたことを 伝えてくださってい ますそして自分たちを筋の通った信仰者へ と有無形のうちに導いてくださったと述べ

ておられ ます私はこのお話の中で絶対素直という ことが心に残りまし た生まれ変わるというんじゃない新しく 生まれるという御言葉に対する教師様のご 態度はこの名主様の絶対素直のお姿なので はないかと思わせていただきまし た教師様は名主様が御言葉くださったこと に対し絶対素直であられ ます私はその教師様のお姿をこそ習わせて いただかなくてはならぬ立場のもの です自分の傲慢な態度をお詫び申し上げ 絶対素直に教師様のご共同をお受けさせて いただくほ道はありません 私は在職中機関士新前日の編集発行にも 携わらせていただきまし た教団の機関誌は名主様がご財政中はご 自身が編集長でありまし た名様の見がそのまま反映された栄光士で あり地上天国士でし たですから名主様がそうであられたように 本来団機関士は教師様が編集長なのでは ないでしょう かしかし私は機関誌のご用をいただき ながらその意識がありませんでし た抗がんの極みであります不明をはじる ばかり ですしかし今私たちはグローリーを世界 メシア教の教会士としていいてい ますグローリーと私が担当していた時の 新前日との違いは歴然としてい ますグローリーは最も大事なのは神様のご 存在でありその神様の見を受けになった 名主様でありその名主様の真の見を伝えて くださる教師様であることを明確に発信し てい ます大切な中心は何かということを私たち に伝えてくれる教会士であります本当に ありがたいことであり ますそのグローリーに教師様はお歌を掲載 してくださってい ますお歌の配信によって教師様のお心に 接しさせていただく思いがいたし ますお歌によってご共同をいただく喜びが あり ます願は父母先祖がまず先に神の子メシア と蘇らん を 昨年2020年のグローリー9月号8号に 掲載された教師様のお歌の一種 です先祖の方々に対する教師様のお気持ち を教えていただいたように思いまし たこのお歌のように私も願わせていただき たいと思いまし た後の方に神の子メシアと蘇らんをとお

読みくださっていますがこのことが 名様がご自身のお姿と御言葉を持ってお 伝えくださった最も大切なことであり ますその大事を私は全く知らずに長い年月 を過ごしてきまし たしかし教師様によってこの名主様の救い の確信を教えていただきまし た父母先祖をはめ自分につがる全ての方々 に神の子メシアと蘇らをの祈りを持たせて いただきたいと思い ます私は今日まで名主様の御言葉を学んで きまし たしかし教師様のご共同がなければ御言葉 を理解することはできませ ん神の子の真意もメシアの審議も神様が 自分の中に存在することもその一旦足り とも受け止めることはできなかったのです から 人間としても先住者としても私の歩みは 自分の思いに囚われた堂々巡りの迷いの中 にありまし た知ったようなつもりで実は本当のことを 知らなかった無知な人間でし た教師様はその私を開いてくださいまし た今の私の現実は教師様のお導きがあって の自分であります 教師様のご共同をお受けするにたるものに ならせていただくよう歩ませていただき ますお 知らせInstagramで情報発信 中Instagram公式アカウントのお 知ら せ写真や動画を無料で共有できるアプリ Instagramででは世界メシア教の 公式アカウント日本語版ポルトガル語版 英語版を解説してい ます名主様御言葉教師様御言葉正明様 御言葉を今日の御言葉と題して日々投稿し ているほ報道記事や動画も随時投稿する など様々な情報を発信してい ます是非スマートフォンにインスタの アプリをインストールの上アカウントをご 登録 ください皆様からのフォロー登録と記事へ のいいねをお待ちしてい ますお 知らせ新と家庭向けご身体とご 親衛家庭にお迎えさせていただき日々の 祈りの中で私たちのうちに生きて いらっしゃる神様に心を向けさせて いただき ましょう詳細は各教会にお問い合わせ くださいグローリー15 号2021年4月1日 発行発行所世界メシア教広報部出版

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