【タイムテーブル】
序文 0:10
(1) 13:38 遠野の地理
(2) 15:59 早池峰山の女神
(3) 19:03 山女と山男
(4) 21:21 根子立の謎の女
(5) 23:55 笛吹峠の山男と山女
(6) 25:03 青笹村の神隠しの娘
(7) 27:08 五葉山の神隠しの娘
(8) 30:22 寒戸の婆さん
(9) 32:10 大谷地の怪談(弥之助の怪談1)
(10) 33:40 山奥の叫び声(弥之助の怪談2)
(11) 34:37 母親殺害未遂(弥之助の怪談3)
(12) 39:11 昔語りの乙爺
(13) 40:53 乙爺の人生
(14) 42:12 屋内様 オシラサマ
(15) 44:00 田んぼを手伝うオクナイサマ
(16) 45:59 コンセイサマ
(17) 46:41 座敷童
(18) 48:40 孫左衛門の家の座敷童
(19) 50:32 孫左衛門の家のキノコ中毒
(20) 52:21 孫左衛門の家 前兆 蛇
(21) 53:37 孫左衛門の家 変わり者
(22) 55:05 佐々木家の曽祖母の霊
(23) 57:36 佐々木家の曾祖母の霊その2
(24) 58:22 大同 甲斐の国と南部家
(25) 59:03 大同 片方の門松
(26) 59:42 阿部氏の仏師
(27) 1:00:12 池ノ端の石臼
(28) 1:03:55 早池峰の巨大坊主
(29) 1:06:52 鶏頭山の大男たち
(30) 1:09:32 早池峰の三尺草履
(31) 1:10:14 山人による神隠し
(32) 1:10:35 千晩ヶ岳の白鹿
(33) 1:12:22 白望山 金の樋と金の杓
(34) 1:14:33 白望山 離森の山女
(35) 1:15:32 白望山 奇女
(36) 1:16:20 二ツ石山の御犬(狼)
(37) 1:17:39 馬方と狼
(38) 1:19:39 狼の声真似による運の尽き
(39) 1:21:02 生活の中に現れる狼
(40) 1:22:04 狼の生態
(41) 1:22:36 大谷地 狼との遭遇
(42) 1:23:52 飯豊村の力自慢の若者と狼の闘い
(43) 1:26:43 クマ同士、熊と人との闘い
(44) 1:28:33 笛の音と猿の経立
(45) 1:29:38 猿の経立の毛皮
(46) 1:30:05 鹿笛と猿の経立
(47) 1:31:15 六角牛の猿の経立
(48) 1:32:00 仙人峠の猿
(49) 1:32:12 仙人峠の掲示板
(50) 1:33:22 カッコ花
(51) 1:34:23 オット鳥になった長者の娘
(52) 1:36:01 馬追鳥
(53) 1:37:35 郭公と時鳥
(54) 1:39:27 淵の中の長者の娘
和洋を問わず、神話や伝説、民間信仰や思想的なものに興味があります。
【現代語訳について】
各章の冒頭に、前後の話のつながりを保つため、当方が一文を追加いたしました。
またタイムテーブルに記載されている各章に於ける題名は、当方が独自につけたものです。(ですのでこの部分は読み上げない事にしました。)
素人の読み/編集ですので、音質、発音、画質、至らないところはあるかと思いますが、
楽しんでいただければ幸いです。
無宗教ですが聖書朗読もしています→https://www.youtube.com/channel/UC4QB5gkogiGBebt1vl-5wog
HP→https://ayaogata.tokyo/
遠の 物語柳 邦男この書を外国にいる人々に 送るこの話は全て遠野の人佐々木君から 聞いたもので ある去年の明治42年の月頃より遠野に 三建する物語を収集し 始め彼が野分おりおり訪ねてきてくれた おかげでこの物語を書くことができ た佐々木君はまだ若くまた饒舌に土地の話 を語るわけではないが何よりも誠実な人物 で ある自分もまた一時1区をも加減せず 感じたままを書くことにし た主に遠の号にはこの類の物語はなお数百 はあると見て よかろ我々民族学を志すものとしてはより 多くの物語を聞くことを切望 するとはいえ日本国内の三村には遠のより さらに山深いところも あろうそういった神秘の場所にはまた無数 の山の神や山人の伝説がある だろう願わくばこの主の埋もれたる物語を 知るものはこれを 語り兵器に住む人を戦慄させて ほしいこの書がどうか民族のの魂という 概念の先駆けとなるよう に昨年8月の末私は遠野号にやってき た花巻より十余り行った里の路上には町場 が3箇所 あるその他はただ青き山と野が広がって いる人影の稀なことは北海道石狩の平野 よりも華々しいほどで あるあるいはその時自分がいたのは振動で あったゆにまだ地元のものの往来が定着し ていなかっただけであろう かそうは言っても遠野の浄化はすなわち 演歌の 町緑豊かな地とはいえ中心部は遠方からの 道が集まるところであるので花町や飲み屋 も ある私は馬を駅の主人に借りて浄化町を 抜け出して1人郊外のむむを巡ってみ たその馬は黒い海藻を持って作った厚ぶさ を胸元にかけてい た アが多いためで ある猿返しの警告は土が越えておりよく 開けて いる道の傍に石頭が多くその数は諸国とは 比べ物になら ない高いところより展望すれば早く実る犬 はまさに 熟遅く実るはであり他を潤した水は ことごとく落ちて川に流れて
行く稲の色合いは種類によって様々で ある3つ4つ5つの他が続けて同じ稲の色 をしていればすなわちこれ1つの家に 属する他で あろうその土地の名も同じであったり するさらに小さ域の地名は地主でなければ 分から ない古き売買譲渡の正文にはこの主のこと がきちんと書いて あるさてツ牛の谷へ超えればはの山は淡く かみ山の形はすげが ごくまたカカナの辺のにも似て いるこの谷は稲が熟するのがさらに遅く 見渡す限り青一食で ある細北の中の道を行けば名も知らぬ鳥が 姿を見せひなを連れて横切って ゆくのは黒に白い羽が混ざって いる初めは小さ庭鶏かと思ったが溝の草に 隠れて見えなくなったのでその挙動から 野鳥だと分かっ た天人の山には祭りがあって石踊が あるここだけは軽く散りが立ち赤きが少し ひらめくようで緑に囲まれた村の中で 鮮やかに 移るシ踊りというのは鹿の前で ある鹿の角のついた麺をかぶる子供が56 人剣を抜きこれと共に 舞う笛の調子が高い一方で歌は 低くそばにいても聞き にくい日は傾いて風は吹きよっていたずら に人を呼ぶものの声も 寂しく女は笑い子供は走るどこにでもある 光景が見られるがなおいかともしがたい 旅中を 覚える裏本の仏事の時に最近亡くなった もののある家は紅白の旗を高くあげ魂を 招く習わしが ある峠において馬の上から東西を指差して みた ところこの紅白の旗が重数箇所あるのが 見え た村人の 永住の地をサランとするものとカソに 入り込みたる旅人 とまたかの悠々たる霊山と黄昏れはむに やってきてこの地の全てを包んで ゆく遠野号には8箇所の観音動が ある1本の木で作られたものである この日祈願が叶って参拝するものが多く丘 の上にその灯した明りが 見え金の根が遠くに響いてい たまた別の道を行くと草村の中には雨風 祭りのわ人形が あるあかも旅の途中でくびれたものの ごとく天を仰ぐように寝かせて
ある以上が自分が遠の号にて抱いた印象で ある思うに今私が書いているこの類いの 書物は少なくとも現代の流行とは言い がい昔の時代と比べ いかに印刷が用意になったといえども こんな本を出版し己れの変わった趣味を あえて他人にしようとするなどは無作法 極まりないと思う人も あろうされども私はあえて 答えよこのような話を聞きこのような情景 を見て後にこれをに一切喋らぬものなど 果たしてあろう かこのような胸に迫る何とも言えない思い を全くの沈黙のうちにふしてしまうような 慎み深き人は少なくとも私の友人の中には い ないいわんやが900年前の先輩とも 言える混じ物語のような本はその当時 すでに今は昔の話であったのに対し て遠野に行きづく 物語りこれは今まさに目の前で繰り広げ られている出来事なので ある私のこの本がたえ経験の意と誠実な 態度とにおいてはあえて混じ物語をしのぐ ことなどできないとしても 人の耳を減ることも多く なく人の口と筆とを用いることも花わずか であった 点すなわち話の純粋性においてはタパ 無邪気なるダイナゴン殿でさえ帰ってやっ てきて菊に値するで あろう近代の地味もの百物語のやからに 至ってはその心ざしすでに 怪しくかつ王にしてその話が根拠のある ものとは到底言え まい大には言えないが正直な ところこの主の低俗な話を我が遠の物語の 隣に持ってきて比べること自体が一種の恥 とさえ感じ られる要するに塔の物語は現在の事実なの で ある単にこれのみを持ってしてもこの本に は立派な存在理由があると信ずる ただ遠野の話の語り手である佐々木君は 245歳の若者であり 自分もこれに10歳年上なだけで ある昨今の利益主義科学主義の時代に 生まれながら問題の大償もわきまえずその 力を用いるところが民族学などというのは 全くもってまともな学者としては的外れで あるという意見があったならどうだろう か 明人の山に住むみづくの ごとく話のようなくだらないことにあまり にその耳を
とらしあまりにその目を丸くしすぎている と責める人がいたならばどう だろうそれについては受け入れるしか ないこの責任のみはは自分が追わねばなら ぬとはいえ年おいて自分では実際には飛び も泣きもしないふたちが私のしている研究 を外野からいくら笑おうがけなそうがその ようなしぼれたふの哀れっぽい小さな 鳴き声 など我が民族学の前にはまくもってへでも ないというのが私の本音で あるでは遠野の土地について話して おこう東野号は今の陸中上平軍の西の半分 を山々にて取り囲まれた兵で ある新町村では遠野 土淵ツ牛 松崎 青田 上郷 大あお 増沢宮森 たそこれら一丁実家村に分かれて いる近代あるいは西平軍とも称し平安時代 にはまた遠野ほとも呼ばれた 今日軍役所のある遠野町はつまり1号の 町場で南部家1万国の城下で ある城横田城とも 言うこの地へ行くには花巻の停車場で記者 を降り北上川を 渡りその川の子龍 猿川の渓谷を伝って東の方へ入ること13 里遠野の町に到達 する山奥には珍しい繁華な町で ある伝え言うには遠野号の地は大昔は全て 1円の水でその水は猿川となって人里にた ので自然にこのような村落をなしたとの ことで あるよって谷側のこの猿返しに落ち合う者 たちはとても多く俗に七ない矢先ありと 称するナトは沢または谷のことで欧州の 地名には多く ある さて遠野の町は南北の川の落ち合った ところに ある以前はヒヒ理と言って7つの渓谷 それぞれの七十奥から貨物を 集め1の立つ日には田舎と家ど馬戦闘人も 同様に1000人ほどが集うぐらいの賑い があっ た 地方の山々の中に最も高いものをはちと 言い北は月雲牛の奥に ある東には六甲山が立って いる石神という山はツモとたその間にあっ てその高さは前の2つよりも
低い は六甲師 石神この3つの山には言れが ある大昔母親の女神がいて3人の娘と一緒 にこの高原に来 た今の来ない村の伊豆権原の社のあるとに 止まったと いうにアの言葉で大は死を意味しないは沢 を意味 する死んだように静かな水辺ということと 思わ れるさて夜になって今夜良い夢を見た娘に 良い山を与えましょうと母の女神が 語り娘の女神たちは眠っ た 夜深く天から良い夢を与える精霊が参りて きて姉の女神の胸の上に止まった の末の女神が目覚めてこっそりとその夢の 精霊を自分の胸の上に乗せてしまっ たこうして末の女神は最も良い夢を見たの で最も美しい の山を得 た姉たちは六甲師と石神とそれぞれに得る こととなっ た今でもこの3人の女神それぞれが3つの 山に住んでいってこれを領土としているの で遠野の女たちはその嫉妬恐れてこの山に 立ち入ることはないという 山の奥深いところには山人が住んで いる遠のとて例外では ない栃内村和野の佐々木花平という人は今 も70歳すぎて存命である がこのおじいさんが若い頃狩をしに山へ入 の こと遠くの岩の上に妙に美しい女がいて 長い黒髪を串で溶かしているのが見え たこのおじいさんは若い頃はやんちゃな たちの青年だったのですぐにこの怪しげな 女めがけて銃をぶっ放してみた ところ美しい山女はが当たったと見え にわかに倒れ た駆けつけてみると非常に背の高い女で ほけた黒髪はその身長よりも長かっ た証拠にしようとその髪を少し切り取って それを束ねて懐に入れ家へと向かった が途中凄まじい間に襲われしばらく物影に 立ち寄って休むことにし たその間夢とうつとの間にいるようになっ た時の ことふと見るとこれもまた背の高い男が 1人近寄ってきてこちらの懐に手を 入れ先ほどの束ねた黒髪を取り返し すぐさま立ち去ったのだっ たすぐに眠気はめ たきっとあれは山女と夫婦の山男が女房の
髪の毛を取り返しに来たのだろうとのこと で ある山女に関してはこんな話も ある山口村のキベという家の主人が根っこ だちという山に入って笹を飼ってい た勝った笹を束にして担いでさて 立ち上がろうとした 時笹原の上を風が吹き渡ったのに気づいて 顔をあげる と奥の方の林の中から幼子を背負ったわ女 が笹原の上を歩いてこちらへ来るところで あっ た本当に綺麗な女でこれも長い黒髪を 垂らしてい た幼子を結びつけた紐は藤のつで着ている 服は普通の島模様だった けれど裾の辺りがボロボロに破れているの をいろんな小葉を当てて作ろっているのが 見え たそれだけならまだしもその女は何やら するすると滑るように動いてこちらへやっ て くるその動きがなんだか普通の人間とは 思われ ない足も通て地面についているとは思え ないので あるそうしてことも投げにこっちにすっと 近寄ってきてすぐ目の前を通ってどこか 行ってしまっ たそれだけといえばそれだけのことでは あるのだ が自分が目にしたのは果たして幽霊なのか 人なのか山の物のけなの か見普通の綺麗な女に見えただけになんと も正体不明で気味が 悪くこの人はその檻の恐ろしさから体を 壊し長いこと患っていっ たそして最近になってとうとうなくなって しまったと いうこのように山女や山男の目撃団は遠野 には割と ある東野号より海岸に近い田はキキなどへ 峠を超えるには昔から笛吹峠という山道が あっ た山口村より六甲の方へ入った方が近いの だ が近年このを超えるものは山の中で必ず 山男山女に遭遇するのでみんな恐ろしがて 次第に通らなく なりついに境木峠という新たな道を開いて 和山を馬場にし て今はこちらばかり通るようになったので ある実際これは2里以上のうで ある今度は山男による神隠しの話で ある遠野号では剛王のことを今でも長者と
いう青沙村ぬ前の長者の娘が突然いなく なって年月が経った が同じ村の漁師がある日山に入って1人の 女に遭遇し たこの漁師もその女の様子がなんだか尋常 の人間ではないと感じて恐ろしくなって 思わずこれを打とうとしたが女 はおじさんじゃないか打たないでと いう漁師は構えたを下げ驚いてよく見た ところあの長者のまな娘だと分かり びっくりしたと いう漁師が女にどうしてこんなところに いるのかと聞いたら女 はあるものにさらわれて今はその妻となっ たと 言う子供もたくさん産んだけれどみんな その夫が食べてしまって1人このような 感じで山奥で過ごしているの です女は続けてこう言って漁師をせかし た自分は一生この地にいることになる でしょう人には言わないで くださいあなたの身も危ないから早く帰っ て漁師は突然の出来事に女に言われるまま にその居所も聞き出せないまま逃げ帰った と いうこれも漁師が神隠しの娘と山中にて 出会う話で ある上越村の民家の娘が国を拾いに山へ 入ったままとうと帰ってこなかっ た 家の者たちは死んだものと思って娘が使っ ていた枕を片しにして葬式を 行いそれからさらに23年が過ぎっ たその頃のことで ある村のものが両で御用さんの麓近くに 入った 時大きな岩が追いかぶさって岩窟のように なったところ で思いもかけずこの娘に出くわしたと いう互いに驚いて一体何があってこんな 山奥にいるのかと漁師が聞い たら山に入って恐ろしい人にさわれて こんなとこに来てしまっ た逃げて帰ろうと思ったのだけれど少しの 隙もないとのことであっ たその人はどんな人なのだと漁師が再び 問う と普通の人間だとは思うけれど背が ものすごく 高く目の色も少し違うように 思う子供も何にもうんだけれど自分に似て いないのは自分の子ではないと言ってて 食べたり殺したりみんなどこかへ連れ去っ てしまったと娘は 言うなんだか尋常でない感じがして漁師は
思わずそいつは本当に我々と同じ人間なの かと聞い たら服なども普通だけれどただ目の色が 少し違う 位置の開かれる合間大体5日に1度か2度 くらいは同じような人が45人集まって 何か話をしてやがてどこかへ出ていって しまう食べ物なども外から持ってくるのを 見ると街にも出ていると 思うかと言って気は抜け ないこうしているうちにも今そこに帰って くるかもしれないと非常に切迫した様子で 娘が言うからその漁師もさすがに恐ろしく なって早々に帰ってきた らしい今から20年ぐらい昔のことかと 思わ れる神隠しにあった女がいく度も話に登る が実際黄昏れ時に家の外に出ている女や 子供らはよく神隠しに 会うこれは他の地域と同じで ある松崎村のサトというところの民家で 若い娘が梨の木の下に造りを脱ぎ捨てた まま行方不明になったことがあった それから30年あり過ぎたある 日親類たちが家に集まっているところへ とても年を取った女がいきなり入ってき たその女をよく見たらなんと行方不明に なったかつての娘であったと いうどうして今頃急に帰ってきたのかと 聞いた みんなに会いたかったから帰ってきたと いうしかしすぐにもう行かなくちゃと足跡 も残さずに出ていったっきりとうと姿を 見せなくなったと いう女がやってきたその日は風が激しく 吹いていた日だっ ただから遠野号の人は今でも風が騒がしい 日に は今日はサトのばあさんが帰ってきそうな 日だと いう山にいるのは女をさう山男ばかりでは ない菊矢之助という老人は若い頃運搬業を なりわいにしてい たこのとはまた笛の名人であったので 夜通し馬を連れて行く時などはよく笛を 吹きながら歩いてい たあるすきよに多くの仲間たちと一緒に浜 えと超える境木峠を行こうと思ってまた笛 を取り出して吹きながら大家ちという ところの上を通りすぎた時のことで ある 大家地は深い谷があり白樺の林が しげりその下は足などが生る湿った沢で あるそこにこの人の笛のが響き渡ったその 時谷の底から何者か高い声で面白いぞと
呼ぶものが 1度はぞっとしてことごとく顔色を失い 即座に逃げて走ったと いうこの矢之助という男は年になったある 時山奥へ入ってキノコを取るための仮小屋 を作って止まっていっ た深夜誰もいないその山奥で遠いところ からキャーという女の叫び声が 聞こえそれがあまりに差し迫った声であっ たのを不穏に思いすっかり目がえてしまっ たことが あるさて里へと帰ってみればなんとその 同じ 番女の叫び声のした時も同じ時刻に自分の 妹である女がその息子に殺されかけていた と いうその話の詳細はこうで ある矢之助の妹なる女というのはその時に は割合い年配の姑とでもあっ たこの女は母1人子1人で息子こ育てその 息子も成人し嫁もできた がどうも嫁との中が悪かったそう だ嫁はよく実家へ行って帰って来なかった ことがあっ たそのことで息子も夫として気を病んでい たと 見えるこの起こったその日目である母は家 にいて横になってい た昼頃突然息子がこう言っ たガガをとても生かしてはおけない今日 絶対に殺して やるガガというのは遠野の方言で母親と いう意味で ある息子はこう言ってき草カガを取り出し ごしごしとその場で研ぎ始め たその有様が冗談とも思えず母は色々な ことを詫びたけれども息子は少しも 聞き入れ ない母親と普段は仲の悪かった嫁も起きて きて泣きながら夫である彼をいめたものの 少しも従う様子も なくやがては母親が逃げ出そうとする 身振りがあるのを見て前後の吐口全てを 閉ざしてしまっ たよを足しに行きたいと母親が言えば自分 で外から便器を持ってきてここでしろと 言う夕方にもなれば母もついに諦めて 大きないりのそばにうまってただただ泣い てい たついに息子はよくよく解いだ大釜を手に して近寄ってき てまず母親の左の肩めがけて振り下ろすと した が鎌の羽がいりの上の棚に引っかかって きれなかっ
た その時に母は深い山の奥でその兄である 矢之助が聞いたような叫び声を立てたので ある2度目にはついに右の肩を切りつけた がこれでもまだ死なないところに里の人 たちが何事かと驚いて 駆けつけこの息子を 取りえすぐに警察官を呼んで柄を引き渡し たと いう警察がまだ警防を持っていた時代の ことで ある母親は自分を殺そうとしたとはいえ 息子である男が捉えられ引き立てられて 行くのを見 て右の肩から滝のように血の流れる中で 自分は恨みも抱かずに死ぬからどうか息子 だけは許してくれと言ったと いうこれを聞いて心を動かされないものは なかっ たこの息子も相当に気が高ぶっていたの だろう連れて行かれていく途中にその釜を 振り上げて巡査を追い回すとした らしい結局精神を病んでいるとされて無罪 方面と なりこの男は家に帰って今も生きて里に いる らしい遠野の話はこのようにもはや事件と 思われるものもあれば伝説のように感じ られる昔話も あるそういう話をたくさんしているものが かつてはい た土淵村山口にニたぞという老人がい た村の人はおじと呼んでい た年は90歳近く病気をして死にかけてい た年が年なので遠野号の昔の話をよくして 誰かに話しておきたいと口癖のように言う けれどあまりに体が臭いのでおじの家に わざわざ立ち寄って遠野の話を聞こうと するようなものはいなかったそう だ色々なところの盾の有地の 電気家いえの 整水昔からこの里で行われていた歌の数々 をはめとして新山の 伝説またはその奥に住んでいる人々の物語 などこの老人が最もよく知ってい たただ残念ながらおじは明治42年の夏の 初めにお亡くなりになっ たこのおじは数十年の間山の中で1人で 住んでいた人で ある元々はいい家柄なのに若い頃に財産を 失ってから社会との繋がりを立って峠の上 に小屋を作り甘酒を往来の人に売って整形 を立てていっ た運搬行の者たちはこの沖縄を父親のよう に思って親しんでいたそう
だ少し収入に余りがあれば街に降りてきて 酒を 飲む赤毛布で作った反転を着て赤い頭巾を かぶりよえば街の中を踊りながら帰ったり するが巡査もとがめ ないいよいよ老子してから故郷に かわいそうな暮らしをしてい た子供は全て北海道へ行きこのおじただ 1人だったので ある遠野にはこの地特有の神様も いるブラには必ず1つの休暇があって奥内 様という神を祭る その家を大道と いうこの神の像はクの木を削って顔を描き 四角いの真ん中に穴を開けこれを上から 通して衣装と する正月の15日には村の人々がこの家に 集まってこれを 祭るまたおしら様という神も いるこの神の像にもまた同じようにして 作ってしつらえこれも正月の15日に里の 人が集まって まつるその式ではおしいを神の像の顔に 塗ることも ある大道の家には必ず畳一条の空部屋が あるこの部屋で夜寝る人はいつも不思議な 現象に 合う枕を返されるなどはいつものことで あるあるいは誰かに抱きおこされまたは 部屋から突き出されることも ある大体静かに眠ることを許されない 屋内様を祀れば幸福が多く 訪れるこの信仰を物語る話も ある土淵村柏崎の長者安倍氏は村では 田んぼのうと呼ばれて いるある年田植の人手が足りず明日は天候 も怪しいしあとちょっと上のすのもなと 呟いていたらふとどこからか背の低い小僧 が1人来 て自分も手伝うというのでそのまま働かせ てい た昼飯時にご飯を食べさせようと探したが どこにもい ないやがてもう一度帰ってきて丸1日他に 水を入れクなどで土を砕いて平にする作業 をよくやってくれ たその日に田植は全て終わってしまっ たどこの人かは知らないけれどせめて夜に 来て晩御飯でも食べて行ってくれと誘った が日がくれるとまたその姿は見えなくなっ た 家に帰ってみれば縁側に小さな泥の足跡が たくさんあってそれがだんだん座敷に 入り屋内様の神棚のところで途切れていた のでさてはと思ってその扉を開いてみれ
ば屋内様の像の腰より下が田んぼの泥に まみれていたという 遠野には他にも神様が いる根性様と呼ばれる神様を祭る家も 少なく ないこの神のご身体はおこ様とよく似て いるおこ様の社は里に多く ある石または木で男のものを作って 捧げる今はだんだんとその風習が少なく なっ たまた旧家には座敷わしという神が住んで いる家が少なく ないこの神は多くは123歳くらいの子供 で ある 時々人に姿を見せることが ある土淵村の言い出というところの 今淵ヶ岳 この座敷わらは男の子であっ た同じ村の山口の佐々木市のところでは母 が1人で縫い物をしている時に隣の部屋の 上で何かガサガサいう音があっ たこの部屋は家の主人の部屋でその時は 東京に行っていて不在だったのででこれは 怪しいと思って板戸を開いてみたけれど何 の影も ないしばらくの間座っていたら今度は 仕切りに鼻を鳴らす音が するさては座敷わしだなと思っ たこの家にも座敷わらが住んでいるという ことはずい分前から言われていたそう だ座敷わしの宿った家はお金に困らないと いうこの座敷はらしは女の子のことも ある同じ山口という休暇の山口孫左衛門の 家では女の子の座敷わしが2人いたと長い こと言い伝えられてき たある年同じ村のとある男が町から帰って きた時のことで ある米場の橋のほりで見慣れない2人の 可愛い女の子を見かけ た何やらその子たちは困った様子でこちら やって くるそれでお前たちはどこから来たのだと 聞いたらおら山口の孫左門のところから来 たと いうほうでこれからどこへ行くのかと聞い たら何々村の某の家に行くと 答えるその家はやや離れた村にあり今も 立派に暮らしている強ので ある さては孫ざもも終わりだなと思ったがそれ からしばらく経ったある 日この家の四十20いくにもがキノコの毒 にあたってたった1日で死に たい7歳の女の子1人が残ったがその
女の子もまた年を取り子供も なく病気でなくなったと いうこの座敷わしが出ていた時にはこの ようなことが起こってい た孫左門の家ではある日梨の木の周りに見 慣れないキノコがたくさん吐いているのを 食べるか食べないかと男たちが相談して いるのを聞い て 孫左衛門は食べない方がいいとせいしたが 下男の1人が言うに はどんなキノコでも水おけの中に入れて朝 の皮を剥いだ茎でよくかき回した後に 食べれば決して当たることはないと言って みんなこの言葉に 従い正体不明のキノコを勢いで食べて しまったという 家の娘である7歳の女の子はちょうどその 日外に出ていて遊びに気を取られ昼飯を 食べに帰ることをすっかり忘れていたため に助かっ た不の主人の死去で人々が同点している間 に様々の親類の人々が何のかんのと生前に かががあるなどと言ってあるいは約束が あると称して家の火はその時みその桶の ような生活用品までもが持ち去ら れこの村草分けの長者だったのに1日にし て後方もなくなってしまったそう だそして実はこの恐ろしい事件の全長は 確かにあっ た孫左門の家のげなたちが借りおいておい たまを出して三葉のクにてかき回していた 時に大きな蛇が出てき たこの蛇もいたずらに殺すなと主人が止め たのを聞かずに下名が殺してしまっ た1匹目を殺しても何も起こらなかった こともありその後から真草の下に何匹も蛇 がいってうねうねと出てきたのを使人の男 供は面白半分に全部殺してしまったと いうこの蛇の死骸を捨てるべきところも ないので屋敷の外に穴を掘ってこれを埋め て蛇を作っ たその蛇は桶何倍分もあったそう ださてミの孫左衛門は村には珍しい学者で もありいつも京都から和かの書物を 取り寄せては読みふけってい たのどかな遠野の村においては少し変人 だったと言っても いい狐と親しくなって家をお金持ちにする 術を得ようと 思い立ちまず庭の中に稲荷の祠を立て 孫左衛門は自分自身ある時京都に赴いて 小一位の深海を受けて 帰りそれから日々1枚の油揚げをかかす ことなく自ら祠に備え拝んでいたので後に
なって狐は慣れて近づいても逃げなくなっ たと いう手を伸ばしてその狐の首を押えたり などもした らしいとはいえ村にある薬師の遠森などは 自分のところの仏様は何もお供えしなくて も孫門の神様よりはご利益があると度々 笑い話にしていたと いう幽霊の話も ある佐々木氏の宗祖母が年を取って死んだ 時棺に納め親類の者たちが集まってその夜 はみ座敷で寝 たこの祖母の娘で精神状態がおかしいため に利益させられた年配の女性もまたその中 にい たもの間は火の気を絶やすことを嫌う風習 があり祖母と母の2人だけは大きないりの 両端に 座り母の方は傍にすかを置き時々隅を足し ている とふとと裏口から足音が する誰か来たと思って見やるとなんと 亡くなった老女本人であっ たいつも腰が曲がって着物の裾を引きずっ てしまうので三角に取り上げて前に 縫いつけているのはまさに生前の通りで 着物の島模様にも見覚えがある あらまあと思う間もなく2人の女が座って いるいりの脇を通り すぎ裾を折って炭取りに 触りそれが丸いスりであったために くるくると回っ た母は気の強い人なので振り返って幽霊が だんだんと通りすぎて行様を見送ったとこ 亡くなった老女の霊は親戚の人々の寝て いる座敷の方へ近寄って言っ たその時で ある霊の気の狂って利益された年配の女が けたたましい声でおばあさんが来たと叫ん だと いうその他の人はこの声で目を覚まして ただ驚くばかりであったとのことで あるまた同じ日のつに知り合いのものが 集まって夜遅くまで念仏を唱え帰ろうと する と角口の石に腰かけてあちらを向いている 老女がい たそその後ろ姿がまさしく亡くなったそそ もその人であっ たこれは多くの人が見たために誰も疑わ なかっ たこの宗祖母にどんな執着があったのか だけは最後まで知る人はなかっ たさて今度は少し歴史的な話になる が村村の旧家を大道というのは大道元年に
海の国から移ってきた家だからだと言われ て いる大道という年号は田村将軍政党の時代 であるので相当古いことに なるただカとは南部家の本国でも ある 2つの伝説を近藤したのではないだろう かこれにまつわる伝統も あるこの大道の祖先たちが初めてこの地方 に到着したのは年の暮れで春の急ぎの角松 をまだ片方立てないうちに現実になった らしいそれで今もこの家々ではめでたい 表現とし て元旦には角松の片方を地に伏せたままに してしめ縄を引き渡すとのこと だ名のある家には名人が いる柏崎の田んぼの内と称する安倍氏は よく名前を耳にする休暇である この家の仙台に彫刻がうまい人がいって 遠野1号の新物の像にはこの人の作った ものが多いと いうさて今度はお話で ある早から出て東北の 方角宮子の海に流れる川をを平川と いうその流域が下平軍で ある遠野の町の中で今は池の旗という家の 仙台の主人が宮子に行った売の 帰り道この川の原田の淵という辺りを通っ た時の ことそこに若い女がいて彼に一風の手紙を 託してきたと いう女が言うには遠野の町の後ろにある 好山の中腹にある沼へ行ってそこで手を 叩けばアテナの人がそこへ来るでしょう からどうか頼まれてそこへ行ってください とのことであっ たなんとも曖昧な話ではあったがこの人は 女の託す手紙を断るのもなんなのでその場 では受け合いはしたけれどもさすがにみみ 心に引っかかっていた ところ1人の純礼の行者に出会っ たそれで行者に手紙の件を話してみるとで は見せてくれというのでこの手紙を行者に 手渡したところ 行者は手紙を開いてさっと一読しそして こう言っ た少し厄介なことだこの手紙を持っていか ないとあなたの身に大きな災いが あるただ手紙の内容は書き換えて受け取り 人に渡した方がいい でしょうそしてさらに別の手がをしたため それを渡してくれ たさて彼は書き換えられた手紙を持って沼 に 行きかの女から教えられた通りに手を叩い
たらにわかに若い女が出てきて手紙を 受け取りその霊ですと言ってとても小さな 石牛をくれ たこの石牛米を1粒入れて回せば下から 黄金が出てきたので あるこの放物の力にてその男の家はやや 豊かになったが妻が 欲深く1度にたくさんの米を掴んで入れた ところ石は仕切りに自ら回転してついには 毎朝男がこの石牛に備えるための小さい くぼみの中に溜めておいた水の中へと 滑り落ちて見えなくなってしまっ たその水溜まりは後に小さい池になって今 も家の傍に ある家の名を池の橋というのもそのような 理由で ある 遠野には正体不明の存在が他にも いる初めて早に参道を作ったのはツモ牛村 の漁師で時代は遠野に南部家が入ってきて 後のことで あるその頃までは土地のものは誰1人とし て林の山に入るものはいなかったという つくしの漁師が半分くらい道を開いて山の 中腹に仮小屋を作って住んでいた時の ことある日路の上に餅を並べて焼きながら 食べてい たら小屋の外を通るものがいて仕切りに中 を伺っている様子であっ たよく見れば大きな坊主だっ たその大きな坊主はやがて小屋の中に ずかずかと入ってきてさも珍しそうに餅を 焼くのを見ていたがついにこらえきれなく なって手を差し伸べて取って食べ た何しろとんでもなく大きな坊主である から漁師も怖くなっ て自分でも焼いたのをまた取って与えた ところ坊主はそれも嬉しそうに食べ たついに持ちがなくなると坊主は帰って 行っ た漁師は考え たあの坊主は次の日もまた来るかもしれ ないその旅にこんなに餅を食われていては かわん それで漁師は餅によく似た白い石を2つ3 つ餅に交えて炉の上に乗せておいたら焼け て火のようになってい たさて案の定その巨大な坊主は次の日も やってきて餅を取って昨日と同じように 食べる 食べる見る見るうちに餅がなくなった後 漁師の仕組んでおいた白い石をも持と同じ ように口に入れた がありの暑さに驚いて小屋を 飛び出しついに姿が見えなくなっ
た後に谷底でこの化け物めいた坊主が死ん でいるのを見たと いう山の話も ある系統山ははちの前面に立っている辛抱 で ある麓の里では前役しとも 言うここには天狗が住んでいると言って林 を通りかかる人も決してこの系統山には 近寄らなかっ たさて山口のハネトという家の主人は 佐々木氏の祖父とちばの友であっ た何でも大変な無法者で斧で草を狩るわ草 を狩るための釜で土を掘るわとにかく若い 時は無謀な振る舞いばかりしていた人だっ た らしいこの人がある時人と駆をして1人で 九段の前つまり系統山に登った時のことで ある帰ってから語るところによると系統山 の頂上には大きな岩がありその岩の上に 大男が3人いたそう だそして前にたくさんの金銀を広げていた らしい 大男たちはこの人が近寄ってくるのを見て 怒ったように顔色を変えて振り返ってき たその目の光はさすがのこの人でも極めて 恐ろしいものであった らしいそこですかさず自分は林に登る つもりが途中から道に迷ってきてしまった のだと言った すると大男たちはそれならば送ってやると 言って先に立ち麓の近いところまで彼を 連れてき たそして目を塞げと言われ大男たちの言う 通りにその人は目を塞いでしばらくそこに 立っている間に立ちまちに大男たちは どこかへ立ち去ってしまったとのことで ある山男を見たという話は他にも ある小村のとある男がある日早に竹を借り に行った 時字が帯びただしく茂っている中にやたら と大きな男が寝ているのを見 たこの大男は字だで編んだ3弱ばかりの 造りを傍に脱いで仰向けに寝て大きな いびきを描いていたそうで ある山男の話が頻繁に出るが東野号の民家 の子供はこの主の大男にさわれていくもが 年々多くいるとのことで あることに女が多いと いう遠野でも珍しく千場ヶという山には 山中に沼が あるこの山についての話で ある千場ヶの谷はものすごく生臭い香りの のするところでこの山に入って無事帰って きたものは本当に少ないと言われて いる昔何がしのはという漁師がい
たちなみにその子孫は今も いるさてこのハヤトという漁師がある時 白い鹿を見 てこの秘な鹿を追って谷に千日も止まった ので千万の山という意味の名として千場 がけというようになったそう だそしてその白い鹿は漁師に打たれても 逃げ次の山まで行って片足を折ってしまっ たその山を片葉山と 言うそしてそれから前にある山へ来て ついに死んでしまっ ただからその地をしと いうし権言として祀られているのはこの 白い鹿であると いうまるでイニエの風度機でも読んでいる ような話で あるの話もまた古い話のようなもので ある白みの山に行って止まると深夜に辺り が不思議と薄明るくなることが ある秋の頃はキノコを取りに行き山中に宿 を取るものがよくこの現象に遭遇すると いうまた谷の向こうで大木を切り倒す音歌 の声などが聞こえてくることも あるこのような不思議な山であるからこの 山の大きさを物理的に計測することは山の 会に翻弄される人間には簡単にはできない だろう5月にかやお借りに行く時遠くを 望むと霧の花が咲き乱れている山が あるあかも紫の雲がたいているよう だけれど最後までその辺りまで近づくこと はでき ないかつてキノコを取りに入ったものがい た白身の山奥で金の問と金の尺とを見たと いうこれを持ち帰ろうとしたところとても 重く釜で片端を削りとろうとしたけれど それもでき ずまた来ようと思って木の皮を白くして 目印にして次の日人々と共に行って金の問 と金の尺とを探してみたけれど 結局最後までその木の場所が分からなくて やめたと いうこの不可思議な白身の山続きに離れ森 というところが あるその地に長者屋敷というのがある がこれが名前に反して全く人のいない ところなのである 昔ここに行って炭を焼くものがい たある夜その小屋のタゴを掲げて小屋の中 を伺っているものが現れ たそれは髪を長く2つに分けて垂らして いる女であっ たつまりは山女で あろうこの辺りでも深夜に謎の女の叫ぶ声 を聞くことは珍しく ないさてこの山にまつわる次の話は佐々木
氏の祖父の弟の体験団で ある昔白山にキノコを取りに行って宿に 止まった夜の こと谷を隔てた向こうの大きな森林の前を 横切って謎の女が走って行くのを見たそう だその女はまるで空中を飛ぶように走って いた らしい待てと二声ばかり叫んでいたのを 聞いたと いう山にいるのは不思議なばかりでは ない猿のふたちつまり猿の年おいて霊力を 持ったものやお犬のふったちも恐ろしい もの だお犬とは狼のことで ある山口の村に近い2つ石山は岩山で あるある雨の日小学校から帰る子供がこの 山を見る ととど岩の上に狼がうまっていたそう だやがて狼は首を下から押し上げるように して変わるがる吠え た正面から見れば生まれたての馬の子 くらいに見え ようしかし狼というものは後ろから見れば 意外と小さいと 言えるそれでも狼の唸る声ほど恐ろしい ものは ないこれは実際の狼の話で ある酒峠と和山峠との間で昔は運搬用の馬 を追っていたものはしばしば狼に遭遇した と いう馬方が夜行く時は大抵10人ばかりの 集団となっ て1人あたりの引く馬は一はずなとは言っ ても大抵5等か7等くらいにはなるので これが集団となると常に4頭の馬を引き あく計算に なるある時 200300匹にもなるかという ものすごい数の狼がこの馬方一向を 追いかけてき た狼どもの足音は山をどめかせるほどで あったのであまりの恐ろしさに馬も人も 一所により集まってその周囲に火をつけて 必死に狼からの攻撃を防いだ それでもなおその日を踊りこえて入って くる狼もいたのでしまには馬の綱を 解きこの綱を人と馬との周囲に何かの結界 のように張り巡らせた ところ狼たちはそこに落とし穴でもあると 思ったのかそこから後は中に飛んで入って くることはなかったという しかしながら狼たちはなおも遠くから 取り囲んで世が開けるまで吠え続けていた とのことで ある狼にまつわる話にはこんなものも
あるお村の旧家の主人で今も生きているお 老人が いる 昔この人は町から帰る時に仕切りに狼の 吠える声を聞い たその時は先によっていたので自分もその 声を真似たりしていたらなんと狼も吠え ながら後からついてきたと いうこれにはさすがに酔いも覚め恐ろしく なって急いで家に帰り門の戸を固く閉ざし て息を殺して静かにしていた けれど夜通し狼が家の周りをぐるぐると 回って終える声が続い た世が開けてみると狼は馬屋の土台の下を 掘って中に 入り馬が7といたのをことごとく食い殺し てい た この家はその頃から傾き始めたということ で あるこれも狼の話で遠野の話の語り手で ある佐々木君が幼い頃のことで ある祖と2人で山からの帰りしに村に近い 谷側の崖の上に大きな鹿が倒れているのを 見たそう だ横腹が破れ殺されて間もないようでそこ からはまだ湯気が立ってい た祖父が言うにはこれは狼が食ったの だろうとのことであっ た鹿の川が欲しい気持ちもあったけれど狼 は必ずどこかこの近所にれてこちらの様子 を見ているに違いないから安易に取ること はできまいと語ったそう だこの土地には狼が多かったように思わ れるがそもそも狼という生き物は草の長さ が3寸もあれば身を隠せると いう草の色が移り変わるのにつれ 狼の毛の色も季節ごとに変わっていくので 案外どこにでもいることができたかと思わ れるそういうわけで狼にまつわる話は 多い和野の佐々木騎兵という人があるとし 境木峠の大家へ借りに行っ た 霊の白い鹿の死んでいたとされるしの方 より広がる草原で ある秋のくれのことでこの葉は散りして 山肌も荒であっ たその時で ある向こうの峰より何百とも知れぬ狼が こちらへ群れをなして走ってくるのを見て 恐ろしさに耐えられず木の小に登っていた ところその木の下を狼たちは正しい足音を させて走りすぎ北の方へ行ったそう だその頃より遠野号には狼がだんだんに 少なくなっていったとのことで
ある 狼から逃げるばかりではなく人と狼とは時 に主となる場合も ある六甲山の麓に小屋板子屋などと呼ば れるところが ある広い茅山で ある村村からこの山へかを借りに 行くある年の秋飯村の者たちがかを借りに 行って岩穴の中から狼の子を3匹も見つけ だしそのうち2匹を殺し1匹を持ち帰った ところその日から狼が飯村の馬を襲い始め この襲撃が続いたと いう狼たちは他の村村の陣馬には少しも害 をなさ ない飯で村の者たちは相談して狼狩りを 結婚し たその中には相撲を取り普段から力自慢の ものもい たさて野にいでてみると雄の狼は遠くにい てこ ないメ狼が1匹テという男に飛びかかっ たこれが霊の力自慢のものであっ たこれには作戦があっ た力自慢の鉄が厚手の上着を脱いで腕に 巻き屋にその狼の口の中に突っ込み狼は これを噛ん だそれでも強く突き入れながら彼は人呼ぶ がみ怖がって近寄ら ないここで狼を縛り上げたり袋叩きにすれ ば狼狩りは成功だったのだがそうもいか なかったの だ走行する間に鉄の腕は狼の腹にまで 入り狼はといえば苦し紛れに鉄の腕の骨を 噛み砕いた 鉄の腕は狼の腹を内側から 突き破り狼はその場にて死んだけれども鉄 も担がれ て帰ってからほどなくして死んだそう だ狼だけでは ない熊と人とも 戦う昨年の遠の新聞にもこの記事を載せ た上郷村のクという男が友人と共に雪の日 に六甲しに狩に ゆき谷深くまで入ったところ熊の足跡を 見つけ出したので手分けしてその足跡を 追って自分は峰の方を行った ところとある岩影から大きな熊がこちらを 見ていたそう だ矢を当てるための射程があまりに近かっ たので仕方なしに銃を捨てて熊を仕留める ために一気に 抱きつきまさに熊同士の死と愛なっ たけれども雪の上を転がって両者ともに谷 に滑り落ち た
連れの男はこれを助けようと思ったけれど も力が及ばなかっ たやがて谷側に落ちる人が熊の下敷きに なって水に沈んだのでその隙に獣の熊を 打ち取ったと いうちなみにクという男は水にも溺れずの 傷は数か所受けたけれども命に別状は なかったとのことで ある山に出るのは狼や熊ばかりでは ない六甲師の峰続きで橋野という村の上に ある山に近郊が あるこの鉱山で働くもののために住を焼い てなりわいとする人がいっ たこの人も笛が上手である日昼に小屋で 仰向けに寝転んで笛を吹いてい たら小屋の口のたごを持ち上げるものがい た驚いてみれば猿のふったちであっ たこれは猿が年おいて霊力を帯びたであり 一種の化け物で ある恐ろしくて起き上がったら猿のふっ たちはおに彼方に走っていったそう だまた猿のふたちは人間によく似ていて女 を好んで里の夫人を盗み去ることが 多い松屋を毛に塗り砂をその上につけて いるため猿のふたちの毛皮は鎧のようで 鉄砲の玉も通らないと いうこれも猿のふったちの話で ある栃内村の林崎に住む今は次歳に近い とある男の話で あるあり前のことで あるこの男が六甲山に鹿を打ちに 行き沖と呼ばれる獣を呼び寄せる石笛を 吹いたりしていると猿のふったちがられ た何やら笛のを本物の鹿の声とでも思った のか字だを手でかき分けながら大きな口を 開け 峰の方からどんどんこちらめがけて下って き た男が肝を潰して笛を吹くのをやめたら やがて脇に それ谷の方へと走り去っていったそう だそのようなわけで猿のふたちは地元の ものには案外恐れ いだからこの地方で子供を脅す言葉に六 光子の猿のふったちが来るぞという決まり 文句もごく普通に ある現にこの山には猿が 多い小の滝を見に行くと崖の木の小に たくさん猿がいて人をを見ると逃げながら 木の実などを投げつけてくるそう だまた仙人峠にもたくさん猿がいて通り がかる人に遊びで石を打ち付けたり する山奥にも人の交流の場が ある仙人峠は登りが10 下りも15り
あるその中ほどに000人の像を祭って いる王道が あるこの小道の壁に旅人がこの山中で遭遇 した不思議な出来事を書き記すことが昔 からの風習 だ例えば自分はエチゴのものだが何月何の 夜この山道で髪を垂らした若い女に遭遇し たその謎の女はこちらを見て気味悪く にこりと笑ったという類いで あるまたこの場所で猿にいたずらをされた とか3人の盗賊にあったというようなこと をも記して ある 怖い話ばかりのようだが遠野には美しい ものも あるしの山にはかっこ鼻と呼ばれる花が 咲くこれは遠野号にても珍しいと言われる 火憐な花で ある5月かこが泣く頃女や子供がこの淡い 紫色の花を取りに山へ 行くこの花を巣の中につけておくとさらに 見事な深い紫色に なる大月の実のように吹いて 遊ぶこの花を取ることはこの土地の若者の 最大の娯楽なので ある また猿や狼といった獣だけでは なく遠野の山には様々の鳥も住んでいる けれど最も寂しい声の鳥はおどりで あるこの鳥は夏の夜中に なく浜の大槌から運搬業のものなどが峠を 超えてくる 時遠く谷底でその声を聞くと いうこの夫には言われが ある昔ある長者の娘がいっ たこの娘がこれまたとある長者の息子と 親しく なり山に行って2人で遊んでいたけれど男 の姿が見えなくなってしまっ た娘は夕暮れになり夜になるまで山を探し て歩いたけれど結局見つけることができ ずついにこの鳥になってしまったと いうおんおんという鳴き声は夫のことで ある 終わりの方がかれてなんとも哀れな鳴き声 で あるまたこんな鳥も いる馬鳥と呼ばれる鳥はギスに似ていて 少し 大きく羽の色は赤に茶を帯びて肩には馬の 綱のような島模様が ある胸の辺りにくこのような形も あるこれもある長者の家の方向人が山へ馬 を離しに行き家に帰ろうとしたところ馬が 一等足りないことに気がつい
た馬はとても貴重な生き物であるから 夜通しこれを探し歩いて それでも見つからないのでついにこの鳥に なってしまったという言われで あるあほあほと泣くのはこの地方では野に いる馬を追う声で ある年により馬おりは里に来て泣くことが あるがこれは基金の前兆であるとされる とはいえこの鳥は新山には常に住んでいて 泣く声をいつでも聞くことが できる他の鳥にも言われが あるかことほとギとは昔は人間の姉妹で あっ たかこは姉であるがまだ人の姉妹であった ある 時この姉は芋を掘って焼きその周りの硬い ところを自分が食べ中の柔らかいところ 美味しいところを妹に与え たしかし妹の方は姉の食べた方がもっと 美味しいに違いないと思って包丁でその姉 を殺したところ 姉は立ちまち鳥になって頑固頑固と泣いて 飛び去ったと いう頑固とはこの地方の方言で硬いところ という意味で あるその時にこの妹は姉が実は自分に対し ておいしいところを与えてくれていたこと に気が つき開国に答えずやがてまた彼女も鳥に なって包丁かけたと自らの罪を泣いたと いう遠野ではほギスのことを包丁かけと 呼ぶ盛岡辺りではほギスは土家へ飛んでっ たつまりどこかへでいったとなくと いう次の話はただの幽霊タとも昔語りとも つの話で精子の境い目とも言うべき場所が 水の中に存在するという奇妙なもので ある実際に平川の流れには淵が 多く恐ろしい伝説が少なく ない小国川との落ち合いに近いところに 可いという村が あるその村の長者の方向人が淵の上にある 山で木を切っていた ところ斧を水の中に落としてしまっ た主人のものであるので縁に入ってこれを 探していたところ 水の底へと入って行くと物音が聞こえてき たこの音を追って行くと岩の影に家があっ た奥の方では美しい娘が旗を折ってい たそしてその傍に彼の斧が立てかけてある のが見え た 方向人は思わず駆け寄ってこれを返して くださいと言っ たこの言葉に振り返った女の顔をよく見る となんと23年前に死んだ我が主人の娘で
あっ た娘はこう言っ た斧は返すけれど私がこんなところにいる とは人に言わないで くださいそのお礼としてあなたの生活は 良くなり方向をしなくても住むようにして あげ ましょうさて斧を返してもらった方向人は 無事に主人の家に帰ることができ たそして決して死んだはずの娘がこの世も あの世ともつかない水底で今も生活をして いるということは誰にも打ち明けずにい たそのおかげかどうかわからないがその後 この方向には道引などという爆で不思議と 勝ち続けて金が たまりほなくして方向をやめ強のとはか ないまでもゆ自の持ちの農民となっ たけれどこの男はすぐに物忘れをして普段 の娘の言ったことに気をつつけること なくある日同じ淵のほとりを通りすぎて町 へ行く時にふと前のことを 思い出し一緒にいたものに以前こんなこと があったと話した ところやがてその噂は均衡に広まって しまっ たその頃から男は生活が再び 傾きまた昔の主人に方向して年を重ねる はめになっ た家の主人はなんと思ったのか死んだ娘の いる淵に幾度となく熱湯を注ぎ入れたりも してみたようだが何の効果もなかったと いうことで ある